愛行実践歓喜増幅の祈り
(上のプレイヤーで音声が聞けます)
神さま、私は神の子であります。あなたの無限の愛をいただき、あなたの無限の知恵に輝き、あなたの無限の生命に溢れています。私はあなたとしっかり繋がれていますから、無限に愛し、無限に工夫し、無限に活動することができます。私だけでなく、すべての人間が神の子ですから、すべての人々は無限の愛をもち、知恵に輝き、生命に溢れているのが実相(ほんとのすがた)です。実相においては、すべての人々が神さまとしっかり繋がれていますから、それが自覚され、神の子の本質が顕現すれば、愛行は地に溢れ、失敗や衝突はなくなり、病や死のない天国浄土が実現します。今この地上にその実相が映し出されていないのは、すでに実在する「神の子」の本質を自覚し、表現する人が充分の数に達していないからです。
神さま、愛行とはあなたの無限の愛を受ける私が、その“愛の奔流”を堰き止めずに他へ回す行為です。「他へ回す」とは他が枯渇しているからではなく、他に流れるあなたの愛と、私に流れるあなたの愛が同一であることを確認するためです。愛は、一箇所にじっと溜まっているだけでは愛の役割を果たしません。生命の流れに乗り、知恵に導かれて他へ流れいくとき、地上の現象として初めて愛が具体的に顕現し、愛の目的が達成されます。それは母親の乳が乳房に溜まっているだけでは、母乳本来の目的を達成せず、却って母親を苦しめるのと同じです。母乳は子に与えることによって、子を育てるだけでなく、母親に満足感を与え、母子の一体感を深めます。私の愛も、私の心に眠っているだけでは目的を達せず、私に満足感を与えません。具体的な行為として愛を実践することで、私は愛を全うし、相手と自分との一体感を味わうことができるのです。
愛行とは、すべての人の中に流れる神の無限の愛を、互いに認め合い、湧き上がらせ、体験するための喜び溢れる行為です。それは、地下を流れる清き泉を探り、掘り当てて、周囲の人々とともに喜び、分かち合うことにも似ています。所かまわず掘るのではなく、神の知恵に聴き、周囲の状況を的確に観察し、相手の心を感じ、押しつけがましくなく、かと言っておどおどと躊躇逡巡することなく、力強くスコップを地面に入れるように、勇気をもって実践します。私の内にある知恵と愛と生命を動員し、神さまの目的に合致させれば、相手の内なる愛が共鳴し、相手は心を開き、私の愛を受け入れてくれるでしょう。「私の愛」と仮に言うけれども、それは神の無限の愛が「私」という表現口を通して地上に湧き出る泉です。「相手」と仮に言うけれども、それは神の無限の愛のもう一つの湧出口のことです。同じ神の愛が表現を求めているのですから、私が出口を開ければ“愛の奔流”は必ず流れ出します。
あぁ、神さま。私は今、あなたの無限の愛が私の中で鼓動し、表現を求めていることを感じます。私は今、あなたの無限の愛が地上のすべての人々の中で活動し、表出しつつあることを感じます。この世界は、私たち神の子が、それぞれの自発的意思により、それぞれの個性を通して、それぞれの工夫によって、内なる神の愛を表現し“自他一体”の喜びを実感するための楽しい練習場です。どんな小さな愛の行為も、その意味において神の御心にかなう価値ある善行です。その一つ一つが“神の国”の地上実現を推進するだけでなく、私たちの神の子の本性を満足させ、魂の歓びを増幅させます。この喜びは、すべての人々に伝播し共有されるものですから、愛行の実践により人類の喜びは益々増幅していきます。
私は今、神さまの無限の愛の表現口として、歓喜に満たされてあります。ありがとうございます。
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