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2020年11月20日 (金)

居住地の自然と文化を顕彰する

 今日は午前10時から、山梨県北杜市にある生長の家国際本部“森の中のオフィス”を中心に、インターネットを介した行事「生長の家代表者ネットフォーラム2020」の同時交流会が開催された。この行事は、昨年までは「生長の家代表者会議」という名前で行われていたもの。ここでは、日本全国はもちろん、韓国や台湾、ブラジル、アメリカ、ヨーロッパなどで活躍している生長の家の信徒代表が一堂に集まり、来年度以降の私たちの宗教運動の基本を定めた運動方策(運動方針)について議論し、理解を深めるためのものだった。ところが、今年は新型コロナウイルスによる感染症の世界的蔓延で、人の移動や大勢の集会ができないために、インターネットを使って映像と音声を世界に配信する形式に変更したのだった。運動方策をめぐる議論や質疑応答は、この日までにネット上で行われてきた“逐次交流会”で大方がすんでいたから、今日は生長の家参議長によるまとめと挨拶、信徒代表による決意発表に続き、私のスピーチなどで会は終わった。

 私は概略、以下のような話をした--

 皆さま本日は、今回初めて行われる「生長の家代表者ネットフォーラム2020」の同時交流会にご参加くださり、ありがとうございます。

 すでにご案内しているように、またすでに多くの参加者の方が積極的な発言をしてくださっているように、今回の同時交流会は、これまでネット上で進められてきた“逐次交流会”を受けて行われています。この逐次交流会では、去る10月23日の「生長の家拡大参議会」で決定された来年度の運動方針の内容について、活発な質疑応答が行われてきました。

 私もその一部を拝見させていただきましたが、その中では、日本国内の教区レベルでの組織を変える“枠組み”というものが注目されていました。これは、白鳩会と相愛会の教区の副会長の一人を、「PBS担当」という新しい業務に専属させるという方策でした。この方策は、階層型の従来組織の重要な一員を、階層のないPBSに専属させるという画期的なものです。生長の家の運動の目的は変わらないので、この新しい「PBS担当」の副会長さんの目的も変わりません。しかし、そのやり方が根本的に変わってくるので、当初は混乱があるかもしれませんが、ぜひ成功させたいと考えています。

 このほか、新しい方策の中では「講師教育」との関連で「講話ビデオ」の製作に関する質問もありました。それは、ネットを介して講話を聴くのに、リアルタイムで講話を流す方式ではなく、録画したビデオを使う理由は何かという質問でした。これについては、だいたい3つの理由があります:

① 講話の質の向上、
② 講話の複数回の利用、
③ 講話の広範囲の利用、です。

 優れた講話は真理宣布の有効な手段ですから、それを多く生み出し、あらゆる機会に大勢の人に聞いてもらい、広く日本全国、さらには海外の人々にも利用してもらう――そういう構想に基づいているものです。
 
 しかし、今日はこの「講話ビデオ」のことではなく、自然遺産、文化遺産の顕彰について少しお話ししたいのであります。「顕彰」という意味は、「世間にあらわすこと。世間にあらわれること」です。運動方針書は、直接この「顕彰」という言葉を使っていませんが、同じ意味のことが表現されています。お持ちの方は、5ページの真ん中から下にかけて、<“新しい文明”構築のためのライフスタイルの拡大と地球社会への貢献>という項の「2021年度の新たな取り組み」の第4項目をご覧ください。(4)と書いてあるところを読みます--

「(4) 幹部・信徒は、居住する地域の自然や文化遺産の豊かさを改めて見直し、固有の自然の恵みと、その自然と調和した文化的伝統に感謝し、所属教区の教化部のサイト等に掲載し、自然と人間との深い関わりを提示する。」

 このように書いてあります。
 このことが、<“新しい文明”構築のためのライフスタイルの拡大と地球社会への貢献>の項に入っているということは、この「固有の自然の恵みと、その自然と調和した文化的伝統に感謝する」ことが、私たちの「自然と調和する」ライフスタイルの拡大と、地球社会への貢献になるという判断があるわけです。この意味をお分かりでしょうか? 居住する地域の自然と文化遺産を見直し、それらに感謝することは、それらを無視したり、破壊することではないですね。これは誰でも分かります。しかし、「見直したり感謝する」とは、具体的に何をすることなのでしょうか? 

 私は、この項目に関連して、11月12日にフェイスブックの「生長の家総裁」というページに、「柿と馬頭観音」という題の動画を登録しました。すでにご覧になった方は多いと思います。長さが12分弱の短い動画なので、多くのことは語れなかったのですが、昨今のグローバリゼーションの影で見えなくなりつつある2つのことを表現する試みでした。その第1は、「柿」という植物と、特にその果実が、私たち日本人にとって実利的にも感情的にも、多くの価値をもたらしてきたという事実です。そして2番目は、 「馬頭観音」という文化遺産が、宗教的な価値があるだけでなく、日本人の生活の中に占めてきた「馬」という動物の重要性を示していることを伝えたかったのです。

 柿は、食品としては、海外からくる砂糖や人口甘味料、バナナやパイナップル、マンゴーなどの輸入果物に押され、染料や塗料としては、石油製品に取って代わられつつあります。私たちは、刺激の強いもの、手軽で手っ取り早いもの、華やかなものに惹かれます。これを言い換えると、私たちは感覚的な「刺激の強さと効率性/即効性」に魅力を感じるのです。この2つを価値あるものとして追究することで、現代の物質文明が築き上げられてきたと言っても過言ではありません。ということは、この2つの側面で劣るものは、本当は価値があっても、現代人の目からは見逃されがちであり、しだいに忘れ去られることになります。そういう観点から「柿」を考えてみると、バナナやパイナップル、マンゴーなど南洋からの輸入果物は、柿に比べて香りや甘味が強く、成長が速く、今のグローバルな貿易環境においては、入手することも簡単です。バナナを置いていないコンビニはなくても、柿をコンビニで買うことは不可能でなくても、簡単ではありません。

 馬と自動車の比較についても、同様のことが言えるのではないでしょうか? つまり、この双方は交通手段、運搬手段として見た場合、自動車は馬より刺激が強く、手っ取り早く、華やかです。違いますか? その意味は、馬よりも自動車の方が人間の自由になるから、高速で、いろいろな所へ行けるだけでなく、荷物の積み下ろしも楽です。また、自動車の販売店は馬の販売所よりもはるかに数が多いし、カーステレオやDVDプレイヤー、コンピューターなどを積んでいるから刺激が多く、華やかです。また、「効率性/即効性」の観点から比べても、自動車の維持管理は、生き物である馬の世話に比べて簡単ではないでしょうか? 今では技術の発達により、スマホを使って家の中から自動車のエンジンをかけたり、ライトを点けたりできるようです。

 このように考えてくると、私たちが今の時代に直面している資源の枯渇、エネルギー問題、地球温暖化などの諸問題の多くは、私たちの“内部”にその原因があるということに気がつきます。その原因とは、「感覚的な刺激の強さと効率性/即効性に魅力を感じる」ということです。このことは、人間は罪が深いということでしょうか? あるいは、人間には基本的な欠陥があるということでしょうか? 私はそうは思いません。なぜなら、生長の家では「人間は神の子である」と説いているのですから……。では、どう考えたらいいのでしょうか? 私はこう考えます。ここには、人間の“迷い”があるからだと。

 『大自然讃歌』の一節を読みます。この一節は、私たち人間がもつ「個の意識」の意義について、天の使いが説いている箇所(p.35-)です--

 天の童子さらに反問すーー 
 「師よ、神の愛・仏の四無量心は
 個の意識と相容れぬに非ざるや」。
 天使説き給う--
 個の意識の目的は
 自らの意(こころ)をよく識(し)ることなり。
 自らの“神の子”たる本性に気づくことなり。
 多くの人々
 自ら本心を欺き、
 他者の告ぐるままに
 自ら欲し、
 自ら動き、
 自ら倦怠す。
 自らを正しく知らぬ者
 即ち「吾は肉体なり」と信ずる者は、
 肉体相互に分離して合一せざると想い、
 利害対立と孤立を恐れ、
 付和雷同して心定まらず、
 定まらぬ心を他者に映して
 自らの責任を回避せん。
 されど自らの意をよく識る者は、
 自己の内に神の声を聴き、
 神に於いて“他者”なきこと知るがゆえに、
 自己の如く他者も想わんと思いはかることを得。
 即ち彼は、
 神に於いて自と他との合一を意識せん。

 ここには、自分の本心を忘れているために、コマーシャリズムに振り回されて、本当は自分が欲していない商品や、欲していないサービスを追い求める現代人の姿が描かれています。このような私たちの行動は、“迷い”の結果なのです。その迷いの原因は何かといえば、ここではそれは「自らを正しく知らない」こと、「自分は肉体だ」と信じているからである、と説いています。私たちは、自分が一個の肉体であると信じると、この小さな肉塊のままでは根本的に何かが欠落していると感じます。すると、いろいろな物やサービスを外から付け加えることで、その心の欠乏感を取り去ろうとします。こういう心理状態にある人は、コマーシャリズムに踊らされやすい。自分の中にしっかりとした判断基準がないので、他人や企業の判断基準を無批判に受け入れ、コマーシャルが「これがいい」「これが流行だ」「これが進歩だ」と言うものを得ることが、人生の目的だという錯覚に陥るのです。別の言い方でこれを表現すると、「感覚的な刺激の強さと効率性/即効性に魅力を感じる」ということになります。

 私は最近、妻と一緒に『鬼滅の刃』(きめつのやいば)というアニメ作品を見る機会がありました。私は若いころは漫画が好きだったのですが、大人になってからはアニメと言えば宮崎駿(はやお)さんの作品以外はほとんど見ることがなかったです。しかし今回、この作品が日本で異常なブームになっていると聞いたので、一体どんなに素晴らしい作品かと思ってネット上で見たのであります。そのきっかけは、ニュース報道です。日本のある神社で頒布されているお守りが、ネット上ではそのお守りの頒布金の何倍もの値段で売られているというのです。生長の家総本山でもお守りは頒布されていますが、それがネットオークションで高値で売れるなどという話は聞いたことがないので、よほど素晴らしいお守りなのだろうと思いました。が、事実は、お守りは普通のものでした。普通でないのは、そのお守りや神社とは直接関係がない『鬼滅の刃』の人気なのです。

 このアニメの主人公は「竈門炭治郎」(かまどたんじろう)というのですが、その苗字の「竈門」という言葉が使われている神社が全国にいくつかあるのですが、そこをアニメファンが“聖地”として訪れるブームが起こっているのです。で、「竈門」がついたお守りを持っていると、このアニメの主人公のように、鬼を上回るようなパワーがもてるとか、そういうパワーに自分が守ってもらえるとか……そんな話が作られ、それを信じる人々がどんどん増えているようなのです。ウィキペディアの描写によると、このアニメは最初は漫画の単行本として16巻まで出版されましたが、2019年の春からテレビでアニメとして放送されたそうです。すると、「放送終了から約1か月後の10月23日時点で累計発行部数1600万部を突破、約1か月で累計発行部数を400万部増やし、さらに約1か月後の11月27日には累計発行部数2500万部、最新18巻は初版100万部を刷るなど、2000万部ほど部数を伸ばしている」といいます。そして、「シリーズ累計発行部数は単行本22巻の発売時点で1億部を突破する」そうです。

 こんな話を知ってみると、このアニメ作品がよほど素晴らしい内容だと考えない方がオカシイではないでしょうか? で、私と妻はある晩、ネット経由でこのアニメドラマの第1回と第2回を見ました。オニが人間にとりつくと人間がオニになり、人間を食べるという前提で、人間がオニと戦うというストーリーで、作品のほとんどの場面は、山の中でのオニと人間の派手で残酷な戦闘シーンなのです。ストーリーが荒唐無稽であるだけでなく、戦闘シーンで使われる武器や妖術なども全く現実離れしていて、私は見ていてウンザリしました。

 ウィキペディアの説明では、このアニメは「大正時代を舞台に描く和風剣戟奇譚。作風としては身体破壊や人喰いなどのハードな描写が多い」といいます。まさに、その通りだと感じました。

 私はここで、この漫画の作者や作品自体の批判をするつもりはありません。世の中には、いろいろな発想からいろいろな作品を生み出す人があっていいのです。多様性は大切です。ただ、その多様な表現の中の1つか2つに焦点を絞って、「これを選ばなければ世の中に遅れている」と跳びつく姿勢、あるいは跳びつかせる姿勢が問題だと思います。『大自然讃歌』にあるように、

 利害対立と孤立を恐れ、
 付和雷同して心定まらず、
 定まらぬ心を他者に映して
 自らの責任を回避せん。

 という態度が、問題なのです。

 ここで皆さんに気づいていただきたいのは、このブームの背景には、私が先ほど指摘したように、「感覚的な刺激の強さと効率性/即効性に魅力を感じる」という私たちの弱さ、あるいは“迷い”があることです。今のブームは、その弱さや迷いをうまく利用して作られているのでしょう。今回は、そのブームに宗教が利用されているという側面がある点が、とても残念です。
 さて、「刺激の強さを求める」という心境とは、アニメ作品の虜になることだけを指しているのではありません。その中には、「よく知っている近くのものより、遠くにある知らないものを求める」心が含まれます。また、「小さいものより大きいもの」「当たり前のものより、珍しく、異常なものを求める」心が含まれます。そういう欲求にこたえるためのサービスや商品が、今の世の中にはあふれています。私は何のことを言っているのでしょう? それは、輸入品や海外ブランドを求める心、海外旅行や危険な冒険を求める心、よく知っている田舎よりも変化の激しい都会の生活を求める心……などです。私は、そういう心をもってはいけないと言っているのではありません。先ほども言ったように、人間は「感覚的な刺激の強さと効率性/即効性に魅力を感じる」ようにできています。これは、「人間には欲望がある」と言っているのと、意味はほとんど変わりません。しかし、「人間は欲望である」とか「人間は欲望の塊である」という意味では決してありません。『大自然讃歌』では、人間の欲望は悪であるとは説かれていません。

 次の一節(p.42)を思い出してください--

 肉体は神性表現の道具に過ぎず、
 欲望もまた神性表現の目的にかなう限り、
 神の栄光支える“生命の炎”なり。
 ……(中略)……
 されば汝らよ、
 欲望の正しき制御を忘るべからず。
 欲望を
 神性表現の目的に従属させよ。
 欲望を自己の本心と錯覚すべからず。
 欲望燃え上がるは、
 自己に足らざるものありと想い、
 その欠乏感を埋めんとするが故なり。

 ここに書いてあることは、欲望と自分は同じではないから、その2つを切り離して、欲望を制御し、神性表現の目的に使おう、ということです。そのような生き方を私たちの居住地で実践するにはどうしたらいいでしょうか? その一つが今回、私が最初に引用した運動方針の方策になると考えます。その方策とは、私たちが自分の居住地の「固有の自然の恵みと、その自然と調和した文化的伝統に感謝する」ということです。感謝するためには、まずその対象をよく知らなくてはなりません。自分の居住地に固有の自然の営みとは何であるか? これは、一般的な「日本の自然」 の営みのことではありません。例えば私の場合、八ヶ岳南麓の大泉町に固有の自然とは何であるか、を知ることです。また、「その自然と調和した文化的伝統」を知らなくてはなりません。戦後日本の急速な経済成長にともなって、高速道路や新幹線が通り、飛行場ができて、日本の各地にあった「文化的伝統」の多くが失われたかもしれません。その場合は、何が失われたかを知る必要があります。失われたものの中で、「自然の営みと調和したもの」があったら、その伝統を顕彰し、場合によっては復活させるのも、「感謝」の思いの表現です。単に復活させるのではなく、現代人の視点から、新しい、ユニバーサルな要素を付け加えることも「感謝」の表現でありえます。そういう活動を、私たちはこれからやっていこうというのが、ここにある運動方策なのです。

 かつて私は、どこかの会合で皆さんに、自分の住んでいる県で定めた「県の花」「県の木」が何であるかをご存じですか、と尋ねたことがあります。これを案外知らない人が多かったですが、今回の新しい方策は、「県全体」のことと関係はしていますが、私たちそれぞれの居住地という、さらにローカルな自然について、またその土地の伝統的文化について知ろう、顕彰しようという活動です。これには「数」の目標はありませんが、内容が多岐にわたるため、従来型組織がバラバラに行うのではなく、PBSの活動やネットの活用を通して広い範囲の人々との協力で行うのが適切かもしれません。ぜひ、皆さま方のこれまでの経験や知識、地域の人々とのつながりを生かして、力強く展開していってください。

 それではこれで、私の本日の話を終わります。ご清聴、ありがとうございました。

谷口 雅宣

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2020年8月23日 (日)

縄文人と住居の火

  前回のブログの記述から2週間以上たってしまったが、縄文時代について少しだが勉強する機会があった。そこで何が言えるかと言うと、断定的なことはあまり言えないのである。つまり、考古学者による研究は進んでいるが、それらの研究から“定説”的なものが積み上がり、専門家の

間で一応合意された縄文時代の全体像が見えているのかというと、そうでもないのである。

 例えば、人類にとって大変重要な「火の使用」についてだが、前回引用した岡村道雄氏の『縄文の生活誌』には、縄文初期の人々の生活について、次のようにある--

「炉穴では肉や魚の燻製を作るだけでなく、土器を使っての煮炊きやドングリのアク抜きもした。炉穴は、縄文環境の成立と同時に南九州に普及したが、やがて縄文環境と定住が北上するとともに、早い時期から近畿・中部高地・関東地方まで広がっていった。ただし、竪穴住居内に炉が設(しつら)えられるようになると姿を消し、調理は屋内の炉、燻製は炉の上の火棚で行われるようになった」(p.71)

「縄文土器の基本は、食料を調理する煮炊き用の深鉢土器です。土器で煮炊きができるようになって、人びとはドングリやトチの実、ワラビ、ゼンマイなどの山の幸、貝類などの海の幸を新たに日常食のメニューに加えられただけでなく、さまざまな食材を組み合わせて、味覚や栄養のレパートリーを広げることができました。そして、何よりも衛生的でした。縄文時代は、土器のおかげで食生活を格段に豊かにすることができたのです。」(勅使河原彰著『縄文時代ガイドブック』、p.12)

「縄文時代の竪穴住居には、普通、床の中央か、やや奥寄りに炉が1つ切られている。この炉には、深鉢形の土器がおかれて、食料が煮炊きされるが、暖や明かりをとるなど、一家団欒の場となった。炉の近くの床には、水を入れた深鉢形の土器や加工した食料品を入れた浅鉢形の土器、木の実を入れたカゴ、あるいは木の実を製粉する石皿や磨石などが所狭しと置かれていた。」(前掲書、p.59)

 このような縄文土器の用途の記述を見ると、それが「食料の煮炊き用」であることに異存を唱える人はいないようである。が、この食を得るための調理を縄文人がどこで行っていたのかという話になると、少し様子が変わってくる。上に引用した文章の筆者は、二人とも「室内」での煮炊きを当然としているようだが、「屋外」だと主張する人もいるのである。この主張は、竪穴住居跡に残された炉の底が、多くの場合「加熱によって赤レンガのように固くなっている」ことに注目した小林達雄氏によるものだ。小林氏は、まず炉の「灯りとり用」の用途と「暖房目的だけ」の用途を、理由をつけて「考えにくい」と否定した後で、次のように述べている--

「しかも、誰しもがすぐに思いつき易い、煮炊き料理用であったかと言えば、その可能性も全くないに等しいのだ。このことは極めて重要な問題である。とにかく、いくら室内の炉で煮炊き料理をやっていた証拠を探し出そうにも、手掛りになるものは何一つ残されてはいない。不慮の火災で燃え落ちた、いわゆる焼失家屋に土器が残されていることはあっても、そこには煮炊きに無関係の、しかし呪術や儀礼にかかわるかのような特殊な形態の代物--釣手土器、異形台付土器、有孔鍔付土器--ばかりである。縄文人の食事の支度は、どうも通常、住居の外でなされていたものらしい。」

 小林氏は、現代においても寒冷地に住むイヌイットが、厳寒期や悪天候の時以外はなるべく戸外で食事をする傾向があることを指摘し、気候温和な縄文時代の人が戸外での食事を原則としても不思議でないと述べ、さらには縄文人が竪穴住居で大きく火を燃やすことの問題を、次のように述べている--

「炉で火を燃やせば燃やすほど、煙が立ちこめて、眼を開けていられないほど苦しく、咳が出たり、涙があふれたり、たまらない思いをすることがある。この現実を直視して初めて縄文人に接近し、血を通わすことができるのである。博物館に復元された住居の中で縄文家族がこざっぱりした顔つきで炉を囲んでいる姿は虚像なのだ。そこにはガスや電気の恩恵を身一杯受けた、遥かに縄文放れした現実がそのまま投影されている。」(p.97)

 では、縄文人が家の中にわざわざ炉を構え、そこで火を燃やし続けた目的は何か? 小林氏は、そこに宗教の芽生えを見るのである。



「つまり縄文住居の炉は、灯かりとりでも、暖房用でも、調理用でもなかったのだ。それでも、執拗に炉の火を消さずに守り続けたのは、そうした現実的日常的効果とは別の役割があったとみなくてはならない。火に物理的効果や利便性を期待したのではなく、実は火を焚くこと、火を燃やし続けること、火を消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったのではなかったか。その可能性を考えることは決して思考の飛躍でもない。むしろ、視点を変えて見れば、つねに火の現実的効果とは不即不離の関係にある、火に対する象徴的観念に思いが至るのである。火を生活に採り入れた時点から、火の実用的効果とは別に世界各地の集団は、火に対して特別な観念を重ねてきた。その事例は、いまさらながら枚挙にいとまがない。縄文人も例外ではなかった。」(p.94) 

 さて、私自身はどちらの説に賛同するかと問われると、どちらか一方を現時点で選択することを大いに躊躇する。理由は、まだ勉強不足だからだ。しかし、今回のように1万数千年も前の人々の生活を考えるに際して、私たち現代人が注意しなければならないことを学ぶ機会を得た気がする。それは、「現代人の頭だけで考えない」ということと、それでも「同じ人類の一員として考える」ということだ。この2つは一見、矛盾しているように聞こえるかもしれない。が、宗教をなりわいとしている人間にとっては、常に意識しておくべきことだと感じる。詳しい説明のためには、稿を改めたい。

 谷口 雅宣

【参考文献】
〇小林達雄著『縄文の思考』(筑摩書房、2008年)
〇岡村道雄著『縄文の生活誌』(講談社、2008年)
〇勅使河原彰著『ビジュアル版 縄文時代ガイドブック』(新泉社、2013年)

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2017年2月28日 (火)

“次の当たり前”でいいのか?

Jrejad_022817  生長の家の春季記念日のために長崎へ向かう途中、久しぶりに新宿駅へ降りた。すると、駅のエスカレーターを昇ったところに、新旧の新幹線の先頭車両を真ん中から縦に割ってつなぎ合わせ、それを正面から撮影した写真(=写真)が目に入った。JR東日本の宣伝ポスターだ。ポスターの下部には、「次の当たり前をつくろう。」というコピーが大きな文字で入っている。1987年の車両と今年の車両を視覚的に比べて、「30年間でこれだけ変わった」ことを分かりやすく見せている。広告としてはよいできだと思った。 
 
 しかし、その広告が訴えようとしているメッセージには、大きく首をかしげた。これは科学技術のこれまでの歩みを“進歩”として無条件に認め、人類がこの方向に今後も進むことに何の疑問も感じないどころが、「それがわが社の使命!」とばかりに胸を張っている、と感じる。ポスターの左上部に小さい文字で5行に分けて文章が書かれいる-- 
 
 「どんなに夢だ、未来だと騒がれた先端技術も、 
 やがて見慣れた風景になる。それでいい。 
 私たちの仕事は、人々の暮らしを支える当たり前をつくること。 
 これまでの30年も、これから先も。 
 変えたかったのは、歴史じゃない。日常だ。」 
 
 この文章の最後の1行の意味は、わかりにくい。が、そこにいたる4行に書かれていることは、「先端技術の無限の進歩が、人々の暮らしを支える」ということで、科学技術による経済発展礼讃論だ。また、「日常を変える」ことが“善”だと考えているフシが感じられるから、この会社にとって日常は“悪”なのか、それとも少なくとも“不満の種”なのか、と勘繰りたくなる。生長の家では、日常生活の中に真理があり、また真理を日常に活かすのが信仰だと説いている。さらに、日常の「当たり前の生活」の素晴らしさを認め、感謝するのが信仰生活だと教えている。 
 
 朝、まだ雪が残る北杜市を出発し、早春の大都会・東京に着いたとたん、このような理解の違いを目の前にした私は、一種の“カルチャー・ショック”を覚えたのだった。 
 
Mirai022817  この種の「科学技術による経済発展礼讃論」は、しかしJR東日本だけでなく、都会全体を支配しているように感じる。というのは、妻と私を新宿から羽田空港まで運んでくれたタクシーが、「ミライ」という最先端の燃料電池車だったからかもしれない。これに乗るのは、今回で2回目だ。特に選んでいるのではなく、温暖化が深刻化している現在、「ガソリン車は避けたい」という希望を出すと、タクシー会社の方で電気自動車などの“低公害車”を回してくれるのだ。が、私としては「ミライ」よりも「リーフ」が好きである。こういう言い方が個人的過ぎるならば、燃料電池車よりも電気自動車が好きだと言おう。理由は、前者よりも後者の方が自然エネルギーと親和性があり、エネルギーの分散利用にもつながると考えるからだ。 
 
 が、本当は、自動車などに乗らなくても、自転車の利用で、あるいは徒歩で、どこかへ行くだけでも十分幸福な生活ができるのがいい。神さまとご先祖さまからいただいた優秀な2本の脚を使って、大地を踏みしめながら歩くことで「ありがたい」と感じ、しかも健康維持や健康増進につながるならば、これほど素晴らしいことはないではないか。このようにほとんどの人々が簡単にできる多くのことを、「当たり前」すぎるといって価値を低く見るのは、生長の家でお勧めしている「日時計主義」とは反対の生活態度である。その点は、私がすでに本欄で発表した「凡庸の唄」を読んでいただけば、読者はきっと理解されるだろう。 
 
 燃料自動車「ミライ」は、トヨタの世界戦略車の1つだが、この会社が描く“未来”の姿を暗示させるもう1つの“技術の粋”に、今日私は遭遇した。といっても、物理的な遭遇ではなく、ネット上でのバーチャルな遭遇である。しかも、その動画は10年も前のものだから、読者はすでにご存じかもしれない。カナダ駐在の生長の家本部講師である高義晴氏がFacebook上でシェアしてくれたので、私の目に留まったのだ。 
 
Roboviolinist2   ビデオの中身を簡単に言えば、トヨタ製の人型ロボットがバイオリンを弾いている映像だ。これを見ると、技術的には、ロボットにバイオリンを弾かせることは、そんなに難しくはないようだ。ただし、上手に弾くかどうかは別だ。ビデオでの弾き方はかなり稚拙だが、10年後の今日は、技術的にはもっと向上しているだろう。が、上手か下手かの問題より重要なのは、人手不足をロボットの開発で補おうという、現在の政府などの考え方の是非である。 
 
  労働を機械に置き換えていく流れは、産業革命以来ずっと続いているが、これは短期的には良さそうでも、中長期的に見ると、失業者を増やすことは確実である。そのことは、今の欧米の経済問題が有力に語っている。最近テレビで見た日本のニュースでは、あるコンビニチェーンが代金支払いを「無人化」しつつあると伝えていた。コンビニ店は、すでに相当の省力化が進んでいて、店員数は極限まで抑えられているように見えるが、ついに無人となるのだろうか。これによって誰が得をするのか、損をするのかは、誰にも明白だ。産業の自動化・ロボット化は結局、社会の“非人間化”につながるだろう。 
 
 私は、その方向にまったく疑問を感じずに「この道をまっすぐ!」と進もうとしている日本の政治家と、産業界の重鎮たちの心境が、よく理解できないのである。 
 
 谷口 雅宣

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2015年11月 9日 (月)

「青々舎通信」 (4)

Tennyosan_stone0815  “森の中のオフィス”で行われた「生長の家 自然の恵みフェスタ 2015」に出品したマグネットのもう一つには、「天女山」という名をつけた。天女山(1,529m)は、オフィスから車で5分ほど上がった山の名前で、オフィスとの標高差は250メートルほどあり、八ヶ岳の1つである権現岳(2,715m)の登山口になっている。しかし、このマグネットはその山の形をしているのではなく、山頂にある石碑を象ったものだ。この石碑は、日本各地の山々にある他の多くの石碑に比べて特に美しいとか、見事だというわけではないが、自転車で山頂まで登ったことのある人にとっては、特別の思い出や愛着があるはずだ。 
 
Tennyosan_cyclists  というのは、この石碑の前で写真を撮ることが、「SNI自転車部」に属する本部職員の、一種のイニシエーションの儀式になっているからである。本部職員の寮は、いずれもオフィスより標高が低い土地にある。だから、職員が自転車通勤をするためには、長い坂道を登る“難行苦行”が避けられない。いわゆる「ヒルクライム」である。それができるようになるまでが第1段階で、次にはオフィスから天女山を目指す人が多い。そして、この第2段階に達した証拠として、登頂後にこの石碑の前で写真を撮り、それをSNSに掲示して他の部員から祝福を受けるのである。左の写真は、今年のフェスタで「天女山ヒルクライム」に参加した(左から)ブラジル、台湾、アメリカの招待選手である。 
 
Tennyosanmag_0915  オフィスでの「自然の恵みフェスタ」では、「天女山ヒルクライム」という自転車イベントの後に、この石碑の前で写真を撮った人が昨年も今年もたくさんいた。これらの人々にとっては、仲間とともに目標を目指し、苦しい中でも決して諦めず、ついに目標に達したという“達成感”の象徴が、この天女山頂の石碑である。その石碑のミニチュア版をマグネットにすれば、マグネットの購入者は日常生活の中で、仲間との連帯と目標達成の記憶が蘇ってくるのではないか……というのが、私の製作意図である。 
 
 谷口 雅宣

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2015年10月31日 (土)

「青々舎通信」 (3)

 生長の家の国際本部“森の中のオフィス”で行われた「生長の家 自然の恵みフェスタ 2015」が、このほど終った。10月24~25日の2日間に行われたもので、昨年に続いて2回目である。青々舎は、「SNIクラフト倶楽部」の一員として、このフェスタにマグネット3種を出品し、おかげさまで完売となった。3種とは、「オフィス型」「唐松(秋)」、そして「天女山」である。 
 
Karamaatsu_2knds  「唐松(秋)」は、すでに製作したことがある「唐松(夏)」の秋バージョンだ。カラマツは日本の固有種のマツで、北海道を初め、山梨県から長野県一帯に多い樹木だ。私の自宅もカラマツ林の中にある。カラマツは典型的な陽樹で、日照が強い荒地など過酷な環境でも発芽し、生育する。その特徴を利用して、戦後の復興期に北海道や甲信地方に多くが植林された。首都圏の木材需要に応えるためである。木材としてはヤニが多く、スギやヒノキに比べて割れや狂いが出やすいことから、炭鉱の坑木や電柱などが主な用途だった。 
 
 ところがその後、コンクリートなどの新技術が生まれ、また貿易の発達で安価な外材が大量に輸入されるなどして林業が衰えたため、山は荒れてしまった。それでも、植林から70年余が経過して、カラマツは育ち、木造建築の環境価値が見直され、さらに頑丈な集成材を造る技術が進歩して大型建築の構造材としての用途が生まれるなど、利用が再興している。強度があり、腐食しにくいという特徴がある。“森の中のオフィス”の外壁はすべてカラマツ材で、構造材にも使われている。尾瀬の湿原をめぐる木道も、ほとんどがカラマツ材だ。また、昨今は薪ストーブなどの燃料用としても、利用され始めている。 
 
 日本の四季との関連を書けば、カラマツは日本の高木針葉樹の中でただ一つ落葉する。これが秋、日本の北半分の山々を独特な美しさで彩る原因の1つとなっている。葉がついている時は赤褐色から黄金色へと変わり、地面に散り敷くと、道や野原をサーモンピンクに変える。空中をハラハラと散る黄褐色の短糸状の葉はやさしく、落ち葉の独特の香りは心を和らげてくれる。私がまだ東京にいた頃、秋に山荘を訪れた際は、カラマツの落ち葉を拾い集めてポプリのように香りを楽しんだものだ。 
 
 この地方でよく採れるハナイグチ(ジゴボー)というキノコは、別名をカラマツタケとも言い、カラマツと共生している。私は今、こうしてカラマツに取り囲まれた生活をしているから、その恩恵には感謝してもしきれない。そんな気持を製作の中に込めた。 
 
 谷口 雅宣

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2014年9月 8日 (月)

天女山ヒルクライム

 日本全国の生長の家教化部や道場などにはすでに通知されているが、今年の10月下旬には、山梨県北杜市の生長の家“森の中のオフィス”を中心とした地域で、「自然の恵みフェスタ 2014」という行事が行われる。
 
  これは、簡単に言えば秋の収穫祭である。ただし、作物の収穫だけでなく、芸術的収穫なども含んだ一種の文化祭のようなものになる予定だ。この時期には、次年度の生長の家の運動を決める重要会議が予定されているため、全国の教化部長が当地に集まる。その機会をねらって、文化的行事を開催しようというわけだ。ちょうど10月28日は、前生長の家総裁、谷口清超先生の年祭に当たるため、清超先生の御遺徳を偲びつつ、ご生前に撮影された写真の展示会や地元の音楽家が参加する音楽会も開かれる。これらの“芸術系”のイベントは、国際本部が東京にあった時代にも「生光展」やチャリティーコンサートの形で行われてきたが、開催日はバラバラで必ずしも統一性がなかった。それを今回初めて一時期に集めて開催することで、“生長の家の文化祭”のようなものとなる。さらに今回は、生長の家の行事としては異例と思われるスポーツ・イベントも行われる予定だ。これは「天女山ヒルクライム」という自転車競技で、オフィスの近くにある天女山(標高1,529m)の山頂まで上るタイムを競うものだ。
 
 なぜスポーツ・イベントか?--という疑問を抱く読者もいると思うので、少し説明しよう。
 
 「自然の恵みフェスタ 2014」という行事は、以下の4つの目的で行われる--
 ①私たちの肉体を含めた自然の恵みを実感しつつ、豊かな環境と
  農作物の収穫を神様に感謝する。
 ②地域の人々などとの交流を通じて、日頃の感謝の気持を表す。
 ③生長の家が推奨するノーミート料理の意義とレシピを伝える。
 ④調理に炭や枝を利用するなどして生長の家の環境保全活動の一
  端を紹介する。
 
 これらのうち①が、スポーツと関係するものだ。ここにある「肉体も自然の恵みの一部」という考え方には、馴染みのない人がいるかもしれない。しかし、自然の恵みである農産物をいかに美味しく作っても、それを食べる肉体がなければ、「恵み」を体験することはできない。言い換えれば、私たちにとって農産物が恵みであるためには、肉体が必要なのである。当たり前といえば当たり前のことだが、普段はあまり意識しない事実である。生長の家では「肉体はナイ」と説くことがあるが、この教えを誤って理解する人もいる。それは、「肉体はナイ」のだから、肉体の健不健にこだわることなく、暴飲暴食をしたり、喫煙にふけり、睡眠時間を極端に削り、あるいは不規則でいい加減な食事をすることも、人類光明化運動のためには一向差し支えないと考える場合だ。このような考えは、「生長の家の食事」という神示を読めば、まったくの誤りであることが了解される。そこには、「食事は、自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式である」と明記されているからだ。
 
 この「自己に宿る神」が活躍するための最も重要な“道具”が、肉体である。これを清浄健全に保つことは、だから私たち信仰者の義務であると言っていい。それは、「肉体の欲望に身を任せる」ことではない。この違いは、とても重要だ。「自己に宿る神」とは欲望のことではない。欲望は、1つのものが満たされたら次のものを要求し、次のものが満たされたら、さらにその次を要求するというように、際限なく“他から奪う”感情である。これに身を任せて食事をすれば、肉体は肥満し、成人病となり、うまく機能しなくなる。これに身を任せてセックスをすれば、体力は弱まり、人間関係は破壊され、反社会的と見なされる。では、肉体に属する欲望をできるだけ抑制し、無欲禁欲を目標として生きるべきかというと、それでは肉体は衰弱し、学習能力は低下し、子孫は生まれない。つまり、「自己に宿る神」は、私たちの肉体を通して活躍できなくなるのである。
 
 では、どうすればいいのか? これについては、『大自然讃歌』が明確な指針を与えてくれる--
 
 欲望は
 肉体維持発展のための動力にして、
 生物共通の“炎”なり、
 “生命の炎”なり。
 (…中略…)
 肉体は神性表現の道具に過ぎず、
 欲望もまた神性表現の目的にかなう限り、
 神の栄光支える“生命の炎”なり。
 (…中略…)
 されば汝らよ、
 欲望の正しき制御を忘るべからず。
 欲望を
 神性表現の目的に従属させよ。
 (…中略…)
 “生命の炎”を自在に統御し、
 自己の内なる神の目的に活用せよ。
 
 スポーツの良いところは、「肉体の欲望を制御しつつその機能を拡大する」という点だ。これを実現するためには、「肉体の欲望」を超えた目標--精神的目標をもたねばならない。肉体の欲望に振り回されるのではなく、より高度な目標のために肉体を振り回すのである。そうすると不思議なことに、肉体は最初はいやいやであっても、やがてその目標に向かって自分を再組織化しはじめる。そして、さらに訓練を続けていると、肉体は精神的目標の達成に積極的に協力するようになる。つまり、神性表現の道具として正しく機能し、機能拡大さえするようになる。このことが「自然の恵み」だと私は考える。人間の肉体は自然の状態で、「使う」ことで機能を拡大する。私たちの肉体は--筋肉や血管や骨や皮膚組織、そして脳細胞も--「使わない」のではむしろ機能が低下する。そういう性質と機能を自然に与えられていることは、「自然の恵み」の重要部分である。なぜなら、それは「努力すれば向上する」という約束が、自分の肉体に組み込まれていることを意味するからだ。スポーツは、この「自然の恵み」を実感しつつ感謝することにつながる。
 
 では、なぜ自転車競技か? これは、自転車でなければならないという意味ではない。また、自転車競技であっても、都会の中の同じ場所をグルグル周回するだけでは、「自然の恵み」はあまり感じられないだろう。それよりは、高原の空気を思う存分呼吸しながら、体に風を感じ、鳥の声を聞き、紅葉・黄葉を眺め、さらには自分の肉体の小ささ、微力さを思い知る……そういう体験は、登山やトレッキング、マラソンでも可能だ。が、自転車には実用性もある。競技が終わった後は、通勤、通学、買い物、サイクリングなどに使える。それは、“炭素ゼロ”のライフスタイルの一部となる。そんなこんなの理由から、今回の「天女山ヒルクライム」の自転車競技は開催されるのである。
 
Tennyosanhillclimb2014_2 「ヒルクライム」とは hill climb という英語から来た言葉だ。「丘を登る」という意味で、その反対に「丘を下る」のは「ダウンヒル(down hill)」だ。普通の山道では、上り坂があれば必ず下り坂もある。が、今回のコースには下り坂はない。ということは、自転車に乗る楽しみの1つである「風を切って坂を下る」快感は味わえない。いや、もっと正確に言えば、その快感は、競技が終了したあとで各人が味わうことになる。これを「過酷」と思うか「後楽」と感じるかは、参加者それぞれの判断に任せよう。出発点の甲斐大泉駅(標高 1,158m)から、終着点の天女山山頂(標高 1,529m)までは4.6km で、自転車で走る距離としては大したものではない。しかし、私の試走では40分強かかっている。私の半分の年齢のO氏の試走では、35分ほどだ。時間がかかる理由は、上り坂ばかりが続くからで、参加を考えている人は覚悟しておいてほしい。これだけの時間内に、標高差で400m弱を上る。スタート地点がすでに千メートルを超えているから、平地よりも空気が薄い中でのヒルクライムである。もちろん、「競走」など意識せずに、秋の山道を楽しむつもりの人は、競技の時間は2時間とたっぷりあるので、疲れたら自転車から降りて、天女山の自然を味わいながら、自転車を押しつつゆっくりと上ってほしい。
 
 谷口 雅宣 

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2014年4月12日 (土)

旅先からの便り (7)

 お元気ですか? 今日は佐賀市に来ています。
 最近、自由意思とは何かということを考えます。
 例えば今日の昼食後、羽田空港の待合ラウンジで十数分を過ごすために、飲料のセルフサービスのコーナーへ行き、コーヒーカップと皿を手に取りました。これは、自分の自由意思でそうしたのだと、ハッキリ自覚していたのです。いつもとは違う行為だからです。
 
 通常は、空港での昼食では野菜が少ないことを考えて、トマトジュースを飲むことにしていました。ところが、今日はちょっと気分を変えようと思い、コーヒーを選んだつもりでした。
 ところが、それを見ていた妻が近づいて来て、
「あら、コーヒーなの?」
 と意外そうに言ったのです。
 その途端、私は自宅を出て小淵沢駅でコーヒーを買い、JR中央線の列車の中で仕事をしながら、チビチビとそのコーヒーを飲みながら新宿まで来たことを思い出しました。
 
 現代の多くの飲み物がそうであるように、コーヒーにも中毒性があります。それほど強いものではありませんが、そのカフェインの作用のおかげで、私は空港でもコーヒーに近づいたのかもしれない--そのとき私はそう思ったのでした。
 
 となると、 自由主義者を自認する私ですから、“コーヒー中毒”を思わせるような行動は自分にふさわしくないと考え、手に取ったばかりのコーヒーカップと皿とを元の場所に戻すことにしました。では、代りに何を飲もうかと思いながら顔を上げた私は、自分がすでにトマトジュースを取りにいくための行動を開始しているのに気づきました。
「これが自由な選択だろうか?」
 と、私は思いました。
 空港のラウンジには、コーヒーとトマトジュース以外にもいろいろな飲料がもちろんあるのです。しかし、その時の私には、紅茶も日本茶も、ビールもウイスキーも、頭の中の選択肢にはなかったのです。とすると、私がトマトジュースを選んだ行為も、前々からしていることの単なる繰り返し--つまり習慣による行動であって、自由意思にもとづく意識的な選択とは言えないのではないでしょうか? こんな疑問が湧き出てくるのでした。
 
 
 谷口 雅宣

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2014年2月25日 (火)

雪の中の幸福者 (2)

 記録的大雪から、早くも約10日がたった。が、北杜市大泉町のわが家は、まだ分厚い積雪に囲まれている。自宅からオフィスまでの道路は、平常通りとはいかないものの、車がスリップせずに通れるようにはなっている。ただし、道路の両脇にはまだ50センチほどの積雪が残っていて、片道1車線の県道を除くと、まだまだ道幅が狭く、車1台がようやく通れるという状態のところがほとんどである。オフィスの敷地内の雪も、これと似たようなものである。
 
 そんな中で、とても喜ばしいことに、オフィスに勤める本部職員の大活躍の様子が、ネット上で話題になっている。職員寮周辺のコミュニティーには高齢者も多く、そういう人々の中には、自宅に高々と盛り上がった積雪を自力で取り除くことが難しい人も多い。生長の家は、国際本部を北杜市に移転する目的の一つとして「地域貢献」を掲げてきたので、今回の大雪をそのよい機会ととらえ、渡辺重孝・環境共生部長を中心とした緊急事態対策チームを編成し、同市の災害ボランティアセンターに登録し、その要請にもとづいて雪かきなどの支援活動を展開してきた。
 
 例えば、23日の活動の様子を渡辺氏は次のように報告している--
 
①災害ボランティア依頼場所での除雪
 昨日の要請があった場所は、長坂の仲町区公民館のそばにある家で、一人暮らしの高齢の女性が足を悪くされて杖をついて生活され ている方でした。自宅まで自動車が通れず、雪が残る坂道を杖をつ いて歩いて買い物にいっておられる状態でした。
 今回の除雪で、通りまでの自動車の通行と自宅内で自動車の転回ができるようになり、歩道の近道も通れるようになりました。
 この方は、やはり長坂寮の皆さんが仲町区公民館を除雪したこと等を伝え聞いて、災害ボランティアセンターに電話して「できれば生長の家さんにお願いしたい」と依頼されたとのことです。
 10:50から作業をはじめて、一度昼食のためオフィスに戻り、あらためて13:30から14:30まで作業を行って終了しました。
 
②長坂商店街のセブンイレブン付近道路の除雪
 前記の作業を終えて帰ろうとしたところ、長坂商店街のセブンイレブン付近の道路が凍結していて近所の人がスコップで氷を割ることができずに大変苦労されていました。私達は、氷を砕く道具(アイスピッケル、バール、ツルハシ)を一通り持っていましたので、見過ごすことができず、車を降りて、もう1時間だけこの作業を応援しました。
 すると、仲町区のKさんが出てこられて、コーヒーやお茶をセブンイレブンで買って差し入れしてくださいました。Kさんは、長坂寮の開発申請で大変お世話になった方で、今回、生長の家の人が雪かきで地域貢献していることを大変喜んでくださっていました。
 氷を割るのは大変な作業でしたが、ご近所の方々と一緒に笑いながら作業することができて、大変良い交流をさせていただきました。 
 
 また、24日の活動については、こんな報告をしてくれた-- 
 本日は、国際本部7人と日本教文社1人の合計8人で活動しました。
 状況:甲斐小泉駅の近くで大型除雪車が入れない場所に家があり、高齢のご夫婦が10日間も外出できない状況でした。車は雪に埋もれたままで、家の裏手にある灯油タンクは屋根から落ちた2メートルほどの雪に埋もれてしまい、給油できない状況でした。
 食糧は、いつも1週間以上の材料を用意していたので、困らなかったそうですが、さすがに10日間を経過して材料がなくなったそうです。また、歯の治療に通いたくても通えなかったそうですが、ご自分達より困っている人がいると思い、助けを求めたのが昨日になったそうです。
 
 作業:8人で除雪作業を行い、車の進入路は除雪機を使いました。
  灯油タンクや自動車の掘り出しは手作業で行う必要があったのですが、今日の男性メンバーは力強い筋肉の持ち主が多かったため、1時間半の作業ですべてを完了しました。
   作業があまりにも早く完了したので、依頼された奥様は驚かれて、「土まで見えるなんて!」と大変感激されていました。早速、歯医者に予約されるとのことで、付近の道路状況についても質問されました。10日間も外出していないので、道路状況も全く分からないとのことでした。 
 
 渡辺部長によると、北杜市社会福祉協議会のサイトの情報から判断すると、「平日のボランティア人数の半分は、生長の家からの出動によるものである」ことが分かるという。私は最近、オフィスで会う職員の皆さんが、自宅の雪かきやボランティア活動のおかげで日焼けして、男性も女性も見るからに逞しくなり、目が輝いているのを見てうれしくなる。与える愛の実践は、人を喜ばせるだけでなく、自らの神性を実感し、精神面でも肉体面でも充実した生き方につながっていると確信できるからだ。 
 
 谷口 雅宣

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2014年2月18日 (火)

雪の中の幸福者

 史上稀にみる大雪が東日本を襲ったため、いろいろ予想外の新しい経験をし、普段はあまり考えないことを考えることができた。現在、京都市での生長の家講習会の帰途、東京駅を昼前に出て長野へ向かう長野新幹線「あさま521号」でこれを書いている。通常、近畿地方から国際本部“森の中のオフィ”がある北杜市へ帰るためには、新宿から中央本線に乗って小淵沢まで行き、そこから車で帰る。が、今回は大雪で中央本線が運休しているため、長野市経由で南下するのが唯一のコースだった。もっと具体的にいえば、長野駅まで新幹線で行ったあとは、篠ノ井線に乗り換えて松本へ出て、そこで再び乗り換えて小淵沢まで南下するのである。これによる所要時間は、乗り継ぎの時間を含めると5時間20分。新宿から小淵沢が2時間なのに比べ、倍以上となる。
 
 今回の大雪情報は、京都へ出発する数日前から流れていた。だから、私たちは出発を1日早め、金曜日の午前中に小淵沢を出る塩尻経由の中央本線の特急に乗った。しかし、大雪をもたらす低気圧はすでに東日本に大きくかかっていたから、同じコースを走る次の特急は運休してしまった。ぎりぎりセーフで名古屋へ着けたのだ。ということで、京都で2泊し、講習会を行い、その日の夜は新宿に一泊して今、こうして長野に向かっているのである。
 
 考えてみると、谷口雅春先生や清超先生の時代には、講習会の旅で3泊や4泊されることは珍しくなかった。いや、東京から遠方を回る場合は、複数箇所で講習会をこなして帰京されるのが普通だったから、その場合は1週間以上、帰宅されないこともあった。そういう時代と比べれば、今回の“トラブル”はトラブルではない。むしろ、当時の“順調な旅”と変わらないと言えるのである。それが今は“トラブル”と感じられるのは、技術革新にともない交通・通信の手段が急激に発達し、1つのことを実行するのに、当時の数分の一の時間しか要しなくなったからだ。このことを、経済学では「生産性の向上」という。しかし、このことの裏側には、生産された商品やサービスを使う人間がいなければならないから、「消費の増大」も同時に行われてきたのである。そして、この2つの流れが増大することを指して、人々は「経済発展」と呼び、これによって人間に幸福がもたらされると考えてきた。
 
 しかし、このような「幸福」の考え方は、あまりに浅薄であることが近年、いろいろな方面から指摘されてきた。また、今回の大雪で、それが様々な機会に改めて確認できただろう。人間は、ある一定の状態が長く続くと、その状態を“当たり前”と感じるようになる。たといその状態が、別の人間にとっては「幸福」に見えても、である。これは、いわゆる「馴れ」が生じるからだ。そして逆に、その状態から何かが欠けると“不幸”になったと感じるか、少なくとも“トラブル”に遭ったと感じる。このこと1つを考えても、「幸福」には何か客観的な基準があるのではなく、それを感じる人の物事のとらえ方や感じ方--つまり、主観に大きく左右される。これを別の方向から表現すれば、人間の幸不幸の感覚は、その人が自分の置かれた状況に「プラスの変化」を感じるか、あるいは「マイナスの変化」を感じるかによって決まる、と言えるだろう。
 
Matsumotostn_3  今回の大雪に遭遇した人は、さまざまな変化を経験したと思う。それをその人が「プラスの変化」と捉えるか、それとも「マイナスの変化」として捉えるかで、本人の幸不幸は決まる。--とここまでは、長野駅へ向かっていた新幹線の中で書いた。その時は、松本から中央本線で小淵沢へ行けると思っていた。なぜなら、JR東日本の職員がそう言って切符を発券したからだ。ところが松本駅へ着くと、茅野までは行けるが、その先は不通だと言われた。これは大きな“番狂わせ”で、私たちは仕方なく松本で一泊し、翌朝までの復旧作業に期待することにした。(写真は松本駅)
 
 翌朝、テレビに流れていた情報を見ると、「中央道は全線通行可能」というような表現だった。「ヤッター」と思ったが、道路情報をよく調べてみると、「通行はできるが、途中から上ったり下りたりできるかどうか?……」という妙な状況だった。つまり、各所の出入り口がすべChinostn て使えるわけではなく、一部だけということらしかった。残念だったのは、私たちが望んでいた「茅野-小淵沢間」は無理だということだ。そこで私たちは、“オフィス”から茅野駅まで車を出してもらう一方、私たちは松本から茅野までJRの在来線で下り、茅野駅で合流してからは一般道を雪中走行して北杜市大泉町へ帰ったのだ。松本市のホテルを出たのが9時20分で、オフィス到着は午後1時ごろ。結局、約3時間半の旅だった。(写真は、茅野駅)
 
 それで、「幸福」の話はどうなるかというと、私はこの“番狂わせ”の最中に特に不幸だとは感じなかった。が、予定していた通りに事が進まなかったのだから、「トラブル」だったことは確かだ。特に、水曜日に重要な会議を控えていて、その準備をしなければならない火曜日が半日使えなくなるということは、かなりの“損失”と言えば言える。しかし、この“番狂わせ”が、さらには記録的な大雪に見舞われたということ自体が、私には何か貴重で、得がたい体験であるような気がしてならなかった。というのは、次のような事実があるからである--
 
 今回の大雪は、生長の家が国際本部を東京から北杜市に移転してから最初の冬に経験した。しかも、この大雪は歴史的な規模だ。ということは、これ以上の厳しい冬を私たちがこの地で経験する確率はきわめて低いということになる。だから、今回の経験で足りなかったこと、失敗したこと、予想できなかったことなどを反省し、それらにきちんと対応していけば、“万全の準備”ができることになる。「千載一遇のチャンスがすぐに来た」のではないか? このことは、私個人の生活についても言える。私は、還暦を超えた年で初めて高冷地に家を建てて住むことになった。いちばん不安だったのは、冬の厳しさだった。雪がどの程度降り、その影響はどの程度あり、暖房にどの程度の薪が必要で、それをどう準備するか……などの情報の最大値が、すぐに手に入った。これは大変ありがたい。今後は、これらの最大値を想定して冬の準備をすればいい。どこかの大企業のように、「想定外だった」といって泡を食う必要はない--このように考えていくと、「トラブル」という声は消えて、「私たちは実は幸福者ではないか」という想いが湧いてくるのである。
 
 谷口 雅宣

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2013年12月 6日 (金)

運転免許証を更新する

 休日の木曜日に、自動車運転免許証の更新手続きをした。
 私たちが、東京から山梨県北杜市の八ヶ岳南麓に引っ越したのは9月の終わりだが、運転免許証の住所が東京のままだったので、何となく中途半端な気持が続いていた。「片足を東京に突っ込んだまま……」と言ったらいいだろうか、“森の中”へ入ったはずなのに、「本当はまだ大都会が根拠地だ」という囁き声がときどき聞こえてくる……そんな気分である。それに、地元の郵便局で“仲間”として扱ってもらえなかった経験があり、それが少し悔しかった。
 
 半年前の6月の終わり頃に、ここ大泉町の郵便局に口座開設を申し込んだら、住所を表示した本人確認の文書を示せと言われ、運転免許証を出したのである。すると、住所は東京だったので、「こちらの住所では口座は開設できません」と言われてしまった。「こちら」とは、北杜市大泉町の意味である。実は私は、住民票を昨年の12月に東京から北杜市に移していた。だから、1月以降の地方税は東京都にではなく、山梨県に支払っていたのである。だから当然、この地では“仲間”と見なしてくれるだろうと考えていた。が、当地の郵便局員は、「手続き上の規則だからできない」と言って、ガンとして私の大泉町の住所を認めてくれないのである。奇妙キテレツな規則だが、ゴネル時間とエネルギーがもったいないので、私は結局、東京の人間として大泉町の郵便局に口座を開設したのだった。
 
 そんな経緯があるので、運転免許証の更新にともない住所変更が行われれば、これで私は晴れて山梨県民、北杜市民になれると期待していた。
 
 北杜市の大泉支所で住民票を取ったあと、更新手続きをする南アルプス市の交通センターに向かい、午前10時すぎにそこへ着いた。広くてきれいな新しい建物で、その1階フロアーで流れ作業のように更新手続きをすませる。そして、10時半から1時間の「講習」なるものを受け、12時前にやっと「山梨県公安委員会」発行の免許証を受け取ることができた。これでもう一歩、私は山梨県に近づいたと同時に、もう一歩、東京から離れることができたと感じた。
 今の人間は普通、この地上に80年ほど生き、そしてどこかへ去る。その間、いろいろな場所に住むことになるが、その場所場所での社会関係、気候や風土、食習慣、文化などを自分の中に取り入れながら人格を形成していく。一般に、人の人格形成に最も深い影響を与えるのは、生まれ育った土地ということになっている。それは「故郷」とも呼ばれるが、私の場合、それは東京である。そこから離れたがっている自分がいる一方で、東京を懐かしく思い、その魅力に惹かれる自分もいる。そんな分裂した心境は、しかし大泉町に“山荘”をもち、東京とそこを往復していた間は、自分の中であまり違和感を生まなかった。どちらの自分も、それなりに満足していたからだ。ところが、大泉町への移住を決め、同時に都会生活から離れようと決めてからは、「東京を懐かしむ自分」を捨てる作業が必要になったようだ。
 
 私は今「東京を懐かしむ自分」と書いたが、それは本当は「都会を懐かしむ自分」なのかもしれない。というのは、私は東京に最も長く住んでいたが、若いころは横浜に3年弱、アメリカに3年住んだことがある。後者での生活は、1年間をサンフランシスコ対岸のオークランドで過ごし、2年はニューヨークのマンハッタンだったから、いずれも大都会である。思い返せばこれらの町のいずれも懐かしく、機会があればまた訪れたいと感じる。だから今、私は「都会を懐かしむ自分」と対面し、それに別れを告げようとしているのかもしれない。
 「一方を捨てるならば、もう一方には受け入れてほしい」と感じるのは、普通の人情だろう。しかし、その「もう一方」のほうにも事情があるから、どんな人間でも即時、無条件には受け入れられない。“新参者”の側の努力と時間が必要であることは充分理解できる。運転免許証の更新が、そんな努力の一助となることを私は願っている。
 
 谷口 雅宣

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