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コトバの力を駆使して運命を創る祈り

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 神さま、私は神の子であります。私はそのことを今、再確認します。神の子は常に神さまの愛に護られています。ですから、私の周りに“敵”や“悪”があるはずがありません。神の子は常に、神さまの知恵に導かれているのですから、ゆく道に迷ったり、過ちを犯すはずがありません。神の子は常に神さまの命に生かされているのですから、病気にかかったり、衰えたりすることはありません。それが私の本来の姿--実相です。私はこのような完全円満の実相を有していることを、再確認します。

 神さま、私は神の子としての実相をもちながら、「肉体」という道具をいただいて地上で生活しています。この場合、「神の子である」という意味は、神さまが実在世界を創造されたように、私も自分の周りの現象世界を創造するということです。神さまが実在世界を造られたのは、聖経に書いてあるように、神さまの「心動き出でてコトバとなる」ことによってです。私も「心を動かしてコトバとする」ことによって自分の世界を創造するのです。ですから、私は「与えられた世界」の中で諦めて生きるのではなく、コトバの力を使って「自分の世界」を創造しつつあるのです。この地上での「運命」とは、だから「与えられた」不動のものではなく、コトバによってつくり変えることができるものです。

 私の周りの世界は、私の“作品”です。もしそこに不合理が展開しているように見えるならば、誰かが不合理な世界を造って私に押しつけたのではなく、私自身が「不合理」という色で自分の世界を彩色しているのです。もしそこに不公平が見えるならば、私自身が「不公平」という色で世界を塗っているのです。不合理も不公平も神さまの世界には存在しません。それは、私がコトバの力を使って、自分の周りに幻灯機のように映し出しているにすぎません。罪も病も死も、私の心が同じように映し出した虚像にすぎません。
 
 神さま、私は神の子であります。神の子は、神さまの創られた実在世界にあるものをコトバの力によって表現することに喜びを感じます。それが、コトバの力の正しい使い方です。コトバとは、身・口・意の三業を指します。身体(からだ)によって、口によって、意(おもい)によって心を表現することです。一回の「行為」ではコトバの力は小さくとも、それが同方向に繰り返されることで、「行」は「業」となって大きな力を発揮します。善い行為、善い言葉、善い想念を繰り返してもつことによって、「善行」は「善業」となって私の運命を形成します。その逆に、悪い行為、悪い言葉、悪い想念を繰り返せば、悪業の力を強め、悪い運命を形成することになります。それは、コトバの力の誤った使い方です。
 
 神さま、私は神の子ですから、神さまの実在世界に存在しないものを表現することを喜びません。悪行や悪口、悪意などに不快を感じるのは、そういう理由です。私は今後、そのような悪行や悪業とは逆方向にコトバの力を使います。善を行い、周りの人や事物の美点をほめ、美しさを讃え、感謝し、善意や好意や美を表現することで、自ら「善業」を創り出します。現象世界は「唯心所現」ですから、私がコトバの力を駆使して「善」の方向に心を動かせば、必ず善が現れてきます。それが心の法則であり、因果の法則です。
 
 ああ神さま、私は今、あなたが創られた実在世界の真・善・美を如実に感じます。瞑目して周囲の響きを観ずるに、真なるもの、善なるもの、美なるものをアリアリと心に描くことができます。ですから、目を開けて周囲を見ても、真なるもの、善なるもの、美なるものを観通すことができます。現象世界にそれがまだ充分映し出されていなくとも、私は真・善・美の“痕跡”を見つけ、身・口・意のコトバの力によってそれを引き出すことができます。それが私の喜びです。生き甲斐です。使命です。私の運命は、こうして善なる方向へ着々と形成されていくのです。
 
 この真理を教え給う愛なる神さまに、満腔の感謝をささげます。ありがとうございます。


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