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神の子の希望実現のための祈り

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(上のプレイヤーで音声が聞けます)

 神さま、私は神の子であり本来、自由自在の存在です。「神の子」とは、仏教では「仏」のことです。仏さまは、何ものの束縛も受けない「ホドケ」た存在です。だから仏教では、すべての人間に仏性ありと教えるのです。人間は本来、自由な存在だという意味です。キリストが「神の国は、実にあなたがたのただ中にある」と教えられたのも、心から束縛がなくなれば、人間は神の国に入ることができるという意味です。このように、私の本性は自由自在ですから、私が何かに縛られて動きが制約されたり、運命の手から逃れられなかったり、誰か他人の言いなりにならなければ生きていけないことは、本来あり得ません。私は神の子として、このことを高らかに宣言します。

 神さま、私はあなたの子として本来、自由自在です。自由とは、人間のみに許された特権です。すべての生物は、創造主としての神さまの御徳を一部表していますが、「意思の自由」という点で、人間は最も完全に神さまの御徳を体現しています。だから、とりわけて「人間は神の子」と宣言するのです。もし私が何かに縛られたように不自由を感じているとしたら、それは私の外にある「何か」が私を縛っているのではなく、私自身が自らの自由意思によって「こうでなければならない」と自分を縛っているのです。私自身が「神の子」である自分を認めず、「自分はこの程度」と自己限定し、すべての人々に宿る神性・仏性を認めずに「他人はこの程度」「社会はこの程度」と他人や社会を限定しているからです。人間は、自分の認める通りのものを現象界に表すという「唯心所現」の法則を逆用しているのです。

 神さま、私はあなたの子として自由意思をもっているのですから、自己限定して自らの可能性を縛りません。私は、神さまの御意思を実現するために、本来の自由を行使します。あなたの御心にかなうことが実現しないはずがありません。過去にもし、私の思うことが実現しないことがあったならば、それは私が神さまの御心を聞かず、現象的損得を優先して物事の実現をはかったからです。「我、神の子なり」の自覚なしに物質的・経済的成功を求めたからです。「時流」「流行」「他人の評価」のみを基準として、自己内在の「神さまの御声」に聴かずに、名誉や富を追求したからです。肉体人間の欲望から自由になっていなかったからです。私はいま、「我、神の子なり」の自覚にふたたび目覚め、神さまの御意思を私の生活に表すことで、過去の束縛から自由になることができます。

 あぁ、神さま。私はあなたの御心を地上に表現するために生きている神の子です。神さまは対立や争いなどの不完全を創造されていませんから、神の子の前にも対立や争いが生まれる必要はありません。もし対立や争いがあるように見えるならば、それは私の希望が神さまの御心と充分一致しておらず、私の生き方が神さまの御心を充分反映しておらず、あるいは対立や争いの相手に対して、私の思いが充分伝わっていないからです。私は神さまの御心をよく聴き、神さまの創造になる世界には不調和が存在しないことをよく知り、私に内在する神さまの御徳を充分に発揮して、「私の希望は神の御心なり」との堅い信念をもって希望実現の道を邁進いたします。

 神さまの御徳とは正しい「知恵」であり、無償の「愛」であり、無限の「生命力」です。私は神の子ですから、知恵を求めかつ表現し、愛を与えることを惜しまず、生命力を行使して様々な分野に挑戦することに喜びを感じます。私はすべての人々と調和して進むばかりでなく、存在のすべてに--動植物や菌類などの生物、大自然や地球環境とも調和して、「真」と「善」と「美」を地上に顕現するために、希望と喜びの人生を歩んでまいります。神さまの御心にかなう希望は、必ず実現するからです。

 この大いなる自覚と、希望実現の信念と勇気を与えてくださった神さまに、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。


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