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日々新たに生まれる祈り

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 我はいま、神の創造りたまいし実相世界を観ずるのである。神は無限のアイディアと知恵と愛に溢れた世界を創造し給うているのである。それは無限の多様性として表れ、無限の組み合わせとなり、それら無限性の展開が、知恵によって秩序づけられ、愛によって互いに調和し、そこに無限の変化ある美を輝かせているのである。我々人間の肉体は、その実相世界のごく一部を、肉体生活に必要な形で捉えることができるが、全相を見ているのではない。全相を感じているのではない。それはあたかも、太陽が東から昇り西に沈むように見えても、実際は地球が太陽の周囲を公転しており、さらにその太陽も銀河系の中を猛スピードで動いていることが肉眼には見えないようなものである。また宇宙には、太陽のような恒星が無数にあり、それぞれが独特の秩序と美しさを備えていても、我々の肉眼にはその多様な秩序と美が見えないようなものである。

 宇宙は、これら星々の公転や自転に表れるように、「循環して元にもどる」ように肉眼は見るかもしれない。しかし、地球が一回自転すれば、宇宙空間の元の位置にもどるのではなく、まったく新たな別の空間に移動している。太陽の周りを一回公転しても、元の宇宙空間にいるのではなく、まったく異なる別の位置に移動している。外観は「繰り返し」のように見えていても、実際は新たな空間で新たな時を迎えるのである。自然界の事象は、このように外面的には規則的な繰り返しのように見えかつ感じられるが、その円環運動を通じて、実相世界の無限のアイディアが表現されつつあるのである。変化の中に不変があり、不変の中に多様性がある。そのことを知れば、我々自身も、変化の中に不変を感じ、不変の中に多様な表現をすることが可能になるのである。

 我はいま神の子として、神の無限のアイディアと知恵と愛に溢れた実相世界に存在することを観ずるのである。神の無限のアイディアに溢れた世界が、我が内にも、我が外にも、無限に広がっているのである。神の創造りたまいし世界が無限の知恵に満ちているように、神の子たる我も無限の知恵に満ちているのである。神の創造りたまいし世界が無限の愛に満ちているように、神の子たる我も無限の愛に満ちているのである。だから、我が生命は無限に表現し、無限に工夫し、無限に与えることができるのである。この無限なる表現は、しかし現象的には繰り返しと循環の形をとるのである。無限なる工夫も、繰り返しと反復の中から生じるのである。無限なる愛も、繰り返しと練習を通して表現されるのである。だから我は、繰り返しの奥に無限の豊かさを感じるのである。

 我はいま、新たな我を感じる。神の子の我は、神の無限内容の表現の出口として、刻一瞬、新たな我を自覚するのである。自然界の繰り返しのリズムは、新たな我の表現に力を与えるのである。メロディーがリズムに乗ったとき、多様な感情を力強く表現しうるように、我は日々の繰り返しのリズムの力を得て、神の子たる自己の無限内容を展開していくのである。だから我に、単調な日々は存在しないのである。単なる繰り返しの毎日は存在しないのである。「単調」の感じは、現象の表面的印象のみを感じて、その奥に展開しつつある神の無限アイディアと、無限の知恵と、無限の愛の表出に目を閉じる“迷い”である。現象は繰り返しのように見えても、本当は常に新たな側面の展開が、そこにある。春夏秋冬は繰り返しても、そこでの表現内容は毎年無限に変化している。それと同じように、毎日は“表現の舞台”として繰り返し訪れるが、我はその舞台を自在に使って神の無限内容を表現するのである。だから、我は日々新生し、新たなアイディアを得、新たな工夫をし、新たに愛を表現するのである。

 この自覚を与え給いし神に、無限の感謝を捧げます。神さま、ありがとうございます。


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