2002年7月14日 (日)

アメリカの菜食主義?

 アメリカの時事週刊誌『タイム』が7月15日号(アジア版)で「菜食主義」の特集を組んだので、少し驚いた。アメリカほど肉食が盛んな国はあまりないと考えていたからだが、最近のこの国の傾向はそうでないことを、この記事は教えてくれるいるようだ。題して「我々は菜食主義者になるべきか?」

 記事中には、いろいろと面白い情報が含まれている−−「多くの人にとって肉は不愉快な食べ物である。それは、牛肉消費に関わる添加物や病気のせいというのではなく、次第に多くのアメリカ人−−特に若者たちが、昔だったらその親が衝撃を受けるような行動をとりはじめているからである。つまり、彼らは野菜や穀物、それに植物の新芽を食べているのだ。」同誌が今年4月に行った1万人調査から推計すると、今や「自分は菜食主義を実行している」と考えるアメリカ人は1千万人に及び、かつてそうだったと考える人は2千万人に達しているという。

 菜食主義が流行する理由はいくつもあるが、その一つは「汝、殺すなかれ」の教えの復権である。といっても、アメリカ人が急に信仰的になったのではなく、『ベイブ』とか『Chicken Run』(走れニワトリ!)という動物を主人公とした映画の影響も大きいらしい。記事によると、「菜食主義は、食においても善行する機会を提供することで、良心的な人の内的矛盾を解決してくれる。肉食をやめ、命を救おう、というわけだ」。そして、その“尖兵”は、大人というよりは子供たちらしい。

 今のアメリカのティーンエージャーの四分の一は、菜食主義を「カッコイイ」と感じているそうだ。また、アリゾナ州立大学の心理学教授らが行った調査では、学生たちは「サラダ好きの人」は「ステーキ好き」の人よりも倫理的で、徳が高く、親切な人間だと考えているという。ペンシルバニア大学の教授の話では、「今の子供たちは、菜食が普通に行われ、それが健康上、エコロジー上の理由で公に推奨される文化の中で生きる、最初の世代である」そうだ。また、興味あることに、今日のアメリカ人の子供たちは、親に教えられて菜食になるだけでなく、多くの場合、早い時期に自分の意志でそれを選ぶという。記事によると、「それ(菜食主義の選択)は、しばしば彼らの最初の親への反抗である」らしい。

 さて、私自身は“四つ足”(哺乳動物)の肉を食べないが、魚貝類や乳製品、卵、それに鶏肉までは食べる。だから「菜食主義」とは呼べないだろう。菜食主義にもいろいろな段階があるらしく、厳格なものから順番に挙げると:

  「新芽食主義 sproutarianism」
  「果実食主義 fruitarianism」
  「生食主義 raw foodims」
  「野菜・果実・穀物食主義 veganism」
  「卵・菜食食主義 ovo-vegetarianism」
  「乳製品・菜食主義 lacto-vegetarianism」
  「卵・乳製品菜食食主義 ovo-lacto-vegitarianism」
  「魚貝・鶏肉・準菜食主義 pesco-, pollo-, and semi-vegetarianism」

 という8段階があるらしい。最後の分類が、私の場合に該当する。これだけ種類があると、どれにすべきか迷ってしまうが、『タイム』誌の推薦は、栄養の問題を考えると、乳製品・菜食主義以降が健康の面で比較的“安全”であるという。

 私は以前、“四つ足”の肉を食べない理由の一つは「環境への悪影響を避ける」ためだとどこかに書いたが、それについてこの記事は、コーネル大学の生態学者、デビッド・ピメンテル博士がはじき出した次のような数字を挙げている:「カロリーの面から言うと、アメリカ国内の家畜に与る穀物を人に回せば、8億人が養えるし、これを輸出すれば、年間800億ドルの収入となる」「穀物を食べる家畜や家禽は、その肉1キロ当たり10万リットルの水を消費するが、大豆1キロの生産に必要な水の消費量はわずか2000リットルである」「家畜や家禽を育てて動物性蛋白質を得るのに必要な化石エネルギーは、同じ量の植物性蛋白質を得るのに必要な化石エネルギーの8倍である」。また、「アメリカ国内の家畜や家禽の消費する穀物の量は、アメリカ人全体の穀物消費量の5倍である」そして、きわめつけは「アメリカ国内の家畜と家禽の数は、アメリカの人口の25倍である」。

 ところで、最初に挙げたアメリカの菜食主義者の数の「1千万」とか「2千万」という数字は、その正確さは保証できない。というのは、その数字の元となった1万人調査では、回答者の4%が自分を菜食主義者と見なしたのに対し、そのうちの57%の人は自分のことを「準菜食主義者」と規定したからだ。また、自分を菜食主義と見なした人の36%は、卵・乳製品・菜食主義であると回答した。だから、卵、乳製品、魚貝、鶏肉も食べない純粋な菜食主義者は残りの7%(つまり、人口全体の0.28%)になる。2000年のアメリカ合衆国の国勢調査ではアメリカの人口は2億8142万人だから、純粋な菜食主義者の推定値は「79万人」ほどになる。この程度の数字だったら、私の当初の印象はそれほどズレていなかったことになる。   (谷口 雅宣)

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2002年2月14日 (木)

義理チョコ

 今日は「バレンタインデー」ということになっている。もともとは宗教的な意義をもった欧米での習慣を、日本の菓子メーカーがうまく利用して一大イベントに仕立て上げたのが、この日だ。私がそういうことを何も知らなかった若い頃は、「今年は誰からチョコレートをもらえるだろうか……」と、不安と期待に胸をときめかせる日だった。一年に一度だけ、女性から男性に愛の告白ができる日。しかもその愛は、甘いチョコレートの衣を着てやってくる--実にうまく考えた仕掛けである。ところが、その後の展開は奇妙な方向に向かった。まず“義理チョコ”なるものが登場して、チョコレートに込められた“愛”は限りなく薄められた。さらに女性から男性への告白も、「一年に一度」などと悠長なことをいっている女性は激減し、今はかなり頻繁に行われているらしい。

“義理チョコ”の登場でチョコレートの販売量は急増したかもしれないが、もうらう側にとっては、チョコレートの価値は相対的に急減したはずだ。そんな時、女性が本当に愛を告白する場合、バレンタインデーであってもチョコレートなど贈らずに、別のものを贈るか、あるいはシリアスな顔でストレートに相手に言う時代になってきているようだ。聞くところによると、近頃は愛を告白することを「コクる」と言い、女子高生がコクることも珍しくないそうだ。

 ここ一週間ほど、ラジオの朝の英語学習番組で“義理チョコ”のことを取り上げている。「贈物」についての日本と欧米の考え方の違いを示しているようで、興味をもって聞いていた。番組中の英会話に、こういうやりとりが出てくるのだ(記憶によるので、少々脚色あり)--

日本女性「バレンタインデーが近いので、チョコレートをいっぱい買わなくちゃならなくて、もう大変!」
米国男性「そんなに大変なら、本当にあげたい人にだけ1個か2個買えばいいじゃないか」
日本女性「バカなこと言わないで。そんなことしたら、本当は誰にあげたいか分かっちゃうわ」
米国男性「その目的で贈るんだと思ってたけど……」
日本女性「同じ種類のチョコレートで、数をそろえてあげるんだから、楽じゃないのよ」
米国男性「上等なチョコを本命の人にあげて、あとは安いのにすれば?」
日本女性「それじゃ、本当は誰が好きかすぐ分かっちゃうじゃないの」
米国男性「ええっ? ああ、日本のバレンタインデーは分からない!」

 このやりとりから考えると、今の日本の若い女性は、バレンタインデーには“本命”の男性にも“その他大勢”の男性にも、同じ種類のチョコレートをあげるということになる。なぜそうするかというと、本命にだけあげるのでは露骨すぎて恥ずかしい。しかし、本命にあげないことには、本来の目的は達成できない。また、あげない人がスネたり、自分に冷たくする事態はできるだけ避けたい。そこで、“その他大勢”をカモフラージュとして使い、ワーッと一斉に同じ種類をあげれば、傷つく人もいないし、本命も発覚しない--ということは、やはり日本では、チョコレートは「愛の告白」のために贈るのではなく、「周囲との関係」を円滑にするために贈るということなのだろうか。

 ところで、高校2年の私の娘は、数日前からチョコレートを材料にしてクッキーを作っていた。焼いたクッキーを1枚ずつ、クッション用に細く切った薄紙とともに透明のセロファン袋に入れ、袋の口を色付きの留金でとめる。こういう手のこんだ包装を、せっせと約30個のクッキーにほどこした。凝り性なのは誰に似たのかと思う。そして、そのうち一つを今日、私にくれた。「これは義理チョコか?」と一瞬思ったが、素直に笑顔で受け取った。また、今日は休日で職場へ行かなかったが、前日に職場で「ひと足先に……」と言って、私にチョコレートをくれた女性がいた。その時、彼女は「これは“感謝チョコ”です」と言葉を添えた。この楽しいネーミングを、私は気に入っている。   (谷口 雅宣)

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2001年10月23日 (火)

父の誕生日

 今日は父の誕生日なので、わが家恒例のディナー・パーティーに父母を招待した。とは言っても、私達家族5人と父母を合わせた7人で夕食を共にするだけの質素なパーティーである。一人暮らしをしている大学生の息子2人も来て、久しぶりの一家の顔合わせでもある。食事は午後6時からだったが、料理人の私は、午後4時ごろ帰宅して妻と二人で準備を始めた。分担は、私がメインの寿司作り、妻は副菜の「福袋と紅葉麩・ホウレンソウの炊き合わせ」と「五目野菜のキノコ汁」を作った。父は海苔巻が好きなので、2種類の太巻を計4本と、あとは色取りのいいマグロ、サーモン、ブリの握りということになった。

 わが家で海苔巻をする時は、たいてい太巻の「旭巻」というのを作る。これは、もう4~5年前になると思うが、私が生長の家の講習会で小樽市へ行った時、小樽の寿司屋通りにある「旭寿司」で食べた太巻のことだ。それがあまり美味しかったので、巻物の中身をメモに書いて持ち帰り、家で作ってみたら、皆の評判も上々だったもの。以来、わが家の定番となった。中に入っているのは、マグロの中落ち、イカ、海藻、キウリ、オオバ、それにガリ(甘酢ショウガ)である。これらをたっぷり入れて、しっかりと巻く。すると歯ごたえのいい、複雑な味わいの寿司となる。ポイントは、マグロの柔らかさとキウリやガリの歯ごたえのコントラストだろう。もう一種類の太巻は、カニ足、アボガド、キウリ、オオバで作った。こちらは、カリフォルニア・ロールの亜種である。

 大学1年の二男と高校2年の娘が5時半ごろから助っ人に入り、寸前まで授業があった大学3年の長男は、食事開始の6時を数分回って駆けつけた。男の子二人は毎月の仕送りがあまり多くないので、不足分はアルバイトで補っている。だから、普段は寿司などあまり口にできない。そして、家に来ると「この時」とばかりよく食べるのである。今回もそれを見込んで7人分の寿司のために5合の米を炊いたが、あれよあれよという間に寿司は消えた。寿司に使った残りの魚肉も、きれいになくなった。これだけ食べてくれれば、作り甲斐があるというものだ。

 夕食後に、父へ贈り物を渡した。私たち夫婦は、父が最近買って使い始めたニコンのデジタルカメラ用の記憶装置(コンパクト・フラッシュカード)を贈り、子供たちは文庫本用の皮製ブックカバーを贈った。父が最近、島崎藤村の『夜明け前』を文庫本で読んでいることなど、子供たちは知るはずがないだろうが、よく考えた贈り物だと思った。もしかしたら、母の助言があったのかもしれないと思って彼女の顔を見てみたが、その笑顔からは解答は読み取れなかった。

(谷口 雅宣)

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2001年10月17日 (水)

異種の壁

 狂牛病の上陸で混乱する日本では、明日からすべての食肉牛を対象とした狂牛病のスクリーニングが全国117ヵ所の食肉検査場で実施される。その数は年間約130万頭という。この検査に関連して、ツベルクリン反応を思い出させる「陽性」とか「疑陽性」などの言葉が新聞紙上をにぎわせているが、ことほどさように狂牛病の早期発見は難しいようだ。今朝の『朝日新聞』に載った全国世論調査によると、この騒ぎで牛肉を食べる量を減らしている人は全体の34%で、牛肉を食べるのをやめた人は25%に及ぶという。では、その代わり豚や鶏の肉を食べる人が増えているかというと、そうでもない。以前より豚や鶏を多く食べるようになった人は10%で、こういう牛以外の肉を食べるのも減らしている人が8%いるという。結局、日本人の肉の消費量が激減したわけで、牛肉の流通在庫が16日現在で約1万3000トンもダブついているらしい。

 狂牛病が恐れられているのは、感染牛の特定部位にある異常プリオンを人間が食べると、それが人間に感染して、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)という脳がスポンジ状になる病気になって死ぬと考えられているからだ。事実、イギリスでの狂牛病の流行とvCJDの発生との間には明らかな相関関係がある。だから、多くの科学者は「牛→人間」の異常プリオンの感染を今は疑問視していない。しかし、生物学の基本的として、牛と人間のような異種間には“種族の壁”があって、それを越えて同じ病原体が感染することは難しいとする考え方がある。事実、羊に発生する狂牛病に似たスクレイピーという病気は、その肉を食べる人間にも牛にも感染しないと考えられ、また実際にそういうケースは発見されていない。だから、少数の科学者の中には、現在でもこの「牛→人間」の感染を疑問視する人もいる。

 そういう“異端”的な考え方を打ち出した論文がこのほど、こともあろうに狂牛病の発生源であるイギリスの権威ある医学誌『British Medical Journal』(英国医学紀要)に掲載されて、物議をかもし出しているそうだ。これを書いたジョージ・ヴェンターズ博士(George Venters)によると、これまでの狂牛病の研究では、感染牛の肉が人間のvCJDを引き起こすという直接的な証拠は何もないという。もっと具体的に言うと、牛の異常プリオンがvCJDの患者の体内から発見されたケースはないというのである。牛から人間に感染するためには、病原体である異常プリオンは料理の熱に耐え、人間の消化に耐え、さらに人体の免疫系の攻撃にも耐えねばならず、それは不可能だとヴェンターズ博士は言う。さらに同博士によると、もし狂牛病がvCJDの原因ならば、イギリスでは老若男女が牛肉を食べるのだから、若い人だけがvCJDを発病するのはオカシイというのだ。(vCJDの特徴の一つは、比較的若年者に発病すること)

 なかなか論理的で傾聴にあたいする議論のように思うが、今の日本の状態では、論理だけではパニックは鎮まらないかもしれない。ところで、私は「牛肉をもっと食え」というつもりでこれを書いたのではない。肉食には賛成しかねるが、冷静な議論には賛成である。

(谷口 雅宣)

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2001年10月 4日 (木)

ハナイグチ

 休日の木曜日を利用して、妻と2人でまた大泉村の山荘へ行った。先週も行ったが、その時は雨のない週だったから、キノコはロクなものが採れなかった。しかし、今週は月曜日が雨だったから、期待しないわけにはいかなかった。だが、前日の東京での経験から分かるように、火曜、水曜と晴天続きというのは条件が悪い。朝の7時半に東京を出て、約2時間で山荘に着いた。水はけのいい庭の土がまだ湿っているのを見て、これならいけるかもしれないと期待した。私がトイレに行っている間に、妻はキノコ採取用の籠を腰に下げ、私が出てきた時にはもう林の中だった。それから約1時間半、2人は別々に自分たちのやり方でキノコ探しに励んだ。

 私はまず、山荘の北側のカラマツ林をウロウロした。直径3センチ前後の茶色のカサをしたキノコを時々見つけ、採ってビニール袋に入れる。そうこうしている間に、かつて水が流れていたらしい窪地に遭遇したため、「湿気のある所にキノコあり」という原則を思い出して、その流れの跡に沿って東方向に歩いた。窪地には時々倒木や枯枝がかかっているが、それを跨いだりしながら数十メートル行く。カラマツの葉が散り敷いた土地が、たまに棒か何かで突いたように掘り起こされていて、黒い土が見えている。これは動物の足跡で、恐らくシカだ。シカもキノコを食べるのだろうかと思う。シダ類が窪地の底に生えているのをめくってみると、その下から直径5センチほどの白っぽいキノコのカサが現われた。1つだけでなく4つも5つもある。私は興奮してそれを採り、ビニール袋に注意して入れた。ホテイシメジに似ていると思った。

 妻と合流して収穫を自慢したが、私より経験者の彼女の方が一枚上だった。直径10センチぐらいの大型のものを先頭に、美しい橙色のハナイグチを3個採っていた。このキノコは、カラマツ林で採れる代表的なキノコで「ジゴボー」とも呼ばれる。味は“三つ星”クラスだ。午後に2人で再び山へ入ったが、その時に鮮やかな黄色をした小型のキノコが点々と頭を出しているのを妻が見つけ、「こんなのは如何にも毒がありそうね」と言った。私は毒でも名前が憶えられればいいと思い、それを5個採った。数分後に、腰に袋を下げた50代のオジサンと林の中で遭った。如何にも山を知っていそうな人で、足場の悪い所を結構なスピードで歩いている。挨拶をして2、3の言葉を交わした後、採ったばかりの黄色いキノコを出して名前を尋ねた。「ああこれはハナイグチ」と答える。「ええっ!」と驚いたが「まだ子供で、これからカサが開いて大きくなるズラ」と言う。私が採った白っぽいキノコを見せると、「ああこれはダメ。ドクササコ!」と言う。キノコでは、私にはまだまだ修行が必要だ。

(谷口 雅宣)

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2001年10月 3日 (水)

ミョウガ

 先週末から月曜日にかけて雨が降ったため、東京・原宿のわが家の庭にもキノコが出た。名前の分からない小型のものが、ケヤキの木の下の東南向きの落葉の敷かれた斜面などに数種類生える。今まではあまり気にも止めなかったが、山荘へ行くようになってからは毎朝、新聞を取りに門まで行く途中、目で探すようになった。食べられるものが多いということを知ったからだ。今朝もツチグリに似たのを2~3個見つけて喜んだのだが、何せ晴天が2日間続いたので、半分乾燥してしまっていた。ところが、勝手口まで来て付近に目をやると、家の北側の窓の下にミョウガの芽が並んで出ているのに気がついた。夏は、草で覆われていた場所が、秋の到来で見通しがよくなったことと、「キノコ探しの目」で周囲を見ていたことが幸いしたようだ。

 ミョウガは、地上に伸びて葉を茂らせた茎には花はつかず、地下茎から出た花序から直接花が咲く。その薄い黄色の花が咲いているものが5~6個と、まだ開花前の緑色のカニの足のような花序が3~4個出ていた。「これはスゴイ」と思った私は、それを次々と引き抜いた。そこへ隣家に住む母がちょうど来たので、「ミョウガが採れた」と言って並べて見せたが、「ウチでも前に採れたわ」とあまり驚かない。「いくつかいらない?」と聞くと「数はいらないし、花の咲いているのはもう遅いわ」と言って2個だけ受け取ってくれた。妻に見せると一旦は驚いたが、こちらも「数はいらない」と言って4個受け取った。そして曰く--「根こそぎにしちゃいけないのよ」。確かにそうなのだ。キノコにしろ、山菜にしろ、出ているものを全部採ってしまっては、翌年が難しい。自然のものは、自分に必要な分だけ有り難くいただき、余剰分を残しておくことが重要だ。私は、不作のキノコの代りに見つけたミョウガに興奮して、このルールを忘れていた。

 ミョウガは香りがいいので漬物にしたり、汁物に入れたり、カツオのたたきや冷奴と一緒に食べても美味しい。日本では最も古くから栽培されていた野菜の一つで、『延喜式』に栽培の仕方が書いてあるという。食べると物忘れをするという言い伝えから「鈍根草(どんごんそう)」という異名があるが、私はあまりミョウガを食べていないのに、最近は物忘れをするようになったから、これは俗説に違いない。

(谷口 雅宣)

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2001年9月20日 (木)

キノコ採り

 休日だったので大泉村の山荘へ行った。秋はキノコの季節である。私は、庭の整備のためクワとシャベルで肉体労働をしたが、その間、妻はブヨから身を護るため帽子、セーター、ズボン、ゴム長靴で“完全武装”をし、籠を抱えて林の中に入っていった。約1時間半後にもどってきた彼女の籠の中には、いろいろな形の薄茶色のキノコが十数個入っていた。「期待していたのに、ちょっとしかなかった」と言うのである。

 今の季節に山にキノコがないわけではないから、「食べられそうなのがない」という意味である。もう1ヵ月も前に、山荘のすぐ近くの林の日当たりのいい場所に、明るい茶色のカサを広げたのがニョキニョキと出ているのを見つけた。現地の人に聞いてみると「これは白ジゴボーだ」という。正式の名前は「シロヌメリイグチ」といい、食用になる。「だから」と期待して探したのに……というわけである。

 キノコは植物ではなく、カビと同じ菌類である。私は最初、このことの意味をあまり理解していなかった。「カビと同じ」といっても、キノコとカビでは“大きさ”がひどく違うと思った。しかし、この理解は間違っていて、普通我々が「キノコ」と呼んでいる「軸の上にカサがついたもの」は、この菌類の本来の姿ではない。キノコは、カビと似た大きさの菌類(大部分は担子菌類)が、特別の条件が整った時に大型の「子実体」という菌の集合体を形成したものを指す。だから、キノコが全く生えていない土地にも、キノコを生じる菌類は多数生息しているわけである。  そう考えると、山に生える数多くの種類のキノコは、人の集団が一糸乱れぬ動作をした時に現われる“マスゲーム”の模様のように、大量の菌の細胞たちが一糸乱れぬ共同動作で生み出した“作品”だと言えるだろう。いったい何者がその指示を出し、菌たちはどうやって互いに連絡し合うのか、などと考えてしまう。秋の山では、菌類の“体育祭”が大々的に行われているのだ。

 ところで、妻の採ったキノコの中に、濃い茶色で軸がスラッと伸びた優美な形のものが混じっていた。いかにも食べられそうに見えたが、専門家に聞いてみると、これは「ニガイグチ」といって、苦くて食用にならないそうだ。

(谷口 雅宣)

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2001年9月11日 (火)

狂牛病の上陸

 「災いは忘れたころに……」とはよく言うが、ヨーロッパを震撼させた狂牛病が、ついに日本に上陸したようだ。報道によると、8月6日に千葉県内の酪農家の飼っていた5歳の乳牛が、狂牛病のような症状で殺されたため、死因の調査が行われた。当初は「陰性」の結果が出たものの、9月6日に別の検査のため脳などの組織が送られ、10日に「陽性」の反応が確認されたという。だから、台風15号の上陸と同時期の発表になったのは、恐らく偶然だろう。

 この問題については本欄でも3回ほど書いている。6月22日には、EUが各国の狂牛病発生の危険度を調べた報告書を出そうとしたのを、日本の農水省が猛反発したため、日本には触れなかったことを書いた。理由は、「日本国民に不必要な不安を抱かせないため」だった。この報告書では、狂牛病発生の危険度を5段階に評価し、当時すでに病気が発生していたイギリスやオランダが「5」と「4」、フランスは「3」、オーストラリアやアメリカは危険度はほとんどないとされた。そして日本は、最近まで英国やオランダなどから生牛や牛肉、骨肉粉などの飼料を輸入していたから、危険度は「3」に評価されるはずだった。オーストラリアとアメリカには、まだ狂牛病は発生していないから、EUの報告書は結局、農水省の判断より正しかったと言えまいか?

 感染の疑いのある牛は、1996年に北海道で人工授精で生まれ、2歳の時に千葉県に売られたといい、この北海道時代の1998年までに、汚染していた「肉骨粉」を餌として食べた可能性が指摘されている。この「肉骨粉」というのは、死んだ牛の体で食肉用に使えないような“くず肉”を捨てずに、安価な蛋白源として家畜の飼料に使っていたもので、牛の脳や神経や骨の一部なども混ざっている。ここに病原物質とされる異常プリオンが含まれていた場合、一定の潜伏期間を経て発病すると考えられている。だから、この病気は人間がつくったものと言っていい。つまり、草食動物である牛に自分たちの体の一部を餌として与え、“共食い”を強いたところから生じたものだ。

 人間は、これまで何億年もの進化の過程を経て成立している自然の秩序を、自分本位の考えで勝手に変えることをしてきたが、その一つの結果がこの狂牛病である。私はこの夏、生長の家の講習会のため北海道へも行ったが、その際に訪れた牧場では、広大な敷地を牛の群れが草を食みながら移動していくのを見た。こちらが牛の鳴き声をまねると、耳を立てて立ち止まり、寄ってきたりする。そのあどけない表情と人なつっこさは、目の前の人間が、いずれ自分を殺して食べることなど思いも及ばないことを示している。狂牛病の発生を機会に、肉食から遠ざかってみては如何だろうか?

(谷口 雅宣)

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2001年8月19日 (日)

イチジク

 東京のわが家の庭では、今年はイチジクの実がほとんどならなかった。というのは、伸びすぎて形が悪くなった木を、初夏に剪定してもらったからだ。その時に、芽のついた枝もだいぶ伐ってしまったようだ。それでも小さい実がいくつかついたので、妻はその中で一番大きい直径4cm、長さ5cmくらいの実を1個、先週末に採って冷蔵庫にしまった。イチジクは「無花果」と書くように、花など咲かないのに、知らぬ間に実がひょっこりできているので、不思議だ。

 東京のスーパーや果物屋には今、愛知県産の大きなイチジクが並んでいるが、盂蘭盆のお祭りで京都の宇治市に来ると、それに負けないほど大きく、直径も長さも7~8cmある、紫色に熟れたイチジクをいただいた。聞くと、隣の城陽市が産地だという。薄甘い上品な味と、噛むと小さな粒々がつぶれる感触が口の中でかすかにする。朝食時にそれが話題になると、母が「絵に描きますか?」と半ば迫るように言った。私は、昨年同じ時期に宇治に来た時も、イチジクを絵に描いた記憶があるので、本当は別のものを描きたいと思っていたが、「どうしようかなと思ってるんだけど……」といい加減な返事をした。すると、食後に3~4個のイチジクが部屋に届けられて、放っておけなくなった。

 イチジクは、実は世界最古の栽培果樹だという。原産地はトルコかアラビア南部とされていて、紀元前2000年ころからイスラエルなど地中海沿岸地方に広く栽培されたらしい。聖書の『創世記』に、アダムとイブが神の言いつけに背いて“知恵の木の実”を食べた後、自分たちが裸なのを知って「イチジクの葉をつづり合わせて、腰に巻いた」と書いてあるのは有名だ。だから、「エデンの園」にもイチジクはあったことになる。日本には、17世紀前半に長崎から入ったという。「花が咲かないで実ができる」と書いたが、厳密に言うと、“実”のように見えているのは、「花托」という「花の付け根」の部分で、そこが卵型に肥大化して“実”のように見えるものの内側に、多数の花(花弁はない)が密生している。つまり、イチジクの“実”の中にある薄桃色の無数の細い突起が、シベなのだ。なかなかスゴイ構造ではないか。

 イチジクの受精は、この植物に寄生するイチジクコバチが“実”の中に出入りすることで行われるという。ところが、日本の気候ではこのハチが育たないらしい。どうやって殖やすのかと思うが、挿し木によるとしたら、日本のイチジクは皆クローンということになる。 

(谷口 雅宣)

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2001年6月 7日 (木)

あまった寿司

 休日の夕食のために、久しぶりに寿司を握った。このところ色々な理由で寿司作りから遠ざかっていたので、忘れかけていたことを思い出しながらの“思い出し握り”だった。おかげで、小さいチョンボをいくつかやった。まず第一に、つくる量が多すぎた。第二に、シャリに混ぜる酢の量がやや多かった。第三に、ネタの切り方を間違えたものがあった。量が多すぎた理由は、かつては我が家は5人家族だったが、息子2人が大学進学で家を出ていった分、炊く米の量を減らす計算を間違ったからだ。出ていった2人が、残りの3人を上回る量を食べていたのを忘れていた。

 私は特別、料理好きというわけではない。自分でできるメニューの数などごく微々たるものだ。しかし、寿司を握るのはなぜか楽しい。両手をフルに動かして、何か小さな作品を一所懸命に作った子供の頃の記憶と重なるからかもしれない。これを始めたのは、今大学3年の長男が家にいた時からだから、寿司を握りだして4年ぐらいになる。始めた当初は、休日の木曜日がくるたびに毎週握っていたから、かなり凝り性だったと思う。しかし、これが続くと家計にも響くし、私の栄養のバランスに若干問題が出た。もちろん妻は、私が寿司を握っている横で、野菜を使った副采を作ってくれる。しかし、マグロなどの赤身の魚はプリン体を多く含み、これをとり過ぎると高尿酸血症(痛風)になることがある。私も、血液中の尿酸値が増えたので、やむをえず寿司を食べる機会を減らすことにしたのだった。

 そんな中で、今日は突然、先日講習会で行った石川県の生長の家の方々から新鮮な魚をたくさん送っていただいたので、久々の握り寿司となった。ネタとしてタイ、アマダイ、キス、アマエビ、イカを使った。私は魚を捌くのはまだ下手だから、酢飯作りと、妻の捌いた魚を切って寿司にするところだけが担当だ。息子2人がまだ家にいた頃は、大型の皿3枚分の量を握ったものだが、今日は大皿1枚分の寿司でも食べきれなかった。食後、余った寿司をどうするかという話となり、「クール宅急便で息子達に送ろう」とか「隣家へ持って行こう」とか「ネコにあげよう」などの案が出たものの結局、余った分は翌日に3人が協力して消費することになった。余った寿司を見ながら、遠慮なく食べてくれる子供のいる有り難さが初めてわかった。

(谷口 雅宣)

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