アフガン最前線
生長の家講習会のため神戸市のホテルで朝を迎えた。朝食後に部屋にもどり、新聞を開きながらテレビから流れているニュースを聞くともなく聞いていた。イギリスのBBCのワールド・ニュースをやっていたが、アフガニスタン入りしたジョン・シンプソン記者が、タリバンと北部同盟の両軍が対峙する最前線の状況を報告している映像が出てきたので、思わず引きつけられた。今回のアフガンでの戦争は、湾岸戦争の時とは異なり、実際の前線からの具体的なナマの情報がほとんど伝えられない。伝えられるのは、米軍が何ヶ所爆撃したとか、何回出撃したとか、どの町が攻撃されたとかいう、人間の痛みや悲しみを取り除いた後の無味乾燥な数字や名前がほとんどだ。また、湾岸戦争時と同じような、米爆撃機からの誘導爆弾で破壊されるタリバン側の建物や戦車等のコンピューター映像も、繰り返して報道される。これも、破壊で死ぬ人の声も、苦しむ人の姿も見えず、まるでテレビゲームのようだ。
そして、映像のない新聞の報道はもっと抽象的で、「今日の攻撃は、いつもより激しかった」とか「今日は米軍は○○○○を集中攻撃した」などという曖昧な表現の情報が多い。今日付の『日本経済新聞』にも「カブールでは26日から27日にかけて過去最大級の攻撃を展開。27日にはカブール北方のタリバン軍拠点などに30発以上の爆弾を相次いで投下し、住宅街の近くにも着弾した」などと、数字をつなぎ合わせた記事が載っている。我々は、そういう記事の「過去最大級」とか「相次いで投下し」とか「住宅街の近くにも着弾」などという言葉に驚いて、米軍の猛烈な爆撃でタリバンは大損害をうけているだけでなく、一般のアフガン市民にも大勢の犠牲者が出ているなどと想像しがちだ。
ところが、シンプソン記者の伝える“最前線”なるものは、砲弾が飛び交ったり、肉弾戦が行われたり、絨毯爆撃によってタリバン側の前線部隊が大打撃を受けるなどの様子は、いっさいないのである。日没前のひと時、25℃の気温の中、風もなく、爆撃も散発的にしか行われない。それも高高度から進入してくる1~2機の米爆撃機の銀翼が、澄んだ青空の中に小さく見え、それに対する高射砲の応戦もない中で、地上でいくつか小爆発が起こり、小型のキノコ雲があそこに一つ、向こうに一つと散発的に浮かぶ。北部同盟の兵士たちは、その様子を余裕をもって雑談しながら眺めている。しかも、その北部同盟の司令官の解説では、目の前にあるタリバンの前線基地は攻撃されず、後方支援のトラックや戦車が狙い撃ち式に破壊されているというのだ。つまり、米軍はタリバンの主力を叩くことは避け、周辺部を散発的に攻撃しているのだ。考えてみれば、「過去最大級の攻撃」なのに落下した爆弾の数が「30発以上」(つまり39発以下)というのも奇妙である。15分間に1発というペースでも、10時間続ければ40発になるのだ。
戦争は、戦闘や爆撃で死傷した兵士や市民にとっては確かに悲惨なものだが、政治目的のために手加減をしながら行われる戦争もあるようだ。ブッシュ大統領が最近「タリバンは手強い(タフだ)」と言ったことを思い出して不思議な気持がする。こっちが本気を出さないでいて「手強い」もないだろうと思う。この戦争では(そして、その他の戦争でも)、我々一般人には、何かが“反転”して伝えられているような気がする。
宿泊先のホテルにあった液体石鹸の容器を、黒い色の紙の上に描いてみた。絵全体が“反転”したような不思議な効果が出た。
(谷口 雅宣)
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