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真我を自覚して“魂の半身”と出会う祈り

「Ch4_Prayer_01.mp3」をダウンロード

(上のプレイヤーで音声が聞けます)

 私は今、神さまの御前に座し、「神の子」であることの尊さを観じます。神さま、ありがとうございます。私があなたの子であるということは、あなたの万徳の継承者であるということです。あなたは宇宙の万物において、多様な美と、与え合いの愛と、共存共栄の知恵を表わされています。そのことを私が感得し、理解し、深く共感することができるのは、私の心の内奥に神さまの御徳と同じものがあるからです。これが、私の「内なる神の子」の本質です。

 私は今、その尊い“自己内奥の本質”を明らかに自覚します。私が、宇宙に満ちる法則の知恵に感動するのは、私の本質が宇宙に満ちる知恵と同質であるからです。私が親子の愛、隣人への愛、恋人への愛、夫婦の愛、兄弟愛、国家や民族への愛を感じるのは、私がそれらすべてと“内奥の本質”において一体であるからです。私が人類のみならず、動植物を含めた地上すべての生命を愛おしく感じるのは、それらすべての生命と私とが同根の命であるからです。

 私は一個の小さな肉体の中に閉じ込められた無力で、寂しい存在ではありません。私は、宇宙に満ち満ちた知恵と愛と生命である神さまと共にありますから、神さまにおいて宇宙のすべての存在と一体です。肉体だけを見ると、私は自分以外のあらゆるものから分離しているように見えますが、“自己内奥の本質”である知恵、愛、生命において、私は宇宙のすべての存在とつながっている幸せな神の子です。もし私が、人生の伴侶をいまだ見出せずにいるならば、それは“自己内奥の本質”において既にすべてを与えられていることを忘れ、一個の肉体としての自己を本当の自分だと考えているからです。霊的存在である自己を忘れ、肉体的存在である自己のみを自分だと感じているからです。
 
 肉体的に見るならば、すべての人間は「個」であり「個別」であり「孤独」です。恋人も夫婦も親子も兄弟姉妹も、肉体は互いにバラバラです。肉体を「我なり」と感じれば、すべての関係は一時的であり、刹那的です。そのような孤独感や刹那的関係からくる空しさは、周囲に暗い雰囲気を発散します。伴侶になるべき人が近くにいても、暗い雰囲気は人を寄せつけず、近寄る人を不安にします。しかし、私は今、人間は神の子であり、すべての存在と神において一体であることを自覚したのですから、もう孤独感に縛られたり、刹那的関係の虜とはなりません。私は本来自由の神の子であり、あらゆる束縛から“ホドケた”仏です。私は決して寂しくなく、永続的な安定した関係の中ですべての存在と一体です。それは肉体のことではなく、霊的自己の実相です。
 
 神さま、私は今、神の子なる私の実相を再確認します。私は、神さまにおいてすべてと一体であり、無限幸福の中にいる神の子であることを宣言します。そのことを、命の底から宣言します。それが本当の祈り(命宣り)であり、実相を語るコトバです。本当の祈りはきかれないはずがありません。この「人間・神の子」の真理に目覚めるとき、私の個性は最も自然に、最も健全な形で明るく、伸び伸びと表現されます。この明るさと自然さが、私にとっても最も適当な伴侶--“魂の半身”を呼ぶのです。

 “魂の半身”とは、互いに欠けた部分を補い合う関係ではありません。半分と半分が加わって「一つ」になるのではなく、一個人と見えていた人間同士が互いに個性を発揮し、内在の神性・仏性が動き出し、潜在能力が開発され、「五」にも「十」にも拡大するのが結婚生活です。肉体や物質や財産のことではありません。自己内奥の神性・仏性の協同開発者であり、霊的成長にとって欠くべからざる相手のことを“魂の半身”と呼ぶのです。
 
 私の“魂の半身”はすでにそこにいます。今ここにいます。私の魂の内奥の本質が輝き出すとき、その響きに感応して貴方は現われます。貴方は神において、私を呼んでいます。私は貴方に相応しい「神の子」としての人生を生きることにより、必ず貴方と出会うのです。なぜなら、神において私たちはすでに一体であるからです。

 神さま、この尊い自覚を与え給うたことを心より感謝いたします。ありがとうございます。


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コメント

とても嬉しくなってきました
半分と半分が加わって「一つ」になるのではなく
…互いに個性を発揮し内在の神性・仏性が動き出し
潜在能力が開発され「五」にも「十」にもなる…
希望が湧いてきました
ありがとうございます

投稿: tomoko | 2012.08.13 09時46分

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