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“魂の半身”を讃美する祈り

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(上のプレイヤーで音声が聞けます)

 神さま、私はいまあなたの前に座して“神の子”たる私の実相を観じます。神さまは無限の知恵であられますから、私もまた知恵に満たされています。神さまは無限の愛であられますから、私もまた愛に溢れています。神さまは無限の生命(いのち)であられますから、私もまた生命力に満ちあふれています。知恵と愛と生命(いのち)に満ち溢れた私には、何も不足なものはありません。実相においては、私の魂に何かが欠落していて、そのことが不安で、あるいは寂しく、その欠落を埋めるために何かを求めるということはありません。私は“神の子”ですから、すべてのものがすでに与えられずみであり、喜びに満たされているのが本来の私です。

 もし私が、心に何か不足を感じているとしたら、それは私の魂に“欠乏”や“欠落”があるのではなく、神さまからいただいている有り余るほどの豊な知恵、愛、生命力を内部に蔵しながら、それらをまだ自覚していないからです。自分自身を「肉体」だと見て、その外見や外面的性質の不足や欠陥を“自己の欠陥”だと見ているから、心に不足や欠落を感じるのです。この欠落感を外部から埋め合わせ、補ってくれるのが異性であり、恋人であり、配偶者であると考え、そういう相手を“魂の半身”として求めているのです。しかしこれでは、自分を「欠陥あり」と信じながら、相手を自分の欠陥を補う手段として見ていることになります。これは「肉体人間」の自覚にもとづいた欠乏感にほかなりません。

 神さま、私はいま「神の子・人間」の自覚にもとづいて“魂の半身”を正しく観じます。“魂の半身”とは不足を補う便利な手段ではなく、互いの知恵を与え合い、愛を与え合い、生命力を与え合って、地上に家庭や家族、協力者、協同事業者、伴侶というような、「個」を超えた「結び合い」「生かし合う」姿を具体的に表現するための、掛け替えのないパートナーです。神さまからいただいている無限の知恵、愛、生命力を私がただ「内蔵する」だけでは、それは現象世界で「可能性」として隠れたままです。それを具体的に表現するためには、「相手」が必要です。知恵を表現するためには「問題」や「課題」も必要です。愛を表現するためには、愛の対象、愛の受け手が必要です。生命力を行使するためには、自らの肉体を使って生命(いのち)を注ぐ相手が必要です。“魂の半身”とは、このように私の「神の子」としての無限の可能性を具体的に引き出し、共有し、認めてくれる尊い存在です。

 “魂の半身”は、自己の目的に奉仕する便利な奴隷ではありません。彼または彼女は、「個」の生活では開発され得なかった自分の魂の未開発部分を、思いやりと理解をもって引き出してくれる観世音菩薩です。観世音菩薩が世の中の音(ひびき)を観じて、それに応じて身を変じ衆生を導いてくださるように、“魂の半身”は私の心の響きを感じて、そのごとくに姿を変じ、私の「神の子」としての真性を引き出し、ともに成長し、ともに楽しみ、ともに讃え合う切実なる体験を提供してくれます。夫よ、妻よ、恋人よ、伴侶よ、あなたは私の“魂の半身”です。あなたの存在なくして、私の「神の子」としての本性は地上に顕現しえず、人生の真実なる喜びと生き甲斐の体験を得ることはできません。私に何かが欠けているのではなく、あなたに何かが欠けているのではなく、私とあなたが互いの神性・仏性を“表現する場”として2人の関係を共有しているので、互いに“半身”と呼び合うのです。

 ああ“魂の半身”よ、あなたは私の人生の協同構築者です。私はあなたの人生の協同制作者です。あなたは私の神性・仏性の協同開発者です。私はあなたの神性・仏性の協同表現者です。歌に作詞家と作曲家が必要なように、私の神性開発には私とあなたが必要であり、あなたの神性表現にはあなたと私が必要です。それは作詞家に何かが欠けているのではなく、作曲家に何かが足りないのでもありません。2人の芸術家がそれぞれの得意な分野で能力を発揮することにより、個々の表現とは別次元の新しい芸術を生み出すのと同じです。私とあなたはそれぞれに神性・仏性を宿していながら、互いの表現を共通の場に重ね合わせることにより、別次元の新しい人生芸術を構築していきます。私はそんなあなたを尊敬し、神の子として礼拝します。

 このような尊い自覚を与えてくださった神さまに、心から感謝いたします。


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