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神の護りに感謝する祈り

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 私は今、神の御手に抱かれている自分を観ずる。親様なる神の護りは完全にして、いかなる不幸も災いも私に触れることはできないのである。私は今、神の御手に支えられ、揺りかごの中の赤子のごとく、安寧に満たされているのである。親様なる神の護りの揺りかごは、すべての悪業、悪念、悪感情の波を、柔らかく暖かく包み、善業、善念、好意の波に変える完全な防波堤である。私は今、神の大いなる愛の庭に導かれ、緑の日差しの中で、愛らしい鳥のさえずりを聴き、美しい花々に囲まれている自分を観ずる。神の創り給いしすべてのものは完全なり。苦しみはなきなり。争いはなきなり。病も死もなきなり。神の大いなる愛の庭では、すべての生物が助け合い、与え合い、鍛え合い、導き合って、神の無限の知恵を表現している。神の無限の生命(いのち)を表現している。神の無限の愛を実現している。私はそれを如実に感じ、知恵の目をもって見る。愛の心をもって完全に受け入れるのである。あぁ、ここは神の世界なり。善一元の実相世界なり。極楽浄土なり。

 私は今、神の大いなる愛の庭に座し、「我は神の子なり」と宣言する。すると無数の声が、周囲から木霊のように「我は神の子なり」と合唱するのを聴く。私は今、神の大いなる愛の庭に座して、「我は神と一体なり」と観ずる。すると無数の声が、押し寄せる大波のように「我は神と一体なり」と大合唱するのを聴く。私は今、すべての人々が自分と同じく神の子であることを知るのである。神の大いなる愛は、すべての人々を包み、すべての人々に知恵と愛と生命を満たし給う。私は今、神の大いなる愛の庭ですべての人々の心を観想するに、人類はみな一体であることを深く感じるのである。いや、人類だけでなく、すべての生きとし生けるものが互いに共生し、導き合い、教え合い、讃え合っている生命の響きを感じるのである。存在のすべてが大調和している実相を観ずるとき、神の大いなる愛の庭は宇宙大に広がっていることを知るのである。存在のすべては、神の大いなる愛の庭にあり、それ以外に世界はない。しからば、私の周りに悪因縁、悪業、悪念、悪感情があるように感じたのは、私の迷いであり、私の誤想がつくり出す蜃気楼にすぎなかったのである。私はすでに調和してあり、私はすでに護られてあり。

 私は今、神の大いなる愛を私の前に感じ、後ろに感じ、上に感じ、下に感じ、あらゆる方向に感じるのである。私の内部にも神の愛は充ち満ちてあり、私は神の愛そのものである。神の愛は偏らず、えこひいきせず、報いを求めず、ただ慈しみ、ただ感じ、ただ与えるのである。その愛をわがものとすることが、神の護りである。神以外の“悪”はなきなり。神の愛を私のうちに感じることが、神の護りを得ることである。神はすべてのすべてであるから、肉体の“私”を別の何かから護るのではなく、私の意識が肉体を超え、周囲の人々の心へと拡大し、環境へと拡大すれば、私は神と一体となり、神の護りそのものとなるのである。

 神さま、私は常にあなたの愛に護られてあり、知恵に満たされてあり、生命に溢れています。神の護りなくしては、私は一分一秒といえども存在しえなかったのです。神さまの深き、厚き御護りに甚深なる感謝を捧げ奉ります。ありがとうございます。

 
 


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コメント

素晴らしい祈りの言葉ありがとうございました。わたしの内に神様の全てを赦す愛があるんだと感じられました。こういう心をもっと拡げてゆきたいと思います。

投稿: 古村 友美 | 2008.06.24 01時47分

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