認知科学・心理学
2016年11月22日 (火)
今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山出龍宮顕斎殿において「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」が行われた。前日には、午前中に「第36回龍宮住吉霊宮秋季大祭」、午後には「第39回龍宮住吉本宮秋季大祭」が執り行われたが、それに続くもので、近隣の教区から信徒・幹部約250人が参列した。私は祝詞を奏上したほか、式典の最後に概略以下のような挨拶を述べた:
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皆さん、本日は谷口雅春大聖師御生誕記念式典にお集まりくださり、誠にありがとうございます。ご参集いただいた方の中には、昨日からの龍宮住吉霊宮の大祭と本宮の大祭にもご参加くださった方も多いと思います。心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
先ほど祝詞を奏上させていただきましたが、その中にもあったように、今日のこの日は、生長の家創始者、谷口雅春先生のお誕生日であるだけでなく、第二代総裁の谷口清超先生が生長の家総裁の法燈を継承された記念すべき日でもあり、二重の意味でおめでたい記念日です。皆さん、おめでとうございます。
今日はこのように、雅春先生と清超先生が「生長の家総裁」という共通項で“ムスビ合わされた”日でありますので、お二人が結ばれる契機となった出来事について、さらには、お二人が出会う“仲介役”となった人物の存在の意味について、改めて考えてみたいのであります。
生長の家創始者であり初代総裁の谷口雅春先生と、二代目の清超先生とを結びつけたものは、1冊の『生命の實相』という御本でした。これは有名な話なので、ここに集まられた多くの方はすでにご存じでしょう。ただ、今日の私の話は、インターネットを介して日本全国、いや世界にも放映されているので、まだ知らない人も聴いてくださっているでしょう。清超先生の御本から引用しつつ話すことにいたします。
谷口清超先生は、もともと荒地清超というお名前で、谷口家には婿養子として入籍されました。それは昭和21年(1946年)のことですが、それに先立って、まず清超先生が生長の家を初めて知られたのは、戦中の島根県浜田市の陸軍病院でした。先生はそこで結核を病んでおられたけれども、上官に当たる同室の上等兵が読んでいた『生命の實相』を興味半分で借りて読んだところ、その内容にぐんぐん惹かれて手放せなくなり、ついに健康を回復されたのでした。これによって生長の家を知った清超先生は、戦後になって、『生長の家』誌で募集していた翻訳係に応募し、採用されたので上京し、谷口恵美子先生にお会いすることになるのです。
ですから、『生命の實相』がお二人を結んだようでありますが、その『生命の實相』を上等兵が清超先生に貸すことがなかったならば、清超先生はその後も『生命の實相』を読まれなかったかもしれない。そうなると第二代の生長の家総裁は別の人になっていた可能性もあるのです。すると、私などは存在しないから、勿論この場所に立つこともないのであります。つまり、生長の家が今日存続していたかどうかは、この上等兵の判断一つにかかっていた--そう言えるような重要な“ムスビ”の役割を果たした人がいたのであります。
清超先生が書かれた『真実を求めて』というご本には、この不思議で、大変重要な縁をつくった上等兵の役割について深い真理が説かれているので、このご文章を引用しながら、説明させていただきたいのであります。43ページから始まる「方便説法」という章を読みます--
<思えば一冊の真理の書物が、どれだけ多くの人々を救ったか分からない。しかし、その書物を用意してくれた人々が、必ずどこかにいたのである。私自身、かつて陸軍病院に入院中、ベッドの上で一冊の『生命の實相』をとり出し、それによみふけっていた兵隊から、その本を借りてよみ出したことがきっかけで、生長の家にふれたのだ。
「ちょっとそれを貸して見せて下さい」
という私の願望は、決して「真理を求める」といった大袈裟なものではなく、ちょっと小説でも借りて読んでいようかといった、軽い気持ちであった。ところが、その本をよんでみて、私はその時以来『生命の實相』のとりことなった。
私はこうして真理の大愛に捕捉されたのである。当時の私には決して求道し探求したいといった思いはなかった。又、その本をかしてくれた兵隊も、私を「救ってやる」などという気配は微塵も見せず、かえって私に貸すのがいかにもおしそうであった。
こうして、彼は後になって死に、私は助かったのである。彼は最後に背教者となっていた。がしかし私は、彼によって、彼を通して、この大法を得たのである。このことの意味を、私はいつも考え続けている。「背教者」の意味をである……ある人は、ベンチの上に捨てられていた一冊の信仰の誌をみつけ、それで救われていった。その時、ベンチに、誰かがそれを捨てたのだ。一体、本当に「捨てる」とか「背教する」ということがありうるのだろうか。そんなものはナイのである。
ナイけれども、あたかもあるように見える。そのような現象の奥にある神の大愛が、私達を救いとって放そうとしない。捨てる人は、たしかに「捨てる」という意識をもったのであろう。しかし、本当は「伝道した」ことになる。教えに背いた人も、本当は背いていないにちがいないので、ただ一時、そのように表現し、その表現が、自分自身を胡魔化(ごまか)してしまう。彼は、夢を見るのである。
このようにして、夢の中にいる人々に対して、その夢をやぶるために、様々な方便が使われる。それは必ずしも、真理の説法でなくてもよいし、バケツの水をブッかけるといった類いの行為でもよい。だが、その行為の奥には、明らかに大いなる「愛」が働きかけているのである。この愛こそが本物であり、それによって、人々は限りなく尊く美しく生長して行くのである。>(同書、pp.44-46)
この後、少しページを飛ばして、49ページから読みます--
<かつて私に『生命の實相』を貸してくれた兵隊も、一時的には健康を取りもどした。がしかし何らかの機会に、健康を第一として、その方便としてのみ本を見るようになったらしい彼は、
「お前、まだ生長の家なんかやっているのか。俺は、このごろあの雑誌で尻をふいとるよ」
というようにまでなってしまった。こうしてひどく痔を悪化させ、肺病も末期になって死んでしまったのである。私は彼の言葉を想い出すと、いつもこの背教的恩人が“皮肉な詩人”であったという気がして、悲しくなるのである。
当時の私は、まだ『生命の實相』を愛読中の一声聞(しょうもん)の徒にすぎなかったのだ。私は当時彼を救うなどという考えをいささかも起こしてはおらず、かえって先輩である彼のこの背教的行為で打ちのめされ、うろたえたものだ。しかしどうしても『生命の實相』を投げすてる気にはなれず、いつの間にか彼とは別の道を進んでしまったのである。>(同書、pp.49-50)
谷口清超先生に教えを伝えた上等兵は、伝えたあとは教えを棄ててしまい、生長の家の「雑誌を破って尻を拭く」などという背教的な行為をしていた挙句、肺病が悪化して死んでしまった。しかし、この背教的離反者がいなかったならば、清超先生は生長の家の第二代総裁にはならなかったかもしれない。このことを考えると、一見“悪”だと思われる行為であっても、あるいは、そういう“悪人”がいるように見えても、その背後には、より大きな善が現れる重要な契機が潜んでいたことが分かるのであります。そして、先生がおっしゃる通り、本当の意味での“背教者”など存在しないことが納得されるのです。これは釈尊に対する提婆達多や、イエスに対するイスカリオテのユダの関係にも言えることでしょう。
さて、これらはやや昔の話でありますが、私たちの運動の中で最近も同じような解釈が可能な出来事がありました。
昨日行なわれた2つの御祭では、私たちはそれぞれ『大自然讃歌』と『観世音菩薩讃歌』を読誦しました。これらの2つの讃歌は、今から5年ほど前に私が書かせていただいたものですが、当時は、生長の家の重要な経典である聖経『甘露の法雨』と『天使の言葉』が、版元の日本教文社から発行できなくなる恐れが生じていたのです。これは当時の社会事業団理事長が、出版差し止めをやろうとした。この人物は、もともとは生長の家の本部理事まで務めた人ですが、私たちの運動の方向に反対して、聖経の版権を別の出版社に譲ってしまった。私たちの立場から見れば、これは一種の“背教的行為”です。
私は、そのような彼の行為が事前に予測できたので、その頃、何とかしなければいけないと思い、2つの聖経から引用しつつ、2つの新しい自由詩をブログ上で発表したのでした。それらが約1年後に『大自然讃歌』と『観世音菩薩讃歌』の経本になりました。今では皆さんも、この2つの讃歌に親しんで下さっていると思いますが、その当時、社会事業団の訴訟がなければ、また、そういう一見“背教的”な人物がいなければ、私は経本を書こうなど夢想もしていませんでした。だから、この2つの讃歌は、この世に生まれることはなかったでしょう。が、この人物とその訴訟のおかげで、これら2つは世に出ることになったのであります。
これらの讃歌は、人間にとって自然界がどれだけ貴重で素晴らしい存在であるかを、御教えにもとづいて讃美し讃嘆する内容です。聖経『甘露の法雨』も『天使の言葉』も、そういう視点からは教えを説いていないので、地球温暖化と気候変動が起こっている現在、これらの讃歌の役割はますます重要になっています。そういう自由詩を私に書かせ、またその経本を生長の家に発行させる役割を果たしたのが、一見“背教的”な“敵対行為”を行った人物だったのです。
しかし、この行為が、御教えの多様な展開と今日的状況への対応を可能にしてくれたのです。それを思えば、私には今、それが--清超先生のお言葉を借りれば--「現象の奥にある神の大愛」のように感ぜられるのであります。これら両讃歌は、今では日本語のみならず、英語、ポルトガル語、中国語、韓国語、ドイツ語、スペイン語にも翻訳されて、世界中の生長の家信徒が読誦し、また信徒以外の人々にも伝わりつつあります。
このようにして、善一元の実相が現象界に現れる過程では、一見、“悪い”と思われる事象も出てくるけれども、その背後に真理を表現せずにはおかない“神の大愛”があることを観通すことが大切だと教えられます。皆さんもぜひ、現象の表面的な“悪”に心を千々に乱すことなく、神の世界の善一元を信じ、その表現に向かって明るく、力強く前進してください。生長の家が今日あるのも、現象悪によって動揺せず、教えを棄てることのなかった厚い信仰者たちがあったればこそなのです。
谷口雅春先生のお誕生日、また谷口清超先生の法燈継承記念日に当たって所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。
谷口 雅宣
2016年3月 4日 (金)
一個の肉体
自分が一個の肉体だという考えを超えたとき、あなたの中に霊的エネルギーが湧き上がってくる。
ここでいう「一個」の個とは、二個、三個、四個……と続く、ものを数える単位ではない。これは「個人」というときの、社会の最小単位としての存在を指す。英語では individual という語がこれに相当する。これは、社会をどんどん細かく分割していき、もうこれ以上分割できない(in--否定、divide --分割する)という最小単位を意味する。
人間は感覚器官を通して見るかぎり、このように他人とは分離した肉体としての「個人」だと感じられる。親子も、兄弟も、肉体としては分離しているし、愛し合う恋人同士さえ、心は通い合っても体は別々である。
「自分は一個の肉体だ」と考えると、個々の人間はそれぞれ孤立し、利害は対立し、自分の利益は自分で護るほかないのだから、「利己主義は当然」と考える方向に、心は動いていきやすい。となると、人々は自己主張を強め、社会はギクシャクしてうまく機能しなくなる。
だから、「自分は一個の肉体である」というこの分離感は、本当ではないということを、多くの人々は気づいている。そもそも恋愛感情が起こるということが、この分離感を否定している。愛のない、単なる肉体的な結合を求める場合でも、人はそれによって分離感を克服し、一体感を得たいと望んでいる。
この希望を幻想だと思ってはいけない。人間は決して孤立していないということは、相思相愛の二人に聞くまでもなく、科学的にも真実である。私たちの肉体と心を制御する遺伝子は、父母の遺伝子を半分ずつ受け継いでいる。それどころか、先祖の遺伝子はもちろん、生物共通の遺伝子も大量に共有している。遺伝子を共有するということは、身体的に同じような特徴をもち、同じように行動するということだ。それだけでなく、喜怒哀楽などの感情も、一部が共通している場合もあるということだ。
だから、私たちの感覚器官が生み出す「一個の肉体」という錯覚に惑わされずに、人間同士の目に見えないつながりを思い出し、それが社会の本当の姿であるとの理解に至れば、孤立感、孤独感、無力感は、一体感、共有感、そして生命の躍動感へと変貌する。これに加え、「人間は自然と一体なり」という当たり前の真実に気がつけば、「我生きるにあらず、神われと共にあり、すべては我と共にあり」の自覚にいたる。歴史上の多くの大事業は、そんな覚者によって成し遂げられてきたのである。
谷口 雅宣
2016年3月 1日 (火)
個々の現象の“背後”を観よ
今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山の出龍宮顕齋殿で「立教87年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が挙行され、日本全国のみならず海外からも代表者が集まって、立教の精神を振り返り、今後の運動の進展を誓い合った。私は概略、以下のような内容の挨拶を行った--
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皆さん、本日は立教87年の記念日を迎えたこと、誠におめでとうございます。立教記念日は、人間でいえば「誕生日」に当たりますから、今日は、生長の家の満86歳の誕生日であります。人間は「86歳」といえば、もう先が長くないと考えますが、宗教運動にとっては、100年に満たない年月はまだ「草創期」と言っても間違いないでしょう。
500頁になる分厚い本『キリスト教の歴史』(A History of Christianity)を書いたポール・ジョンソンという歴史家は、その第1章に「イエス派の台頭と救済」という題をつけ、紀元前50年から西暦250年までの出来事を書いています。つまり、イエスの死後250年ぐらいで、キリスト教の歴史にひと区切りつけられると考えたのです。しかもそれは、“イエス派”というユダヤ教の一派としての成立と考えました。御存じのように、キリスト教はその後、1760年ほどたっているのです。日本人の研究者である小田垣雅也という人は、『キリスト教の歴史』という同じ題の本の中で、キリスト教の成立は紀元1世紀末だと言っています。つまり、この場合も、キリスト教はイエスの死後100年ほどたってようやく成立したと考えている。
仏教にいたっては、皆さんもよくご存じのように、日本に伝わった大乗仏教は、その元となる『法華経』などの大乗仏典の成立が釈迦の死後、1世紀以上たってから(西暦150年頃)です。このように、宗教運動においては、立教80年、90年というのは、まだまだ始まったばかりと言っていいのです。
しかし、だからと言って、この草創期に説かれた教えをないがしろにしていいということはありません。そういう意味からも、私は毎年、この立教記念日には『生長の家』誌創刊号から引用して、皆さんとともに、創始者・谷口雅春先生の立教当時のお考えに立ち還り、これからの運動の行く手を照らす“光”を見出すことにしているのです。
さて今回は、子供の教育についての雅春先生のお考えから学ぶことにします。『生長の家』誌創刊号には「生命の法則による天才養成法」というご文章があって、子供に内在する神性・仏性をどのようにして引き出すかが詳しく書かれています。その一部、37頁から読みます--
(中略)親や、家庭の年長者が自身の高き趣味から割りだして、子供のうまれつきの器用さ以上のものを強いることは善くない。建設的な方向へ生命力を使用するのでありさえすれば、子供がどんな方向に才能があろうとも、それが親の趣味とは反対な才能であろうとも自然の方向に子供を生長させよ。
自然が与えた才能には宇宙的な生命がバックしている。宇宙的な生命の法則に従うとき生命は最もよく生長する。
職業の高下を考えて自然の方向以外に才能を延ばそうと計るものは、生命の法則よりもホカのものに従うものだ。ある人間にAの才能が与えられてあり、またある人間にBの才能があたえられてあるということは実に意味深いことである。それに従うとき吾らは天地を造った神の大きな計画に参与するのだ。
生命を礼し、自然に信頼せよ。そこから無限が生長する。
如何なる方向であろうと子供に天賦の才能がみとめられれば全力をあげてその方向に才能を延ばせ。便宜を与えよ。賞讃せよ。励まし、鞭撻し、喜んでその仕事または遊びに従事させよ。
(引用終り)
ここで重要だと思うのは、「自然が与えた才能には宇宙的な生命がバックしている。宇宙的な生命の法則に従うとき生命は最もよく生長する」という箇所です。また、その後にある、「それ(生命の法則)に従うとき吾らは天地を造った神の大きな計画に参与するのだ」というところで、ここには「自然はそのままで素晴らしい」という“自然讃美”“生命礼讃”の考え方が明確に出ていると思うのであります。このように生長の家では、生命や自然は本来、善であって、それを自然に伸ばすことで、神性・仏性が反映した世界が地上に現れると考えるのであります。このご文章からも、生長の家の信仰は「善一元」の実相が現象の背後にあり、それのみが本当の存在だと考えるのが基本であることが分かります。
これに対して、自然界の生命現象には“善”もあるが“悪”も存在すると考えるのが、今の常識的な考え方でしょう。この考え方から生まれるのは、自然界の善は人間が利用し、悪は撲滅することで、世界は素晴らしくなる、という論理です。また、人間の中にも善と悪とがあり、善は悪を駆逐することで、平和な社会が実現する、という考え方も、ここから生まれます。この常識的考え方をひと言でいえば「善悪二元論」です。
生長の家は、国際本部を東京の原宿か北杜市に移してから3年目になりました。「石の上にも3年」という言葉がありますが、こういう時期になって、私たちはようやく、自然に囲まれた田舎の生活に慣れ、その環境と都会での生き方の違いを明確に感じるようになってきました。これは感性的、感情的な変化です。これに対して、理性的、論理的に田舎と都会の違いを考えることは、すでに行われています。私などは、それを『次世代への決断』や『宗教はなぜ都会を離れるか?』の中で行いました。これは言わば“左脳的”理解でしたが、最近は“右脳的”にも、そのことを感じることができるようになってきたので、「自然と共に伸びる」ための準備が整ってきたと考えるのであります。
私は今年の初めから、フェイスブックの「生長の家総裁」のページを使って、短い真理の言葉をほぼ毎日、書き綴っていますが、その2月21日の言葉には、こうあります--
「個々の現象の中に神を探すなかれ。多くの現象の背後に厳然と存在する生かす力、生かす知恵、生かす愛を観じ、それらに感謝しよう。」
--これが自然界における観察の仕方、ものの見方だと思うのです。自然が豊かな環境では、私たちが気にかけるのは、天候がどうであるのか、季節がどうめぐるか--というような大きな“全体的な実感”から出発します。気温や湿度も重要です。なぜなら、それによってその日の生活が左右されるからです。気温が氷点下であり、地面にまだ雪が残っていれば、私は自転車で通勤することをためらい、別の方法で本部へ行くことを考えます。また、気温しだいでは、服装を変える必要がある。これは当たり前のことですが、都会生活をしていた頃は、ある程度の環境の変化は都会のインフラが整備されているおかげで、気にする必要がない。つまり、寒い時季には暖房があり、暑いときは冷房がある。だから、どこへ行っても一応快適である。人間の側は、自然を気にすることなく、自分の好きなこと、あるいは社会的に必要なことに注目して問題を処理すればそれでいい。だから、自然界の出来事を意識の中心に置くことなど、ほとんどありません。こうして、都会生活をしていると、人間はどんどん自然から遠ざかっていくことになります。
すると、目の前で生起する「個々の現象」が、重要に見えてくるのです。先ほど引用した文章の中には、「個々の現象の中に神を探すなかれ」とありましたが、ここでいう「神」とは、「神のようなもの」という言葉に置き換えてもいい。つまり、何か普通でない素晴らしいこと、素晴らしいもの、他より秀でていること、英語では「excellence」といいますが、優秀でステキなことです。個々の現象を、このような他より優れた、素晴らしいものにしなければならないと考えることが、「個々の現象の中に神を探す」という意味です。これを追求するのが、都会生活の本質の一つだと私は考えます。都会では、個々の会社がどれだけ優れているか、個々の商品が他よりどれだけ優れているか、個人の才能が他よりどれだけ優れているか、個人の能力がどれだけあるか、個人の給与がどれだけ高いか、ビルが他のビルよりどれだけ高いか、コンピューターの処理能力がどれだけ速いか……など、個々の現象の優秀さを追求することが人々の目的になっている。
私は、それをしてはいけないと言っているのではありません。私は生長の家の講習会で、人間なら誰にも向上心があり、それは「神の子」の本質を表していると言っています。だから、個々の現象が素晴らしくなることは善いことです。しかし、それを「神」のように最高最大のもの、至上の目的と考えると問題がある、というのです。これは、個々の現象の中の最高最大のものを「神」のように尊ぶことにつながりますから、一種の“偶像崇拝”に近い。私たちが信仰する神は、個々の現象や個別のものの中にあるのではない。確かに、個別のものの中に、神の御徳の一部が表現されることはあります。しかし、それは神の全体ではない。その証拠に、聖経『甘露の法雨』には、こうあります--
神があらわるれば乃ち
善となり、
義となり、
慈悲となり、
調和おのずから備わり……
慈悲や調和は、個人や個別では成り立ちません。他者への思いやる心、他者を自分のように感じる「抜苦与楽」の心が慈悲であり、調和は、自他の調和、自分と全体との調和です。この視点が欠けてしまうと、個々の現象の優秀さを追求することは、他者を蹴落としたり、自分の利益のためならば、社会や自然環境を犠牲にすることも厭わないような考え方や行動につながる危険性が出てきます。
最近、大阪・梅田のスクランブル交差点で、悲惨な事故が起こりました。運転中に大動脈解離という血管性の発作を起こした人の車が暴走して、横断中の人や通行人をはね、2人が死亡、1人が重体、8人が重軽傷を負いました。これは不幸な事故で、犠牲者は誠に気の毒なのですが、都会での出来事として象徴的だと思うのです。
私は東京在住の頃、渋谷のハチ公前のスクランブル交差点をよく利用しました。ここをうまく渡るためには、歩行者用信号が青になったら、前だけを見て、できるだけ一直線に早足で歩くのがいいのです。そうでなく、周囲から一斉に来る歩行者の行く方向をいちいち慮っていては、かえって人とぶつかるし、自分が立ち止まる必要が出てきてしまいます。つまり、「個が優先される」という意識をしっかりもって、周囲を無視して歩く必要がある。そういう意味では、好き勝手に自由に歩けるようではありますが、渡らないで見ていると、とても無秩序で、混乱していて、美しくありません。「慈悲」も「調和」もありません。強くて、歩くのが速い若者や男性は優先的に進めるけれども、体が不自由な人、老人などは、歩くのが却って危険です。私は、そういう点が「個々の現象の中に神を探す」という都会の生き方を象徴していると感じます。
ですから、歩行者個人にとって善いことでも、その個々の現象の背後にあることについては、注意を払うことができないのです。私が言いたいのは、スクランブル交差点を渡る人は、自分の前の青信号しか見ることはできないから、信号無視の自動車を視認できないし、それを避けることも難しいのです。
「個人が自己主張すれば素晴らしくなる。あわよくば神に近づくことができる」と考えることは、誤りです。それは、自分の主張の妨げになる人やものを“悪”として排斥するような狭い人生観に結びつき、衝突や争いを生み出すでしょう。私たちは、すでに「善一元の世界」が実在するという信仰を掲げ、その本来ある善を、自分個人のみならず、あらゆる人々から、またあらゆる生物から引き出す生き方を実践する時期に来ているのです。
自然界を深く観察すると、個は、個だけでは存在しえないことがよく分かります。周囲の環境を破壊して自分だけが伸びることは、できません。生態系の一部として、自分に与えられた能力を他の利益のためにも発揮して、初めて生きることができ、また喜びを感ずることもできる。これが四無量心の実践であり、これを人間社会で行えば人々に喜ばれ、自分も喜び、これを自然界まで視野に入れて実践すれば、真の生き甲斐を得ると共に、調和と美を体験することができるでしょう。
皆さんとともに、この精神をもって“自然と共に伸びる”運動を明るく、生き甲斐をもって展開していくことを決意して、私の立教記念日の挨拶といたします。ご清聴、ありがとうございました。
谷口 雅宣
2016年1月23日 (土)
核兵器と麻薬
「核って麻薬みたいなものね…」
朝食後の食器を片づけている妻が、カウンター越しに言った。
「えぇ…」
私は薪運びの準備をしながら、肯定とも否定ともいえない返事をした。妻の言葉の真意が、すぐには理解できなかったからだ。
冬の朝食後の私の仕事は、居間の中央に置かれた薪ストーブの後ろに、南側のデッキから移動した薪を積むこと。そして、デッキに並べられた薪が居間に移動した分、北側の薪小屋から薪を運んでくる。これを毎日きちんとしておかないと、十分乾燥していない薪をストーブに入れるはめになる。すると、薪は黒い煙を出すだけで、よく燃えない。氷点下が続く冬は、ぜひ避けたいことだ。
妻が言う「核」とは、核兵器のことである。前日にオフィスで行われた講師の勉強会で、核の抑止力について発表があり、その発表の締めくくりとして私が話したことについて、妻は感想を漏らしたのだった。
「麻薬」という比喩は、「やめたくてもやめられない」という状態になるという意味では当たっている。核兵器は通常、隣国か、隣国の同盟国に強い脅威を感じた国が、防衛上の観点から採用するものだ。隣国から攻撃されても、「こちらには“最終兵器”があるゾ!」というメッセージを出して、「報復に核を使われたら、ヒドイ目にあうかもしれない」と恐怖させ、攻撃を躊躇させることで国の安全を確保するのが目的だ。しかし、本当の問題はそこから始まる。それは、核兵器が“最終兵器”と言われるように、破壊力の甚大さでは比類がないからだ。
ある国が核武装をすると、その国と対立する隣国(もしくはその同盟国)は、この破壊力が自分たちに及ぶ可能性を考えて恐怖する。そして、破壊を受けないような対策を講じようとする。核爆弾は、それを持っているだけでは意味が少ない。自国で爆発すれば、自国が破壊されるだけだからだ。核は、それなりの正確さをもった運搬手段を使って、敵方の目標近くまで確実に運び、そこで爆発させなければならない。だから、隣国の核武装を恐れる国は、その運搬手段が自国の領土内、あるいは領空内に達するまでに破壊する方法を考えるのだ。
核爆弾の運搬手段は、現在のところ①航空機、②ミサイル、③船舶(潜水艦)が主なものだ。しかし、技術革新で核爆弾の小型化が進むと④自動車、⑤ドローン(無人航空機)、そして⑥人間、によっても運搬が可能となる。
交通と輸送が高度に発達し、グローバル化した現代では、この6つの運搬手段すべてを、一国の領域内に侵入させない方法など存在しない。そこで、隣国の核武装を恐れる国は、別の対策を考える。それは、自分の国でも核兵器かそれに近い大量破壊兵器を開発し、対立する隣国に対して「お前がこっちを核で攻撃すれば、それと同等の破壊力でお前も破壊するゾ!」と脅すことで隣国に恐怖を抱かせ、核による攻撃を躊躇させることだ。これが、核の抑止力(deterrence )と言われるものだ。
しかしここで重要なのは、「同等の破壊力でお前も破壊するゾ!」というメッセージに信憑性があることだ。「あれは完全なブラフで、彼らは本当は核爆弾など持っていないか、持っていても運搬手段が完成していない」ともし、核武装した敵意のある隣国が考えたとしたら、「では、今のうちに相手の核開発を阻止しておこう」という誘惑が生じ、かえって攻撃される危険性が増大する。そこで、核武装を決意した国は、運搬手段も含めた核兵器の開発を中断することが困難になるのである。また、自分の核開発の状態を過大に宣伝する必要を感じることもある。
近年の北朝鮮の言動が、ここに描いた通りであることに読者は気づいてほしい。また、イスラエルが実際、核兵器製造を疑っていたイラク(1981年)やシリア(2007年)の核施設を単独で攻撃した動機も、ここにある通りだと私は考える。北朝鮮は、アメリカの軍事力を恐怖し、その同盟国である日韓を恐怖しているから、アメリカに対して「お前がこっちを攻撃すれば、核の破壊力でお前も破壊されるゾ!」というメッセージを込めて、核実験を行い、ミサイルを日本海や太平洋に打ち込み、SLBM(潜水艦搭載型ミサイル)の実験成功を宣伝し、「水爆実験も成功した」と大声で叫ばなければならないのだ。
「麻薬」の中毒者は、麻薬を吸引した際の陶酔感に縛られて、やめられなくなる。しかし、核武装は陶酔感ではなく、強い恐怖から始まるところが違うと思う。また、この恐怖心から逃れられなくなる点も、麻薬とは異なる。確かに核武装の当初、その恐怖心は一時的にゴマかせるかもしれない。しかし、“敵”も同じ恐怖心を共有するから、それを消そうと核武装をさらに強め、そのおかげで自分側にもさらなる恐怖が生まれる。そして、双方が“恐怖の均衡”に向かって果てしなく軍拡競争をする道が用意されている。そんな道を、日本の安全保障の選択肢として残しておくべきだという政治家がいるとしたら、それは嘆かわしいことである。
谷口 雅宣
2015年5月23日 (土)
不思善悪
生長の家の講習会のため小淵沢から東京へ向かう「あずさ8号」の中でのことだった。甲府駅もすぎ、八王子も過ぎて、新宿駅に着いた。そこで多くの乗客が降り、いきなり周囲の空間が広がった。その時私は、ちょうど谷口雅春先生の『新版 生活と人間の再建』の中の一文を読んでいた。題は「善悪の境を超えて」である。禅書『無門関』の第二十三則にある「不思善悪」の公案を解説したご文章で、善一元の世界の実相を観ずることができないのは、「“悪”をみとめて排斥している」からで、そうしている限りは、「“悪”を心に描くから、“悪”の消えようがないのである」として、“悪”を見ない心を出して来なければならない、と説かれていた。世に言う「悪」とは結局、人間の心が下す“マイナスの評価”が、現象の表面に映し出されているだけだとの教えである。
通路を挟んだ私の隣の席は、新宿駅までは2席とも埋まっていたが、その時、空いているのに私は気がついた。ブルーとチャコール・グレイを基調とした椅子と、それより薄い色のグレーと青の縞模様が入った絨毯の床が、広い空間を作っている。と、その床の上に5センチ角ほどの白っぽい紙片が落ちているのである。横長の紙を2つに折られ、ほぼ正方形をしており、表面に大きく人の上半身が印刷されている。その顔には、見覚えがある。それは、野口英世だった。「えっ」と、私は思った。「1000」という数字も見える。千円札なのである。とたんに、私は周囲を見た。また、そんな動作をする自分をおかしく思った。
私は、講習会での自分の講話の一部を思い出していた。受講者に「1万円=27.8円」という数式を示して、その意味を問うのである。それに応えて場内から手が上がることはめったにないから、次に続けて「5千円=25.9円」「千円=18.2円」と示す。これらは、それぞれ1万円札、5千円札、千円札の製造原価である。だいぶ前に得た情報だから、現在流通している紙幣の製造原価とは、同じでないかもしれない。が、同じでなくても構わない。私の話の主旨は、この世のものの価値とは、「心で認めた通り」のもので、本当の価値とは異なるという点で、紙幣の実際の原価を正確に示すのが目的ではないからだ。
これは、「富」も人間の心の産物だということを示している。紙幣が、特別の価値をもった印刷物として世の中に流通する理由は、私たちが、その印刷物が、印刷された通りの価値をもつと信じているからである。本当の価値が30円に満たなくても、日本国民のほとんどが、その紙片に「1万円の価値」を認めれば、その通りの価値として日本社会に流通する。そして、日本で流通している紙幣は、世界でも相対的に--つまり、外国為替市場の取引を通じて--その価値が認められるのである。
この話を思い出してから、私は再び隣の席の床に落ちた千円札を見た。「ああ、この原価は18.2円だ」と思うと、心の表面にわだかまっていた不自然な緊張が、とたんに消えた。と同時に、製造原価が20円前後のものは、千円札以外にも周囲にたくさんあることに気がついた。いや、20円を超えるものも少なくない。例えば、私の席の前の椅子の背中に収められたJRの車内誌は、どうだろう? いや、車内に整然と並んだ乗客用の椅子の製造原価は、きっとすべてが20円をはるかに上回るだろうし、天井のライトも、窓も、足置きも、空気清浄装置も……何もかも。こう考えると、「お金」というものに特別な価値を認めていた自分の心が、とても不自然であり、魔法にかけられた状態にも似ていたことに気づくのである。
このように、この世のものの価値とは、ほとんどの場合、人間の心が作り出した創作物である。だから、その心が変われば、価値は変わる。そんな不確かなものに、自分の人生の基盤を置くことは愚かなことである。なぜなら、それらはすべて自分の肉体の死とともに雲散霧消してしまうからだ。
では、お金を“プラスの価値”の1つと考えた場合、“マイナスの価値”とは何だろう? それは普通、私たちが「悪」と呼ぶものではないだろうか。こんな表現が大げさなら、「悪」を「不都合」に置き換えてもいい。自分の都合をさまたげるものは、その人にとって「不都合」であり、その不都合の程度が大きすぎて、不合理、不条理に達すると感じられるものを、私たちは「悪」と呼ぶ。とすると、「悪」とは客観的、永続的存在ではなく、主観が生み出した“仮のマイナスの評価”ということになる。なぜなら、私たちが心に抱く「自分の都合」とは、これまた変化するものだからだ。
ご文章から引用しよう--
「善だ悪だといっている間は、必ずものの反面には暗い面があるのでその暗い面を心でみつめるようになるのである。すると、この世界の現象は、心でみとめたものが形に現れるのであるから、吾々は、善から切りはなされて悪のみを一そう多くみつめることになるのである。悪をみつめれば悪の想念を以て自分の意識の中(うち)をみたすのである。そういう習慣がつく限り吾々はあらゆる事物の反面に悪を見る。そしてこの世界を“悪”の一色で塗りつぶすのである。」(pp. 49-50)
人生の光明面に注目し、それを自分の心に印象づけるだけでなく、表現活動を通して他の人々や社会にも印象づける生き方の重要性が、ここに明確に示されている。
谷口 雅宣
2015年1月22日 (木)
ていねいに生きること (3)
前回のブログを書いてから随分日がたってしまったが、同じ題で書き継ぐことにする。というのも、「ていねいに生きる」ことは、時間の経過をあまり気にしないこととどうやら共通しているからだ。しかし、それは、短時間でできることをダラダラと引き延ばして処理しようという意味ではない。時間のかかる作業でも面倒くさがらずにコツコツと行なっていると、当然のことながら、他の仕事に費やす時間が短くなり、ブログを書く余裕も減るということだ。で、私がこの間、ルーチンワークの他に何をしていたかというと、クラフトの製作である。
私が勤める北杜市の“森の中のオフィス”では、この2月から書籍などを売る売店が開業する。名づけて「本とクラフト こもれび」である。本部が東京・原宿にあった頃も、新館の玄関を入ったロビーの脇に書籍売場があって、職員を含めた多くの人が利用してくださっていた。その例にならい、オフィスの開所から1年以上たった今回、遅まきながら売店がオープンする。ただし、東京時代とは違う品も扱うことになった。それがクラフトだ。しかも、職員の手になる作品である。本欄の読者は、昨年秋にオフィスで行われた「自然の恵みフェスタ 2014」でも、有志職員の手作り品が販売されたことを憶えていられるだろう。 その試みの評判が案外よかったので、オフィスの売店で常時何かを提供できないかという話になったのである。
クラフトとは「手仕事による製作」であり、「手工業、工芸」である。この定義からして、製作には手がかかる。今回のブログの題との関係で言えば、一つ一つをていねいに仕上げなければならない。これに対して工業製品は、製作過程を機械化して手作業をできるだけ省くことで、人件費の削減と大量生産による効率化を行い、低価格での製品提供を実現している。両者の生産方式には一長一短があるが、地球温暖化と資源やエネルギー不足が危惧されている現代にあっては、手工業による生産方式のメリットは無視できない。製作過程で資源やエネルギーのムダが少なく、デザインの画一化や大量在庫が発生しにくく、したがって大量廃棄の必要もないからだ。手工業品は一つ一つがユニークであり、それぞれの良さをもっている。“没個性”の現代文明に対する明確なアンチテーゼでもある。
クラフトの良さは、それだけではない。考古学ファンは十分ご存じのことだが、人類は2本足での歩行を達成した太古の昔から、空いた両手を使って生活の道具を作り、利用することで喜びを感じ、文化を創造してきた。「製造」という言葉の英語に当たる「マニュファクチャ」(manufacture)の接頭語の「マニュ(manu-)」の意味は、「手」である。手を使って何かを創造し、製作することは、人類の文明・文化の基層をなしてきたと言えるだろう。
脳科学の分野でも、「手」がもつ重要性は前から指摘されてきたことだ。ロジャー・ペンローズという先駆的脳科学者が作成した人間の大脳表面の“地図”がある。これは、大脳表面の神経を弱電気で刺激しながら、脳のどこを押せば体のどこが感じるかという実験を繰り返しながら完成した労作である。その詳しい説明は省略するが、この図を見て一目瞭然なことは、大脳表面に貼りついたように描かれた人体図では、顔と手とが異常に大きいということである。その理由は、人体のこの2カ所には、体の他の部位に比べて、それだけ多数の神経細胞が関係しているということだ。言い直すと、顔を動かす筋肉と顔から得る感覚--つまり表情、そして手を動かす筋肉と手から得る感覚--つまり、手の働きとは、人間の生存にとってきわめて重要な役割を果たしてきたということである。だから、私たち人間は、顔を使った表現とともに、手を使った表現がうまくいくと喜びを感じるのである。
このような事実は人類の遺伝子に刻み込まれた“本性”の一つだから、文明が発達して大量生産による工業生産方式が世界の趨勢となり、生活必需品は自作などせずに商店で買うのが普通になっても、簡単に変わるものではない。消費生活が爛熟期を迎えた現代にあって、手作り品や工芸品がかえって見直され、DIY店が繁盛している理由はここにあるのだろう。
私がいう「ていねいに生きる」ということは、すでに与えられている自然の恵みに感謝し、それをムダにせずに十分味わう生き方である。この「自然の恵み」の中には 、人間内部の本性も含まれる。手仕事によって生き甲斐を感じ、クラフトの良さを他の人々と共有することに喜びを感じるのが私たちの「自然の」感情ならば、その活動を盛り上げていくことは大いに評価されるべきである。また、そういう生き方が省エネ・省資源につながり、廃棄物を減らし、個性を伸ばす力をもっているのであれば、私たちの「自然と共に伸びる運動」の重要な一翼を担うことになるのではないか、と私は考える。
谷口 雅宣
2014年7月12日 (土)
新しい視点
都会生活の便利さを久しぶりに味わった。
前日は台風8号が一過して日本各地にフェーン現象が起こり、甲府市は35℃を超えたと聞いて、東京の“熱波”のことを思い出しながら、小淵沢駅から新宿行きの「あずさ12号」に乗ったのだった。出発は10:40。それから12:40までの2時間の車内は、私の仕事場である。7月の終りに開催されるサンパウロでの生長の家国際教修会9のための講話原稿を書き継ぐのが、今日の仕事だった。
パソコンを開いて仕事に集中していると、気がつけば新宿まで数分のところに来ていた。青い山影の代わりに、列車の窓近くまで迫るビル群が窓外に流れていた。朝の大泉町の気温は22℃で爽やかだったが、新宿はたぶん10℃も上だと覚悟して、列車からホームに降りる。体はムッとした熱気に包まれるが、ワイシャツの内側はまだ列車内の冷気を留めている。これが外気と同じ温度になるまでは「暑い」と感じないはずだ--と自分に言い聞かせる。
しかし、人間の脳は目から入る情報に偏重して機能すると聞いているから、混雑したホームの上を改札口に向かいながら進む中、注目する人や物、風景にしだいに影響されていく--ビルの隙間に見える白い空、窓に反射する光、人々の白いシャツ、眉をひそめて暑がる顔、エスカレーター前の混雑、キャスター付きのカバンの横暴、前を斜めに横切る人、高いヒールの硬質な音、行く手を遮る大きな荷物……ホームから駅の内部に入ると、周囲の気温はやや下がる。自動改札口が近づく。切符を胸ポケットから取り出す。改札口を出ると、すぐ前に拡がる国道20号線へ向かう。ここで再び熱気と光に包まれる。青い空。ひしめくビル。自動車の列。そして、人、人、人……。
炎天下に出て20~30歩進み、「やっぱり本当に暑いな」と感じだしたころ、迎えに来ているタクシーに乗ることができた。荷物を床に置き、座席に深く身を委ね、シートベルトを掛けてふと前を見る。エアコンの設定温度は24℃。ありがたいことに、「暑さ」はつかの体験だった。
羽田空港までの車中、窓外の街並みをゆっくり眺める。「まるでお上りさんみたいだ」--と自分の姿を別人の目で見ているのに気づく。そして、大泉の緑の森との違いに目を奪われるのだ。何十年も住んでいた街だから、懐かしい気持はもちろんある。しかし、「こんなところにいたんだ……」と改めて思う。それは軽蔑の気持ではない。呆れているのでもない。一種の感嘆である。人間は、巨大なコンクリートの積木を並べたような環境でも、柔らかな樹林と青い山々に囲まれた広大な空間でも、平気で生きていける。その適応力に感嘆する気持だ。「平気で」というのは、無関心でという意味ではない。無自覚でという意味でもない。周囲に関心をもち、そこに何があるかを十分自覚しながら、都会と自然という2つの異なる環境にうまく適応するのである。が、もちろん、それぞれの環境の中での“心構え”は違っている。
「心構え」という言葉は、「心にかけて待ち受けること」とか「心の用意。覚悟」(広辞苑)という意味だ。でも、ここでは「身構える」という言葉の意味を一部拝借したい。
今私は、羽田から出雲に向かう航空機の中にいる。航空機が飛び立つときには、座席を起こし、シートベルトを締め、手荷物を前方の座席の下に押し込めて身構える。この言葉は、「敵に対して、迎えうつ姿勢を整えてかまえる」(同書)ことを意味するが、人間は心身が結ばれているから、体の姿勢は心の姿勢を準備する。身構えている時は、心が何かを警戒しているのである。航空機が離陸する際は、加速時に背中が座席の背に押しつけられ、やがて体が浮揚する感覚が来るのを、乗客は身構えて待つ。人間が自然から抜け出て、都会へ突入する際も、心が都会に適応するための“身構え”をするのである。そんなことは普段、自分で意識することはないのだろうが今回、私はそれを明確に意識した。心のどこかに、新しい視点をもち始めたのかもしれない。
谷口 雅宣
2014年6月24日 (火)
昆虫を食べる
6月22日に長野県で行われた生長の家講習会の午後の講話で、私は「昆虫を食べる」という試みについて少し触れた。私が住む山梨県北杜市は長野県に接しているから、買い物などで長野県へ行くことも少なくない。そんな機会を利用して、長野産のイナゴを買って食べてみたことがある。「ゲテモノ趣味」とか「何を物好きな!」と言われるかもしれないが、私のこの試みは単なる物好きが理由ではない。先日の講習会での講話を聴いてくださった読者には、その理由を理解していただけただろう。が、この日に講習会に来られなかった人も多いので、この場を借りて説明したい。
私が講習会で話題にしたのは、実は私自身のことではない。それは今、アメリカで開発されている“昆虫クラッカー”(=写真)のことだった。5月24日付のイギリスの科学誌『New Scientist』がそれを取り上げて、「Big bug harvest:Taste test at America's first insect farm」という特集記事を載せていたのを紹介した。訳せば、「昆虫の大収穫--アメリカ初の昆虫農場で味を試す」とでもなるだろうか。昆虫を人間の食料とすることを考えているのは、ボストンにあるシックス・フーズ(Six Foods)という会社で、「チャープス」(虫の鳴き声の擬音)という名前でコオロギ・チップを売り出そうとしている。そう、イナゴではなくコオロギを使うのである。記事にはクラッカーの写真が添えられていて、メキシコ料理店で出てくる「ナチョス」によく似た三角形のクラッカーが写っているが、色はチョコレート色だ。
彼らはどうしてそんなことを考えるか……読者の多くは、「飼料効率」の話をすでにご存じだろう。これまで私は講習会などで何回もその話をしてきたし、『足元から平和を』(2005年刊)という本にも書いたし、今年の全国幹部研鑽会でも取り上げられたからだ。簡単に言うと、穀物が動物の肉になる効率のことだ。現代の食肉生産では、家畜や家禽を育てるのに穀物飼料を多用する。また、魚類の養殖にも穀物飼料が使われる。理由は、早く肉を得るためである。ところが、与えた穀物が肉になる効率は動物の種類によって大きく違う。ウシの体重を1キロ増やすのに必要な穀物は7キロ、ブタの体重を1キロ増やすのに要する穀物は4キロ、ニワトリの場合は2キロ、養殖魚は1.8キロ……などと言われている。これらの数字は厳密なものではなく、本によって必ずしも一定ではない。私が挙げた数字はその中でも“保守的”な見積りで、「ウシは10キロ」などという人もいる。が、とにかく、人が穀物をそのまま食べるのに比べ、穀物を動物に食わせてその肉を食する方法は、地球資源の大きなムダ遣いであるということを知っていただきたい。
これに対し、動物性蛋白質は人間の生存にとって必須だから、動物の肉を食べないわけにはいかない--という見解がよく聞かれる。また、子供をもつ親の中には、成長期の人間の体を健康に保ち、勉強や運動に秀でる子とするためには動物の肉が必要だ--と考える人も多い。つまり、「環境を取るか自分を取るか……」というジレンマがあるというのである。これを解決しようという方策の1つが、「昆虫を食べる」という選択肢なのだ。昆虫は獣(けもの)ではないが、立派な動物である。しかも、体内には動物性蛋白質だけでなく、カルシウムもビタミンも豊富に含む。さらに言えることは、昆虫は、種の数では生物界では最大である。ということは、その中には人間の好みに合った味や食感をしているものもあるかもしれない……ということだ。そうして研究を進めた結果、コオロギに白羽の矢が立ったというわけだろう。
しかし、そもそもなぜ昆虫か? と思う人には、飼料効率がすこぶるいいと答えればいいだろう。また、水を効率よく吸収して成長するのも昆虫の特徴だ。それに比べ、ウシやブタは生育過程で相当な量の水がいるし、殺した後の処理にも大量の水を使う。シックス・フーズ社のサイトによると、コオロギの飼料効率はウシの12分の1、温室効果ガスの排出量はウシの100分の1、1ポンドの肉を作るのに必要な水の量はウシの2000分の1だという。この“昆虫クラッカー”は、コオロギだけから作るのではなく、豆と米をベースにし、コオロギの粉末を混ぜるらしい。普通のポテトチップに比べて、脂肪は半分、蛋白質は3倍、そしてグルテンなしと表記されている。
「虫を食べるなんてキモチワルイ」という感想は、もちろんよく分かる。私だってイナゴを食べるのには最初、勇気がいった。が、人間は馴れてしまえば、かなりの種類のもの、またかなりグロテスクのものでも喜んで食べる、というのも事実である。前掲の『New Scientist』の記事は、アメリカの文化・伝統では考えられなかった刺身や寿司が、今や大人気になっているのだから、“昆虫食”もその可能性がないわけではないと、半ば期待を込めて書いている。ちなみに、エビやカニ、シャコなどは、昆虫と同じ「節足動物」に属する。多くの読者は、彼らを「キモチワルイ」とは思わないに違いない。しかし、よく眺めてみると結構、グロテスクである。でも、エビなどは、私たちは大量に養殖してでもほしいと思う。
私は本欄で、読者に“昆虫食”を勧めるつもりはない。が、ぜひ知っていただきたいのは、世の中には、今後の地球の環境悪化と人類の食糧問題について、これほど真面目に、また創造的に考えている人がいるということだ。「肉食を減らす」などという初歩的なことに躊躇している場合ではない。
なお、興味ある人は、以下の宣伝ビデオをご覧あれ!
谷口 雅宣
At Six Foods, we believe six legs are better than four, and we are introducing our first insect-based food - Chirps Chips! (本社の名前「シックス・フーズ」は、6本足は4本足より優れていると信じているのでつけました。 私たちが開発した初めての昆虫ベースの食品です。)
2014年6月17日 (火)
万教帰一は“内なる神”への信仰から
今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山の谷口家奥津城前で「谷口雅春大聖師二十九年祭」が執り行われ、地元の長崎県や福岡県から約230人の幹部・信徒が参集し、谷口雅春先生のご教恩に心から感謝申し上げると共に、ご生前の先生のご業績を讃え、人類光明化と国際平和信仰運動の一層の推進を誓った。私は御祭の最後に概略、以下のような言葉を述べた:
--------------------------------------
皆さん、本日は谷口雅春大聖師二十九年祭に大勢ご参列いただき、誠にありがとうございます。
今日のこの日が雅春大聖師の「二十九年祭」であるということは、雅春先生は29年前に、私たちが生きているこの世界を離れて、高き霊界へと昇られたということです。約30年前のことです。「人生60年」と言っていた時代もありましたから、その半分である30年も前の時代というのは、私たちにとってずいぶん昔のように感じられます。しかし、「人類の歴史」という観点から見ると、30年は一瞬であります。時代は変化しているようであっても、人間の心はさほど変わっていないという側面が確かにあります。
昨年のこの日には、私は、雅春先生が60歳に近づいてから、フランス語の勉強を始められた形跡があるという話をしました。先生は若い頃から英語に堪能で、37歳の立教当時には外資系の会社で翻訳の仕事をされていたことは、皆さんの多くはすでにご存じと思います。その立教から19年もたった時、英語に加えてフランス語も学ぼうとされたということは、先生がいかに海外の、特にヨーロッパ系の文化や伝統に興味をもたれ、親しみを感じておられたかを示します。ときどき雅春先生のことを、日本文化一辺倒の国粋主義者のごとく言う人がいますが、先生はそれほど単純で、狭量な人間ではありませんでした。東西双方の文化の共通点をよくご存じであり、その双方を愛された方でした。今日はそのことを皆さんにも思い出していただきたいと思い、ここに先生の古い御著書を持参しました。
この本は、昭和24年に日本教文社から出版された『メンタル・サイエンスの神癒理論』という本です。昭和24年とは、私が生まれる2年前です。昨年の年祭のときにもお話ししましたが、この時期は、日本が戦争に敗れ、まだ占領軍による統治が行われているときで、生長の家の国際運動の“草創期”といっていい時期です。生長の家が、キリスト教の流れをくむアメリカの「ニューソート」という宗教運動と関係をもち、双方の牧師や講師が互いの国を訪問し合い、講演会を行ったりしました。また、雅春先生や清超先生が、ニューソートの人々の著書を多く翻訳された時期でもあります。ちなみにこの本は、雅春先生と清超先生の共著であるという点でも、珍しい本です。
この『メンタル・サイエンスの神癒理論』には、メンタル・サイエンスの創始者であるハーヴィー・ハードマン博士の神癒に関する理論が詳しく紹介されています。また、この本は仏教とキリスト教の教えの共通点も説いていて、万教帰一の真理も展開しています。その内容は、21世紀の今日、私たちが読んでも少しも古くなっていないどころか、時代を超えた不変の真理を説くものとして、新鮮さを感じるほどです。そこで今日は、この本のごく一部ではありますが、今日的なな重要性をもつところを取り上げ、紹介したいと考えるのです。
私は先に、「大自然讃歌」という自由詩を書き、それが今、生長の家講習会のテキストにもなっていますが、この中に、人間の「内部理想」のことが出てきます。人間は欲望だけで動くのではなく、心の内奥には神が宿っていて、その声を大切にし、その声の命令にしたがって生活することを勧めています。この内部理想のことを、ニューソートの教えでは「内なる神」とか「内部の神」と表現していますが、それについて触れたご文章を引用します。少し長いですが、この文章には、生長の家とメンタルサイエンスの神観が同じであると明記されているだけでなく、ハードマン博士と雅春先生の交流の一端も出てきて、興味あります--
「吾々の外に、宇宙に充ち満ちています神は、呼べば応える式には人格的ではない。それは絶対的な法則として、不変であり、何等の容赦もない。火の燃ゆる中に身を投ずれば如何なる人をも焼き殺すところの神である。しかし吾が“内に宿り給う”ところの神は、吾らが過って火に身を投ぜんとするときに、火に投ぜしめざるように、“内から導き”または、“内から囁く”ところの摂理の神である。或いはやがて転覆するはずの汽車に、却って乗りおくれしむるところの神である。何となくそこへ行きたくなかったので、おくれて行って助かったなどという経験は、神を信ずる者にはよくあることである。これは“内から囁く神”の賜である--ハードマン博士は、この内なる神の声に耳を傾け、内なる神に喚びかけ求むる新しきキリスト教をつくったのです。
これまでの普通のキリスト教では三種の神を立てています。天の父と、聖霊と、神の子イエスが即ちそれです。中には聖母マリヤを礼拝する宗派もあります。しかしこれらの教派は、どちらかと云うと、神を、聖霊を、イエスを、聖母マリヤを、自分と対立的に置いて、それを外的存在として、礼拝し、祈るのです。キリスト教に限らず、仏教でも、即身成仏の真言宗または見性成仏の禅宗等聖道門以外の宗教は概ね外に神または仏をおいて拝むのです。“これが即ち、既成宗教の大なる幻覚だ”と、ハードマン博士は云っています。“吾々は、“見えざる協力者”なる内なる神を知る前に、先ずかかる幻覚から脱する必要があるのである。吾々が内なる神に背を向け、外に神を求めている限りに於いて、魂の内部に住んでいるところの神を強く否定することになるのである。そして確固不動の法則は働きて、吾々自身が内在の神を否定すれば、神もまた吾々を否定し給うのである。何故なら、個(individual)の魂の内部にこそ、いと高き者の聖所があり、見えざる神の聖壇とその神殿があるのである。」(pp. 13-14)
このように「内なる神」を強調するところは、生長の家ととても似ています。さらに続く文章では、この「内なる神」に対しては、どんな名前をつけようと、それは別の神のことを意味しないという考え方が出てきます。これは実に革新的で、万教帰一の教えと同じであると言えるのであります--
「まことにハードマン博士が到達したところの“内部の神”の自覚こそ、仏教の自性清浄心の自覚であり、生長の家が再発見したる“内部の神の奇蹟”の流れいづる源泉であるのであります。ハードマン博士が私の『生命の實相』の英訳をお読みになって、同一真理を洋の東西に於いて発見せりとて、私の誕生日に讃頌の詩を送って来られたのも所以(ゆえ)あるかなと云い得るのであります。博士はまた云われています。“貴下が親しく、外に神がましまして吾等の求めをきき給うと云う大なる幻覚から一転して、貴下の内に神やどりて、その神が現実的人格であり、個性化せる霊的実在であると云う考えを採用せられたりとせよ。又イエスが“内部の神”に対して名を与えたる如くそれに名称を与えよ。必ずしもイエスが与えた通りの名称“吾に宿る父”と云う名でなければならないと云うことはないのである。力と生命と智慧とを有する視えざる内部の協力者と云う意味で貴下の心にピッタリするどんな名称を与えてもよいのである」。(p.14)
そして、このあとに次のように続きます--
「だから吾々はこれに対して、阿弥陀仏と呼び、或いは不動明王と称し、或いは観音菩薩と称し、住吉大神と称しても差し支えはないのです。神は本来“無名”であって、その神名は吾々が、象徴的に名づけるに過ぎないのであるからです。だからハードマン博士のメンタル・サイエンスは万教帰一的であって、決して排他宗教的ではない。先ずその神の内容をみとめよ。しかしてその神が“内部の視えざる協力者”として自己の内部に宿ることを認めよ、名称は“実相”と呼ぼうが、何と呼ぼうが差支えないと云う点は全く生長の家と同じなのであります。」(p.15)
ハードマン博士はアメリカ人でありますが、その後に出たイギリス人の神学者にジョン・ヒックという人がいますが、この人もキリスト教から出発して、世界の主要な宗教を詳しく研究し、それぞれの宗教の究極の礼拝の対象は同一であることを発見しました。そして『神は多くの名をもつ』(God Has Many Names)という著書などを書いています。このように欧米の文化の中から「万教帰一」の考え方にたどりついた人は少なくない。そういう点を前面に出して、戦後まもなく生長の家の国際運動は始まったということを、皆さんはぜひ覚えておいてください。谷口雅春先生は、そういう広い視点から先頭に立って運動を進められた方ですから、グローバル化が進む21世紀の社会で、日本優先、日本優越のナショナリズムなどに惑わされずに、世界的視野で人類光明化運動を進めていきたいと考えるのです。
谷口雅春先生の二十九年祭にあたって、所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。
谷口 雅宣
2014年6月15日 (日)
自由と不自由 (5)
前回の本欄で、私は「自由は不自由から生まれる」という考えが理解できれば、「私たちはいつ、どんな時でも、“自由への道”を歩んでいると言える」と書き、さらに「それがたとい、人から強制された不自由であっても、“強制された”という考え方を変えてしまえば、不自由はそのまま自由になる」と付け加えた。読者は納得されただろうか? やや疑問が残るので、さらに説明しよう。
前回の最後に引用した谷口雅春先生のご文章にもあったが、運動選手は自分の目標達成のために、苦痛をともなう過酷な環境に自らを置く。言い直せば、彼(彼女)は、目標達成の自由を実現するために、自らをわざわざ不自由の中に置くということだ。これは、運動選手の自由意思による選択だから、一般には、この選手は「かわいそう」だとか「助けてあげたい」などという同情を招くことはない。むしろ、その努力の真剣さに感心して、「偉いなぁ」「自分も見ならうべきだなぁ」などという尊敬の念を抱く人も多いだろう。今、仮にこの状況を「A」と名づけよう。現在行われているサッカーのワールドカップの試合などでは、この「状況A」が前提となっている。出場選手は皆、この試合のために何年もの間、禁欲的な生活に励み、一般人には耐えられないような厳しい(不自由な)訓練をへて、世界の大舞台に立っているのである--と我々は考えている。
ところが、その選手たちの一人が、実は自分の意思によらずに、所属する会社やコーチの意思によって無理矢理に練習させられていたとしたならば、どうだろう。これを今、「状況B」と呼ぼう。ここでは、自由と不自由の関係はたちまち逆転し、この選手は不自由きわまりない状況の中で生きてきた犠牲者として、人々の同情を招くことになる。この極端な違いは、なぜ起こるのだろう?
状況Aと状況Bの違いは、選手本人の“心の持ち方”だけである。選手が自分の意思で苦痛を伴う訓練を選択したのであれば、彼(彼女)は尊敬される自由人だ。ところが、そうでなく、他者もしくは外からの強制によって苦痛を伴う訓練を受けているのであれば、彼(彼女)は奴隷同然である。そして重要なのは、この極端な違いの原因となる「本人の意思の有無」は、外からは--つまり、他人からは分からないということだ。もちろん、彼(彼女)の言動を見て、心中を推定することは可能だ。が、人間は、自分の本心を隠すことが得意である。また、自分の本心というものは、本人にも分からないことが少なくない。特に、若い時代は、自分の“本心”で選んだはずのクラブ活動が、専攻学科が、恋人が、職業が……やがて“本心”でないことが判明したというケースが、誰にでもあるはずだ。
論理の展開がずいぶん難解になってきた、と読者はお考えか? この難問を解くためには、生長の家で説く「唯心所現」の教えを導入すればいい。つまり、「環境も運命も心の影である」ということだ。それを念頭に置いて、次の雅春先生のご文章を読んでみよう--
「“自由”を、何か自分を縛る物を破壊することだ、と考える人があるが、本当の自由は、そのような対立観念、相対的な物の考え方では得られるものではないのである。本当の自由は“絶対者”となることによってのみ得られる。自分が神の自己顕現であり、“絶対者”の自己実現であるとの悟りによってのみ得られるのである」。(『新版 生活の智慧365章』、p.117)
ここで先生は、自分が不自由な環境にあると考えて、その環境を打破して自由を得たいと願っている人に語っている--
「あなたが不自由だと考えているその環境とは、いったい誰がつくったものか?」
「あなたを縛っている不自由な環境は、あなた自身の“心の影”ではないのか?」
「そうであれば、不自由な環境は、“敵”として打破するような対立物ではなく、
あなたの心の作品だから、あなたの心次第で自由に変えられるはずではないか?」
では、どうやって変えるのか? これについても、雅春先生は明確な回答を与えてくださっている--
「それ故に本当の自由は、神想観によってのみ得られる。何故なら吾々は神想観によって自己が神の一体であり、絶対者と一体であり、環境とか外物とか見えるものも“他物”ではなく自己の心の顕現であると悟ることができるからである。それだから神想観は真に最高の尊き神人合一の行事であると共に、何人(なんぴと)も“本当の自由”を求むる限り修しなければならない修行であって、生ま易しいものではないのである」。(同書、pp.117-118)
谷口 雅宣
より以前の記事一覧
- 自由と不自由 (3) 2014.05.26
- 自由と不自由 (2) 2014.05.12
- 自由と不自由 2014.05.04
- 真理宣布に自信をもって邁進しよう 2014.03.01
- 雪の中の幸福者 (3) 2014.02.28
- 田舎の幸福感 2013.09.30
- 宗教における都市と自然 (9) 2013.08.01
- 観世音菩薩讃歌 (4) 2012.05.31
- 観世音菩薩讃歌 (3) 2012.05.30
- 観世音菩薩讃歌 (2) 2012.05.29
- 観世音菩薩讃歌 (1) 2012.05.28
- 「観世音菩薩讃歌」について 2012.05.27
- 観世音菩薩について (10) 2012.05.26
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