書籍・雑誌

2021年10月28日 (木)

「聖戦はない」を明確化される――谷口清超先生のご功績

 10月28日は午前10時から、山梨県北杜市にある生長の家国際本部“森の中のオフィス”のイベントホールで、「谷口清超大聖師十三年祭」が行われた。新型コロナウイルス感染症拡大を防止するため、大勢が一堂に集まることはせず、オフィス勤務の生長の家参議など少人数が参列し、職員は各部屋でインターネットを介して参加する形で行われた。

 私は、御祭の最後に挨拶に立ち概略、以下のような話をした。ただ残念だったのは、話の説明に使用した映像機器がうまく作動せず、暴走状態になったことで、画像や表を使った説明ができなかったことだ。

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 本日は「谷口清超大聖師十三年祭」にお集りいただき、あるいはインターネットを通じてこの御祭を視聴くださることを心から感謝申し上げます。ありがとうございます。

  さて、生長の家の第2代総裁であられた谷口清超先生は、今から13年前の2008年の今日、昇天されました。先生の肉体はすでに消え去り、寂しいかぎりですが、先生のご功績は私たちと共に今も脈々と生き続けていることを忘れないでください。谷口清超先生が今日の生長の家の運動の制度的な基礎を作られたということは、皆さんもよく御存じでしょう。また、御存じでない方はぜひ、この機会に知っていただきたいのです。

  そのことは、昨年出版された『“新しい文明”を築こう』(谷口雅宣監修、生長の家刊)の上巻 基礎篇にはっきり書かれているので、まだ読んでいない方はぜひ読んでいただきたい。第1章の出だしに「立教から国際平和信仰運動までの歴史概観」という文章がありますが、その途中の34ページあたりにその記述があります。全部引用している時間がないので、まとめた図をご覧に入れましょう――

  • 政治運動の中止
  • 組織運動の整備
  • 聖歌の作詞・作曲

 この図にあるように、清超先生の生長の家の運動におけるご功績は、①政治運動の中止、②組織運動の整備、③聖歌の作詞・作曲、がありますが、このような制度上、運動上のお仕事に加えて、生長の家の教えに関わるご功績は、あまり知られていないかもしれません。それは、この本の38ページ以降に書かれています。一部を朗読します――

  <谷口清超先生は、新総裁になられてから『新しい開国の時代』、『歓喜への道』を出版され、太平洋戦争は満州の領土や資源Seicho_13mem01などの物質的な価値や権益に執着する唯物的な迷妄によって起こり、軍隊は、憲法上は天皇に直属しながらも、実質的には天皇の御心をないがしろにする「中心不帰一」の姿勢で独走したことが重大な問題であったと書かれ、その歴史の教訓から学ぶことの大切さを教示されました。また、先生は生長の家の信仰においては「聖戦はない」ことを明確に示されました。>(pp. 38)

  つまり、先生は「戦争の否定」ということを教義の上で明確化されたのです。初代総裁の谷口雅春先生も、戦争を肯定されていたわけではないのですが、戦前、戦中の非常時には当時の政府の検閲や社会の風潮が大きく戦争に傾いていたこともあり、大東亜戦争のことを「聖戦」だと形容されたことが何度かあり、それが書物になって戦後まで残っていました。このため、信徒の間には明確な戦争否定の考え方が必ずしも浸透していませんでした。

  この「戦争の否定」を清超先生がはっきりと説かれるようになったのは、初代総裁の谷口雅春先生が昇天された後からです。どうしてだか分かりますか? これはご本人に聞かないと本当のことは分からないのですが、私が推測するには、それは谷口雅春先生のご著書の中に、まだ大東亜戦争を「聖戦」という言葉で表現したものが残っていたからです。それなのに、雅春先生のご生前、副総裁あるいは総裁代行であった清超先生が「聖戦はない」などとハッキリ言うことのリスクを考えられたのだと思います。で、実際にいつ頃から「戦争否定」を明確に説かれるようになったかということを、表にまとめてみました――

   この表では、年代を元号表記すると分かりにくいので、西暦を使いました。表の背景が3色に塗り分けられていますが、これはまん中の水色が「冷戦」の時期を表します。これに対してオレンジ色は「熱戦」時代――つまり戦争中を表しています。そして、その 他のグレーのバックは、熱戦でも冷戦でもない時代です。また、文字の表記に色が使われていSeicho_13mem03ますが、赤い色で表記したものは、生長の家の運動の歴史の中でターニングポイントになった重要な出来事です。具体的には、1945年の敗戦、1985年の雅春先生のご昇天、1993年の国際平和信仰運動の発進、そして2008年の清超先生のご昇天です。このほかにも私たちの運動の歴史で重要な出来事はたくさんあるのですが、今回は煩雑になるので省略しました。また、二重カギ括弧に入れて書かれた言葉は、清超先生の著書の題名です。

  それで、この表で何が分かるかというと、谷口雅春先生ご昇天の4年後に清超先生が出版された『新しい開国の時代』というご著書に、初めて「大東亜戦争は迷いの産物だった」という意味の明確な記述が出てくるということです。その後、『歓喜への道』という1992年のご本には、もっと明確に「聖戦はない」という表現が何度も出てきます。後者の場合、この言葉が出てくる直接の原因は、湾岸戦争がその前年の1991年にあって、その時にイスラーム教徒の間で使われている「ジハード」という言葉が、日本では「聖戦」と翻訳され、その意味がいろいろ言われたからですね。

  そして、清超先生が「聖戦はない」と言われる時には、多くの場合、戦後の神示を引用されます。しかし、これらの神示は、戦前の昭和7年(1932)の「声字即実相の神示」を根拠にしているので、生長の家の教えに一貫性がないわけはありません。ですから私たちは、21世紀の現代でも、どんなに国際情勢が緊迫しても、「戦争肯定」は教えに反するということをしっかり把握しておく必要があるのです。

  さて、今年は2021年で、2001年から20年がたったということで、9・11後の国や世界の情勢を振り返る活動が欧米諸国などでは行われてきました。日本では、それほど目立ったものはないのですが、このテロ事件によって大きな衝撃を受けたアメリカでは、主として外交政策をめぐっていろいろな反省が行われてきました。その中で私がキーポイントだと感じたものは、戦争とは本当に、「迷いと迷いが相搏(あいう)って自壊していく現象」だということです。この言葉は、先ほど触れたように、「声字即実相の神示」にある言葉です。20年という時がたつと、ある事象の只中ではまったく見えなかったことが見えてくるという実感がします。

  この話は詳しく説明すると、それだけで30分も1時間もかかるので、今日は要点だけを申し上げます。それは、戦争でぶつかり合う国や集団の間では、どちらかが絶対善で他方が絶対悪だということはないということです。双方が真実を知らないという“迷い”の中で、自分を“善”とし、相手を“悪”と認めて、総力を上げてぶつかり合う現象――それが戦争だということです。聖経『甘露の法雨』の「無明」の項には、無明とは「あらざるものをありと想像するが故に無明なり」とあります。この無明(迷い)が、テロを仕掛けた側にも、またそれを受けて“テロとの戦い”を始めた側にもあったことが明らかになりました。

  しかし、当初はそれが分からなかった。9・11を目の当たりにした時は、私たちは「旅客機をハイジャックして高層ビルに突っ込むなど、トンデモない悪人がすることだ!」と感じました。だから、そういう大悪事を計画した容疑者を米軍が攻撃することは当然だし、その大悪人をかくまっている国に侵攻することは、正当防衛だと考えました。

  こうしてアフガニスタンは政権が倒れ、イラクは国家が崩壊しました。ところがその後に分かったことは、9・11の主犯であるオサマ・ビンラディンはアフガニスタンのタリバンとは直接の関係はなく、イラクもビンラディンとのつながりはなく、大量破壊兵器の開発もしていなかったということでした。つまり、当時のアメリカ大統領、ジョージ・W・ブッシュ氏が、“テロとの戦い”の理由として――つまりアフガニスタンとイラクに派兵する理由として挙げていた事実は皆、事実ではなかったということです。言い直すと、事実でない前提のもとに始められた戦争がアフガン侵攻とそれに続くイラク戦争、そして“テロとの戦い”だったのです。

  では、9・11の主犯とされるビンラディンは事実をしっかり押さえていたかというと、決してそうではありませんでした。これは、ビンラディンがアメリカの特殊部隊によって殺害されたとき、その隠れ家にあったコンピューターや47万個に及ぶデジタルファイル(音声、画像、ビデオ、テキスト)の解析から分かったことです。その内容はすべて公開されているわけではありませんが、アメリカの外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』の今年9~10月号に載った専門家の論文を読んで、その一部を私は知りました。そして驚いたのは、ビンラディンはアメリカという国をよく知らなかったということです。

  彼は、何を目的として9・11を実行したかというと、アメリカ軍のアラビア半島からの撤退です。特に、イスラーム原理主義の信仰者にとっては、イスラームの聖地であるメッカとメディナを抱えるサウジアラビアに、彼らにとっての異教徒の軍――つまり、キリスト教国の軍隊――が駐留することは、かつての十字軍による聖地の占領と等しく、許しがたい行為として感じられていたというのです。そして、ビンラディンが犯した最大の誤算は、9・11のような事件を起こせば、アメリカは怖気づいて、あるいはアメリカ国民は士気を失って、サウジアラビアから撤退するだろうと予測していたことです。どうやら、ベトナム戦争時のアメリカ国内の反戦運動みたいなことを予測していたようです。国際政治の常識について、ビンラディンはまったく無知だったことが分かります。

 どう思いますか、皆さん。アメリカ人やアメリカの歴史を少しでも勉強した人は、そんな予測をするはずがない、と思いませんか? 日本は真珠湾攻撃で、これと似た過ちを犯しました。奇襲攻撃は、逆効果でした。それによって、アメリカ人は「Remember Pearl Harbor」という標語の下、一致団結して対日戦争に全力で臨みました。これと同じことが、9・11の後にアメリカで起こり、そのために、超大国の莫大な資金と軍事力が動員されて中東地域は、9・11とは無関係な国々まで破壊され、大変な数の死傷者が出ました。そして、世界中のイスラーム信仰者が差別され、迫害されたのです。

  上掲の『フォーリンアフェアーズ』誌の別の記事に、この20年続いた“テロとの戦い”で人類が支払ったコストの大きさが、次のようにまとめられていました――

 ・米軍の死者--7,000人以上
 ・米軍の負傷者--5万人以上
 ・帰還後の自殺者--3万人以上
 ・アフガンとイラクの死者--数十万人
 ・戦争による難民--3,700万人

 これが「戦争」というものの実態です。どこにも正義など、ありません。そこにあったのは、「大いなる無知」です。この無知は、アメリカ側にもテロリスト側にもありました。聖経『甘露の法雨』にあるように、無知とは真実を知らないことですから、宗教的には「無明(むみょう)」であり「迷い」に当たります。このことを生長の家の神示では、「迷いと迷いが相搏(あいう)って自壊する」と表現しているのです。

 このように「戦争は迷いの産物であって、神がその当事者のどちらかを支援するものではない」というのが、生長の家の戦争観です。谷口清超先生は、これをもっと短く分かりやすい端的な表現にして私たちに教えてくださいました。それは「生長の家には聖戦はない」ということです。これを言い換えれば、生長の家の教えの中には「聖戦として肯定すべき戦争はない」ということです。

  谷口清超先生と9・11との関係を語るのには、欠かせない本があります。それは、ここに持ってきた『新しいチャンスのとき』という本で、この奥付を見ると、初版の発行日は「平成14年4月15日」とあります。平成14年は西暦で2002年です。2002年の4月に発行される本は、その原稿は前の年に書かれた原稿が元になることが多いでしょう。ということで、9・11以降に書かれた原稿が、この本に多く含まれていることになります。

  では、そういう時期に書かれた本に、なぜ「新しいチャンスのとき」という表題がつけられたのでし ょうか? 「新しいチャンス」という言葉は、積極的な意味合いがありますね。前代未聞のテロ事件が起こって、その結果、アメリカ軍はアフガニスタンやイラクに侵攻して、大変な数の死傷者が出ているときに「新しいチャンス」などと言っていいのでしょうか?

Seicho_13mem04

 

 

  清超先生は、このタイトルの付け方についての私たちの疑問に、本の中で答えてくださっているので、それを紹介します--

 <新年号の原稿の締め切り日が10月20日になっている。それまでに“一月号の原稿”を書くのは、現実的ではないから、相当頭を働かせ、時間感覚を移動させて、あたかも外国旅行をして行く先の時間に合わせるような“時差”を越えた操作をしなくてはならない。ところが他方私は締め切り日に追いかけられるのがいやだから、いつも締め切りより早い目に原稿を書くくせがついてしまった。

 そこで今は9月末だが、1月号の原稿を書きはじめたところなのである。するとどうしても9月11日に起った衝撃的な事件、ニューヨークの世界貿易センター超高層ビルなどに突入したハイジャック民間航空機による同時中枢爆破テロ、及びそれに伴う世界的“戦争状態”について書きたくなる。これは正月の記事にはふさわしくない内容だが考えようによっては、「危機は同時にチャンスである」との原則から、この世界的悲劇も、“新時代”の到来を約束する好機ともなると言えるだろう。>(p.75-76)

  この清超先生のご文章を読めば、生長の家がいかに積極的思考の信仰運動であるかが分かるのではないでしょうか。その20年後を私たちは今迎えているわけですが、新型コロナウイルスのパンデミックのため、この2年間で世界中で大変な数の人命が失われ、経済が大打撃を受けました。しかし、これは「神が人間を罰するために起こした現象だ」と考えるのは、生長の家の信仰ではないのです。「人間が唯物的な迷いによって、欲望のおもむくままに自然界を破壊し続けていることの結果である」という話を、私はかねてから申し上げているのであります。そのことをできるだけ多くの人々に伝え、私たちの生活を自然と調和する方向に切り替えていく。そのための「新しいチャンスのとき」が今なのです。

 ぜひ、皆さまと共に、「神・自然・人間の大調和」を目指す“新しい文明”の構築に向かって、新たな決意をもって邁進しようではありませんか。

  谷口清超先生の十三年祭に当たって、所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。


 
谷口 雅宣

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2017年3月 1日 (水)

魂の飛躍への道

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山にある龍宮住吉本宮出龍宮顕斎殿で「立教88年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が挙行され、国内外の生長の家の幹部・信徒約770名が参集して、人類光明化運動の始まりを祝い、国際平和信仰運動のさらなる発展を誓い合った。また、昨年までの運動で顕著な功績のあった大勢の幹部・信徒が表彰された。
 私は本式典の中で概略、以下のような言葉を述べた--
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 皆さん、私たちは本日、立教88年の記念日を迎えました。誠におめでとうございます。漢字の「八」という字は、二つの縦の線が足を踏ん張ったように拡がっているので、これを「末広」とか「末広がり」と呼んで、「おめでたい」ことと考えます。その理由は、「末の方がだんだん広がっていく」からで、事業や家族が「次第に栄えていく」「子孫も増えていく」などと考えるわけです。その「八」の数が二つ並べば、二重におめでたいことになります。ですから生長の家も、これで信徒の数が倍増していけば、さらに素晴らしいことになりますが、こちらの方は、まだそれらしい兆候が見えていないので、ぜひ、皆さんと共に運動をさらに盛り上げていきたいと念願しています。皆さん、よろしくお願い申し上げます。
 さて、私はこの立教記念日にはよく、『生長の家』誌の創刊号を引き合いに出して、その中に説かれている真理が、年月がたっても少しも古びていないという話をしてきたのであります。今日も、それと似たことをしたいと考えます。今日、取り上げたいのは、創刊号の表紙には「マーデン博士の積極的健康法」と書いてありますが、ここにある「マーデン博士」のことです。この創刊号には「健康法」が取り上げられています。人間には本来、疲労を回復したり、病気を治したりする偉大な力が備わっていることをここでは説いています。しかし、マーデン博士は、別の本では健康のことだけでなく、人間には本来、スポーツや学問、ビジネス、芸術などの他の分野でも、自分でも想像できないほどの偉大な潜在能力があるということを力強く説いていた人です。
 生長の家創始者の谷口雅春先生は、マーデン博士の翻訳書も出されていて、それをここでご覧にいれます。『繁栄への道18章』というご本で、昭和50年(1975年)に発行されたものです。雅春先生は、この本の冒頭にある「訳者はしがき」の中で、マーデン博士を次のように紹介されています-- 
 
「オリズン・スエット・マーデンは、エマソンを幽祖として発展して来たったニュー・ソート(光明思想)をアメリカ合衆国全土にわたって普及した2人の著名な著述家のうちの一人であるということができると思う。もう一人は、嘗て私が『幸福はあなたの心で』と題して訳書を出した“In Tune with the Infinite”の原著者であるラルフ・ウォルドー・トラインである。トラインの方は綿密に論理を追いつつ、当時の科学的資料を巧みに引用綜合して哲学的に人間の心と霊との力を解明して綿々諄々と叙述の文章を連ねているところに特徴があるのだが、マーデンの方は宇宙の真理を哲学的にというよりも霊感的に“精神的”にとらえて、それを、鼓舞する力強い激励的な直截簡潔な文章に表現して、読者に動的な希望を与えるところに特徴があると言い得ると思うのである。」(pp.1-2) 
 
 ご存じの方も多いと思いますが、ニュー・ソート(New Thought)というのは、「新しい思想」とでもいうような意味で、「神は自己のうちに宿る」ということを説く、生長の家ととても近い考え方をもった宗教・思想運動です。雅春先生の時代には、戦前も含めて生長の家とは思想的、人的な相互交流があった団体であり、運動です。その運動の初期の思想家の一人がオリズン・スエット・マーデン博士です。谷口雅春先生は、そういう人の文章をわざわざ翻訳されて、それを『生長の家』誌創刊号に掲載された。そのことを考えると、私たちの運動は最初から、一種の国際運動であったことが分かります。つまり、先生の関心は、日本国だけにあったのではなく、世界全体に拡がっていた。だから「人類光明化運動」という名前をつけれらたということを、改めて思い出すのであります。 
 
 そういう前提を確認したところで、今日は、マーデン博士の他の著書から引用して、現在の私たちの運動にとっても重要なことが、アメリカの地では当時から説かれていたということを、お伝えしたいのであります。 
 
 まず、この生長の家総本山の龍宮住吉本宮には2014年に、住吉大神に加えてアメノミナカヌシの大神、タカミムスビの神、カミムスビの神が勧請され、私たちは運動の中で、これら“造化の三神”のムスビの働きを盛り立てていくことを決め、それ以来、生活と運動の両面でそれを継続しています。この「ムスビ」という考え方は、日本独特のもので西洋社会には存在しないと考える方がいるかもしれませんが、そうではないという証拠をマーデン博士の文章から示してみたいのです。その前に確認しておきますが、「ムスビの働き」とは何でしたか? 私はこう説明申し上げました--本来一つだが分離して、別物のように見えている2つのものが合わさり、新しい価値が生まれるということでした。例として、植物の花に動物である昆虫がやってくる。一見、両者は別物のように見えるが、しかしその2つが合わさると、植物において「受粉」が起こり、次の世代の“種”を生み出す作業が始まる。このようにムスビとは、一見相互に異質だと思われる2つのものが合わさって協力すると、それぞれが単独では生み出すことのできない“新しい価値”が生まれる、ということでした。 
 
 そういう考え方が大切だということを、実はマーデン博士も説いてきたのです。実際の例を、同博士の『Making Life A Masterpiece』(人生を名作に仕上げる)という本から引用します―― 
 
「異なったものは異なった性質を生み出す。異なった経験は、われわれの脳の中に、それぞれ特徴的な性質と力を発現する。それは例えば刺激に富んだ一冊の本かもしれない。霊感に満ちた一つの講演、あるいは牧師の説教かもしれない。また、自分を信頼してくれる友人の忠告や激励かもしれない。あるいは、何らかの緊急事態、人生の危機、旅、何気ない会話、新しい経験、大きな苦しみ、仕事上の失敗かもしれない。しかし、これらは私たちの最も高貴な特質を、私たちが知らない全く新しい自分自身を与えてくれるのだ。 
 
 私たちは、原因は何であれ、世界の進歩は、私たちが自分の可能性をどれだけ見出し、どれだけ使うかにかかっていることを知っている。」(pp. 146-147) 
 
 ――このように書いてあります。 
 
 ここでは、私たちの人生で遭遇するあらゆることが、良いことも悪いことも含めて、私たちの内在の無限の可能性――博士自身の言葉を使えば「私たちの最も高貴な特質」を引き出してくれる試金石だと説かれているのです。一見、自分の人生とは“異質”と思われることでも、それが訪れたときに、相手と真剣に取り組めば、私たちの人生は新しい次元に飛躍するということです。だから私たちは、一見自分を害するような、自分の人生には“異物”のように感じられる人や物や事に遭遇しても、それらを単に排斥したり、そこから逃亡したり、あるいはそれから目を閉じたりするのではいけない。そんな状態では、人格的に進歩せず、人生も味わいのないものになってしまう、と知らなければなりません。 
 
 マーデン博士の別の本『Training for Efficiency』(効果的仕事のための訓練)には、「責任は能力を開発する」という章の中に、こんなことも書いてあります―― 
 
「どんな人も、自分の最大の強さ、最も偉大な能力について、普段は無知である。それが引き出されるのは、大きな責任、深刻な非常事態、あるいは人生最大の危機に面したときである。」(pp. 128-129) 
 
 「多くの人は、男女を問わず、自分を成功に導いてくれると考えていたすべてを奪われるまでは、自己内在の本当の能力を発見することはない。その能力が分かるのは、自分の人生で大切なものをすべて失ったときだ。私たちの最も偉大な力、最大の可能性は、私たち人間の本性のあまりにも深いところに眠っているから、それを引き出すには、大変な事態、大きな危機が必要になるのである。」(pp. 130-131) 
 
 マーデン博士のこのような言葉を聞いて、皆さんは何か思い出すことがありませんか? それは今日の立教の日と大いに関係があります。谷口雅春先生は、どのような経緯で『生長の家』誌の発行を決意されたのでしたか? そうです。それは、先生が2回の盗難に遭われて、雑誌発行に必要な資金を全部奪われてしまった後でした。このような非常事態の中から、非常事態をものともせずに立ち上がったのが、谷口雅春先生と輝子先生であり、その精神を受け継いでいるのが今、私たちが進めている人類光明化運動・国際平和信仰運動なのです。 
 
 皆さんの中には、昨年の役員改選で初めて教区の指導者に選ばれて、「経験がないのに大変なことになった」と心配されている方がおられるかもしれませんが、しかし、雅春先生もマーデン博士も言っているように、私たちの内部に眠る“神の子”の無限力は、あるいは私たちの人生のさらなる飛躍は、このような“非常事態”から生まれてくるということを知ってください。「新しいこと」「責任のあること」「難しいこと」を実行する能力は、私たちの中に必ずあります。それが一見存在しないように見えるのは、その“神の子”の能力が私たちの内部神性の最も深いところに眠っていて、これまではそれを引き出す機会がなかったからです。しかし、これからはそうではありません。 
 
 私たちの運動は、“新しい文明”を構築するという、実に大きな目標を掲げています。それは困難でないとは決して言いません。しかし、その困難のおかげで、私たちには魂の飛躍への道が今、目の前に開かれていると考えて下さい。私たちはこれから、困難とムスビ合って、困難を自らの飛躍、さらには運動の飛躍へと結びつけるのです。これが生長の家の生き方です。私たちの運動は、全国に多くの同志がいます。全国どころか、世界中に仲間がいることが、先ほど披露された祝電の内容でお分かりになったと思います。皆ともに“新しい文明”の基礎をつくる道を、勇気と喜びをもって進んでまいりましょう。 
 
 これをもって、立教記念日の言葉といたします。ご清聴、ありがとうございました。 
 谷口 雅宣

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2016年9月18日 (日)

『新潮45』のメチャクチャな記事

 こんな表題で本欄を書かねばならないことは誠に遺憾だが、メチャクチャを書かれて黙っていたら、その内容を認めたことになると考え、不本意ながらキーボードを叩いている。新潮社発行の『新潮45』が10月号で“いま宗教に「救い」はあるか”という特集を組み、その中でフリーライターの藤倉善郎という人物が“「反安倍」となった日本会議の母体「生長の家」”という題の記事を書いている。このタイトル自体はそれほど問題はないが、副題となっている次の2行の文章がデタラメなのだ。曰く-- 
 
 政界にも人を送り込んだ「右翼教団」は、いつの間にか「エコ左翼宗教」となっていた。現総裁は、創始者の信者を追い出し、親兄弟をも排除し、「自分の宗教」を作りあげた。 
 
 --こういう言い草は今、生長の家の運動に反対して嫌がらせを続けている“反対勢力”の主張そのものである。それをそのまま記事にするような人が、はたしてジャーナリストと言えるだろうか? きちんと教育されたジャーナリストならば、取材対象とした二者の間にもし争いがあるのだとしたら、その双方の意見をきちんと聞いてから、それぞれの主張を紹介し、自分の判断を述べるべきだ。にもかかわらず、記事を書いた藤倉氏は、一方の主張だけを延々と書きつらね、私たち教団側の主張については、公式発表の差し障りのないものだけを紹介し、あとは私を名指しして言いたい放題に批判している。いったい藤倉氏は、私に何か個人的な恨みでもあるのかと疑いたくなる。 
 
 私も短期間だがジャーナリストとして生活していた経験があるから言わせてもらうが、こんな記事は、私の時代にはデスクの段階でボツになるに決まっている。「掲載に耐えない」と判断されるのだ。理由は「客観性」「中立性」がないからだ。そういう種類のものが一流の出版社が出す月刊雑誌に堂々と掲載されるということは、日本のジャーナリズムは相当質が低下したと考えざるを得ない。実に嘆かわしい現象だ。本欄の読者に助言申し上げるが、興味のある方はこの記事を読んでくださっても構わないが、「定価880円」を出して買う価値は決してない。立ち読みで十分であるし、その時間と労力ももったいない。他のもっと重要なこと、楽しいことに使われた方がいい。 
 
 上記のことから分かるように、藤倉氏の記事は、ほとんど裏付けのない事柄を独断的に書き、独断がマズイと思う箇所は、取材源の人物名を書いて、その人物に好き放題を言わせている。ところが、その人物は誰かと思えば、生長の家以外の人間であったり、生長の家との裁判で係争中の相手だったり、はたまた反対運動の熱心な推進者である。これを「一方的記事」と言わずに何と言うべきか。 
 
 こういう取材態度や断定の中で私が最もデタラメだと感じ、怒りを禁じ得ないのは、私と父の第2代総裁、谷口清超先生との間に「親子対決」があったという事実無根の話だ。それを言っているのは「犬塚博英」という生長の家の職員だったことのない人物である。その犬塚氏が、さも内情通であるかのように記事に登場し、私が副総裁に就任した頃の“内情”と称して、こんなことを言っている-- 
 
「当時は総裁と副総裁が父子間で主導権争いをしていた。これには家族関係をめぐる屈折した感情もあったようです。雅春先生は、しつけに厳しく、雅宣氏が食事中に誤って味噌汁をこぼした際、雅春先生から床にこぼれた味噌汁をすすらされたというエピソードもあります。そんな祖父に対する恨みが強かったように思います」 
 
 なんというメチャクチャな論理だろう。私が副総裁になったのは、父の谷口清超先生から薦められたからで、父子間の対立などなかったからである。また、“味噌汁事件”は、私が小学生の頃の笑い話だ。味噌汁がこぼれたのは「床」ではなく、漆塗りの「卓袱台」の上だった。私はその漆の香の混じった味噌汁の味を今でも懐かしく思い出す。それは祖父への恨みなどではなく、「食べものを粗末にするな」という教えとして受け取り、感謝の気持をもってその教えの通りに今日まで生きてきている。冷静に考えれば、生長の家に勤めたこともない犬塚氏に、私のそんな心情など分かるはずはないのに、取材した藤倉氏は、悪意からでなければまったく安易に、犬塚氏のいい加減な憶測を事実と受け取って記事にしている。 
 
 だいたい万が一、私が祖父を恨んでいたとしても(もちろん事実ではないが)、その恨みがどうして祖父ではない父親に振り向けられるのか? 人間性の理解という面でも、藤倉氏は実におざなりである。明治生まれの祖父は確かに厳格だったが、大正生まれの父は自由主義者だった。そんなことは、教団の内部ではよく知られていることで、取材不足もはなはだしい。私に留学の資金を出してくれたのは祖父であるし、留学後は新聞記者になることに賛成してくれたのは、父である。個人の自由意思を重んじる父は、「教団へもどって来い」などとは言わなかった。私は若い頃のこの2つの経験を大変貴重なものと感じており、祖父と父には感謝しこそすれ、恨みに思うなどと考えるのはトンデモない妄想である。 
 
 このように、藤倉氏のトンデモ記事について私の言いたいことはいくらでもあるが、時間のムダ遣いはしたくない。読者にはとにかく「読む価値のない記事」であることを知っていただき、間違っても「880円」をムダにしないでいただきたい。 
 
 冒頭で「日本のジャーナリズムは廃れた」という意味のことを書いたが、もっと正確に言えば、「大手ジャーナリズムは廃れた」と書くべきかもしれない。なぜなら、『週刊 金曜日』という週刊誌は、日本会議と生長の家との関係について私にきちんと取材し、今年8月5日-12日合併号と同月19日号で公平な記事を書いてくれている。このインタビュー記事は、同誌の御好意で、近く発行される『生長の家』誌に転載される予定である。読者はどうか、こちらの記事にあることを事実として理解していただきたい。 
 
 谷口 雅宣

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2016年6月17日 (金)

信仰者はウソをつかない

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山にある谷口家奥津城で「谷口雅春大聖師三十一年祭」がしめやかに執り行われた。前日の雨は上がり、時に陽が差し込む中、奥津城前の広場には神奈川、石川、和歌山、広島、香川、鹿児島から団体参拝練成会に参加する信徒・幹部ら、また近隣の教区から合計五百数十名が集まり、生長の家創始者の遺徳を偲び、真理宣布の決意を互いに確かめ合った。私は、年祭の最後に大略、以下のような挨拶を行った。 
 
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 皆さん、本日は谷口雅春大聖師三十一年祭に大勢お集まりくださり、誠にありがとうございます。谷口雅春先生は昭和60年の今日の日に昇天されましたが、あれから31年が過ぎていきました。雅春先生は昭和50年1月に、81歳で東京からこの地に移られ、龍宮住吉本宮(昭53)と霊宮(昭56)を建設され、長崎では約10年間を過ごされました。 
 
 この間、生長の家の運動では大きな変化がありました。それは昭和58(1983)年7月に、生長の家政治連合(生政連)という政治団体が活動停止になったことです。今日は、その意味について振り返りたい。生政連は昭和39年9月に結成されましたから、それ以降約20年にわたって、生長の家は政治運動を展開したという歴史をもっています。 
 
 しかし、そういう政治運動はやめようということになりました。これは、第2代総裁の谷口清超先生の決断によるものです。しかし、谷口雅春先生も政治と宗教が一体となった運動には弊害が大きいことを、この決定の10年ぐらい前から気づいておられました。谷口清超先生は、その意を汲まれ、さらにご自分の信念にもとづいて、この重大な決断を下されたのです。 
 
 当時のことをやや詳しく書いた文章を読みます。これは私が監修して2004年に出した『歴史から何を学ぶか:平成15年度生長の家教修会の記録』という本にあるものです。書いた人は、この政治運動の推進に中核的役割を果たしてきた元本部講師の森田征史さんです 
 
-----(以下引用)---------------- 
 
<生政連活動停止の原因となる重要な問題は、既に昭和43年9月1日号の『聖使命』紙に谷口雅春先生の「勝利に傲らず聖胎を長養すべし」と題されたご文章の中に示されていました。それは、「純粋宗教的立場から幾分方向転換して政治的方面に運動を進めて来たために、宗教の純粋さや、清潔さが少しでも失われて来ていないか」ということでした。教化部や道場で真理の話が少なく、「票の獲得」のことが多い等の意見があり、宗教的な魂の教化や救済が第二次に置かれるとき、純粋なる宗教的真理を求める人たちは去ってしまうか、近寄り難くなるのは当然の帰結である。そのために選挙の票は伸びたが、信徒又は誌友数は足踏みどころか却って少なくなった県もある、と先生はご指摘になりました。(…中略…)そして、純粋宗教活動にのみ精神と行動を集中するためには、地方の教化方針や雰囲気を変える必要があり、教化部長の改選期にあたり大々的に配置転換が行われると同時に、相・白・青の組織が政治運動のために一元化していることから、男性が白鳩会を支配している傾向のところは改めなければならなぬ、と強く指摘されました。 
 
 こうした先生のご指摘に対して、主たる改善が行われないまま運動が進んでいきました。しかしその後、参議院選挙での全国区比例代表制の導入等、新たにいろいろな重大な問題や矛盾も生じ、昭和58年7月5日、生政連は遂に活動停止となりました。 
 
 生政連の活動停止後、先に述べたように、谷口清超先生のご指導を戴いて次のような教団の新たな決意が述べられました。 
 
 このような情況においては、吾々の運動は立教本来の布教使命の自覚と人類光明化運動の根本的な基盤確立が必要欠くべからざるものとの観点から、出来るだけ多くの国民の中に『神の子・人間』と実相日本の霊的使命を伝道し、全世界の組織網を確立することが急務と考え、生政連活動は停止されたのであって、決して後退したのではない。それは新たなる前進である。今後は、人間神の子の真理・真理国家日本の理念を自覚した国民をもっともっと多数うみ出すことにより、そうした国民の正信がおのずからに、政治家は勿論、凡ゆる階層の人々に反映され、生活・教育・家庭・事業、及び政治の変革が実現するような状況をつくり出して行こう、とするのである。それはこれまで以上に幅広く、根の深い雄渾な活動への重大な第一歩と言えるであろう。 
 
 こうした目的を達するためには、生長の家の各組織を拡大・充実させつつ、飛躍的な教勢拡大を図るほか、安易な道はどこにもありえない。そしてそれこそが、人類光明化運動の原点でもあるのだ。吾ら信徒一同、この原点に立ち、菩薩行に邁進したいと決意を新たにする次第である。(『聖使命』昭和58年8月15日号) 
 
 生長の家はその後、純粋な信仰運動として信徒拡大をはかるために、従来、政治目的で行動を共にしてきた「日本国民会議」等の“愛国団体”とも分かれ、講習会推進活動を中心とした運動を展開しました。>(同書、pp. 59-61) 
 
--------(以上引用)------------- 
 
 ここにあるように、生長の家は生政連の活動停止を決めたことに伴い、それまで政治的な行動を共にしてきた、いわゆる“愛国団体”とも袂を分かつという方針を決め、その方針を実行してきたはずなのです。この“愛国団体”の中に「日本国民会議」というのがありました。これが今、話題になっている「日本会議」の前身である政治団体です。ですから、生長の家は長年の政治運動による諸問題を真剣に考察した結果、宗教の純粋性を回復し護持するという重要な目的からこの決定を下した。その決定から、今はもう30年以上たっているのです。 
 
 ところが残念なことに、この決定に従わない人々がいたのですね。それも一般の信徒ではなく、生長の家本部の中枢にいた人、また教化部長として、本部講師として、本部からの給料で生活の保障を受けていながら、表面では本部の方針に従う素振りをして、何十年も“面従腹背”の生活を送ってきた人々がいたのです。 
 
 先日、6月9日に発表された生長の家の「今夏の参議院選挙に対する方針」には、そのことが次のように書かれています-- 
 
--------(以下引用)------------- 
 
<最近、安倍政権を陰で支える右翼組織の実態を追求する『日本会議の研究』(菅野完、扶桑社刊)という書籍が出版され、大きな反響を呼んでいます。同書によると、安倍政権の背後には「日本会議」という元生長の家信者たちが深く関与する政治組織があり、現在の閣僚の八割が日本会議国会議員懇談会に所属しているといいます。これが真実であれば、創価学会を母体とする公明党以上に、同会議は安倍首相の政権運営に強大な影響を及ぼしている可能性があります。事実、同会議の主張と目的は、憲法改正をはじめとする安倍政権の右傾路線とほとんど変わらないことが、同書では浮き彫りにされています。当教団では、元生長の家信者たちが、冷戦後の現代でも、冷戦時代に創始者によって説かれ、すでに歴史的役割を終わった主張に固執して、同書にあるような隠密的活動をおこなっていることに対し、誠に慚愧に耐えない思いを抱くものです。先に述べたとおり、日本会議の主張する政治路線は、生長の家の現在の信念と方法とはまったく異質のものであり、はっきり言えば時代錯誤的です。彼らの主張は、「宗教運動は時代の制約下にある」という事実を頑強に認めず、古い政治論を金科玉条とした狭隘なイデオロギーに陥っています。宗教的な観点から言えば“原理主義”と呼ぶべきものです。私たちは、この“原理主義”が世界の宗教の中でテロや戦争を引き起こしてきたという事実を重く捉え、彼らの主張が現政権に強い影響を与えているとの同書の訴えを知り、遺憾の想いと強い危惧を感じるものです。> 
 
--------(以上引用)------------- 
 
 イスラーム原理主義にもとづくテロリストの戦術として、英語で「sleeper cell」と呼ばれるものがあります。「sleep」は「眠る」という意味で、「cell」は「細胞」--「眠れる細胞」です。政治学の分野では「細胞」は政治組織の最小単位のことであります。「sleep」という語も、スパイなどが自分の本当の身分や意図を隠しながら、一般市民の中で静かに、ごく“普通に”していることも意味する言葉です。ですから、「sleeper cell」は「所属する組織の本当の目的を秘匿して、大衆の中で普通の市民として暮らす単位組織」という意味になります。 
 
 この“スリーパー・セル”が私たちの運動の中にもあったということです。そのことは、菅野さんの本の中で、実名をもって証明されています。これは、そういう人々が何十年も前にいたという話ではなく、ごく最近まで生長の家の幹部として活動し、今は「日本会議」の中枢にいたり、さらに私たちの運動に反対している「谷口雅春先生を学ぶ会」の中枢にもいる--ということです。しかし、私たちの今回の決定は、これらの人々への憎しみに基づくものではありません。そうではなく、これらの人々の運動方法と行動哲学は、宗教が説く「信仰」とは相容れないことを明確にするためです。さらに言えば、この同じ方法で隠密裏に、日本の政治が彼らの偏向した思想によって間違った方向に向けられる危険性が迫っているという認識と危機感にもとづくもので、「そうさせてはいけない」という強い意志の表明なのです。 
 
 健全な民主主義を機能させるためには、政治の透明性が不可欠です。しかし、彼らが何十年も実践してきた“スリーパー・セル”のような“面従腹背”の生活と運動方法は、宗教と相容れないどころか、民主主義の基本を否定するものです。なぜなら、彼らの思想と行動の実態は表面から分からず、まったく不透明だからです。このような生き方は、ましてや谷口雅春先生のお考えや人格とは正反対と言っていいでしょう。 
 
 ご存じのように、谷口雅春先生は、隠し事をされない、竹を割ったような、まっすぐな性格をおもちでした。先生は宗教の創始者という立場にありながら、ご自分の失敗を包み隠さず文章に書かれたことが一度ならずあります。有名なのは、『生命の實相』の自伝篇にある若い頃の女性遍歴の話です。これは多くの方はすでに読まれている。 
 
 また、立教後に、先生の一人娘である谷口恵美子先生の結婚相手を選ばれたときも、一度失敗されている。この話は、先ほど紹介した『歴史から何を学ぶか』の中に、一部が引用されています: 
 
--------(以下引用)------------- 
 
<ご存じの方も多いかと思いますけれども、谷口雅春先生もこの後継者選びに関しては一度、そういう過ちを犯したことがおありです。それが『善と福との実現』という本の中に書いてあります。 
 
 それは、谷口清超先生がまだ雅春先生の前に現れていない時期に、谷口恵美子先生の娘婿として、ある人物を選ばれた。それは谷口恵美子先生がよく知らない人だったけれども、雅春先生がその人のことを知って、この人なら戦争に行かないだろう--つまり、腎臓に結核菌が入ったので一方を摘出したから、徴兵に取られないと思われた。そして、自分の所に「心の父よ」という肩書きで手紙を書いてきたこともあって、先生の方も「吾が子よ」というような感情が起こってきて、その人を養子に定められた。恵美子先生は雅春先生を深く尊敬されていましたから、「お父様のおっしゃること、決めることはすべて善い」と思って結婚されて、その人物は谷口家の養子になったのです。 
 
 しかし、恵美子先生は結婚してから、自分はこの人が愛せないということが分かった。そして苦しまれるんですね。その様子も『善と福との実現』の中に書いてあります。あの本を読まれていない方はぜひ読まれるといいですね。感動的な文章がいっぱい書いてあります。雅春先生は、当時のご自分の精神状態も詳しく分析されていて「私に少し間違った選択があったのは否定できない」ときちんと書いていらっしゃる。>(同書、pp. 173-174) 
 
--------(以上引用)------------- 
 
 このように「正直である」こと、「ウソをつかない」ということは、宗教者に必須の信条であり、素質です。なぜなら宗教とは、人が「心の底で何を想っているか」「何を信じているか」を問題にするからです。それを隠したり、偽ることで信仰が成立するはずがありません。私たちがよく知っている「大調和の神示」の中にも、「怺(こら)えたり我慢しているのでは、心の奥底で和解していぬ。感謝し合ったとき本当の和解は成立する」とハッキリ書いてあることを思い出してください。これは、「表面的に仲直りするのではダメだ。心の底から仲直りしなさい」という教えです。 
 
 今回の生長の家の方針は、このような「ウソを言わない」という私たちの信条からしても、また民主主義の根本原則からいっても、今の安倍晋三首相が率いる与党の方針と行動を容認することは、日本を危機に導くという判断--そういう愛国心にもとづくものです。ぜひ、この点を理解していただき、宗教者としての純粋性の表現と、国の進む方向を誤らせないために、「与党とその候補者を支持しない」というメッセージを、皆さんの投票行動で示していただきたいのであります。 
 
 これをもって谷口雅春大聖師三十一年祭の言葉とします。どうか皆さん、信仰者として「ウソをつかない」生き方を守り通してください。ご清聴ありがとうございました。 
 
谷口 雅宣

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2016年6月 9日 (木)

『日本会議の研究』について (2)

 表題の著書を本欄で私が推薦した理由は、もう一つある。それは、7月の参院選に臨んで、現在の安倍晋三首相が率いる強権政治の裏に、何が隠されているかを読者に知ってほしいからだ。もっと端的に言えば、私の伝えたいメッセージは「今回の参院選では、与党に投票しないでほしい」ということである。その理由は、すでに生長の家の公式サイトに掲載された声明文にやや詳しく書かれているから、読者はそれを読んでほしい。 
 
 が、ここでごく簡単に言えば、これまでの安倍晋三氏の言動から判断すると、彼は私たちの運命を左右する絶大な権力を委託されている一国の長として、信用できないからだ。さらに、表題の書が警鐘を鳴らすように、安倍氏の言動の淵源が日本会議を牛耳る元生長の家の政治運動家の思想にあるとしたならば、安倍氏の個人的資質に加えて、彼の政治基盤そのものが信用できないからだ。 
 
 私は、安倍晋三氏個人に対して恨みや敵対心などもっていない。だから、彼が日本国の首相ではなく、大臣でもなく、何の役職もない自民党の一政治家であったり、政治評論家であったり、ジャーナリストである場合には、このような文章を公表することはなかっただろう。しかし、現在の安倍氏は、日本国最大の権力者として、国会における単独過半数の議席の勢いを得て、あってはならない憲法の“解釈改憲”を実際に行い、政治の監視役であるジャーナリズムに圧力を加え、日本の将来を担う青少年の価値観を左右する教科書の選定に介入してきた。このような言動の原因が、冷戦時代に生長の家が掲げた政治思想に頑なにしがみつく元幹部の“功績”にあるとしたならば、私は現在の生長の家の責任者として、「その道は、宗教的にも政治的にも間違っている」と声を大にして訴える責任を感じるのである。 
 
 日本は自由主義、民主主義の政体を選んで1世紀以上たち、その間には多少の紆余曲折はあったにせよ、これらの価値観と理想から退くのではなく、その実現に向かって前進する方向に歩み続け、今日にいたっている。この現代史の歩みの中では、わが国のみならず、世界中の多くの人々が、政治権力による弾圧や拷問、自由の剥奪、民族浄化、そして戦争などの犠牲になって死んでいった。また、自由主義・民主主義を採用していない一部の国家や地域では、現在も政治権力による弾圧や拷問、自由の剥奪、民族浄化などが行われている。人類全体が、多大な犠牲を払い、痛恨の念とともに歩んできたこの歴史の道程を軽視し、表面は美辞麗句を並べて国民を欺きながら、本心では自分たちの都合に合わせて歴史逆転を図る種類の人物がもし存在し、その人物が今の政権中枢に存在するというならば、私はこれまでの“政治への寡黙”を排して、言うべきことは言おうと思う。 
 
 読者に改めて問いかけよう。安倍首相とその側近の人々は、まず「誠実」であるだろうか? 政治家が「誠実」と言われるためには、言行一致が必要である。民主主義の制度下では、政治は議会(国会)を通じて行われる。議会は、様々な考えの人々が国民の代表として集まり、「言葉」を使って議論を戦わせる。だから、政治家の誠実さの指標としては、まず彼らの口から出る言葉が、事実を述べ、隠し立てがなく、論理的に整合しているかを見る必要がある。 
 
 この点について、6月3日の『朝日新聞』の投書欄から引用する-- 
 
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 「新しい判断」? 言葉軽すぎる 
 
 安倍晋三首相は、消費増税の再延期を発表しました。延期の是非は別として、“新しい判断”を理由に以前の約束をほごにすることなど、子どもでもしないでしょう。一国の首相の言葉がこんなに軽くていいのでしょうか。 
 ここ数年、安倍首相の言葉を聞くたびに不信感が募ります。 
  例えば、2013年の五輪招致のプレゼンテーションでは、福島第一原発の汚染水について「アンダー・コントロール」と言い切りました。しかし、コントロールにはほど遠い現状です。 
  14年11月には、消費増税について「再び延期することはないと断言する。確実に引き上げていく」と述べていました。 
 一方、安倍首相は昨年の国会で、テロ対策に関連して「国民の命、安全を守ることは政府の責任であり、その最高責任者は私だ」と語りました。私は自分の命と安全を預けることはできません。 
  間もなく参院選。私たちは、政治家の言葉に、より一層、耳を傾けます。首相の言葉の空しさを反面教師として、真実が語られているのか、ごまかされていないか、国民のための言葉なのかを聞き分けていきたいと思います。 
                     主婦 清水芳枝 (神奈川県、65) 
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 世の中には、「政治家は必ずしも誠実でなくていい」という考えの人も少なくないことを、私は知っている。現在の中国や北朝鮮には、誠実でない政治家はいくらでもいるだろう。また、戦前の日本にもそんな政治家は沢山いたであろう。しかし、民主主義という政治の仕組みを真面目に考えるならば、政治家の基本的資質として「誠実さ」が求められることは、当然である。逆に言えば、国民の代表として選挙で選ばれた政治家がウソつきであった場合、彼または彼女はどうやって「民主」を実現するのだろうか? もちろん、選挙前の公約が、選挙後に守られないことは珍しくない。しかしそれは、政治家が初めからやる気がないことを公約したというよりは、実行困難なことを知りながらも、自分の政治家としての目標や、実現したい政策を述べたと考えるべきだろう。だから、選挙で議員となった政治家は、選挙前の公約と逆方向の政策を自ら推進することはできないはずだ。(もちろん、例外的な人もいるが、その人は「政治家」の名に値しない。) 
 
 しかし、安倍首相には、そういう民主主義下の政治家としてのあるべき資質が、欠けているように見受けられる。自らの権力維持と政策実現のためには、国家の財政破綻や社会保障費の不足はやむを得ないと考えているフシがある。消費増税の延期をいとも簡単に、しかも薄弱な根拠のもとに宣言してしまった。10%への消費増税は、政党間の正式合意であり、法律にも定められた政策である。これを、「リーマンショック並の経済危機が来ないかぎり実施する」と言っていたかと思うと、G7の首脳会議で賛同を得たという口実を使って「リーマンショック並の経済危機が来ないように延期する」と、あっさり掌を返してしまったのである。この2つの言葉をよく読み比べてほしい。後者では、「前者の条件にならないように増税しない」と言っているのだから、今現在は、日本経済は前者の条件が満たされていないことを自ら認めているのである。これが安倍首相の言う“新しい判断”であるから、その内実はウソでなければ、いったい何をウソと言うべきだろうか? 
 
 このように簡単に国民を欺く人物が、わが国の首相であることを私は容認することができない。この人物が、日本の陸・海・空の自衛隊の最高司令官であることを思い起こすとき、戦前・戦中の軍部の独走の結果が脳裏をよぎり、日本国の将来――いや、今現在の日本の外交・防衛政策の危機が来ていると考えざるをえないのである。 
 
 谷口 雅宣

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2016年6月 1日 (水)

『日本会議の研究』について

 5月29日に大阪で行われた生長の家講習会で、私は「運動の変化」について話した。この話題は、講習会のテキストに使っている拙著『宗教はなぜ都会を離れるか?--世界平和実現のために』(2014年11月刊)の第1章のタイトルと同じである。この本が世に出てからすでに1年半になるから、読者の多くはきっと内容をご存じであろう。生長の家の運動が、創始者、谷口雅春先生の時代から変わってきていることと、その理由について解説しているのが、この第1章である。同じ趣旨の解説は、私が監修した『歴史から何を学ぶか--平成15年度生長の家教修会の記録』(2004年刊)の中にも書いてあるが、こちらの本は講師を対象にした硬い内容のものなので、あまり多くの人は読んでいられないだろう。 
 
 生長の家の講習会には、私たちの運動について予備知識をあまりもたない人も参加しているから、普通の場合は、ことさら「運動の変化」を語る必要はないかもしれない。しかし、平成の年号も28年を重ね、運動熱心な幹部の中にも、昭和50年代の後半まで教団を挙げて行われていた激しい政治運動のことを知らない人が増えたことを考えると、宗教と政治の関係の難しさや、両者が密着することの弊害について、生長の家の経験を通してきちんと説明するべき時期に来ていると、私は感じていた。 
 
『宗教はなぜ……』の第1章は、「宗教運動は時代の制約下にある」という事実を、戦後の44年にわたる“東西冷戦”の時代と、それ以後の変化を対比させながら明らかにした。これは言わば、マクロの(大局的な)視点からの解説だから、どうしても抽象的になった。その主旨をここで概括的に言えば「世界情勢の変化が宗教運動の方向を変えた」ということである。しかし、宗教は日常的には「人の心」というミクロの問題を扱うのである。だから、このミクロの視点からも、宗教と政治が密着することの問題について、私はどこかで具体的に述べる必要を感じていた。 
 
 もちろん上掲書が、この“ミクロの問題”にまったく触れていないわけではない。例えば、同書の20ページには、政治運動と宗教運動の両立の難しさが、次のように書かれている-- 
 
「とにかく、生長の家は、このような考えにもとづいて“大日本帝国憲法復元改正”を最終的な目標として、生長の家政治連合(生政連)を結成(1964年)し、政治活動を展開した。しかし、この運動は、生長の家の代表をできるだけ多く政治の舞台に送り出すのが目的だから、日本のどこかで選挙があるたびに、生長の家の信徒は政治運動に駆り出され、真理や信仰を伝えるのではなく、政治目標を説いて回ることになる。そのためには新たな資金も人材も時間も必要となり、宗教活動はしだいに政治活動に従属していったのである。そして、国会において生長の家が進めていた優生保護法改正がかなわず、加えて参院選でも生長の家代表候補が落選したことを受けて、1983年7月、生政連の活動は停止され、“今後は教勢拡大にむけて全力をそそぐこと”が決定された。もう30年近くも前のことではあるが、私たちの運動史の中のこの“政治の季節”に体験した高揚感などが忘れられず、その頃の運動に帰りたいと思う人々は、少数だがまだいるようである。」 
 
 ここにある「真理や信仰を伝えるのではなく、政治目標を説いて回る」という意味は、政治目標達成や選挙運動に力を入れるあまり、何が正しく、何が真理であるかという判断や、個人が抱える苦悩の救済が二の次に回されてしまったという意味である。また、「宗教活動はしだいに政治活動に従属していった」という意味は、教団の組織的活動において、宗教的なもののが後退する一方、政治的なものが優先されるようになったということだ。これは、「政治目標達成のために宗教的情熱が利用される」と表現してもいいかもしれない。宗教運動にとってこのような傾向は決して好ましくないため、第二代総裁の谷口清超先生は、昭和58年に生政連の活動停止を決断されたのだった。 
 
 ところが、この決定を好ましく思わない人、納得しない人、さらには反対する人も教団内には少なからずいた。それらの人々の中には、自らが好む政治活動に注力するために、潔く教団から離れた人もいた。が、その他の多くの人々の中には、表面は本部の方針に従う振りをしながら、陰では従来通りの政治活動をしたり、政治運動との接触を続けていた者もいたのである。教区の講師の代表である教化部長や、本部の理事(現在は参議)の中にも、このようにして本心を隠したり、“二股を掛ける”生き方を続けてきた人がいたことは、誠に残念である。なぜなら、宗教運動とは信仰運動であり、信仰には誠実さが何よりも必要であるのに、これらの人々は、表と裏を使い分ける不誠実な生き方を長年にわたって続けてきたからである。 
 
Nihonkaigi  そういう人々が具体的にどんな種類の人であり、宗教の陰でどんな政治活動を続け、何を目標としてきたかは、本部の側からは判然としなかった。ところが最近、生長の家の信仰者ではない一人の著述家が、独自の調査によって、これらを解明する本を出版した。菅野完(すがの・たもつ)氏が書いた『日本会議の研究』(扶桑社新書)が、それである。この本には、かつて生長の家の幹部活動をしていて、今は日本会議が進める政治運動の中枢にいる人が、何人も実名で出てくる。私より年齢が高く、かつ当時の生長の家の運動に関わっていた人々にとっては“懐かしい”話も出てくるが、当時隠されていた“驚くべき”話もある。とにかく、最初は門外漢であったはずの著者が、ここまでよく調べ、よく書いたと感心する。 
 
 つまり、この本には、私が『宗教はなぜ……』の本でカバーできなかったミクロの事実の多くが解説されている。書かれた内容--特に教義に関すること--のすべてが正しいとは言えないが、大きな流れは事実に沿っていると思う。そういう理由もあり、私は大阪で行われた生長の家講習会では、菅野氏の著書を紹介し、興味ある参加者に一読を勧めたのだった。本欄の読者にも、同じことをお勧めする。 
 
 谷口 雅宣

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2013年6月17日 (月)

大聖師の信仰と使命感に学ぶ

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山の谷口家奥津城で「谷口雅春大聖師二十八年祭」が厳かに挙行された。季節柄、梅雨空が心配されたが、朝から日差しのある好天で、海風も吹く奥津城前は快適だった。御祭には宮城、茨城、群馬、奈良、長崎南部、沖縄からの団体参拝練成会参加者など約480名が参列し、谷口雅春先生の生前の御徳を偲び、運動のさらなる発展を誓った。
 
 私は玉串拝礼をさせていただき、御祭の最後に概略、以下のような挨拶をした--
 
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 皆さん、本日は谷口雅春大聖師二十八年祭に大勢ご参列いただき、誠にありがとうございます。

 多くの方はすでにご存じのとおり、谷口雅春先生は若い頃から大変な努力家であり、勉強家でありました。孫の分際で私がこんな言い方をするのは失礼かもしれませんが、私も六十路を過ぎ、“高齢者”の仲間入りをしようとする年齢に達しまして、雅春大聖師が今の私の年齢の頃、どういう生活をされていたかということを時々思うようになりました。特に今年は、生長の家の国際本部を東京から山梨県の北杜市へ移転するので、身の回りの古い資料を整理する必要があるので、そんな機会が増えています。最近も、そういう作業をしているときに、雅春先生の蔵書の中に英語の本がたくさんあるのを見つけ、その一部をパラパラと見ていたのであります。ハードカバーの上製本が多く残っていて、1910年代の初めに発行されたニューソート系の思想家のもの、インド人の著者によるヨガや瞑想法に関するものが目立っていました。新品同様のものもあるのですが、よく使われた形跡のあるものや、先生自らが包装紙などでカバーをかけて大切に使っておられたことを窺わせる本も何冊かありました。
 
 蔵書にあるニューソートの思想家の名前を挙げると、オルソン・マーデン、スター・デイリー、クリスチャン・ラーソン、フェンウィック・ホルムズ、ラルフ・ワルドー・トライン、ハーヴィー・ハードマンなどです。雅春先生は昭和5年(1930年)の立教に先立って、書店でフェンウィック・ホルムズ氏の『The Law of Mind in Action』を偶然手に入れて読んだことが、生長の家の思想形成に大きな役割を与えたというのは、有名な話です。しかし当時は、現在のように通信・運搬や旅行の手段が発達していませんでしたから、生長の家とそういう人々との交流はほとんどありませんでした。また、日米関係が悪化しつつあったことも、人的交流がなかった一因と思われます。

 生長の家の歴史をひもといてみると、谷口雅春先生とニューソート系の思想家の本格的な交流が始まるのは、だから第二次大戦後となることがわかります。雅春先生は、敗戦後の昭和23年(1948年)の半ばに、戦前、日本の軍国主義に協力したという理由で執筆追放になりますが、その直前に、メンタル・サイエンスのハードマン博士と直接連絡を取る機会を得、交流が始まったのであります。ハードマン博士は昭和24年に来日して、雅春先生との共同講演会を東京、大阪、京都などで行いました。そして、昭和26年に雅春先生は執筆追放解除となり、そこから戦後の生長の家の昭和運動が本格的に開始されるのです。

 海外布教が本部の主導によって行われるのも、この頃からです。昭和25年には、当時「総持」という重職にあった中嶋与一氏が、ハワイからアメリカ本土に半年間の布教旅行を行い、翌年の4月末には、ハワイからの信徒が団体で本部を訪れています。また、6月からは中嶋氏による2回目の米国布教が同じく半年間の日程で行われました。翌昭和27年には、当時青年部長だった徳久克己講師がアメリカとブラジルへ講演旅行をし、同じ年の11月に英文の『生長の家』誌が創刊されます。ですから、この昭和25年、26年前後は、生長の家の国際布教活動の“草創期”であったと言えるのです。
 
 生長の家の月刊誌の記事としては、すでに創刊号に海外の文献からの引用や翻訳が見られますが、ニューソートの思想家の紹介や文章の引用などが目立つようになるのは、この頃からです。翻訳出版物も多く出ました。実は、この昭和26年という年の12月に、私が生まれました。妻は、それから1週間と少したった翌年の1月初めが誕生日です。このように考えると、私がこの世に誕生した頃に谷口雅春先生と生長の家が目指していたことと、今日の国際平和信仰運動との間に不思議な呼応があることが分かります。
 
 昭和26年には、先生は58歳でありました。私は昨年、還暦を迎えたのであります。ということは、私が最近パラパラと眺める機会を得たいろいろな英語の書物は、雅春先生が58歳前後の年齢のときに入手して読まれた本である可能性が高いのです。そう考えると、私は今、58歳の雅春先生の気持を考えて、もっと言えば、私は58歳の先生の立場に自分の身を置いて、それらの本を眺めることができる--僭越ながらそう感じて、私はそれらの本がどんなものであるか興味をもって調べてみました。
 
 ニューソート系の思想家の著書が多くあるのは、不思議なことではありません。当時は、インターネットを通じてアメリカから直接本を買うことなどできませんでしたから、それらの本は、神田の古本屋で買ったのか(谷口清超先生は時々、そうされていました)、アメリカの信徒の方が送ってくれたのか、あるいは生長の家との交流が進んだことで、著者やその付近のニューソート関係者から贈られたものだったでしょう。しかし、それだけでは説明できない本もありました。それは語学の本でした。私はそれを発見して驚いたのであります。私は自分のことを考えると、もう還暦を過ぎてから新しい外国語を学ぶという意欲は湧いて来ないのでありますが、雅春先生の蔵書の中には講演をうまくやるにはどうしたらいいかという内容の6冊組の教本がありました。タイトルは『Effective Speech』(効果的な講演法)です。さらに、これは日本語の古い本ですが、フランス語の教本もあったのです。タイトルは『英語対照 自修者の佛蘭西語』というので、著者は鈴木信次郎氏、発行は昭和13年の4月でした。
 
 皆さんは、立教前の谷口雅春先生が、アメリカの石油会社の翻訳係をされていたことをご存じと思います。ですから、先生はすでに若い頃から、しかっりとした英語の素養をお持ちでした。また、先生が日本語の講話や講演については達人のレベルであったことは、戦前から変わりません。となると、先生は何のために講演の初心者のための手引き書のようなものを持っておられたのでしょうか? 人から贈られたと考えることもできますが、英語の教本を当時の先生に贈る人となると、外国人以外にはあまり考えられません。先生は、その6巻組の本を贈られたけれども、読まなかったとも考えられます。が、その本を開いてみると、先生が読まれたと思う証拠が出てきました。本のページの間に、当時の古い白黒写真が入っていたのです。ということは、先生はきっと、将来の英語による講演や講話のために、その教本を読んでおられたに違いありません。私はそう考えて、雅春先生の旺盛な勉学への意欲に学び、「60歳ははな垂れ小僧」という言葉もありますから、さらに勉学や努力を積んでいかねばならないと心に銘じたのであります。
 
 この雅春先生の勉学への意欲は、もちろん先生の強靱な信仰と使命感にもとづいています。先生は、ご存じのように、70歳を過ぎてから東京からこの長崎の地に移られ、生長の家総本山を建設されました。私たちもこの偉大な大聖師の御心を手本として、これからもさらに多くを学び、霊的に成長し、多くの人々に御教えを伝えていこうではありませんか。大聖師の二十八年祭にあたり、所感を述べさせていただきました。
 
 ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣
 

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2012年11月24日 (土)

生長の家ってどんな教え?

Donnaoshie_o  このほど生長の家の秋季大祭を記念して『生長の家ってどんな教え?』(生長の家刊=写真)という単行本を上梓させていただいた。本書については、すでに『聖使命』新聞などで紹介していただいているが、この本は、私が日本各地で開催している生長の家講習会の産物である。「問答有用、生長の家講習会」という副題が、そのことを端的に示している。
 
 私は講習会での午前中の講話に対して、受講者から質問を受け付けているが、それによって私自身がずいぶん助けられている。講話に説明不足の点があれば、質問に答えることでそれが補える。私とは異なる質問者の視点から、同じ教義に光を当てることができる。つまり、多様な形の説明ができる。具体的な設問があれば、教義が理論的、抽象的にではなく、受講者に関心のある事例を引いて説明できる。そういういろいろな意味で、「問答」をすることは、宗教や哲学の分野で欠かすことができない有用な方法である。生長の家の聖経や『生命の實相』などの教典でも、だから問答形式の文は多用されてきた。本書では、その問答の効果が全面的に出ていると思う。
 
 本書は大きく二部に分かれている。第一部は「生長の家の教えの基本を語る」と題され、私が講習会で午前中に話していることのほとんどが収録されている。もっと具体的に言えば、生長の家の基本教義である「唯神実相」「唯心所現」「万教帰一」の解説がここにある。さらに詳しく言えば、今年3月25日に大阪教区で行われた講習会での午前中の講話を加筆修正したものである。
 
 しかし、それは最初の70頁分だけで、残りの約190頁(三分の二)を費やして、30を超える質問と、それらに対する私の答えが続く。これらの質問は、2008年から5年間の講習会で、私が全国の受講者から受けたものから厳選してある。だから、生長の家の教義に関する基本的な疑問には、本書で何らかの回答が与えられているはずだ。もちろん、すべての疑問に完全に答えることなどできない。そんな本は、恐らく誰も書けないだろう。しかし、入門レベルの信徒が抱くと思われる疑問は、本書でほとんどカバーしていると思う。質問の選定に当たってくださった編集部の方々には、深く感謝いたします。
 
 また、本書の文章はすべてが「話し言葉」になっているから、常日頃の私の論文調の書き言葉より数段分かりやすいだろう。その反面、「論理を積み上げていくことで高度の理解に達しうる」という論文の長所は、多少犠牲になっているかもしれない。
 
 本書を出版して、私が今困っていることが1つある。それは、生長の家講習会での講話の半分がここに詰まっているから、今後の講習会での講話をどう組み立てればいいか--という問題である。「本と同じことを話すな!」という受講者の声が聞こえてくるような気がするのだ。しかし、創意工夫は表現者の永遠の宿命だから、鋭意努力するほかはない。読者諸賢には、本書を講習会推進や伝道の一助として大いに活用していただきたい。

 谷口 雅宣

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2012年5月17日 (木)

観世音菩薩について (7)

 4月19日の本欄では明確に書かなかったが、ジャスティン・バーレット氏が指摘した“自然宗教”の信仰内容7カ条は、生長の家が説く真理と同一ではない。具体的に言えば、第3項と第5項は生長の家の教えとは明らかに違うし、第2項、第4項、第6項も厳密に考えると「全く同一」とは言えない。私が先に自然宗教の概念について「万教帰一の考え方を支持する知見」だと言ったのは、この7カ条が人類普遍の救いの原理そのものだという意味ではなく、歴史上、世界各地に宗教を生み出してきた原理(原因)は人類に共通しているという意味である。別の言い方をすれば、宗教が生み出されてきたことには人類学的な共通原因があるということだ。この点は重要なので、読者は誤解しないでほしい。

 自然宗教の信仰7カ条が人類普遍の救いの原理だということになると、奇妙な結論になる。なぜなら、それら7カ条は子供が普通に、それこそ“自然に”獲得する信仰だから、地球上の子供はほとんどすべて、人生のスタート時点ですでに“救われずみ”ということになるだろう。これでは、親の教育も社会生活も不要であり、人生それ自体が子供の魂の救済にとっては“無用の長物”になってしまう。また、世界中の教会やモスク、ヒンズー教や仏教の寺院、神社などで営々と行われてきた宗教儀式や神学の研究も、人間の救いにとっては“ムダな努力”と見なされてしまうだろう。
 
 バーレット氏も、そんなことを主張しているのではない。その逆に、同氏は自然宗教の信仰を“骨格”に喩えて、その上に神学(教義)を“肉づけ”していくことで世界の宗教は成立したと考えている。これは、神学(真理の探究)は宗教の成立にとって不可欠だということだ。ただ、同氏が訴えているもう1つのポイントは、自然宗教の信仰が人類一般にとって“自然”であるのに対し、神学が時代的、文化的色彩を強く帯び、かつ高度の抽象性、論理性をもって築き上げられてきたものであるため、一般の人々に対しては“不自然”な様相を呈しているということだ。そのことが大きな原因となって、特定の宗教の信者であっても、多くの人々は自分が選んだ宗教の教義(神学)とは矛盾する内容の感覚をもったり、体験をしたりするというのである。
 
 私は、バーレット氏のこの分析は当たっていると思う。私はこれまで、生長の家の講習会などで信仰に関する体験発表を数多く聞いてきたが、時々、生長の家の教えとは違うことを堂々と語る人がいた。体験発表をする人は、信仰の深浅にいろいろの段階があっていいから、発表内容をあまり厳密に審査することは却って逆効果になる。だから、そんな時も、私は大抵“聞き流す”ことにしている。しかし、教義にまっこうから反する場合は、その後の私の講話で訂正することもあった。バーレット氏の分析は、こういう現象の理解に役立つと思う。
 
 ところで、このことと関係があると思われる私の最近の体験を、ここで紹介しよう。
 
 それは私が谷口輝子聖姉二十四年祭に参加するために、長崎県西海市の生長の家総本山の公邸に泊まったときのことである。祭当日の朝、私は頭上に飛来したカラスの声で目を覚ました。カラスは寝室の上の屋根にいて、何かを呼ぶようなあの「カァカァ」という鳴き声を何回か繰り返した。時計を見るとちょうど午前5時ごろだった。いつもなら目覚まし時計が鳴る時間である。が、その日は寝場所が変わったことで、目覚ましを鳴らす時刻の設定が少しズレていたのかもしれない。まだ鳴っていないのである。そこで私は、「ああ、これはちょうどカラスが“起きろ”と言っているのだ」と思って、起床することにしたのである。

 読者は、この私の思考法や行動に何か問題を感じるだろうか? こういう心の動きは、日常生活のいろいろのところに、ごく自然に出てくるものではないだろうか。が、現実に起こりえることとの関係を合理的に考えてみると、これはまったく現実離れした発想である。つまり、こんなことは事実としてまず起こり得ないのだ。日本中に数多くいるカラスのうち1羽が、これまた数多くある人家の特定の一軒の上まで目的をもって飛んできて、その家の人間が起きようと思っていたまさにその時刻に、「朝だから起きろ」といって鳴く--そんなことはあり得ない。が、私はこのように考えることによって、周囲で起きるいろいろな現象の1つを、自分へのメッセージとして解釈する道を選んだのである。その時、恐らく私の中にはもう一人の私がいて、「眠いからもっと寝ていたい」という願望をもっていたのである。が、もう一方では、「予定通りに起床すべきだ」と考える自分もいて、この後者の自分が“カラスの鳴き声”を材料に使って前者の自分を説得したのだろう。

 バーレット氏がいう自然宗教の信仰とは、この場合の「カラスが“起きろ”と言っている」と感じる感性のことを指すのではないか。この感性を多少延長・発展させれば、「神がカラスを遣わして、私に“時間通りに起きなさい”と告げられた」という感性になる。また、「あのカラスは、私に呼びかける観世音菩薩の教えだ」という感性とも近い。しかし、この2つの感性が宗教上の真理を正しく反映しているかどうかという問題になると、私は「そうではない」と言わざるを得ない。だが、これらいずれの感性も「まったくの誤り」であるかというと、そうは言えないのである。この辺が、宗教のむずかしいところである。

 谷口 雅宣

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2012年5月15日 (火)

観世音菩薩について (6)

 本欄の前々回までの検討で、我々の肉体(脳)には動物と共通する欲望醸成器官(脳幹と視床下部)が備わっていると共に、それを抑制するための巨大な制御器官(大脳)が存在することが分かった。これはほとんど生得的なものであるから、「自然にある」と言える。そうすると、我々の心の中にいわゆる“良心の囁き”が起こることは、きわめて「自然な」ことであり、進化生物学的には「必要な」ことであったと言うことができる。
 
 では、次の段階として、その〝良心の囁き〟が自分より高次の存在である“神の導き”や“観世音菩薩の教え”のように感じられるのはなぜだろう--この理由を考えよう。
 
 これについて今年の全国幹部研鑽会では、私はアメリカの認知科学者、ジャスティン・バーレット氏(Justin L. Barrett, Ph.D.)の新刊書の内容を紹介した。この本の題名は「Born Believers (生まれつきの信仰者)」といい、副題は「the science of children's religious belief (子どもの信仰心を科学する)」である。本欄では、すでに4月12日19日付でこの本の概要を紹介しているから、多くの読者はご存知だ。初耳の人、内容を忘れてしまった人は、どうか読み返していただきたい。以下は、この2つのブログの記述を前提として話を進めていく。
 
 バーレット氏の主張の1つは、我々人間は通常の環境で生まれ育ったならば、幼児期のごく初期の段階で誰もが信仰心をもつようになり、その信仰の内容は普遍的--つまり、世界共通であるというものだ。同氏はこの信仰に「自然宗教(natural religion)」という名前をつけ、その内容を次の7カ条にまとめている--
 
 ①超人間的存在がある。
 ②それが目的をもって自然界の物質や生物を創造した。
 ③それは時間・空間に制約されるが、
 ④人格をもち
 ⑤自由意思で人を裁く。
 ⑥道徳的基準は不変であり、
 ⑦人間は死後も生き続ける。
 
 そして同氏は、この自然宗教の基盤の上に、世界各地の地理的、歴史的、文化的、政治的などの要請に応える形で、現在我々が知る組織的宗教(organized religions)が築き上げられたと考えるのである。そのことを図示したものを、ここに掲げよう。
 
Natlreligionb  この図を見て分かることは、昨今の宗教をめぐる国際情勢から受ける印象がどうであれ、「宗教の根源は1つ」ということだ。これは生長の家が古くから掲げてきた「万教帰一」の考え方を支持する知見と言える。そして、谷口雅春先生の次の言葉が、バーレット氏の著作より40年以上も前に書かれたことを思うとき、先生の卓越した洞察に頭を下げるほかはない--
 
“あらゆる人間の救いの原理は1つでなければならない。それは人間の生命の起源が1つであるから、その救いの原理も1つでなければならないのは当然である。しかるに世界には多くの宗教があり、互いに排擠(はいせい)して、自己のみ真の救いの原理を把握するのだと主張する。それはなぜであろうか。それは各民族に、また各地域に、また各時代にはそれぞれの雰囲気があり、民族精神があり、時代精神があり、それに連関せずに「救いの原理」を説いても、あまり時代や、民族に懸絶(けんぜつ)せるものは理解しえないがために、教えが時代および民族に意識的または無意識に適するように説かれるようになったのである。そこに人類の唯一なる「本源」と「救いの原理」とが幾多の時代的、場所的、民族的粉飾または付加物をもってつつまれ、その粉飾や付加物の方があたかも宗教の神髄のごとく考えられ、その粉飾と付加物との相違によって、互いの宗教は対立しはじめたのである。(中略)今ほど人類が「一」に結合さるべき要請の強い時代はないのである。したがってまた、今ほど、世界の宗教がその個々の粉飾と付加物とを捨て去って裸になって「一」真理とならなければならない時代はないのである。”
                  (『生命の實相』頭注版第39巻仏教篇「はしがき」)
 
 谷口 雅宣

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