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2002年8月18日 (日)

信仰と環境保全

 世界の気候に異常な変化が起こっている−−最近の気象関係のニュースを注目している人は、きっとそう感じているだろう。『朝日新聞』の「天声人語」も『産経新聞』の「産経抄」も、今日付の紙面でこの問題を取り上げた。ヨーロッパの大洪水ばかりでなく、中国でも、南アジアでも大規模な水害が発生している。その反面、北アメリカでは日照りが続き、各地での森林火災の拡大が心配されている。ドイツの環境相のように、地球温暖化による被害がいよいよ深刻になってきたと考えるのが普通だろう。

 私は5月の生長の家の全国大会で地球環境問題を取り上げ、地球上の生物は皆「神において一体である」という宗教的信念を人々の間にもっと広めていかねば、この問題はどんどん悪化するし、根本的な解決はできないことを訴えた。しかし、世界情勢はご覧の通りで、「地球上の生物」を同類と見るどころか、同じ「人類」の中でも、“悪の枢軸”を早く撃滅しなければならないとするようなものの見方が、一向になくならない。アメリカだけのことではない。アラブとイスラエル、インドとパキスタンのように歴史的に対立している国々が、戦闘や軍備拡充に頭脳やエネルギーを注入していて、地球環境問題から顔を背けている。その他の国にも、隣国の経済力や軍事力が“脅威”だと叫ぶ人々もいる。確かにそういう種類の“脅威”もあるかもしれないが、人類の生き方が−−とりわけ先進諸国に住む我々の生活スタイルが−−人類自身に脅威を与えていることの方が、もっと深刻な問題ではないだろうか。

 宗教は地球環境問題などに関わらずに、もっと宗教本来の「神」や「信仰」の問題を説くべきであるという忠告を最近、ある人からいただいた。環境問題などは、普通の人が常識で判断できるのだから、宗教がわざわざ取り上げるほどのものではない、とその人は言うのである。私にはこういう意見がよく分からない。人が何かを強く信じることが「信仰」であるならば、その人の信仰は、必ず生活の上に具体的に表現されるだろう。「信じてはいるが何もしない」というのは、信じているのではなく、単に「知っている」だけである。「神は愛なり」との信仰をもっている人は、愛なる神が何でもしてくれるから、自分は子も親も友人も愛さないというのではなく、その愛なる神の御心に従って、家族や友人だけでなく、見知らぬ人々にも愛を「実践する」はずである。

 先進国に住む人間にとっての地球環境問題は、エネルギー浪費型の我々の生活スタイルに問題があることを認め、その犠牲者を減らす方向に我々の生活習慣を改めるという「実践」を求めるものだと思う。自分の生活スタイルが途上国に犠牲者を生んでいることを知りながら、それを一向に改めないのでは、愛なる神を「知っている」かもしれないが「信仰している」とは言えない。だから信仰者は、日常的で些細と思われることにも注目し、自分の生活の中でどの部分を改めれば、浪費するエネルギーの量を減らすことができるかを考えるべきである。特に神を信仰していない人々も今日ではそれをするのであるから、まして信仰者がそれをしないというわけにはいかないだろう。

 そういう考え方のもとに、宗教法人「生長の家」は昨年夏、“環境ISO”とも呼ばれる「ISO14001」の認定を、日本の宗教界では初めて取得した。この認定は、一度取得したらそれですむのではなく、毎年、第三者機関によって国際基準に基づいた厳しい審査を受け、基準に達していない場合は認定を取り消されることもある。そして今年からは、生長の家は日本各地の教化部に於いても、次々にこの認定を取得している。こういう目立たない、地道な努力は、思いつきや気まぐれでは続けることは不可能であり、個人レベルでの「意識の変革」があって初めて永続性のあるものとなる。だから、信仰にもとづいた地球環境保全運動が今求められているのである。

 もちろん「法人」や「団体」のレベルだけでなく、個人生活の上でも、我々は自分にできるところから生活スタイルの変革を行うべきだろう。自分のことを言うのは気がひけるが、私は、自宅に太陽光発電装置を設置してもう4年になるし、森林を破壊して家畜を養うムダを減らすために“四つ足”の肉を食べなくなって4〜5年になる。錆びの出た旧式のオーブン・トースターを使っていることは妻がどこかに書いたし、電気釜は買ってから15〜16年であり、洗濯機はもっと古く2回修理して使っている。今年の夏は自宅に冷房を入れたことはなく、事務所の私の部屋では1回だけエアコンのスイッチを入れた。こういうことは、妻や子供の理解と協力がなければとてもできない。

 これで地球温暖化が止まるなどとは決して思っていないが、もっと大勢の人々に意識変革が起こり、それが生活態度や消費行動に反映していけば、必ず大きな変化となる。こういう“グラスルート”での行動の変化なくして、地球環境問題の解決はないと私は考える。読者はどう思われるだろうか?   (谷口 雅宣)

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