天照大御神の御徳を讃嘆する祈り
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天照大御神は太陽の象徴であるとともに、「与える愛」の象徴である。
イザナギの命から生まれた三貴神--天照大御神、月読命、須佐之男命--は、それぞれ太陽、月、地球(海)の象徴である。天地創造の神、イザナギの命の左(日足り)の目を洗われたときに誕生したのが天照大御神であり、右(水極)の目を洗われたときに誕生したのが月読命であり、そして最後に鼻を洗われたときに建速(たけはや)須佐之男命が誕生した。このことから、地球(海)は日の神(陽)と月の神(陰)との大きな影響下にあることが分かるのである。天照大御神は太陽神であるとともに、実相世界を人格的に象徴している。月読命は、月の神であるとともに霊界の人格的象徴である。そして、須佐之男命は地球の神であるとともに物質界を人格的に象徴している。
この三貴神のうち、実相世界を担当する天照大御神が、創造の大神の御徳を最もよく引き継いでおられるのである。しかし、実相世界の光輝燦然たる無限のアイディアが具体的に物質世界に表現されるためには、霊界の援助と地上における人間の活動が必要である。人間の活動は、しかし実相世界の“光”から切り離されてはうまくいかないのである。古事記の神話で須佐之男命が創造の神から「地球を治めよ」と命令を受けても、それを行わず、また天照大御神の意志に反して乱暴狼藉を働くのは、物質の量や力だけでは秩序や平和は訪れないことを示している。そこに天照大御神からの実相の“光”、「与える愛」の力が働かなければ物質世界、この現象界は無秩序の混乱に陥るのである。
このことを知り、われは今、天照大御神の実相の光、与える愛の力の尊さをあらためて誉め讃う。われは今、実相世界の真の我を観ずる。天照大御神の御心われに流れ入りて、わが心を満たし給う。天照大御神の生命(いのち)われに流れ入りて、わが生命(いのち)となり給う。わが心は天照大御神の愛の心に満たされている、生かされている、満たされている、生かされている。天照大御神は「愛なる神」の別名である。キリストの愛の別名である。自ら与えて代償を求めない「アガペー」の象徴である。また、三十三身に身を変じて衆生を救い給う観世音菩薩の別名である。われは今、天照大御神と一体となり、地上のすべての人々、生きとし生けるものに愛を与えるのである。天照大御神の愛は無限であるから、われもまた無限に愛を与えてもなお減ることはないのである。
われは今、天照大御神の表現である太陽を心にアリアリと観ずる。太陽は、「与える愛」「生かす愛」「仏の慈悲」の象徴である。天文学が教えるように、地球や月は太陽から弾き出されてできた惑星であり、太陽の引力のおかげでその周囲を公転する。地球は、太陽なくしては宇宙の無の空間に吸い込まれ、闇の彼方へ退くほかはないのである。鉱物としての地球は、太陽の引力と恒星としての“燃える力”なくしては、「死の星」と化さざるを得ない。生命はそもそも生じず、生じても極寒の中でたちまち死滅するほかはない。しかし、太陽が地球や月を引力でとらえ、莫大なエネルギーを注ぎ続けたために、地上に生命が誕生した。生命は太陽エネルギーを受け、自らの力で新たな生命を生み出すのである。同種の生命を生み出すだけでなく、ときに変異して新たな種を生み出し、それらが同様に同種・別種の生命を次々と生み出すことで、地球上には生物が溢れ、互いに繁栄するに至っている。
これらはすべて、太陽の「無償の愛」の業績である。太陽は、地球から何の報いを得なくとも、無限に与え続けるのである。この偉大な力によって、地上に多様な生命と生態系が出現し、おびただしい数の生命が支えられていることを思うとき、人類も「与える愛」を駆使することで、地上の平和と秩序と、多様なる生命の共存共栄を実現できることを知る。われは今、天照大御神の日子・日女として、その高邁なる目標を掲げて生きるのである。われ今、天照大御神の御徳を讃嘆し奉り、大神の日子・日女として喜びをもって使命遂行に邁進することを誓い奉る。ありがとうございます。
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コメント
天照大御神御子 姫命様
昨日(2012/5/27)、檜原神社~大神神社~志貴御県坐神社・志貴乃宮(奈良県桜井市金屋 祟神天皇磯城瑞垣宮址)参拝させていただきました。
正午、志貴乃宮にて、お二人(割石氏・喜多氏)のお掃除されている方とお会いさせていただきした。お二人が『国家一望の地、神の更地に戻せ』とのメッセージを昨年お受になられて、昨年10月より、浄化されています。
『清め終われば、ご縁の在る方と共に仏塔を建てたい』
とのことでした。日が替わるころ、姫命さまのお声に感服させていただきました。ありがとうございました。 合掌
投稿: 瀧川 惠清 | 2012.05.28 01時11分