自然と人間

2021年8月 2日 (月)

UFOはあるかもしれない

 『朝日新聞』の2021年7月29日夕刊は、「UFO遭遇 もしかしたら」という見出しで、去る6月25日付で発表された米政府の“UFO報告書”の内容について報道した。この報告書は、国家情報長官室(Office of The Director of National Intelligence)がまとめた「未確認空中現象の初期評価」(Preliminary Assessment: unidentified aerial phenomena)という文書で、A4判用紙で9ページという短いものだ。この「未確認空中現象(UAP)」というのが、アメリカでの「UFO」の正式名称だ。報告書そのものは、ネットを使えば誰でも入手できるから、英語が読める人は確認してほしい。その内容は、『朝日』の記事が要領よくまとめている--

200421年にかけて、米軍パイロットが目撃した情報や映像など144件を検証するものだ。調査したところ、1件は気球とされたが、残りは何かわからなかった」

  それだけのことなので、「なーんだ、大したことないじゃないか」と思う人も少なくないだろう。が、私は少し違う感想をもった。まず、17年間で144件というその数、そして目撃者が米軍パイロットという2つの要素が注目される。日本ではごく稀に、“酒気帯びパイロット”が問題になるが、米軍ではまずそれはないと考えたい。通常より視力が優れたパイロットが年平均8.5件の目撃情報を、正式に軍に報告しているということだ。目で見ただけでなく、最新鋭の航空機に搭載した各種センサーでも感知している。録画したビデオもある。単独での目撃だけでなく、複数のパイロットによるものもある。加えて、科学技術の粋である軍用機を自在に操るパイロットが「UFOを見た」と報告することへの抵抗感も考慮に入れたい。つまり、同僚や上官から「お前、大丈夫か?」と、感覚異常や知的レベルを疑われるリスクを押して、彼らは報告しているのである。だから、報告されていないケースも相当数あると推測する。そして、米国の軍や情報機関がそれらのデータを検証した結果、「143件は何だか分からない」というのである。

  この「何だから分からない」ということが、私は重要だと思う。「目の錯覚だ」とか「幻影を見た」というのではない。「何かがそこにあった」というのである。そして、その何かが現在の米国の科学技術のレベルから見て「説明できない」というのが、この初期評価の結論なのだ。だから、この報告書には、本件は「潜在的な国家安全保障の問題でもある」と書いてある。報告書にある、次の文章を読んでほしい--

 「我々は現在、この現象の中の何かが外国の諜報活動の一部であるとか、潜在敵国による重要な技術革新を示すというデータを有していない。これらの現象が提起するであろう防諜上の問題を考えれば、我々はそれらの証拠を見出すべくさらに監視を続ける考えである」

  報告書の具体的記述の一部を紹介すると--

   ・144件のうち80件は、複数のセンサーによって感知されている

  ・これらのほとんどは、軍の訓練やその他の活動を妨げるものとして報告されている

  ・11件の報告は、パイロットにより未確認現象とのニアミスとして記録されている

  上記のような記述を見ると、この報告書を発行した国家情報長官室が神経質になっている理由が想像できるのである。

  しかし、翻ってアメリカにおける“UFO問題”の歴史を振り返ると、今の時点で「潜在的に安全保障上の問題がある」といいながら、この程度の結論でお茶を濁していることに大きな疑問が残る。この報告書に「unclassified」というラベルを貼られていることが、その疑問を強くさせる。「unclassified」とは、報告書の内容が「機密ではない」という意味で、「機密扱い」の情報が他にあることを暗示している。つまり、「本件には国民に秘匿しておくべき情報が含まれているが、とりあえず無難な情報だけを発表しておこう」という意図があるとも解釈できるのである。

  私が「今の時点で」という言葉を使ったのは、「昔から指摘されながら、今ごろ?」という意味合いである。恐らく多くの読者は、アメリカ映画のうち『E.T.』(1982)、『ロズウェル』(1994)、『インディペンデンス・デイ』(1996)、『コンタクト』(1997)のいずれかをご覧になっているだろう。これらは地球外高等生命の存在を扱った映画で、そのうち『ロズウェル』だけがテレビ映画で、これは1947年にニューメキシコ州のロズウェル市近郊で実際に起きた飛行物体の墜落事件を題材にしている。つまり、74年も前から、アメリカでは地球外高等生命の存在が指摘され、何本もの映画で扱われ、連邦政府もその研究に予算をつけてきた。その額は2,200万ドル(22億円)という。

 これはしかし、問題の本質から考えるとそれほどの額ではない。大型の無人攻撃機「プレデター」1機の値段は、2009年のデータで450万ドルだったから、5機も買えない。同じ年の国防予算では、最新鋭のステルス戦闘機F22は1機が3億5000万ドルもした。その16分の1しか予算を使わなくて、「国家安全保障の問題」だと考えるのはいかにも大げさだ。つまり、想像するところ、米国政府はこの問題について、長い間あまり熱心ではなかったのだろう。それが、近年になって急に真面目になったのか。

  その辺の事情については、SFテレビドラマ『X-Files』の生みの親であるクリス・カーター氏が、今年6月25日の『ニューヨーク・タイムズ』紙に書いているエッセーが興味深い。その1つの理由は、国防総省がUFOの調査研究に毎年秘密裏に上述の予算をつけてきたことを、同紙が2017年にスッパ抜いたからだという。それに加え、米海軍が未確認空中現象を報告する制度を整えたことにも要因があるらしい。

  このことは、今回の報告書の4ページ目にこう書かれている--

  「データが限定的であることと一貫性のない報告の仕方が、未確認空中現象を評価する際の中心的な障害だった」

  つまり、海軍が報告制度を標準化したのは、2019年の3月になってからで、その後、202011月になって空軍が同じ方法を採用したが、それまでの約70年間は、各報告はバラバラな書式や方法で行われていたというのだ。そして、今回の検証の対象となった2004年から本年までの144件の報告の過半数は、過去2年間に集中しているのだという。海軍と空軍が未確認空中現象の報告制度を整えたということは、両軍がUAPの存在を実質的に認知したことを意味するだろう。少なくとも、この現象の原因は、報告者が何か異常な心理状態にあった結果だとは考えていないのだ。そうなると、軍のパイロットの側もその現象を報告しやすくなり、報告数が増加するという結果になる。だから、144件の報告の過半数が最近2年間のものとなるのかもしれない。

  では、私たちはUAPという現象をどう受け止めるべきだろうか。

 UAPを、原語に忠実な「未確認空中現象」という意味で考えると、それを否定すべき理由はない。これは、極地に現れるオーロラという現象を否定する根拠がないのと同じことだ。もっと卑近な例を挙げれば、虹が見えているのに「そんなものは存在しない」と否定する人がいないのと同じだ。しかし、「虹が見えているのだから、見えている通りの大きな物体が空に掛かっているのだ」と言えば、その人の知性は疑われる。これと同じように、UAPが視認されたり、計測器で把握されたとしても、その姿やデータ自体がそのまま何かの実体を示していると考えるべきではないだろう。ややこしい言い方をしたが、要するにUAPは、地球外高等生命の乗り物だと結論するのは時期尚早だと私は思う。

  それでは、地球以外に高等生命は存在しないのか? 私は、地球外高等生命が存在する可能性を否定しない。生長の家では、神のことを「大生命」とか「宇宙の大生命」と呼ぶことがあるから、それを信じる人は半ば地球外高等生命を信じていることになるだろう。この「半ば」の意味は、生長の家が奉じる神は必ずしも「地球外」ではないからだ。「自己に宿る神」と言ったり、「神・自然・人間は本来一体」と言う場合、神は空間的概念ではない。その意味では、地球外高等生命は神ではない。では、それは高級霊か? この問いへの答えも「ノー」だろう。なぜなら、霊や霊界も空間的概念ではないからだ。

 しかし、素朴に考えても、これだけ広い宇宙の中の、そこに輝くおびただしい数の星や惑星の中で、この小さな地球にしか生命が棲まないということの方が、信じがたいことではないだろうか。

 谷口 雅宣

 

| | コメント (1)

2021年7月 7日 (水)

「万教包容」から「万物包容」へ

 今日は午前11時から、山梨県北杜市にある生長の家国際本部--“森の中のオフィス”の万教包容の広場において「万教包容の御祭」が挙行された。新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、大人数が参加する方式は採用せず、オフィス常勤の参議など少数が参加し、御祭の映像と音声がインターネットを介して同時中継された。私は、御祭の最後に概略、以下のような話をしたーー

------------------------------------------------------------

 本日は「万教包容の御祭」にご参列下さり、ありがとうございます。

 今日の御祭はちょうど8年前、生長の家の国際本部が東京から八ヶ岳南麓に移転した際に、今日、7月7日――つまり「万教包容の神示」が下された日に因んで始められたものです。私が今立っているこの場所も「万教包容の広場」という名前がつけられました。これによって、生長の家の信仰は、世界のすべての宗教を包容する広大で、懐の深い信仰であることが改めて明確にされました。

 さて、私たちがこちらに来させていただいてから、今年は8年目になります。ですから、この御祭も「今回で8回目になる」と申し上げたいところですが、昨年のこの御祭は行われませんでした。その理由は、新型コロナウイルスの感染拡大によります。また、もう一つの要素として、昨年はこの時期に梅雨前線が約1ヵ月にわたって日本列島に停滞して、主として九州地方ですが、岐阜県や長野県などを含めて7日本各地で大きな水害が発生したからでした。後に、この時の豪雨は「令和2年7月豪雨」と命名されました。犠牲者は熊本、福岡、大分の3県だけで死者73人、住宅浸水被害は1万棟以上に及びました。

 ところで私は、昨年の今ごろはすでに「急設スタジオ」による動画配信を始めていました。そして7月7日には自宅からオフィスまで歩き、この「万教包容の広場」で、ちょうど7基そろった七重塔を背景に、三角形とムスビの働きなどについて話しました。11回目の配信です。その動画の最初には、「令和2年7月豪雨」の被害について次のように言及していました--

「梅雨前線の影響で、7月6日から九州を中心に降り続いている豪雨の被害によって亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りし、被災された多くの方々を衷心からお見舞い申し上げます。」

 そして今日は、あれからちょうど1年後です。今年も梅雨前線の影響で、静岡県、神奈川県、千葉県などで水害が発生しています。今年はさらに問題なのは、新型コロナウイルスのパンデミックが終息していない中で、日本政府がオリンピックとパラリンピックを強行しようとしていることです。1年前には、気候変動と感染症拡大との間には関係があると一般には思われていなかったですが、今は違います。この2つの世界的問題は、いずれも人間が自然破壊を続けていることに起因することが、科学者はもちろん、一般の人々の間にも理解されるようになっています。その中での五輪開催の強行には、私たちももっと大きな声を上げて反対せざるを得ないと考えて、私は数日前、Facebookを通じて、心ある信徒の皆さんに「反対署名」をお願いしたところです。

 さて、このような状況の中で、今日の御祭をすることの意義を私は考えました。昭和7年(1932)の今日、ちょうど89年前に谷口雅春大聖師に下された「万教包容の神示」には、何が説かれているかを改めて振り返りました。この神示は、192910月のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発する世界大恐慌の影響を日本が受けて、後に「昭和恐慌」と呼ばれる経済的危機を経験した直後に当たり、1931年には中国大陸に侵出した関東軍によって満州事変が引き起こされただけでなく、これをきっかけにして日本軍の中国侵攻が拡大し、翌(1932)年には「上海事変」まで起こった。その停戦協定の調印が昭和7年の5月5日です。軍隊の独走が始まっていて、停戦協定調印の2週間後には、当時の犬養首相が殺される5・15事件も起こっています。日本も世界も混乱状態にあった時代と言えます。そのことを念頭に置いて、神示の次の文章を読んでください――

「キリスト教では聖地エルサレムが世界の中心であると言い、大本教では丹波の綾部が世界の中心であると言い、天理教では大和の丹波市(たんばいち)が世界の中心であると言い、天行居(てんこうきょ)では周防の岩城山が世界の中心であると言う。世界の中心争いも久しいものである。併しわれは言う、それらは悉く皆世界の中心であると。一定の場所が世界の中心だと思っているものは憐れなるかな。生命の実相の教えが最も鮮やかに顕れたところが形の世界の中心であるのである。そこは最も世を照らす光が多いからである。基督教でもイエスの教えがエルサレムに最もよく輝いていた時代はエルサレムが世界の中心であったのである。天理教でも教えの光が最もよく輝いていた時代は大和の丹波市が世界の中心であったし、大本教でも教えの光が最もよく輝いていた時代は丹波の綾部が中心であったのである。わが行きてとどまるところは悉く世界の中心であるのである。誰にてもあれ生命の実相を此世に最も多く輝かせた処に吾は行きてとどまり其処が世界の中心となるのである。」(『“新しい文明”を築こう』上巻、pp. 222-223)

 ここでは、宗教の隆盛と真理との関係について、3つのポイントが示されています――

 1.形の上での“世界の中心”は移り変わる。

 2.移り変わる原因は、地上のある場所で真理が鮮やかに説かれているかどうかによる。

 3.その移り変わる範囲には国境はなく、真理は国家や民族を超えている。

 この神示の中の考え方は、当時の日本の状況から考えると画期的だと思います。神示に例示されている宗教は、キリスト教のような世界宗教もあれば、天行居のような、普通の人があまり耳にしないような宗教もあります。それらすべてについて「悉く皆世界の中心である」と宣言しているところが注目されます。また、「一定の場所が世界の中心だと思っているものは憐れなるかな」とありますから、この神示が説く「世界の中心」という言葉には地理的な意味はないということでしょう。神示が下された当時の日本では、「日本は神国であるとか」「日本は東洋の中心、世界の中心になるべし」という考え方に人気がありました。満州事変以後の軍部の中国侵攻は、大方のマスメディアも国民も支持していました。しかしこの神示では、何をもって「世界の中心」であるか否かを判断するかといえば、神示は「最も世を照らす光が多い」ところが世界の中心となる、と説いています。つまり、宗教的真理が輝くところが“世界の中心”であり、それは国家や民族によらないということです。ユニバーサルな価値のあるところが“世界の中心”だと説いているのです。

 人間はとかく特定の地理的位置に価値をおいて、そこを“中心地”とか“聖地”などと呼びますが、生長の家ではそういう考え方をとらないということが分かります。私はかつて「生長の家には、地理的な意味での“聖地”はない」という話をして、それが本にも載っています。(『次世代への決断』、pp. 171-175)それは、本当の意味で「聖なるもの」とは、実相世界だと考えるからです。それに対し、特定の地理的位置を聖地だと考えると、その地に執着し、そこへ行きたい、そこにとどまりたい、自分のものにしたい……などという欲望が生れ、奪い合いが起こりやすいからです。エルサレムという都市をめぐる中東の国際紛争、宗教対立のことを考えると、そのことがよく分かります。

 このことは、国際政治や国際関係を考えるときに大変大きな示唆を与えてくれます。アメリカ合衆国は一時、「MAGA(Make America Great Again)というスローガンを掲げた人を大統領に選んで混乱しました。それによって世界も混乱しました。この混乱はまだ残っているようですが、大分落ち着いてきたように感じます。私は、「自国が偉大な国でなければならない」と考えることは間違いではない、と思います。しかし、その「偉大」という言葉の意味が重要です。単なる軍事力や経済力、技術力や学問の力が大きいだけでは、いけないと思います。なぜなら、ある一国がそれらの力を増強してくると、他の国がその国を恐れて、軍備増強や技術開発を急ぐ可能性が増大するからです。かつての“冷戦”や現在の米中関係がそれを示しています。何が大切かといえば、「他国から信頼される」ということです。国際関係では、これが最も難しいのです。また、日本は現在、五輪競技を強行しようとしていますが、その強行する理由の中に、「日本が東日本大震災から立ち直った証とする」とか「人類がウイルスに打ち勝った証拠を見せる」というような、自国第一主義や、人間中心主義があることは、感心できません。「日本が、日本が」という自国第一主義や、「人類が、人類が」という人間中心主義は、ひと昔前ならともかく、現代においては「信頼」される原因にはならないのです。これらは、「日本が世界の中心である」と言うことや、「人類が自然界の中心である」と言うに等しいのです。

 トランプさんが大統領を務めたアメリカとの経験を踏んで、世界では恐らく「一つの超大国が世界の中心となる」ことを求める人は減っているのではないでしょうか? さらに、現在私たちが経験している気候変動による災害の増大や感染症の世界的流行から学ぶならば、「1つの生物種が自然界全体をほしいままに支配する」――つまり、人間中心主義の危険性を、今や多くの人類が実感していると思います。

 生長の家はそのことを早くから気がついて、「神・自然・人間は本来一体である」という実相顕現を進めているのですから、今こそ人類が最も必要とするこのメッセージを強力に伝え、自らの生活の中に展開し、多くの人々にも参加してもらう必要を感じる次第です。「万教包容」は「万国包容」に通じ、そこからさらに「万物包容」に向かって前進いたしましょう。

 それでは、これで私の話を終わります。ご清聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣

| | コメント (0)

2021年4月26日 (月)

「第1回ノンロック・リレー」が終わる

 今日は4月17日から始まった「ノンロック・リレー」最終日なので、予定していた通り最終走者として目的地である生長の家福島・西郷ソーラー発電所まで自転車で約7.6kmを走った。当初の計画では、リレーのバトンである“観音棒”は私一人が携帯し、妻は伴走者になると思っていたが、彼女のアイディアで、コースの前半を妻がバトンをかつぎ、後半を私がかついで目的地入りをすることにした。事前の調査では、このコースは緩やかな上り坂で始点から終点までの獲得標高は192m、平均勾配は2.5%、最大勾配は8.1%だと分かっていたので、緊張せずに走ることができた。私が地元の北杜市でよく上る天女山(標高1529m)の場合、平均勾配は8%、最大勾配は12%あるからだ。走ったあとの機械による計測では、走行距離は7.42km、それに要した時間は33分14秒だった。ただし、この時間は、中間地点でのバトンの受け渡しを含めたものだ。

 到着地点付近には、地元・福島の信徒の皆さんを含め、栃木県からも信徒の方々が集まってくださっており、旗を振って迎えてくださったことに感動した。ひと息入れた後、発電所の敷地内で「第1回ノンロック・リレー帰着式」という簡単な行事を行った。私はその行事の最後に概略、以下のようなスピーチをした:

 皆さん、今日は生長の家が始まって以来の自転車による広域リレー「ノンロック・リレー」の帰着式に、この場において、またオンラインによって参加くださったこと、心から感謝申し上げます。

 私は、このリレーの初日の「出発式」で、ここにある「観音棒」の宗教的意義について少しお話ししました。出発式の日はあいにくの雨で、本来だったら“森の中のオフィス”の敷地内にできた「ムスビの庭」で式を行うことになっていましたが、イベント・ホールを使うことになりました。私はその時、「観世音菩薩を称うる祈り」の一節を引用して、観音さまの重要な働きの1つはムスビであるという話をしました。女子競泳の池江璃花子さんの例を引いて、困難を克服することで人間は魂の飛躍を遂げるという話もしました。

 で、今日はそれらの話も受けて、この観音棒の額にある三角形のことを話します。分かりますね。この観音さまの額のところには、大きな三角形が彫られています。そして、私は過去に何回も、「ムスビの働きを形で表せばそれは三角形になる」と申し上げました。私たちは、その三角形を額に刻んだ観音さまをバトンとして、山梨県の大泉町から福島県の西郷村まで何キロですか? ずいぶんの距離をリレーでつないできました。正確に言えば、79人のリレーにより、約691kmの距離を走りました。このイベントの象徴的意味を皆さんには考えほしいのです。

 これは多くの信仰者が同じ信仰を受け取り、次に渡しながら「ムスビの働き」を広げていく活動を進めていく、ということです。今、全世界で、新型コロナウイルス感染症の蔓延によって神社や教会、モスクでの行事やお祭りが制限されていて、生長の家も例外ではありません。しかし、信仰の受け渡し、真理の拡大は、ある方法が制限されたならば、別の方法で遂行することができるのです。それを今回、私たちは実際に証明しました。とても変則的な方法でしたが、現代のテクノロジーは、私たちがインターネットを利用したように、これまでになかった様々な方法を提供してくれていることに、私たちは感謝しましょう。

 宗教だけでなく、ビジネスも学校も、今回のピンチに遭遇して、ネットを使ったテクノロジーを利用した様々な方法で、仕事や教育を進めていることは皆さんもご存じの通りです。これは、「ムスビの働き」と言えるのです。ムスビとは「本来同一の基盤をもつ2つのものが、互いに寄り合って、2つとは異なる新しい価値が創造されること」でした。ウイルスと人間は、生命体として同一の基盤をもちます。私たち人間の中には、ウイルス由来の遺伝子がいっぱい存在します。ウイルスは人間を侵して殺すだけでなく、生かし、発展させてもいるのです。ただ、新型のものは人間との相性がうまくいかないものがあり、それが人間に被害を与えるのです。これは、ウイルスに責任があるというよりも、人間の側が急激な生活の変化や自然への大きな介入を仕掛けているためです。しかし、免疫系がその被害を克服すると、人間とウイルスは共存することになります。それも「ムスビの働き」の一つです。

 これは遺伝子レベルの話ですが、もっと広いレベルの共存の働きもすでに生じています。最近出版されたアメリカの時事週刊誌『タイム』に興味ある記事が載っています。主題は「Climate is Everything.」といい、副題にこうありますーー「How The Pandemic Can Lead Us To A Better, Greener World」です。翻訳すれば、「この世界規模の感染症拡大は、どのようにして世界をより良い世界、より環境に配慮した世界に導いていけるか」ということです。この副題の中のキーワードは「can」という助動詞です。この語は可能性を表すのですが、未来の必然を表す「will」ではないので、「そうならないかもしれない」ことを言外に表現しています。

 で、ここで言われている感染症拡大と環境問題解決への取り組みの関係は、こういうものです。新型コロナの犠牲となって大勢の人々がなくなりました。それを恐れて世界中で、社会経済活動の停止と制限が行われ、今も続いています。この制限の影響をマトモに食ったのは、社会の中で不利な立場にいる人々、貧しい人々、そして貧しい国々です。この大問題を解決するためには、国家や大企業は、これまでのような姑息な手段に訴えても間に合いません。今後の中・長期的展望に立てば、地球環境問題、特に気候変動に対応した政策を中心にすえ、それに必要な技術や製品、サービスをどんどん開発していかねばならない。ということで、いろいろな国や企業が、今や電気自動車、水素エネルギー、洋上風力発電、そしてCO2などを排出しない技術開発に本腰を入れ始めました。これが、パンデミックを克服した後に作られるべき“新しい価値”です。しかしその反面、このような動きに反対する勢力も少なからずあります。アメリカの場合、トランプさんの時代にそういう勢力が国政を担当した。今、バイデンさんに替わって急速に方向転換をしています。しかし、現状維持を望む人たちも半数いる。

 日本では、アメリカのマネをするのが得意な自民党政権ですから、今、急に、「カーボン・ニュートラル」などと言い始めた。生長の家が10年以上前から言っていることを、「今更なにを」と申し上げたい。遅すぎるし、やり方が小さいです。私たちはもう、その段階は通り越して、実際のライフスタイルの転換へと舵を切っていることは、皆さんもご承知の通りです。このノンロック・リレーをやった「プロジェクト型組織」が今、それをやっています。

 宗教における伝道は、真理を他の人にどんどんリレーしていくことです。これは「ムスビの働き」であり、新しい価値の創造です。どうか皆さん、今回のリレーを、実生活における“真理の伝達”の分野に拡大して、「神・自然・人間は本来一体」の真理を多くの人々に伝え、“自然と共に伸びる”という新しい価値の実現に邁進していきましょう。

 それではこれで、私の話を終わります。ご清聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣

| | コメント (3)

2021年3月11日 (木)

人間中心主義から抜け出そう

 今日は午前10時から、山梨県北杜市の生長の家国際本部“森の中のオフィス”のイベントホールにおいて、「神・自然・人間の大調和祈念祭」が行われた。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、会場には人を集めず、御祭の様子はビデオカメラを通してネット配信され、多くの人々に伝えられた。私は御祭の最後に概略、以下のような言葉を述べた――

==================================

 皆さん、本日は「神・自然・人間の大調和祈念祭」にお集まりくださり、誠にありがとうございます。昨年に引き続き今回も、皆さんとともに一堂に会することなく、インターネットを通じての参加となります。ありがとうございます。

  今年は2021年であり、日本では東日本大震災からちょうど10年がたつということで、また東京オリンピックの開催が間近だというので、「東北は復興した」とか「復興に至っていない」とか、経済やスポーツ、興行に焦点を合わせた報道や評論が行われています。また、昨年来の新型コロナウイルス感染症の問題も、主として経済活動再開との関係からしか論評されていません。これは日本の指導者や政治家、オピニオンリーダーの多くが、人類が今直面している問題の本質を理解していないことを示しているので、悲しい気持になるのであります。

  ここに、2つの大災害に関する統計的な数字を並べて考えてみましょう。まず、東日本大震災ですが、その犠牲者数はすでに各メディアに発表されているので、皆さんもご存じと思います。この犠牲者数の中には、地震と津波による直接的な死者に加え、行方不明者、そして震災関連死亡者も含まれていますが、すべてで「2万2198人」です。そして、新型コロナウイルス感染症による日本国内の死者数は、昨日の時点で「8,301人」です。大震災に比べて少ないようですが、この感染症はパンデミックですから、日本国内だけの数字を見ても、全貌はわかりません。そこで世界全体の昨日までの死亡者の総計を出します。それは「2607,852人」です。とんでもない数字です。201510月の国勢調査によると、大阪市の人口が「2,691,185人」であり、名古屋市は「2,295, 638人」ですから、この1年間で、大阪市または名古屋市から人がすべて消えたことに匹敵するほどの大災害なのです。そして、この数字は現在も毎日、増え続けていることは、皆さんもご存じの通りです。

  今私は、大震災とパンデミックの両方を呼ぶのに「大災害」という言葉を使いましたが、これは必ずしも正しい表現ではありませんね。ご存じのように、10年前の大震災と津波、原発事故については、「人災」の要素がかなり含まれていることが指摘されてきました。そして、今回の新型ウイルスによるパンデミックについても、人間の行動に起因する要素が数多く指摘されています。人間の行動が感染症を拡大させるので、それを防ぐために今、私たちは家に籠り、リモートで仕事をし、経済活動を縮小しているのです。

 では、人間の何がこのような大惨事を引き起こす要因になっているのでしょうか? それは、私たちの考え方、思考形式、思想などと呼ばれているものです。端的に言えば、それは「人間至上主義」です。

  私たち生長の家は、もう20年も前から、人類が現在抱える地球温暖化などの大問題の多くは、「人間至上主義」が原因だと指摘してきました。このものの考え方は、「人間中心主義」とも呼ばれます。今、画面に出ているのは、私が200210月に上梓させていただいた『今こそ自然から学ぼう』という本です。この本には「人間至上主義を超えて」という副題がついて、英訳として「beyond anthropocentrism」という語が添えられています。また、これより1年前に出た『神を演じる前に』(2001年1月)にも、「人間至上主義の矛盾」という見出しがついた文章が5ページにわたって書かれています。

  では、なぜ人間至上主義が間違っているかという理由については、『今こそ自然から学ぼう』の「はじめに」に引用されているエドワード・O・ウィルソン博士の言葉を紹介するのがいいと思います。なぜなら、彼は世界的に尊敬されている生物学の権威で、ピューリッツァー賞を2度もとっている人だからです。

 ウィルソン博士は、人類がこれまで他の生物からどれほど恩恵を受けて生きてきたかを忘れていると指摘し、それを「健忘症」と批判しているのだった。博士はこう続ける--

 こうした健忘症気味の空想の中では、生態系が人間に提供してきた恩恵(サービス)もえてして見逃されがちである。だが生態系は土地を肥やし、私たちがこうして今呼吸している大気をも作り出しているのだ。こうした恩恵なしには、これから先に残された人類の生活は、さぞかし短く険悪なものとなろう。そもそも生命を維持する基盤は緑色植物とともに、微生物や、ほとんどが小さな無名な生きもの、言い換えれば雑草や虫けらの大集団から成り立っているのだ。非常に多様であるため地表くまなく覆いつくし、分業して働くことができるこのような生きものたちは、世界を実に効率的に維持している。彼らは人類がかくあって欲しいと思うとおりのやり方で世界を管理しているが、それはなぜかというと、人類自体この生きた群集の中に混じって進化してきた動物であり、かつ人間の体の機能は人類以前にすでにできあがっていた特定の環境に合うよう、念入りに調整されているからである。(p. ii

  ここには、私たちが呼吸している空気が植物のおかげで成り立っていること、大地はその植物や、動植物を分解する菌類や、無数の昆虫類が作り上げていること、そういう多様な生物たちが地球の表面を覆いながら、お互いに深い関係をもって協力し合っていることが暗黙のうちに描かれています。そして、博士の表現を借りれば、これらの生きものが「世界を実に効率的に維持している」だけでなく、その維持の仕方は「人類がかくあって欲しいと思うとおり」であると書いてあります。このことを私たちは忘れているか、もしくは全く知らないのではないでしょうか?

  多くの都会人は、特に都会で生まれて育った人たちは、人間以外の自然界の生物は人間の生活の邪魔だと感じていないでしょうか? 彼らは「人類がかくあって欲しくない」存在だと感じている人が多い。だから、スーパーへ行けば殺虫剤とか殺鼠剤とか、ゴキブリホイホイとか農薬とか、消毒薬など沢山売られている。また、私たちは日常的に「雑草」とか「害虫」とか「害鳥」とか「害獣」などの言葉を使います。これは、自然界の生きものには「善」と「悪」があると考えている証拠ではないでしょうか。しかし、ウィルソン博士は、それら一見「悪い」と見られる生物もすべて含めて、「彼らは人類がかくあって欲しいと思うとおりのやり方で世界を管理している」と言っているのです。皆さんは、これに同意できますか?

  ウィルソン博士は次に、なぜそんなことが言えるのかという理由をきちんと書いています。この理由は、とても重要だと私は思います--

「それはなぜかというと、人類自体この生きた群集の中に混じって進化してきた動物であり、かつ人間の体の機能は人類以前にすでにできあがっていた特定の環境に合うよう、念入りに調整されているからである」

 この考え方は、博士の進化生物学者としての長年の研究と深い、優れた洞察から来るものです。白鳩会総裁の著書に46億年のいのち』という本があります。この題は、先ほど皆さんと一緒に読誦した『大自然讃歌』の中にある「地球誕生して46億年」という言葉から来ていますね。しかし、地球ができてすぐ生物が生まれたのではなく、生命の誕生はそれより10憶年ほど後です。すると、人間以外の生物は36億年もの進化を経験して今日に至っているのです。人類が誕生したのはわずか「20万年前」です。ということは、人類が地球で生活するようになった時には、すでに「359,980万年」もの時間をかけて、他の生物たちは進化を繰り返していたということです。このことが何を意味しているかを、ウィルソン博士はこう表現しているのです--「人類自体この生きた群集の中に混じって進化してきた動物であり、かつ人間の体の機能は人類以前にすでにできあがっていた特定の環境に合うよう、念入りに調整されているからである」

  

ここで少し、地球上の生物の歴史を概観しましょう。そうすることで、ウィルソン博士の言っていることがより深く、理解できると考えるからです。Lifehistory この図は、画面の左上から右下に向かって時間が流れていることを示しています。左上の端が今から36億年前の「生命誕生」の時で、1本の黄色い棒が横方向に10億年を表していると考えてください。画面の最下段にある棒は、他の棒より短くて、6億年を表しています。そうすると、画面には長い棒が3本と、短い棒が1本なので、全部で「36億年」を示しています。グラフの中にある数字は、100万年を単位とした数です。したがって左上端に「3600」とあるのは、「36億年前」という意味で、その下に「2600」「1600」「600」と続いているのは、それぞれ「26億年前」「16億年前」「6億年前」という意味です。

  この図をさっと眺めただけで分かるのは、一番下の棒だけが賑やかだということです。その棒の左端には水色で「カンブリア紀」と書いてあります。この水色の帯は、今から6億年から5億年にかけてで、この地質時代に膨大な数の生物種が一気に地上に現れたことで有名です。その現象を「カンブリア大爆発」と呼びます。そして、その一番下の棒の右端には赤い色がついていて、「人類誕生~現代」とあります。人類の誕生は今から20万年前と言われているので、この赤い線のところが、地球上に人類が存在している「20万年」を表しているのです。生物全体の進化の歴史と比べると、何と短い期間ではありませんか? しかし、私たち人類は、この進化の歴史の上に、それを前提として存在しているのです。それを、私たちは変えることなどできないのです。そのことをウィルソン博士は、こう言っているのです――「人類自体この生きた群集の中に混じって進化してきた動物であり、かつ人間の体の機能は人類以前にすでにできあがっていた特定の環境に合うよう、念入りに調整されている」。

  つまり、博士が言おうとしていることは、人類は他の生物と分離しては生きられず、また人間の肉体は、その基本的構造や機能は、すでに20万年前に決定されているということです。ところがご存じのように、私たち人間の中には、かなりの数の人たちが、この地球上の環境は、他の生物も含めて、人間の邪魔になることが多いから、それを人間の都合に合わせて改変することで、将来は天国のように生きやすい、便利な世界が実現するなどと考えているのです。私が「人間至上主義」と呼んでいるのはこの考え方のことです。「人間の幸福のためならば、自然界のあらゆるものは破壊したり、利用したり、改変したりできる」という思想です。これが間違いであることは、人類は長い時間をかけてゆっくり、ゆっくりと学びつつある――私はそう思いたい。日本の自民党政権が菅内閣になって初めて、突然のように「炭素排出を2050年までに実質ゼロにする」などと言い出しました。これは、先進国の中でもずいぶん遅れた取り組みです。が、まったく取り組まないよりはいいのですが、それでも私は、今の人類には30年もの時間の余裕はないと考えます。

  その証拠の1つが今、人類の目の前に突きつけられている新型コロナウイルスによるパンデミックです。これも地球温暖化も、人間至上主義がもたらしたものです。根っこは同じなのです。

  最近私は、オークヴィレッジ創設者の稲本正さんの『脳と森から学ぶ日本の未来』(WAVE出版、2020年)という本を読む機会があったのですが、稲本さんは「人間至上主義」という言葉は使っていませんが、それと同様の人間の身勝手な振る舞いが、この新型コロナの問題の背景にあるというお考えです。稲本さんは、この問題の原因は「人類側にある」とはっきり書いておられます。引用しましょう――

 新型コロナウイルス問題は人類が今まで歩んできて、大いに成功だと思い込んでいた近代文明の工業化により、自然を破壊し、巨大都市を造り、人間を都市に密集させつつ、長距離移動システムの確立と情報化へと移った一連の進歩を、根本から問い直すように促している。(pp. 46-47)

 

 人類が自分で生み出した問題を、解決に結びつかないように、自分自身で複雑にしている。原因は、経済や人種、国益などの理由を探して一致団結しようとしない人類の考え方にあるのだ。(p. 49)

  今、経済や国益を理由に、新型コロナウイルスのワクチンを独占しようとする動きがあります。また、ワクチンを自分たちの知的財産権の対象として考える傾向があります。しかし、そんな利己的な考えをしていると、グローバル化した世界経済と地球温暖化の中ではウイルスの脅威を抑え込むことなどできません。ウイルスは細菌よりもずっと小さいので、私たちは原始的で、単純な生物だと思いがちですが、決してあなどることはできません。ウイルス学の専門家の評価を紹介します――

  大方の推測では、ウイルスの総数は10の31乗と、地球上で最も多種多様な生命体である。ということは、進化上、最も成功をおさめた生命体である。ウイルスは、感染した細胞の代謝系を変換し、自分が増えやすい環境をつくるという事実から、宿主の細胞よりも複雑な生命の営みをする。だから、最も単純な生命体ではない。

  1リットルの海水があれば、その中にいるウイルスの数は地球上に住む人間の総計を、恐らく10倍ほど上回る。ウイルスの種類も、細胞をもつ生物全体の種類を上回り、推定で1兆種も存在する。 そして、人類のゲノムの8%はウイルス由来のものである。

  細胞レベルでは、私たち人間よりも複雑な動きをする生命体が、細胞をもつ生物全体の種類を上回るほど多種にわたって存在し、1リットルの海水に世界人口の10倍もの数で存在するのです。だから、今回のウイルスの脅威を取り除いたとしても、次が来ないなどとは決して言えません。その可能性を地球温暖化が増幅していることを、皆さんはご存じでしょうか?

  最近の急激な温暖化で、ロシアの北極圏にある永久凍土が溶け出しています。その結果、大変なことが起こると警告する科学者は少なくありません。次の写真を見てください。これはすでに起こってしまっていることです――

  今年の3月7日付のインターネットのNHKのニュースサイトにあった写真ですが、ロシアの北極圏にあるヤマル半島という所の永久凍土が溶け出していて、直径が数十メートルもある巨大な穴があいているというのです。それも1つだけでなく、十数個もです。こういう穴が開くと、中から何が出てくるかということも分かっています。

  次の写真を見てください。これは今年1月25日のNHK番組『クローズアップ現代 の内容を伝えるサイトです。ここに簡潔にまとめられていますが、永久凍土が溶け出すと、その下からは、二酸化炭素の25倍もの温室効果があるメタンガスが出てきた。それとともに、人類がこれまで知らなかった「モリウイルス」というウイルスも発見されたというのです。

  ですから、私たち人類が今のような人間中心主義の考え方を改めずに自然破壊を続け、経済発展ばかりを進める生き方をしていれば、私たちは自分たちの生活基盤をも破壊してしまう可能性さえあるのです。これは、遠い将来のことではなくて、現在それが起こりつつあるという認識をもたねばなりません。必要なことは、まず人類共通の「哲学・信仰」を確立することです。その基本は、生長の家が20年前から言っているとおり、「神・自然・人間は本来一体」ということです。もし「神」という言葉を使いたくなければ、先ほど引用したウィルソン博士や稲本さんのような言い方でもいい。とにかく、人間さえよければ自然界の他の生物や鉱物資源はどうでもいいという考え方から、早急に脱却しなければならないのです。

  そして、私たちの生活の仕方を改めていく。つまり、信念を行動で表現していくのです。そして、自分ひとりで納得するのではなく、多くの人々にその信念を伝え、それらの人々と共に日常生活の中にその考えをどんどん反映させていかねばなりません。そういう運動を、これからも皆さんと一緒に力強く進めてまいりたいと、今日のこの祈念祭に当たり強く思うものであります。

それではこれで、私の話を終わらせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣

| | コメント (1)

2021年1月 1日 (金)

幸福とは自然を愛すること 

 全世界の生長の家の信徒の皆さん、新年おめでとうございます。

  私たちは2021年、令和3年という新しい年を迎えました。新年を迎えて喜びの言葉を交わす習慣は、世界中で当たり前のように続いてきましたが、本年はその“当たり前”の新年を迎えることのできる人が、例年より少ないことを悲しく思います。しかし、それでも新年の到来は、私たちにとって希望と前進と活力を与えてくれます。日時計主義を生きる私たちにとっては、そのことはなおさらです。新型コロナウイルスによる感染症の蔓延の中でも、私たちはこの年を積極的に受け止め、希望を胸に抱いて前へ進む生き方を放棄することはありません。

 今から76年前、日本が第二次大戦で敗れ、国土が一面の焦土と化した時でさえ、私たちは過去に過ちがあればそれを正し、神の御心を体して明るく前進したことを忘れてはいけません。生長の家創始者・谷口雅春先生はこの時、私たちが敵を作って戦う生き方をやめ、人類全体を「神の子」として拝みながら、明るく生きる方法を伝えることに全力を尽くすべきだと説かれたのでした。

 昭和20年、194511月号の月刊誌のご文章から引用します――

   “今後の教化方針は「天地一切に和解」「従って天下無敵」(敵あって「勝つ」と云うのは本来の生長の家の教ではない、戦争無の哲学が生長の家の哲学である)を説き、今後の日本の運命も、苦難が来る荊棘(けいきょく)の道だなどと「言葉」で云っていると「言葉は種子」であり苦難が来るから、吾々は今後日本国民に明るく生きる方法を教えるのに全力を尽くさねばならぬのです。吾等は対立国家としての日本ビイキ的なことを説かず、世界人類は一様に「神の子」として説き、特に『人生は心で支配せよ』『新百事如意』を中心に説いて行けば好いのであります。”


 この引用の最後に出てきたのは、2冊の本の名前です。これらは、いずれもアメリカで生まれたニューソート系の光明思想家の著書に触発されて、大戦以前に、雅春先生が翻訳あるいはリライトされたものです。生長の家はこのように、すでに戦前から、グローバルな視点をもち、普遍的な価値を説く宗教運動でした。だから私たちは、現在もこの伝統を受け継ぎ、狭い国家主義、国益主義を超えて、人類最大の課題となっている自然破壊と地球温暖化の抑制に全力で取り組んでいるところです。

  今回の世界規模の感染症の拡大で、私たちは多くのことを学んでいます。その重要な1つは、「自然を侮るなかれ」ということです。目に見えない半生物のウイルスのおかげで、世界では1年もたたないうちに150万人を超える人々が死に至り、世界経済は劇的に縮小し、国際関係は不安定となり、そのおかげで職を失った人々が大量の流民となって地上をさまよっています。この感染症の原因は何でしたか?

 専門家の分析によれば、中国内陸部の野生動物取引市場で、人間と野生動物とが濃厚接触したことが、その原因です。コウモリの体内に潜むウイルスが、今回のパンデミックを引き起こしたウイルスと遺伝子型が酷似しているといいます。そのウイルスが、センザンコウなどの小動物が中間宿主となって、人間社会に取り込まれてしまったようです。またその後、デンマークでは、やはり同じ小動物のミンクから、人に感染したコロナウイルスの変異種が発見され、それが開発中のワクチンの効力を弱めるのではないかとして、大問題になりました。つまりウイルスは、変異しながら人間と他の動物の間を行き来しているのです。

  これらの事実は何を教えているのでしょう? それは、人間は自然界の一部だということです。哺乳動物としての人間は、他の哺乳動物とそれほど変わらないのです。また、自然界は人間のためだけにあるのではないということです。にもかかわらず、人間が自然界を破壊しながら本来、近づくべきでない領域にまで欲望の手を伸ばし、その一部を自己目的のためだけに改変したり、利用する行為を続けていれば、自然界のこれまでの秩序は崩れ、その秩序によって保障されていた私たち人類の生活も破壊されるのです。この因果関係は、現下喫緊の問題である地球温暖化と全く同じだと言わねばなりません。

  つまり、新型コロナウイルス感染症も地球温暖化も、天罰や神罰ではなく、私たち人類のこれまでの考えと行動によって引き起こされたものなのです。仏教では、こういうことを「自業自得」と表現します。

  この仏教用語は、近代以降の人類の足跡を痛烈に批判していますが、その反面、私たちに問題解決の道を示してくれています。なぜなら、「自業自得」とは、人間が起こした誤りは、人間によって正せるという意味だからです。私たちが自然界の過度の破壊をやめ、自然が本来の活力を取り戻すように私たちの生き方を変えれば、人類はこの自業自得から脱却できるでしょう。生長の家は今、そのような生き方を信仰の情熱をもって推し進めています。大都会・東京から標高1300mの八ヶ岳南麓に国際本部を移し、二酸化炭素を排出しない業務を実現し、自然破壊の大きな原因である肉食から遠ざかり、資源の無駄遣いをやめ、日用品を手づくりし、無農薬・無化学肥料栽培を実践し、自動車の利用よりも自転車の利用を行う中で、自分が自然の一部であることを実感し、その実感の中に人間の幸福があることを体験する――これを理論だけではなく、日常生活の中で、省力化に走るのではなく、私たちが自分の体を積極的に使いながら、自然との切実な一体感を得る生き方こそ、現代に必要な信仰生活だと私たちは考えています。

  もし私たちが創造者としての神を信ずるなら、これ以上、自然破壊を続けることはできません。なぜなら、神は人間を創造されただけでなく、自然界全体を創造されたのですから、私たちは神の創造を自己目的のために破壊することはできません。私たち人間は、他者の喜びを見て幸福を感じます。それと同じように、私たち人類は自然を愛する生き方の中に幸福を見出すのです。なぜなら、個人はバラバラで無関係な存在ではないように、人間は自然から分離することはできないからです。そして、それらすべては神の作品であり、神の一部であるからです。

 私たちはこれからも、「神・自然・人間は本来一体である」とのメッセージとそれに基づく生活法を、広く世界にひろめてまいりましょう。皆さま、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 谷口 雅宣

| | コメント (0)

2020年8月23日 (日)

縄文人と住居の火

  前回のブログの記述から2週間以上たってしまったが、縄文時代について少しだが勉強する機会があった。そこで何が言えるかと言うと、断定的なことはあまり言えないのである。つまり、考古学者による研究は進んでいるが、それらの研究から“定説”的なものが積み上がり、専門家の

間で一応合意された縄文時代の全体像が見えているのかというと、そうでもないのである。

 例えば、人類にとって大変重要な「火の使用」についてだが、前回引用した岡村道雄氏の『縄文の生活誌』には、縄文初期の人々の生活について、次のようにある--

「炉穴では肉や魚の燻製を作るだけでなく、土器を使っての煮炊きやドングリのアク抜きもした。炉穴は、縄文環境の成立と同時に南九州に普及したが、やがて縄文環境と定住が北上するとともに、早い時期から近畿・中部高地・関東地方まで広がっていった。ただし、竪穴住居内に炉が設(しつら)えられるようになると姿を消し、調理は屋内の炉、燻製は炉の上の火棚で行われるようになった」(p.71)

「縄文土器の基本は、食料を調理する煮炊き用の深鉢土器です。土器で煮炊きができるようになって、人びとはドングリやトチの実、ワラビ、ゼンマイなどの山の幸、貝類などの海の幸を新たに日常食のメニューに加えられただけでなく、さまざまな食材を組み合わせて、味覚や栄養のレパートリーを広げることができました。そして、何よりも衛生的でした。縄文時代は、土器のおかげで食生活を格段に豊かにすることができたのです。」(勅使河原彰著『縄文時代ガイドブック』、p.12)

「縄文時代の竪穴住居には、普通、床の中央か、やや奥寄りに炉が1つ切られている。この炉には、深鉢形の土器がおかれて、食料が煮炊きされるが、暖や明かりをとるなど、一家団欒の場となった。炉の近くの床には、水を入れた深鉢形の土器や加工した食料品を入れた浅鉢形の土器、木の実を入れたカゴ、あるいは木の実を製粉する石皿や磨石などが所狭しと置かれていた。」(前掲書、p.59)

 このような縄文土器の用途の記述を見ると、それが「食料の煮炊き用」であることに異存を唱える人はいないようである。が、この食を得るための調理を縄文人がどこで行っていたのかという話になると、少し様子が変わってくる。上に引用した文章の筆者は、二人とも「室内」での煮炊きを当然としているようだが、「屋外」だと主張する人もいるのである。この主張は、竪穴住居跡に残された炉の底が、多くの場合「加熱によって赤レンガのように固くなっている」ことに注目した小林達雄氏によるものだ。小林氏は、まず炉の「灯りとり用」の用途と「暖房目的だけ」の用途を、理由をつけて「考えにくい」と否定した後で、次のように述べている--

「しかも、誰しもがすぐに思いつき易い、煮炊き料理用であったかと言えば、その可能性も全くないに等しいのだ。このことは極めて重要な問題である。とにかく、いくら室内の炉で煮炊き料理をやっていた証拠を探し出そうにも、手掛りになるものは何一つ残されてはいない。不慮の火災で燃え落ちた、いわゆる焼失家屋に土器が残されていることはあっても、そこには煮炊きに無関係の、しかし呪術や儀礼にかかわるかのような特殊な形態の代物--釣手土器、異形台付土器、有孔鍔付土器--ばかりである。縄文人の食事の支度は、どうも通常、住居の外でなされていたものらしい。」

 小林氏は、現代においても寒冷地に住むイヌイットが、厳寒期や悪天候の時以外はなるべく戸外で食事をする傾向があることを指摘し、気候温和な縄文時代の人が戸外での食事を原則としても不思議でないと述べ、さらには縄文人が竪穴住居で大きく火を燃やすことの問題を、次のように述べている--

「炉で火を燃やせば燃やすほど、煙が立ちこめて、眼を開けていられないほど苦しく、咳が出たり、涙があふれたり、たまらない思いをすることがある。この現実を直視して初めて縄文人に接近し、血を通わすことができるのである。博物館に復元された住居の中で縄文家族がこざっぱりした顔つきで炉を囲んでいる姿は虚像なのだ。そこにはガスや電気の恩恵を身一杯受けた、遥かに縄文放れした現実がそのまま投影されている。」(p.97)

 では、縄文人が家の中にわざわざ炉を構え、そこで火を燃やし続けた目的は何か? 小林氏は、そこに宗教の芽生えを見るのである。



「つまり縄文住居の炉は、灯かりとりでも、暖房用でも、調理用でもなかったのだ。それでも、執拗に炉の火を消さずに守り続けたのは、そうした現実的日常的効果とは別の役割があったとみなくてはならない。火に物理的効果や利便性を期待したのではなく、実は火を焚くこと、火を燃やし続けること、火を消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったのではなかったか。その可能性を考えることは決して思考の飛躍でもない。むしろ、視点を変えて見れば、つねに火の現実的効果とは不即不離の関係にある、火に対する象徴的観念に思いが至るのである。火を生活に採り入れた時点から、火の実用的効果とは別に世界各地の集団は、火に対して特別な観念を重ねてきた。その事例は、いまさらながら枚挙にいとまがない。縄文人も例外ではなかった。」(p.94) 

 さて、私自身はどちらの説に賛同するかと問われると、どちらか一方を現時点で選択することを大いに躊躇する。理由は、まだ勉強不足だからだ。しかし、今回のように1万数千年も前の人々の生活を考えるに際して、私たち現代人が注意しなければならないことを学ぶ機会を得た気がする。それは、「現代人の頭だけで考えない」ということと、それでも「同じ人類の一員として考える」ということだ。この2つは一見、矛盾しているように聞こえるかもしれない。が、宗教をなりわいとしている人間にとっては、常に意識しておくべきことだと感じる。詳しい説明のためには、稿を改めたい。

 谷口 雅宣

【参考文献】
〇小林達雄著『縄文の思考』(筑摩書房、2008年)
〇岡村道雄著『縄文の生活誌』(講談社、2008年)
〇勅使河原彰著『ビジュアル版 縄文時代ガイドブック』(新泉社、2013年)

| | コメント (0)

2020年8月 7日 (金)

縄文時代は長かった

 7月27日の本欄では、生長の家の“森の中のオフィス”で先日行われた「石上げ」の行事の解説で、私は「石と人間の関係」の次に、「縄文時代の特殊性」について話した、と書いた。しかし、この話の全体の時間は30分ほどだったので、詳しい話はできず、ごくごく一般論を述べるに留まった。縄文時代の人々の生活の様子や信仰の中身、文化論のようなものを話したわけでは決してない。だいたい私は縄文文化の専門家ではなく、考古学マニアでもなく、ましてや考古学者ではないから、縄文時代の文化について自信をもって話せることはあまりない。が、たった1つ、これまで専門家や研究者のあいだで合意されている事実の中で、私が素人なりに「特筆すべきだ」と感じたことを述べたに過ぎなかった。それは、この時代の「長さ」だった。

 中学や高校の教科書にある縄文時代の記述を読んで、この時代の重要性をすぐに理解できる人は少ないだろう。少なくとも私自身は、高校生の時に、この時代が重要だとはまったく思わなかった。むしろ、「すごい昔だから、今の時代や生活とは関係が薄く、だから重要でない」と感じていた。時代の古さについては、平凡社の『世界大百科事典』の「縄文文化」の項には次のようにある--

「日本列島における旧石器時代文化に後続する狩猟漁労採集経済段階の文化。縄文土器編年に基づいて草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に区分される。その開始は、炭素14法の年代測定値や汎世界的な海水準変動の地質学的年代などから前1万年前後と推定する長編年説、相対年代法により約前2500年とする山内清男の短編年説があるが、実際は長編年説にやや近い年代と考えられる。」

 入り組んだ文章でわかりにくいが、これを簡単な日本語に“翻訳”すれば、縄文時代の始まりは「明確には分からないが紀元前1万年前後と推定される」ということだ。私が注目したのは、この時代の始まりと推定される「紀元前1万年」という古さではなく、この時代がいつまで続いたかという「長さ」だった。同じ事典には、炭素14法による測定をもとにして、縄文文化が終る年代を「前300」と書いてある。つまり、約1万年も続いた文化が日本にはあったのだ。

 このような理解は、しかし一時代前には存在しなかった。例えば、1972年に発行された高校用の教科書『新訂 日本史』には、「縄文文化は約1万年前から数千年にわたって、大陸から孤立した日本列島の各地に普及した」と書いてある。(p.11)この教科書が当時の文部省の検定を通ったのは1970年である。また、これより17年後に検定を通った『新詳説日本史』という教科書は、「弥生文化の成立」という項目を次のような書き出しで始めている--

「日本列島で数千年にわたって縄文文化がつづいている間、中国大陸では、紀元前5000~4000年ころ、黄河中流で畑作がおこり、長江(揚子江)下流域でも稲作がはじまり農耕社会が成立した。」(p.14)

 これらの教科書の「数千年」という表現が「約1万年」よりも短いということだけを、私は言っているのではない。縄文文化という言葉を聞いて、「中国大陸から孤立した」とか「農耕を知らない」などという語が頭に浮かんできたのは、昔の話で、1980年代後半からの発掘調査や研究によると、古い縄文時代観は書き換えられつつあるという。

 考古学者の岡村道雄氏によると、技術革新に加え、考古学と自然科学との連携が新しい発見を次々と生んでいるのだ--

「多くの現場を広く深く、しかも確かな発掘技術を持つプロが掘る。そして、現場から出土した遺物を科学の力も借りて微細なレべルまで分析する。その成果の積み重ねが縄文ブーム、縄文観の書き換え、ひいては考古学ブームの根底にあるのである。(…中略)…
 細々と獲物を捕り、貝を拾い、木の実を集めて、竪穴住居にひっそり暮らしてきた二十人から三十人の集団があったという縄文人のイメージは、この十年で完全に塗り替えられたのである」(『縄文の生活誌』、pp.87-88)

 さて、縄文時代への理解の変化についてはこのくらいにして、その文化が「1万年も続いた」という主題にもどろう。
 言うまでもないことだが、今年は西暦の2020年である。つまり、イエスが誕生したと推定される年から2020年たったということだが、このイエス誕生の頃に、日本では弥生時代が始まったとされている。約2000年前である。で、この弥生時代が現代まで続いていたら、どんなだろう? 私たちは、そんな世界を想像できるだろうか? 鉄道はなく、航空機もなく、ビルもなく、自動車もなく、もちろん電話やパソコンやスマホもないし、映画や遊園地、オリンピック、レストラン、金融機関、そして政府もない。これだけでも大変なことだが、1万年はその5倍の長さである。


 この時代の長さは、数字でデジタルに考えるよりも、視覚的にアナログ化することでより明確になる。先日行われた「石上げ」の行事の解説では、私は「縄文スティック」(=写真)と名づけた木の棒を参加者に配り、手に取ってもらった。そして、写真にあるように、赤い色が塗ってある側を左に向け、色の塗っていない部分を右に向けて眺めてみる。これを“時の流れ”として見るのである。もっと具体的には、7ミリの長さを「500年」の時間の経過とすると、赤い色の部分が1万年、青い部分が2000年になる。色のない部分は、これからの未来だ。こうすると縄文時代に比べ、古墳時代以降、現代に至るまでの時の流れがどんなに短いかが、視覚的によく分かるのである。こんな長期にわたって、さほど大きく変化しない生活を人々が延々と続けていたのが縄文時代なのである。

 現代人が考えると、こんなに変化がなくつまらない、退屈な時代はないと考えがちだが、同じことを別の角度から表現すれば、こう言えないだろうか?--「それほど長期にわたって、人々は生活パターンを大きく変えることなく平和に共存してきた」のである。あえて理想化の危険を冒して言えば、この時代には、多少の血が流れるような小競り合いはあったかもしれないが、何万人も、何十万人もの死者が出る戦争はなく、他国や他民族を襲って奴隷とすることもなく、されることもなく、血なまぐさい革命はなく、経済恐慌が起こって大量の失業者が出ることもない。恐らく、大量の死者が出る飢饉や感染症の蔓延もなかっただろう。

 そんな安定した文化が続いた後に、日本人は(そして人類全体も)、その5分の1という極めて短い時間の中で、生活様式を変え、技術を変え、武器を変え、社会制度を変え、ものの考え方を変え、自然を変え、原子爆弾を爆発させ、公害をまき散らし、農薬やプラスチックを全世界に拡大し、多くの生物種を絶滅させてしまった。「縄文人と現代人と、どちらが幸せなのだろう?」などという疑問が湧いてこないだろうか。この疑問は、しかし人類の歴史のマイナス面に注目したものだ。

 生長の家は日時計主義だから、プラス面にも注目すると、また別の設問が浮かび上がる。それは、「弥生時代から現代に至る時の流れの5倍もの長きにわたって続いた縄文文化は、現代人と全く無関係なのか?」ということだ。言い直すと、「縄文人の遺伝子の一部を現代人が共有している可能性はないか?」ということだ。現代の遺伝学の発見によると、ヒトとチンパンジーなどの類人猿との遺伝子は、95%以上が共通しているというのだから、私は、その可能性は十分あると考える。とすると、私たちは今、現代社会が生んだ深刻な問題に対処するに際し、縄文人の生き方から学ぶべきことは多くあるのではないだろうか。そんな問題意識が、今回の「石上げ」の発想と結びついているのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○風間康男他著『新訂 日本史』(東京書籍出版、1972年刊)
○井上光貞他著『新詳説日本史』(山川出版社、1987年刊)
○岡村道雄著『縄文の生活誌』(講談社、2008年刊)
○下中弘編集発行『世界大百科事典』(平凡社、1988年刊)

| | コメント (0)

2020年8月 3日 (月)

石と信仰 (4)

 ところで読者は、「石」という漢字の由来をご存じだろうか。
 私が昔から使っている机上版の『新明解 漢和辞典』を引くと、「字源」の項目にこうある--

 「象形、厂(がけ)の下に口(石)がころがってある形」

 これは「口」と「石」とを同一視した説明である。ところが、同じ辞典で「口」という漢字の字源を見てみると、

 「象形、口の形にかたどる」

 とあるだけで、「石」については何も触れていない。「石という漢字は石の形をまねた」と言っているから、その「石の形」はどんなかと聞くと「口の形」だというのである。人間の口と石と、形がどう似ているのだろう。何だか判然としない。そこで、白川静氏の『字統』を見ると、こうある--

 「石は厂(かん)と口とに従う。厂は崖岸の象。口は□(さい)、祝禱を収める器の形で、石塊の形ではない。」

 さらにこうある--

「九下に〝山石なり。厂の下に在り。口は象形なり〟とするが、口は卜文・金文において祝禱の器とする形にしたがうものが多く、宕(とう)の字形もなおその形である。宕は廟形に従い、■(せき)も祭卓に従うていて、明らかに神事的な儀礼を示す字であるから、石の従う口も、祝禱の儀礼に関する意味をもつものとしなければならない。」

 ここにある「九下」や「卜文・金文」は、漢字研究の古い
資料を指すが、詳しいことは省略する。また、引用文中に「□」と「■」という伏字で示した文字は、現代の漢字表には存在しない文字で、画像で再現したものをここに添付した。白川氏が述べているのは、ある資料には「石の字源は山の崖の下にある石だ」と書いてあるが、古代文字の資料を見ると、これは「小石ではなく祝詞を収める器」を象ったもので、古代においては、「石」は崖の一部を構成するような「大石」や「岩」を意味していたということだ。そういう岩の下で(つまり、岩に直面して)祈りを捧げていたのが古代人だということになる。こうなると、「石」はもともと宗教行事と不可分の扱いを受けていたことになり、「石と信仰」の間はピッタリとつながるのである。

 日本全国の由緒ある岩石をめぐっている磐座(いわくら)研究家、池田清隆氏も、著書『磐座百選』の中で白川氏のこの解釈を引用し、「石の語源が、“巌のもとで祭祀を行う意”であることを知り、もっとも古い祈りの形であったことを理解する」と賛同している。

 この「磐座」という言葉は、前回の本欄でも出てきて「何だろう」と思った読者もいるかもしれない。そこで、同時に出てきた「磐境(いわさか)」と共に、池田氏の定義を紹介しよう--

「ようするに、岩石信仰といえるものを広い意味で磐座と表現するが、そのなかで、石そのものを神として信仰するものを石神とし、石や岩に神が依りつくという信仰を磐座とし、石で区切られた“空間”に神が降臨するという信仰を磐境とするというものだ」。(前掲書、p.10)

 そして池田氏は、この本の中で石神、磐境も含めた広義での「磐座」を表現した神社を百社選んで、写真入りで紹介している。それを見ると、日本人はいかに“大きな石”を宗教心をもって扱ってきたかがよく分かるのである。大体、神社や仏閣の名称自体に「石」や「岩」が多く使われてきたのである。例を挙げれば、次のようになる(括弧内は所在地の県名)ーー

 岩木山・大石神社(青森)、三ツ石神社(岩手)、磐神社・女石神社(岩手)、釣石神社(宮城)、立石寺・元山寺(山形)、石楯尾神社(神奈川)、石山寺(滋賀)、磐船神社(大阪)、石像寺(兵庫)、飯石神社(島根)、天岩戸神社(宮崎)

 では、これらの事実は日本人特有の感性を表しているのかと問うと、そうは言えないのである。このことはすでに本シリーズの2回目で、聖書の石に関する記述などに触れたので、了解されている読者もいるかもしれない。また、先に挙げた白川氏の見解が、日本だけに及ぶのではなく、漢字文化の発祥の地、中国にも適用されることは言うまでもない。このように考えれば、石と信仰とのつながりは地球上の一部の文化圏に限定されずに、人類すべてに及ぶ可能性は否定できないのである。

 そのことを暗示するもう一つの例は、あの有名なイギリスのストーンヘンジである。これは、同国南部のウィルトシャーにある古代遺跡で、講談社の『大事典desk』は次のように説明している--

「中央に祭壇石、その周囲に4重の列石と3重の穴の列があり、さらにその外側に溝がめぐらされてある。環石は北東方向に開いていて、そこにヒールストーンという石柱がおいてある。これは太陽崇拝に関係あるものといわれ、中央の祭壇石とヒールストーンを結んだ線上に当時の夏至の太陽が昇ったと考えられている。」

 フランスのブルターニュ地方にも「カルナック立石群」と呼ばれる新石器時代の大規模な遺跡があり、そこにはメネック、ケルマリオ、ケルレスカンという3群に分かれた5千もの立石が並んでいる。ケルトのデザインなどを研究している美術史家のイアン・ツァイセック氏によると、この立石群の目的は不明であるが、「ケルマリオが“死者の館”を意味するところから、立石群が弔いの儀式に関係があると古来信じられてきたが、現代の考古学はそれらが天文学上の目的と結びついていたのではないかという説に傾いている」という。(山本史郎・山本泰子訳『図説 ケルト神話物語』、p.253)

 谷口 雅宣

【参考文献】
○長澤規矩也編『新明解 漢和辞典』第二版机上版(三省堂、1981年刊)
○白川静著『字統』(平凡社、1994年刊)
○池田清隆著『磐座百選--日本人の「岩石崇拝」再発見の旅』(出窓社、2018年刊)
○イアン・ツァイセック著/山本史郎・山本泰子訳『図説 ケルト神話物語』(原書房、1998年刊)

| | コメント (0)

2020年8月 1日 (土)

石と信仰 (3)

 日本人は自然の営みの中に“八百万の神”を見出して、それらを信仰していたと指摘する人は数多くいるが、「日本人は岩石を信仰していた」と唱える人もいる。それは考古学者の吉川宗明氏で、その著書の中で次のように書いている--

「学校の歴史の授業でもほとんど習うことのない岩石信仰だが、日本列島に1千例以上ある信仰体系であることは揺るぎのない事実だ。その総数がどれほどの数に上るのか、全容については筆者自身もまったく把握できていない。
 ただ、一つはっきりしていることがある。それは、岩石はただ信仰されるだけにとどまらず、祭祀の道具や施設・装置にも使われており、信仰対象と同様に神聖な存在とみなされているということだ。信仰の目的や用途ごとに岩石の役割が使い分けられているため、その幅広さが岩石信仰を奥深く、かつ全貌をつかみにくくしているのである。
 また、岩石信仰は過去行われていただけの信仰ではない。現在も祭祀が続いている事例は多いばかりか、新しく信仰が生まれるケースも見受けられる。昨今盛んなパワースポットブームでも、岩石をパワーストーンや癒しの対象とみなす新たな信仰が続々と生産中だ。岩石信仰は、昔も今も信仰する人々がいる、現在進行形の生きた信仰ということにも注意したい」(『岩石を信仰していた日本人』、p. 12)

 「岩石を信仰する」という表現は、まるで岩石自体を神仏と見なして信仰するように聞こえるが、そうではなく、吉川氏によると、「岩石を使った祭祀行為全般をひっくるめた概念」のことを「岩石祭祀」と呼ぶ。そして、同氏は「その岩石が、人々によってどのような役割を与えられているか」という機能に注目して、次の5分類を提示している--

(1) 信仰対象 (280)
(2) 媒体 (934)
(3) 聖跡 (344)
(4) 痕跡 (8)
(5) 祭祀に至らなかったもの (362)

 同氏は、日本全国の2,187の事例に当たって分類した結果、上記リストの括弧内の数字を得たという。この分類は、神道考古学者の大場磐雄氏が1942年に提唱した「石神」「磐座(いわくら)」「磐境(いわさか)」の3分類を取り込みながら、神道の範囲を超えて普遍化したものとしている。

 この分類結果を見ると、日本で多く見られる岩石に関わる信仰形態は、岩石そのものを信仰するのではなく、それを信仰の「媒体」とするものだということが分かる。具体的には、岩石を神や仏が宿る施設と見なしたり、願いをかなえる道具として岩石を使ったり、岩石を神性な空間の領域を示す道具に使ったり、祭祀を遂行する道具としたりすることである。

 このような学問的なアプローチを採用すれば、生長の家が「石上げ」などの行事を通じて岩石を利用する場合、また自然解説/文化遺産

解説の過程で岩石に言及する場合も、教義との矛盾を起こさずに行えるだろう。言うまでもなく、生長の家は唯一絶対神を信仰する宗教だから、上記の(1)の意味で岩石を使用することはあり得ない。しかし、(2)の観点から利用することに教義上の矛盾はないのである。だから、2011年3月の東日本大震災を契機として、その2年後に、京都府宇治市の生長の家宇治別格本山の敷地内には、「自然災害物故者慰霊塔」が建てられた。この慰霊塔には、兵庫県で産出される安山岩の一種「生野丹波石」という自然石が使われている。また、私が勤める“森の中のオフィス”の敷

地内には、そこを流れる沢に5つの橋がかかっているが、その傍らにはそれぞれの名前を記した石碑(=写真)が立っている。これらも「信仰の対象」ではなく、信仰の内容を言葉で表した「媒体」としての石の利用なのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○吉川宗明著『岩石を信仰していた日本人ーー石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究』(遊タイム出版、2011年刊)

| | コメント (4)

2020年7月29日 (水)

石と信仰 (2)

 石上げの自然解説では、私は3つのポイントを話した--①石と人間の関係、②縄文時代の特殊性、③数の「3」と三角形だ。

 石と人間は、生活の手段や道具としてだけでなく、宗教や信仰とも深く関係している。世界の神話をひもとくと、石や岩は、人間の生活や行動の中で重要な位置を占めている。ギリシャ神話の「シーシュポスの岩」や日本神話の「天の岩戸」の話はすぐ思い出すが、そのほかにも数多くの事例がある。東京大学出版会が出した『宗教学辞典』の「石」の項には、次のようにある--

「古代人は、道具・器物として石を用いるかたわら、幸運や力の分与を期待して石を崇拝した。小石、大石、板石、石塊、窪みのある石、穴のあいた石、人獣の姿に似た形の自然石、立石、環状列石(メンヒル)、境界石、墓石(ドルメン)、隕石、フリント、砥石、石斧、水晶、各種宝石、人跡まれな場所で見いだされた石、特定の人間や出来事にかかわる石等々。このような石が、力・毅然・新鮮・豊饒・生命・堅忍・永続・幸運・信頼の象徴として、それぞれの時代や地域における社会や文化に規定された儀礼や伝説・物語の結晶核となった。」(p. 18)

 このような包括的なまとめの後に、同辞典は、石の宗教的機能として①呪術的な力、②神の座・神的表象、③原因譚的・神話的説明を人間に与えるとして、様々な時代、様々な文化圏で石が具体的にどう扱われてきたかを記述している。ここではそれらのごく一部を紹介しようーー

・インドには浄めのため、あるいは潔白の証明として、石の穴や下をくぐりぬける慣行がある。
・南インドのバラモンたちは、家庭での礼拝のために神性を表象する5つの石を使った。
・ギリシャでは、ヘラクレスやエロスなどの神々の名のついた自然石が戸外に置かれている。
・ユダヤでは、神との契約の証として石を立てた。(『ヨシュア記』第24章26ー28節)
・アラブのサヘル族は、自分たちはモアブの地の石から出生したと信じた。
・神のお告げを受けたヤコブは、自分が枕にしていた石を立てて「神の家」とした。(『創世記』第28章18-22節)

 これらに加え興味深いのは、人間が山から切り出した石と自然石に対する見方の違いである。中世のキリスト教芸術に詳しいミシェル・フイエ氏によると、石は神がそこにある(臨在する)しるしであり、したがって「祭壇を築くには、切り出した石を使うことは禁じられ、自然のままの石だけを使わねばならないとされた」という。その理由は、「自然石は天から落ちてきた聖なるものであるのに対して、切り出した石は、人間が作り出したものであるため、けがれていると考えられた」からだという。(『キリスト教シンボル事典』、p.19)

 このように、自然石には「神性が宿る」という考え方があるならば、それより大きい「岩」には、さらに偉大な力があるとの考えが生まれたとしても不思議ではない。同氏の「岩」の意味についての記述には、その通りのことが書いてある。

「①頑丈でびくともしない岩は、権力と永遠性のシンボルである。聖書の数多くの節で、ヤハウェは苦境に陥った人間がすがりつくべき岩にたとえられている。ヤハウェが岩であると言われるのは、彼が--モーセによれば--“正しくてまっすぐな方”だからだ。シナイの荒れ野で、モーセがホレブの岩を杖で叩くと、清水が湧き出した。
 ②この岩は、キリスト教の伝統では、キリストの予示とされる。キリストは霊の飲み物がほとばしり出る岩なのである。」(前掲書、pp. 24-25)

 岩や石が力と永遠性を象徴するという感性は、ユダヤ=キリスト教圏だけにあるのではない。日本神話には、ニニギノミコトが容姿端麗なコノハナノサクヤヒメに一目ぼれし、結婚相手として父神のオオヤマツミノミコトに所望した際のエピソードがあるが、そこには結婚生活は「美しい」とか「華やか」だけではいけないというメッせージが盛り込まれている。世界の神話に詳しい吉田敦彦氏の解説で紹介しよう--

「オオヤマツミは大喜びして、姉娘のイワナガヒメまで付け、たくさんの贈り物を持たせて、姉妹二人を妻に奉った。ところがホノニニギは、石のように醜い姉のほうを嫌って、手をつけずに送り返してしまって、妹のほうだけを妻にした。そうするとオオヤマツミは怒って、『古事記』によれば、“イワナガヒメを妻にされることで、あなたのお命が、石のようにいつまでも堅固であられるように、またコノハナノサクヤヒメを妻にされることで、花のように栄えられるようにと祈願して、二人を奉ったのに、イワナガヒメを返し、コノハナノサクヤヒメだけを妻にされたので、あなたの寿命は花のようにはかなくなるでしょう”と言って、ホノニニギと、その子孫の代々の天皇の命を短くしてしまったといわれている。」(『世界神話事典』、p.113)

 この箇所で私が重要だと思うのは、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの双方が揃うことの意味を、『古事記』(の作者)がどう訴えているかという点である。上記の解説では、美醜の違い、華やかな美と堅固さとの対照が示されているが、原文では、オオヤマツミは、自分の怒りの理由を次のように述べている--

「我が女(むすめ)二たり並べて立奉(たてまつ)りし由は、石長比売(いわながひめ)を使はさば、天つ神の御子の命は、雪零(ふ)り風吹くとも、恒(つね)に石(いわ)の如くに、常(とき)はに堅(かき)はに動かずまさむ。また木花の佐久夜毘売(さくやひめ)を使はさば、木の花の栄ゆるが如(ごと)栄えまさむと誓ひて貢進(たてまつ)りき。かくて石長比売を返さしめて、ひとり木花の佐久夜毘売を留めたまひき。故、天つ神の御子の御寿は、木の花のあまひのみまさむ。」といひき。

 当時の日本は一夫一婦制ではなかったから、二人の妻の一方を拒否する理由は現代人が考えるものとは一致しないだろう。これは個人の嗜好の問題としてではなく、人間が表面的な派手さや短期的な繁栄に目を奪われがちであることへの警告だ、と私は受け取る。また、上述した他の文化圏での「石」や「岩」のシンボリズムを考え合わせると、神や“神性”が表面的な美や短期的栄華の中にはないとする英知が暗示されていると解釈できる。

【参考文献】
○小口偉一/堀一郎監修『宗教学辞典』(東京大学出版会、1973年刊)
○ミシェル・フイエ著/武藤剛史訳『キリスト教シンボル事典』(白水社、2006年刊)
○大林太良、伊藤清司他編『世界神話事典』(角川書店、2005年刊)
○倉野憲司校注『古事記』(岩波書店刊、1963年)

 

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧