2002年5月18日 (土)

人工的な自然

 人間は、目に見える世界の中に“秩序性”を求める。無秩序があれば、その世界に手をつけて何らかの秩序性を実現しようとする−−そういう得体の知れない奥深い欲求が人間には(少なくとも私の中には)横たわっていることを感じる。「得体の知れない」と書いたのは、この欲求が「気味が悪い」という意味ではなく、「説明が難しい」という意味である。

 山梨県大泉村の山荘で庭造りを始めてから、そういう実感が益々強くなった。私は時々、スケッチを描いたり写真を撮ったりしていたのだから、そんなことはとおの昔に気がついていなければならなかったかも知れない。なぜなら、絵も写真も、四角い画面の中に対象や被写体を無秩序に配置してはいけないことは、誰に教えられなくても分かるからだ。しかし私は、絵や写真の場合は、「世界を四角い枠の中に押し込める」という無理なことをするから、そういう特殊事情のある小空間には“人工的”な秩序性が必要になる、というぐらいにしか考えていなかった。つまり、人が作る「人工」の中には当然「人工的な秩序」がある、という程度の理解である。

 だから、人工でない「自然」の中にも秩序性がほしくなるという経験は、予想外のものだった。

 大泉の山荘は、造園をせずに引渡しを受けた。その理由の第一は、予算が足りなかったからだが、別にも理由があったとしたら、それは「自然の森の中に人工の“庭園”のようなものは不要だろう」という漠然とした気持があったからだ。また、物件を見て回っている時、山荘の庭を持主が自ら造っている場面に何回か出合って、私自身もやってみたいと強く感じたからでもある。

「庭を造る」というのは実は大仕事なのだが、私は当初、自然の中の山荘の庭は文字通り「自然」であればいいのだから、家ができたあとの敷地に最小限に手を加えれば、満足のいく庭がすぐできるだろうと、高をくくっていた。しかし、3月29日の本欄にも書いたように、山荘の敷地は礫岩と小石がゴロゴロ出てくる固い地盤で、保水力もない。だから、花壇を作るにも畑から客土しなければならなかった。

 花壇は、そこに花を植えて目を楽しませるためのものだが、そういう段階へ行く前に、もっと実用的な仕事が必要だった。それは、人の歩く「道」を作ることだった。山荘は、引渡しの時点で、すでに駐車スペースと、そこから玄関まで歩いて行ける砕石敷きの道ができていた。しかしそれは、幅が1メートルに満たない狭い道で、人がぶつからずに擦れ違うことができない。そこで私は、まずその道幅を倍に拡げる作業に取り組んだ。それが終ると、その道(主道)とは別に、駐車スペースから庭を突っ切って山荘のデッキまで歩けるような、細い脇道を作った。これも実用上の理由からである。

 山荘を利用し始めたころは、そこでの生活用品や小さな家具、什器類がまだ揃っていなかったから、そういう様々なものを持ち込む日が続いた。その場合、車を降りて荷物を運び込むには、誰もが最短距離を歩きたかった。しかし、玄関へ行く主道は、敷地の北東の端から北側を通り、カーブしながら北向きの玄関へと続く。この道よりは、庭を対角線上に突っ切って山荘のデッキへ達する方が、よほど距離が短かった。だから、何回か山荘に出入しているうちに、そのルートの土が自然に踏み固められて、道のような線上の痕跡がついていた。

 それをまともな道にするために私がやったことは、そんなに多くない。そこの土を20〜30センチ掘り下げて細長い溝をつくり、その両脇を石やレンガで縁取りして、最後に溝の中に砕石を埋め込んで踏み固める−−それだけのことだ。こうして、砕石を敷いた白っぽい道の、幅広のものが1本、狭いものが1本、駐車スペースから山荘に向けてV字型に通った。こうすると、石コロだらけの黄色い地面にも、何となく「庭」の面影が感じられてきたから不思議だ。

 私が先に「秩序性」と書いたのは、このV字型の線が通ることで、黄色の地面に或る種の“まとまり”が生まれたことを指す。「V」の字の内側と外側が道によって区分され、さらに「V」の上方にも若干の空間があったから、敷地の北東側に3つの区画が生まれた。それを見ているうちに、3つそれぞれを別の用途に使おうという“発想”が出てきたのだった。道は、純粋に実用上の要請から作られたものだが、その2本の線の視覚的特徴から、実用性とは別のアイディア−−つまり、庭のデザイン−−が生まれてきた。妻と私は、このV字の内側は花壇にしようと決めていたから、そこに各種の花を植えたことはすでに書いた。まだ書いてなかったのは、V字の上方にある土地の用途で、そこには各種のハーブを植えている。ここは、山荘のデッキから一番近いので、料理中にもハーブを取りに行ける。また花壇は、奥行きがありすぎると植物の世話がしにくいと考え、V字型の内側にも小道を作った。

 こんな具合に、私は「実用」と「視覚」の双方の要請にしたがって庭造りを進めていったが、できつつある庭を見て感じたのが、最初に書いた言葉である。「自然の中に庭園はいらない」という私の当初の考えを、私自身が見事に裏切っているのだった。人間は「自然」を求めているようでいて、「自然」だけでは満足しないようだ。何らかの視覚的秩序を実現しようとして、結局「人工的な自然」を作らざるをえないという奇妙な、矛盾した情熱があるのだろうか。   (谷口 雅宣)

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2002年4月14日 (日)

花壇づくり

 3月29日の本欄で、大泉村の山荘の「黄色い庭」のことを書いたが、この“砂漠”のような不毛の土地も、去年の秋には、一部に客土して花壇をつくり始めていた。今日は妻と娘を伴って山荘に来ているが、その時妻の植えたスイセンとラッパズイセンが、この庭の隅で可憐な花を咲かせていた。1~2ヶ月前、東京の家の庭で咲いたものより小さい花で、植物自体の背も低い。しかし、このほかに花をつけた草が周囲にほとんど見当たらないこの地では、それだけでも我々の心を豊かにしてくれる。花にはそういう力がある。この作りかけの花壇には、スイセンの隣にチューリップも植えてあるが、こちらの方は緑の葉と茎を伸ばしているだけで、花はまだ蕾の状態だった。

 前日の土曜日に、妻は中央道の長坂インター近くにあるホームセンターで、色とりどりの花をつけた数種類の園芸種の植物を買った。それを植えるために花壇のスペースを広げるのが、今日の私の仕事だった。4月5日の本欄にも書いたが、私はこういう“外来”の園芸種を山荘の庭に持ち込むことに一抹の疑念をもっていた。この土地の人も言っていたが、外からわざわざ植物を持ち込まなくても、この地に適した植物は付近にたくさん生えているのだから、2~3年もすれば、鳥や風が運んできた種から成長した植物で、庭の格好は充分つく。問題は、山荘を建てた人間が「それまで待てない」ということなのだ。

 こうして、人間の好む種類の植物が、山の中にどんどん入っていく。そういう植物が山の生態系にどのような影響を与えるかは、簡単に予想できるものではない。だから、山荘の住人に新しい植物を「持ち込むべきか」「持ち込むべきでないか」と聞いたら、きっとその人は前者を答えるほかはないだろう。なぜなら、そもそも山荘を建てたのは、山の生態系を守るためではなく、「自分の好み」をその場所に見出したからだ。その「自分の好み」をさらに徹底させるために庭を造るのである。生態系のことが気になっていても、“自然”を優先させるならば、そもそも山荘など建てるべきではない。だから山荘の住人は、いろいろ矛盾を感じたとしても「自分の好み」を追求することになるのが普通だ。

 しかし、そうは言っても「いったん始めたことは極限までやるべきだ」という運動選手のような論理は考えものだ。それは、「いったんタバコを吸い始めたら、肺ガンで死ぬまで吸い続けるべきだ」という論理と似ている。ニコチンの麻薬的作用と花の好みを同列に扱うのは問題かもしれないが、何事もゴリ押しはいけない。そもそも山荘を建てたのは、自分の知らない環境に魅力を感じたからなのだから、その周囲を、自分の知っている植物ばかりで埋めつくすのは無意味である。できるだけ、その土地のものを活かして使うのが本道だろう。いや、「使う」という考え方が、そもそも問題なのかもしれない。その土地の生物が本来の力を発揮して伸びることが自分の好みにも一致するような、人間と自然との“共存点”--幸せなバランス--を見出すべきなのだ。

 ところで、こんなことを考えたのは妻が花を買い、花壇に花を植えてしまった後のことだった。彼女が娘と相談しながらホームセンターで花々を物色していた時、私は別の場所でサクラの苗木が売っていないか探していた。理由は、やはり人間本位だ。この時、大泉村の低地ではサクラがちょうど満開で、その美しさを翌年、あるいは数年後に山荘近くに再現したいと考えたからだ。実は今も、山荘の南側デッキの真ん前に、ヤマザクラの木が1本ある。しかし、その木は、カラマツの森の中で日照を競い合って生きてきたから、ひょろ長く伸びており、花の咲く枝は頭上高くにある。私は、もっと首の疲れない位置に、白いサクラ(ヤマザクラ)ではなく、ピンクがかったサクラの花を見たいと思ったのである。人間は実に、自分勝手な考え方をするものである。

 妻が前日に買った花は、パンジー、ブルー・デージー、エスコルチア、アレナリア・モンタナ、そしてルピナスだった。全部がカタカナの名前だから、これらの花の“お里”は推して知るべしである。私は、この日の午前中、山荘の黄色い庭の東側の一角に鍬を入れ、石だらけの土を掘り返し、フルイで細かい土を残した後、山荘の薪ストーブから出た灰を土に混ぜ、さらに東京から運んできた腐葉土を混ぜ合わせて、花壇を6平方メートルほど延長した。東京の腐葉土は、家の庭の落葉を集めて2年ほど腐らせたものだ。だから、この中には東京の庭にある植物の種や虫の卵、幼虫、ミミズも入っている。こうして“東京の自然”と“外国の自然”の一部が大泉の山に移植され、これからは現地の自然との“共存点”を探していくことになる。   (谷口 雅宣)

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2001年12月25日 (火)

木から出た男

 山荘での生活はテレビも新聞もなく、村まで降りていくには車が必要だ。隣の大学教授の山荘にも人はいないようだから、まさに“山の孤島”である。そんな中で鳥の声を聞きながら薪割りなどをしていると、燃やす予定の木の幹や枝が、何か語りかけてくるような気がする。「ボクは、燃やす以外の用途にも使えるんだヨ」「ワタシは、厳しい環境の中でも優美に育ったのよ」……。自然の木は、様々な形や模様を見せてくれるから、その多様性を利用して、昔から人間は木工を行ってきた。それに樹木は、大気中の炭素をしっかり固定しているから、それを燃やさずに使っているかぎり地球温暖化の原因にならない。こんな理由もあって、今回私は絵筆をとらずに、彫刻刀を握って、家から運んできた太目の枝を相手に、木工をすることにした。

 子供がまだ小さい頃、私は粘土で絵本やアニメの主人公を作ったことがある。アンパンマンやノンタンや、物語の『エルマーとリュウ』に出てくる竜などだ。平面的な絵から立体を作ることは、いかにも何かを創るようで充実感がある。だが、人マネは本当の創造ではない。そこで、ゼロから何ができるかに挑戦してみる気になった。考えてみたら、私はまだ木彫りでオリジナルな立体を作ったことはなかった。まあ、練習のつもりで、ごく簡単なものができればいい、と思った。人間は環境が変われば、変わったことをしたくなるものなのか。</P>
<P> 目のつまった堅い枝を削りながら、縄文時代の人間もこんなことをしたのだろうと思った。最近の研究によると、彼ら狩猟・採取生活者は、豊かな自然環境の中では生活必需品を製作する時間以外にも自由な時間を結構もっていたらしい。だから、工芸品も制作しただろう。細工用には、もっと柔らかい木を使ったのかもしれない。弥生人だったら、堅い木は、農作業や土木作業の道具にもしたのだろう。金属の刃物が発明されるまでは、きっと堅い木の細工は難事だったに違いない。それにしても、この木は堅い。電動ヤスリを使えば、もっと簡単に成形できるのに……。こんなとりとめのないことを考えながら夜、薪ストーブの前で木を削っていると、体はほてり汗ばんでくる。昼間も、南向きの窓のそばで、指先に力を入れて木を削る。そして、ゆるやかに湾曲した枝から、人の頭のような形が現われてきた。人間はやはり、人間自身に関心があるという証拠なのか。それとも、木に宿る生命力を表現しようとしたら、「人間の顔」になったということか。自分が作るものなのに、自分の気持が判然としないまま、形だけが整ってきた。

 形ができたので、アクリル系の水性塗料で色を塗ることにした。肌色を塗り、茶色で眉と髪の毛を描き、唇、目へと進む。どこかで見たような顔になった。今、世界中が行方を追っているオサマ・ビン某という男をつかまえて、無理矢理ヒゲをそったらこんな顔か? いや、そんなヤツよりは人相がいいはずだ。では、自分の顔に似ているのか、と考えてみるが、顔が長いし、鼻も高すぎる。私の心から出たのではなく、むしろ“木から勝手に出た男”という感じの、不思議な存在である。   (谷口 雅宣)

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2001年11月15日 (木)

コート・ハンガー

11月15日:「コート・ハンガー」

 休日の木曜日なので、また大泉村へ行った。もう紅葉は終っているかと思ったが、低地はまだ十分美しさが楽しめる。カラマツの橙色の紅葉はそろそろ終り、イチョウが黄金色に輝いていた。この日から中央道の長坂インター近くにDIY店「Jマート」がオープンしたので、まずそこを覗いた。日用品で不足しているものと、それから冬場に欠かせないコート類を玄関に掛けるためのコート・ハンガーを買うつもりだった。Jマートは調布店などでは、その類のものが豊富に売られていたが、こちらの店では、開店早々ということもあったのか、品ぞろえが少なかった。妻は、コート・ハンガーの上に化粧棚が付いた形のものを探していたが、それは気に入ったものがない。こういうセットは数千円するので、勢い慎重になる。そこで、ドアの取っ手のような円形のコート・ハンガーそのものを4つ買った。こちらは1個280円なので、4つ買っても1000円ちょっとだ。

 問題は、この型のコート・ハンガーを取り付けるためには、壁の表からではなく、裏からネジを埋め込まねばならない点だ。すでに壁に張ってある板をはがすわけにはいかないから、細長い別の板の裏からネジを埋め込み、その板全体を壁に固定すればいいと思った。これに使う板は、廃材が利用できる。実は、山荘の納戸の中には、建築に使った材木の余りがいくつか置いてある。大工さんに頼んで、残しておいてもらったものだ。その中から、幅10cm、厚さ3cmぐらいの材木を切って、コート・ハンガーを取り付けようと思った。

 山荘に着いて道具箱を開き、木工に必要なものを調べてみると、買ってきたコート・ハンガーに付いている木ネジの長さが、材木の厚さに比べ不足していることに気がついた。つまり、材木の裏からこのネジを締めても、表側に出るネジの長さが十分でないので、コート・ハンガーをしっかり固定するだけの強度が期待できないのである。また、この「3cm強」という材木の厚さは、これを玄関の板壁に固定する際にも分厚すぎた。言い換えれば、買い置きの木ネジの長さが足りないのである。山を降りて、適当な材料を再び買いに行くこともできたが、それは「省エネ、省資源」の原則にも反したし、時間ももったいなかった。

 問題を解決してくれたのは、電動ドリルだった。ネジの長さに対して板が厚すぎる場合は、ネジを締める部分の板に円筒形の溝を掘って、板の厚さを事実上薄くしてしまえばいい。また、ネジを締めた後にこの穴を埋めてしまえば、ネジの頭を隠せるから、見栄えも美しい。この電動ドリルは、ドライバーとも兼用できるもので、過去に1回使っただけだが、この日はこうして大活躍することになった。私はこの木工作業をしながら、文明の利器の有り難さをしみじみ感じていた。そして、薪をつくるときに機械(チェーンソー)を使わないとした論理(11月7日付本欄)が、ここではどうも通用しないことが分かったのである。

(谷口 雅宣)

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2001年11月13日 (火)

京都議定書を応援しよう

 世界最大のエネルギー消費国・アメリカが参加を拒否したため存続が危ぶまれていた、地球温暖化防止のための京都議定書の運用ルールで参加国間の合意が成立し、いよいよ条約発効にむけて国際的機運が高まってきたことは喜ばしいことだ。小泉首相を本部長とする政府の地球温暖化対策推進本部は、12日に条約の批准を来年に行う方針を決め、次期通常国会で批准承認を求めるという。しかし、条約で義務づけられた温室効果ガス削減の目標達成は容易ではない。日本は、2008年から2012年の5年間で、温室効果ガスの排出量を1990年の時点に比べ、平均で6%減らさなければならない。現状は、二酸化炭素を例にとると、99年度の産業部門の排出量が90年度比で0.8%増えており、民生部門は17%増で、運輸部門にいたっては23%も超過している。これをあと数年で90年のレベルにもどし、さらにそこから6%削減することが2008年までに求められているのだ。

 産業部門のこれまでの努力は特筆に価するが、議定書批准に反対などせずに今後も努力を続けてほしい。問題は、我々一般人のエネルギーの浪費だと思う。我々は「民生」と「運輸」の分野でもっと本腰を入れて省エネ、省資源、再利用可能な新エネルギーの利用を推進しなければならない。本欄でも、私の生活上の“ケチケチ作戦”をいくつか紹介してきたが、今後も読者の皆さんのお知恵を拝借しながら、この地球規模の問題解決に積極的に参加したいと考えている。生長の家も環境方針を策定し、太陽光発電の導入やISO14001の取得を全国的に展開しつつあることは心強い。

 最近、私が時々公用で使わせてもらっている生長の家本部の公用2号車を更新していただいた。2,000ccのニッサン・セドリック・ブロアムの走行距離が7万キロとなり、車検切れが近づいたからだ。車種選定のとき意見を求められたので、低公害車4種の中から最も燃費のいい車種を希望した。それが結局、トヨタのプリウス(1,500cc)ということになった。データを比べていただきたい:

   車 種 名             燃費消費率      希望小売価格
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 トヨタ クラウン マイルドハイブリッド     13.0 km/l     \ 3,970,000
 トヨタ プリウス               29.0          2,180,000
 ニッサン ブルーバード シルフィ       16.0            1,844,000
 ニッサンセドリック改造天然ガス車   (10.3 km/Nm3)     6,030,000
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 別にトヨタをひいきしているわけではないが、数値で比べると現在、燃費の良さでこの車と並ぶような性能のものは他社にない。燃料電池車はまだ開発途上であり、インフラも整っていない。というわけで、先日、導入していただいたハイブリッド車に乗せてもらった。この車種に乗るのは初めてではないが、やはり低速走行時の(電気自動車としての)静かさはいい。信号待ちの時は、エンストしてしまったのかと錯覚する。車内の広さは、このクラスの乗用車としてはゆったりとしており、問題はない。いつかぜひ、ハンドルを握ってみたいと思っている。

(谷口 雅宣) 

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2001年11月 7日 (水)

薪づくり

 また、大泉村の山荘に来ている。標高1200mの高地にあるので、周辺の紅葉はほぼ終わっていて、まだ葉の残ったカラマツが金色の三角帽子を天高く掲げている姿が、青空と常緑樹の間に際立っている。朝の気温は0℃で、一面に霜が降りる。前夜は薪ストーブの火のつきが悪かったので、寒さが身にしみた。薪は、山を降りたところにある村のショッピング・センターで一束600円で売っている。それは一晩もつかどうかの量で、暖房費としてはかなり高価だ。そんなこともあって、東京の家の庭で台風などで落ちた枝や枯れ枝を適当な長さに切り、半年前から保管しておいた。それを何回にも分けて車で運んで来て、山荘の軒下に積み上げておいた。しかし、この薪は長さが50cmぐらいあるものが多く、薪ストーブに入れるには長すぎた。また、量的にも不安が残る。だから、明るい間にもっと使い勝手のいい長さの薪をつくっておこうと思った。

 薪は、山荘周辺の森で調達できる。もちろん、人サマの土地の立木を勝手に伐採することはできない。しかし、周辺のカラマツ林には倒木がいくらでもある。実際、山荘のすぐ近くにも直径25cmほどのクリの木が2本倒れている。長さが10m以上あるヒョロ長い木だ。こういう木は、カラマツを植林した後に自然に生えてきたものだろう。間伐などをせず、植林後の手入れが行き届いていないと、森の木は太陽の光を葉で受けようと互いに競争して、ヒョロヒョロと高く伸びる。そんなところに家を建てるために森を切り開くと、それまで隣り合った樹冠(枝が広がって幹の上に冠状になった部分)同士で支え合っていた木が、支えを失ってしまう。そんな時、強風などで伸びすぎた木が倒れることがある。だから、倒れたクリの木は2本とも、ほとんど真っ直ぐな幹をしている。このうち1本を、40cmほどの長さの薪にしようと思った。

 チェーンソーがあれば、わけのない作業だろう。しかし、それがない今は、持っている普通のノコギリでカットするほかはない。低くなった太陽の光を背に受けながら、午後5時ごろからノコギリを引きはじめ、小一時間かけて25本の薪をつくった。チェーンソーがあれば10分ぐらいでできるのだろう。そんなことが頭をよぎった。が、思い直して、さわやかなクリの木の香を嗅ぎつつ、全身を使ってノコギリを引く作業に熱中した。そして、その原始的な手ごたえを味わいながら、こんなことを考えた。

 --自分は今、このクリという植物が何年もかけて大気中から収集した炭素の固まりを切っている。燃やして暖をとるためだ。これと同じことを大規模でやれば、森林破壊となり、温暖化が深刻化する。しかし暖をとらねば、人間が0℃の夜を無事に過ごすことは困難だ。だから、せめて森の“余剰分”と思われる倒木だけを利用させてもらう。量的には、それで十分だ。それに、手引きのノコギリを使えば、1回にちょうどそれぐらいの量しか薪は作れない。チェーンソーがあったら、どうだったろうか? 作業効率はグンと上がるから、必要以上に薪をつくってしまうか、あるいは作業を短時間ですませて家にもどれる。楽な作業かもしれないが、そんな時、このクリの木の一生のことを考えるだろうか? 節を避けて木を切るために、木の表面をよく観察するだろうか? クリの木肌に注意したり、香りをじっくり味わうだろうか?--そんなことを考えてみると、不便さや苦労の中には、効率とは別の価値がしっかり詰まっているのだと思った。

(谷口 雅宣)

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2001年11月 1日 (木)

ニガクリタケ

 休日なので、また妻と大泉村へ行った。先週はチャナメツムタケをいっぱい採ったが、妻も私も今日はクリタケを是非、採りたいと思っていた。クリタケは、我々の山荘の裏の森で採れると、山荘の建設の際に世話になった不動産会社の人が言っていたが、晩秋に出てくると聞いていた。標高1200mの山では11月は晩秋だろうと思い、今日に期待していたのだ。実際に先週、キノコに詳しいレストランの主人が、その日に採ったというクリタケの実物を見せてくれた。特徴的なキノコなので、生えていればきっと自分でも分かると思った。

 9時半ごろ大泉村に着き、まず天女山の山頂まで車で行った。ここの駐車場の脇に続く林に、キノコがよく出ると聞いていたからだ。探してみるとチャナメツムタケがいくつか見つかったが、クリタケはなかった。その後、村へもどり先週、チャナメをいっぱい採った林に入った。ここにもチャナメはあったが、クリタケはなかった。先週採ったチャナメは、佃煮にしたのが家にまだ少し残っていたが、残量が少なくなっていたので頂戴することにした。そのあと山荘へ行き、森の中を妻と二人で探索した。しかし、チャナメはいっぱい採れたのだが、やはりクリタケを見つけることはできなかった。

 クリタケは、カサの直径が3~8cmで、クリの実を思わせる色の三角帽子の形をしている。ジクは時にマツタケのように太くなるものがあるそうで、ものの本によると「柄の肉はかたく締まっていて歯切れがよく、癖のない風味できわめてよいだしが出る」とある。シメジのように密生して生えるのが、豪華に見える。山荘の裏の森にはクリの木も多くあるので当初、クリタケも多いかと思ったが、その本によると、このキノコの生えている場所は「広葉樹の枯幹、倒木、切株に多数束生する」と書いてある。だから、クリタケの「クリ」は「クリの木に生える」という意味ではなく、「クリの実に似ている」という意味らしい。

 キノコ採りは午前で切り上げたが、午後2時半ごろ、山荘の東側の隣地を歩いていて、驚いた。そこは他人の別荘地だが、カラマツなどの高木を取り除いただけで、まだ家も庭もできていない。直射日光の当たる開かれた土地に、雑草が腰の高さほどに伸びてきていた。その土地の真ん中あたりに、切り倒したカラマツの切株がいくつもあるのだが、その一つの根元に500円玉ぐらいの大きさの、黄褐色のカサを広げたキノコが密生していた。一瞬、クリタケかと思ったが、クリタケはレンガ色なのに比べ、このキノコは黄色が強いし、形が平べったい。妻は「これはニガクリタケよ」と言う。私もそう思ったが、念のために本に載っている写真と比べてみた。彼女は正しかった。

 ニガクリタケは、クリタケに比べて黄色が強いだけでなく、カサの下側が黒ずんでいる。ものの本では赤丸印が3つ並んだ「猛毒」の部類に入っていて、「食後6~8時間後、舌がピリピリし、激しい嘔吐、けいれん、意識不明になる」といい、小さい子供は死亡することがあると書いてある。自然界では、有害と無害をしっかり判別し、気を引き締めて生きていかなければならないのだ。

(谷口 雅宣)

【参考文献】今関六也、大谷吉雄、本郷次雄編著『日本のきのこ』(山と渓谷社、1988年)

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2001年10月25日 (木)

チャナメツムタケ

 休日の木曜日なので、いつものように妻と二人で大泉村の山荘へと車を走らせた。このところ朝7時半ぐらいに家を出て、2時間の旅程で9時半ごろには山荘へ着くスケジュールが定着した。朝食は車内でサンドイッチをかじる。普通は中央道の長坂インターから出て、まっすぐに山荘へ行くのだが、今日は山荘から1キロぐらい手前の、道路脇の林の中で車を止めた。ここを通るとよく車が1~2台止まっていて、その様子から、どうもキノコ採りに来ているように見えたので、私たちも今日はここを通過せずに、林の中の様子を見てみようということになっていた。地元の人の話では、そこらあたりにキノコが多いと聞いたからだ。山荘周辺の森では、そのあとゆっくりと探せばいいと考えていた。

 その林はカラマツを主体として、そのほかサクラやクリの木が混じっていた。倒木も結構あって、キノコはそういう倒木の陰や近くによく生えている。そういう所へ行くと早速、直径10センチほどの薄茶色のカサを広げたキノコが2~3個ある。山荘の周りで見かけない種類で、カサの外縁部の色は薄いが、中心部にいくにつれて茶色が濃くなるグラデーションが美しい。カサのすぐ下の軸は細いが、土に近づくにつれて太くなり、土に埋まっている部分はポッコリ球状になっている。注意深く根元から取り、カラマツの枯葉が混じった土を取り除いて、腰につけたビニール袋に入れる。倒木の反対側にも、同じ種類のキノコがいくつも見える。妻も近くで同じものを見つけて、「いっぱいあるけど、毒なんじゃないの」などと言っている。私は、たとい毒のあるキノコでも名前を知っておけば、後から役に立つと思ったので、生えているものの中で、まだ新しそうなものは全部採取した。その場所から少し移動したところにも、やはり同じ種類のキノコがいくつも生えていて「採りきれない」と思った。

 道路に近いこんな場所でこれほど採れるなら、山の奥の山荘近くではもっといろんなキノコがあるかもしれないと思い、私たちはその場では20本ほど採って切り上げた。しかし、山荘周辺を小一時間歩いたが、期待していたほどキノコはなく、あったとしても小さいもの、食べられないものが多かった。また、道路脇の林に生えていたのと同じ種類のものが、そこにもポツポツと顔を出していた。結構な量が採れたが、収穫物の名前も知らないのではもったいないと考えた二人は、野生種のキノコを使ったスパゲッティーを出しているレストランの人に、教えを乞うことにした。昼用の弁当は持ってきていたのだが、それは別の機会に消費することにして、レストランでスパゲッティーを食べて“お客”になれば、きっと教えてくれると思った。

「これはチャナメツムタケ」--レストランのテーブルに座り、注文もそこそこで持ってきたものを見せると、顎ヒゲをたくわえたレストランの主人は即座にキノコの名前を言った。この辺ではよく採れて、ナメコのようにぬめりがあって美味しいのだという。私たちは顔を見合わせた。大当たりだったのだ。ものの本には、このキノコは「汁物にはナメコ以上にこくのあるうま味が出る」とか「ゴマ油や醤油との相性もいい」と書いてある。東京へ帰ってから、妻は佃煮用、マリネ用、汁物用に料理した。

(谷口 雅宣)

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2001年10月23日 (火)

父の誕生日

 今日は父の誕生日なので、わが家恒例のディナー・パーティーに父母を招待した。とは言っても、私達家族5人と父母を合わせた7人で夕食を共にするだけの質素なパーティーである。一人暮らしをしている大学生の息子2人も来て、久しぶりの一家の顔合わせでもある。食事は午後6時からだったが、料理人の私は、午後4時ごろ帰宅して妻と二人で準備を始めた。分担は、私がメインの寿司作り、妻は副菜の「福袋と紅葉麩・ホウレンソウの炊き合わせ」と「五目野菜のキノコ汁」を作った。父は海苔巻が好きなので、2種類の太巻を計4本と、あとは色取りのいいマグロ、サーモン、ブリの握りということになった。

 わが家で海苔巻をする時は、たいてい太巻の「旭巻」というのを作る。これは、もう4~5年前になると思うが、私が生長の家の講習会で小樽市へ行った時、小樽の寿司屋通りにある「旭寿司」で食べた太巻のことだ。それがあまり美味しかったので、巻物の中身をメモに書いて持ち帰り、家で作ってみたら、皆の評判も上々だったもの。以来、わが家の定番となった。中に入っているのは、マグロの中落ち、イカ、海藻、キウリ、オオバ、それにガリ(甘酢ショウガ)である。これらをたっぷり入れて、しっかりと巻く。すると歯ごたえのいい、複雑な味わいの寿司となる。ポイントは、マグロの柔らかさとキウリやガリの歯ごたえのコントラストだろう。もう一種類の太巻は、カニ足、アボガド、キウリ、オオバで作った。こちらは、カリフォルニア・ロールの亜種である。

 大学1年の二男と高校2年の娘が5時半ごろから助っ人に入り、寸前まで授業があった大学3年の長男は、食事開始の6時を数分回って駆けつけた。男の子二人は毎月の仕送りがあまり多くないので、不足分はアルバイトで補っている。だから、普段は寿司などあまり口にできない。そして、家に来ると「この時」とばかりよく食べるのである。今回もそれを見込んで7人分の寿司のために5合の米を炊いたが、あれよあれよという間に寿司は消えた。寿司に使った残りの魚肉も、きれいになくなった。これだけ食べてくれれば、作り甲斐があるというものだ。

 夕食後に、父へ贈り物を渡した。私たち夫婦は、父が最近買って使い始めたニコンのデジタルカメラ用の記憶装置(コンパクト・フラッシュカード)を贈り、子供たちは文庫本用の皮製ブックカバーを贈った。父が最近、島崎藤村の『夜明け前』を文庫本で読んでいることなど、子供たちは知るはずがないだろうが、よく考えた贈り物だと思った。もしかしたら、母の助言があったのかもしれないと思って彼女の顔を見てみたが、その笑顔からは解答は読み取れなかった。

(谷口 雅宣)

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2001年10月11日 (木)

ベニテングタケ

 休日の木曜日だったので、父母をわが山荘に招待した。これは、前日の10日に79回目の誕生日を迎えた母への、お祝いのつもりでもあった。父母は今年の6月末、山荘が8割方完成した時に一度、案内したことがあったが、完成後の様子を見てもらうのはこれが初めてだ。我々は、朝の7時半前には東京の自宅を車で出て中央道へ向かい、朝食は妻の作ったサンドイッチを車内でほおばった。途中、目的の長坂インターとのちょうど中間地点にある談合坂のサービス・エリアで“用足し”のために下車、私はそこでハンドルを妻に譲って車内でゆっくりと新聞を読んだ。山荘のある山梨県大泉村までは、ざっと2時間で着く。朝の東京は曇り空だったが、八王子を過ぎると晴天となり、小仏トンネルを抜けると霧の中、少し行くとまた晴れ、笹子トンネルを抜けるとまた霧となり、双葉から晴れ、長坂では青空が広がっていた。

 大泉村は標高千メートルほどの高地にあるから、我々は紅葉を期待していたのだが、まだ始まったばかりという感じだった。それでもウルシやツタ、イタヤカエデなどは見事な赤色に変わっている。我々は村の緑化センターの前に止まって、早い紅葉を眺めたり写真に撮ったりした後、山荘へ行った。前日の雨で山道に水が流れ、過度な凹凸ができていないか気になっていたが、心配していたほどではなかった。前回山荘に行った時にキノコを採った話を書いたが、私と妻が期待していたのは、前日が雨だったというそのことだった。「雨後のタケノコ」ではないが、キノコは雨の降った翌日に出ることが多い。しかも、この日が休日から離れていて、週末に多く来るキノコ採りの“被害”から、ちょうど森が快復した頃だと思われたからである。11時前から山荘の裏の森に二人で入り、半時間ほどでハナイグチを20本以上採った。

 森はしっとりと湿り、前年に降り積もったと思われるカラマツの落葉でふかふかになっている。そんな中を枯れ枝を踏み折りながら進んでいくと、カラマツの根元や倒木の陰に、直径5~10センチの鮮やかな黄褐色のカサを開いたハナイグチが1本、2本と出ている。軸はしっかりと充実していて、マツタケ並みに太いものもあるから、それを大地から持ち上げる際には、頼もしい抵抗感がある。そんな原始的な感動に浸っているうちに、私は木の根元の落葉の陰に、目の覚めるような赤いカサを突き出したキノコを見つけた。私は、これはベニハナイグチかタマゴタケではないかと心を躍らせた。この2つは食用であり、特に後者は卵のような味がして美味しいという。しかし、後で山荘にもどり、持ってきたキノコの図鑑などを妻と見ながらよく調べてみると、これはあの有名なベニテングタケの“子ども”であるとの結論に達した。このキノコは「有毒だが致命的ではない」と書いてあった。

 キノコは、いかにも美味しそうに見えるものが食べられなかったり、グロテスクのものが美味しかったり、さらには美味しいものが有毒だったりする。以前、キノコ・スパゲッティーをメニューに出しているレストランの人が言っていた「美味しさの成分と毒の成分は同じなんですよ」という言葉を思い出す。我々が生きるこの人生の“味”とも似通っていると思いませんか?(谷口 雅宣)

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