「肉体なし」の真理を自覚する祈り
(上のプレイヤーで音声が聞けます)
人間は神が「自己実現」として創造された「神の子」である。神は大生命であり、無相であり無限相である。一定の形をとらざるが故に、無限の形をとりうる全包容的な永遠の生命である。その「自己実現」として生まれた人間は、物質であるはずがないのである。無限生命が自己実現すれば無限生命となる。それが仮に「肉体」のように見えているのは、我々の五官を通して脳が作りだす仮構であり、虚構であり、仮の姿である。実在は変化しないで在り続けるが、仮構はキャンプ場のテントのように、その時、その場に、仮に作られる。だから、天候が変われば形を変え、川の流れを見て移動し、用がすめば撤去される。我々の肉体も刻一刻、変化し続けていることを知れ。科学者はそれを新陳代謝と呼び、「皮膚は1ヵ月ごとに、胃の内層は4日ごとに、食物とじかに接する胃の表面は5分ごとに新しくなる」と教えている。
肉体を構成する物質原子の98%が、1年前にはそこに存在しなかったことを知れ。もし貴方が肉体そのものならば、貴方は1年前とまったく別人でなければならない。それが「肉体あり」という迷妄の意味である。貴方が1年前の自分と今の自分が同一の人間だと確信できるなら、「肉体なし」を確信せよ。肉体はかくの如く仮構であり、仮の姿であるが、だからといって価値なきものではない。肉体は、貴方の生命が今、まさに現象世界に表現されつつある「生命の噴出口」である。いや、単なる「穴」ではなく、太古から受け継いだ遺伝子情報を使って、神の子の生命を表現せんとする精密、精巧、不可思議な“宇宙服”である。「自分の肉体」と仮に言うけれども、その「自分」がまったく知らないうちに、大気中の酸素を燃やしてエネルギーとし、血液を浄化し、飲料や食物を消化して栄養素に変え、ばい菌と戦い、傷を癒し、老廃物を尿に変えている。そんな複雑・精巧な機構を「自分」が作ったと思うか。
だから、貴方の肉体は、物質のみで出来上がった文字通りの「肉体」ではない。その背後に、目に見えない叡知があり、無限の生命があり、無限の愛がある。それは「自分」という個人の独占物ではない。それは、すべての人類と共通する“地球規格”をもちながら、貴方独自の特徴と性能を発揮するよう調整された“最高の道具”である。昨日一日、この道具が立派に機能してくれたことに感謝しよう。それは「自分」が機能したのではなく、人類・先祖の生命が構築してくださった“最高の道具”が機能したのである。自分はそれをただ「使わせていただく」のである。神の生命と、人類・先祖の生命の作品を今、仮に使わせていただいているのである。貴方の人生は、神と人類・先祖の「自己実現」である。だから貴方は、自分の肉体を「肉体的自己」の目的にのみ使わないのである。必ず人類共通の喜びのため、特に、神の御心にかなう目的のために使うのである。それが却って自分の喜びだと知ることが人生の目的であり、「肉体なし」の本当の意味である。
このことを教示し給う神に、無限の感謝を捧げ奉る。有難うございます。
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コメント
雅宣先生
音声の導入により、目を閉じて祈れるようになり、お言葉がしみじみと心に染み入ります。
ありがとうございました。
渕上幸江
投稿: 渕上幸江 | 2007.12.28 03時31分