神の愛の実践者を自覚する祈り
(上のプレイヤーで音声が聞けます)
神さま、わたしは今あなたの前に跪(ひざまず)き、あなたの大いなる力を感じます。あなたは実在するすべてを創造され「はなはだ良し」と認められました。ですから、すべて実在するものは真であり、善であり、美であり、調和しています。私も今ここに実在しているのですから、真と善と美と調和に満たされています。それは肉体としての「私」のことではありません。肉体の背後にあって、肉体を現しつつある「命」のことです。それが本当のわたしであり、わたしの今の肉体はわたしの表現の一時的状態にすぎません。だからわたしは肉体ではなく「命」であり「霊」です。わたしの肉体は「命」の道具であり、手段であり、表現の媒体です。
神さま、わたしは今あなたの前に跪き、あなたの降り注ぐ愛を感じます。わたしに「肉体」という表現の媒体を与えてくださったことを、心から感謝いたします。肉体それ自体がわたしの命の表現であります。60兆もの生きた細胞から構成された肉体の、それぞれの細胞が無数の重要な役割を分担し、一糸乱れぬ統制の下に連絡し合い、協力し、共同し、死ぬものは死に、生まれるものは生まれ、全体が一つの意志の表現として機能するようにできた、精緻・精密・複雑・不可思議な道具の構造や機能は、わたしの頭脳知をはるかに超えています。にもかかわらず、わたしはほとんど意識せずに、自分の「延長」としてこの道具を楽々と使うことができるのです。そのことが善であるだけでなく、大いなる調和であり、かつ美しいのです。
神さま、わたしは今、この善と調和と美に満ちたあなたの愛を一身に受けていることを感じ、感謝に包まれています。わたしはあなたからの愛を自分のためだけに独占して、満足するものではありません。愛に満たされたものは、必ず愛を他に与えるものです。太陽からエネルギーを得た植物は、動物のために酸素や糖を豊富に供給します。植物から力を得た動物は、二酸化炭素を植物に与え返し、花粉や種を遠方に運んで植物の繁栄を助けます。動物は老廃物や死骸を菌類に与えて、菌類はそれを分解し、再び動植物に必要な栄養素に変え、土壌を肥やし、動植物を支えます。一見、無関係と思われる生物界のすべてのものが、与え合いの愛の活動を実践していることをわたしは知っています。わたしたちが「自然」と呼ぶものは、無限に他を生かし、他に与える、神さまの多様多岐な愛の流れの別名です。だから自然は善であり、調和していて、美しいのです。
神さま、わたしは「神の子」ですから、神さまの愛の仲介者であり、かつ愛の流れを促進する実践者です。神さまからいただいている豊かな愛を、必ず他へ回します。そのとき、わたし自身の生命を注ぎ込むことで、新たな善と美と調和が顕れます。それがわたしの喜びです。わたしは神さまの愛の流れを堰き止めて、独占しようとはしません。自分のところへだけ流れを溜めようとすれば、豊かな流れは堰を破り、破壊と無秩序が生まれます。わたしは神さまの愛の流れを仲介するパイプです。優秀なパイプは、上流を下流へとただ豊かに流すのです。
神さま、わたしは今あなたの前に跪き、あなたの大いなる愛の奔流を自分の中に感じます。わたしは一個の小さな肉体ではありません。この肉体は、「神の子」としてのわたしの愛が流れ出る噴出口です。噴出口は小さくとも、その背後に流れるわたしの愛は、神さまの愛と一体ですから、無限に豊かであり、善と美と調和に満たされています。それを仮に「わたしの愛」と表現しましたが、その「わたし」は小さな肉体の「私」のことではありません。本当のわたしは神さまと一体であり、したがって「わたしの愛」は神さまの愛の流れと一体です。わたしはすべての生物の命の流れと一体であり、善と美と調和の力そのものです。わたしは今、神さまの愛の実践者として喜びに満たされています。
この自覚を与えてくださった神さまに、心から感謝いたします。ありがとうございます。
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