文化・芸術

2019年4月 1日 (月)

新元号「令和」について思う

 来月1日から始まる新元号が「令和」と決まった。
 安倍首相は、『万葉集』からの引用だと説明するが、引用元を見ると「令月」と「和(やわら)ぐ」との間には、省略された文字が3つある。原文は万葉仮名だから文字数は異なるだろうが、政府が示した歌の書き下し文を使えば、「初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ……」から取ったという。

「令月」は普通は「二月」を意味するが、「令」の字に「二」の意味があるのではなく、季節の移ろいの中で「清らかで美しい」あるいは「縁起がよい」月だとの意味を込めて使われるという。これと同様の用法には、「令嬢」「令夫人」「令室」「令息」「令日」……などがある。『学研 漢和大字典』(藤堂明保編、1978年刊)では、この用法について「相手の人の妻・兄弟を尊んでいうことばとしても用いられる」と説明している。なぜ「令」が清らかで美しく、また縁起がよいとされ、さらには「尊敬」を表すかというと、その考え方の背後には、古代の宗教への見方が横たわっているようだ。

 日本の漢字の権威である白川静氏の『字統 普及版』(平凡社、初版1994年)によると、「令」の字は「礼冠を着けて、跪(ひざまず)いて神意を聞く神職のものの形」を表し、「古く令の意と、またその字形のままで命の字にも用いた」という。つまり昔、「令」は「命」と同じ意味で使われたらしい。したがって、「大令」「天令」「明令」「休令」「先王の令」「祖考の令」と書かれた場合、「大命」「天命」「明命」……という意味だったという。また、「鈴」の字の旁(つくり)が「令」であるのは、神道の儀式にあるように、鈴は「神を降し、神を送るときの楽器である」からだという。だから、「令」とは「神意に従う」ことなのだ。

 この古義を、私は素晴らしいと思う。生長の家は神意を最大に尊重するから、この古義を積極的に支持したい気持だ。しかし、それならば、安倍首相はなぜ、この「令」の古義について記者会見で何も語らなかったのだろう。元号は、少数の知識人を集めた“閉じられた空間”で決定されたから、その経緯の詳細はよく分からない。しかし、すでに発表された情報では、元号の候補としては本件を含めて6つの案が出され、それにいろいろな人からの意見が出て、その意見を参考にして安倍首相が選んだという。知識人が、字典の意味を知らないはずがない。だから、それへの言及があったに違いない。が、首相は、国民の前ではそれをあえて口にせず、『万葉集』の表現についてだけ語った。その理由を、私は知りたい。

「令」の古義について、私はまったく異議を唱えない。しかし、それを21世紀の現代で元号に採用するという点では、一抹の不安を覚える。なぜなら、人類は中世、近世、現代を通して、政治と宗教との結びつきが、世界中で大変な混乱と不幸をもたらしてきたことを経験しているからだ。古代において、政治はシャーマンや聖職者が担ってきた。日本も例外ではない。この“神権政治”によって善政が実現したことはもちろんあるが、そうでない場合の方が数が多かった。宗教弾圧や宗教戦争も頻繁にあり、その延長が一部、現代でもまだ続いている。為政者が拳を振り上げて「これが神の御心である!」などと叫び、国民を戦争に駆り立てた時代は、そんなに昔のことではない。「政教分離」「信教の自由」「立憲主義」という近代民主主義の政治原則は、そういう悲惨で苦しい体験から学んだ人類共通の知恵である。

 その知恵から学びつつ実際の政治を行なってきた人が、「新元号は“令和”とする」と決めたのであれば、私は不安を感じない。しかし、憲法違反の法案を何本も束にして強行に成立させ、「立憲主義は古い時代の考え」などと発言した権力者が、テレビカメラの前で「令和が自分の理想である」かのような説明をするのを見ると、私は「ダブル・ミーニング(double meaning、両義性)」という言葉を思い出すのである。1つの言葉に、表と裏との相反する意味を含ませる表現法である。

「令和」には、解釈によって別の意味が容易に付加できる。それは「令に和する時代」という意味である。この場合の「令」とは、政府の命令であり、政権の意思である。『万葉集』の昔には「令」は「清らかで美しい」と見なされたかもしれないが、時代がくだるにつれて、その意味は「律令」「勅令」「県令」「軍令」「指令」「司令」「法令」「政令」「省令」……などと使われるように、世俗の権威や権力が定める規則や命令の意味に変ってきている。そして、そういう世俗権力に国民が「和する」という時代を夢見ている人は、残念ながら現代の政治家にもいるのである。日本のことは言わなくても、アメリカのトランプ大統領やロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、フィリピンのドゥテルテ大統領は言うまでもなく、ハンガリーやトルコ、ブラジルなどの政治指導者にもその傾向は強く見られる。

 そういう時代に、あえて「令和」を新元号としたことに、私たちは注意を払わねばならないと思う。私は、安倍首相にそんな“下心”があると言っているのではない。安倍首相は、令和の時代にずっと首相であり続けるわけではない。次の首相、次の次の首相……と政治が遷移しても、「令和とは、権力者に和することだ」などと誰も考えないように、立憲主義の原則を護るとともに、宗教運動としては「“令”とは神意に従うこと」という古義を忘れずに、神の御心の表現に向かって力強く進んでいきたい。

 谷口 雅宣

 

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2019年3月 1日 (金)

自然と共に栄えるライフスタイルへ

 今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山の出龍宮顕斎殿に約560人を集めて、立教90年を祝う生長の家春季記念式典が行われた。私は同式典にて概略、以下のような言葉を述べた――

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 皆さん、本日は立教90年のおめでたい記念日に大勢参加くださり、誠にありがとうございます。 

 

 私は昨年のこの立教記念日には、『生長の家』創刊号にある谷口雅春先生のご文章から「生命は働くことによって生長する」という教えを取り上げました。そして、その教えは今の時代では、「肉体と脳は使うことによって発達し、使うことによって幸福感が得られる」という形に翻訳されて、PBSの活動に反映されていることを強調したのであります。 

 

  今回は、この長崎県に越させていただく前に、鹿児島・宮崎両教区による生長の家講習会があったので、九州地方の人にはまたまたお会いすることができて光栄であります。この鹿児島市で行われた講習会の午後の講話では、私は受講者の質問に答えて「安全保障」の話をしたのであります。安全保障とか政治に関する質問が3通ぐらいありました。その中には、憲法改正の動きに対してどう考えるべきかという質問があったので、地球温暖化時代の国家の安全は、軍備によっては充分保障できないという話をしました。安倍首相は、憲法改正に固執しているようですが、現在の国際情勢はそんな個人の古い拘りを推し進めている余裕はないのです。生長の家の中にも、かつて政治運動を経験した年齢層の人の中には、この憲法問題が大変重要だと考えている人がまだいるようですが、地球世界は、ものすごく速いスピードで変化しているということを忘れてはいけません。 

 

Snihist  ここで少し歴史を振り返ってみましょう。生長の家が政治団体を結成して明治憲法復元運動をしたのは、1964年から1983年の間の約20年間です。今年は立教90年ですから、この90年の歴史の中では、20年というのは「四分の一」に満たない期間です。また、この時代の特殊性に気づかねばなりません。このような烈しい政治運動をしたのは、戦後の例外的時代だったのですね。このことはブックレット『戦後の運動の変化について』の中に詳しく書きましたが、それは現代史の中では「冷戦時代」と呼ばれています。この時代の特徴は、世界を“善”と“悪”の敵対する二大勢力に分割して、そのどちらかにつくことが求められただけでなく、反対陣営の勢力や人達と鋭く対立するという点でした。 

 

  生長の家は「対立の教え」ではなく「大調和の教え」ですから、このような善悪対立の世界を想定して、その一方につくような運動は、当時は政治的に必要に迫られていたことは事実ですが、本来は似つかわしくないのです。ですから、冷戦が終結して、ソ連が崩壊し、中国も資本主義を採用するなど、世界情勢が大きく変化した現在、35年以上前の課題が同じ重要性をもっているかというと、決してそうではないのであります。このことは、古くからの信徒の中にもきちんと理解しておられる人もいて、講習会ではこんな質問を投げかけて下さいました。日向市に住む72歳の女性の方です―― 

 「生長の家の御教えを知りましてから久しいのですが、近頃良く、この美しい地球を人類はキズ付けよごし、地球温暖化を止める事が出来ず、このままでは、愛する子や孫に負の遺産を残す事になりそうです。私共の祈りが足りないのか? この真理を知る人が少ないのか? もどかしい思いをいだいております。どうしましょうか?」 

 

Globenviron  この方の主要な関心事は、日本国内の“右”と“左”の対立ではなく、さらには国家と国家の対立でもなく、自然界と人類との不調和が続いて、私たちの子孫に良好な地球環境を残していけそうもないという問題です。これを一般的に「地球環境問題」と呼びますが、これは国内政治や国際政治とは関係のない別の問題だと思っている人もいますが、決してそうではありません。地球環境とは、私たちが棲んでいるこの地球全体のことです。その中に日本があり、その他各国があり、世界があるのです。だから、国内政治も国際政治も、農漁業も商工業もすべて、地球環境から大きな影響を受けることになります。 

 

Co2con_may2018_2  そして、多くの方はすでにご存じのように、この地球環境問題の根本的な原因も分かっている。それこそ、私たち人類の自然破壊と温室効果ガスの大気圏への過剰な排出です。それによって地球の表面の温度がどんどん上昇している。これにともない、北極や南極などの極地や高地の氷が大量に溶けだして海に流れ出ています。だから、海面が上昇し、人類が棲むことができる土地の面積がジワジワと狭くなっている。世界の人口は増えているのに、です。また、気候変動が起こって農産物、海産物が獲れなくなっている。貧しい国では、その影響を受けて政治が破綻し、大量の難民が、アフリカでも中南米でも、東南アジアでも、祖国を捨てて外国へ移動しています。気候の変化は、それほど巨大な影響を地球の自然界と人間界に及ぼしているのです。国家間の対立は、それと無縁ではありません。だから、一国が軍事力を増強してみても、これらの解決の役には立たないのです。それはかえって隣国を警戒させ、国際関係をさらに緊張させます。 

 

 

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 また、地球温暖化という現象は、長期的には人類と他の生物に大きな問題をもたらすのですが、短期的には、一部の地域や、一部の人々に“恩恵”をもたらすこともあることを、知っておいてください。例えば、先ほど北極海の氷が溶けている話をしましたが、これによってロシアなどの北極圏に領土をもつ国は、夏場に氷のない海を得ることになります。そうすると、そこで漁業をしたり、航路を開設したりできるので、経済的な恩恵が得られる。また、ニューヨークタイムズ紙の最近の記事によると、スイスはエネルギーの6割を水力発電に頼っているのですが、近年は山岳地帯に一年中あった氷河が融解しつつあるので、利用できる水の量がさらに増え、水力発電のブームになっているそうです。 

 

 しかし、いずれの場合も、これまで氷として地表付近で固まっていた水が溶け出すのですから「海面上昇 → 陸地の減少」が起こるだけでなく、地球表面を循環する水の量が増えることで、大雨や洪水が起きやすくなると考えねばなりません。いや実際、そういう現象が日本を含めて世界各地で起こっています。 

 

 このようにして、私たちは“荒れた地球”“住みにくい地球”を子供や孫たちに残していくことになりそうなのです。そんな事態はぜひ、避けねばなりません。 

 

  先ほど紹介した講習会での質問では、「祈りが足りないのか、真理を知らないのか、もどかしい。どうしましょう?」と言われましたが、私は、もうすでに生長の家はPBSの活動を通して、自分たちのライフスタイルを自然を傷つけないものに転換することで対応している、とお答えしたのです。PBSの活動のことは、私がすでに今年の新年の挨拶で申し上げました。この活動は、きわめて具体的な生活変革の運動で、しかも、やろうと思ったら誰でも実行できるものです。私たちは宗教運動をしているのですから、もちろん真理研鑽や伝道や祈りは必要です。しかし、それだけでは足りない。信仰や祈りは、具体的な生活変革が伴わなければ、今、人類が向かっている“誤った方向”への巨大な流れを是正する力にはならないのです。 

 

  PBSの活動についてもし問題があるとするならば、それは「インターネットを使う」という点でしょう。生長の家の中には、この新しい文化に親しんでいない人がまだ相当数いるでしょう。特に、古くから信仰している人の中には、スマホを使ったことがないし、今さらそんなメンドーな機械は使いたくない、という人もいるでしょう。しかし、そういう場合でも、生活変革は日常生活から可能です。そのヒントは毎月発行される機関誌や普及誌に書いてあるし、従来の組織運動の中でも、いわゆる“Bタイプの誌友会”というのはPBSと親和性が強いことは、すでにお分かりの人も多いでしょう。また、“自然の恵みフェスタ”は、スマホもパソコンももっていなくても参加できます。 

 

 このようなPBSの活動、あるいは生活変革の活動は、何も「目を三角にして」やる必要はないのです。つまり、歯を食いしばって無理をしたり、人と競争してやる必要はない。このことは、私が今年の「新年の挨拶」でも申し上げました。その時の言葉を思い出していただくために、次に引用しましょう-- 

 「そのような宗教本来の活動が、毎日の生活の仕方を変えることででき、しかも“苦行”によってではなく、自然の恩恵をいっぱいに感じる“楽行”によってできるならば、これほど嬉しいことはないと思います。」 

 このことは、昨年の立教記念日でも申し上げたことで、人間の肉体と脳は使うことによって発達し、使うことによって幸福感が得られることは、すでにPBSやBタイプの誌友会、自然の恵みフェスタなどを経験した人は皆、ご存じのことでしょう。 

 

 今年の冬、私が体験したことを話させてください。この間の鹿児島・宮崎両教区合同の講習会でも話したことです。それは、冬場の寒さを利用して、新しいクラフト作りに挑戦したことです。 

  (氷のリースの話をする)

  このように私たちは、効率とか省力とか、大規模化とか大量生産というような“古い文明”の基準に囚われなければ、新しい発想のもとにまだまだ幸福を拡大させることはできる、と私は考えます。如何でしょうか? 九州の人に「氷のリース」を作れとは言いませんが、南国では南国に相応しい自然があり、山地には山地でなければない自然があり、平野には平野独特の自然があります。それらを破壊せずに豊かさを保ち、人間も幸福に生きるライフスタイルをぜひ開発し、広めていってください。その基礎をつくるのが、本年2019年であり、それは立教90年の年であり、さらにこの年は、日本では新たな年号の出発となることは決して偶然ではありません。

 

  それでは、これをもちまして立教記念日の所感とさせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。

 

 谷口 雅宣

 

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2018年12月26日 (水)

緑のクリスマス

 クリスマスが終わって、ひと息ついている家庭も多いと思う。私たち家族もその例に違わない。で、わが家ではどんなクリスマスをしたかを、少しお話ししよう。が、その前に、この「緑のクリスマス」について説明させてほしい。
 
「ホワイト・クリスマス」という言葉は昔からあるが、「グリーン・クリスマス」という言葉もあることを、私は今年初めて知った。それはイギリスの科学誌『New Scientist』の12月1日号を読んだからだ。以前、本欄か本欄の前身のブログで「緑の聖書」について紹介したことがあるが、この言葉はそれと同じ発想から生まれた。つまり、「環境を傷つけない」とか「温室効果ガスを極力出さない」という意味で「グリーン(緑)」という言葉を使った場合、クリスマスはどんな方法で祝うべきかを、同誌は特集していた。題して「金ピカ飾りから七面鳥まで--倫理的クリスマスへの科学的なご案内」(From tinsel to turkey: A scientific guide to an ethical Christmas)である。
 
 ご存じのように、クリスマスというお祭は、屋外の電飾や装飾に始まり、室内の派手な飾り、プレゼントや食料の買い出し、物品の輸送、過剰包装と廃棄物の山、大勢の人々の遠方への移動などがほとんど全世界で一斉に行われるから、それに伴う温室効果ガスの排出や環境破壊は目に余るものがある。ひと昔前は、それは言わば“当たり前”だったが、イギリスの科学誌がこんな記事を書くのだから、昨今は、「商業主義的お祭は環境に有害」という認識を多くの人々がもち始めたのだろう。私はそれをうれしく思う。 
 
 では、「私たちはクリスマスを祝うのをやめ、家族団欒の時をもつのもやめよう!」と言うべきなのか? 私はそうは言わないし、実際、わが家では一貫してクリスマスを家族で祝ってきた。その理由は、同じクリスマスでも、祝い方によって環境破壊を増す場合とそうでない場合があるからだ。 
 
 環境破壊と人類の幸福増進は「二者択一」の問題だと考えるのは“古い文明”のメンタリティーである。生長の家ではこの二者は両立すると考えたからこそ、東京・原宿から八ヶ岳南麓に本部機能を移転したことを、思い出してほしい。そして、その後に行われている“自然の恵みフェスタ”やPBS(プロジェクト型組織)の活動が、このことを証明しているはずなのである。クリスマスは一種の“フェスタ”だから、それと同じことが言えるのである。では、実際にどうすべきか? 
 
 前掲の記事はまず、クリスマス・ツリーについて考える。本物のモミノキとプラスチック製のモミノキでは、どちらが環境への被害が少ないだろう。この疑問については、実際に細かく研究した人がいて、その結果は、「本物を使う方がよりグリーンだ」という。なぜなら、プラスチック製の木は製造過程でCO2を出すだけでなく、輸送時にもそれを排出し、さらに廃棄時にも環境を汚染する。が、その一方、本物のモミノキのように1回きりの使用ではなく、何回も使えるから環境にいいようにも思える。この点については、同誌はカナダのコンサルティング会社の実地調査を引用して、自然破壊を本物のモミノキと同等のレベルに留めるためには、プラスチック製のモミノキは「20年間」使い続けねばならない、と結論する。で、そんな長期に使用し続けると、プラスチック製品は劣化して哀れな姿になるのがオチだという。 
 
 では、どんな場合でもプラスチック製品を使わず、本物にすればいいのかというと、そう単純でもない。海外や遠方から取り寄せるのではなく、できるだけ近くで栽培された木を使うか、もっと言えば、自分の敷地で育てたものをポットに入れて使うべきだという。翌年もそのまま使えるからだ。使い終わったモミノキは、庭に廃棄して腐らせるのではメタンを排出することになる。(日本では、そんな伝統はないが)イギリスでは多くの自治体が、使用後に回収して根覆いをしてくれるから、リサイクルされるという。 
 
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 わが家では今年、地元のホームセンターでポット入りのモミノキを買った。高さ180センチぐらいのもので、使用後は庭で育てるつもりだ。昨年はそれをせず、森から“代替品”を切り出した。つまり、私の所有する森の隅にイチイの若木が何本も生えていたので、その中の適当な形で適当な高さのものをノコギリで切って、室内に持ち込んだ。しかし、そうやってみると、いかにも「可哀そうだなぁ~」という気がしたので、今年は方法を変えたのだ。 

 
 同誌の記事は、ツリーの次には食事について語っている。照りで光ったパイ、肉汁豊かなハム、オーブンで丸焼きにされた七面鳥……などが槍玉に上がっていて、その種の豪華な食事の環境負荷は大きいが、それらを“主菜”にするのをやめ、完全になくさなくても“脇役”にして、その代りに根菜類や豆類を多く使うことを勧めている。それでも、「七面鳥のないクリスマスなど許せない」と思う人は、クリスマスにはそれを食べても、その代りに日常の食事からは肉類を減らす--例えば、クリスマス後の数ヵ月に、週に1日、ノーミートの日を設ける--のはどうかと提案している。 
 
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 わが家の場合、すでに大分前からノーミート食が日常になっているから、この問題はない。妻はこの分野でずいぶん工夫を重ね、美味しいノーミート食を開発してくれていて、本当にありがたい。今回のクリスマス・ディナーのメニューは、サケとタラとホウレンソウとホタテのテリーヌ、マグロ入りトマトソースのラザーニャ、ニンジンとクルミのサラダ、ゴボウの赤ワイン煮、レンコンのトマトソース煮、キノコのショウガ酢煮、野菜のポタージュ、などと相当の豪華版だった。 

 
 環境負荷の面でクリスマス・プレゼントがもつ問題の1つに、そのきらびやかな包装がある。同誌の記事では、2017年に行なわれた調査によると、イギリスでは毎年1億800万ロールの包装紙が廃棄されているという。これらの多くは、プラスチック処理や金属処理を施したもので、リサイクルが効かないという。クリスマスカードの多くも、その種の処理をした紙製品だ。 
 
 日本では最近、デパート各社が「簡易包装」の選択肢を用意してくれているのはありがたい。が、わが家でのプレゼントの多くは、簡易包装もせずに、ユーズド包装紙(一度使ったものを、できるだけ綺麗な状態で残しておく)を再利用して、豪華に見せる工夫をしている。また、プレゼントを飾るリボン各種も、使用ずみのものを何年も取っておいて、それらを再利用、再々利用する。紙箱も同様に、贈答品などで使われたものを取っておいて、プレゼント用に使う。このようにすれば、紙類の廃棄を極力抑えることができる。紙類の使用を減らすことは直接、森林伐採の削減につながることは言うまでもない。 
 
 そして最後は、プレゼントそのものの内容だ。これについては同誌の記事は何も書いていない。しかし、プラスチックを使った製品が溢れている現代文明(旧文明)では、これを使わないプレゼントを考えることは難しい。特に、小さい子ども用に企業が提供する玩具類は、プラスチックを含む石油製品を使ったものが主流であると言えるだろう。私には3人の子(男2、女1)と3人の孫(男2、女1)がいる。そこで今年は、妻と相談して、私が男用のプレゼントを、妻が嫁さんを含めた女用のプレゼントを考えることにした。私は今回、男共にはプラスチックを使わないプレゼントをあげようと決意した。そして、木工によるクラフトを製作することにした。「SNIクラフト倶楽部」所属しているのだから、当然と言えば当然だ。こうして、今年のクリスマス祭はかなり「緑色」になってきたと感じている。 
 
 私が木工で何を作ったかという話は、別の機会に譲る。 
 
 谷口 雅宣

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2016年10月28日 (金)

“もの作り”で創造的人生を

 今日は午前10時から、山梨県北杜市大泉町の生長の家国際本部“森の中のオフィス”のイベントホールで「谷口清超大聖師八年祭」が執り行われた。私は祭壇に掲げられた谷口清超先生の遺影の前に玉串を奉げ、御祭の最後に概略、次のような挨拶を述べた--
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 皆さん、本日は谷口清超大聖師八年祭にご参列いただき、ありがとうございます。谷口清超先生は、ちょうど8年前のこの日に89歳で昇天されました。 
 
 私は昨年の清超先生の七年祭で、昭和50年5月号の『生長の家』誌から引用して、先生が「物を大切にせよ」と教えられたという話をしました。また先生は、そう教えられただけでなく、ご自身の実際生活の中でも、その通りに生きられました。その教えをわかりやすく説かれた言葉を昨年七年祭で紹介しましたが、今回も繰り返してお伝えしましょう--「物はどんな小さいものでも“神の愛”と“人の真心”のカタマリである」というのが、それです。 
 
 清超先生は、このお考えを写真の中にも表現されているのですが、そういう例を2~3点紹介しましょう: 
 
Yutakanajinsei_m  これは昭和61年(1986)に発行された『豊かな人生を作ろう』という御著書の表紙カバーです。廃車になった車が積み上げられている写真ですが、それを使って「豊かな人生を作ろう」と仰っているのですから、この写真の例は、何でも安易に廃棄してしまう今の社会は本当は「豊かではない」ということを、暗に指摘されているのです。「はしがき」には、こう書いておられます-- 
 
 「さてこの本のカバーの写真は、私が北海道へ行った時、朝港町で撮ったもので、直接豊かさをあらわしたものではなく、古びたポンコツ車の残骸である。いささかのアイロニーをもって、こんなものを使うことにした」 
 
 次の写真は、この御著書の前の年(1985年)に発行された『人は天窓から入る』という本の表紙カバーです。「はしがき」にあるその説明文を読みます-- 
 
Hitowatemmado_m_2 「カバー写真は私宅の2階で、息子の残して行った人形を床の上において写したものである。“天窓から入る”というイメージが出たかどうかは少々疑問だが……」 
 
 補足しますと、この「息子」というのは私のことで、この人形はお腹かどこかを押すと「ギャハハハハ……」と笑い声を出す仕掛けが組み込まれているジョーク・トーイです。先生がこれを撮影された当時は、私は結婚して、東京・世田谷区の駒沢大学の近くに住んでいたのです。不要となったので置いていったジョーク・トーイに目をつけられて、先生はそれを聖典の表紙写真として蘇らせてくださいました。この写真の構図は、ちょうど私たちが天井を見上げると、そこにある天窓からヒゲ面のオジサンが顔を突っ込んで、あいさつしている--そんな感じがします。これは「人間は物質や肉体ではなく、天から降ってきた神の子である」というメッセージをユーモアをもって伝えているのではないでしょうか? 
 
 次の写真は、どこかで一度紹介したことがあると思いますが、平成9年(1997)に発刊された『創造的人生のために』という御著書の表紙カバーです。この本のカバーの袖の裏にSouzoujinsei2 は、こんな短い説明があります-- 
 
 「カバー写真の塑像・谷口雅宣氏の中学生時代の作品」 
 
 向かって左側が私の“作品”で、粘土で作ったハニワの頭を焼いたものです。右側は、プロのこけし職人の作品で、ずっと新しいもので多分、25年くらい後の作品です。古いものと新しいもの、粘土の塑像と木製のこけし、また頭だけのものと全身を表現したものなど、一見異質のものですが、その2つを組み合わせて写真にすると、何とも言えない暖かい人間性と、相互の信頼感を表現するような作品になっています。清超先生が、これを「創造的人生のために」というタイトルの表現に使われているという点も、私たちは学ぶべきことだと思います。「創造とは、古いものを破壊したり、捨て去ることではない」。「新旧の組み合わせで新しい価値が生まれる」「相互のプラス面を引き出せ」……などです。私たちが今、強調している“ムスビの働き”の素晴らしい例が、この一枚の写真にあると考えます。 
 
 このようにして谷口清超先生は、物を単なる物質とは考えずに、「どんな小さいものでも“神の愛”と“人の真心”のカタマリである」と感じて大切に使い、古いものでも新しい環境に活かして使われた。その御心と教えを私たちは今日、運動の中で大いに実践しようとしているのであります。何のことだかお分かりですね? ついこの間、この“森の中のオフィス”では「自然の恵みフェスタ2016」という催しが行われました。その中では、手づくりの工芸品であるクラフトの展示販売が行われました。そこに出品されたクラフトの数は、昨年よりずいぶん増えました。また、出品してくださった人の数も増えています。さらには、「SNIクラフト倶楽部」という組織が全国的にも結成されつつあります。そして、そのような動きに参加される生長の家信徒の数も増え、それぞれの教区でクラフト製作が行われるようになってきました。 
 
 何でも新しいものを買って、それが古くなれば廃棄し、さらに新しいものを買う。また、自分の手足を使って物事をするよりも、お金を払って誰かに物事を効率的に処理してもらう--というライフスタイルが、地球温暖化や環境破壊の原因になっていることは、皆さんもすでにご存じです。ですから、私たちがプロジェクト型組織を作って推進しようとしている活動--自転車通勤、クラフト製作、食材のオーガニック栽培などは、時代の流れに反する非効率で、苦しい活動だと考える人がいるかもしれません。しかし、実際にPBSの活動をしている皆さんはお分かりと思いますが、これらの活動は、私たちが都会生活の中で忘れていた“自然との一体感”を回復し、私たち一人一人の創造性を高める活動なのであります。 
 
 最後に、谷口清超先生の『創造的人生のために』から、人間が本来もっている創造性を表現することが、私たちの喜びであることを説かれた箇所を朗読いたします-- 
 
「人は何かを作り出すことが好きだ。子供は泥をこねて、色んな動物をこしらえ、家や山を作って遊ぶ。大人になると本物の家を作り、橋を作り、車を作り、芝居や小説を作る人も出て来る。遂には人殺しの犯人をさがし出す名探偵ポワロが作られたりするのである。
 それを読んだり見たりするのは、自分が犯人になりたいからではなく、色々の筋書きを作ったり、想像したりして、楽しみたいからであろう。一般の人々は温かい家庭を作り、よい子供を育てたいと思う。これもまた人々の中に“創造する力”がみちあふれている証拠だ。その“力”を現わしたいと思うのである。そして現わし出す時、限りない喜びが湧き上がる。つまり、“創造的人生”を送ることによって、人々は大いに楽しむことが出来ると言えるであろう。」(同書、pp. 1-2) 
 
 それでは皆さん、谷口清超大聖師が説かれた「物を大切にする心」を深く理解し、その教えにもとづいて自ら手足を動かして実践することで、“創造的人生”をそれぞれの立場で生き、表現の喜びを味わいつつ、光明化運動を新しい段階に引き上げていこうではありませんか。清超先生の八年祭に当たり、所感を申し述べました。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣

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2016年9月22日 (木)

一生とは無限成長の一段階  

 今日は午前10時半から、山梨県北杜市にある生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールで、「生長の家布教功労物故者追悼慰霊祭」が執り行われた。あいにくの小雨模様で、気温も10月半ばぐらいの肌寒さだったが、布教功労者のご遺族を初め、本部職員を含めた参列者は、布教活動に捧げられた功労者の生前の遺徳を偲び、光明化運動のさらなる進展に決意を新たにした。 
 
 私は、奏上の詞を朗読したほか、御祭の最後に概略、以下のような挨拶を述べた-- 
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 皆さん、本日は生長の家の布教功労物故者追悼慰霊祭に大勢お集まりくださり、ありがとうございます。 
 
 この慰霊祭は、生長の家の運動に長年にわたって挺身・致心・献資の誠を捧げてくださった幹部・信徒のうち、ここ1年ほどの間に霊界に旅立っていかれた方々の御霊をお招きして、感謝の誠を捧げるという大切な行事であります。昨年は316柱の御霊様のお名前を呼び、供養させていただきましたが、今年は304柱でした。その中には、私が妻と共に生長の家講習会のために地方へ行ったときに親しく出迎えて下さり、また運動推進に尽力された方々の名前も多く見られ、当時の交流を懐かしく思い出すと共に、残念な想いを禁じ得ないのであります。 
 
 遺族代表として挨拶していただいたのは、元教化部長の有好正光(のぶみつ)さんの奥様でしたが、ご主人の有好さんは、私が生長の家本部に入った当初から、同じ部で数年間、一緒に仕事をさせていただいた方です。コンピューターの知識に詳しく、私にその分野のことをいろいろ教えてくださり、本部の事務合理化に貢献された後は、教化部長として東北地方などの教区の運動の先頭に立って活躍されました。 
 
 ブラジル伝道本部に勤めておられたカチア・メトラン・サイタさんは、伝道本部では数少ない英語を理解する講師で、生長の家の国際教修会など、英語からポルトガル語への通訳や翻訳を行う際には欠くべからざる存在でした。私のスピーチの通訳もして下さったことがあります。 
 
 このほかのすべての御霊さまも、それぞれの地域で、それぞれの個性と優れた能力を発揮されながら、光明化運動に大きく貢献された方々です。心から感謝申し上げるとともに、今後の私たちの運動を霊界から守護していただき、霊界での真理宣布に活躍されることをお願いするものであります。 
 
 私たちは、そこにあることが“当たり前”だと思っていた人・物・事がなくなると、それらの掛け替えのなさ、大切さを、「失う」ということで思い知ることがあります。肉親の死はもちろん、友人や運動の同志の死も、そういう機会の最たるものであります。「失われることによって知る、人の命の大切さ」と言われるものです。また、「死は教化(きょうげ)する」とも言われます。しかし、生長の家では、そういう人々の命は、死によって「失われる」とは考えないのであります。確かに肉体は失われますが、魂は永遠に生き続ける。それも、私たちとは縁も所縁(ゆかり)もない全く別の所へ行ってしまうのではなく、私たちの魂の“近く”で、守護霊として、また助言者として共にあると考えるのです。 
 
 それは鉄道に喩えると、山手線のような環状線と、東海道線や中央線のような一方向に延びる鉄道の違いにも似ています。環状線は、英語ではサイクリック(cyclic)とかサイクリカル(cyclical)と表現され、東海道線や中央線はリニア(linea)と言われますね。その違いは、リニアの鉄道では、人を一端新宿で送り出したら、もう追いかけて行ってもつかまえることができない。しかし、山手線のような環状線であれば、新宿で別れても、少し待っていれば、その電車は再び同じ駅に入ってくるから、また会うことができるかもしれない。そんな違いがあります。 
 
 それはちょうど、季節の変化にも似てますね。今日は秋分の日ですから、秋がやってきています。その前は夏でしたが、私たちは「夏が終る」とは言っても「夏を失う」とは言いません。冬になっても「秋を失った」などとは考えない。なぜなら、また来年、「同じ夏が来る」「同じ秋が来る」と考えるからです。しかしよく考えると、夏はめぐり、秋もめぐってきますが、「同じ夏」「同じ秋」というものは、決してめぐってきません。そのことを私は、東京にいる時は強く感じなかったのです。街に住んでいると、季節を感じるのは、自然との触れ合いからというよりは、人工的な手段によるからです。例えば、デパートや商店の飾り付け、ショウウインドーのマネキンの服装などで感じることが多いのです。街では、ファッションや食品などは“季節の先取り”をする。だから、自然界の変化に先駆けて、人工的な手段によって季節の変化を実際より早く知ることになる。それは学校のグラウンドをぐるぐる回るように、周囲の風景は変わりませんから、いつも同じ季節が来るという感覚になるのだと思われます。 
 
 しかし、森での生活は、自然そのものから感じる季節の変化です。それも、こちらは八ヶ岳の斜面にありますから、季節が南の低地から北の高地へと移動するのがよく分かるのです。また、自然界は常に変化していますから、去年どこにあったサクラの樹が、今年も同じ日に同じ状態で咲いたり、紅葉したりすることはない。微妙に変化しています。キノコにいたっては、去年はある場所でドッサリ獲れたとしても、今年は同じ時期、同じ場所でもまったく姿が見えないなどということは、ざらにあります。 
 
 しかし、全体としては、季節は確実にめぐって来ます。私が何を申し上げたいかというと、霊界にも“親和の法則”が働いていますから、私たちと魂のレベルや霊的な進化の程度の近い人たちは、霊界に移行しても私たちの近辺におられるかもしれない。しかし、顕幽両界は変化するし、私たち自身も霊的に進歩したり退歩したりします。霊界に移られた御霊様も、そこでの修行によってレベルの変化があるかもしれない。そういうようにして、私たちと御霊様との関係は、生前とまったく同じ状態が細部まで続くことはないが、季節がめぐって「ああ、秋が来た」と分かるように、「ああ、ここにあの人がいる」とか「ああ、あの人が教えてくれた」というレベルの経験をもつことはできる、ということです。 
 
 しかし、私たちは霊界に先に行かれた御霊様に感謝し、親愛の情を保つことは素晴らしいことで、ぜひ毎年続けていただきたいが、いつまでも自分の近くにつなぎ止めておこうと執着してはいけません。それは、霊界で飛躍すべき御霊様の魂の成長を邪魔することになるし、自分の魂の成長も止めてしまうかもしれないからです。この肉体をもった世界も、霊界も、魂の成長のため--言い換えれば、神の子の無限内容の表現のためにあるのですから、一箇所や一種類の環境に留まるのでは、その目的は達成しません。そのことを書いた「祈りの言葉」があるので、最後にそれを紹介しましょう。『日々の祈り』に収録された“「終り」は「始まり」であることを知る祈り”の一部を朗読いたします-- 
 
「私はいま神の御心を静かに観ずるに、この現象世界は無限表現の舞台であることを知る。物事は変化しながら繰り返され、繰り返されながら変化していくのである。諸行無常といえども、無常は無秩序ではなく、変化には一定のパターンがあり、そのパターンは繰り返されるのである。一日は、朝で始まり夜に終る。一年は、春夏秋冬を経て12カ月で終る。人間の肉体には誕生があり、成長があり、老衰があり、死がある。物事には始まりがあり、終りがあるといえども、終りはすなわち始まりである。夜のあとに朝があり、冬の後に春があり、死の後に生があり、その継続が繰り返される。この変化と繰り返しの過程で、無限の表現が行われるのである。時間と空間のひろがりの上に有限が展開することで、無限は表現されるのである。 
 
 私はだから、変化を恐れないのである。終りは始まりの揺り篭であり、始まりは一層高度な表現を約束する。失業は新方面への発展を切り拓き、転勤は自己拡大のチャンスである。一つの環境に留まっているのでは“神の子”の表現は出来ない。一つの能力に頼っていては“神の子”の力は発揮できない。一分野の知識だけでは“神の子”の知恵は開発されない。一つの仕事だけでは“神の子”の無限性は表現できない。一回の人生では“神の子”の全相が現れるものではない。しかし私は、“一つ”をおろそかにしないのである。“一つ”は“無限”への階段である。一段を踏み外すものは十段に達することができない。基礎をおろそかにして応用は不可能である。与えられた場で最善を尽くすことで、次なる飛躍が初めて可能となるのである。」(pp. 179-180) 
 
 人の一生は、さらなる飛躍と発展の一段階であるということです。今日、祭祀申上げた御霊様は今生においてベストを尽くし、次の生に旅立っていかれました。私たちも今生でさらに精進を重ね、真理を拡大し、御霊さまの魂の成長に遅れをとらないように、益々世界平和のため光明化運動に邁進したいと考えるものです。 
 
 本日はご参列、誠にありがとうございました。これをもって慰霊祭の挨拶といたします。 
 
 谷口 雅宣

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2016年4月24日 (日)

真理を生活に表そう

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山で「谷口輝子聖姉28年祭」がしめやかに行われた。あいにくの降雨のため、祭場は谷口家奥津城から出龍宮顕斎殿に移され、地元・長崎県の幹部・信徒を中心として約110名が参列し、谷口輝子先生の遺徳を偲び、御教えのさらなる宣布と運動の拡大を心に誓った。私は御祭の最後に概略、以下のような挨拶を行った-- 
 
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 皆さん、本日は「谷口輝子聖姉28年祭」にご参列くださり、ありがとうございます。谷口輝子先生は、ご存命であったならば、今は120歳ぐらいであられるはずですが、残念ならが28年前に昇天されたのであります。一昨年、この年祭にお集まりくださった方は、私が輝子先生が90歳のころに講話の準備のために書かれたメモを紹介して、「先生は信仰と信念の人であった」という話をしたのを憶えておられるかもしれません。その時にはまた、「大地震が来る」という噂に怯える人の相談に、輝子先生がどう答えられたかも紹介しました。 
 
 ご存じのように、今年は4月半ばに熊本と大分を中心とした九州地方には、大地震が起こりました。今回の地震は、最初の大きな揺れから1週間がたっても震度3~4クラスの揺れが続いているので、皆さんも不安の日を過ごされているかもしれませんが、昨年の今日に紹介させていただいた輝子先生のお言葉を、ここでもう一度、ご披露して、皆さんに輝子先生の信仰心の強さを思い出していただきたいのであります-- 
 
「不幸を恐れるより、自分がその日その日をすき間なく、完全に行動するように心懸けること。その日、その日を、怠りなく生活していると、何がやって来ても落ちついて対処して、不幸を招くようなことはない。」 
 
 --こういうお言葉でした。 
 
 常に神想観を怠らず、三正行を通して神の御心をわが心とすることを心がけていれば、大地震が起こっても、慌てずに、落ち着いて適切な対処ができるという教えでした。このように生長の家は、信仰を生活に生かすこと--別の表現をすれば、生活に表れない信仰は本物でないと考えるのであります。 
 
 ところで生長の家は、今年の運動方針から、信仰にもとづく倫理的な生活を実践するために、3つの分野で、全国的な同好会のようなものを作って活動することを始めました。これも「信仰を生活に表す」のが目的です。正式な言葉では「プロジェクト型組織」といいますが、「SNI自転車部」「SNIクラフト倶楽部」「SNIオーガニック菜園部」の3つがあります。また、「自然の恵みフェスタ」を各教区で開催して、これらの同好の仲間が育てた作物や作品を、生長の家の仲間や地域の人々と共有する活動を盛り上げていこうとしています。このような活動は、谷口輝子先生がご存命の時にはまったくなかった、と感じておられる人がいるかもしれません。しかし、輝子先生は、またその時代の大多数の日本人は、「ものを大切にする」ということは、生活信条の一つであったのです。 
 
 だから今のように、“使い捨て”や“ムダ遣い”をできるだけ避け、古いものも修理して大切に使うことは、当たり前の生き方でした。このほど活動を始めたプロジェクト型組織というものは、とりわけ「SNIクラフト倶楽部」では、今日当たり前になっている“使い捨て”や“ムダ遣い”の文化に対してハッキリと「ノー」と言い、何でも簡単に“百均”とかコンビニの店で買うのではなく、できるものは丁寧に自分で作り、それを地域の人々と共有する、という生き方を拡げていくのが目的です。 
 
 この精神は、輝子先生の時代には常識であったのですが、現代の経済至上主義の社会では、顧みられなくなっており、そのために私たちの社会ではムダなものが溢れ、廃棄物が大量に排出され、そして地球温暖化が加速しているのです。 
 
 輝子先生の著書『人生の光と影』(1972年刊)から引用します。「名人芸のこころ」という随筆の一部です-- 
 
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 私の持っている帯の中で、もはや派手になってしめる気にならないが、と言って手放す気にもならない黒地の一本があった。毎年秋の虫干しの日に、その帯は綱にかけて空気にさらされる。私はそれを眺めてなつかしい思い出を家人に語るのであった。 
 
 その帯は、生長の家のマークの図案者、山根八春先生の妹のよしのさんの作になる、柿の葉の刺繍であった。私はその柿の葉の刺繍が大好きであった。否、好きというだけでなく、その帯が私にすがり付いているように感じられるので、我が家の外へは出したくないのであった。 
 
 もはや30年以上も前だったか、私が40歳を出た頃であった。赤坂の生長の家本部で「家庭光明寮」という花嫁学校が創設された。沢山の科目の中の刺繍科の教師として、山根よしのさんに来て貰った。よしのさんは、真面目すぎるほど真面目な人であり、至極謙遜な人柄であった。その作品を誉めたりすると、いつも恐縮して、 
 
 「いいえ、まだまだ勉強中でございます」 
 と恥ずかしそうに頭を下げられるのであった。 
 
 ある日、私のために帯を一本作りたいと申出られたので、私は喜んで承諾した。それは秋もすでに終りに近い頃であった。我家の庭へ来られて、柿の樹の下に行き、持参の紙に写生をしはじめられた。まだ樹に付いている紅葉した葉、虫食いの葉、地に落ちている黄ばんだ葉、大きい葉、小さい葉、さまざまの柿の葉が描かれて行った。 
 
 それから一週間も過ぎたであろうか。よしのさんが訪れて来られた。私の前にひろげられたものは、色とりどりに染められた絹糸であった。 
 
「写生した葉の色に合わせて染めて見ました。これらの色で奥様お気に召しましょうか」 
 と言われるのであった。中年の私にふさわしく、渋く高尚な色ばかりであった。私はその帯の出来上がりを楽しみに待った。 
 
 黒地にさまざまの色と形の柿の葉の縫模様の帯が私の許へやって来た。調った葉の形もよく、欠けた葉の形も面白かった。渋い紅色も美しく、枯れ葉も味があった。私はうれしがって、11月22日の秋の記念日に、訪問着にそれをしめて、夫と二人で全身の写真を撮って貰った。 
 
 私は、私のためにとて、柿の葉を写生し、その色を染め、黒地の帯にそれらの葉を蒔き散らされたよしのさんの厚意を、いつまでも忘れられない。一つの仕事に一心をこめる人は、有合せの物で間に合わせるということはしないものだと知った。 
 
 私の女学生の頃は、日本刺繍の時間が楽しみであった。縋糸(すがいと)を半分に割って、それをまた半分に割って二本の縒糸(よりいと)を作ることが面倒くさいと思った。ちゃんと細く縒った糸があればよいなどとも思った。色糸はもちろん糸屋にあるものを買って来た。よしのさんのように、自分の心にぴったり合った色を、自分の手で染めることなどは思いもつかなかった。私はよしのさんの、仕事に対する真剣な心構えに感動した。こんな先生に教えて貰う光明寮の生徒たちは幸せだと思った。(pp. 228-230) 
 
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 これは本格的な帯の刺繍のことですが、これほど大掛かりでなくても、日常的に使う道具や小物を自分の手で作るということは、多忙な現代人の生活からはほとんどなくなってしまいました。そんな時間はないし、技術を憶えるのは面倒くさいから、百円ショップやコンビニや、デパートで買えばいいじゃないか……というのが、大方の理由でしょう。しかし、簡単に買えるものは、簡単に捨てられます。また、安価なものはぞんざいに扱われます。「ものを大切にする」ということは、輝子先生のエピソードにもあるように、本当は物質を大切にするのではなく、その物を製作してくれた人の気持や愛念、努力や技術を意識して、感謝を忘れないということなのです。 
 
 私たちは日用品のデザインの良し悪しを気にしたり、その機能をよく問題にします。私はそれを否定するつもりは毛頭ありません。しかし、その品物がどんな人々によって、どうやって作られているかは知らないし、知ろうと思ってもよく分からない。素材はどうやって入手され、原材料はどんな国から来ているか……こういうことは、現代のグローバル経済の中ですっかり見えなくなっている。そんな中で、自分が手づくりしたもの、あるいは自分がよく知っている“あの人”が作ってくれたものが幾つかあると、日用品に対する感じ方が違ってくるのではないでしょうか? また、地元の原材料で、地域に貢献しているのかいないのか分かることは重要です。「デザインが古い」「機能が劣っている」という理由だけで廃棄していたものにも、作り手がいて、自分と同様に努力し、心を込めて作ってくれたかもしれない--そういう可能性を意識することは、廃棄物を出さず、ムダ遣いをしない生き方、温暖化を抑制する生き方、さらにはすべての物は、物質ではなく、心の表現であるとの真理を、生活の中に生きることにつながると考えます。 
 
 皆さんもどうか、このような丁寧な、愛溢れる生き方を通して、地域の人々と共に、神・自然・人間の大調和した世界の実現に向けて明るく、生き甲斐をもって進んでください。 
 これをもって、輝子聖姉の28年祭のあいさつと致します。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣

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2015年10月 5日 (月)

「青々舎通信」 (2)

 ナナホシテントウを象ったマグネットは、おかげさまで1カ月ほどで完売となった。現在は、今月の24~25日に“森の中のオフィス”で開催される「自然の恵みフェスタ 2015」に向けて、数種のマグネットを製作中だ。その中の1つに、“オフィス型”と名付けたものがある。この「オフィス」の意味は、“森の中のオフィス”のことである。見学された読者はご存じだが、この建物は、横長の二階建て大型木造住宅を、何棟も山の斜面に沿って一列に並べ、同じく木造の渡り廊下で連結した形をしている。デザイン的な特徴は、その屋根である。屋根はいわゆる“片流れ”の構造で、真南方向に傾斜し、上端部(北側)には太陽熱吸収装置、その下部に南に向かって太陽光発電パネルが敷きつめられている。 
 
Nicooffice  この屋根の特徴を表現するために、“オフィス型”のマグネットは、横長の長方形の上端を右側に引き上げたような形をしている。当初、この独特の屋根の形を表現するために、オフィスの設計図にもとづいて、建物側面の正確なミニチュアを木材で作ってみた。それが右の写真である。 
 
 しかし、これでは直線と鋭角が目立ち、冷たい感じがして面白くないと思った。そこで、特徴的な屋根のとんがりを強調する一方、さらに「柔らかさ」も出そうとして、曲線が出るように材質を粘土に変え、手で型を作って成形した。さらに、ソフトな感じを引き立たせるために、塗装もパステルカラーとし、建物の窓はペンで手描きした。すると、案外柔らかく、かわいらしい感じの形ができあがった。 
 
 

Officemagnets_2

その反面、実際のオフィスの形からかなり変わったので、作品を見てもそれが何か分からに人もいて、「これはマンガの吹き出しですか?」な どと訊かれたこともある。「吹き出し」とは、マンガ中の会話を表現するときに、登場人物の口のあたりから吹き出した四角形の枠のことで、その中に会話の言葉が入る。オフィス型のマグネットを上下逆転させると、その「吹き出し」に似た形になるのである。当初「吹き出し」呼ばわりには戸惑ったが、それだけ愛嬌があるのだろうと解釈し、形を変えずに作っている。 
 
Officedoll  フェスタでのPOP広告のため、妻に頼んで“オフィス型”のぬいぐるみも作ってもらった。 
 
 谷口 雅宣

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2015年9月18日 (金)

「青々舎通信」 (1)

 「青々舎」とは、今から22年前の1993年、冷夏の影響で深刻なコメ不足が起こった時、個人輸入のルートを使って海外産米の入手を手助けした“団体”の名称である。団体とは書いたが、私一人が「代表」という立場で、輸入希望者の注文を海外の輸出業者に取り次いだだけで、団体のメンバーが何人もいたわけではない。そんな“団体”の名前が今、なぜ登場したかというと、今年の2月ごろから、私がクラフト(手工芸品)を製作した際に、完成品に付けるブランド名としてこの名称を採用したからだ。 

 
「青々」は「あおあお」ではなく、「せいせい」と読む。日本語の「青」は通常は「ブルー」を意味するが、古典的には「緑」--とりわけ「草の葉の緑」を意味していて、私が現在居を構える北杜市大泉町の環境を象徴する色と考え、使うことにした。 
 
 生長の家の“森の中のオフィス”には、「こもれび」という名前の小さな売店がある。主として生長の家の書籍類、CDなどを販売するが、職員の有志が製作したクラフトも置いてあり、継続的に買われている。職員の間の需要もあり、またオフィスの見学者が来場して買ってくださる。私も時々ここに手製のマグネットなどを出品している。私がなぜクラフト製作などをしているかという理由については、昨年11月9日や、今年1月22日の本欄にすでに書いたので、詳しいことは省略する。が、簡単に言えば、手を使う“もの作り”は人間のごく自然な営みであり、これによって人間は太古から自然を感じ、自然の中から道具を作り、それを使って厳しい自然環境で生き抜き、かつ自己表現をしてきたからである。 
 
 私が作るものがマグネットである理由は、定かでない。たぶん「手軽だから」という要素が大きい。また、表現の幅が案外ある。私は普段、講演旅行をしたり、原稿を書いたり、会議をしたりで、時間的余裕は少ないから、ちょっと空いた時間を使って作れるものの種類は、自ずから限定される。掌に載る大きさのもので、工程も道具もそれほど複雑でなく、比較的短時間にできる……となると、マグネットは適当なのだろう。昨年秋にオフィスで初めて行われた「自然の恵みフェスタ」に出品して以来、月1回くらいのペースで出品している。 
 
Ladybugs  最近、テントウムシをあしらった円形のマグネットを製作した。(=写真)なぜテントウムシか? テントウムシは、バラなどにつくアブラムシを食べてくれる“益虫”である。また私は、あの赤地に黒の斑点が7つついたナナホシテントウのデザインが好きである。色の組み合わせだけでなく、斑点の数が7つと少ないのがいい。ニジュウヤホシテントウという、斑点が28個もある黄色いテントウムシもいるが、デザインが煩雑すぎて親しみがあまり湧かない。ずいぶん勝手な言い草かもしれないが、好みは理屈ではなかなか説明できない。 
 
 テントウムシは、英語では「ladybird」とか「ladybug」などというエレガントな呼ばれ方をする。その場合、大抵は赤地に黒の斑点がついたナナホシテントウのことを指す。こっちの方が「かわいらしいから」だ、と私は勝手に解釈している。そんなこんなで、私はワイシャツを誂える際には、腕に付けるイニシャルのデザインとしてテントウムシを使うことにしている。その場合、テントウムシのデザインには七星の赤地に黒のものしか用意されていない。ワイシャツメーカーのデザイナーも、私と同じ感覚であるに違いない。  
 
 こう考えるのは、人間の悪いクセかもしれない。人間は、自然界のおびただしい数の生物の中から、自分勝手の好みや嗜好にもとづき、ごく少数の種類を選んで偏愛するのである。これははたして“自然な”感覚なのか、それとも“人工の”感覚なのか……。 
 
 谷口 雅宣

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2015年5月27日 (水)

液状食はいかが?

 私は、4月24日の本欄で、食事についての生長の家の考え方を書き、食事を単に「栄養補給の手段」としてしか考えない現代の風潮と、食生活の乱れを嘆いた。ところが、問題が多いその現代の食事観の“到達地点”のような食事法が、現代文明の最先端を行くアメリカのシリコンバレーの起業家、技術者の間で行われているらしいのだ。それは「食べる」こともできるだけ省略し、代わりに「飲む」ことで代用して時間を生み出し、仕事に没頭する人々のことだ。5月26日の『インターナショナル・ニューヨークタイムズ』が報じていた。 
 
 この記事は、教育関係のベンチャー企業に勤めるアーロン・メロシック(Aaron Melocik)という34歳のプログラマーの生活を取り上げ、次のように描いている-- 
 
 彼は毎晩、約2リットルの水に、大さじ3.5杯のマカデミア・ナッツ油、480ccの袋入りのシュモイレント(Schmoylent)という商品名の粉末サプリ1袋を混ぜ、その液体を2本の広口瓶に入れて冷蔵庫に保管する。翌朝、彼はその2本を会社へ持っていき、1本を会社の冷蔵庫に入れ、他方をデスクに置いて仕事を始める。仕事は朝の6時半から午後3時半までで、最初の瓶は朝食代わり、2本目の瓶は昼食代わりで、1日に約415ccのシュモイレント・ミックスを消費するという。その間、デスクの前でプログラミングの仕事に没頭するのである。
 この液体ミックスのおかげで、彼は午後7時ごろまで、「食べる」ということから自由になる。そういう仕事の仕方が、競争の激しい現代のソフトウエア開発会社では求められているかのように書かれている。 
 
Soylent  ネットで調べてみると、この種の“飲む食事”用の粉末サプリは、シュモイレントのほかにソイレント(Soylent)、シュミルク(Schmilk)、ピープルチョウ(People Chow)などいろいろあるらしい。これらのセールス・ポイントは、安価で、迅速に作れ(水かミルクを混ぜて振るだけ)、そして栄養価は保障されているという点だ。ハイテク企業が集まるサンフランシスコ周辺では、地価が高く、従って食費もかさむ。シリコンバレー近辺のレストランで食事をすると、1人50ドルもする場合もあるらしい。安い店に入ろうとすると、恐らく長い列に並ばねばなるまい。そういう時間が、彼ら“ハイテク戦士”にとってはムダ遣いに感じられるのだろう。 
 
 しかし……と、私は考える。いくら時間の節約といっても、同じ味と食感の液状食を毎日、繰り返し、続けていくことの“コスト”は生じないだろうか? 人間は時間さえあれば、優れた仕事ができるというものではない。豊かな発想や、多面的、多角的応用のアイディアが、単調で変化のない食事から生まれるかどうか、かなり疑問に感じる。が、「食事は栄養補給の手段」だと考えれば、栄養豊か、安価、簡単、の3拍子がそろった液状食は、1つの論理的帰結であるかもしれない。 
 
 もちろん私は、この考え方に反対である。理由はすでに述べた。さらに付け加えて言わせてもらえば、人間は、企業の求める効率の道具ではないからだ。「自分は仕事のロボットである」と考えれば、エネルギーが不足してきたら、それを迅速、安価に、そしてフルに補給すればいいという結論が出るだけだ。 
 
Hobazushi_1  ところで最近、初めて「朴葉寿司」というのをいただいた。岐阜県の信徒の方が青々とした朴葉を恵送くださり、妻が料理本と首っぴきで作ってくれたものだ。写真をここに掲げるが、なんと存在感のある食事だろうと思う。しかも、自然界の恵みばかりで構成されていHobazushi_2 る。それを食べることで、様々な素材の味が個別に味わわれるだけでなく、その組み合わせの妙が体に染み入る。酢絞めの魚、シイタケ、フキ、カンピョウ、サヤエンドウ、錦糸卵などがよく酢飯と調和し、その上に生姜と山椒の香りが漂う……もし液状食の愛用者が近くにいたら、ぜひ味わってもらいたい、と思った。そして、「豊かさ」とは何かを改めて考えてほしい。 
 
 谷口 雅宣

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2014年10月28日 (火)

創造的人生を生きよう)

 秋晴れの今日は午前10時から、山梨県北杜市の生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールで、「谷口清超大聖師六年祭」が行われた。ちょうど同オフィスでは、全国の教区から教化部長などによる重要会議が行われると共に、今年初めての行事として「自然の恵みフェスタ 2014」という文化祭が進行中。青い空を背景に、八ヶ岳南麓の鮮やかな紅葉・黄葉が映える美しい日となった。同六年祭の最後に、私は概略、以下のような挨拶をした--
 
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 皆さん、本日は谷口清超大聖師六年祭にお集まりくださり、ありがとうございます。
 
 谷口清超先生はご生前、雅春大聖師に次いで多くの文章を書かれ、多くの著作を遺しておられますが、私たちの運動に大きく貢献されたことの一つに聖歌の作詞・作曲があるという話を、昨年の今日、皆さまにはお話ししたのであります。今日は、もう一つの芸術的な貢献である「写真」についてお話しいたします。ご存じのように、今年は、生長の家初めての試みとして「自然の恵みに感謝するフェスタ」という文化祭が開かれていますが、その一環として、先生が撮影された写真を展示する催しもあります。「旅のまにまに 谷口清超写真展」と銘打って、この年祭の終了後、ここイベントホールを第1会場として、さらにメディアセンターのアートスタジオを第2会場として開催されます。これは、谷口清超先生が講習会の旅先で撮影された全国各地の風景や、身近な花、自然の風景の写真展です。皆さまには是非、ご覧になっていただき、清超先生の自然を愛するお心をじっくりと味わってください。イベントホールでは24点、アートスタジオでは約30点の合計54点が鑑賞できます。
 
 展示作品のほとんどは、清超先生が生長の家講習会で各地へ行かれた際に撮影したもので、自然と人間の親しい関係を描いているものが多数あります。私も時々写真を撮りますが、先生ほど本格的ではありません。しかし、私の写真の趣味は、清超先生から譲り受けた部分も多くあると感じています。というのは、東京に住まわせていただいた頃--つまり、私がまだ成人する前、先生がご自分で製作された暗室を、私も使わせていただいていた時期があったからです。当時は、主としてモノクロ写真で、その現像と焼き付けの手ほどきも清超先生から教わりました。高校生の頃だったと思います。その後、大学に進むと、友人と一緒に車で撮影旅行に出かけたり、モデルを頼んでポートレートを撮ったりしました。新聞記者をやっていた時には、この時の経験がずいぶん役に立ちました。
 それでは、今回の展示作品のごく一部をご覧に入れながら、清超先生のお心に触れることにいたしましょう。
 
Shibazakura_s_2  この写真は、先生が講習会で北海道の北見へ行かれた際の作品で、1994(平成6)年に出版された『伸びゆく日々の言葉』という単行本の表紙カバーにも使われました。この写真を撮った時、先生は74歳くらいで、翌年から講習会の仕事をもう私に譲って、全国を回ることをやめようと決められていたようです。そのことがこの本の「はしがき」には、次のように書かれています--
 
「カヴァーの写真は、平成5年度の講習会に行ったとき、北見で撮ったものだ。今年の4月から私はもう講習会にも行かなくなるし、写真もこのところ撮らなくなっていたが、どういう訳かこの本のカヴァーに載ることになってから、またぼつぼつ撮り始めた。四の五判のカメラは売ってしまったから、せいぜい六四五判か35ミリ判であろう。今はもう74歳を半年すぎたから、重いものは持ち歩きにくいのだ。人は誰でもやがて年とって、この世を去るが、必ずまた何処かへ生まれてくる。その時にはきっと今の人生でやったことや、読んだことがとても役立つに違いない。善いことをしたら、善い報いがくるし、悪いことをすると悪果がおとずれるのである」。(平成6年3月1日)
Nendokokeshi_s  このように、先生は写真のことを書かれながら、教えを説かれています。先生は、「写真を撮る」という表現活動の中から、教えに関するメッセージも沢山得られてきたに違いなく、それを想像させるような文章も多く遺されています。次の写真は、『創造的人生のために』(平成9年刊)というご本の表紙カバーを飾ったものであります。そして、この本の表紙カバーの裏には、写真の説明が次のようにあります--
 
「カバー写真・著者撮影
 カバー写真の塑像・谷口雅宣氏の中学生時代の作品」
 
 この本が出版された平成9年は、西暦では1996年です。今から18年前ですから、私は40歳ぐらい。すでに中学を卒業してから28年ほどたっているわけです。この間、先生はご自宅にずっと私の昔の作品を保存しておいてくださった。私から見ればどうでもいいようなオソマツな作品ですが、そういう材料を使われていながら、実にほのぼのとした、まるで“親子関係”を彷彿させるような温かい雰囲気の写真に仕上げておられる。私はそう思うのです。いかがでしょうか。谷口清超先生は、このように「すでにあるもの」を大切にして、その中から新しい価値を、新しい美を創造されることに長けておられたと考えます。創造する--ものを作るということは、まったく新しいものを材料にして、従来とはまったく違うものを生み出すのではなく、古いものの中にもともとある良さを、新しい組み合わせによって引き出し、それを新しい美しさや価値にすることである--そんな哲学と生き方を私は、この写真から感じるのであります。
 
 そのことを示すように、この『創造的人生のために』の本の中には、次のような言葉が書かれています--
 
 
「即ち人間は、信ずるから救われるのではなく、もともと完全円満、不死不滅であるから、救われているのである。本来傷つかず、死せず、病まざる実在者、神性・仏性である。それがどの程度わかるかによって、この世やあの世に現われる“影”が変化する。それは丁度、写真をうまくとると美しい風景がうつるが、下手にとると美しくない写真がとれるようなものである。
 写真の上手下手に拘らず、実物の風景そのものは十分美しい。それと同じく、人間の実相は、すでに完全円満である。ただ美しい景色をみて、これを美しい写真に仕上げようと思うならば、上手に撮らなくてはならないように、この現実の人生を立派なものにしたければ、実相人間の完全円満をハッキリと認めることである。するとその姿が現実のこの世やあの世にあらわれてくる。
 しかし“認めた”といっても、すぐ完全には中々現れない。というのは、あなたの心の中に、まだ疑いや認識の甘さが残っているからである。“ためしにやってみよう”とか“まあ金のかかることではないから、認めようか”というような不明瞭さがあると、それだけのボケがあらわれ、現実世界も不透明になる。」(pp.65-66)
 
 ここには、深い真理が説かれていると思うのであります。
 それは、「実物の風景そのものは十分美しい」という言葉と、「実相人間の完全円満をハッキリ認める」というお言葉が併行して書かれている点です。私たち人間は、世界を見るのに、往々にして自分勝手な解釈を優先して、周囲の世界のそのものを見ることなく、自分の見たいもの、聞きたいこと、感じたいことだけを取り出して、心で世界を作り上げるということをします。清超先生はそのことを指して、「実相をハッキリ観よ」とおっしゃているのです。そして「実相を観る」ためには、写真のように「上手に撮らなくてはならない」と教えてくださっています。これは、どういう意味でしょうか?
 
 私たちは写真を撮るとき、目の前の世界のすべてを撮るわけにいきません。だから、カメラのファインダーの“四角い窓”の中に収まる大きさに世界の一部を切り取ることになります。その場合、四角い画面の中の構図をきちんと考えて、その構図に合致するように、必要なものを入れ、余分なものをできるだけ排除するという工夫が必要です。私は、そのことを先生は「上手に撮らなくてはならない」と言っているのだと思います。そうすることで、人間の目には、今迄そこにずーと存在していても見えなかったものが、より鮮明に見えるようになってくるのです。例えば、次の写真を見てください--
 
Treeshadow_s  これは、先生が愛知県に行かれた際のワンショットですが、画面の右上から左下方向に斜めに入ったビルの上端の線が鮮明です。これによって、写真の画面は左右に明確に分けられています。で、左側にはケヤキと思われる高い樹木の枝が写っていて、右側にはその“影”が写っている。樹木の実像とその影とが、画面の左右に明確に対比されている。皆さん、これをご覧になって何かピンときませんか? 実像と影です。そうです、生長の家の教えにある「実相」と「現象」の関係が思い出されます。私は、清超先生はこの写真でそのことを表現されたかったのだと思うのです。それを、写真の中から余計なものをできるだけ排除するという方法で、見事に実現されている。
 
 皆さん、光が当たる所には必ず影が差します。だから、私たちの周りの風景や環境の中に「実像と影」を探そうと思ったら、いたるところにそれはある。とすると、私たちは写真の構図など考えずに、めちゃくちゃに周囲を撮影しても、写真には「実像と影」は写ります。でも、そんなものを見ても、私たちは「美しい」と感じないし、何を撮ったか分からない写真になってしまう。四角い画面の中に、いろんなものが整理されずに雑然と写っている状態では、写真を構成するそれぞれの要素が皆、競い合って、ケンカしてしまう。しかし、この写真にあるように、余分な要素を極限まで削っていくと、実に力強い、明確なメッセージを伝える写真が完成し、それを私たちは「美しい」と感じるのです。これが、先生がおっしゃっている「上手に写真を撮る」ということだと思います。
 
 そして、この方法は人生を美しく生きることにもつながります。神の創造の実相が現れている所に注目し、余計な悪現象は心の中から排除して、世界を見直してみる。これは、日時計主義の生き方そのものです。そのことによって、私たちは美しい、善い人生を創造する。谷口清超先生は、そういう生き方をこの写真を通して、私たちに教えてくださっていると思います。
 
 それでは最後に、この本の「はしがき」から一部引用します。ここのご文章は、私たちが今、このオフィスで行っている「自然の恵みフェスタ」とも大いに関係していると思うからです--
 
「人は何かを作り出すことが好きだ。子供は泥をこねて、色んな動物をこしらえ、家や山を作って遊ぶ。大人になると本物の家を作り、橋を作り、車を作り、芝居や小説を作る人も出て来る。遂には人殺しの犯人をさがし出す名探偵ポワロが作られたりするのである。
 それを読んだり見たりするのは、自分が犯人になりたいからではなく、色々の筋書きを作ったり、想像したりして、楽しみたいからであろう。一般の人々は温かい家庭を作り、よい子供を育てたいと思う。これもまた人々の中に“創造する力”がみちあふれている証拠だ。その“力”を現わしたいと思うのである。そして現わし出す時、限りない喜びが湧き上がる。つまり、“創造的人生”を送ることによって、人々は大いに楽しむことが出来ると言えるであろう。」
 
 この「自然の恵みフェスタ」は、神の創造された自然界の恵みに感謝するのはもちろんですが、私たちの中にある神の創造のエネルギーをしっかりと認め、それを表現することも重要な目的です。昨日は、オフィスの食堂で、音楽祭が行われましたが、私たちが音楽を作り、それを演奏し、作り手も聞き手も楽しむことができるという事実も「自然の恵み」の一つです。また、今回、食品を含めたいろいろな「もの作り」の場も、作品を鑑賞する場も設けられています。フェスタに参加される際はぜひ、谷口清超先生が音楽や写真などの芸術表現を愛されたことを思い出し、正しく、美しい創造を行う喜びを味わい、その生き方を今後の人生に展開していってください。
 
 谷口清超大聖師の六年祭にあたり、所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣
 

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