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2002年4月 5日 (金)

鳥の飛行路

 森の木を切り倒した結果“砂漠化”が起こることは、目で見てはっきりと分かる影響である。しかし、森の中に家を建てれば、人間の目には見えないところでも、きっと数多くの影響が周囲の生態系に及んでいるはずだ。我々は「山荘が一軒建ったぐらいで……」と考えがちだが、家が一軒建つためには、基礎工事用の重機や建材を運ぶための道路を通さねばならず、また電気や水道を引くための工事が行われるから、建築現場以外の場所でも多くの木が倒され、表土が掘り返され、砂利が持ち込まれる。加えて造園が行われれば、客土とともに新しい虫や菌類や植物の種が持ち込まれるだろう。また植栽により、その土地にはなかった動植物が(時には海外から)移植される可能性もある。

 こういう生態系への影響は、ある程度までのものならば、自然のもつ“回復力”によって元通りに修復されるか、あるいはしばらくの期間、生態系が撹乱された後に新しい秩序に到達して安定する。しかし、その「ある程度」の人間の介入が、実際どの程度のものなのかは恐らく誰にも分からない。だから、私の山荘が建ったことで、大泉村周辺の生態系にどの程度の影響が与えられるのかは全く不明である。その影響が、自然の回復力の範囲内にあることを私は願っている。しかし、想像するに、きっと山荘を建てるすべての人が、私と同じ願いをもちながら木を切り倒し、土を掘り返し、その地にはない植物や動物を持ち込むのだ。これは、自然の回復力にボディーブローを打ち込みつつあるということであり、私の“一発”が他の人の“一発”より罪が軽いわけではないのである。

 2001年8月上旬、妻と私は、建ったばかりの山荘に満を持して1週間以上滞在したが、そんなある日の朝、薄く霧のかかった大気を吸い込みながらデッキに出た時のことだった--

 朝の八ヶ岳南麓は、鳥の声で満ちていた。

 といっても、様々な種類の鳥が声が交じり合った音ではなく、ヒガラの声だけが、空や山のいたるところから聞こえてくるのだった。その一音一音は、グランドピアノの最高音よりなお高い周波数だったが、決して耳障りではない澄み切った声だった。それが、周囲の森の全面から、互いに呼び交わすような掛け合いとなって響き、遠くの霧の中に吸い込まれていくのである。そんな音に、しばしうっとりとして耳を傾けていると、遠くでJR小海線の2両編成の列車が走る音がコトコトとリズミカルに聞こえだし、やがてそれも小さくなって消えていく。

 八ヶ岳の山荘に来てもう5日目になるが、朝からデッキの上に出てゆっくりできるのは、これが初めてだった。前日まで、朝は雨が降っていたか、深い霧に包まれていたから、デッキの上のテーブルや椅子はびしょ濡れだった。しかし、その朝は、久し振りに椅子の上が乾いていた。私は椅子に腰かけ、両足を前に伸ばして空を見上げた。

 鳥の声は、ゆっくりと打ち寄せる波に似ていた。

 鳥たちは、朝の山では単独行動をしているのではなく、集団で森を巡っているらしかった。目を閉じて耳をすませていると、ある時は、同じ声の掛け合いが輪唱のようなハーモニーをつくって押し寄せてくるかと思うと、しばらくすると、波が引くようにその声は消えていき、その代わりに、別の鳥の呼び声が前面に押し出て聞こえてくるのである。そして、その呼び声に応えるかのように、同じ鳴き声が、遠方の森からも聞こえてきたりする。

 ヒガラは全長が10センチ前後で、スズメやシジュウカラより小型の鳥だ。尾はシジュウカラより短く、主翼は灰青色、頭が黒く、目から嘴にかけて顔の横にも黒い線が走り、頬から喉にかけてと、腹は白いが、胸にワンポイントの黒い印をつけている。その小鳥が、人間がいることを気にすることなく、デッキの脇に立つヤマザクラやダンコウバイの木の枝に来たり、デッキの手すりに止まったりする。その時、低音の唸るような音を出すのに私は気がついた。この鳥は、体が小さいくせに妙に低い声を出す、と私は最初思った。しかし、よく観察していると、それは、この鳥が飛び立つ時、その短い翼が高速に振動して空気を揺らす音だった。

 小鳥たちは、山荘近くの木に飛んでくると、垂直に立つ幹の側面を上下方向に、いかにも軽々と移動しながら、そこで見つけた子虫を素早くつつき、2~3回それを繰り返したかと思うと、ピーピーという高音を残して、別の木に移動していく。デッキの上に舞い降りた鳥は、板の隙間にいるらしい小虫をついばんでいるのだった。

 突然、目の前を小石のような影が横切ったかと思うと、山荘の居間のガラス戸にぶつかって鈍い音をさせた。見ると、この鳥がデッキの上で白い腹を見せて、仰向きになってもがいているのだった。脳震盪を起こして体のバランス感覚を失っているようだ。私は、そのうちに快復して立ち直るだろうと思って見ていたが、その鳥はデッキに張った板の間の溝に片足をひっかけて、立ち上がれそうもない。そこで私はこの鳥を両手ですくい上げて、頭だけ出す格好で手の中に包んであげた。鳥は、少しの間、足を動かして抵抗する様子だったが、やがて静かになった。何事が起こったのかまだ理解しない様子で、目だけ盛んに動かしている。その小さな生物の体温を手の中に感じながら、私はなぜか幸せな気持になっていた。

 それは偶然、労せずして小鳥を手に入れたからではなく、この小動物が私を敵と思わず、大人しく身を任せてくれたことに対する感動だった。10分間ほど、そうして手の中で鳥を暖めながら、私は時々、親指で鳥の頭をなでで、早く快復することを祈った。そして1度、テーブルの上に鳥を下ろしてみた。鳥は、体を傾かせた姿勢で足を踏ん張っている。どうも、まだ左足に力が入っていない様子だ。そこで私は、再び鳥を取り上げて両手で包み、山荘のデッキの上をゆっくりとした歩調で歩いた。仲間の鳥たちは、私の近くにある木々の小枝をまだ揺らしており、その短い高音の鳴き声に反応するかのように、手の中の鳥は頭と目を、空のあちこちに向けるのが分かった。

 さらに15分くらいして、私は手の中で、鳥に自分の人差し指をつかませてみた。すると、ややぎこちない調子だったが、鳥の左足も私の指をつかむ力があることが分かった。そこで片手を鳥から離すと、鳥は逃げもせずに私の指につかまっている。私が椅子から立ち上がろうとしたとたん、例のブルブルッという音をさせて鳥は飛び立ち、すぐ近くのヤマザクラの幹に頭を下に向けた姿勢で止まった。そこは、私より一メートルほど高い位置にあるので、下向きになった鳥は、私から見ると、こちらを向いているように見えるのである。その姿勢で、鳥はさらに10分ほど同じ位置にじっとしていた。そして時々、あの高音の鳴き声を発するようになった。さらに5分ほどすると、鳥は姿勢を変え、木の幹を軽快に2メートルほど登り、今度は空に顔を向けて鳴きだした。「ああ、これで快復したな」と私は思いながら、少し寂しい気持で鳥を眺めた。仲間からはぐれないうちに、飛び立ってほしいと思った。

 装丁家で、随筆家でもある荒川じんぺい氏の本の中にも、鳥が窓ガラスにぶつかる話が出てくる。私は最初、鳥は「ガラス」という無色透明の物質を知らないために、家の中に飛び込もうとして衝突するのだと解釈していた。しかし、荒川氏によると、明るい空と暗い室内の間にガラスがあれば、そのガラスは室内の様子を隠して、空を映すのである。だから鳥は、空がまだ続いていると思って飛行速度を緩めずにガラスに激突してしまうのだ。当たり所が悪ければ、脳震盪ではすまずに死んでしまうだろう。荒川氏は、そんな不幸な小鳥の死骸を、建てたばかりの自分の山小屋のベランダで何回も見つけたという。そして、その原因は「山小屋が、鳥たちの飛行コースを塞いでいた」からだと結論づけている。

 私の目の前で起こったことも、それと同じだったかもしれない。幸いなことに、私は山荘のデッキで気を失っている鳥を見たのは、これが最初であり、7ヶ月たった今も、まだ2回目を見ていない。ヒガラは集団で山を移動するそうだが、あの時以来、私の山荘の上を移動するのをやめたのかもしれない。本当のところは分からないが、私たちは山荘を出る時は、用心も兼ねて、いつもガラスの内側のカーテンは下ろすことにしている。(谷口 雅宣)

【参考文献】
・ 荒川じんぺい著『週末は森に棲んで』(講談社、1994年)  

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