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神の子の善なる使命を自覚する祈り

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(上のプレイヤーで音声が聞けます)

 神さま、あなたが人間の肉眼に見えないということは、あなたの真の偉大さを表しています。人間の目に見えるものは、人間の肉体と大きさがあまり違わないものばかりです。巨大な建築物は、遠く離れなければ見ることができません。しかし、離れれば離れるほど、建物の細部は見えなくなります。大山脈を見るためには、空中へ上り、あるいは海へ出て眺めなければなりませんが、それによって個々の山の形は判別できなくなり、山にすむ生物は見えなくなります。小さなものも肉眼には見えません。微生物や花粉や胞子、その他生物の細胞などが、どんなに美しくかつ複雑な形をしていても、肉眼で見ることはできません。顕微鏡や望遠鏡を使ってそれらを見たとしても、部分が拡大されるだけで、全体を一望することはできません。しかし神さま、あなたは部分だけでなく、全体の設計者であられます。極小の素粒子から極大の宇宙までを創造し、知悉されているあなたが、人間の肉眼で捉えられるほど小さな存在であるはずがないのです。

 神さま、私はそんな偉大な神さまの子としてここにあることを心から感謝します。私はあなたの存在をいまここにアリアリと感じます。人はあなたの姿が見えないといって信じることを躊躇しますが、私はあなたが普段、肉眼に見えないことにこそ、あなたの愛の深さを感じます。もしあなたのような偉大な存在が普段から目に見え、私が目を向けるあらゆる所にあなたが見え、あなたの目を感じるならば、私は自ら考え、試行するよりも、ハーメルンの笛吹きに従うネズミの1つのように、あなたの指示するところへ何も考えずに従っていくでしょう。あるいは私に罪の意識があるときは、畏怖、萎縮して自由な判断を下す余裕をもてず、しじゅう看守の監視下におかれた囚人のように、私はあなたの目の色をうかがう生き方を選んでしまうかもしれません。しかし、あなたが肉眼には見えないということで、私はあなたからの最大の贈り物--「自由」を享受することができるのです。

 自由は、人間において初めて大きく実現しました。他の生物では、自由は大きく制限されています。多くの生物は、遺伝子からの指令により自由を許されずに行動します。だから彼らの行動には善悪の別がありません。ある条件が整えば、ある行動が必然的に出てくるからです。春になれば新緑が出て、花が咲きます。気温が上がれば動物は動き、捕食や生殖や子育てを行います。そこには、無数のデザインとパターンと組み合わせが溢れていますが、自由の表現は不完全です。美はあっても、善が不十分なのです。なぜなら、善の表現は自由があって初めて可能だからです。強制されずに善い結果を自由にこの世に導き出すこと、それが人間において初めて可能となったのです。

 神さま、私は神の子として「善」を地上に表現する機会を与えてくださることを心から感謝します。「善いこと」とは、外から強制されて実現するものではありません。同じ人助けでも、誰かに無理矢理に命令されて行えば、それはもはや善行ではなく、奴隷の屈従です。他からの強制がなく、それを行わない自由がある中で、自らの意思によってそれを行うとき、初めてそこに善が実現します。このように、「善」は「自由」の裏打ちがあって初めて成立するものですから、神さまが人間の肉眼から御姿を隠されて、人間に自由を与えてくださることで、善が人間の意思として地上に顕現することができるのです。

 真に偉大なものは、目には見えない存在です。法則は、人間の目に見えません。知恵は、人間の目には見えません。愛も、肉眼で見ることはできません。生命は多様、多彩の表現をとりますが、生命そのものを見ることはできません。これと同じく、善も多様、多彩の表現が可能ですが、善そのものを見ることはできません。神さま、あなたはこれらすべての偉大なるものの創造主であり、それらを包含されています。私は神の子として、知恵と愛と生命をあなたから譲り受けているのですから、それらとともに、あなたの最大の贈物--自由を駆使して、地上での「善の表現」に邁進いたします。

 この聖なる使命を与えてくださった神さまに、心から感謝いたします。


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コメント

合掌 ありがとうございます。

投稿: | 2012.11.16 10時00分

合掌 ありがとうぞざいます。

投稿: 生尾秀夫 | 2012.11.16 10時02分

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