旅行・地域

2015年11月 9日 (月)

「青々舎通信」 (4)

Tennyosan_stone0815  “森の中のオフィス”で行われた「生長の家 自然の恵みフェスタ 2015」に出品したマグネットのもう一つには、「天女山」という名をつけた。天女山(1,529m)は、オフィスから車で5分ほど上がった山の名前で、オフィスとの標高差は250メートルほどあり、八ヶ岳の1つである権現岳(2,715m)の登山口になっている。しかし、このマグネットはその山の形をしているのではなく、山頂にある石碑を象ったものだ。この石碑は、日本各地の山々にある他の多くの石碑に比べて特に美しいとか、見事だというわけではないが、自転車で山頂まで登ったことのある人にとっては、特別の思い出や愛着があるはずだ。 
 
Tennyosan_cyclists  というのは、この石碑の前で写真を撮ることが、「SNI自転車部」に属する本部職員の、一種のイニシエーションの儀式になっているからである。本部職員の寮は、いずれもオフィスより標高が低い土地にある。だから、職員が自転車通勤をするためには、長い坂道を登る“難行苦行”が避けられない。いわゆる「ヒルクライム」である。それができるようになるまでが第1段階で、次にはオフィスから天女山を目指す人が多い。そして、この第2段階に達した証拠として、登頂後にこの石碑の前で写真を撮り、それをSNSに掲示して他の部員から祝福を受けるのである。左の写真は、今年のフェスタで「天女山ヒルクライム」に参加した(左から)ブラジル、台湾、アメリカの招待選手である。 
 
Tennyosanmag_0915  オフィスでの「自然の恵みフェスタ」では、「天女山ヒルクライム」という自転車イベントの後に、この石碑の前で写真を撮った人が昨年も今年もたくさんいた。これらの人々にとっては、仲間とともに目標を目指し、苦しい中でも決して諦めず、ついに目標に達したという“達成感”の象徴が、この天女山頂の石碑である。その石碑のミニチュア版をマグネットにすれば、マグネットの購入者は日常生活の中で、仲間との連帯と目標達成の記憶が蘇ってくるのではないか……というのが、私の製作意図である。 
 
 谷口 雅宣

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2015年10月31日 (土)

「青々舎通信」 (3)

 生長の家の国際本部“森の中のオフィス”で行われた「生長の家 自然の恵みフェスタ 2015」が、このほど終った。10月24~25日の2日間に行われたもので、昨年に続いて2回目である。青々舎は、「SNIクラフト倶楽部」の一員として、このフェスタにマグネット3種を出品し、おかげさまで完売となった。3種とは、「オフィス型」「唐松(秋)」、そして「天女山」である。 
 
Karamaatsu_2knds  「唐松(秋)」は、すでに製作したことがある「唐松(夏)」の秋バージョンだ。カラマツは日本の固有種のマツで、北海道を初め、山梨県から長野県一帯に多い樹木だ。私の自宅もカラマツ林の中にある。カラマツは典型的な陽樹で、日照が強い荒地など過酷な環境でも発芽し、生育する。その特徴を利用して、戦後の復興期に北海道や甲信地方に多くが植林された。首都圏の木材需要に応えるためである。木材としてはヤニが多く、スギやヒノキに比べて割れや狂いが出やすいことから、炭鉱の坑木や電柱などが主な用途だった。 
 
 ところがその後、コンクリートなどの新技術が生まれ、また貿易の発達で安価な外材が大量に輸入されるなどして林業が衰えたため、山は荒れてしまった。それでも、植林から70年余が経過して、カラマツは育ち、木造建築の環境価値が見直され、さらに頑丈な集成材を造る技術が進歩して大型建築の構造材としての用途が生まれるなど、利用が再興している。強度があり、腐食しにくいという特徴がある。“森の中のオフィス”の外壁はすべてカラマツ材で、構造材にも使われている。尾瀬の湿原をめぐる木道も、ほとんどがカラマツ材だ。また、昨今は薪ストーブなどの燃料用としても、利用され始めている。 
 
 日本の四季との関連を書けば、カラマツは日本の高木針葉樹の中でただ一つ落葉する。これが秋、日本の北半分の山々を独特な美しさで彩る原因の1つとなっている。葉がついている時は赤褐色から黄金色へと変わり、地面に散り敷くと、道や野原をサーモンピンクに変える。空中をハラハラと散る黄褐色の短糸状の葉はやさしく、落ち葉の独特の香りは心を和らげてくれる。私がまだ東京にいた頃、秋に山荘を訪れた際は、カラマツの落ち葉を拾い集めてポプリのように香りを楽しんだものだ。 
 
 この地方でよく採れるハナイグチ(ジゴボー)というキノコは、別名をカラマツタケとも言い、カラマツと共生している。私は今、こうしてカラマツに取り囲まれた生活をしているから、その恩恵には感謝してもしきれない。そんな気持を製作の中に込めた。 
 
 谷口 雅宣

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2014年9月 8日 (月)

天女山ヒルクライム

 日本全国の生長の家教化部や道場などにはすでに通知されているが、今年の10月下旬には、山梨県北杜市の生長の家“森の中のオフィス”を中心とした地域で、「自然の恵みフェスタ 2014」という行事が行われる。
 
  これは、簡単に言えば秋の収穫祭である。ただし、作物の収穫だけでなく、芸術的収穫なども含んだ一種の文化祭のようなものになる予定だ。この時期には、次年度の生長の家の運動を決める重要会議が予定されているため、全国の教化部長が当地に集まる。その機会をねらって、文化的行事を開催しようというわけだ。ちょうど10月28日は、前生長の家総裁、谷口清超先生の年祭に当たるため、清超先生の御遺徳を偲びつつ、ご生前に撮影された写真の展示会や地元の音楽家が参加する音楽会も開かれる。これらの“芸術系”のイベントは、国際本部が東京にあった時代にも「生光展」やチャリティーコンサートの形で行われてきたが、開催日はバラバラで必ずしも統一性がなかった。それを今回初めて一時期に集めて開催することで、“生長の家の文化祭”のようなものとなる。さらに今回は、生長の家の行事としては異例と思われるスポーツ・イベントも行われる予定だ。これは「天女山ヒルクライム」という自転車競技で、オフィスの近くにある天女山(標高1,529m)の山頂まで上るタイムを競うものだ。
 
 なぜスポーツ・イベントか?--という疑問を抱く読者もいると思うので、少し説明しよう。
 
 「自然の恵みフェスタ 2014」という行事は、以下の4つの目的で行われる--
 ①私たちの肉体を含めた自然の恵みを実感しつつ、豊かな環境と
  農作物の収穫を神様に感謝する。
 ②地域の人々などとの交流を通じて、日頃の感謝の気持を表す。
 ③生長の家が推奨するノーミート料理の意義とレシピを伝える。
 ④調理に炭や枝を利用するなどして生長の家の環境保全活動の一
  端を紹介する。
 
 これらのうち①が、スポーツと関係するものだ。ここにある「肉体も自然の恵みの一部」という考え方には、馴染みのない人がいるかもしれない。しかし、自然の恵みである農産物をいかに美味しく作っても、それを食べる肉体がなければ、「恵み」を体験することはできない。言い換えれば、私たちにとって農産物が恵みであるためには、肉体が必要なのである。当たり前といえば当たり前のことだが、普段はあまり意識しない事実である。生長の家では「肉体はナイ」と説くことがあるが、この教えを誤って理解する人もいる。それは、「肉体はナイ」のだから、肉体の健不健にこだわることなく、暴飲暴食をしたり、喫煙にふけり、睡眠時間を極端に削り、あるいは不規則でいい加減な食事をすることも、人類光明化運動のためには一向差し支えないと考える場合だ。このような考えは、「生長の家の食事」という神示を読めば、まったくの誤りであることが了解される。そこには、「食事は、自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式である」と明記されているからだ。
 
 この「自己に宿る神」が活躍するための最も重要な“道具”が、肉体である。これを清浄健全に保つことは、だから私たち信仰者の義務であると言っていい。それは、「肉体の欲望に身を任せる」ことではない。この違いは、とても重要だ。「自己に宿る神」とは欲望のことではない。欲望は、1つのものが満たされたら次のものを要求し、次のものが満たされたら、さらにその次を要求するというように、際限なく“他から奪う”感情である。これに身を任せて食事をすれば、肉体は肥満し、成人病となり、うまく機能しなくなる。これに身を任せてセックスをすれば、体力は弱まり、人間関係は破壊され、反社会的と見なされる。では、肉体に属する欲望をできるだけ抑制し、無欲禁欲を目標として生きるべきかというと、それでは肉体は衰弱し、学習能力は低下し、子孫は生まれない。つまり、「自己に宿る神」は、私たちの肉体を通して活躍できなくなるのである。
 
 では、どうすればいいのか? これについては、『大自然讃歌』が明確な指針を与えてくれる--
 
 欲望は
 肉体維持発展のための動力にして、
 生物共通の“炎”なり、
 “生命の炎”なり。
 (…中略…)
 肉体は神性表現の道具に過ぎず、
 欲望もまた神性表現の目的にかなう限り、
 神の栄光支える“生命の炎”なり。
 (…中略…)
 されば汝らよ、
 欲望の正しき制御を忘るべからず。
 欲望を
 神性表現の目的に従属させよ。
 (…中略…)
 “生命の炎”を自在に統御し、
 自己の内なる神の目的に活用せよ。
 
 スポーツの良いところは、「肉体の欲望を制御しつつその機能を拡大する」という点だ。これを実現するためには、「肉体の欲望」を超えた目標--精神的目標をもたねばならない。肉体の欲望に振り回されるのではなく、より高度な目標のために肉体を振り回すのである。そうすると不思議なことに、肉体は最初はいやいやであっても、やがてその目標に向かって自分を再組織化しはじめる。そして、さらに訓練を続けていると、肉体は精神的目標の達成に積極的に協力するようになる。つまり、神性表現の道具として正しく機能し、機能拡大さえするようになる。このことが「自然の恵み」だと私は考える。人間の肉体は自然の状態で、「使う」ことで機能を拡大する。私たちの肉体は--筋肉や血管や骨や皮膚組織、そして脳細胞も--「使わない」のではむしろ機能が低下する。そういう性質と機能を自然に与えられていることは、「自然の恵み」の重要部分である。なぜなら、それは「努力すれば向上する」という約束が、自分の肉体に組み込まれていることを意味するからだ。スポーツは、この「自然の恵み」を実感しつつ感謝することにつながる。
 
 では、なぜ自転車競技か? これは、自転車でなければならないという意味ではない。また、自転車競技であっても、都会の中の同じ場所をグルグル周回するだけでは、「自然の恵み」はあまり感じられないだろう。それよりは、高原の空気を思う存分呼吸しながら、体に風を感じ、鳥の声を聞き、紅葉・黄葉を眺め、さらには自分の肉体の小ささ、微力さを思い知る……そういう体験は、登山やトレッキング、マラソンでも可能だ。が、自転車には実用性もある。競技が終わった後は、通勤、通学、買い物、サイクリングなどに使える。それは、“炭素ゼロ”のライフスタイルの一部となる。そんなこんなの理由から、今回の「天女山ヒルクライム」の自転車競技は開催されるのである。
 
Tennyosanhillclimb2014_2 「ヒルクライム」とは hill climb という英語から来た言葉だ。「丘を登る」という意味で、その反対に「丘を下る」のは「ダウンヒル(down hill)」だ。普通の山道では、上り坂があれば必ず下り坂もある。が、今回のコースには下り坂はない。ということは、自転車に乗る楽しみの1つである「風を切って坂を下る」快感は味わえない。いや、もっと正確に言えば、その快感は、競技が終了したあとで各人が味わうことになる。これを「過酷」と思うか「後楽」と感じるかは、参加者それぞれの判断に任せよう。出発点の甲斐大泉駅(標高 1,158m)から、終着点の天女山山頂(標高 1,529m)までは4.6km で、自転車で走る距離としては大したものではない。しかし、私の試走では40分強かかっている。私の半分の年齢のO氏の試走では、35分ほどだ。時間がかかる理由は、上り坂ばかりが続くからで、参加を考えている人は覚悟しておいてほしい。これだけの時間内に、標高差で400m弱を上る。スタート地点がすでに千メートルを超えているから、平地よりも空気が薄い中でのヒルクライムである。もちろん、「競走」など意識せずに、秋の山道を楽しむつもりの人は、競技の時間は2時間とたっぷりあるので、疲れたら自転車から降りて、天女山の自然を味わいながら、自転車を押しつつゆっくりと上ってほしい。
 
 谷口 雅宣 

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2014年4月12日 (土)

旅先からの便り (7)

 お元気ですか? 今日は佐賀市に来ています。
 最近、自由意思とは何かということを考えます。
 例えば今日の昼食後、羽田空港の待合ラウンジで十数分を過ごすために、飲料のセルフサービスのコーナーへ行き、コーヒーカップと皿を手に取りました。これは、自分の自由意思でそうしたのだと、ハッキリ自覚していたのです。いつもとは違う行為だからです。
 
 通常は、空港での昼食では野菜が少ないことを考えて、トマトジュースを飲むことにしていました。ところが、今日はちょっと気分を変えようと思い、コーヒーを選んだつもりでした。
 ところが、それを見ていた妻が近づいて来て、
「あら、コーヒーなの?」
 と意外そうに言ったのです。
 その途端、私は自宅を出て小淵沢駅でコーヒーを買い、JR中央線の列車の中で仕事をしながら、チビチビとそのコーヒーを飲みながら新宿まで来たことを思い出しました。
 
 現代の多くの飲み物がそうであるように、コーヒーにも中毒性があります。それほど強いものではありませんが、そのカフェインの作用のおかげで、私は空港でもコーヒーに近づいたのかもしれない--そのとき私はそう思ったのでした。
 
 となると、 自由主義者を自認する私ですから、“コーヒー中毒”を思わせるような行動は自分にふさわしくないと考え、手に取ったばかりのコーヒーカップと皿とを元の場所に戻すことにしました。では、代りに何を飲もうかと思いながら顔を上げた私は、自分がすでにトマトジュースを取りにいくための行動を開始しているのに気づきました。
「これが自由な選択だろうか?」
 と、私は思いました。
 空港のラウンジには、コーヒーとトマトジュース以外にもいろいろな飲料がもちろんあるのです。しかし、その時の私には、紅茶も日本茶も、ビールもウイスキーも、頭の中の選択肢にはなかったのです。とすると、私がトマトジュースを選んだ行為も、前々からしていることの単なる繰り返し--つまり習慣による行動であって、自由意思にもとづく意識的な選択とは言えないのではないでしょうか? こんな疑問が湧き出てくるのでした。
 
 
 谷口 雅宣

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2014年2月25日 (火)

雪の中の幸福者 (2)

 記録的大雪から、早くも約10日がたった。が、北杜市大泉町のわが家は、まだ分厚い積雪に囲まれている。自宅からオフィスまでの道路は、平常通りとはいかないものの、車がスリップせずに通れるようにはなっている。ただし、道路の両脇にはまだ50センチほどの積雪が残っていて、片道1車線の県道を除くと、まだまだ道幅が狭く、車1台がようやく通れるという状態のところがほとんどである。オフィスの敷地内の雪も、これと似たようなものである。
 
 そんな中で、とても喜ばしいことに、オフィスに勤める本部職員の大活躍の様子が、ネット上で話題になっている。職員寮周辺のコミュニティーには高齢者も多く、そういう人々の中には、自宅に高々と盛り上がった積雪を自力で取り除くことが難しい人も多い。生長の家は、国際本部を北杜市に移転する目的の一つとして「地域貢献」を掲げてきたので、今回の大雪をそのよい機会ととらえ、渡辺重孝・環境共生部長を中心とした緊急事態対策チームを編成し、同市の災害ボランティアセンターに登録し、その要請にもとづいて雪かきなどの支援活動を展開してきた。
 
 例えば、23日の活動の様子を渡辺氏は次のように報告している--
 
①災害ボランティア依頼場所での除雪
 昨日の要請があった場所は、長坂の仲町区公民館のそばにある家で、一人暮らしの高齢の女性が足を悪くされて杖をついて生活され ている方でした。自宅まで自動車が通れず、雪が残る坂道を杖をつ いて歩いて買い物にいっておられる状態でした。
 今回の除雪で、通りまでの自動車の通行と自宅内で自動車の転回ができるようになり、歩道の近道も通れるようになりました。
 この方は、やはり長坂寮の皆さんが仲町区公民館を除雪したこと等を伝え聞いて、災害ボランティアセンターに電話して「できれば生長の家さんにお願いしたい」と依頼されたとのことです。
 10:50から作業をはじめて、一度昼食のためオフィスに戻り、あらためて13:30から14:30まで作業を行って終了しました。
 
②長坂商店街のセブンイレブン付近道路の除雪
 前記の作業を終えて帰ろうとしたところ、長坂商店街のセブンイレブン付近の道路が凍結していて近所の人がスコップで氷を割ることができずに大変苦労されていました。私達は、氷を砕く道具(アイスピッケル、バール、ツルハシ)を一通り持っていましたので、見過ごすことができず、車を降りて、もう1時間だけこの作業を応援しました。
 すると、仲町区のKさんが出てこられて、コーヒーやお茶をセブンイレブンで買って差し入れしてくださいました。Kさんは、長坂寮の開発申請で大変お世話になった方で、今回、生長の家の人が雪かきで地域貢献していることを大変喜んでくださっていました。
 氷を割るのは大変な作業でしたが、ご近所の方々と一緒に笑いながら作業することができて、大変良い交流をさせていただきました。 
 
 また、24日の活動については、こんな報告をしてくれた-- 
 本日は、国際本部7人と日本教文社1人の合計8人で活動しました。
 状況:甲斐小泉駅の近くで大型除雪車が入れない場所に家があり、高齢のご夫婦が10日間も外出できない状況でした。車は雪に埋もれたままで、家の裏手にある灯油タンクは屋根から落ちた2メートルほどの雪に埋もれてしまい、給油できない状況でした。
 食糧は、いつも1週間以上の材料を用意していたので、困らなかったそうですが、さすがに10日間を経過して材料がなくなったそうです。また、歯の治療に通いたくても通えなかったそうですが、ご自分達より困っている人がいると思い、助けを求めたのが昨日になったそうです。
 
 作業:8人で除雪作業を行い、車の進入路は除雪機を使いました。
  灯油タンクや自動車の掘り出しは手作業で行う必要があったのですが、今日の男性メンバーは力強い筋肉の持ち主が多かったため、1時間半の作業ですべてを完了しました。
   作業があまりにも早く完了したので、依頼された奥様は驚かれて、「土まで見えるなんて!」と大変感激されていました。早速、歯医者に予約されるとのことで、付近の道路状況についても質問されました。10日間も外出していないので、道路状況も全く分からないとのことでした。 
 
 渡辺部長によると、北杜市社会福祉協議会のサイトの情報から判断すると、「平日のボランティア人数の半分は、生長の家からの出動によるものである」ことが分かるという。私は最近、オフィスで会う職員の皆さんが、自宅の雪かきやボランティア活動のおかげで日焼けして、男性も女性も見るからに逞しくなり、目が輝いているのを見てうれしくなる。与える愛の実践は、人を喜ばせるだけでなく、自らの神性を実感し、精神面でも肉体面でも充実した生き方につながっていると確信できるからだ。 
 
 谷口 雅宣

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2014年2月18日 (火)

雪の中の幸福者

 史上稀にみる大雪が東日本を襲ったため、いろいろ予想外の新しい経験をし、普段はあまり考えないことを考えることができた。現在、京都市での生長の家講習会の帰途、東京駅を昼前に出て長野へ向かう長野新幹線「あさま521号」でこれを書いている。通常、近畿地方から国際本部“森の中のオフィ”がある北杜市へ帰るためには、新宿から中央本線に乗って小淵沢まで行き、そこから車で帰る。が、今回は大雪で中央本線が運休しているため、長野市経由で南下するのが唯一のコースだった。もっと具体的にいえば、長野駅まで新幹線で行ったあとは、篠ノ井線に乗り換えて松本へ出て、そこで再び乗り換えて小淵沢まで南下するのである。これによる所要時間は、乗り継ぎの時間を含めると5時間20分。新宿から小淵沢が2時間なのに比べ、倍以上となる。
 
 今回の大雪情報は、京都へ出発する数日前から流れていた。だから、私たちは出発を1日早め、金曜日の午前中に小淵沢を出る塩尻経由の中央本線の特急に乗った。しかし、大雪をもたらす低気圧はすでに東日本に大きくかかっていたから、同じコースを走る次の特急は運休してしまった。ぎりぎりセーフで名古屋へ着けたのだ。ということで、京都で2泊し、講習会を行い、その日の夜は新宿に一泊して今、こうして長野に向かっているのである。
 
 考えてみると、谷口雅春先生や清超先生の時代には、講習会の旅で3泊や4泊されることは珍しくなかった。いや、東京から遠方を回る場合は、複数箇所で講習会をこなして帰京されるのが普通だったから、その場合は1週間以上、帰宅されないこともあった。そういう時代と比べれば、今回の“トラブル”はトラブルではない。むしろ、当時の“順調な旅”と変わらないと言えるのである。それが今は“トラブル”と感じられるのは、技術革新にともない交通・通信の手段が急激に発達し、1つのことを実行するのに、当時の数分の一の時間しか要しなくなったからだ。このことを、経済学では「生産性の向上」という。しかし、このことの裏側には、生産された商品やサービスを使う人間がいなければならないから、「消費の増大」も同時に行われてきたのである。そして、この2つの流れが増大することを指して、人々は「経済発展」と呼び、これによって人間に幸福がもたらされると考えてきた。
 
 しかし、このような「幸福」の考え方は、あまりに浅薄であることが近年、いろいろな方面から指摘されてきた。また、今回の大雪で、それが様々な機会に改めて確認できただろう。人間は、ある一定の状態が長く続くと、その状態を“当たり前”と感じるようになる。たといその状態が、別の人間にとっては「幸福」に見えても、である。これは、いわゆる「馴れ」が生じるからだ。そして逆に、その状態から何かが欠けると“不幸”になったと感じるか、少なくとも“トラブル”に遭ったと感じる。このこと1つを考えても、「幸福」には何か客観的な基準があるのではなく、それを感じる人の物事のとらえ方や感じ方--つまり、主観に大きく左右される。これを別の方向から表現すれば、人間の幸不幸の感覚は、その人が自分の置かれた状況に「プラスの変化」を感じるか、あるいは「マイナスの変化」を感じるかによって決まる、と言えるだろう。
 
Matsumotostn_3  今回の大雪に遭遇した人は、さまざまな変化を経験したと思う。それをその人が「プラスの変化」と捉えるか、それとも「マイナスの変化」として捉えるかで、本人の幸不幸は決まる。--とここまでは、長野駅へ向かっていた新幹線の中で書いた。その時は、松本から中央本線で小淵沢へ行けると思っていた。なぜなら、JR東日本の職員がそう言って切符を発券したからだ。ところが松本駅へ着くと、茅野までは行けるが、その先は不通だと言われた。これは大きな“番狂わせ”で、私たちは仕方なく松本で一泊し、翌朝までの復旧作業に期待することにした。(写真は松本駅)
 
 翌朝、テレビに流れていた情報を見ると、「中央道は全線通行可能」というような表現だった。「ヤッター」と思ったが、道路情報をよく調べてみると、「通行はできるが、途中から上ったり下りたりできるかどうか?……」という妙な状況だった。つまり、各所の出入り口がすべChinostn て使えるわけではなく、一部だけということらしかった。残念だったのは、私たちが望んでいた「茅野-小淵沢間」は無理だということだ。そこで私たちは、“オフィス”から茅野駅まで車を出してもらう一方、私たちは松本から茅野までJRの在来線で下り、茅野駅で合流してからは一般道を雪中走行して北杜市大泉町へ帰ったのだ。松本市のホテルを出たのが9時20分で、オフィス到着は午後1時ごろ。結局、約3時間半の旅だった。(写真は、茅野駅)
 
 それで、「幸福」の話はどうなるかというと、私はこの“番狂わせ”の最中に特に不幸だとは感じなかった。が、予定していた通りに事が進まなかったのだから、「トラブル」だったことは確かだ。特に、水曜日に重要な会議を控えていて、その準備をしなければならない火曜日が半日使えなくなるということは、かなりの“損失”と言えば言える。しかし、この“番狂わせ”が、さらには記録的な大雪に見舞われたということ自体が、私には何か貴重で、得がたい体験であるような気がしてならなかった。というのは、次のような事実があるからである--
 
 今回の大雪は、生長の家が国際本部を東京から北杜市に移転してから最初の冬に経験した。しかも、この大雪は歴史的な規模だ。ということは、これ以上の厳しい冬を私たちがこの地で経験する確率はきわめて低いということになる。だから、今回の経験で足りなかったこと、失敗したこと、予想できなかったことなどを反省し、それらにきちんと対応していけば、“万全の準備”ができることになる。「千載一遇のチャンスがすぐに来た」のではないか? このことは、私個人の生活についても言える。私は、還暦を超えた年で初めて高冷地に家を建てて住むことになった。いちばん不安だったのは、冬の厳しさだった。雪がどの程度降り、その影響はどの程度あり、暖房にどの程度の薪が必要で、それをどう準備するか……などの情報の最大値が、すぐに手に入った。これは大変ありがたい。今後は、これらの最大値を想定して冬の準備をすればいい。どこかの大企業のように、「想定外だった」といって泡を食う必要はない--このように考えていくと、「トラブル」という声は消えて、「私たちは実は幸福者ではないか」という想いが湧いてくるのである。
 
 谷口 雅宣

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2013年12月 6日 (金)

運転免許証を更新する

 休日の木曜日に、自動車運転免許証の更新手続きをした。
 私たちが、東京から山梨県北杜市の八ヶ岳南麓に引っ越したのは9月の終わりだが、運転免許証の住所が東京のままだったので、何となく中途半端な気持が続いていた。「片足を東京に突っ込んだまま……」と言ったらいいだろうか、“森の中”へ入ったはずなのに、「本当はまだ大都会が根拠地だ」という囁き声がときどき聞こえてくる……そんな気分である。それに、地元の郵便局で“仲間”として扱ってもらえなかった経験があり、それが少し悔しかった。
 
 半年前の6月の終わり頃に、ここ大泉町の郵便局に口座開設を申し込んだら、住所を表示した本人確認の文書を示せと言われ、運転免許証を出したのである。すると、住所は東京だったので、「こちらの住所では口座は開設できません」と言われてしまった。「こちら」とは、北杜市大泉町の意味である。実は私は、住民票を昨年の12月に東京から北杜市に移していた。だから、1月以降の地方税は東京都にではなく、山梨県に支払っていたのである。だから当然、この地では“仲間”と見なしてくれるだろうと考えていた。が、当地の郵便局員は、「手続き上の規則だからできない」と言って、ガンとして私の大泉町の住所を認めてくれないのである。奇妙キテレツな規則だが、ゴネル時間とエネルギーがもったいないので、私は結局、東京の人間として大泉町の郵便局に口座を開設したのだった。
 
 そんな経緯があるので、運転免許証の更新にともない住所変更が行われれば、これで私は晴れて山梨県民、北杜市民になれると期待していた。
 
 北杜市の大泉支所で住民票を取ったあと、更新手続きをする南アルプス市の交通センターに向かい、午前10時すぎにそこへ着いた。広くてきれいな新しい建物で、その1階フロアーで流れ作業のように更新手続きをすませる。そして、10時半から1時間の「講習」なるものを受け、12時前にやっと「山梨県公安委員会」発行の免許証を受け取ることができた。これでもう一歩、私は山梨県に近づいたと同時に、もう一歩、東京から離れることができたと感じた。
 今の人間は普通、この地上に80年ほど生き、そしてどこかへ去る。その間、いろいろな場所に住むことになるが、その場所場所での社会関係、気候や風土、食習慣、文化などを自分の中に取り入れながら人格を形成していく。一般に、人の人格形成に最も深い影響を与えるのは、生まれ育った土地ということになっている。それは「故郷」とも呼ばれるが、私の場合、それは東京である。そこから離れたがっている自分がいる一方で、東京を懐かしく思い、その魅力に惹かれる自分もいる。そんな分裂した心境は、しかし大泉町に“山荘”をもち、東京とそこを往復していた間は、自分の中であまり違和感を生まなかった。どちらの自分も、それなりに満足していたからだ。ところが、大泉町への移住を決め、同時に都会生活から離れようと決めてからは、「東京を懐かしむ自分」を捨てる作業が必要になったようだ。
 
 私は今「東京を懐かしむ自分」と書いたが、それは本当は「都会を懐かしむ自分」なのかもしれない。というのは、私は東京に最も長く住んでいたが、若いころは横浜に3年弱、アメリカに3年住んだことがある。後者での生活は、1年間をサンフランシスコ対岸のオークランドで過ごし、2年はニューヨークのマンハッタンだったから、いずれも大都会である。思い返せばこれらの町のいずれも懐かしく、機会があればまた訪れたいと感じる。だから今、私は「都会を懐かしむ自分」と対面し、それに別れを告げようとしているのかもしれない。
 「一方を捨てるならば、もう一方には受け入れてほしい」と感じるのは、普通の人情だろう。しかし、その「もう一方」のほうにも事情があるから、どんな人間でも即時、無条件には受け入れられない。“新参者”の側の努力と時間が必要であることは充分理解できる。運転免許証の更新が、そんな努力の一助となることを私は願っている。
 
 谷口 雅宣

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2012年9月30日 (日)

北海道の漁獲に異変

 生長の家講習会のために北海道の北見市に来たが、台風17号の影響で北見空港からの羽田便がすべて欠航してしまった。そこでこのブログを書く時間ができたことは、ありがたい。実は、本欄で2回にわたり「北極海の氷、最小になる」を書きながら、気になっていたことがある。それは、日本周辺の漁業への影響についてだ。このテーマで最初に書いたとき、私はそれを「海流の変化にともなう漁場の激変」という言葉で表現した。そして、このことが起こる可能性については、「科学者が研究する気候変動のモデルの中」の1つのシミュレーションとして言及した。つまり、「今後起こるかもしれない可能性の1つ」として書いたのである。しかし、北海道に来てみて、それが実際に起こりつつあるのではないかとの危惧を抱くにいたった。

 今日(9月30日)の『北海道新聞』のトップ記事の主見出しは「秋の漁 異変次々」である。脇見出しは、「道沿岸 サバ、カジキ、ボラにフグ」と「残暑で高水温 サケは振るわず」だった。つまり、すでに秋に入っているこの地では、本来ならばあまり獲れない暖水を好む種類のサカナが次々と獲れ、例年なら獲れるはずのサケの収量が減っているというのである。特に顕著なのはサバの豊漁で、同紙によると「前年にほぼゼロだった水揚げ量は27日現在、6,640トンに上り、1978年(2万2,730トン)以降最多となっている」という。このため、市場でさばききれないと判断した道まき網漁業協会(釧路)は、1日200トンまでという初の水揚げ制限に乗り出したそうだ。これに対し、本来獲れるはずの秋サケは27日現在の累計漁獲量が3万579トンに留まっているという。この量は前年とほぼ同じで、前年は記録的不漁だったから、問題は深刻だ。

 『朝日新聞』もこの問題を今日の「北海道版」で取り上げ、「秋サケを中心に扱う釧路市内の加工業者の中には、パートを臨時に休ませるなどの対応を始めたところもある」と報じている。また、日本海側の石狩湾でも秋サケの漁獲は不調で、「今年の漁獲量は前年同期比の約6割ほど」という石狩漁協の数字を伝えている。さらに、この不漁の影響で、9月22~23日に開かれた「石狩さけまつり」では、例年の目玉行事だった秋サケの即売会が中止に追い込まれたという。そして、気象庁の次のような観測データと予測を掲げている:
 
「気象庁によると、道周辺海域の9月中旬の海面水温は22.5度と平年よりも4.6度高く、過去最高を記録。水温が高い状態は8月下旬から続き、とくに釧路沖では平年より5~7度高い海域も出ている。10月以降は、次第に平年並みに下がっていく見通しという」。

 問題は、この異常高温の原因が何であるかということだが、『朝日』は29日の第2社会面に載せた記事で「太平洋高気圧の勢力が9月以降も日本の東海上で維持。海に熱が蓄積され、海水が風でかき回されにくくなった」ことが原因だとの気象庁の分析を紹介している。しかし、「その太平洋高気圧の勢力が衰えない原因は?」ということになると、たぶん不明なのだろう。気象現象は非常に複雑で、第一線の科学者はスーパーコンピューターを駆使していくつもの気象モデルを走らせるのだが、それでも予測や原因究明にいたっていない。私のような素人は、単なる“直感的”な感想を述べるしかないが、「北極海の水温が上がれば、北海道周辺は暖かくなる」という因果関係に、何も不自然なところはないと思うのだ。
 
 谷口 雅宣
 

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2012年9月24日 (月)

北極海の氷、最小になる (2)

 9月15日の本欄に表題のことを書いたが、21日の『日本経済新聞』には同16日の衛星データを分析した結果、この日が1978年に観測を始めて以来の海氷の最小記録だったと報じた。アメリカの国家雪氷データーセンターとNASA(航空宇宙局)の共同発表によるもので、この最小海氷面積は341万平方キロメートル。8月末の観測データからさらに61万平方キロメートル減少したことになる。ニューヨークタイムズの国際版である『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙も、21日付の紙面で同じことを伝えた。海氷の最小を記録した16日からデータの発表が数日遅れたのは、17日以降、北極海が再び氷結し始めたことを確認するためだったという。

 北極海の氷の融解が何をもたらすかについては前回書いたが、これと併行して起こったグリーンランドの氷床の融解について、少し書こう。両者はともに温暖化によって起こるが、その影響には大きな違いが1つある。それは、前者は温暖化の促進効果があるものの、海面上昇には至らないのに対し、氷床の融解は海面上昇の直接原因となる点だ。なぜなら、海氷は海水が凍結したものであるのに対し、氷床は長年にわたり陸上に凍結し、固定していた氷であるからだ。氷の入ったコップのことを考えてみるといい。海氷は、もともとコップの中にあった水を凍らしたものに該当するから、それが解けてもコップ内の水の総量は変わらない。しかし氷床は、コップ内になかった新しい氷をコップに入れることに等しい。それが解ければ当然、コップの水の総量は増える。これが海面上昇である。
 
Greenlandicemelt  異常に暑い今年の夏は、実はグリーンランドの氷床にも異変があった。7月26日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』がそれを伝えている。グリーンランドとは、大西洋の北限から北極圏に位置する世界最大の島で、日本の約6倍の広さがある。その巨大な島の上には1年中雪が降っていて、それが積もりに積もって平均で1690メートルもの氷の層(氷床)が島の5分の4を覆っている。氷床の厚みは最大で3350メートルもあるというのだから、富士山大の氷の山が聳えていると考えていい。通常、ここの氷床は夏季に約半分の表面が解ける。ところが今年の7月8日から12日のわずか5日間で、氷床の表面の融解面積は40%から一気に97%にまで拡大したというのだ。科学者によると、このような大規模な融解は150年に1度の割合で起こっているらしいが、それでも大きな変化であることに変わりはない。
 
Arcticdivide  さて、前回の本欄では、夏場に北極の海氷が解けることで、短期的には経済的利益が生じることを挙げた。が、それが中期的には資源争奪や“領土問題”に発展する可能性についても触れた。20日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、最近の中国の動きに焦点を当てて、そのことを書いている。北極圏に領土をもつ国は、ロシア、アメリカ、カナダ、デンマーク、フィンランド、ノルウェー、アイスランド、スウェーデンの8カ国だ。この8カ国は「北極海会議(Arctic Council)」という緩い国家グループを構成して、北極海をめぐる諸問題を検討してきた。このグループにはこれら正式メンバーのほかに「オブザーバー」という地位があり、オブザーバーには「常任」と「非常任」の別がある。現在の常任オブザーバーは、フランス、ドイツ、オランダ、ポーランド、スペイン、イギリスの6カ国で、非常任オブザーバーとして中国、EU、イタリア、日本、韓国が席を連ねている。この中国が今年から、1クラス上の常任オブザーバー入りを目指して熱心に外交攻勢をかけているというのだ。

 中国は今年8月、まず新たにできた“北極海航路”経由して初めて船をヨーロッパへ派遣した。そして、自ら“近北極国”と称して「北極領域はすべての人類のための富の遺産である」という論理を使ってロビー活動を展開した。同国の大臣級の高官はデンマーク、スウェーデン、アイスランドを訪れて、通商関係の改善を提案し、その下のレベルの高官たちもグリーンランドを訪れ、同国の会社がすでに投資している鉱山開発のために中国人技師の派遣を提案した。グリーンランドはデンマーク領ではあるが、大幅な自治が許されている人口の少ない国で、近年の氷床の融解により稀少な鉱物資源の存在が明らかになってきた。とりわけ注目されるのは、ハイテク機器に必要な「レアアース」と呼ばれる鉱物資源だ。これを独占的に開発する権利を中国に与えないために、EUは6月に副大統領を派遣して多額の開発援助を約束した。グリーンランドは地政学的にも、重要な位置にある。北アメリカ大陸の北に隣接するからカナダやアメリカとも近く、アメリカの空軍基地がある。イギリスや北欧とも近い。過去18カ月の間にアメリカのクリントン国務長官も、韓国の李明博(リ・ミョンバク)大統領もここを訪れた。
 
 北極海会議の常任オブザーバーの地位は、もちろん中国だけが狙っているのではない。日本も韓国もEUも“1クラス上”への昇格を希望している。なぜなら、このクラスに昇格すれば、北極海会議での投票権はないが、意見の表明は許されるからだ。この会議での議案は、これまで北極圏での動物の生息数の調査などが主だったが、最近では将来にわたる港の使用料や石油漏出事故の補償交渉など、経済的な影響を伴う事案が討議されるようになっている。中国も日本も韓国も、今後、資源供給地としても、貿易ルートとしても重要になる北極海をめぐり、こういう経済交渉から排除されないように“先手を打つ”ことに力を注ぎ出したのである。環境、平和、資源の問題が、ここでも密接に絡み合っていることが分かるだろう。環境問題の深刻化は資源問題を生み、平和(安全保障)の問題を複雑化させるのである。

 谷口 雅宣

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2012年6月17日 (日)

光明一元の人生観を堅持しよう

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山にある谷口家奥津城で谷口雅春大聖師二十七年祭が厳かに挙行された。前日まで降っていた雨も上がり、薄日も差す心地よい天気となり、奥津城前の広場には、団体参拝練成会の参加者など約600人が集まって、雅春大聖師の限りない教恩に感謝しつつ、聖経読誦のなか玉串拝礼、焼香を心を込めて行った。私は御祭の最後に概略、以下のような挨拶をさせていただいた。
 
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 皆さん、本日は谷口雅春大聖師二十七年祭にご参列いただき、ありがとうございます。

 私は昨年のこの年祭では、雅春先生とフェンウィック・ホルムズ博士の共著である『信仰の科学』という本から引用して、「神の国は汝らの内にあり」という聖書のキリストの言葉の意味についてお話ししました。その時の挨拶の内容は、今年出版された『次世代への決断』の本の中に収録されています。この聖句の意味をひと言で申し上げれば、「心の眼が開かれている者にとっては、神の愛に溢れる天国はいたるところに見出せる」ということでした。「心の眼を開いて実相を見よ」ということです。そのためのトレーニングとして、生長の家の運動では「日時計主義」の実践を皆さんにお薦めしているし、この団体参拝練成会でも、絵手紙を描いたり俳句を詠むことを通して“真象”を見る練習をしているところであります。
 
 谷口雅春先生はまた、「生長の家の礼拝の本尊は観世音菩薩である」と教えてくださいました。この真理は、非常に深い意味をもっていまして、簡単にはそのすべてを理解するのは難しいのです。そこで私は今年の全国幹部研鑽会でその一端をお話ししました。また、ブログにもこれについて連載記事を書き、さらにそういう理屈っぽい説明は苦手だという人のために、直感的、右脳的な理解をしてもらおうと思い、「観世音菩薩讃歌」という長編詩も書かせていただきました。今度この長編詩が「大自然讃歌」と共に折り本型の経本として出版されることになりましたので、皆さんには是非、ご愛用いただきたいのであります。
 
 日時計主義の説明でよく使われる表現は、信徒行持要目の表現にもあるように「人生の光明面を見て暗黒面を見るべからず」ということです。これは一見分かりやすい表現なのですが、人生に起こる実際の出来事に適用しようとすると、案外むずかしい場合があります。それは実際の人生の場面では、何が“光明”であり、何が“暗黒”であるかが明確でないことがあるからです。簡単な例で言えば、今日の御祭の日が雨だったらどう考えますか? 雨は一般的には“悪い天気”と言いますが、梅雨の季節に雨が降らないとコメなどの農産物の成長にマイナスの影響が出ることが多い。だから、梅雨に雨が降るのは“よい天気”だと言っても間違いではない。すると、「雨の日」は人生の“光明面”なのか“暗黒面”なのかと改めて考えてみると、よく分からなくなるのです。では「曇りの天気」だったらどうでしょうか? 私の『日々の祈り』の本の中には「曇り空に感謝する祈り」というのがありますが、そこには曇天の日の有り難い点がいっぱい書いてあります。
 
 では、人間が病気になることはどうでしょう? これは、人生の“暗黒面”なのか“光明面”なのか……一般的には、病気になることは“悪いこと”と言われます。しかし、仕事一辺倒の人が病気になり、おかげで布団の中でゆっくりと生きることの意味を考え直したり、病気になったおかげで家族のありがたさ、友人のありがたさを改めて知ったという人も決して少なくない。「私はガンになって救われた」という人の話は決して珍しくない。谷口清超先生などは、結核にかかったことで戦場へ行かずにすみ、したがって人を殺さずにすみ、さらに加えて、結核病棟で同室だった上等兵から『生命の實相』を借りて読んだことで生長の家を知り、谷口雅春先生の一人娘の恵美子先生と結婚し、私がこの世に生れることになった! 私が考えるに、これは必ずしも“悪いこと”とは言えないでしょう。
 
 このように考えていくと、「人生には“光明面”と“暗黒面”がある」というのは単純すぎる見方であり、一見“暗黒”に見える事象の中にも、実は“光明”が隠されていることが多いのです。だから、日時計主義では、「“暗黒面”から目を背けなさい」とは言わない。私が皆さんに申し上げたいのは、「一見“暗黒”に見えるものの中に、光明を見つけよう」ということです。それができた時、私たちは“観世音菩薩の教え”を聴くことができるのです。この論理が分かりますか? 谷口清超先生の例で言えば、結核患者だった若い日の清超先生に『生命の實相』を貸してくれた上等兵は、その後しばらくして生長の家の信仰を棄ててしまったのですが、それは一見悪いことです。しかし、『生命の實相』を通して清超先生を信仰の世界に導いたのは、世界広しと言えどもこの人物以外にはいない。彼は、清超先生を通して大勢の人々の魂を救ったとも考えられる。だから、「彼は観世音菩薩だった」と言って決して間違いではない。このように、「観世音菩薩の教えを聴く」ということは、一見“悪”のように見える事象の中に、光が輝き出す原因や契機を見出すのですから、結果としてその事象を“善”に変えてしまう。日時計主義の中には、そういう深いものの見方も含まれているということを、ぜひ知っておいてください。
 
 さて、ここへ持ってきたのは、谷口雅春先生の『新版 光明法語【道の巻】』です。この本は今、私が講習会で使っているので、皆さんもお家に持っている方も多いと思います。これは先生が何冊も書かれた“365章モノ”と同じように、1月1日から12月31日までの日付入りで、真理の言葉が365の文章によって書かれている本です。今日は6月17日ですが、この本の今日の日付のところに何が書いてあるかを、最後に紹介いたします。読みます--
 
“ 6月17日の法語 よき「行為(おこない)」の種を蒔け
「思い」の種子は「行為(おこない)」の実を結ぶが、一つの「行為(おこない)」はまた多くの「思い」の果(み)を結ぶ。それは互いに映し合って「合わせ鏡」の如くである。また「思い」の方ではそんなに深切な気持が起こっていないにしても、そこを思い切って深切な行為(おこない)を実行して見た時に、不思議に「嬉しい思い」が湧いてくることを発見するであろう。そこに常に深切な行為(おこない)をする人は、常に幸福な思いを味わう人だと云う事が出来るのである。又、相手の感謝の表情を見る事は人生無上の楽しみである。感謝は感謝の共鳴を喚び起こすのである。”(同書、p.165)

 ここには、心の中の「思い」と「行為(行動)」との関係が明確に書かれています。私たちは普通、何かの行為をする前に、その行為の結果を考えます。つまり大抵の場合、何かの目的をもって行為をします。例えば、買い物に行ったり、会社に行ったり、農作物の世話をするために畑に行ったりする。この文章に書かれているのは、そういう目的をもった「思いが行為を生む」ということであり、さらにその「行為が新たな思い(目的)を生む」ということです。思いと行為との間には、このように密接な関係があるということを、先生は「合わせ鏡の如く」と表現されています。雅春先生がここで言われているのは、ある特定の思い(動機)によって行われた行為であっても、「その行為すること自体から新しい思い(動機)が生まれる」から、その新しい動機にオープンであれということです。しかも、新しい動機を「善」や「深切」の方向に向かわせることが、幸福の秘訣であるというのです。
 
 これは日時計主義を実践する際に有効な、なかなか素晴らしい教えだと私は思います。言い換えれば、私たちの人生は個々バラバラではなくて、互いに密接につながっているということです。しかし、お互いにつながっている人間であっても、それらの人々が皆、幸福生活を営むわけではない。ある人は暗い生活をし、別の人は明るい生活をしている場合もある。その違いはどこから来るかと言えば、この「思い」と「行為」とが連続してつながっていく方向を、明るい方向へ向かせることができるかどうかの違いです。それはちょうど、同じ『生命の實相』を読んでも、清超先生は光明思想に到達されたけれども、先輩の上等兵は別の方向へ行ってしまったことからも分かります。
 
 今日、ここへ来られている皆さんは、生長の家の教えに触れて全員が日時計主義の明るい生活法を学ばれています。しかし、生長の家に触れた人々が皆、例外なく、人生の最後まで光明生活を続けているかというと必ずしもそうではない。これはきわめて残念なことです。ある人は教えから離れ、人生の暗黒面を見て、人々の悪口を言う生活に自ら進んで入っていくこともある。せっかく光明一元の人生観を教わっても、人生の何に注目し、どういう目的、どういう動機で物事を行うかという点で暗い、間違った選択をした場合には、生長の家でかつては幹部活動をしていた人でも、光明思想から離れていくこともあります。ここへ来られた皆さんは、ぜひそういうことがないように、「思い」と「行為」が合わせ鏡のようにつながり合っていく人生の中で、常に正しい選択をしていただきたいのであります。そのためには、生長の家では「三正行」というのを皆さんにお勧めしています。これは、①神想観、②聖経・聖典の拝読、③愛行の3つですが、これを今後もさらに継続されて、谷口雅春大聖師が示された光明生活をまっとうしていただきたいと強く思うしだいであります。
 
 雅春先生の二十七年祭に当たって、所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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