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2001年11月30日 (金)

タバコをやめよう

 史上で初めて、健康に関して国家間で本格的な取り決めを結ぼうとする「タバコ規制枠組み条約」の第3回政府間交渉が、28日にジュネーブで終了した。世界保健機関(WHO)加盟の191ヶ国が集まって論点の整理を進めた結果、タバコの自動販売機設置を原則的に禁止する方向で意見が集約しつつある、と昨日の『朝日新聞』夕刊が伝えていた。“タバコ推進派”の勢力が強く、自販機が野放し状態の日本は、「禁止」ではなく「制限」にとどめようと主張しているらしいが、アメリカも条件付きで「禁止」を支持したので、苦しい立場に立たされているそうだ。日本ではタバコの「広告」もほとんど野放し状態だが、この交渉ではこれを「禁止」するか「適切な制限」を加える方向でまとまりつつあるという。わが国は、この分野でもまだ意識が遅れているようだ。

 その中で、日本医師会が“タバコ有害論”を唱えるようになったことは、当然のことながら喜ばしい。また、タバコ増税が検討されている点は評価したい。一説では現在、タバコからの税収が年間約2兆円なのに対し、タバコ関連の医療費を含む社会全体の損失は約3兆2千億円という。つまり、タバコの販売によって、一部企業は儲かっていても日本国民全体は損失を被っているわけだ。公共の場での禁煙措置は、鉄道の四分の三が禁煙車両で航空機は全面禁煙になるなど広がっているが、そのあおりを食ったためか、駅から出て歩く人々が一斉にタバコに火をつけて歩行喫煙をする姿を、私は毎朝目にしている。そして当然のごとく、吸った残りを路上に捨てる。東京・渋谷区の「ポイ捨て禁止条例」など全く無視されている。

 私は、大学時代からタバコを吸いだした。動機は得に意識しなかった。周囲の人間が吸っているので「ああ、そうか」と思って「セブンスター」を吸い始めた。当時それが人気で、私としてもデザインが気に入ったからだった。しかし、今考えてみると、この「何となく吸いだす」というのが問題だと思う。この行動は「理由がない」のではなく、「理由を意識できない」のである。当時私が好きだった男性俳優のほとんどすべてが、映画の中でタバコを吸った。それが「カッコイイ」ことだと、若い私のナイーブな潜在意識は信じきっていた。また「タバコは大人の証拠」という古い観念にも染まっていた。小説にも漫画にも広告にも、タバコの吸殻をカッコヨク捨てる様子が描かれていた。さらには、「タバコを吸えば太らない」などいう間違った情報が若者の間に流布していた。つまり、カッコシイと無知から吸い始めるのであり、このことは今日の若者も同じだろう。

 だから、今日の大人は、自分の知ったことを若者に教えねばならない。自分の犯した過ちを「オレもやったからいいや」と思わずに、「オレがやって間違っていたからだめだ」と言えるのは、大人しかいない。そういう意味で、和歌山県教育委員会が来年4月から、県内すべての公立小中高校の敷地内での禁煙を決定したことは、正しい判断だと思う。小関洋治・県教育長は「未成年の喫煙は中高生から小学生まで広がっている。従来の分煙では周囲の人の受動喫煙は防げない。禁煙は教育の最重点事項で、教育効果も極めて大きい」と述べたという。教育者でなくとも、同じメッセージは伝えられる。旧ビートルズで最年少のジョージ・ハリソンが29日、喉頭ガンで亡くなった。58歳の死は早すぎるが、彼はヘビースモーカーだった。(谷口 雅宣)

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2001年11月26日 (月)

ヒトクローン胚

 人間の「クローン胚」なるものが初めて作られたらしい。かつてクローン羊のドリーが作られたのと同じように、大人の体細胞の核を卵子に移植し、電気刺激を加えることで卵子の細胞分裂を誘い、その卵細胞が自力で分割し、分化する状態になったものが「クローン胚」だ。これを子宮に移植して子が生まれれば、それはクローンである。だから科学技術は、人間のクローン作成の一歩手前のところまで、人類を連れてきてしまったと言える。このクローン胚作成の目的は、臓器移植用の“スペアー”を作るES細胞(胚性幹細胞)を得るためだというが、技術が一度開発されれば、当初の目的とは別の目的に使われる例は枚挙にいとまがないので、気がかりなところだ。

 これを行ったアメリカのアドバンスド・セル・テクノロジー社(Advanced Cell Technology)は、核を取り除いた人間の卵子8個の中に、卵丘細胞から採った核を移植する「核移植」を行ったところ、2個の卵子が受精卵のように細胞分裂を起こし、6つの細胞にまで分割したところで成長が止まったという。今日付の『朝日新聞』(夕刊)によると、同社は別の研究で、核移植の手続きをとらずに、卵子22個に特殊な化学物質を加えたところ、そのうち6個が分割と成長を始め、ES細胞を採取できる「胚盤胞」の段階にまで成長させることに成功している。この方法は「単為発生」と言われるそうだ。

 私は『光の泉』誌上で、精子と卵子の結合によって生まれた受精卵や胚を、ES細胞作成など他の目的のために利用することに反対する意見をすでに発表している。しかし、ここに書いたようなクローン胚は、そのまま成長すれば人間となる受精卵や胚を殺して作るわけではない。卵子はもちろん生きているが、受精がなければやがて死にゆく運命のものである。それを医療に利用することが倫理的に間違っているとは、必ずしも言えない。しかし、その一方で、こういう技術によって作成されたクローン胚が、子宮に移植されて人間となる過程がやがて確立されれば、クローン胚は、普通の受精卵や胚に限りなく近い状態にある生命ということになり、それを他人の臓器作成の手段にすることに倫理的問題が生じてくるように思う。つまり、今の段階では、クローン胚作成の倫理性をどのように判断したらいいか不明である。だから、今夏から施行されたわが国の「ヒトクローン規正法」でも、人間のクローン胚の作成自体は禁止されていない。

 報道によると、人間のクローン胚は1998年に韓国で、昨年は中国で作られたと発表されたが、その詳しい経緯や条件は明らかにされていない。今回のように、そのノウハウが発表されるのは初めてだ。この発表でクローン胚作りがしやすくなれば、ES細胞の利用も、クローン人間の誕生もしやすくなる。この分野での世界的な倫理基準の策定が急がれねばならないと思う。(谷口 雅宣)

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2001年11月23日 (金)

三 々 九 度

 祝日を利用して行われた甥の結婚式に参列した。長崎・西彼町にある生長の家総本山の出龍宮顕斎殿で、式は伝統的な神式で行われた。披露宴ではなく、誰かの結婚式に出席したのは、ずいぶん久し振りのような気がする。神前で、和服姿の花嫁が三々九度の盃を傾ける姿を見たのは、もしかしたら妻との結婚式以来かもしれないなどという感慨が、白い項を見せながら盃を傾ける花嫁の後姿を見ながら起こった。多分この感慨は正確でないだろうが、その時、23年前のことがアリアリと思い浮かんできたのだ。あの時、まさに妻にならんとしていた件の女性は、白い綿帽子をかぶって、両手で盃を持ちながら、盃を顔に近づけるのではなく、顔を盃に近づけようと努力している風情だった。その動作は、映画のスローモーションのように緩慢であり、目元に淡いピンクの化粧を施した、その白い横顔を見ながら、私は「ずいぶん色っぽい仕草だなあ」と感じ入ったものだった。

 あとで妻から聞いた話だが、この時彼女は、花嫁衣裳の着物がきつくて腕を上に動かすことができなかったので、顔の方を下げねばならず、下げようとすると襟元が圧迫されるので、唇が盃の中の酒まで達するのに努力を要したのだという。私は、その妻の努力をよそに、勝手にエロチシズムを感じていたのだった。

 甥の花嫁は、妻のような努力を感じさせずに、楽々と盃を空けている様子だった。三方の上に重ねられた三枚の盃の上から順番に、新郎から新婦へ、新婦から新郎へ、また新郎から新婦へ、と酒が飲み回される。茶道の場合は、前に飲んだ人の飲口と次の人の飲口がズレるような配慮がされると聞いていたが、三々九度ではどうなのだろう--などと余計なことが頭に浮かぶ。結婚する御両人は、もちろんそんなことは気にしないだろうが、盃一杯の酒を3回に分けて飲むなどという細かい動作を考案した人なら、飲口のことも考えたかもしれない、と勝手に想像する。また、酒に弱い人だったら、盃3杯を飲んで酔っ払ってしまわないだろうか。日本の神様は、酔っ払った心も大目に見てくれることになっているのだろうか--新郎新婦が盃を傾けている間、雅楽の演奏の流れに乗って、私の頭はクルクル動いていた。

 ひとつ盃を神前で大勢で飲みまわし、神霊と人、人と人との結合をさせ、あるいは結合を強めたり確認する行事を「盃事」という。近世以降、猪口盃が普及すると、それぞれが別の盃を使うようになったが、この三々九度の儀式には当初の意義と形が残っている。ところで、新婦側の出席者の中に、まだ2~3歳ぐらいの子供が3人いた。新郎新婦の盃の後で双方の親戚が盃を傾けるが、私が飲み終わって前を見ると、そのうちの1人が「うー苦い」というような顔をして舌なめずりをしていた。私は「あ、あ」と思ったが、「これで酒が嫌いになるか好きになるかは、一概に言えない」と考えて気にしないことにした。

(谷口 雅宣)

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2001年11月22日 (木)

狂牛病から恐牛病へ

 国内で2頭目の狂牛病感染牛が見つかった。10月18日から始まった食肉用牛を対象にした全頭検査では、これまで8万7872頭が“陰性”だったのだから、今のところ8万8千分の一の確率(0.00114%)で感染牛が国内に存在する計算になる。9月22日に見つかった国内初の感染牛をこの計算に入れると、4万4千分の一の確率(0.00228%)だ。日本では年間に約130万頭が解体処理されているそうだから、今後1年間に15~30頭ほどの感染牛が発見されるかもしれないということになる。この程度の数ならば、現在の全頭検査という監視体制で人への感染は防げるかもしれないが、そう簡単にはいかないかもしれないという予測もあるようだ。

 現在政府が考えている感染源は、イギリスなど狂牛病汚染地域から輸入された感染牛を原料とした「肉骨粉」のようだ。これまで見つかった2頭の感染牛は、①生年は同じ5歳、②誕生地は北海道、③双方とも乳牛のホルスタイン種、などの共通点がある。肉骨粉は乳量を増やす効果があるため、肉牛より乳牛に与えられる可能性が高く、狂牛病の潜伏期間は2~8年と長いので、肉骨粉を与えられ続けて高齢となった牛が“廃用”として食肉にされる時に、検査で“陽性”と判明する確率が高いという。しかし、この見方を裏切るデータもある。それは、2頭の感染牛の飼育をしていた人は、いずれも感染牛には肉骨粉を与えていないと言っていることだ。政府は、行政指導が徹底しなかったために与えられたと見ているようだが、もし飼育家が言っていることが本当なら、肉骨粉以外の感染源があることになる。

 その可能性として挙げられているのは、1つは「母子感染」である。イギリスの例では10%ほどの確率で母子感染が考えられるケースがあるというが、もしそうである場合、今回の2頭目の感染牛はすでに3回出産しているから、そのうち1頭ぐらいは、狂牛病の病原体である異常プリオンに感染しているかもしれない。狂牛病の著作のあるイギリスのリチャード・レイシー博士は12月号の『文藝春秋』で、この母子感染について「血液が最もプリオンの感染ルートとして疑わしい」と述べている。博士によると「多くの種で抗体たんぱく質が母から子へ受け継がれていくことが確かめられていますので、たんぱく質の一種であるプリオンも、母から子へと血液を通じて引き渡すことができると考えられます。ですから、危険部位以外の部位でも、血液が含まれているかぎり安全とは言い切れない」という。血液が安全と言い切れないのであれば、ステーキも焼肉も安全とは言い切れないことになるから、問題は深刻である。

 政府の安全宣言以来、牛肉の消費量がやや上向いてきていたらしいが、2頭目の感染牛発見で、消費量は再び減少するに違いない。牛の脳が冒されるという意味の「狂牛病」が、人間が牛を恐れる「恐牛病」になりつつある。本欄で前にも書いたが、私はこの機会に、牛肉を食べるのをやめることを読者にはお勧めしたい。肉食はこういう安全性の問題があるだけでなく、地球環境保全にもよくないし、経済効率も悪く、そして宗教的にも好ましいとは言えないからだ。

(谷口 雅宣)

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2001年11月18日 (日)

母 親 の 力

 4月20日の本欄で、保育園など親のいない環境での生活が長い子供たちは、幼稚園に入る年齢までに、親に育てられた子供たちよりも、攻撃的で、反抗的になりやすいとの研究結果を紹介した。これは、1,300人の子供を対象にした心理学的調査によって分かったことだが、このほど脳神経科学の分野の研究からも、母親が面倒をあまり見ない子供は、脳の発達が正常に行われない可能性が浮かび上がってきた。マウスを使った実験で確認されたことだが、人間の脳の発達もこれに準じるだろうと専門家は考えている。イギリスの科学雑誌『New Scientist』のニュース・サービスが11月15日付で伝えたもの。

 それによると、ロックフェラー大学のブルース・マッキウエン博士(Bruce McKewen)の研究チームは、普通マウスが母親のケアを受ける生後7日の間、毎日3時間ずつ親から離す実験をした。その後、子供のマウスの3万の遺伝子を調べ、脳の2つの領域での遺伝子発現の変化を探した。すると、脳内の神経細胞を新しくつなげる活動に関係する遺伝子の発現の仕方が、通常のマウスに比べ変化していることが分かった。カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校のウエイン・ブレイク博士(Wayne Brake)は、「これは、実験に使ったマウスの脳が通常と違った発達をしていること、恐らく神経細胞が違うつながり方をしていることを示している」と述べている。また、遺伝子の発現の変化は、ドーパミン系の発達に関連した遺伝子でも観察された。ドーパミン系の過剰反応は精神分裂病と関係があり、過少反応は鬱病と関係していると言われる。

 難しい専門用語が並んでいるので分かりにくいと思うが、要するに、生まれた時から母親の愛情を十分に受けて育ったなかったネズミは、普通のネズミと頭の構造が違ってくるということであり、恐らく人間の子供の脳についても、これと同じメカニズムが働く可能性があり、その場合、子供は精神分裂病や鬱病を発症する可能性も考えられるということだ。母親の子に対する影響力はそれだけ大きいのだから、特に子が幼い間は、テレビを子守り代わりに使ったり、子を保育園に放置しておくことは避けた方がいいのだと思う。

 今日は高崎市で生長の家の講習会が開催されたが、終了後に市内の白衣観音(通称、高崎観音)に寄った。「観音さま」と言うと、普通「慈母観音」とか「子育て観音」のような「母」ないし「女性」の象徴のように思われるが、この観音像の顔を正面から見ると、全体の姿形とは別に、なぜか男性的な印象を受けた。口元はしっかり引き締まり、目元には凛とした威厳がある。こういう強い意志と信念をもって、しっかりと子育てをすることが、現代の若いお母さん方には求めれらているのではないかと思った。

(谷口 雅宣)

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2001年11月15日 (木)

コート・ハンガー

11月15日:「コート・ハンガー」

 休日の木曜日なので、また大泉村へ行った。もう紅葉は終っているかと思ったが、低地はまだ十分美しさが楽しめる。カラマツの橙色の紅葉はそろそろ終り、イチョウが黄金色に輝いていた。この日から中央道の長坂インター近くにDIY店「Jマート」がオープンしたので、まずそこを覗いた。日用品で不足しているものと、それから冬場に欠かせないコート類を玄関に掛けるためのコート・ハンガーを買うつもりだった。Jマートは調布店などでは、その類のものが豊富に売られていたが、こちらの店では、開店早々ということもあったのか、品ぞろえが少なかった。妻は、コート・ハンガーの上に化粧棚が付いた形のものを探していたが、それは気に入ったものがない。こういうセットは数千円するので、勢い慎重になる。そこで、ドアの取っ手のような円形のコート・ハンガーそのものを4つ買った。こちらは1個280円なので、4つ買っても1000円ちょっとだ。

 問題は、この型のコート・ハンガーを取り付けるためには、壁の表からではなく、裏からネジを埋め込まねばならない点だ。すでに壁に張ってある板をはがすわけにはいかないから、細長い別の板の裏からネジを埋め込み、その板全体を壁に固定すればいいと思った。これに使う板は、廃材が利用できる。実は、山荘の納戸の中には、建築に使った材木の余りがいくつか置いてある。大工さんに頼んで、残しておいてもらったものだ。その中から、幅10cm、厚さ3cmぐらいの材木を切って、コート・ハンガーを取り付けようと思った。

 山荘に着いて道具箱を開き、木工に必要なものを調べてみると、買ってきたコート・ハンガーに付いている木ネジの長さが、材木の厚さに比べ不足していることに気がついた。つまり、材木の裏からこのネジを締めても、表側に出るネジの長さが十分でないので、コート・ハンガーをしっかり固定するだけの強度が期待できないのである。また、この「3cm強」という材木の厚さは、これを玄関の板壁に固定する際にも分厚すぎた。言い換えれば、買い置きの木ネジの長さが足りないのである。山を降りて、適当な材料を再び買いに行くこともできたが、それは「省エネ、省資源」の原則にも反したし、時間ももったいなかった。

 問題を解決してくれたのは、電動ドリルだった。ネジの長さに対して板が厚すぎる場合は、ネジを締める部分の板に円筒形の溝を掘って、板の厚さを事実上薄くしてしまえばいい。また、ネジを締めた後にこの穴を埋めてしまえば、ネジの頭を隠せるから、見栄えも美しい。この電動ドリルは、ドライバーとも兼用できるもので、過去に1回使っただけだが、この日はこうして大活躍することになった。私はこの木工作業をしながら、文明の利器の有り難さをしみじみ感じていた。そして、薪をつくるときに機械(チェーンソー)を使わないとした論理(11月7日付本欄)が、ここではどうも通用しないことが分かったのである。

(谷口 雅宣)

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2001年11月13日 (火)

京都議定書を応援しよう

 世界最大のエネルギー消費国・アメリカが参加を拒否したため存続が危ぶまれていた、地球温暖化防止のための京都議定書の運用ルールで参加国間の合意が成立し、いよいよ条約発効にむけて国際的機運が高まってきたことは喜ばしいことだ。小泉首相を本部長とする政府の地球温暖化対策推進本部は、12日に条約の批准を来年に行う方針を決め、次期通常国会で批准承認を求めるという。しかし、条約で義務づけられた温室効果ガス削減の目標達成は容易ではない。日本は、2008年から2012年の5年間で、温室効果ガスの排出量を1990年の時点に比べ、平均で6%減らさなければならない。現状は、二酸化炭素を例にとると、99年度の産業部門の排出量が90年度比で0.8%増えており、民生部門は17%増で、運輸部門にいたっては23%も超過している。これをあと数年で90年のレベルにもどし、さらにそこから6%削減することが2008年までに求められているのだ。

 産業部門のこれまでの努力は特筆に価するが、議定書批准に反対などせずに今後も努力を続けてほしい。問題は、我々一般人のエネルギーの浪費だと思う。我々は「民生」と「運輸」の分野でもっと本腰を入れて省エネ、省資源、再利用可能な新エネルギーの利用を推進しなければならない。本欄でも、私の生活上の“ケチケチ作戦”をいくつか紹介してきたが、今後も読者の皆さんのお知恵を拝借しながら、この地球規模の問題解決に積極的に参加したいと考えている。生長の家も環境方針を策定し、太陽光発電の導入やISO14001の取得を全国的に展開しつつあることは心強い。

 最近、私が時々公用で使わせてもらっている生長の家本部の公用2号車を更新していただいた。2,000ccのニッサン・セドリック・ブロアムの走行距離が7万キロとなり、車検切れが近づいたからだ。車種選定のとき意見を求められたので、低公害車4種の中から最も燃費のいい車種を希望した。それが結局、トヨタのプリウス(1,500cc)ということになった。データを比べていただきたい:

   車 種 名             燃費消費率      希望小売価格
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 トヨタ クラウン マイルドハイブリッド     13.0 km/l     \ 3,970,000
 トヨタ プリウス               29.0          2,180,000
 ニッサン ブルーバード シルフィ       16.0            1,844,000
 ニッサンセドリック改造天然ガス車   (10.3 km/Nm3)     6,030,000
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 別にトヨタをひいきしているわけではないが、数値で比べると現在、燃費の良さでこの車と並ぶような性能のものは他社にない。燃料電池車はまだ開発途上であり、インフラも整っていない。というわけで、先日、導入していただいたハイブリッド車に乗せてもらった。この車種に乗るのは初めてではないが、やはり低速走行時の(電気自動車としての)静かさはいい。信号待ちの時は、エンストしてしまったのかと錯覚する。車内の広さは、このクラスの乗用車としてはゆったりとしており、問題はない。いつかぜひ、ハンドルを握ってみたいと思っている。

(谷口 雅宣) 

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2001年11月11日 (日)

ゴイサギ

 11月5日の本欄で、わが家の庭に“怪鳥”が飛来した話を書いたら、添付した写真を見た読者から「それはゴイサギではないか」との情報をいただいた。一人は福島県の主婦の方で、日本野鳥の会会員であるご主人がそうおっしゃたということを、このウェッブサイトの掲示板に書き込んで下さった。その後、ご主人自身も「2羽はたぶんつがいの若鳥だと思います」と書き込まれ、さらに詳しい説明をして下さった。もう一人は、大阪・茨木市にお住まいの65歳の女性で、ご本人が同会の会員であり、「断定はできませんが ゴイサギではないかと思いました。ゴイサギは嘴から尾まで58cm位です。夜に活動するようです。1年、2年、3年目と羽の色はかわっていきます。止まってる姿はおばあさんが座ってる姿に似にてるなーと思ったことがあります」と教えて下さった。

 この鳥のことを母にも話したら、母はゴイサギのことを知っていて、「明治神宮の内苑の池にもいたし、新宿御苑でも見たことがある」と言う。明治神宮とわが家とは、鳥にとっては目と鼻の距離にあるし、新宿御苑は家から2~3キロしか離れていない。「ちょっとお散歩」という感じで、わが家を訪れたのかもしれない。

 ゴイサギは「五位鷺」と書く。言い伝えによると昔、醍醐天皇がこのサギを捕まえるよう命じた時、少しも逃げずにすぐつかまったので、鳥が勅命に従ったと心を動かされ、「五位」の位を賜ったという。真偽のほどは定かでない。しかし、この話からも、人間をあまり警戒しないところがあることが分かる。私が見つけた時も、閂の入る大門をガラガラと開け、ヘッドライトを点けた車で近づいても飛んで行かなかった。むしろ人間の方が驚いたのだった。百科事典の説明では、主として夜間に活動し、昼間は繁殖期以外は人家近くの薄暗い森に潜んでいて、暗くなると水田や小川に現われて魚やカエル、ザリガニなどを食べるという。夜空を「クワッ、クワッ」と鳴きながら飛ぶので「夜ガラス」の名があるという。わが家のヒキガエルは、ネコも近づかないので、天敵はまずいないと思っていたが、この時、もしかしたら2~3匹この鳥に食べられたかもしれない。

 ゴイサギの成鳥は、頭と背が緑黒色で、翼と腰と尾は灰色、後ろ頭に数本の白い冠羽がある。しかし、幼鳥の時は羽の色がまったく異なり、背中が暗褐色で淡い黄褐色の斑点があるらしい。この状態の時を「ホシゴイ」と呼ぶらしい。図鑑に載っていた幼鳥をモデルにして、絵に描いてみた。

(谷口 雅宣)

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2001年11月 7日 (水)

薪づくり

 また、大泉村の山荘に来ている。標高1200mの高地にあるので、周辺の紅葉はほぼ終わっていて、まだ葉の残ったカラマツが金色の三角帽子を天高く掲げている姿が、青空と常緑樹の間に際立っている。朝の気温は0℃で、一面に霜が降りる。前夜は薪ストーブの火のつきが悪かったので、寒さが身にしみた。薪は、山を降りたところにある村のショッピング・センターで一束600円で売っている。それは一晩もつかどうかの量で、暖房費としてはかなり高価だ。そんなこともあって、東京の家の庭で台風などで落ちた枝や枯れ枝を適当な長さに切り、半年前から保管しておいた。それを何回にも分けて車で運んで来て、山荘の軒下に積み上げておいた。しかし、この薪は長さが50cmぐらいあるものが多く、薪ストーブに入れるには長すぎた。また、量的にも不安が残る。だから、明るい間にもっと使い勝手のいい長さの薪をつくっておこうと思った。

 薪は、山荘周辺の森で調達できる。もちろん、人サマの土地の立木を勝手に伐採することはできない。しかし、周辺のカラマツ林には倒木がいくらでもある。実際、山荘のすぐ近くにも直径25cmほどのクリの木が2本倒れている。長さが10m以上あるヒョロ長い木だ。こういう木は、カラマツを植林した後に自然に生えてきたものだろう。間伐などをせず、植林後の手入れが行き届いていないと、森の木は太陽の光を葉で受けようと互いに競争して、ヒョロヒョロと高く伸びる。そんなところに家を建てるために森を切り開くと、それまで隣り合った樹冠(枝が広がって幹の上に冠状になった部分)同士で支え合っていた木が、支えを失ってしまう。そんな時、強風などで伸びすぎた木が倒れることがある。だから、倒れたクリの木は2本とも、ほとんど真っ直ぐな幹をしている。このうち1本を、40cmほどの長さの薪にしようと思った。

 チェーンソーがあれば、わけのない作業だろう。しかし、それがない今は、持っている普通のノコギリでカットするほかはない。低くなった太陽の光を背に受けながら、午後5時ごろからノコギリを引きはじめ、小一時間かけて25本の薪をつくった。チェーンソーがあれば10分ぐらいでできるのだろう。そんなことが頭をよぎった。が、思い直して、さわやかなクリの木の香を嗅ぎつつ、全身を使ってノコギリを引く作業に熱中した。そして、その原始的な手ごたえを味わいながら、こんなことを考えた。

 --自分は今、このクリという植物が何年もかけて大気中から収集した炭素の固まりを切っている。燃やして暖をとるためだ。これと同じことを大規模でやれば、森林破壊となり、温暖化が深刻化する。しかし暖をとらねば、人間が0℃の夜を無事に過ごすことは困難だ。だから、せめて森の“余剰分”と思われる倒木だけを利用させてもらう。量的には、それで十分だ。それに、手引きのノコギリを使えば、1回にちょうどそれぐらいの量しか薪は作れない。チェーンソーがあったら、どうだったろうか? 作業効率はグンと上がるから、必要以上に薪をつくってしまうか、あるいは作業を短時間ですませて家にもどれる。楽な作業かもしれないが、そんな時、このクリの木の一生のことを考えるだろうか? 節を避けて木を切るために、木の表面をよく観察するだろうか? クリの木肌に注意したり、香りをじっくり味わうだろうか?--そんなことを考えてみると、不便さや苦労の中には、効率とは別の価値がしっかり詰まっているのだと思った。

(谷口 雅宣)

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2001年11月 5日 (月)

怪鳥の飛来

 娘が九州へ修学旅行に出発した。ずいぶん楽しみにしていたらしく、朝からルンルン気分の様子だった。9日までの4泊5日である。子供がいなくなった親は、久しぶりに夫婦二人だけの夕食をとるために、恵比寿ガーデンプレイスへ行った。前日の新聞の夕刊に、巨大なシャンデリアが設置されたという記事が写真入りで載っていたので、見てみたいとも思った。小雨が降ったりやんだりで、2階建てビルほどの高さのある巨大シャンデリアは確かに大きかったが、地球温暖化防止の国際会議や、同時多発テロ関連の不幸な出来事を考えると、何とも場違いな気がして、少しも感動しなかった。それより驚いたのは、この場所にはアメリカ系の企業の事務所がいくつもあるらしく、「部外者侵入防止」のための警備がことのほか厳しいことだった。ビル上階のレストランへ行くためのエレベーターの乗り口が一つに限定されていて、それを探すのに一苦労した。

 二人でお好み焼きを食べて帰宅した時、車の時計は8時半を回っていた。鉄の車のついた門の開き戸をガラガラと開け、ヘッドライトを点けた車を門の中に乗り入れ、荷物を降ろすために車から半分身を出した私は、体を緊張させた。小雨の降る夜は、家の庭に棲むガマガエルたちがよく何匹も、この場所に出ているので、車で轢かないように注意しなければならない。そんな気持で門の前の池の傍を見た私の目に、身の丈50cmほどの灰色の立像のようなものが見えたからである。「立像」のように見えたのは、それがじっと動かなかったからだ。しかしよく目を凝らして見ると、嘴があり、首があり、尾もあるようだ。大型のカラスほどの大きさの鳥で、それが細長い体と首を縦に伸ばして身構えているようだ。近くにいる妻に声をかけて、そのことを告げたが、鳥は動かない。車のライトを上に向けて鳥を照らそうとしたら、予想外の大きな翼を広げてゆっくりと飛び立ち、池の上の木の枝にバサッと音をたててとまった。

 夜でも目が見えるのか、と思った。池にはサギが来ることはあるが、この鳥はサギのように白くなく、また嘴も長くない。ハトに似た顔つきをしているが、体はハトの二倍はあり、しかも体が縦に長い。私は急いで車の中にあるデジタル・カメラを取り出して狙いを定め、シャッターを押した。ストロボの光に驚いたのか、鳥はまた飛んで近くの木の枝に移動した。もう一枚写真を撮ると、再び飛んだ鳥は、今度は見えない高さに消えた。と、別の場所から、もう一羽の灰色の鳥が、長い翼をバサバサと振りながら飛んでいく。その姿が、街明かりで白っぽくなった、狭い東京の空を横切っていく。二羽いるということは、連れ合いなのかもしれないと思った。

 家に帰った我々は早速、鳥の図鑑を出してきて正体を知ろうと思ったが、それらしい姿の鳥は本の中には見つからなかった。あわてて撮った2枚の写真をここに掲げるので、どなたか分かる方は鳥の名前を教えてください。

(谷口 雅宣)

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2001年11月 3日 (土)

原宿に留置場

 東京・原宿にある生長の家本部のすぐ目と鼻の先に、大規模な留置場をつくる計画が明らかになった。石原慎太郎都知事が、昨日の記者会見で明らかにしたもの。原宿の目抜き通りにある日本社会事業大学跡地(約2万4000平方メートル)に原宿警察署を新築移転させ、同時に600人程度の容疑者を収容する大規模な留置場をつくる計画らしい。しかし、その土地は原宿外苑中学校、渋谷区立中央図書館、東郷幼稚園(東郷神社)にほぼ隣接しており、生長の家本部の私の執務室からもよく見える場所だ。地元住民からは白紙撤回を求める約2万5000人分の署名も出ているそうだが、都知事は「治安対策は都民の要求。反対は地域エゴだ」と言ったと、今日付の『朝日新聞』は報じていた。

 2日付の『ヘラルド朝日』(International Herald Tribune --The Asahi Shimbun)紙には、日本では犯罪者がふえたために全国の刑務所が限界に達していることが報じられていた。法務省の話では、全国の刑務所の収容能力は6万4300人だが、現在はそれを平均で108%も越えているそうだ。もっと具体的に言うと、日本の刑務所では6人部屋が普通だが、今はそこに7~8人を収容する。すると、囚人同士のいさかいも増えて、刑務所内での規則違反の件数は、1996年には3,729件だったものが、昨年は6,033件にまで増加したという。全国での昨年の新規入所者数は、出所者数を4000人上回る2万9000人であり、囚人の平均入所期間は、1991年の数字を4ヶ月上回る26.4ヶ月に延びたという。今年前半の犯罪の認知件数は、昨年同期を16%上回っているそうだ。

 人口の高齢化と長期の不況が犯罪者の増加の背後にあるらしい。61歳以上の高齢の囚人の数が増えているからだ。東京の府中刑務所に収容されている高齢囚人の数は今、全体(2,870人)の13%になる。20年前はわずか4.7%だった。石原都知事は、就任早々から外国人労働者の増加を犯罪増加の要因に挙げていたが、そうでない要因があることもこれで分かる。

 それでは、生長の家としてこの計画に反対すべきか、容認すべきか? いろいろな考え方ができると思うが、今回の留置場は大規模マンションとは違うから「日照権」の問題は発生しないだろう。また、刑務所とは少し違うし、風俗営業店でもないし、原発でも、生物化学兵器の工場でもない。都や原宿署の協力が得られれば、新たに留置場の600人への伝道の機会ができるかもしれない。生長の家から「日照」を注ぐことが可能か? うーーん、皆さんはどう考えますか?

(谷口 雅宣)
写真は、明治通りの歩道橋の上から撮影。遠方に見えるのは東郷神社の杜。

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2001年11月 1日 (木)

ニガクリタケ

 休日なので、また妻と大泉村へ行った。先週はチャナメツムタケをいっぱい採ったが、妻も私も今日はクリタケを是非、採りたいと思っていた。クリタケは、我々の山荘の裏の森で採れると、山荘の建設の際に世話になった不動産会社の人が言っていたが、晩秋に出てくると聞いていた。標高1200mの山では11月は晩秋だろうと思い、今日に期待していたのだ。実際に先週、キノコに詳しいレストランの主人が、その日に採ったというクリタケの実物を見せてくれた。特徴的なキノコなので、生えていればきっと自分でも分かると思った。

 9時半ごろ大泉村に着き、まず天女山の山頂まで車で行った。ここの駐車場の脇に続く林に、キノコがよく出ると聞いていたからだ。探してみるとチャナメツムタケがいくつか見つかったが、クリタケはなかった。その後、村へもどり先週、チャナメをいっぱい採った林に入った。ここにもチャナメはあったが、クリタケはなかった。先週採ったチャナメは、佃煮にしたのが家にまだ少し残っていたが、残量が少なくなっていたので頂戴することにした。そのあと山荘へ行き、森の中を妻と二人で探索した。しかし、チャナメはいっぱい採れたのだが、やはりクリタケを見つけることはできなかった。

 クリタケは、カサの直径が3~8cmで、クリの実を思わせる色の三角帽子の形をしている。ジクは時にマツタケのように太くなるものがあるそうで、ものの本によると「柄の肉はかたく締まっていて歯切れがよく、癖のない風味できわめてよいだしが出る」とある。シメジのように密生して生えるのが、豪華に見える。山荘の裏の森にはクリの木も多くあるので当初、クリタケも多いかと思ったが、その本によると、このキノコの生えている場所は「広葉樹の枯幹、倒木、切株に多数束生する」と書いてある。だから、クリタケの「クリ」は「クリの木に生える」という意味ではなく、「クリの実に似ている」という意味らしい。

 キノコ採りは午前で切り上げたが、午後2時半ごろ、山荘の東側の隣地を歩いていて、驚いた。そこは他人の別荘地だが、カラマツなどの高木を取り除いただけで、まだ家も庭もできていない。直射日光の当たる開かれた土地に、雑草が腰の高さほどに伸びてきていた。その土地の真ん中あたりに、切り倒したカラマツの切株がいくつもあるのだが、その一つの根元に500円玉ぐらいの大きさの、黄褐色のカサを広げたキノコが密生していた。一瞬、クリタケかと思ったが、クリタケはレンガ色なのに比べ、このキノコは黄色が強いし、形が平べったい。妻は「これはニガクリタケよ」と言う。私もそう思ったが、念のために本に載っている写真と比べてみた。彼女は正しかった。

 ニガクリタケは、クリタケに比べて黄色が強いだけでなく、カサの下側が黒ずんでいる。ものの本では赤丸印が3つ並んだ「猛毒」の部類に入っていて、「食後6~8時間後、舌がピリピリし、激しい嘔吐、けいれん、意識不明になる」といい、小さい子供は死亡することがあると書いてある。自然界では、有害と無害をしっかり判別し、気を引き締めて生きていかなければならないのだ。

(谷口 雅宣)

【参考文献】今関六也、大谷吉雄、本郷次雄編著『日本のきのこ』(山と渓谷社、1988年)

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