« ラヴェンダー・スティック | トップページ | ブルーベリー »

2002年6月28日 (金)

神の下の国

 今日付の『朝日新聞』によると、サンフランシスコの連邦控訴裁判所が26日に、アメリカ各地の学校で行われている星条旗に対する忠誠の誓いの言葉の中に「神の下の国」(one nation under God)とあるのは、政教分離を規定した合衆国憲法に違反するとの判断を下したという。判決によると、この誓いの言葉の中に「神の下」とあるのは、「イエスの下」とか「ビシュヌ神の下」とか「ゼウスの下」とか「何の神の下にもない」というのと同じように、宗教的に中立ではないから、これを学校で子どもに言わせるのは正しくないのだという。

 これに対し、ワシントンのアメリカ連邦議会上院は同日、宣誓は合憲で問題ないとする決議を全会一致で採択し、何人もの下院議員が議会前に集まってこの誓いの言葉を唱え、「神の祝福あれ」の歌を歌ったという。また、フライシャー大統領報道官によると、ブッシュ大統領もこの判決を「ばかげている(ridiculous)」と批判したという。

 同日付の英文紙『ヘラルド朝日』は、これについてのニューヨークタイムズの記事を掲載しているが、それによると、もしこの判決が確定すれば、サンフランシスコ連邦控訴裁判所の管轄下にあるアメリカ西部の9つの州(アラスカ、アリゾナ、カリフォルニア、ハワイ、アイダホ、モンタナ、ネバダ、オレゴン、ワシントン)では、星条旗への忠誠の誓いの言葉を学校で唱えることが禁じられることになるらしい。しかし、法律家たちの予想では、この判決は控訴されれば覆される可能性が高いという。

 この裁判は、無神論者の医師、マイケル・ニューダウという人が、カリフォルニアの州都サクラメント近郊の小学校に通う娘のために起こしたものだ。1943年の連邦最高裁判所の判決以来、子供たちはこの誓いの言葉を強制的に言わされることはないのだが、ニューダウ氏の言い分は、州の経営する学校内で、州職員である教師の先導により、「神が存在する」こと、そして「自分たちの国は神の下に一つである」ことを宣言する儀式を見せられ、聞かされたから、娘の憲法上の権利が傷つけられたというのである。

 同じ記事によると、この「神の下の国」という言葉の「under God」の部分は、冷戦初期の1954年、連邦議会が無神論の共産主義を掲げるソ連陣営に対抗する目的で付け加えられたもので、判決はこのことに触れ、そのような目的は、政府が他の宗教を犠牲にして特定の宗教を認可あるいは推進することだけでなく、無神論を犠牲にして特定の宗教を擁護することも禁じる合衆国憲法修正第一条の規定に違反する、とした。

 しかし、これとの関係で思い出すのは、アメリカの紙幣や貨幣に「In God We Trust」(我々は神を信ず)と印刷してあることで、これについては1984年、連邦最高裁判所は、この言葉は「繰り返して使われてきたため、宗教的意味は失われている」と判断したそうだ。「神の下の国」という語が誓いの言葉の中に使われ始めてからもう半世紀近くたっているが、「半世紀」では、まだ宗教的意味は失われていないということなのだろうか。何だか納得できない理由づけである。

 それより私が気になるのは、この判決が「神(God)」という言葉を固有名詞として捉えている点である。「神の下の国」(one nation under God)という表現を公立学校で使わせるのがいけない理由は、「イエスの下の国」とか「ビシュヌ神の下の国」とか「ゼウスの下の国」という表現を使わせるのがいけないのと同じで、特定の宗教を国が擁護したり推進したりすることになるから−−というのである。つまり、「イエス」や「ビシュヌ神」や「ゼウス」と同等の相対的な存在として「神」を捉えているのである。法律家は、この程度の神の理解で仕方がないのかもしれないが、もう少し深みのある理由づけをしてほしかったと思う。

 拙訳『叡知の学校』(日本教文社刊)の中には、「感覚によって神を知ろうとすれば、擬人的な投影、つまり人間の姿をした神を作りだすことになる」という注意書きがあり、そして「宇宙の創造主である神は、いかなる人間の想像や表現も超えた偉大なもの」として描かれている。そういう考え方をすれば、イエスやビシュヌ神やゼウスは、それぞれの文化から生じた神の“擬人的投影”であるから、“応化神”として同等であると言える。しかし、それらが応化し来る“元”の「神」は唯一絶対の存在であるから、すべての存在(実在)は「神の下」にあると言える。だから、「神の下の国」とは「神の国」のことである。それに忠誠を誓うことは結局、「イエスの下の国」にも「ビシュヌ神の下の国」にも「ゼウスの下の国」にも忠誠を誓うことになる−−こういう説明をしたいところだが、理解してくれる人がどれだけいるかは疑問である。

 今回の判決は、連邦最高裁判所までいって覆されるという予測が支配的だが、その際、どのような判決理由が述べられるのか興味のあるところだ。 (谷口 雅宣)

|

« ラヴェンダー・スティック | トップページ | ブルーベリー »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 神の下の国:

« ラヴェンダー・スティック | トップページ | ブルーベリー »