2002年7月 5日 (金)

ブルーベリー

 6月21日の本欄でラヴェンダーのことを書いたが、わが家の庭では今、ラヴェンダーの薄紫の花の近くで、ブルーベリーの実が色づきはじめている。こちらの花は、春に小さい釣鐘状の白い花が房になって咲く。ドウダンツツジの花とよく似ている。これが散ると、残った子房の根元がゆっくりと膨らんでいく。その部分の、緑と赤紫のグラデーションが美しく、また子房を包んだガクの先がツンと尖がって天に向いている様子が、生命力と愛嬌を感じさせる。この“上向き”の子房が、実が膨らむにつれて重さで“下向き”になり、やがて緑だった実が赤紫に変わり、赤紫が黒紫に変化すれば、もう食べ頃である。

 家の東側の日当たりのよい場所に2種を1株ずつ植えたのが、もう14〜15年も前になるだろうか。背丈は、高い方が180センチほどに成長し、10年ぐらい前から実をつけるようになっていた。今年の実は、しかし例年になく大きく、直径1.5〜1.8センチほどある。また数も多く、しかも早い時期から熟しだしている。同じ庭にはイチジクの木もあって、こちらの実も(本当は花だが)例年になく大きく、また早くから熟しているから、ブルーベリー単独の原因があるわけではなく、きっと地球温暖化の影響ではないかと考えている。人類にとって大問題である現象にも、善い面があるのかと思うと、何だか嬉しい気持になる。

 私の生活にブルーベリーが入ってきたのは、この株と一緒だ。私は子供の頃から「果樹」というものにある種の偏見があり、「大きな果実が成らないものは価値が少ない」と思っていたフシがある。だから家の庭にあるミカン、ポンカン、ユズ、ビワなどで結構満足していたし、もし別の果樹を植えるとしても、カキやリンゴなどが頭に思い浮かぶのだった。一方妻は、小さな実のなるベリー類も好きで、その頃、ブルーベリーのことを何かの本で読み、生食に適しているだけでなく、ジャムにしても美味しいということを知り、私と植木店へ行った時に2種を買ったのだ。違う品種間で交配させると実のつきがいいということも、その本に書いてあったという。だからこの植物は、妻がわが家に導入したと言っていいだろう。

 今年の出来ばえは格別で、このところ毎朝20〜30個の実が黒紫色に熟す。朝食後、私はブンチョウのエサを取り換えた後、蚊に刺されながらブルーベリーを収穫し、採りたてのものを隣の父の家へ持参し、「朝採りブルーベリーです」と言って母に手渡す。その時刻、父母はちょうど朝食を終えるから、デザートに食べてもらえるのである。我々は「朝採り」をそのまま食べるのではなく、翌朝までとっておく。その方が酸味が減って甘味が増すからだ。また、前日の収穫をすべて食べずに、少し残しておく。そうすると、ステンレスの小籠に入った紫色の粒は、毎日だんだん増えてくる。量がたまったところでジャムを作ろうというわけだ。

 ブルーベリーはツツジ科の落葉低木で、栽培種のものは北アメリカ東部のアメリカ先住民が採取していたものの中から、19世紀になって栽培化されたもの。大別して背の高いハイブッシュ系、背の低いローブッシュ系、そしてラビットアイ系の3種がある。ハイブッシュ系の野生種は、木の高さが4メートルほどにもなり、やや冷涼な気候とかなり強い酸性土壌、多くの水を要求する。それに比べローブッシュ系は、高さがせいぜい20センチくらいだが、野生種はアメリカ北東部からカナダ東部の寒冷な荒地に自生し、3種の中では最も耐寒力がある。ラビットアイ系は、アメリカ南部のジョージア州近くが原産地で、大型のものは高さ4メートルを越える。温暖地向きで、土壌の水分や酸性度をあまり要求しないから「育てやすい」とされている。この名前(rabbit-eye)の由来を私は知らないが、実の形がウサギの目のように「赤くて球状に丸い」からだと想像している。もしこの想像が正しければ、わが家にあるのはハイブッシュ系とラビットアイ系の2種である。

 ナチュラリストの藤門弘氏夫妻は、約10年前に北海道で一大ブルーベリー・ガーデンを作る計画を始動したと、ある雑誌に書いていたが、これを殖やす方法は「挿し木」でいいのだという。また、『週末・八ヶ岳いなか暮らし』の著者、小宮宗治氏は、標高900メートルの八ヶ岳南麓に休耕田を借りてブルーベリー農園をつくり上げたという。実は、家の庭にはもう1本の苗を別の場所に植えてあったが、日当たりがよくなかったためうまく育たなかった。それを去年の秋、大泉村の山荘の庭に移した。そこは、日照の申し分ない場所だが、標高1200メートルの寒冷地の環境に耐えられるかどうか心配だった。案の定、移植してしばらくは死んだように生気がなかったが、数週間前に山荘へ行った時、その株から新芽が出ているのを発見した。山荘の庭には、このほか2株のブルーベリーが植えてあるから、うまく成長してくれたら挿し木で殖やし、「農園」といかないまでも「ガーデン」ぐらいにできるかもしれない、と密かに思っている。   (谷口 雅宣)

【参考文献】

○小宮宗治著『定年後・八ヶ岳いなか暮らし』(晶文社、1999年)。

○「藤門弘のカントリーガーデン作り�D」『私の部屋ビズNo.7』夏号(婦人生活社、1993年)。

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2002年3月 3日 (日)

動物の“愛”

 今朝の『朝日新聞』にライオンと草食獣の間にも“親子関係”が成立しうることが報じられていた。かなり稀な関係だと思うが、そういうことが実際にあるとは驚きだった。場所は、アフリカのケニアの中部にあるサンブール自然保護区で、昨年末に5~6歳の雌ライオンが、生まれたばかりのオリックス(ウシ科の草食獣)に寄り添って歩いているのが目撃された。「いつか食べてやろう」と思って一緒にいるのではなく、オリックスが寝るときには脇に添い寝するし、この“子”を守るために、約10日間は何も口にしなかったという。ところが今年の1月6日、この“母”が水を飲んでいる隙をねらって、別の雄ライオンがオリックスを奪って食べてしまった。その後数日間は、雌ライオンは起き上がらずに悲しんでいるように見えたという。

 この雌ライオンは、これで諦めずに、2月の中旬になって再び別のオリックスの“子”を迎えた。しかし2番目の子は、体が弱っており、地面に横たわったままだったという。ケニアの国立公園を管理するケニア野生生物公社(KWS)はこれを見かね、オリックスをナイロビの動物孤児院へ移送したという。記事によると、この雌ライオンは昨年、自分の2頭の子を失い、群れからもはぐれ、独りで暮らしていたらしい。

 オリックスは、雌雄ともに長い角をもった動物で、肩までの高さが85~140cm、体長が160~235cmだから、大きさも牛に近い。アラビアやアフリカの砂漠やサバンナに棲み、草や木の芽や葉を食べるほか、水分の多い球根を前足で掘って食べるという。普通、子は1度に1頭しか産まないが、まれに2頭産む。出産に際しては2~3週間群れから離れるというから、この時、母親のオリックスは肉食獣にやられたのだろう。天敵はライオン、ヒョウ、リカオンなどだから、まさに“天敵”が「親」の行動をしたことになる。

「動物に愛があるか」という問題は、生物学者の間でも時々論争になるが、この例は異種の動物間にも“愛”らしきものが成立することを有力に示している。心理学者のジェフリー・マッソンは『ゾウが涙を流す時』(When Elephants Weep)という本の中で、動物のもつ“親の愛”は、時に種の壁を越えることがあるとして、その例を紹介している。ある実験では、子のいるラットにマウスやウサギの子を与えたところ、それをすぐに自分の子としたばかりでなく、ネコの赤ちゃんも受け入れたという。そして、実験者がその赤ちゃんをラットから離そうとすると、その“親”は抵抗を示した。また、ネコは寝そべった姿勢で子に乳を飲ませるのに対し、ラットは四つんばいの姿勢で乳を与えるという違いがあるが、このラットは、子ネコに乳を与えるのに立った姿勢であげようとして必死になったという。興味をもった実験者が、今度は鳥のチャボの雛をこの母ラットに与えると、ラットは雛の首をくわえて巣の中に入れようとしたので、大変な騒ぎになったという。

 こういう実験は、しかし人間が深く関与しているから、人間と動物の“心”が交流すると考えるならば、必ずしも“自然状態”とは言えないだろう。ところが、上に挙げたケニアの雌ライオンの場合は、人間がまったく関知しない野生の中で起こったことだ。何か“高度”な力がそこに働いたように感じるし、これを「偶然」と呼ぶにはかなり勇気が必要だ。また、動物のこの種の行動を「本能」という言葉で説明することもできるかもしれないが、それなら我々人間の感じる“愛”も本能と呼ぶべきだろう。

 ヒンズー教や仏教の中には、「動物も人間に生まれ変わり、人間も動物に生まれ変わる」という考え方がある。また、仏教のジャータカ物語には、釈迦が前生に於てゾウやサルだった時に、菩薩として愛他行を実践した様子が描かれている。こういう話は、輪廻転生の教義を補完するための“作り話”だと考える人も多いだろうが、牛の子を愛したこの雌ライオンのような例が実際にあると、そういう“高級霊”が、今も動物の間で生きているような気がしてくるのは私だけではあるまい。

 ロマンチックになったついでに、もう一つ思い出したのは、旧約聖書の『イザヤ書』にある記述である。その第11章には、“最後の審判”を思わせる「その日」が来れば、肉食獣と草食獣は仲良く寝食をともにすることを、次のように書いている:

 おおかみは小羊と共にやどり、
 ひょうは子やぎと共に伏し、
 子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、
 小さいわらべに導かれ、
 雌牛と熊とは食い物を共にし、
 牛の子と熊の子と共に伏し、
 ししは牛のようにわらを食い、
 乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、
 乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。

 そういう世界が来ることを、人間が大昔から渇望してきたことは、事実である。しかし、なぜそうなのかは、説明がむずかしい。   (谷口 雅宣)

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2002年2月16日 (土)

金銀銅と松竹梅

 アメリカのソルトレーク・シティーで行われている冬季オリンピックのフィギュア・スケートで、五輪史上初めて、一度確定したメダル順位が覆った。金メダルを獲得したロシアのペアの判定に深刻な疑惑が生じたため、銀メダルを得たカナダのペアに金メダルが授与されることになったのだ。ロシアの「金」はそのままで、「銀」は無しとなった。当初の判定では、9ヵ国から出た審判員のうち、ロシアを1位としたのがロシア、中国、ウクライナ、ポーランド、フランスの5審判で、カナダを1位としたのはカナダ、アメリカ、ドイツ、日本の4審判で、この中のフランスの審判員に不正疑惑がかけられている。こうして国名だけ並べて見てみると、旧東側諸国がロシアを選び、旧西側がカナダを選んだという“図式”が読み取れ、さらに冷戦時代にも東側との関係を重視したフランスが、イソップ寓話の“コウモリ”のような動きを見せたとも読める興味ある結果である。

 スポーツ界は本来、政治とは無縁の実力だけの世界というのが、オリンピックの精神だ。が、実際はその精神が曇らされることの方が多いのかもしれない。ところで、金・銀・銅というメダルの分け方は、これらの金属の経済的価値を基礎としているかのように、はっきりとした順位を表している。金が銀より優れ、銀は銅より優れており、銅は4位以下より優れている--こういう考え方が背後にあって、1位と2位の間がどんなに僅差であっても、優劣が峻別される。だから今回、スピード・スケートの500メートルで、清水宏保選手は1位との差がわずかに百分の三秒であっても、不満気な表情を見せたのだろう。そして、日本の我々も「百分の三秒」の違いよりも「金」か「銀」かに注目したと言える。新聞各紙の見出しは「清水 銀」だった。

 日本ではしかし、このように鮮明な形で優劣や順位が判定されることへの抵抗もあるようだ。「松・竹・梅」という呼称は、そんな時に使われるような気がする。1位も2位も3位もそれぞれいい所があるし、皆がんばったのだから、優劣をハッキリさせずに皆認めてあげよう--こんな“優しい気配り”が、「松・竹・梅」の呼称には読み取れないだろうか。今日は、生長の家の講習会で京都市へ来ているが、ちょうどそんなことを『京都新聞』社会報道部の日下田貴政記者が夕刊に書いていた。

 その記事によると、寿司屋では普通、値段の高いものから順に「松・竹・梅」という。この呼称が「上・中・並」に代って使われるようになったのは、昭和27年ごろからだというのが、東京の全国すし商生活衛生同業組合連合会の会長さんの説だ。「上・中・並」だとランク付けがはっきりしすぎているので、「並」を注文する人が「すいませんが並ください」と気がねしながら注文する。そこで、ランクがあまりはっきりしない中で、縁起がよいとされる「松・竹・梅」が使われるようになったらしい。しかし、このランク付けは全国的にまだ確定していないらしく、京都市東山区の京料理店では、最高級の懐石料理が「梅」だという。

 「松竹梅」をめでたいとする考え方は、中国から来たらしい。その理由は、この3つの植物が寒中でも枯れないからだ。「松」は正月飾りには欠かせない。「竹」は寒中でも青々としており、門松にも使われる。私の隣家の父の庭では、その竹の瑞々しさを生かすために、つい数日前、古くなった竹垣を全部やりなおしたばかりだ。しかし、松竹が寒中に花をつけないのに比べ、梅は寒風の中で咲きほこる。だから、松竹梅の中では梅を最上位にする考え方があっても少しも不思議でない。つまり、植物としての松竹梅は、いずれも甲乙つけがたいというのが本当のところだろう。

 ところで、牛肉の“産地偽装”が発覚して問題となっているが、食品に関する虚偽表示の疑惑は深刻である。食品に嘘を書くなら、何も書かない方がいい。牛肉の表示も「和牛」「米国産」「豪州産」などはいっそやめて、「松」「竹」「梅」にすればどうだろう。牛はどこに棲んでいても、その命は等しく貴重だというのが本当だろう。問題は、人間が自然界のものに何でも勝手に優劣をつけるところにある。そういう観点から見ると、オリンピックは実に“人間的”な行事ではないか。   (谷口 雅宣)

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2001年12月 7日 (金)

シャコバサボテン

 わが家の居間で蕾を膨らませていたシャコバサボテンが、花開いた。妻が丹精した鉢植えが1つ、陽の当たる窓際に置いてあったのだが、1週間前ぐらいから、緑色のカニの足のような茎の先端から、たくさんの濃いピンク色の丸い蕾が顔を出していた。寒気の中、それが5センチほどの長さに伸びて、先端から花弁が反り返れば開花だ。花の中心からシベを突き出し、得意顔に見える。まるで、12月の到来を待っていたかのようだ。花の先端にとび出した雌シベは花弁と同じ濃桃色で、その周りを白糸のように繊細な雄シベが取り囲んでおり、目を近づけるとその先に黄色の花粉をいっぱい貯えているのが分かる。虫の少ない冬季なのに、実を結ぼうと一所懸命シベを伸ばしているようで、いじらしい。だから私はこの日、陽が落ちて窓のカーテンを閉める時、カーテンの厚い布が花の先を傷めないように、半分だけ引いた。

 そんな気持になったものの、実はシャコバサボテンは花から実ができるのは難しいらしい。ブラジル原産のこの植物は、とても生命力が強く、カニの足のような茎が折れて地に落ちると、そこから根を出して茎を伸ばす。そういう殖えかたが一般的だ。そのため、カニ足の“関節”のような部分が折れやすくなっている。挿し木でどんどん殖えるのである。妻に聞いてみると、この鉢植えのシャコバは、もう10年以上前から家にあるとか。彼女は、日中は陽に当て、時々水やりをし、2~3年ごとに一回り大きな鉢に植え替えて育ててきた。現在は鉢の土の上からの高さが25センチほどで、カニ足のような茎が何十本もアーチを描いて伸び、それぞれの先端に赤桃色の蕾か花をつけている。顔と嘴の赤い鳥が無数に首を伸ばしているようで、見事である。12月ごろに咲くので、英米では「クリスマス・カクタス」とも呼ばれる。

 シャコバの茎のことを「カニ足」と表現したが、実は近種にカニバサボテンというのがあるから誤解されるかもしれない。シャコバの茎からは、シャコの体のように鋭い鋸歯が出ているからこの名があるが、カニバの方は、この鋸歯があまり鋭くない。また、花の咲く時季は2~3月である。さらに「イースター・カクタス」と呼ばれ、4~5月に花を咲かせる種もある。サボテンは、普通の植物とは違った面白い形や性質をもっているから、サボテンを集めて育てる趣味のある人もいるようだが、わが家にあるサボテンはこれ1種だけである。ただし、鉢は3つある。

(谷口 雅宣)

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2001年11月22日 (木)

狂牛病から恐牛病へ

 国内で2頭目の狂牛病感染牛が見つかった。10月18日から始まった食肉用牛を対象にした全頭検査では、これまで8万7872頭が“陰性”だったのだから、今のところ8万8千分の一の確率(0.00114%)で感染牛が国内に存在する計算になる。9月22日に見つかった国内初の感染牛をこの計算に入れると、4万4千分の一の確率(0.00228%)だ。日本では年間に約130万頭が解体処理されているそうだから、今後1年間に15~30頭ほどの感染牛が発見されるかもしれないということになる。この程度の数ならば、現在の全頭検査という監視体制で人への感染は防げるかもしれないが、そう簡単にはいかないかもしれないという予測もあるようだ。

 現在政府が考えている感染源は、イギリスなど狂牛病汚染地域から輸入された感染牛を原料とした「肉骨粉」のようだ。これまで見つかった2頭の感染牛は、①生年は同じ5歳、②誕生地は北海道、③双方とも乳牛のホルスタイン種、などの共通点がある。肉骨粉は乳量を増やす効果があるため、肉牛より乳牛に与えられる可能性が高く、狂牛病の潜伏期間は2~8年と長いので、肉骨粉を与えられ続けて高齢となった牛が“廃用”として食肉にされる時に、検査で“陽性”と判明する確率が高いという。しかし、この見方を裏切るデータもある。それは、2頭の感染牛の飼育をしていた人は、いずれも感染牛には肉骨粉を与えていないと言っていることだ。政府は、行政指導が徹底しなかったために与えられたと見ているようだが、もし飼育家が言っていることが本当なら、肉骨粉以外の感染源があることになる。

 その可能性として挙げられているのは、1つは「母子感染」である。イギリスの例では10%ほどの確率で母子感染が考えられるケースがあるというが、もしそうである場合、今回の2頭目の感染牛はすでに3回出産しているから、そのうち1頭ぐらいは、狂牛病の病原体である異常プリオンに感染しているかもしれない。狂牛病の著作のあるイギリスのリチャード・レイシー博士は12月号の『文藝春秋』で、この母子感染について「血液が最もプリオンの感染ルートとして疑わしい」と述べている。博士によると「多くの種で抗体たんぱく質が母から子へ受け継がれていくことが確かめられていますので、たんぱく質の一種であるプリオンも、母から子へと血液を通じて引き渡すことができると考えられます。ですから、危険部位以外の部位でも、血液が含まれているかぎり安全とは言い切れない」という。血液が安全と言い切れないのであれば、ステーキも焼肉も安全とは言い切れないことになるから、問題は深刻である。

 政府の安全宣言以来、牛肉の消費量がやや上向いてきていたらしいが、2頭目の感染牛発見で、消費量は再び減少するに違いない。牛の脳が冒されるという意味の「狂牛病」が、人間が牛を恐れる「恐牛病」になりつつある。本欄で前にも書いたが、私はこの機会に、牛肉を食べるのをやめることを読者にはお勧めしたい。肉食はこういう安全性の問題があるだけでなく、地球環境保全にもよくないし、経済効率も悪く、そして宗教的にも好ましいとは言えないからだ。

(谷口 雅宣)

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2001年11月11日 (日)

ゴイサギ

 11月5日の本欄で、わが家の庭に“怪鳥”が飛来した話を書いたら、添付した写真を見た読者から「それはゴイサギではないか」との情報をいただいた。一人は福島県の主婦の方で、日本野鳥の会会員であるご主人がそうおっしゃたということを、このウェッブサイトの掲示板に書き込んで下さった。その後、ご主人自身も「2羽はたぶんつがいの若鳥だと思います」と書き込まれ、さらに詳しい説明をして下さった。もう一人は、大阪・茨木市にお住まいの65歳の女性で、ご本人が同会の会員であり、「断定はできませんが ゴイサギではないかと思いました。ゴイサギは嘴から尾まで58cm位です。夜に活動するようです。1年、2年、3年目と羽の色はかわっていきます。止まってる姿はおばあさんが座ってる姿に似にてるなーと思ったことがあります」と教えて下さった。

 この鳥のことを母にも話したら、母はゴイサギのことを知っていて、「明治神宮の内苑の池にもいたし、新宿御苑でも見たことがある」と言う。明治神宮とわが家とは、鳥にとっては目と鼻の距離にあるし、新宿御苑は家から2~3キロしか離れていない。「ちょっとお散歩」という感じで、わが家を訪れたのかもしれない。

 ゴイサギは「五位鷺」と書く。言い伝えによると昔、醍醐天皇がこのサギを捕まえるよう命じた時、少しも逃げずにすぐつかまったので、鳥が勅命に従ったと心を動かされ、「五位」の位を賜ったという。真偽のほどは定かでない。しかし、この話からも、人間をあまり警戒しないところがあることが分かる。私が見つけた時も、閂の入る大門をガラガラと開け、ヘッドライトを点けた車で近づいても飛んで行かなかった。むしろ人間の方が驚いたのだった。百科事典の説明では、主として夜間に活動し、昼間は繁殖期以外は人家近くの薄暗い森に潜んでいて、暗くなると水田や小川に現われて魚やカエル、ザリガニなどを食べるという。夜空を「クワッ、クワッ」と鳴きながら飛ぶので「夜ガラス」の名があるという。わが家のヒキガエルは、ネコも近づかないので、天敵はまずいないと思っていたが、この時、もしかしたら2~3匹この鳥に食べられたかもしれない。

 ゴイサギの成鳥は、頭と背が緑黒色で、翼と腰と尾は灰色、後ろ頭に数本の白い冠羽がある。しかし、幼鳥の時は羽の色がまったく異なり、背中が暗褐色で淡い黄褐色の斑点があるらしい。この状態の時を「ホシゴイ」と呼ぶらしい。図鑑に載っていた幼鳥をモデルにして、絵に描いてみた。

(谷口 雅宣)

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2001年11月 5日 (月)

怪鳥の飛来

 娘が九州へ修学旅行に出発した。ずいぶん楽しみにしていたらしく、朝からルンルン気分の様子だった。9日までの4泊5日である。子供がいなくなった親は、久しぶりに夫婦二人だけの夕食をとるために、恵比寿ガーデンプレイスへ行った。前日の新聞の夕刊に、巨大なシャンデリアが設置されたという記事が写真入りで載っていたので、見てみたいとも思った。小雨が降ったりやんだりで、2階建てビルほどの高さのある巨大シャンデリアは確かに大きかったが、地球温暖化防止の国際会議や、同時多発テロ関連の不幸な出来事を考えると、何とも場違いな気がして、少しも感動しなかった。それより驚いたのは、この場所にはアメリカ系の企業の事務所がいくつもあるらしく、「部外者侵入防止」のための警備がことのほか厳しいことだった。ビル上階のレストランへ行くためのエレベーターの乗り口が一つに限定されていて、それを探すのに一苦労した。

 二人でお好み焼きを食べて帰宅した時、車の時計は8時半を回っていた。鉄の車のついた門の開き戸をガラガラと開け、ヘッドライトを点けた車を門の中に乗り入れ、荷物を降ろすために車から半分身を出した私は、体を緊張させた。小雨の降る夜は、家の庭に棲むガマガエルたちがよく何匹も、この場所に出ているので、車で轢かないように注意しなければならない。そんな気持で門の前の池の傍を見た私の目に、身の丈50cmほどの灰色の立像のようなものが見えたからである。「立像」のように見えたのは、それがじっと動かなかったからだ。しかしよく目を凝らして見ると、嘴があり、首があり、尾もあるようだ。大型のカラスほどの大きさの鳥で、それが細長い体と首を縦に伸ばして身構えているようだ。近くにいる妻に声をかけて、そのことを告げたが、鳥は動かない。車のライトを上に向けて鳥を照らそうとしたら、予想外の大きな翼を広げてゆっくりと飛び立ち、池の上の木の枝にバサッと音をたててとまった。

 夜でも目が見えるのか、と思った。池にはサギが来ることはあるが、この鳥はサギのように白くなく、また嘴も長くない。ハトに似た顔つきをしているが、体はハトの二倍はあり、しかも体が縦に長い。私は急いで車の中にあるデジタル・カメラを取り出して狙いを定め、シャッターを押した。ストロボの光に驚いたのか、鳥はまた飛んで近くの木の枝に移動した。もう一枚写真を撮ると、再び飛んだ鳥は、今度は見えない高さに消えた。と、別の場所から、もう一羽の灰色の鳥が、長い翼をバサバサと振りながら飛んでいく。その姿が、街明かりで白っぽくなった、狭い東京の空を横切っていく。二羽いるということは、連れ合いなのかもしれないと思った。

 家に帰った我々は早速、鳥の図鑑を出してきて正体を知ろうと思ったが、それらしい姿の鳥は本の中には見つからなかった。あわてて撮った2枚の写真をここに掲げるので、どなたか分かる方は鳥の名前を教えてください。

(谷口 雅宣)

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2001年11月 1日 (木)

ニガクリタケ

 休日なので、また妻と大泉村へ行った。先週はチャナメツムタケをいっぱい採ったが、妻も私も今日はクリタケを是非、採りたいと思っていた。クリタケは、我々の山荘の裏の森で採れると、山荘の建設の際に世話になった不動産会社の人が言っていたが、晩秋に出てくると聞いていた。標高1200mの山では11月は晩秋だろうと思い、今日に期待していたのだ。実際に先週、キノコに詳しいレストランの主人が、その日に採ったというクリタケの実物を見せてくれた。特徴的なキノコなので、生えていればきっと自分でも分かると思った。

 9時半ごろ大泉村に着き、まず天女山の山頂まで車で行った。ここの駐車場の脇に続く林に、キノコがよく出ると聞いていたからだ。探してみるとチャナメツムタケがいくつか見つかったが、クリタケはなかった。その後、村へもどり先週、チャナメをいっぱい採った林に入った。ここにもチャナメはあったが、クリタケはなかった。先週採ったチャナメは、佃煮にしたのが家にまだ少し残っていたが、残量が少なくなっていたので頂戴することにした。そのあと山荘へ行き、森の中を妻と二人で探索した。しかし、チャナメはいっぱい採れたのだが、やはりクリタケを見つけることはできなかった。

 クリタケは、カサの直径が3~8cmで、クリの実を思わせる色の三角帽子の形をしている。ジクは時にマツタケのように太くなるものがあるそうで、ものの本によると「柄の肉はかたく締まっていて歯切れがよく、癖のない風味できわめてよいだしが出る」とある。シメジのように密生して生えるのが、豪華に見える。山荘の裏の森にはクリの木も多くあるので当初、クリタケも多いかと思ったが、その本によると、このキノコの生えている場所は「広葉樹の枯幹、倒木、切株に多数束生する」と書いてある。だから、クリタケの「クリ」は「クリの木に生える」という意味ではなく、「クリの実に似ている」という意味らしい。

 キノコ採りは午前で切り上げたが、午後2時半ごろ、山荘の東側の隣地を歩いていて、驚いた。そこは他人の別荘地だが、カラマツなどの高木を取り除いただけで、まだ家も庭もできていない。直射日光の当たる開かれた土地に、雑草が腰の高さほどに伸びてきていた。その土地の真ん中あたりに、切り倒したカラマツの切株がいくつもあるのだが、その一つの根元に500円玉ぐらいの大きさの、黄褐色のカサを広げたキノコが密生していた。一瞬、クリタケかと思ったが、クリタケはレンガ色なのに比べ、このキノコは黄色が強いし、形が平べったい。妻は「これはニガクリタケよ」と言う。私もそう思ったが、念のために本に載っている写真と比べてみた。彼女は正しかった。

 ニガクリタケは、クリタケに比べて黄色が強いだけでなく、カサの下側が黒ずんでいる。ものの本では赤丸印が3つ並んだ「猛毒」の部類に入っていて、「食後6~8時間後、舌がピリピリし、激しい嘔吐、けいれん、意識不明になる」といい、小さい子供は死亡することがあると書いてある。自然界では、有害と無害をしっかり判別し、気を引き締めて生きていかなければならないのだ。

(谷口 雅宣)

【参考文献】今関六也、大谷吉雄、本郷次雄編著『日本のきのこ』(山と渓谷社、1988年)

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2001年10月25日 (木)

チャナメツムタケ

 休日の木曜日なので、いつものように妻と二人で大泉村の山荘へと車を走らせた。このところ朝7時半ぐらいに家を出て、2時間の旅程で9時半ごろには山荘へ着くスケジュールが定着した。朝食は車内でサンドイッチをかじる。普通は中央道の長坂インターから出て、まっすぐに山荘へ行くのだが、今日は山荘から1キロぐらい手前の、道路脇の林の中で車を止めた。ここを通るとよく車が1~2台止まっていて、その様子から、どうもキノコ採りに来ているように見えたので、私たちも今日はここを通過せずに、林の中の様子を見てみようということになっていた。地元の人の話では、そこらあたりにキノコが多いと聞いたからだ。山荘周辺の森では、そのあとゆっくりと探せばいいと考えていた。

 その林はカラマツを主体として、そのほかサクラやクリの木が混じっていた。倒木も結構あって、キノコはそういう倒木の陰や近くによく生えている。そういう所へ行くと早速、直径10センチほどの薄茶色のカサを広げたキノコが2~3個ある。山荘の周りで見かけない種類で、カサの外縁部の色は薄いが、中心部にいくにつれて茶色が濃くなるグラデーションが美しい。カサのすぐ下の軸は細いが、土に近づくにつれて太くなり、土に埋まっている部分はポッコリ球状になっている。注意深く根元から取り、カラマツの枯葉が混じった土を取り除いて、腰につけたビニール袋に入れる。倒木の反対側にも、同じ種類のキノコがいくつも見える。妻も近くで同じものを見つけて、「いっぱいあるけど、毒なんじゃないの」などと言っている。私は、たとい毒のあるキノコでも名前を知っておけば、後から役に立つと思ったので、生えているものの中で、まだ新しそうなものは全部採取した。その場所から少し移動したところにも、やはり同じ種類のキノコがいくつも生えていて「採りきれない」と思った。

 道路に近いこんな場所でこれほど採れるなら、山の奥の山荘近くではもっといろんなキノコがあるかもしれないと思い、私たちはその場では20本ほど採って切り上げた。しかし、山荘周辺を小一時間歩いたが、期待していたほどキノコはなく、あったとしても小さいもの、食べられないものが多かった。また、道路脇の林に生えていたのと同じ種類のものが、そこにもポツポツと顔を出していた。結構な量が採れたが、収穫物の名前も知らないのではもったいないと考えた二人は、野生種のキノコを使ったスパゲッティーを出しているレストランの人に、教えを乞うことにした。昼用の弁当は持ってきていたのだが、それは別の機会に消費することにして、レストランでスパゲッティーを食べて“お客”になれば、きっと教えてくれると思った。

「これはチャナメツムタケ」--レストランのテーブルに座り、注文もそこそこで持ってきたものを見せると、顎ヒゲをたくわえたレストランの主人は即座にキノコの名前を言った。この辺ではよく採れて、ナメコのようにぬめりがあって美味しいのだという。私たちは顔を見合わせた。大当たりだったのだ。ものの本には、このキノコは「汁物にはナメコ以上にこくのあるうま味が出る」とか「ゴマ油や醤油との相性もいい」と書いてある。東京へ帰ってから、妻は佃煮用、マリネ用、汁物用に料理した。

(谷口 雅宣)

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2001年10月17日 (水)

異種の壁

 狂牛病の上陸で混乱する日本では、明日からすべての食肉牛を対象とした狂牛病のスクリーニングが全国117ヵ所の食肉検査場で実施される。その数は年間約130万頭という。この検査に関連して、ツベルクリン反応を思い出させる「陽性」とか「疑陽性」などの言葉が新聞紙上をにぎわせているが、ことほどさように狂牛病の早期発見は難しいようだ。今朝の『朝日新聞』に載った全国世論調査によると、この騒ぎで牛肉を食べる量を減らしている人は全体の34%で、牛肉を食べるのをやめた人は25%に及ぶという。では、その代わり豚や鶏の肉を食べる人が増えているかというと、そうでもない。以前より豚や鶏を多く食べるようになった人は10%で、こういう牛以外の肉を食べるのも減らしている人が8%いるという。結局、日本人の肉の消費量が激減したわけで、牛肉の流通在庫が16日現在で約1万3000トンもダブついているらしい。

 狂牛病が恐れられているのは、感染牛の特定部位にある異常プリオンを人間が食べると、それが人間に感染して、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)という脳がスポンジ状になる病気になって死ぬと考えられているからだ。事実、イギリスでの狂牛病の流行とvCJDの発生との間には明らかな相関関係がある。だから、多くの科学者は「牛→人間」の異常プリオンの感染を今は疑問視していない。しかし、生物学の基本的として、牛と人間のような異種間には“種族の壁”があって、それを越えて同じ病原体が感染することは難しいとする考え方がある。事実、羊に発生する狂牛病に似たスクレイピーという病気は、その肉を食べる人間にも牛にも感染しないと考えられ、また実際にそういうケースは発見されていない。だから、少数の科学者の中には、現在でもこの「牛→人間」の感染を疑問視する人もいる。

 そういう“異端”的な考え方を打ち出した論文がこのほど、こともあろうに狂牛病の発生源であるイギリスの権威ある医学誌『British Medical Journal』(英国医学紀要)に掲載されて、物議をかもし出しているそうだ。これを書いたジョージ・ヴェンターズ博士(George Venters)によると、これまでの狂牛病の研究では、感染牛の肉が人間のvCJDを引き起こすという直接的な証拠は何もないという。もっと具体的に言うと、牛の異常プリオンがvCJDの患者の体内から発見されたケースはないというのである。牛から人間に感染するためには、病原体である異常プリオンは料理の熱に耐え、人間の消化に耐え、さらに人体の免疫系の攻撃にも耐えねばならず、それは不可能だとヴェンターズ博士は言う。さらに同博士によると、もし狂牛病がvCJDの原因ならば、イギリスでは老若男女が牛肉を食べるのだから、若い人だけがvCJDを発病するのはオカシイというのだ。(vCJDの特徴の一つは、比較的若年者に発病すること)

 なかなか論理的で傾聴にあたいする議論のように思うが、今の日本の状態では、論理だけではパニックは鎮まらないかもしれない。ところで、私は「牛肉をもっと食え」というつもりでこれを書いたのではない。肉食には賛成しかねるが、冷静な議論には賛成である。

(谷口 雅宣)

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