「聖戦はない」を明確化される――谷口清超先生のご功績
10月28日は午前10時から、山梨県北杜市にある生長の家国際本部“森の中のオフィス”のイベントホールで、「谷口清超大聖師十三年祭」が行われた。新型コロナウイルス感染症拡大を防止するため、大勢が一堂に集まることはせず、オフィス勤務の生長の家参議など少人数が参列し、職員は各部屋でインターネットを介して参加する形で行われた。
私は、御祭の最後に挨拶に立ち概略、以下のような話をした。ただ残念だったのは、話の説明に使用した映像機器がうまく作動せず、暴走状態になったことで、画像や表を使った説明ができなかったことだ。
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本日は「谷口清超大聖師十三年祭」にお集りいただき、あるいはインターネットを通じてこの御祭を視聴くださることを心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
さて、生長の家の第2代総裁であられた谷口清超先生は、今から13年前の2008年の今日、昇天されました。先生の肉体はすでに消え去り、寂しいかぎりですが、先生のご功績は私たちと共に今も脈々と生き続けていることを忘れないでください。谷口清超先生が今日の生長の家の運動の制度的な基礎を作られたということは、皆さんもよく御存じでしょう。また、御存じでない方はぜひ、この機会に知っていただきたいのです。
そのことは、昨年出版された『“新しい文明”を築こう』(谷口雅宣監修、生長の家刊)の上巻 基礎篇にはっきり書かれているので、まだ読んでいない方はぜひ読んでいただきたい。第1章の出だしに「立教から国際平和信仰運動までの歴史概観」という文章がありますが、その途中の34ページあたりにその記述があります。全部引用している時間がないので、まとめた図をご覧に入れましょう――
- 政治運動の中止
- 組織運動の整備
- 聖歌の作詞・作曲
この図にあるように、清超先生の生長の家の運動におけるご功績は、①政治運動の中止、②組織運動の整備、③聖歌の作詞・作曲、がありますが、このような制度上、運動上のお仕事に加えて、生長の家の教えに関わるご功績は、あまり知られていないかもしれません。それは、この本の38ページ以降に書かれています。一部を朗読します――
<谷口清超先生は、新総裁になられてから『新しい開国の時代』、『歓喜への道』を出版され、太平洋戦争は満州の領土や資源などの物質的な価値や権益に執着する唯物的な迷妄によって起こり、軍隊は、憲法上は天皇に直属しながらも、実質的には天皇の御心をないがしろにする「中心不帰一」の姿勢で独走したことが重大な問題であったと書かれ、その歴史の教訓から学ぶことの大切さを教示されました。また、先生は生長の家の信仰においては「聖戦はない」ことを明確に示されました。>(pp. 38)
つまり、先生は「戦争の否定」ということを教義の上で明確化されたのです。初代総裁の谷口雅春先生も、戦争を肯定されていたわけではないのですが、戦前、戦中の非常時には当時の政府の検閲や社会の風潮が大きく戦争に傾いていたこともあり、大東亜戦争のことを「聖戦」だと形容されたことが何度かあり、それが書物になって戦後まで残っていました。このため、信徒の間には明確な戦争否定の考え方が必ずしも浸透していませんでした。
この「戦争の否定」を清超先生がはっきりと説かれるようになったのは、初代総裁の谷口雅春先生が昇天された後からです。どうしてだか分かりますか? これはご本人に聞かないと本当のことは分からないのですが、私が推測するには、それは谷口雅春先生のご著書の中に、まだ大東亜戦争を「聖戦」という言葉で表現したものが残っていたからです。それなのに、雅春先生のご生前、副総裁あるいは総裁代行であった清超先生が「聖戦はない」などとハッキリ言うことのリスクを考えられたのだと思います。で、実際にいつ頃から「戦争否定」を明確に説かれるようになったかということを、表にまとめてみました――
この表では、年代を元号表記すると分かりにくいので、西暦を使いました。表の背景が3色に塗り分けられていますが、これはまん中の水色が「冷戦」の時期を表します。これに対してオレンジ色は「熱戦」時代――つまり戦争中を表しています。そして、その 他のグレーのバックは、熱戦でも冷戦でもない時代です。また、文字の表記に色が使われていますが、赤い色で表記したものは、生長の家の運動の歴史の中でターニングポイントになった重要な出来事です。具体的には、1945年の敗戦、1985年の雅春先生のご昇天、1993年の国際平和信仰運動の発進、そして2008年の清超先生のご昇天です。このほかにも私たちの運動の歴史で重要な出来事はたくさんあるのですが、今回は煩雑になるので省略しました。また、二重カギ括弧に入れて書かれた言葉は、清超先生の著書の題名です。
それで、この表で何が分かるかというと、谷口雅春先生ご昇天の4年後に清超先生が出版された『新しい開国の時代』というご著書に、初めて「大東亜戦争は迷いの産物だった」という意味の明確な記述が出てくるということです。その後、『歓喜への道』という1992年のご本には、もっと明確に「聖戦はない」という表現が何度も出てきます。後者の場合、この言葉が出てくる直接の原因は、湾岸戦争がその前年の1991年にあって、その時にイスラーム教徒の間で使われている「ジハード」という言葉が、日本では「聖戦」と翻訳され、その意味がいろいろ言われたからですね。
そして、清超先生が「聖戦はない」と言われる時には、多くの場合、戦後の神示を引用されます。しかし、これらの神示は、戦前の昭和7年(1932年)の「声字即実相の神示」を根拠にしているので、生長の家の教えに一貫性がないわけはありません。ですから私たちは、21世紀の現代でも、どんなに国際情勢が緊迫しても、「戦争肯定」は教えに反するということをしっかり把握しておく必要があるのです。
さて、今年は2021年で、2001年から20年がたったということで、9・11後の国や世界の情勢を振り返る活動が欧米諸国などでは行われてきました。日本では、それほど目立ったものはないのですが、このテロ事件によって大きな衝撃を受けたアメリカでは、主として外交政策をめぐっていろいろな反省が行われてきました。その中で私がキーポイントだと感じたものは、戦争とは本当に、「迷いと迷いが相搏(あいう)って自壊していく現象」だということです。この言葉は、先ほど触れたように、「声字即実相の神示」にある言葉です。20年という時がたつと、ある事象の只中ではまったく見えなかったことが見えてくるという実感がします。
この話は詳しく説明すると、それだけで30分も1時間もかかるので、今日は要点だけを申し上げます。それは、戦争でぶつかり合う国や集団の間では、どちらかが絶対善で他方が絶対悪だということはないということです。双方が真実を知らないという“迷い”の中で、自分を“善”とし、相手を“悪”と認めて、総力を上げてぶつかり合う現象――それが戦争だということです。聖経『甘露の法雨』の「無明」の項には、無明とは「あらざるものをありと想像するが故に無明なり」とあります。この無明(迷い)が、テロを仕掛けた側にも、またそれを受けて“テロとの戦い”を始めた側にもあったことが明らかになりました。
しかし、当初はそれが分からなかった。9・11を目の当たりにした時は、私たちは「旅客機をハイジャックして高層ビルに突っ込むなど、トンデモない悪人がすることだ!」と感じました。だから、そういう大悪事を計画した容疑者を米軍が攻撃することは当然だし、その大悪人をかくまっている国に侵攻することは、正当防衛だと考えました。
こうしてアフガニスタンは政権が倒れ、イラクは国家が崩壊しました。ところがその後に分かったことは、9・11の主犯であるオサマ・ビンラディンはアフガニスタンのタリバンとは直接の関係はなく、イラクもビンラディンとのつながりはなく、大量破壊兵器の開発もしていなかったということでした。つまり、当時のアメリカ大統領、ジョージ・W・ブッシュ氏が、“テロとの戦い”の理由として――つまりアフガニスタンとイラクに派兵する理由として挙げていた事実は皆、事実ではなかったということです。言い直すと、事実でない前提のもとに始められた戦争がアフガン侵攻とそれに続くイラク戦争、そして“テロとの戦い”だったのです。
では、9・11の主犯とされるビンラディンは事実をしっかり押さえていたかというと、決してそうではありませんでした。これは、ビンラディンがアメリカの特殊部隊によって殺害されたとき、その隠れ家にあったコンピューターや47万個に及ぶデジタルファイル(音声、画像、ビデオ、テキスト)の解析から分かったことです。その内容はすべて公開されているわけではありませんが、アメリカの外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』の今年9~10月号に載った専門家の論文を読んで、その一部を私は知りました。そして驚いたのは、ビンラディンはアメリカという国をよく知らなかったということです。
彼は、何を目的として9・11を実行したかというと、アメリカ軍のアラビア半島からの撤退です。特に、イスラーム原理主義の信仰者にとっては、イスラームの聖地であるメッカとメディナを抱えるサウジアラビアに、彼らにとっての異教徒の軍――つまり、キリスト教国の軍隊――が駐留することは、かつての十字軍による聖地の占領と等しく、許しがたい行為として感じられていたというのです。そして、ビンラディンが犯した最大の誤算は、9・11のような事件を起こせば、アメリカは怖気づいて、あるいはアメリカ国民は士気を失って、サウジアラビアから撤退するだろうと予測していたことです。どうやら、ベトナム戦争時のアメリカ国内の反戦運動みたいなことを予測していたようです。国際政治の常識について、ビンラディンはまったく無知だったことが分かります。
どう思いますか、皆さん。アメリカ人やアメリカの歴史を少しでも勉強した人は、そんな予測をするはずがない、と思いませんか? 日本は真珠湾攻撃で、これと似た過ちを犯しました。奇襲攻撃は、逆効果でした。それによって、アメリカ人は「Remember Pearl Harbor」という標語の下、一致団結して対日戦争に全力で臨みました。これと同じことが、9・11の後にアメリカで起こり、そのために、超大国の莫大な資金と軍事力が動員されて中東地域は、9・11とは無関係な国々まで破壊され、大変な数の死傷者が出ました。そして、世界中のイスラーム信仰者が差別され、迫害されたのです。
上掲の『フォーリンアフェアーズ』誌の別の記事に、この20年続いた“テロとの戦い”で人類が支払ったコストの大きさが、次のようにまとめられていました――
・米軍の死者--7,000人以上
・米軍の負傷者--5万人以上
・帰還後の自殺者--3万人以上
・アフガンとイラクの死者--数十万人
・戦争による難民--3,700万人
これが「戦争」というものの実態です。どこにも正義など、ありません。そこにあったのは、「大いなる無知」です。この無知は、アメリカ側にもテロリスト側にもありました。聖経『甘露の法雨』にあるように、無知とは真実を知らないことですから、宗教的には「無明(むみょう)」であり「迷い」に当たります。このことを生長の家の神示では、「迷いと迷いが相搏(あいう)って自壊する」と表現しているのです。
このように「戦争は迷いの産物であって、神がその当事者のどちらかを支援するものではない」というのが、生長の家の戦争観です。谷口清超先生は、これをもっと短く分かりやすい端的な表現にして私たちに教えてくださいました。それは「生長の家には聖戦はない」ということです。これを言い換えれば、生長の家の教えの中には「聖戦として肯定すべき戦争はない」ということです。
谷口清超先生と9・11との関係を語るのには、欠かせない本があります。それは、ここに持ってきた『新しいチャンスのとき』という本で、この奥付を見ると、初版の発行日は「平成14年4月15日」とあります。平成14年は西暦で2002年です。2002年の4月に発行される本は、その原稿は前の年に書かれた原稿が元になることが多いでしょう。ということで、9・11以降に書かれた原稿が、この本に多く含まれていることになります。
では、そういう時期に書かれた本に、なぜ「新しいチャンスのとき」という表題がつけられたのでし ょうか? 「新しいチャンス」という言葉は、積極的な意味合いがありますね。前代未聞のテロ事件が起こって、その結果、アメリカ軍はアフガニスタンやイラクに侵攻して、大変な数の死傷者が出ているときに「新しいチャンス」などと言っていいのでしょうか?
清超先生は、このタイトルの付け方についての私たちの疑問に、本の中で答えてくださっているので、それを紹介します--
<新年号の原稿の締め切り日が10月20日になっている。それまでに“一月号の原稿”を書くのは、現実的ではないから、相当頭を働かせ、時間感覚を移動させて、あたかも外国旅行をして行く先の時間に合わせるような“時差”を越えた操作をしなくてはならない。ところが他方私は締め切り日に追いかけられるのがいやだから、いつも締め切りより早い目に原稿を書くくせがついてしまった。
そこで今は9月末だが、1月号の原稿を書きはじめたところなのである。するとどうしても9月11日に起った衝撃的な事件、ニューヨークの世界貿易センター超高層ビルなどに突入したハイジャック民間航空機による同時中枢爆破テロ、及びそれに伴う世界的“戦争状態”について書きたくなる。これは正月の記事にはふさわしくない内容だが考えようによっては、「危機は同時にチャンスである」との原則から、この世界的悲劇も、“新時代”の到来を約束する好機ともなると言えるだろう。>(p.75-76)
この清超先生のご文章を読めば、生長の家がいかに積極的思考の信仰運動であるかが分かるのではないでしょうか。その20年後を私たちは今迎えているわけですが、新型コロナウイルスのパンデミックのため、この2年間で世界中で大変な数の人命が失われ、経済が大打撃を受けました。しかし、これは「神が人間を罰するために起こした現象だ」と考えるのは、生長の家の信仰ではないのです。「人間が唯物的な迷いによって、欲望のおもむくままに自然界を破壊し続けていることの結果である」という話を、私はかねてから申し上げているのであります。そのことをできるだけ多くの人々に伝え、私たちの生活を自然と調和する方向に切り替えていく。そのための「新しいチャンスのとき」が今なのです。
ぜひ、皆さまと共に、「神・自然・人間の大調和」を目指す“新しい文明”の構築に向かって、新たな決意をもって邁進しようではありませんか。
谷口清超先生の十三年祭に当たって、所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。
谷口 雅宣