2002年7月11日 (木)

『夕刊フジ』と『週刊新潮』

 私が関係する裁判に関連する記事が、『夕刊フジ』(7月11日)と『週刊新潮』(7月18日号)に掲載された。ずいぶん一方的な見解を平気で書くものだと、元新聞記者としての私はガッカリした。マスメディアの質の向上を密かに期待していたのだが、見事に裏切られた気がした。しかし、2つのうち『夕刊フジ』の記事は、私の見解も一部伝えてくれているので、まだ比較的“まとも”の部類に属すると思う。しかし『週刊新潮』は、私を批判している側の意見で記事をほとんど埋め尽くし、私の側の意見は最後の方にわずか10行載せているという偏り方だ。(記事全体は112行)

 『フジ』の記事は「ドル箱本出版中止 生長のお家事情」という見出しで始まり、「問題の本の販売中止は、成長が期待される“中国市場”をねらう生長の家の布教方針に抵触したから」という内容になっている。つまり、問題の本は、中国人のことを倫理的に低級な民族であるかのように悪しざまに批判しているから、そういう本が生長の家の出版社である日本教文社から発行されつづけることは、中国市場への進出の足かせになる−−という分析である。まるで経済記事のような内容なので、「こういう見方をする人もいるのか」と半ば感心させられた。

 近年の生長の家の運動方針をご存知の方には説明の必要はないと思うが、現在の生長の家には、中国大陸に向かって大々的布教をする計画は存在しない。しかし、この記事は、問題の本が「中国人を悪しざまに批判している」という私の側の主張をきちんと伝えてくれている点は、評価できると思う。この記事のリード文の最後に「突然の出版中止の裏には中国で布教活動を進めたい教団側の思惑があったようだ」とあるが、本当の理由はそうではなく、「人間の本質は神の子であり、仏である」という教えを説く生長の家が、それと大きく矛盾する−−例えば、一部の民族は倫理的に劣っているから神の子でないと主張する−−内容の本を出版することはできないのである。我々は、そういう“悪”や“敵”を認める宗教的視点が、多くの戦争を生み出してきたという歴史的教訓から学ばねばならないのだ。

 この『フジ』の記事には、重要な点での欠落がある。問題の本が出版停止となった理由は、中国人の悪口が書いてあるだけでなく、この本が「台湾独立」という政治目標を掲げており、そのことが要因のひとつとなって、この本の著者が台湾での大きな政治的対立に巻き込まれる可能性が出てきたからである。まだご記憶にある読者も多いと思うが、当時、同じ政治的対立に巻き込まれた書籍に、小林よしのり氏の『台湾論』がある。この漫画本は、明確に台湾独立を支持しているが、その中に問題の本の著者が何度も登場して“台湾独立の旗手”であるかのように紹介され、さらに問題の本自体が実名入りで描かれた。そして、その著者は「慰安婦の強制連行はなかった」という政治的な発言を漫画の中で展開した。こうなってくると、問題の本を発行した日本教文社とその母体である生長の家が、その著者の政治的目標を支持しているような印象を持たれる危険性が強まってくる。だから、昭和58年以来、政治活動をやめて宗教活動に専念することを決めた生長の家にとって、問題の本が本当に“問題”となってきたのである。

 さて、『週刊新潮』の記事について、私はこれ以上何か論評すべきかどうか迷っている。というのは、この記事の見出しからして、あまりにもデタラメだからだ。それは「『生長の家』を震撼させる次期教祖の『左翼的思想』」というものだ。生長の家には「教祖」などいない。そのことは、創始者である谷口雅春先生ご自身が『生命の實相』第1巻に書いておられる。まぁ『新潮』の記者は、一般人にはこういう表現でないと分からないと考えたのかもしれないが、しかし、では「左翼的思想」とは何か。見出しにこれだけのことを言うからには、私の書いた書籍や文章をきちんと読んで、「ここにこう書いてあるから左翼的だ」と指摘しているのかと思ったら、まったくそういうことではなく、生長の家が政治活動から手を引いたことが不満でやめた「元信者」の非難を、一方的に掲載しているだけだ。

 次の文章を読んでいただきたい(文中の「彼」とは私のこと):

 「彼は平成2年に副総裁に就任して以来、好き勝手にやるようになりました。湾岸戦争の時、月刊誌『理想世界』で“大東亜戦争は侵略戦争”と断言したため信者から“初代総裁の教えと違う”と猛抗議を受けたのですが、それで故雅春総裁の日本の歴史や戦争に触れた『我ら日本人として』や『古事記と現代の預言』などのいわゆる“愛国書”を30冊近く販売中止にしたのです。さらに雅春氏のまだ単行本になっていない原稿も出版することを禁止しています」

 この文章は、ほとんど最初から最後までデタラメである。ただし、私が「大東亜戦争は日本の侵略行為によって始まった」という意味のことを書いたのは事実である。が、これについては、『理想世界』誌の連載の中でかなりのスペースを費して説明し、機関誌の中でも説明し、教団の機関紙『聖使命』では、当時の理事長が谷口雅春先生のお言葉を引用して説明した。もしこれらの論説が本当に生長の家の教えに反するのであれば、まだお元気でいらっしゃる生長の家総裁の谷口清超先生が黙って放っておかれるはずがないのである。また、谷口雅春先生のご著書の再版の決定は、現在も過去も副総裁の権限で行われたことはなく、すべて合議制によって決められてきた。その判断の中には経済的なものも内容的なものも含まれる。文書伝道を旗印にしてきた教団の創始者の本が、「30冊」もノーチェックで販売中止になるなどと考える人は、現総裁と教団の運営組織全体が、ここ10年以上ボンクラだったと言っているに等しい。(多分、この「元信者」は本当にそう思っているのだろう)

 さて、読者に改めて思い出してもらうほどのことではないかもしれないが、日本の週刊雑誌の記事は、一般的にこういうものである。センセーショナルな見出しと、誤解を招きかねない記事によって読者の注意を引き、店頭で買ってもらえればそれでいいとしているとしか考えられない。特に、生長の家のように、活字に慣れた信者が多い団体の場合、信者の不安を招くような記事は、週刊誌の売上増大に貢献すると考えているのだろう。元ジャーナリストとして、私はこの日本のジャーナリズムの現状を悲しむが、さりとて現象の不完全さは今に始まったことでもない。我々は、現象の暗雲を払うため、「神の御心」を述べ伝える活動をますます盛んに、明るく展開するのみである。 (谷口 雅宣)

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