2001年8月11日 (土)

隣の大学教授

 今日は、わが山荘の隣人である大学教授のところへ、妻と二人で挨拶に行った。「隣人」とは書いたが、森で視界を妨げられていることもあり、山荘から見える範囲には、実は家は一軒も建っておらず、歩いて2~3分かかる所に、この人の山荘がある。まだ会ったこともない人だが、山荘を世話してくれた不動産会社の関係者が、「お隣は、うるさ型の大学教授ですよ」と言っていたから、「うるさ型」なら挨拶が必要だろうと考え、東京からクッキーとパイの詰め合わせを持ってきていた。

 この教授の山荘は、前にも何回か外から見たことがあるが、すごく変わっている。直径4m、長さ12~13mぐらいの金属製の円筒を横にしたものが2棟、一部でつながって並んでおり、さらにその奥に小さい「離れ」のような普通の木造家屋がつながっている。しかも、その金属円柱の道路側の丸い部分には、太い線で漫画のような「顔」が描いてあるのだ。そんな建物の外観と「うるさ型」という噂から、私はその人のことを密かに「マッド・サイエンティスト」と呼んでいた。そんな家の呼び鈴を押すには少々勇気がいった。

 押すとすぐに中で音がして、60代とおぼしき女性が顔を出し、私の方を不審そうに見た。「突然すいませんが、今度隣に来た谷口と言います。ちょっとご挨拶に……」と私が言うと、急に女性の表情が和らいだ。二言三言、言葉を交わしているうちに、道路の方から70代と思われる、眼鏡をかけた白髪混じりの男性が現われた。その様子から、すぐにこれがかの「大学教授」だと分かった。想像していたよりずっと“まとも”な人のようで、優しそうな目尻のシワからは、とても「うるさ型」の人物には感じられなかった。私と妻がその教授と家の外で話しはじめると、最初に顔を出した奥さんが家へ上がれと言う。そんなわけで、我々二人はつい小一時間も教授の家へ上がりこんで話をしてしまった。

 教授は、その山荘を10年前に建てたといい、その奇妙な形の部分は、中国製の核シェルターなのだという。そして、近辺の事情や過去の歴史、山菜取り、キノコ取りのこと、目と鼻の先の森の中をシカが走る話、フクロウが窓まで飛んで来た話など、興味ある情報をいろいろ教えてくれた。また、近所にニジマスやイワナの養殖場があって、個人にも魚を売ってくれるという話を聞いた。そこで夕方、車での買い物の帰りに、それとおぼしき場所へ寄ってみた。ニジマスが一尾120円、イワナが230円という破格の値段だったので、塩焼き用のイワナを2尾買って帰った。教授に感謝しきりである。    (谷口 雅宣)

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2001年8月 9日 (木)

都会人の無謀

 数日前から山梨県大泉村の山荘にいるが、山での人の有難さと、山を知らない都会人の無謀さを痛感した。実は、この山荘の庭を整備するために、半時間ほど車を運転してホームセンターへ行き、そこで砕石とレンガを積み込んだ。本欄でもすでに触れたが、私の車はホンダのオデッセーなので、2列の後部座席を畳むと荷物がずいぶん入る。それに気をよくして、砕石は20kg入りの袋で20袋、レンガは200個を入れた。これだけで600kgぐらいの重量になるから、大人が10人くらい乗り込んだ計算になる。オデッセーは7~8人乗りだから、きっと積載オーバーである。

 舗装道路は、心して低速で走って無事にクリアしたが、そこからさらに山荘までは、砕石だけを敷いた登り道が1キロほどある。これが連日の雨と車の通行のおかげで、溝ができていたり、轍がえぐれていたりする。この山道に入ってすぐに、車の下部がガリッと大きな音をたてた。それでも、「ハンドル捌きで車の“お腹”をすらないで行こう」などという甘い考えで登り続けていると、小海線の線路を越えて30mほど行ったところで、ギャリン、ギャリンと“お腹”が悲鳴を上げだした。これでは車が壊れてしまうと思った私は、停車して外へ出て、妻と顔を見合わせた。車の下部と道路との間には、隙間がほとんどないのである。

 そんな時、後方で声がして、50代の女性が姿を現わした。見たところ、すぐ近くの家に住む人のようである。その人が「その車じゃ無理だから、うちのジープを貸してあげるから、それで荷物を運びなさいよ」と言う。我々はその好意に感激して、車を借りることにした。ジープとは、スズキのジムニーだった。これは4輪駆動で、軽自動車ではあるが馬力とスタイルで山荘族には人気がある。ただし荷台のスペースが狭いので、3回に分けて砕石とレンガとを運び、我々夫婦は無事山荘へ帰還した。

 この女性がわざわざ家から出てきて声をかけてくれなかったら、我々は積荷のほとんどをその場に下ろして、3回どころか5~6回に分けて運ぶことになったに違いない。我々が感謝の印にメロンを持参すると、その女性いわく--「山ではいろんなことがあるからね。またいろいろ言ってください」。はい、愚かな都会人にいろいろ教えてください--と私は声に出しそうになった。

(谷口 雅宣)

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2001年7月30日 (月)

かゆい“お土産”

 木曜日から週末にかけて、家族で北山梨の山地へ行ってきたが、あまり有り難くない“お土産”を持って帰った。手足のいろいろの所に虫刺されの赤い腫れがいくつもできていて、それが痒い。一緒に行った娘の方はもっとひどい症状で、足首や脹脛のあたりを刺されて、パンパンに腫れている。ところが妻は何ごともなく、「私は人を刺す気持がないから刺されないのよ、アハハハ……」などと言う。現地の人は、「最初のうちはブヨに刺されますが、慣れてくれば大丈夫です」というのだが、慣れるほど長期間いるわけでもないから、この“お土産”は避けられないのかもしれない。

 “お土産”をくれたのが本当にブヨであるのかどうか、私は知らない。というのは、まだ相手を見たことがないからである。山では戸外にいたことはいたが、森の中よりも開けたところにいて、深い薮の中に入っていったわけでもないから、不思議な気がする。百科事典で調べてみると、ブヨの成虫は体長が1~5ミリと小さいから、近くの森にいたブヨに知らないうちに血を吸われていたのかもしれない。ブヨは、雌だけが朝と夕暮れ時に吸血活動を盛んに行い、皮膚を切って流れる血をなめるらしい。と言っても、実際に血がタラタラと流れるわけではなく、ブヨの小さい口でなめるのに相応しいだけの微量の血液を出すのだろう。
 
 心当たりがあるのは、29日の朝、泊まった山荘の前でスケッチをした時だ。この山荘の庭はお粗末だったので、スケッチをしながら、自分のイメージに合わせて勝手に庭を描き込んでしまった。そんなことで30分以上は森に近い戸外にいたから、ブヨにとっては“いいカモ”だったのかもしれない。

 東京の私の家には、夏ともなると大量のカが発生して、よく刺される。このことは妻が『花の旅立ち』の中にも書いたが、こちらのカの刺し跡は1日もすれば消えてしまう。ところが山地の“お土産”の方は腫れるだけでなく、刺し跡から透明の汁を出して、1日たっても、2日たっても自己主張している。私の体は都会のカには適応しているが、山地のブヨにはまだ弱いということなのだろう。「自然を侮るな」という教訓を得たから、次回からは「虫除け」でも携行しようと思う。

(谷口 雅宣)

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2001年7月25日 (水)

恵みのスコール

7月25日:「恵みのスコール」

 6月22日から1ヵ月間の降水量が平年の2%しかなかった東京地方に、久しぶりに本格的な雨が降った。午後2時になる少し前、生長の家本部の執務室にいた私は、遠くでゴロゴロと雷の音がしていることを意識しながら、キーボードに向かっていた。しかし、前日には雷が鳴っても雨はほんの少しだったので、あまり期待していなかった。ただ朝方、天気予報を聞いた妻が「今日は雨が降るんですって」と言った言葉を思い出していた。雷は次第に近づき、猛暑の午後の眠気を吹き飛ばすような大音響となり、やがて大粒の雨が降りだした。

 カラスが数羽、ビルから飛び立って逃げ場を探す。道行く人々が走りだし、灰白色だったアスファルトの道路が黒ずんでくる。私は雨で体が濡れるのを覚悟しながら、開け放った窓から身を乗り出した。窓の下に広がる庭から土の匂いが立ち上ってくる。「この匂いだ!」と私は思った。これを久しく嗅がなかった。最初は埃っぽい臭いもまじっていたが、庭の土が黄褐色から黒褐色に変わるにつれて、しっとりとした土の匂いに変わっていった。目の前のクスノキとサクラの木の樹冠をたたく雨の音が、川の流れの音のように心地よく耳に響いている。その音を時折、鋭い雷の爆音がかき消す。雷は、時に遠く、時に驚くほど近く轟音をたてる。そんなスコールが約1時間半続いた。

 前日の24日には、東京で最高気温が38.1℃、前橋市で40.0℃という観測史上最高の暑さを記録した。その原因の一つは雨が降らなかったことだから、この雨で少しは気温が下がることを期待したい。その前日の23日、ドイツで行われていた地球温暖化防止のための国際会議で、「京都議定書」の発効を可能にする包括合意案が、日本を含む180カ国の全会一致で採択された。アメリカは一人“圏外”に飛び出した格好だが、合意できる者が合意できる範囲で始める以外に仕方がないだろう。もう時間的余裕はないのである。

 アメリカは「自国の経済のために有害」という理由で議定書に反対したのだが、温暖化は、短期的には確かに経済発展に貢献するのかもしれない。今日の『朝日新聞』によると、猛暑のためデパートやコンビニの売り上げが伸び、電力会社やガソリン販売店も好成績を上げているという。しかしこれは、“拷問”を受けた人々が自分の身を護るために様々な防衛策に出費しているに過ぎない。その昔、「戦争は経済に貢献する」という議論があったが、拷問も戦争もない社会の方が優れているに決まっているのである。
                                              (谷口 雅宣) 

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2001年7月20日 (金)

海の日に山へ

 休日の「海の日」だったが、山梨県の八ヶ岳南麓のペンションで朝を迎えた。前日までの東京の熱帯夜とは打って変わって、長袖が必要なほど涼しい、清々しい朝だった。ペンションの前が小さな牧場になっていて、目に染みるような明るい緑色をした緩やかな斜面の向こうに、赤屋根の牛舎や道具小屋や白いサイロが見える。これらの小さな建物群は、背中に深い緑の森を負い、その森の上を覆う青や紫の雲。雲の合間には、ぼんやりとした影となって、甲斐駒ヶ岳を中心とした南アルプス連山が見え隠れする。森からはカッコーの鳴き声が響き、赤松の並んだ林道からは、犬を連れた老夫婦がゆっくりと歩いてくる--こんな朝が迎えられる有り難さは、いくら感謝してもしきれない。

 前日見た映画(『A.I.』)の暗い結末から比べると、ここにはまだ“天国”が残されているという感じがし、心も体も休まる。こういう所にいると、地球温暖化が深刻化しているなどと言われてもピンと来ないのかと思っていたら、ペンションの人の話では「ここしばらく異常に暑い日が続き、やっと涼しさがもどった」という。また、別の人の話によると、今夏はオオミズアオという大型の薄青色のガの幼虫が大発生し、クリやナラの木に被害が出たそうだ。

 そう言えば、東北地方では昨秋、ブナの木が大量に実を落としたため、それを食べるノネズミが大発生し、美味で知られるネマガリタケがノネズミの被害に遭ったという話が、どこかに書いてあった。かと思ったら、秋田県に講習会に行った際読んだ『秋田魁新聞』(7月14日)には、同県内では今年、クマの目撃例が多く、田圃にいたり、人家の敷地内まで入り込んでいたりするなど、人間に危険な場合も出ていると書いてあった。これも昨秋のブナの実の大豊作と関係があるという人がいるそうだ。こういうことすべてが温暖化に起因しているわけでもないのだろうが、自然界の安定性が我々人間の心身の安定とも深く関わっていることを示す例として、いろいろ教えられる。

 こんなことを考えながら、すべてがつながり合っている自然の環境と、すべてが分離・対立し合っているような大都会との間を、行ったり来たりしている車の列の中に、今日も私とその家族の顔があったのである。

(谷口 雅宣)

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2001年7月19日 (木)

A.I.と地球温暖化

 休日を利用して妻と二人で映画『A.I.』を見た。スティーブン・スピルバーグの作品だから、内容の濃い、斬新な映画かと思って期待して行ったのだが、結果はがっかりだった。『未知との遭遇』や『E.T.』のような強烈な印象を与えるシーンはなく、ストーリーの展開には不自然なところが多かったので、リアリティーがあまり感じられなかった。ただ、1点だけ印象に残ったのは、主人公の少年(サイボーグ)が、人間にしか入ることを許されない「マンハッタン」という地域に航空機で侵入する時のシーンだった。時代設定は近未来だったから、私は現在とあまり変わらないニューヨーク市の摩天楼が見えるかと思っていたが、水平線から次第に近づいてきたものは、確かに摩天楼に切り取られた幾何学的な空間ではあったが、その高層ビル群の大半は海面下に没していた。つまり、地球温暖化の影響で極地の氷が溶け出し、海面上昇が起こった後の出来事を、この映画は扱っていたのだ。

 現在、温暖化防止のための「京都議定書」をめぐる各国間の交渉が重要な局面にあるが、この交渉が決裂し、人類が地球温暖化を防止しえなかったならば、ニューヨーク市の水没も夢物語ではなくなるだろう。ニューヨークがなくなれば香港やニューデリーやシドニーや東京も無事ではありえない。そういう事態を経験した人類が、そこからまるで学ぶことなく、メカ(サイボーグ)を奴隷のように使ったり、それを享楽の対象としたり、その処刑(破壊)を見世物として興奮する様子が、画面には次々と展開する。それを見ながら、私は、スピルバーグ氏が人類とその未来をそれほど悲観的にとらえているのかと思い、少し気が重くなった。人間は、水没しつつあるニューヨークや東京を見ながら、ただ手を拱いてなすすべを知らないのか? 私は、今回の京都議定書をめぐる交渉は失敗し、地球温暖化がさらに進展する可能性はあるかもしれないが、そのような失敗の経験から、人類は自己の欲望を統御する必要を学び、それを実現することがまだまだ可能だと思う。

 ところで、この映画を見たあと、私は手塚治虫の『鉄腕アトム』のことを思い出した。この漫画では、アトムなどのロボットは決して人間そっくりにできているわけではないが、人間とロボットの心の交流は実に当たり前のように行われていたと思う。しかし『A.I.』では、これが実に困難であるように描かれている。特に主人公の少年サイボーグは、専門家もだまされるほど精巧に人間に似せて造られているのだが、人間の“母親”は、それを最初は気味悪がり、次にその子に魅了され、その次にはその子を泣きながら捨てる。少年サイボーグの方は、“母親”を永遠に愛するプログラムが動いているのだが、その愛が実現するのに実に2000年を要し、しかも愛が続く期間はわずか1日である。この違いは、日本人(手塚氏)が「物」と「人」との間にあまり境界線を引いて考えないのに対し、ユダヤ人(スピルバーグ氏)にとっては、両者の間の溝は埋められぬほど深いということなのだろうか?

(谷口 雅宣)

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