タバコをやめよう
史上で初めて、健康に関して国家間で本格的な取り決めを結ぼうとする「タバコ規制枠組み条約」の第3回政府間交渉が、28日にジュネーブで終了した。世界保健機関(WHO)加盟の191ヶ国が集まって論点の整理を進めた結果、タバコの自動販売機設置を原則的に禁止する方向で意見が集約しつつある、と昨日の『朝日新聞』夕刊が伝えていた。“タバコ推進派”の勢力が強く、自販機が野放し状態の日本は、「禁止」ではなく「制限」にとどめようと主張しているらしいが、アメリカも条件付きで「禁止」を支持したので、苦しい立場に立たされているそうだ。日本ではタバコの「広告」もほとんど野放し状態だが、この交渉ではこれを「禁止」するか「適切な制限」を加える方向でまとまりつつあるという。わが国は、この分野でもまだ意識が遅れているようだ。
その中で、日本医師会が“タバコ有害論”を唱えるようになったことは、当然のことながら喜ばしい。また、タバコ増税が検討されている点は評価したい。一説では現在、タバコからの税収が年間約2兆円なのに対し、タバコ関連の医療費を含む社会全体の損失は約3兆2千億円という。つまり、タバコの販売によって、一部企業は儲かっていても日本国民全体は損失を被っているわけだ。公共の場での禁煙措置は、鉄道の四分の三が禁煙車両で航空機は全面禁煙になるなど広がっているが、そのあおりを食ったためか、駅から出て歩く人々が一斉にタバコに火をつけて歩行喫煙をする姿を、私は毎朝目にしている。そして当然のごとく、吸った残りを路上に捨てる。東京・渋谷区の「ポイ捨て禁止条例」など全く無視されている。
私は、大学時代からタバコを吸いだした。動機は得に意識しなかった。周囲の人間が吸っているので「ああ、そうか」と思って「セブンスター」を吸い始めた。当時それが人気で、私としてもデザインが気に入ったからだった。しかし、今考えてみると、この「何となく吸いだす」というのが問題だと思う。この行動は「理由がない」のではなく、「理由を意識できない」のである。当時私が好きだった男性俳優のほとんどすべてが、映画の中でタバコを吸った。それが「カッコイイ」ことだと、若い私のナイーブな潜在意識は信じきっていた。また「タバコは大人の証拠」という古い観念にも染まっていた。小説にも漫画にも広告にも、タバコの吸殻をカッコヨク捨てる様子が描かれていた。さらには、「タバコを吸えば太らない」などいう間違った情報が若者の間に流布していた。つまり、カッコシイと無知から吸い始めるのであり、このことは今日の若者も同じだろう。
だから、今日の大人は、自分の知ったことを若者に教えねばならない。自分の犯した過ちを「オレもやったからいいや」と思わずに、「オレがやって間違っていたからだめだ」と言えるのは、大人しかいない。そういう意味で、和歌山県教育委員会が来年4月から、県内すべての公立小中高校の敷地内での禁煙を決定したことは、正しい判断だと思う。小関洋治・県教育長は「未成年の喫煙は中高生から小学生まで広がっている。従来の分煙では周囲の人の受動喫煙は防げない。禁煙は教育の最重点事項で、教育効果も極めて大きい」と述べたという。教育者でなくとも、同じメッセージは伝えられる。旧ビートルズで最年少のジョージ・ハリソンが29日、喉頭ガンで亡くなった。58歳の死は早すぎるが、彼はヘビースモーカーだった。(谷口 雅宣)
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