2001年6月 1日 (金)

火星の顔

 ちょっと前の『読売新聞』の夕刊(5月25日)に“火星の顔”のことが載っていた。火星無人探査機「マーズ・グローバル・サーベイヤー」が4月に行った火星表面の高解像度の撮影で、かつて“宇宙人の創作”ではないかと騒がれた「人の顔」のような形をした地形が、実はありふれた丘状の隆起であることが分かったというのだ。

 この“火星の顔”は最初、1976年の7月、惑星探査機の「バイキング1号」が火星表面を空中から撮影していたときに見つかった。探査機は、火星のシドニア(Cydonia)と呼ばれる地域の写真を上空から撮っていた。写真には数多くの丘陵が写っていたが、その中の一つに、長さが3km近くある人間の顔に似たものがあった。多くの科学者は、それは火星に多く見られる「メーサ」という、周囲が絶壁状になった台地だと考えた。しかし、この写真を見た一般の人々の中には、この顔型の地形は何かによって“造られた”と考える人が現われ、本や雑誌、ラジオのトークショーで扱われ、ハリウッド映画にもこの写真が使われた。

 次に、ここの写真が撮られたのは1997年9月だったが、この時は雲のために明瞭な写真は撮れなかった。そこで“3度目の正直”として今年の4月8日、上空に雲のない中、カメラを1976年時の28倍の最高の解像度に設定して写真撮影をしたところ、“顔”に見えたものは、地球上にもあるような自然の丘状の隆起であり、3次元的な計測によっても、その丘には目も鼻も口もないことが判明したという。

 人間の脳内には、視覚処理をつかさどる部分に「顔細胞」と呼ばれるものがあって、目や鼻や口のような形のものを見ると敏感に反応するそうだ。これはまた、人間以外の高等動物にもあるらしい。我々はこの細胞を使って、他の動物や人間の表情の意味を素早く察知し、対応することで生き残ってきたと言われる。だから大変有用な細胞なのだが、地球外の事象を判断するには、かえって邪魔になるのかもしれない。なぜなら、この“火星の顔”のように存在しないものであっても、自分の中にあるものを外に映し出してしまうからだ。考えてみれば、「火星」や「金星」という名前だって、我々の内部にある「火」や「金」のイメージから作られた言葉だ。我々は宇宙を見ながら、自分の心を覗き込んでいるのかもしれない。

(谷口 雅宣)

【参考文献】
○"Unmasking the Face on Mars", http://science.nasa.gov/headlines/y2001/ast24may_1.htm?list154233 
○Malin Space Science Systems. Inc., "The 'Face on Mars'", http://www.msss.com/education/facepage/face.html

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2001年5月30日 (水)

感覚を操る

 子供がニンジンやネギをバリバリ食べ、安物のワインでも極上の味がする--そういう時代がもうすぐ来るかもしれない。今日の『ヘラルド朝日』(International Herald Tribune - Asahi Shimbun)紙には、遺伝子研究の成果を人間の味覚の“増進”に使おうという試みが紹介されていた。拙著『神を演じる前に』では、人間の遺伝子組み換えが「感覚の変容」をもたらす可能性を述べているが、この遺伝子研究は我々の感覚を変えるのではなく、我々の感覚に合うように食物の味や香りの方を変える添加物などを作ろうとしているようだ。

 この分野で注目されているのは、カリフォルニア州ラホーラ市にあるセノミックス社(Senomyx Inc.)で、同社は人間の味覚や嗅覚を遺伝子レベルで研究し、人々の好みにマッチした効果的な食品や化粧品などの製品化を目指しているそうだ。例えば、上に書いた「子供の好むネギやニンジン」は、その添加物をかけると、子供の嫌いな臭いや味の感覚がネギやニンジンから起るのを抑制することで実現させるのだという。また、別の会社では、脂肪分ゼロの食品でも、それをかけるとこってりとした味を感じる添加物を作ろうとしていたり、臭いものでも悪臭が一時的に感じなくなる添加物などを考えているという。どういうメカニズムでそれが起るのか記事は詳しく伝えていないが、想像するところ、人間の遺伝子の研究によるのであるから、食品の成分を変えるのではなく、人間の感覚を一時的に操作するのかもしれない。

 しかし、よく考えてみると、子供の頃嫌いだった臭いや味覚を、我々は大人になって結構楽しんでいる。私の場合、ネギの臭いは大人になってもなかなか好きになれなかったが、今はなぜか生煮えの長ネギでも食べられる。ブリーとかカマンベールとかブルーなどのチーズは、子供の私にはとても食べ物とは思えなかったが、今では結構好きだ。ヨールグトの臭いも好きでなかったが、今は毎朝食べている。だいたいアルコール類の味だって、子供の時から好きという人は少ないだろう。ということは、大人の趣好と子供の趣好は違っていて構わないし、それが違うことには文化的な意味ばかりでなく、生物学的な意味があるのかもしれないのだ。例えば、強い味のものは、子供の体にはあまりよくない成分が入っているとか……。

 たまたまこの記事の隣には、アメリカではメモリアル・デーの週末から「早食い競争」が各地で行われることが書いてあった。12分で19個のホットドッグを食べる--という類の競争だ。カリフォルニア州ではアーティチョーク食い競争、ワシントン州ではキュウリウオ食い競争、テキサスではあばら肉、コネチカットでは牡蠣、ニュージャージーではハンバーガー、オハイオではチキンの手羽等々……。で、その記事の写真には、アメリカ人と並んで日本人の姿が写っていた。ああ、先進国の皆さん! 人間の生きる目的は、そんなところにあるのでしょうか?

(谷口 雅宣)

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2001年1月24日 (水)

王冠

 何の変哲もない物が、なぜか驚くほど新鮮で美しく見える時がある。

 それがどんな時かは、人によってまちまちだろう。私の場合、午後、仕事場から抜け出してジョギングをし、体を伸ばしたり腕立て伏せなどをして、全身が解放感に満たされた時、そんなことがある。今日もいつものコースを走り、快い疲労感を味わいながら仕事場へ歩いてもどる途中、明治通りを渡ったところで、道端に落ちているビンの王冠が目についた。
 
 「赤と黒の王冠が二つか……」と思いながらそこを歩き過ぎたが、西日を受けて鮮やかに浮かび上がった二つの小さな円形の金属が、私の脳裏にこびりついていた。「後ろ髪を引かれる」というのだろう、私は10メートルほど行ったところで、踵を返して後戻りし、その二つの王冠を拾った。二つのうち、黒の王冠には、赤と黄で印刷したラベルが貼って在り、その色の組み合わせが何とも新鮮だった。最初、それは薬ビンかドリンック剤のビンの蓋かと思ったが、黄色の部分には「2001 辛口実感キャンペーン」と印刷してあった。ビールビンの王冠だった。

 子供の頃、意味もなく王冠を集めていた記憶がよみがえった。手に持った王冠のギザギザの感触が快く、色とりどりの王冠を集めて、その色を利用してモザイクの絵を作れるかもしれない--などと心が勝手に想像する。目は、歩道の植え込みの下に、もっと別の王冠がないかを探している。そんな子供の心の自由さを取りもどせたとき、周りの景色も人の顔も輝いて見えるのだった。
 
 ところで、この王冠を最初に考案したのは、アメリカ人のウィリアム・ペインターという人で、1892年に特許を取ったという。特許は、王冠とその裏のコルクを合わせた部分で、正式には「王冠コルク(crown cork)」と呼ぶのだそうだ。このネーミングもなかなかいいと思う。
 (谷口 雅宣)

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