2001年9月 5日 (水)

マウスの救い?

 今日付の『ヘラルド朝日』(International Herald Tribune-The Asahi Shimbun)によると、アメリカの科学者たちは、ついに人のES細胞を造血細胞に変化させることに成功したという。その記事を読んだ私の気持は、複雑なものだ。一方では、これは疑いもなく科学上、医学上の大進歩である。その延長線上には、多くの病める人々が肉体上の健康を手にする大きな可能性が拡がっている。しかし、その“線”の反対側の延長には、人類が自分たちの受精卵や胚を利用して、肉体的寿命を延ばしていく社会の成立が予感できる。臓器の生育と培養が行われ、それが売買される時代がすぐそこまで来ているように思われる。従来の倫理観や価値観では、もう何が正しく何が間違っているかを判断することは容易ではない。

 ES細胞のことは本欄で何回も取り上げているが、この記事によると、これを行った科学者は、1998年に世界で初めて人のES細胞の樹立に成功したウィスコンシン大学のジェームズ・トムソン博士(James Thomson)やダン・カウフマン博士(Dan Kaufman)らで、ES細胞から造血細胞を分化させたことにより、将来の臓器移植の主な障害と考えられていた患者側の「拒絶反応」を抑える道が開かれたという。その理由は、こういうことらしい--骨髄移植を行うと、移植を受けた側の患者は、同じドナーから他の組織や臓器をもらっても拒絶反応が起こらなくなることがあるという。だから、ES細胞から臓器が造られるようになれば、移植を受ける患者はまず、ES細胞からできた骨髄の移植を行い、拒絶反応が起こらないようにしてから、同じES細胞から作製した臓器や組織を移植すればいい。

 また今回、造血細胞の作製に成功したことにより、近い将来、現在の形のような血液銀行は不要になるかもしれないという。なぜなら、血液銀行には様々な人の血が集まり、その中には、検査を逃れてウイルスに感染したものも混入する場合がある。しかし、ES細胞から造血細胞ができ、その細胞が血液を造ってくれれば、ウイルス感染の心配のない血液が、無限に製造される可能性が出てきたからだという。

 ところが同じ記事には、少し気になることも書いてあった。トムソン博士らが今回行った研究では、ES細胞がどうやって造血細胞になったかというその仕組みは、まだ分からないらしい。ただ、同博士らは、先にマウスのES細胞から造血細胞を作り出していたため、そのマウスの細胞と一緒に人間のES細胞を育ててみたところ、造血細胞に変化したのだという。記事によると、「マウスと人間は細胞レベルでは非常によく似ているため、マウスの細胞から出された化学的信号が人間のES細胞によって受信され、それが造血細胞に分化するきっかけとなった」らしい。私は以前にも、「人間のES細胞はマウスのES細胞と一緒に育てられている」という話を聞いたことがあるが、何か奇妙な気持が残る。そういう感覚的な問題を除外しても、異種の生物間でウイルスが感染した場合、一方に大きな被害を及ぼすことがあることは、昔からよく知られている。我々は今後、「マウスに依存した人間の細胞」に救いを求めることになるのだろうか?

(谷口 雅宣)

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2001年8月31日 (金)

共食いの時代

 アメリカのブッシュ大統領がES細胞(胚性幹細胞)の研究に条件付きでゴーサインを出したことについて、月刊誌『光の泉』(日本教文社刊)に一文を書いた。この問題は本欄でも何度か扱っているが、人工妊娠中絶に反対する同大統領が、人の受精卵(胚)を殺してつくるES細胞の研究に、はたして国の助成金を出すかどうかが注目されていた。結局、「すでに作ってしまったES細胞の研究にだけ助成金を出す」という賛否両論の折衷的な結論に落ち着いたが、アメリカ国内では、「すでにあるES細胞だけではとても足りない」という大合唱が、科学者の間から巻き起こっている。

 これに比べ、日本でのES細胞研究は、「不妊治療で作られた受精卵のうち不要になったものだけを使う」という、アメリカよりも自由度のある方針に落ち着きそうである。数字で比較すると、アメリカでは樹立されたES細胞の“系統”がすでに「60以上」あるそうだが、日本では、ES細胞はまだ樹立されていない。つまり「0」である。しかし、不妊治療で作られる受精卵の数は、毎年2~3万個と考えられているから、ES細胞作製の技術が確立し、利用の制度が整備されれば、かなりの数の“系統”がそろう可能性がある。これは一体、喜ぶべきことなのだろうか?

 私が『光の泉』誌に書いた結論は、「人の胚(受精卵)を利用するなかれ」「それより、再生医療に力を入れよう」という2点である。再生医療とは、他人の受精卵や臓器を使うのではなく、自分の体の中にある「幹細胞」という“万能細胞”の能力を引き出して、組織や臓器を再生する方法である。この方法は、「他から奪わない」だけでなく、自分の細胞を利用するから、「免疫による拒絶反応がない」という二重のメリットがある。小泉首相もブッシュ大統領も、ぜひこちらの先端医療技術の方にも目を向けていただきたい。

 臓器移植もそうなのだが、ES細胞の利用も、本質的には「共食い」の思想にもとづいていると思う。なぜなら、いずれの場合も、他人の臓器や組織や細胞を自分の体内に取り入れることによって、健康を維持しようとしているからだ。「人食い」は、それを自分の口から入れて、バリバリと噛んで細かい断片にし、消化器官から栄養素として取り入れる。臓器移植は、外科医の手を借りて、他人の臓器をそのまま自分の臓器としてしまう方法だ。またES細胞は、生まれようとしている他人の胚の、最も生命力のある部分を取り出して培養し、これを人体の各種組織や臓器に成長させてから、自分の体内に取り込んでしまう技術だ。

 21世紀の社会では、「人食い」のような野蛮な習慣は絶滅しているのかと思ったら、何のことはない、最高度の教育を受け、最高度の技術をもった人々が、最高度の設備をそなえた施設で、最高度の尊敬を受けながら、これを別の方法で行っている。人類の肉体への執着は、かくも強大なり。

(谷口 雅宣)

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2001年7月13日 (金)

受精卵の利用公認か

 7月7日の本欄で、人間の受精卵からつくるES細胞(胚性幹細胞)の研究に、ブッシュ大統領が連邦政府の資金を出すか出さないかの重要な決定をしようとしている話を書いたが、この問題の行く末を暗示するかのような科学技術上の出来事が、この2日間で立て続けに2件あった。1つは、アメリカのバージニア州ノーフォーク市で、ES細胞をつくるだけの目的で人間の受精卵が作られたことと、もう1つは、マサチューセッツ州ウォーセスター市のバイテク企業が、やはりES細胞を得る目的で、人間の受精卵のクローンをつくる研究をしていることを認めたことだ。この2つの出来事を社会が容認すれば、人の受精卵を医療目的に利用することが、少なくともアメリカ国内では公認されたことになるだろう。

 バージニア州での研究の問題点は、最近出されたばかりのアメリカ国家生命倫理委員会、国家助言委員会、ヨーロッパ委員会のいずれの勧告にも違反していることだ。これまでES細胞の研究に使われてきた受精卵は、不妊治療の際に凍結保存しておいた受精卵のうち不要になったものを、インフォームド・コンセントの手続きを経て入手した。つまり、本来なら廃棄処分されてしまう受精卵を例外的に利用したのだが、今回は、ES細胞をつくるだけの目的で--つまり、できた受精卵を破壊して中身を取り出す目的で--人工受精が行われた。これを行ったノーフォーク市の研究所は、内部の倫理委員会に諮り、この方法は、少なくとも凍結保存された受精卵の利用と同程度の倫理性があるとの結論に達したという。不妊治療で人工受精を行う際、できた受精卵が不要になった場合研究に使うことを、予め同意してもらうことは、一定の倫理的正当性があると考えたらしい。

 マサチューセッツ州での研究は、クローン羊「ドリー」を作った方法で、人間の体細胞の核をドナーの卵子に注入して人間の胚(受精卵)をつくるらしい。これを人間の子宮に移植すれば胎児になる可能性があるが、移植せずにES細胞を取り出し、そこから臓器や組織をつくり出すことをねらっている。クローニングの方法を使うのは、臓器移植が必要な患者と同一の遺伝情報をもったES細胞を得るためだ。こうすれば、移植の際の最大難関である拒絶反応の心配が少ないからだ。

 人間の受精卵を、他人の治療や健康増進の目的で利用し破壊することが一般化した場合、それはどんな社会になるだろう。受精卵と胎児の間には生物学的な差異はあまりないから、まず胎児の妊娠中絶の違法性はなくなる。また、中絶した胎児の体の一部を利用した医療も盛んになるだろう。特に胎児の神経細胞は生命力が盛んなので、アルツハイマー病になった老人の治療のために、殺された胎児の神経細胞が使われたり、その患者の体細胞から作った受精卵をもとにして、拒絶反応のない“安全な”神経細胞が作られたりするのだろう。こんな究極のエゴイズム社会が“安全”であるはずはないのに……。

(谷口 雅宣)

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2001年1月19日 (金)

アンジー、『タイム』誌に載る

 1月13日の「雑感」で取り上げたサルのアンジーのことが、22日付のアメリカの時事週刊誌『TIME』に載っていた。私の見たところ記事のポイントは2つあって、遺伝子組み換えが霊長類で成功したのは初めてで、次は人間かということと、生殖細胞への組み換えが行われていたならば、「緑色に光る」という新種のサルを今後も残すべきかどうか、という問題だった。現在の科学技術のレベルでは、人間の病気治療に直接有用なサルを遺伝子組み換えで作るまでは数十年かかるようだが、その中途の過程で出現するアンジーを含めた数々の“有用でないサル”たちは、失敗作品として次々に殺されるのか、それとも自然界に放たれるのだろうか?
 
「病気を根絶する」ということが人類の長期的目標ならば、人間の遺伝子組み換えは将来、いつかは行われるだろう。人間に病気が起るのは遺伝子が唯一の原因ではないのだが、原因の一つであることは確かだからだ。また、病気を根絶できれば、「死」の多くが病気の形でやってくるから、次には「死を克服する」ということが人類の究極的目標になるのかもしれない。しかし、それでは「生」の問題はどうなるのだろう?

 釈尊は「生老病死」の四苦を超越する道を探究されたが、科学技術は仮にこのうち「三苦」までを克服しえたとしても、それは「生」の苦しみを二倍にも三倍にも増幅することになりはしないか。老・病・死がなくなれば、我々は永遠の生(肉体の生!)の中で、いったい何をするのか? もっと生物を苦しめ、もっと生物を殺し、もっと自然を破壊し、もっと戦争をし、もっと交通事故を起こし、もっとワイロを使うのか? 科学技術の発達とともに、安楽死や尊厳死の問題がクローズアップされてきているのは、決して偶然ではないだろう。
 
 老・病・死は、本当になくすべきものなのだろうか?
 (谷口 雅宣)

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