2001年6月 3日 (日)

妻は内臓か?

 生長の家の講習会で金沢市に来たが、2日の『北陸中日新聞』夕刊に浜松医科大学長の寺尾俊彦氏が、興味あるエッセーを書いていた。名づけて「内臓の存在」。内容を一言でいうと、内臓は具合が悪くなった時にだけ存在を自覚するが、夫婦というのもそれと似ていて、互いに存在感を感じないほど一体化しているのが理想的だ、ということ。私としては、妻を内臓に喩えるのは少しグロテスクだと感じたが、「内臓に親しんでいる医者だから、こういう表現をするのかなぁ」と思った。私なぞは、妻が内臓と似ているなどと考えたことはなかった。

 この「妻は内臓」という結論を言う前に、寺尾氏は面白い実例を紹介している。それは、奥さんがいないと何もできない種類の著名な財界人が、ある結婚式で自己紹介をするにさいして、「私は何々と申します」と言ってから、その奥さんの方を向いてしばらく沈黙し、やがて「お前、何という名前だった?」と聞いたというのだ。これはボケたのではなく、「それほどまでに奥さんと一体化していたから」だという。ちょっと承服しがたい分析だが、寺尾氏は、結婚二十数年の私よりは夫婦経験は長いだろうから、まだ私の到達しえない“境地”を語っておられるのかもしれない。

 そこで私は、自分勝手にこの“境地”を考えてみることにした。まず、昔気質の日本人の夫婦関係にあっては、お互いを呼ぶのに名前を使わず、夫は「お前」とか「オイ」などと妻を呼び、妻は「あなた」だけで済ませてしまうことが多いのではないか。すると、使わない言葉は記憶の中に存在していても出て来にくくなるというのは、最近の脳科学の教えるところだから、財界の重鎮も結婚式で妻の名前が出て来にくくなる--こういう説明も可能だろう。

 ところで私は、「お前」とか「オイ」などと言って妻を呼んだことはない。(そんなことをすれば、何が返ってくるか分からない!)それでも結婚当初は、どう呼んでいいのか迷ったことがあった。が、今では子供のいる前では「純子さん」と呼ぶ。これは、私の父が母のことをきちんと名前で呼んでいたことと関係があると思う。しかし、子供がいない時には時々「ちゃん」づけで呼んだり、たまには「子」を省いて「ちゃん」づけしたりする。名前は相手を客体化させるから、名前で呼ぶことで相手が自分とは別人格であることを思い出し、それを尊重するような気がする。だから、私はまだ、同一人格内に取り込まれている「内臓」のようには、妻と一体化していないのである。

(谷口 雅宣)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年5月29日 (火)

カリフォルニア・レーズン

 買いだめしてあった赤いレーズンの箱が、ついに最後の1箱になった。3月15日付の本欄で触れたが、キャラメル箱大のもの24箱入りのセットを買い、朝食べたり、ケーキに入れたり、人に分けたりしながら、約2ヵ月半で消費した。一箱27円だったから、1日当たり三分の一箱、8円ずつ消費した計算だ。ちょっと食べ過ぎのように聞こえるのは、妻がラム酒に漬けてラム・レーズンを作っている分が一瓶あり、これはまだ食べていないからだ。いったい本場のアメリカ人は、どのぐらいレーズンを食べるのか興味あるところだ。

 このレーズンの赤い箱を見て、77歳になる私の母が「まあ懐かしい」とのたもうた。母は若い頃に、この箱からレーズンを取り出して食べていたのだ。ということは、その昭和の初めごろから、この製品のパッケージ・デザインは変わっていないということだ。アメリカは世界の最先端を行く国ではあるが、“伝統を守る”心もしっかりもっているらしい。

 レーズンの産地は、カリフォルニア州のサンウォーキン平原にあるキングスバーグ。ここに約16万坪の広さの「サン・メイド社」の工場があり、その入口には、この赤い箱と同じデザインの、高さ約3mもある巨大な箱が建っている。同社の創業は1912年で、工場の周辺40キロ以内にある1600軒のブドウ農園が協同組合をつくり、同社を所有している。同社の現在の名前は1914年につけられたが、太陽がつくったという Sun-made と、made と同じ発音の maid を組み合わせて Sun-maid (太陽の乙女)としたという。箱にある乙女の絵は、創業当初のものから3回変わったものの、モデルは一人だったらしい。

 原料のブドウはトンプソン・シードレスという薄皮の緑色の種なしブドウだ。これが干し上がると、黒っぽい紫色になる。収穫の1ヵ月前から灌漑用水を止めて水を断つと糖度が増し、緑から琥珀色になって熟れる。これを房ごと切って分厚い紙の上に並べて、2~3週間干す。水分が14%になったらほぼ完成で、約9キロのブドウから2キロのレーズンができるという。あとは水洗いし、乾かしてから箱詰めだ。私が買った大きさの箱は1921年に最初のものが作られ、アメリカのお母さんたちは、それをデザートとして弁当と一緒に子供に持たせたという。だから、アメリカの子供は、1日1箱これを食べたのだ。私たちの3倍の量だった。

(谷口 雅宣)

*【参考文献】小野ふみえ「サンボンネットのレーズン娘」『ご馳走の手帖』(暮しの手帖社、2000年)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年1月25日 (木)

横浜で忘れ物

 横浜は、妻と私が家庭をもった初めての地だ。そして二十代の私が、新聞記者として歩き回った土地でもある。横浜港担当の記者だった私は、横浜税関、大桟橋、山下公園などを“庭”のように感じていた。もう20年も前のことだが時々、懐かしくなって妻と行く。休日の今日も、横浜に住む知人を誘って、妻と3人で海の近くで昼食をした。昔「新港埠頭」と呼ばれていた場所の先が、今では埋め立てられて広大な「みなとみらい地区」になっていて、高層ビルや一流ホテル、遊園地などが建ち並ぶ。その新しい海辺のビルのレストランで、私たちは白ワインとカリフォルニアの魚貝料理で、時間がたつのも忘れて話した。

 昼時の混雑の中で食べ始めた私たちが店を出る時には、客は一人も残っておらず、店内では夕食の準備が始まっていた。私たちは車で来たから、知人を横浜駅前で降ろし、首都高速道路を通って東京の自宅に帰った。その時、私は愛用のデジタル・カメラを店に置き忘れてきたことに気がついた。このカメラは、どこかへ出かける時、いつも首から下げているのだが、帰宅した私の首にはそれがなかった。この「雑記帳」の絵も、同じカメラで撮影している。急いでレストランに電話したら、幸いにも、カメラは私が置いたままの位置に残っており、すぐに送り返してくれるという。

 物を置き忘れる人は、その置き忘れた場所に未練があると言われる。その人の潜在意識が、「置き忘れたものを取りに帰る」という口実を作るために、意識には内緒で物を置き忘れさせるというのだ。真偽のほどは確かめようもないが、その時、本当かもしれないと私は思った。というわけで、今日の絵は、新しく描いたものをカメラで撮ったのではなく、「日本一」と言われる大観覧車から以前描いた「みなとみらい地区」の黄昏である。

(谷口 雅宣)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年1月21日 (日)

電気便座

 私の家にはトイレが3つあり、それぞれが電気便座になっている。いわゆる「ウォームレット」というものだ。1980年代末のバブルの時代に建てた家なので、「便座はいつも暖かいのがいい」という単純な発想で取り付けたのだと思う。また当時、電気便座はステータス・シンボルのようなものでもあった。ところが、数年前に家の屋根に太陽光発電装置を付けてからは、家族全員に“省エネ”意識が芽生えたから、今では電気便座のコードは、3つともコンセントから抜いてある。冬場に冷たさで跳び上がらないためには、布製の便座カバーで用が足りるからだ。

 1月13日の『朝日新聞』によると、いま電気便座の一般家庭への普及率は35%に及んでいるというが、今度、これが省エネルギー法にもとづく“特定機器”に指定される見通しという。その意味は、電力の消費量が大きいので、メーカーに省エネ義務が課される機器になるというのである。電気便座は、水を温めたり、人が使わない間も便座を暖めつづけているので、ムダが多いわけだ。電気代は最大で月550円かかるという。電気代がもったいないというよりは、電気をつくるために排出される二酸化炭素の量を減らさねばならないという“地球的要請”に応えるためだ。

 人間は、一度手に入れた快適な生活は手放しがたいと言われるが、電気便座ぐらいは何ということはない。今日は、千葉県の幕張で講習会があったが、控え室のトイレにも電気便座がついていた。ありがたく使わせてもらったが、この装置を付けると、便器は何とも大仰な電子機器になる。センサーが体重を感じて水を温め、湯温や水量を人間がIC回路を使って調整する。排泄物を出すという最も原始的な行為を、現代人は大袈裟な儀式のようにしてしまった。大変な創造力ではある。
                                (谷口 雅宣)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年1月18日 (木)

遊馬正油絵展を見る

 画家の遊馬正さんの「画業50年油絵展」を見るために、妻と二人で有楽町の東京国際フォーラムのロビーギャラリーに行った。高い天井のギャラリー全体から見ると、展覧会のブースは狭く見えたが、近くに行ってみると、80号、100号クラスの大きな、色鮮やかな作品が所狭しと並べられていて壮観だった。遊馬さんも会場にいて、1940年代、50年代の昔の作品を懐かしそうに解説したり、最近の作品の説明をして下さった。

 遊馬さんのアトリエには、ニューヨークにいらした頃も、また帰国して埼玉県岩槻市にもどられた後も、お邪魔したことがある。壁に作り付けの巨大なカンバス立てと、何百本もあると思われる絵筆の束が印象的だった。遊馬さんは永年、ニューヨーク市郊外の大自然を題材に、油絵でありながら日本画を思わせるような、鮮明な色彩の風景画を描き続けてきた。その赤や黄色の鮮やかさは、日本の風景にはあまり見られないので、私の中にはいつしか、ニューイングランド地方の秋を見に行きたいという願いが育っていったのである。

 その願いはまだ実現していないが、今回の展覧会を見て、半分実現したような気分に浸れた。また今回、初めての画集が出版されたのも嬉しかった。買おうと思ってページを繰っていたら、受付にいた娘さんが、遊馬さんのサイン入りの1冊を下さった。中に妻と私の名前の為書きまであり、「座右の銘 日々に進まざれば 日々に退く」と筆で書かれていた。そう言えば、遊馬さんは2月にフロリダで個展を開くことを話していた。77歳でありながら、この馬力である。私も日々進歩しなければと思い、遊馬さんの「こもれ日」という作品の模写を試みたのが、この絵である。実物は、会場か画集でご覧下さい。
                              (谷口 雅宣)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年1月17日 (水)

招かざるネコ

 俗に「寒ネコ」という言葉があるように、大寒の頃、ネコ達は発情期で忙しい。
 
 私は、ネコを寒がりだと思っていたが、このごろは霜柱をものともせずに何匹もの野良ネコが庭をわが物顔に徘徊している。雄ネコは、発情期には遠くまで足を延ばして雌を探すそうだが、その種の“よそもの”がこの時期には庭へやってくる。つい数日前は、シャムネコのような色合いの太ったネコがやってきて、居間の窓ガラスに触れそうな距離まで近づいた。
 
 『ちょっと私的に考える』という本の中に詳しく書いたが、私の家にはブンチョウが今10羽いる。2個の鳥篭に分けて居間の窓際に置いて飼っている。その鳥達に気づいたネコは、目を爛々と輝かせた。私は、庭先などでネコと目が合うことは多いのだが、そういう人間を見るネコの目と、その時の鳥を見る外来のネコの目は、全然違っていた。「目がすわっている」という言い方があるが、ブンチョウの方向に見開いたまま動かない目が、緑色に光っていた。人間の私がすぐ近くにいることなど、まったく意に介さずに。
 
 窓は閉まっていて鳥に心配はなかったから、私はネコが何をするか興味をもって見ていた。が、まもなく近くに来た妻がそれに気がつき、ドンドンと足を踏み鳴らしてネコを追い払った。彼女はネコをあまり好きでない。特に、鳥を襲うようなネコは、彼女の敵だ。私は、この新しいネコをもう少し観察していたかったが、彼女にとっては、明らかに「招かざるネコ」だった。
 
 正月の2日から5日まで、妻の故郷である伊勢へ行った時、伊勢神宮の「おかげ横丁」にある「招きネコ」専門店で、陶製のネコを3匹買った。それは今、わが家の玄関で片手を上げて座っている。日本の伝統を重んじる妻は、こちらのネコは追い払わない。ものの本には、この格好について「芸者の異名をネコと呼ぶのにちなんで、花街や飲食店などで愛用され」などと書いてあるのに……。     (谷口 雅宣)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年1月16日 (火)

お払い箱のドラえもん

 ここ数日の寒波の襲来で、東北から山陰にかけての日本海側は大雪で、九州・長崎でも34年ぶりの積雪となった。東京でも16日の朝は、氷点下の空のもと2~3センチの霜柱が立ち、「冬は寒い」とつくづく感じるようになった。昨年のこの時期は「3月並みの暖かさ」だったというから、「地球温暖化ってホント?」と思いたくなる。
 
 去年の12月初め、寒さを実感するようになった頃、世田谷区のホームショップで「ドラえもん」の格好をした、使い捨てカイロの袋を見つけた。ちょうど手の中に入るような大きさで半額以下のセール品だったから、ちょっと冗談っぽい気分で一つ買った。私はそれまで、使い捨てカイロなど使ったことがなかったのだが、高校生の娘にあげてもいいな、などと考えた。しかし、いざ自分で使ってみると、「ドラえもん」の布地を通して伝わってくるその暖かさが、なかなか捨てがたい。娘には見せたものの、あまり関心を示さなかったので、私自身が出張や朝晩の通勤の際、コートのポケットに忍ばせることになった。

 数週間も使えば、「ドラえもん」の顔や腹などの白い部分は薄汚れてくる。体全体は、手で握った形に固まってくる。しかし、それとともに何となく愛着も湧いてくるので、年甲斐もなく、仕事部屋の片隅に座らせてみたりする。そんなことをしていた時、クリスマス・プレゼントに子供たちから黒いケンゾーの薄手の皮手袋をもらった。「ドラえもん」は片方の手しか暖めてくれないが、こちらは両手をしっかりと包んでくれる。それに、子供からもらうプレゼントは、有り難く使いたくなるものだ。
 
 そんなわけで、寒波襲来の昨今でも、「ドラえもん」はあまり出番がなくなってしまった。手垢で汚れたものを娘に押しつけるわけにもいかず、時々、冷たいまま握ってみたりする。   (谷口 雅宣)

| | コメント (0) | トラックバック (0)