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2001年12月29日 (土)

今年を振り返って (2)

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2001年12月27日 (木)

今年を振り返って (1)

 何かアッという間に年末になってしまった気がする。平成13年、2001年という年を振り返って、私的な感想を何回かに分けて述べてみようと思う。ちょうど昨日、本欄の文章の半年分をまとめた『小閑雑感 Part 1』(世界聖典普及協会刊)という本ができ上がった。ちょうど「日記」のように、私の私的足跡を記録した本になった。本欄は、1篇がパソコンの1画面にちょうど収まるくらいの量の短文と絵で構成されている。それを113篇分集めて本ができたから、この本はインターネット時代の申し子であるとも言える。

 今年は、私にとってインターネットでのデビューの年となった。ホームページ開設が新世紀の始まりにやっと間に合い、1月13日に「遺伝子組み換えでサルが誕生」というニュースを材料に本欄がスタートした。ところが、これを継続するにはなかなかエネルギーが必要で、読者の応援がなかったならば、190篇もの小文を書きつないで本欄を今日まで続けることはできなかったと思う。本の題名の「小閑」は「ちょっとした暇の時間」のことだから、「小閑雑感」の意味は、「ちょっと暇をみて書いた雑感集」である。しかしながら、実際は「ちょっとした暇」ではこういう文章は私には書けない。それに絵を付けるとしたら、なおさらだ。無理をすると他の仕事に差し障りが出るので、来年は本欄をこれまでのペースでは続けないつもりだ。

 ところで、今年の初めに、科学技術の“暴走”を憂う内容の『神を演じる前に』という本を上梓し、私が行っている生長の家の講習会で約1年間、同書をテキストとして使った。そういう関係もあり、本欄でも、同書のテーマである遺伝子操作技術や生命倫理の問題を多く取り上げた。同書では「クローン人間反対」を唱えたが、その間、日本ではクローン人間を禁止する「クローン技術規正法」が発効し、アメリカでも少なくとも下院レベルまでは、人間のクローンは作らないという合意が成立している。大変好ましいことだ。しかし、まだ安心できる状況にはなく、「クローン胚」や「ES細胞」の分野では科学技術の“独走”ないしは“暴走”が懸念される。また、同書で扱っている生殖補助医療の領域でも、科学技術を適切に制御して使うための生命倫理は、国内にも、世界的にも確立していない。今年になって、産科婦人科学会で禁じていた「代理母」の利用が日本でも行われていたことが発覚したが、それはこの倫理面での合意が不十分であることをよく示している。

 これらの問題の根底には、人間の欲望の追及を社会がどこまで許すかという、哲学的、倫理的、宗教的な命題があると思う。「子をもつ権利」といえば聞こえはいいが、それは「子を欲しがる心」とあまり変わらない。同じように、「健康な生活を営む権利」の中には「遺伝病から逃れたい」とか「老いたくない」という欲望も含まれる。そのうちに「性を選ぶ権利」とか「人種を選ぶ権利」などが出てくるかもしれないが、「権利」(right)という言葉が使われれば「正当である」(right)との錯覚が起こりやすい点は、注意が必要だ。権利は、それを際限なく拡大していくとき間違い(wrong)となる。どこかで、両者のバランスを見出さねばならない。21世紀とは、そういう根源的問題に人類が協力して取り組み、解決を見出さねばならない時代なのだと思う。   (谷口 雅宣)

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2001年12月25日 (火)

木から出た男

 山荘での生活はテレビも新聞もなく、村まで降りていくには車が必要だ。隣の大学教授の山荘にも人はいないようだから、まさに“山の孤島”である。そんな中で鳥の声を聞きながら薪割りなどをしていると、燃やす予定の木の幹や枝が、何か語りかけてくるような気がする。「ボクは、燃やす以外の用途にも使えるんだヨ」「ワタシは、厳しい環境の中でも優美に育ったのよ」……。自然の木は、様々な形や模様を見せてくれるから、その多様性を利用して、昔から人間は木工を行ってきた。それに樹木は、大気中の炭素をしっかり固定しているから、それを燃やさずに使っているかぎり地球温暖化の原因にならない。こんな理由もあって、今回私は絵筆をとらずに、彫刻刀を握って、家から運んできた太目の枝を相手に、木工をすることにした。

 子供がまだ小さい頃、私は粘土で絵本やアニメの主人公を作ったことがある。アンパンマンやノンタンや、物語の『エルマーとリュウ』に出てくる竜などだ。平面的な絵から立体を作ることは、いかにも何かを創るようで充実感がある。だが、人マネは本当の創造ではない。そこで、ゼロから何ができるかに挑戦してみる気になった。考えてみたら、私はまだ木彫りでオリジナルな立体を作ったことはなかった。まあ、練習のつもりで、ごく簡単なものができればいい、と思った。人間は環境が変われば、変わったことをしたくなるものなのか。</P>
<P> 目のつまった堅い枝を削りながら、縄文時代の人間もこんなことをしたのだろうと思った。最近の研究によると、彼ら狩猟・採取生活者は、豊かな自然環境の中では生活必需品を製作する時間以外にも自由な時間を結構もっていたらしい。だから、工芸品も制作しただろう。細工用には、もっと柔らかい木を使ったのかもしれない。弥生人だったら、堅い木は、農作業や土木作業の道具にもしたのだろう。金属の刃物が発明されるまでは、きっと堅い木の細工は難事だったに違いない。それにしても、この木は堅い。電動ヤスリを使えば、もっと簡単に成形できるのに……。こんなとりとめのないことを考えながら夜、薪ストーブの前で木を削っていると、体はほてり汗ばんでくる。昼間も、南向きの窓のそばで、指先に力を入れて木を削る。そして、ゆるやかに湾曲した枝から、人の頭のような形が現われてきた。人間はやはり、人間自身に関心があるという証拠なのか。それとも、木に宿る生命力を表現しようとしたら、「人間の顔」になったということか。自分が作るものなのに、自分の気持が判然としないまま、形だけが整ってきた。

 形ができたので、アクリル系の水性塗料で色を塗ることにした。肌色を塗り、茶色で眉と髪の毛を描き、唇、目へと進む。どこかで見たような顔になった。今、世界中が行方を追っているオサマ・ビン某という男をつかまえて、無理矢理ヒゲをそったらこんな顔か? いや、そんなヤツよりは人相がいいはずだ。では、自分の顔に似ているのか、と考えてみるが、顔が長いし、鼻も高すぎる。私の心から出たのではなく、むしろ“木から勝手に出た男”という感じの、不思議な存在である。   (谷口 雅宣)

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2001年12月23日 (日)

足  跡

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2001年12月22日 (土)

187 デマウイルス

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2001年12月20日 (木)

186 クリスマスの買い物

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2001年12月18日 (火)

185 わが家のきまり

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2001年12月16日 (日)

184 臨死体験は本物か?

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2001年12月14日 (金)

183 サンタクロースの真相

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2001年12月12日 (水)

182 ウイルス感染

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2001年12月11日 (火)

181 倫理の坂道

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2001年12月 9日 (日)

硬質な技術

 生長の家の講習会で三重県伊勢市に来た。妻の故郷であるから過去何回も来ているが、講習会のために来るのは2年ぶりだ。朝、ホテルで読んだ『中日新聞』の第1面に、人のES細胞(胚性幹細胞)研究の申請が国内で初めて文部科学省に出されたことが報じられていた。長野県松本市の信州大学が提出したもので、2004年までは人工臓器をつくるための基礎研究を行い、2009年に人を対象とした臨床応用を開始することを目指しているという。使用するES細胞は、研究で先行しているアメリカからの輸入を当面は考えているらしい。この分野では、京都大学が“国産”のES細胞樹立を目指した研究を進めており、信州大も自前の細胞樹立を考えているようだから、来年からいよいよわが国でも人間のES細胞を使った人工臓器の研究開発が本格的に始まることになるだろう。

 ES細胞研究の問題については、拙著『神を演じる前に』(生長の家刊)をはじめ、本欄でも何回か取り上げ、さらに最近の月刊誌『光の泉』でも2回にわたって書いた。基本的な問題は、現在の方法では受精卵を破壊しなければこの細胞を作れないということだ。今の日本政府の考え方は、人の受精卵を「人の命の萌芽」として捉えているが、「人そのもの」とは認めていない。だから、現に生きている人の命を助けるためには、親の同意があれば受精卵を利用して構わないと考える。しかし、宗教は基本的に、肉体の形成以前に人の霊魂の存在を前提としているから、その霊魂の大切な“道具”である肉体がまさに形成され始めている場(受精卵)を、たとい親の同意があったとしても、霊魂本人の意思を無視して奪い去る行為は、控えめに言っても問題が多い。だから私は、「人の胚の利用」にも「ES細胞研究」にも反対すると『光の泉』誌には書いたのだった。

 この日の午後の講話では、『中日新聞』の記事を引用して、この問題を論じた。複雑な科学技術が用いられる分野だから、受講者がどれだけ理解してくれたか定かでないが、あとで伊勢の義父が電話してきて「午後の話は良かった」と言ってくれたのは有り難かった。同じ『中日新聞』の第1面には、皇太子殿下と雅子妃殿下の腕の中で安らかに眠る愛子さまの大きなカラー写真が掲載されている。前日に無事、宮内庁病院を退院されたという記事である。この2つの記事の関連はまったくないようだが、9ヶ月前には、愛子さまも受精卵の姿であったことを考えると、震撼とするものを感じないだろうか。ある魂は多くの人々の祝福を受けて幸せな地上生活を送るが、別の魂は、できかけた肉体も奪われて、親世代の道具として利用される。この圧倒的な不平等を、読者はどう感じるだろうか。

 講習会終了後、神宮農業館まで足を延ばした。伊勢神宮のお社は、古きよき日本の伝統を自然とのつながりの中で教えてくれるが、西日に輝いたこの建物は、何か近づきがたい硬質な印象を受けた。この硬質さは、科学の研究とも共通していないだろうか、とふと考えた。自然の営みの中に人間が関与する際の「畏れ」とか「尊敬」の感覚を、科学技術は着々と取り去りつつあるように思うのだが……。

(谷口 雅宣)

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2001年12月 7日 (金)

シャコバサボテン

 わが家の居間で蕾を膨らませていたシャコバサボテンが、花開いた。妻が丹精した鉢植えが1つ、陽の当たる窓際に置いてあったのだが、1週間前ぐらいから、緑色のカニの足のような茎の先端から、たくさんの濃いピンク色の丸い蕾が顔を出していた。寒気の中、それが5センチほどの長さに伸びて、先端から花弁が反り返れば開花だ。花の中心からシベを突き出し、得意顔に見える。まるで、12月の到来を待っていたかのようだ。花の先端にとび出した雌シベは花弁と同じ濃桃色で、その周りを白糸のように繊細な雄シベが取り囲んでおり、目を近づけるとその先に黄色の花粉をいっぱい貯えているのが分かる。虫の少ない冬季なのに、実を結ぼうと一所懸命シベを伸ばしているようで、いじらしい。だから私はこの日、陽が落ちて窓のカーテンを閉める時、カーテンの厚い布が花の先を傷めないように、半分だけ引いた。

 そんな気持になったものの、実はシャコバサボテンは花から実ができるのは難しいらしい。ブラジル原産のこの植物は、とても生命力が強く、カニの足のような茎が折れて地に落ちると、そこから根を出して茎を伸ばす。そういう殖えかたが一般的だ。そのため、カニ足の“関節”のような部分が折れやすくなっている。挿し木でどんどん殖えるのである。妻に聞いてみると、この鉢植えのシャコバは、もう10年以上前から家にあるとか。彼女は、日中は陽に当て、時々水やりをし、2~3年ごとに一回り大きな鉢に植え替えて育ててきた。現在は鉢の土の上からの高さが25センチほどで、カニ足のような茎が何十本もアーチを描いて伸び、それぞれの先端に赤桃色の蕾か花をつけている。顔と嘴の赤い鳥が無数に首を伸ばしているようで、見事である。12月ごろに咲くので、英米では「クリスマス・カクタス」とも呼ばれる。

 シャコバの茎のことを「カニ足」と表現したが、実は近種にカニバサボテンというのがあるから誤解されるかもしれない。シャコバの茎からは、シャコの体のように鋭い鋸歯が出ているからこの名があるが、カニバの方は、この鋸歯があまり鋭くない。また、花の咲く時季は2~3月である。さらに「イースター・カクタス」と呼ばれ、4~5月に花を咲かせる種もある。サボテンは、普通の植物とは違った面白い形や性質をもっているから、サボテンを集めて育てる趣味のある人もいるようだが、わが家にあるサボテンはこれ1種だけである。ただし、鉢は3つある。

(谷口 雅宣)

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2001年12月 4日 (火)

ジンジャーの正体

 今年初めからインターネットなどで噂となり、“夢の乗り物”の登場かと騒がれていた「ジンジャー」という暗号名の製品の正体が明らかになった。それは一人乗りの電動式二輪車で、噂されていたようなホーバークラフトでも、背負い式ヘリコプターでも、水素エンジン車でもなかった。あまり平凡なのでガッカリした人もいるようだが、“非凡”なのはその運転方法だ。この二輪車には立ったままで乗り、その制御は、スピードも方向も、片側のハンドル操作と体重のかけ方によってのみ行い、しかもブレーキはない。これを発明したアメリカ人のディーン・ケイメン氏によると、「前へ行こう」と思って体重を移動させれば前進し、「さがろう」と思って体を動かせば後退するのだという。取り付けられたセンサーが、毎秒100回以上の頻度で乗り手の体重の移動を見張っていて、その変化を計算して、進む速度と方向を自動的に割り出すらしい。最高速度は19キロで、電気は家庭用電源から取る。平均走行速度が13キロの場合、1回6時間の充電で24キロの距離を走れるという。

 正式名は「Segway Human Transporter」(セグウェイ人運搬装置)といい、その用途の可能性に注目した団体や企業から、すでにいくつも引き合いが来ているという。合衆国郵政省や国立公園管理局、それにアトランタ市は、来年早々から試用を計画しており、大企業の中では、工場や構内を従業員が移動する際に利用することを考えているところもあるらしい。郵便での利用はトラックの台数を減らし、公共での利用は、短距離では一部自動車に代えられるから、排気ガスの減少にも役立つと考えているようだ。アップル・コンピューターの生みの親であるスティーブン・ジョブズ氏は、この「セグウェイ」のことを「パソコンの登場に匹敵するほど重要」と言ったと伝えられている。

 「セグウェイ」を人が運転している様子を、私もテレビのニュースで見た。体の動きだけで方向が変えられて、なかなか楽しそうな乗り物だと思ったが、それを東京の街中で本当に使うかと聞かれると、かなり考え込んでしまう。歩道で使用するものだから、まず渋谷、新宿、原宿のような人込みの中では、交通渋滞を歩道にまで持ち込んでしまう。また歩道では、自転車やキックボードでも危険を感じるのだから、走る“危険物”がもう一つ加わるのは勘弁してほしい。自分が利用する場合でも、体の健康維持を考えれば「歩く」ことをこれ以上省略しようとは思わない。自家用車が使えなくても、バスも地下鉄も電車もある。大体、重さが30キロもあるから、歩道橋を持って上がれないし、アパートやマンションの上階に住む人も、この問題を解決しなければならないだろう。値段も「手ごろ」というわけにはいかず、今考えられているのは「3,000ドル」前後だという。

 というわけで、この新発明は“爆発的ヒット”になりそうもないが、公園やテーマパーク、工場、博覧会や展示会場など、限定された場所での用途はあるだろう。ふと「坂の多い生長の家総本山ではどうか……」と考えたが、あそこはきっと「坂を足でのぼる」ことが重要なのだ、と思い直した。

(谷口 雅宣)

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2001年12月 2日 (日)

記 帳 所

 生長の家の講習会のため奈良県の橿原市に来た。同市内の「県立橿原公苑体育館」と、奈良市内の「なら100年会館」と「奈良市史跡文化センター」の3会場を衛星通信で結んで行われた会に、1万人以上の人が参加して下さった。私は、前日の1日の午後4時15分ごろ、ここへ来る途中の京都駅の近鉄ホームで、雅子妃殿下が内親王様を無事出産されたことを知った。誠におめでたいことで、翌日の講習会でも、参加者の目は輝き、君が代を歌う声には喜びが満ちているように感じられた。会場の橿原公苑体育館は、神武天皇をお祀りする橿原神宮のすぐ隣にある。その天皇家の現代における“世継ぎ”の殿下に待望のお子様が誕生された時、初代天皇の大御霊のすぐ近くに来られたことは偶然ではないと感じられた。会終了後は、この機会を逃がさず、神宮境内に隣接する「神武天皇畝傍山東北陵」(じんむてんのううねびやまのうしとらのすみのみささぎ)へご挨拶に行った。

 神武天皇陵は、中学か高校時代に訪れたことがあった。『日本書紀』によると、西暦の紀元前584年ごろに崩御されているから、それほどの太古の時代から存続している墳墓かと思い、感慨に浸った記憶がある。しかし、説明書を読むと、この御陵は、江戸末期の文久3年(1863年)に15,612両の工費をかけて8ヶ月間で造られたという。(ちなみに、橿原神宮の建立も1890年と比較的新しい)何となくがっかりしたが、もっとよく読むと、『古事記』や『延喜式』に御陵の場所が記されているが、正確な位置は不明だったらしい。考古学的な痕跡も定かでない、それほどの大昔から一国が変わらずに続いていることは、やはり稀有なことである。その中心として連綿と続いてきた皇室の稀有さは、なおさらである。

 御陵参拝後に社務所の方へ向かうと、その先に「宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所」と書いた立て札の懸かった小さな建物があり、内親王様誕生のお祝いの記帳ができるようになっていた。日曜日だったので、近くの橿原公苑や御陵に来た普段着姿の家族連れなどが、3人、4人のグループで記帳に来ていた。私も短い列の後ろに並び、ほどなくサインペンで記帳した。その目の前には、宮内庁の職員らしき紺色の制服の男性が2人立っている。その若い方の職員が茶髪なので意外に思った。古来の黒髪では満足できない若者が、伝統維持の権化のような宮内庁でも働いている。女性天皇論が語られるのも、無理はないと思った。

(谷口 雅宣)

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