文化・芸術

2016年10月28日 (金)

“もの作り”で創造的人生を

 今日は午前10時から、山梨県北杜市大泉町の生長の家国際本部“森の中のオフィス”のイベントホールで「谷口清超大聖師八年祭」が執り行われた。私は祭壇に掲げられた谷口清超先生の遺影の前に玉串を奉げ、御祭の最後に概略、次のような挨拶を述べた--
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 皆さん、本日は谷口清超大聖師八年祭にご参列いただき、ありがとうございます。谷口清超先生は、ちょうど8年前のこの日に89歳で昇天されました。 
 
 私は昨年の清超先生の七年祭で、昭和50年5月号の『生長の家』誌から引用して、先生が「物を大切にせよ」と教えられたという話をしました。また先生は、そう教えられただけでなく、ご自身の実際生活の中でも、その通りに生きられました。その教えをわかりやすく説かれた言葉を昨年七年祭で紹介しましたが、今回も繰り返してお伝えしましょう--「物はどんな小さいものでも“神の愛”と“人の真心”のカタマリである」というのが、それです。 
 
 清超先生は、このお考えを写真の中にも表現されているのですが、そういう例を2~3点紹介しましょう: 
 
Yutakanajinsei_m  これは昭和61年(1986)に発行された『豊かな人生を作ろう』という御著書の表紙カバーです。廃車になった車が積み上げられている写真ですが、それを使って「豊かな人生を作ろう」と仰っているのですから、この写真の例は、何でも安易に廃棄してしまう今の社会は本当は「豊かではない」ということを、暗に指摘されているのです。「はしがき」には、こう書いておられます-- 
 
 「さてこの本のカバーの写真は、私が北海道へ行った時、朝港町で撮ったもので、直接豊かさをあらわしたものではなく、古びたポンコツ車の残骸である。いささかのアイロニーをもって、こんなものを使うことにした」 
 
 次の写真は、この御著書の前の年(1985年)に発行された『人は天窓から入る』という本の表紙カバーです。「はしがき」にあるその説明文を読みます-- 
 
Hitowatemmado_m_2 「カバー写真は私宅の2階で、息子の残して行った人形を床の上において写したものである。“天窓から入る”というイメージが出たかどうかは少々疑問だが……」 
 
 補足しますと、この「息子」というのは私のことで、この人形はお腹かどこかを押すと「ギャハハハハ……」と笑い声を出す仕掛けが組み込まれているジョーク・トーイです。先生がこれを撮影された当時は、私は結婚して、東京・世田谷区の駒沢大学の近くに住んでいたのです。不要となったので置いていったジョーク・トーイに目をつけられて、先生はそれを聖典の表紙写真として蘇らせてくださいました。この写真の構図は、ちょうど私たちが天井を見上げると、そこにある天窓からヒゲ面のオジサンが顔を突っ込んで、あいさつしている--そんな感じがします。これは「人間は物質や肉体ではなく、天から降ってきた神の子である」というメッセージをユーモアをもって伝えているのではないでしょうか? 
 
 次の写真は、どこかで一度紹介したことがあると思いますが、平成9年(1997)に発刊された『創造的人生のために』という御著書の表紙カバーです。この本のカバーの袖の裏にSouzoujinsei2 は、こんな短い説明があります-- 
 
 「カバー写真の塑像・谷口雅宣氏の中学生時代の作品」 
 
 向かって左側が私の“作品”で、粘土で作ったハニワの頭を焼いたものです。右側は、プロのこけし職人の作品で、ずっと新しいもので多分、25年くらい後の作品です。古いものと新しいもの、粘土の塑像と木製のこけし、また頭だけのものと全身を表現したものなど、一見異質のものですが、その2つを組み合わせて写真にすると、何とも言えない暖かい人間性と、相互の信頼感を表現するような作品になっています。清超先生が、これを「創造的人生のために」というタイトルの表現に使われているという点も、私たちは学ぶべきことだと思います。「創造とは、古いものを破壊したり、捨て去ることではない」。「新旧の組み合わせで新しい価値が生まれる」「相互のプラス面を引き出せ」……などです。私たちが今、強調している“ムスビの働き”の素晴らしい例が、この一枚の写真にあると考えます。 
 
 このようにして谷口清超先生は、物を単なる物質とは考えずに、「どんな小さいものでも“神の愛”と“人の真心”のカタマリである」と感じて大切に使い、古いものでも新しい環境に活かして使われた。その御心と教えを私たちは今日、運動の中で大いに実践しようとしているのであります。何のことだかお分かりですね? ついこの間、この“森の中のオフィス”では「自然の恵みフェスタ2016」という催しが行われました。その中では、手づくりの工芸品であるクラフトの展示販売が行われました。そこに出品されたクラフトの数は、昨年よりずいぶん増えました。また、出品してくださった人の数も増えています。さらには、「SNIクラフト倶楽部」という組織が全国的にも結成されつつあります。そして、そのような動きに参加される生長の家信徒の数も増え、それぞれの教区でクラフト製作が行われるようになってきました。 
 
 何でも新しいものを買って、それが古くなれば廃棄し、さらに新しいものを買う。また、自分の手足を使って物事をするよりも、お金を払って誰かに物事を効率的に処理してもらう--というライフスタイルが、地球温暖化や環境破壊の原因になっていることは、皆さんもすでにご存じです。ですから、私たちがプロジェクト型組織を作って推進しようとしている活動--自転車通勤、クラフト製作、食材のオーガニック栽培などは、時代の流れに反する非効率で、苦しい活動だと考える人がいるかもしれません。しかし、実際にPBSの活動をしている皆さんはお分かりと思いますが、これらの活動は、私たちが都会生活の中で忘れていた“自然との一体感”を回復し、私たち一人一人の創造性を高める活動なのであります。 
 
 最後に、谷口清超先生の『創造的人生のために』から、人間が本来もっている創造性を表現することが、私たちの喜びであることを説かれた箇所を朗読いたします-- 
 
「人は何かを作り出すことが好きだ。子供は泥をこねて、色んな動物をこしらえ、家や山を作って遊ぶ。大人になると本物の家を作り、橋を作り、車を作り、芝居や小説を作る人も出て来る。遂には人殺しの犯人をさがし出す名探偵ポワロが作られたりするのである。
 それを読んだり見たりするのは、自分が犯人になりたいからではなく、色々の筋書きを作ったり、想像したりして、楽しみたいからであろう。一般の人々は温かい家庭を作り、よい子供を育てたいと思う。これもまた人々の中に“創造する力”がみちあふれている証拠だ。その“力”を現わしたいと思うのである。そして現わし出す時、限りない喜びが湧き上がる。つまり、“創造的人生”を送ることによって、人々は大いに楽しむことが出来ると言えるであろう。」(同書、pp. 1-2) 
 
 それでは皆さん、谷口清超大聖師が説かれた「物を大切にする心」を深く理解し、その教えにもとづいて自ら手足を動かして実践することで、“創造的人生”をそれぞれの立場で生き、表現の喜びを味わいつつ、光明化運動を新しい段階に引き上げていこうではありませんか。清超先生の八年祭に当たり、所感を申し述べました。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣

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2016年9月22日 (木)

一生とは無限成長の一段階  

 今日は午前10時半から、山梨県北杜市にある生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールで、「生長の家布教功労物故者追悼慰霊祭」が執り行われた。あいにくの小雨模様で、気温も10月半ばぐらいの肌寒さだったが、布教功労者のご遺族を初め、本部職員を含めた参列者は、布教活動に捧げられた功労者の生前の遺徳を偲び、光明化運動のさらなる進展に決意を新たにした。 
 
 私は、奏上の詞を朗読したほか、御祭の最後に概略、以下のような挨拶を述べた-- 
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 皆さん、本日は生長の家の布教功労物故者追悼慰霊祭に大勢お集まりくださり、ありがとうございます。 
 
 この慰霊祭は、生長の家の運動に長年にわたって挺身・致心・献資の誠を捧げてくださった幹部・信徒のうち、ここ1年ほどの間に霊界に旅立っていかれた方々の御霊をお招きして、感謝の誠を捧げるという大切な行事であります。昨年は316柱の御霊様のお名前を呼び、供養させていただきましたが、今年は304柱でした。その中には、私が妻と共に生長の家講習会のために地方へ行ったときに親しく出迎えて下さり、また運動推進に尽力された方々の名前も多く見られ、当時の交流を懐かしく思い出すと共に、残念な想いを禁じ得ないのであります。 
 
 遺族代表として挨拶していただいたのは、元教化部長の有好正光(のぶみつ)さんの奥様でしたが、ご主人の有好さんは、私が生長の家本部に入った当初から、同じ部で数年間、一緒に仕事をさせていただいた方です。コンピューターの知識に詳しく、私にその分野のことをいろいろ教えてくださり、本部の事務合理化に貢献された後は、教化部長として東北地方などの教区の運動の先頭に立って活躍されました。 
 
 ブラジル伝道本部に勤めておられたカチア・メトラン・サイタさんは、伝道本部では数少ない英語を理解する講師で、生長の家の国際教修会など、英語からポルトガル語への通訳や翻訳を行う際には欠くべからざる存在でした。私のスピーチの通訳もして下さったことがあります。 
 
 このほかのすべての御霊さまも、それぞれの地域で、それぞれの個性と優れた能力を発揮されながら、光明化運動に大きく貢献された方々です。心から感謝申し上げるとともに、今後の私たちの運動を霊界から守護していただき、霊界での真理宣布に活躍されることをお願いするものであります。 
 
 私たちは、そこにあることが“当たり前”だと思っていた人・物・事がなくなると、それらの掛け替えのなさ、大切さを、「失う」ということで思い知ることがあります。肉親の死はもちろん、友人や運動の同志の死も、そういう機会の最たるものであります。「失われることによって知る、人の命の大切さ」と言われるものです。また、「死は教化(きょうげ)する」とも言われます。しかし、生長の家では、そういう人々の命は、死によって「失われる」とは考えないのであります。確かに肉体は失われますが、魂は永遠に生き続ける。それも、私たちとは縁も所縁(ゆかり)もない全く別の所へ行ってしまうのではなく、私たちの魂の“近く”で、守護霊として、また助言者として共にあると考えるのです。 
 
 それは鉄道に喩えると、山手線のような環状線と、東海道線や中央線のような一方向に延びる鉄道の違いにも似ています。環状線は、英語ではサイクリック(cyclic)とかサイクリカル(cyclical)と表現され、東海道線や中央線はリニア(linea)と言われますね。その違いは、リニアの鉄道では、人を一端新宿で送り出したら、もう追いかけて行ってもつかまえることができない。しかし、山手線のような環状線であれば、新宿で別れても、少し待っていれば、その電車は再び同じ駅に入ってくるから、また会うことができるかもしれない。そんな違いがあります。 
 
 それはちょうど、季節の変化にも似てますね。今日は秋分の日ですから、秋がやってきています。その前は夏でしたが、私たちは「夏が終る」とは言っても「夏を失う」とは言いません。冬になっても「秋を失った」などとは考えない。なぜなら、また来年、「同じ夏が来る」「同じ秋が来る」と考えるからです。しかしよく考えると、夏はめぐり、秋もめぐってきますが、「同じ夏」「同じ秋」というものは、決してめぐってきません。そのことを私は、東京にいる時は強く感じなかったのです。街に住んでいると、季節を感じるのは、自然との触れ合いからというよりは、人工的な手段によるからです。例えば、デパートや商店の飾り付け、ショウウインドーのマネキンの服装などで感じることが多いのです。街では、ファッションや食品などは“季節の先取り”をする。だから、自然界の変化に先駆けて、人工的な手段によって季節の変化を実際より早く知ることになる。それは学校のグラウンドをぐるぐる回るように、周囲の風景は変わりませんから、いつも同じ季節が来るという感覚になるのだと思われます。 
 
 しかし、森での生活は、自然そのものから感じる季節の変化です。それも、こちらは八ヶ岳の斜面にありますから、季節が南の低地から北の高地へと移動するのがよく分かるのです。また、自然界は常に変化していますから、去年どこにあったサクラの樹が、今年も同じ日に同じ状態で咲いたり、紅葉したりすることはない。微妙に変化しています。キノコにいたっては、去年はある場所でドッサリ獲れたとしても、今年は同じ時期、同じ場所でもまったく姿が見えないなどということは、ざらにあります。 
 
 しかし、全体としては、季節は確実にめぐって来ます。私が何を申し上げたいかというと、霊界にも“親和の法則”が働いていますから、私たちと魂のレベルや霊的な進化の程度の近い人たちは、霊界に移行しても私たちの近辺におられるかもしれない。しかし、顕幽両界は変化するし、私たち自身も霊的に進歩したり退歩したりします。霊界に移られた御霊様も、そこでの修行によってレベルの変化があるかもしれない。そういうようにして、私たちと御霊様との関係は、生前とまったく同じ状態が細部まで続くことはないが、季節がめぐって「ああ、秋が来た」と分かるように、「ああ、ここにあの人がいる」とか「ああ、あの人が教えてくれた」というレベルの経験をもつことはできる、ということです。 
 
 しかし、私たちは霊界に先に行かれた御霊様に感謝し、親愛の情を保つことは素晴らしいことで、ぜひ毎年続けていただきたいが、いつまでも自分の近くにつなぎ止めておこうと執着してはいけません。それは、霊界で飛躍すべき御霊様の魂の成長を邪魔することになるし、自分の魂の成長も止めてしまうかもしれないからです。この肉体をもった世界も、霊界も、魂の成長のため--言い換えれば、神の子の無限内容の表現のためにあるのですから、一箇所や一種類の環境に留まるのでは、その目的は達成しません。そのことを書いた「祈りの言葉」があるので、最後にそれを紹介しましょう。『日々の祈り』に収録された“「終り」は「始まり」であることを知る祈り”の一部を朗読いたします-- 
 
「私はいま神の御心を静かに観ずるに、この現象世界は無限表現の舞台であることを知る。物事は変化しながら繰り返され、繰り返されながら変化していくのである。諸行無常といえども、無常は無秩序ではなく、変化には一定のパターンがあり、そのパターンは繰り返されるのである。一日は、朝で始まり夜に終る。一年は、春夏秋冬を経て12カ月で終る。人間の肉体には誕生があり、成長があり、老衰があり、死がある。物事には始まりがあり、終りがあるといえども、終りはすなわち始まりである。夜のあとに朝があり、冬の後に春があり、死の後に生があり、その継続が繰り返される。この変化と繰り返しの過程で、無限の表現が行われるのである。時間と空間のひろがりの上に有限が展開することで、無限は表現されるのである。 
 
 私はだから、変化を恐れないのである。終りは始まりの揺り篭であり、始まりは一層高度な表現を約束する。失業は新方面への発展を切り拓き、転勤は自己拡大のチャンスである。一つの環境に留まっているのでは“神の子”の表現は出来ない。一つの能力に頼っていては“神の子”の力は発揮できない。一分野の知識だけでは“神の子”の知恵は開発されない。一つの仕事だけでは“神の子”の無限性は表現できない。一回の人生では“神の子”の全相が現れるものではない。しかし私は、“一つ”をおろそかにしないのである。“一つ”は“無限”への階段である。一段を踏み外すものは十段に達することができない。基礎をおろそかにして応用は不可能である。与えられた場で最善を尽くすことで、次なる飛躍が初めて可能となるのである。」(pp. 179-180) 
 
 人の一生は、さらなる飛躍と発展の一段階であるということです。今日、祭祀申上げた御霊様は今生においてベストを尽くし、次の生に旅立っていかれました。私たちも今生でさらに精進を重ね、真理を拡大し、御霊さまの魂の成長に遅れをとらないように、益々世界平和のため光明化運動に邁進したいと考えるものです。 
 
 本日はご参列、誠にありがとうございました。これをもって慰霊祭の挨拶といたします。 
 
 谷口 雅宣

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2016年4月24日 (日)

真理を生活に表そう

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山で「谷口輝子聖姉28年祭」がしめやかに行われた。あいにくの降雨のため、祭場は谷口家奥津城から出龍宮顕斎殿に移され、地元・長崎県の幹部・信徒を中心として約110名が参列し、谷口輝子先生の遺徳を偲び、御教えのさらなる宣布と運動の拡大を心に誓った。私は御祭の最後に概略、以下のような挨拶を行った-- 
 
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 皆さん、本日は「谷口輝子聖姉28年祭」にご参列くださり、ありがとうございます。谷口輝子先生は、ご存命であったならば、今は120歳ぐらいであられるはずですが、残念ならが28年前に昇天されたのであります。一昨年、この年祭にお集まりくださった方は、私が輝子先生が90歳のころに講話の準備のために書かれたメモを紹介して、「先生は信仰と信念の人であった」という話をしたのを憶えておられるかもしれません。その時にはまた、「大地震が来る」という噂に怯える人の相談に、輝子先生がどう答えられたかも紹介しました。 
 
 ご存じのように、今年は4月半ばに熊本と大分を中心とした九州地方には、大地震が起こりました。今回の地震は、最初の大きな揺れから1週間がたっても震度3~4クラスの揺れが続いているので、皆さんも不安の日を過ごされているかもしれませんが、昨年の今日に紹介させていただいた輝子先生のお言葉を、ここでもう一度、ご披露して、皆さんに輝子先生の信仰心の強さを思い出していただきたいのであります-- 
 
「不幸を恐れるより、自分がその日その日をすき間なく、完全に行動するように心懸けること。その日、その日を、怠りなく生活していると、何がやって来ても落ちついて対処して、不幸を招くようなことはない。」 
 
 --こういうお言葉でした。 
 
 常に神想観を怠らず、三正行を通して神の御心をわが心とすることを心がけていれば、大地震が起こっても、慌てずに、落ち着いて適切な対処ができるという教えでした。このように生長の家は、信仰を生活に生かすこと--別の表現をすれば、生活に表れない信仰は本物でないと考えるのであります。 
 
 ところで生長の家は、今年の運動方針から、信仰にもとづく倫理的な生活を実践するために、3つの分野で、全国的な同好会のようなものを作って活動することを始めました。これも「信仰を生活に表す」のが目的です。正式な言葉では「プロジェクト型組織」といいますが、「SNI自転車部」「SNIクラフト倶楽部」「SNIオーガニック菜園部」の3つがあります。また、「自然の恵みフェスタ」を各教区で開催して、これらの同好の仲間が育てた作物や作品を、生長の家の仲間や地域の人々と共有する活動を盛り上げていこうとしています。このような活動は、谷口輝子先生がご存命の時にはまったくなかった、と感じておられる人がいるかもしれません。しかし、輝子先生は、またその時代の大多数の日本人は、「ものを大切にする」ということは、生活信条の一つであったのです。 
 
 だから今のように、“使い捨て”や“ムダ遣い”をできるだけ避け、古いものも修理して大切に使うことは、当たり前の生き方でした。このほど活動を始めたプロジェクト型組織というものは、とりわけ「SNIクラフト倶楽部」では、今日当たり前になっている“使い捨て”や“ムダ遣い”の文化に対してハッキリと「ノー」と言い、何でも簡単に“百均”とかコンビニの店で買うのではなく、できるものは丁寧に自分で作り、それを地域の人々と共有する、という生き方を拡げていくのが目的です。 
 
 この精神は、輝子先生の時代には常識であったのですが、現代の経済至上主義の社会では、顧みられなくなっており、そのために私たちの社会ではムダなものが溢れ、廃棄物が大量に排出され、そして地球温暖化が加速しているのです。 
 
 輝子先生の著書『人生の光と影』(1972年刊)から引用します。「名人芸のこころ」という随筆の一部です-- 
 
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 私の持っている帯の中で、もはや派手になってしめる気にならないが、と言って手放す気にもならない黒地の一本があった。毎年秋の虫干しの日に、その帯は綱にかけて空気にさらされる。私はそれを眺めてなつかしい思い出を家人に語るのであった。 
 
 その帯は、生長の家のマークの図案者、山根八春先生の妹のよしのさんの作になる、柿の葉の刺繍であった。私はその柿の葉の刺繍が大好きであった。否、好きというだけでなく、その帯が私にすがり付いているように感じられるので、我が家の外へは出したくないのであった。 
 
 もはや30年以上も前だったか、私が40歳を出た頃であった。赤坂の生長の家本部で「家庭光明寮」という花嫁学校が創設された。沢山の科目の中の刺繍科の教師として、山根よしのさんに来て貰った。よしのさんは、真面目すぎるほど真面目な人であり、至極謙遜な人柄であった。その作品を誉めたりすると、いつも恐縮して、 
 
 「いいえ、まだまだ勉強中でございます」 
 と恥ずかしそうに頭を下げられるのであった。 
 
 ある日、私のために帯を一本作りたいと申出られたので、私は喜んで承諾した。それは秋もすでに終りに近い頃であった。我家の庭へ来られて、柿の樹の下に行き、持参の紙に写生をしはじめられた。まだ樹に付いている紅葉した葉、虫食いの葉、地に落ちている黄ばんだ葉、大きい葉、小さい葉、さまざまの柿の葉が描かれて行った。 
 
 それから一週間も過ぎたであろうか。よしのさんが訪れて来られた。私の前にひろげられたものは、色とりどりに染められた絹糸であった。 
 
「写生した葉の色に合わせて染めて見ました。これらの色で奥様お気に召しましょうか」 
 と言われるのであった。中年の私にふさわしく、渋く高尚な色ばかりであった。私はその帯の出来上がりを楽しみに待った。 
 
 黒地にさまざまの色と形の柿の葉の縫模様の帯が私の許へやって来た。調った葉の形もよく、欠けた葉の形も面白かった。渋い紅色も美しく、枯れ葉も味があった。私はうれしがって、11月22日の秋の記念日に、訪問着にそれをしめて、夫と二人で全身の写真を撮って貰った。 
 
 私は、私のためにとて、柿の葉を写生し、その色を染め、黒地の帯にそれらの葉を蒔き散らされたよしのさんの厚意を、いつまでも忘れられない。一つの仕事に一心をこめる人は、有合せの物で間に合わせるということはしないものだと知った。 
 
 私の女学生の頃は、日本刺繍の時間が楽しみであった。縋糸(すがいと)を半分に割って、それをまた半分に割って二本の縒糸(よりいと)を作ることが面倒くさいと思った。ちゃんと細く縒った糸があればよいなどとも思った。色糸はもちろん糸屋にあるものを買って来た。よしのさんのように、自分の心にぴったり合った色を、自分の手で染めることなどは思いもつかなかった。私はよしのさんの、仕事に対する真剣な心構えに感動した。こんな先生に教えて貰う光明寮の生徒たちは幸せだと思った。(pp. 228-230) 
 
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 これは本格的な帯の刺繍のことですが、これほど大掛かりでなくても、日常的に使う道具や小物を自分の手で作るということは、多忙な現代人の生活からはほとんどなくなってしまいました。そんな時間はないし、技術を憶えるのは面倒くさいから、百円ショップやコンビニや、デパートで買えばいいじゃないか……というのが、大方の理由でしょう。しかし、簡単に買えるものは、簡単に捨てられます。また、安価なものはぞんざいに扱われます。「ものを大切にする」ということは、輝子先生のエピソードにもあるように、本当は物質を大切にするのではなく、その物を製作してくれた人の気持や愛念、努力や技術を意識して、感謝を忘れないということなのです。 
 
 私たちは日用品のデザインの良し悪しを気にしたり、その機能をよく問題にします。私はそれを否定するつもりは毛頭ありません。しかし、その品物がどんな人々によって、どうやって作られているかは知らないし、知ろうと思ってもよく分からない。素材はどうやって入手され、原材料はどんな国から来ているか……こういうことは、現代のグローバル経済の中ですっかり見えなくなっている。そんな中で、自分が手づくりしたもの、あるいは自分がよく知っている“あの人”が作ってくれたものが幾つかあると、日用品に対する感じ方が違ってくるのではないでしょうか? また、地元の原材料で、地域に貢献しているのかいないのか分かることは重要です。「デザインが古い」「機能が劣っている」という理由だけで廃棄していたものにも、作り手がいて、自分と同様に努力し、心を込めて作ってくれたかもしれない--そういう可能性を意識することは、廃棄物を出さず、ムダ遣いをしない生き方、温暖化を抑制する生き方、さらにはすべての物は、物質ではなく、心の表現であるとの真理を、生活の中に生きることにつながると考えます。 
 
 皆さんもどうか、このような丁寧な、愛溢れる生き方を通して、地域の人々と共に、神・自然・人間の大調和した世界の実現に向けて明るく、生き甲斐をもって進んでください。 
 これをもって、輝子聖姉の28年祭のあいさつと致します。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣

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2015年10月 5日 (月)

「青々舎通信」 (2)

 ナナホシテントウを象ったマグネットは、おかげさまで1カ月ほどで完売となった。現在は、今月の24~25日に“森の中のオフィス”で開催される「自然の恵みフェスタ 2015」に向けて、数種のマグネットを製作中だ。その中の1つに、“オフィス型”と名付けたものがある。この「オフィス」の意味は、“森の中のオフィス”のことである。見学された読者はご存じだが、この建物は、横長の二階建て大型木造住宅を、何棟も山の斜面に沿って一列に並べ、同じく木造の渡り廊下で連結した形をしている。デザイン的な特徴は、その屋根である。屋根はいわゆる“片流れ”の構造で、真南方向に傾斜し、上端部(北側)には太陽熱吸収装置、その下部に南に向かって太陽光発電パネルが敷きつめられている。 
 
Nicooffice  この屋根の特徴を表現するために、“オフィス型”のマグネットは、横長の長方形の上端を右側に引き上げたような形をしている。当初、この独特の屋根の形を表現するために、オフィスの設計図にもとづいて、建物側面の正確なミニチュアを木材で作ってみた。それが右の写真である。 
 
 しかし、これでは直線と鋭角が目立ち、冷たい感じがして面白くないと思った。そこで、特徴的な屋根のとんがりを強調する一方、さらに「柔らかさ」も出そうとして、曲線が出るように材質を粘土に変え、手で型を作って成形した。さらに、ソフトな感じを引き立たせるために、塗装もパステルカラーとし、建物の窓はペンで手描きした。すると、案外柔らかく、かわいらしい感じの形ができあがった。 
 
 

Officemagnets_2

その反面、実際のオフィスの形からかなり変わったので、作品を見てもそれが何か分からに人もいて、「これはマンガの吹き出しですか?」な どと訊かれたこともある。「吹き出し」とは、マンガ中の会話を表現するときに、登場人物の口のあたりから吹き出した四角形の枠のことで、その中に会話の言葉が入る。オフィス型のマグネットを上下逆転させると、その「吹き出し」に似た形になるのである。当初「吹き出し」呼ばわりには戸惑ったが、それだけ愛嬌があるのだろうと解釈し、形を変えずに作っている。 
 
Officedoll  フェスタでのPOP広告のため、妻に頼んで“オフィス型”のぬいぐるみも作ってもらった。 
 
 谷口 雅宣

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2015年9月18日 (金)

「青々舎通信」 (1)

 「青々舎」とは、今から22年前の1993年、冷夏の影響で深刻なコメ不足が起こった時、個人輸入のルートを使って海外産米の入手を手助けした“団体”の名称である。団体とは書いたが、私一人が「代表」という立場で、輸入希望者の注文を海外の輸出業者に取り次いだだけで、団体のメンバーが何人もいたわけではない。そんな“団体”の名前が今、なぜ登場したかというと、今年の2月ごろから、私がクラフト(手工芸品)を製作した際に、完成品に付けるブランド名としてこの名称を採用したからだ。 

 
「青々」は「あおあお」ではなく、「せいせい」と読む。日本語の「青」は通常は「ブルー」を意味するが、古典的には「緑」--とりわけ「草の葉の緑」を意味していて、私が現在居を構える北杜市大泉町の環境を象徴する色と考え、使うことにした。 
 
 生長の家の“森の中のオフィス”には、「こもれび」という名前の小さな売店がある。主として生長の家の書籍類、CDなどを販売するが、職員の有志が製作したクラフトも置いてあり、継続的に買われている。職員の間の需要もあり、またオフィスの見学者が来場して買ってくださる。私も時々ここに手製のマグネットなどを出品している。私がなぜクラフト製作などをしているかという理由については、昨年11月9日や、今年1月22日の本欄にすでに書いたので、詳しいことは省略する。が、簡単に言えば、手を使う“もの作り”は人間のごく自然な営みであり、これによって人間は太古から自然を感じ、自然の中から道具を作り、それを使って厳しい自然環境で生き抜き、かつ自己表現をしてきたからである。 
 
 私が作るものがマグネットである理由は、定かでない。たぶん「手軽だから」という要素が大きい。また、表現の幅が案外ある。私は普段、講演旅行をしたり、原稿を書いたり、会議をしたりで、時間的余裕は少ないから、ちょっと空いた時間を使って作れるものの種類は、自ずから限定される。掌に載る大きさのもので、工程も道具もそれほど複雑でなく、比較的短時間にできる……となると、マグネットは適当なのだろう。昨年秋にオフィスで初めて行われた「自然の恵みフェスタ」に出品して以来、月1回くらいのペースで出品している。 
 
Ladybugs  最近、テントウムシをあしらった円形のマグネットを製作した。(=写真)なぜテントウムシか? テントウムシは、バラなどにつくアブラムシを食べてくれる“益虫”である。また私は、あの赤地に黒の斑点が7つついたナナホシテントウのデザインが好きである。色の組み合わせだけでなく、斑点の数が7つと少ないのがいい。ニジュウヤホシテントウという、斑点が28個もある黄色いテントウムシもいるが、デザインが煩雑すぎて親しみがあまり湧かない。ずいぶん勝手な言い草かもしれないが、好みは理屈ではなかなか説明できない。 
 
 テントウムシは、英語では「ladybird」とか「ladybug」などというエレガントな呼ばれ方をする。その場合、大抵は赤地に黒の斑点がついたナナホシテントウのことを指す。こっちの方が「かわいらしいから」だ、と私は勝手に解釈している。そんなこんなで、私はワイシャツを誂える際には、腕に付けるイニシャルのデザインとしてテントウムシを使うことにしている。その場合、テントウムシのデザインには七星の赤地に黒のものしか用意されていない。ワイシャツメーカーのデザイナーも、私と同じ感覚であるに違いない。  
 
 こう考えるのは、人間の悪いクセかもしれない。人間は、自然界のおびただしい数の生物の中から、自分勝手の好みや嗜好にもとづき、ごく少数の種類を選んで偏愛するのである。これははたして“自然な”感覚なのか、それとも“人工の”感覚なのか……。 
 
 谷口 雅宣

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2015年5月27日 (水)

液状食はいかが?

 私は、4月24日の本欄で、食事についての生長の家の考え方を書き、食事を単に「栄養補給の手段」としてしか考えない現代の風潮と、食生活の乱れを嘆いた。ところが、問題が多いその現代の食事観の“到達地点”のような食事法が、現代文明の最先端を行くアメリカのシリコンバレーの起業家、技術者の間で行われているらしいのだ。それは「食べる」こともできるだけ省略し、代わりに「飲む」ことで代用して時間を生み出し、仕事に没頭する人々のことだ。5月26日の『インターナショナル・ニューヨークタイムズ』が報じていた。 
 
 この記事は、教育関係のベンチャー企業に勤めるアーロン・メロシック(Aaron Melocik)という34歳のプログラマーの生活を取り上げ、次のように描いている-- 
 
 彼は毎晩、約2リットルの水に、大さじ3.5杯のマカデミア・ナッツ油、480ccの袋入りのシュモイレント(Schmoylent)という商品名の粉末サプリ1袋を混ぜ、その液体を2本の広口瓶に入れて冷蔵庫に保管する。翌朝、彼はその2本を会社へ持っていき、1本を会社の冷蔵庫に入れ、他方をデスクに置いて仕事を始める。仕事は朝の6時半から午後3時半までで、最初の瓶は朝食代わり、2本目の瓶は昼食代わりで、1日に約415ccのシュモイレント・ミックスを消費するという。その間、デスクの前でプログラミングの仕事に没頭するのである。
 この液体ミックスのおかげで、彼は午後7時ごろまで、「食べる」ということから自由になる。そういう仕事の仕方が、競争の激しい現代のソフトウエア開発会社では求められているかのように書かれている。 
 
Soylent  ネットで調べてみると、この種の“飲む食事”用の粉末サプリは、シュモイレントのほかにソイレント(Soylent)、シュミルク(Schmilk)、ピープルチョウ(People Chow)などいろいろあるらしい。これらのセールス・ポイントは、安価で、迅速に作れ(水かミルクを混ぜて振るだけ)、そして栄養価は保障されているという点だ。ハイテク企業が集まるサンフランシスコ周辺では、地価が高く、従って食費もかさむ。シリコンバレー近辺のレストランで食事をすると、1人50ドルもする場合もあるらしい。安い店に入ろうとすると、恐らく長い列に並ばねばなるまい。そういう時間が、彼ら“ハイテク戦士”にとってはムダ遣いに感じられるのだろう。 
 
 しかし……と、私は考える。いくら時間の節約といっても、同じ味と食感の液状食を毎日、繰り返し、続けていくことの“コスト”は生じないだろうか? 人間は時間さえあれば、優れた仕事ができるというものではない。豊かな発想や、多面的、多角的応用のアイディアが、単調で変化のない食事から生まれるかどうか、かなり疑問に感じる。が、「食事は栄養補給の手段」だと考えれば、栄養豊か、安価、簡単、の3拍子がそろった液状食は、1つの論理的帰結であるかもしれない。 
 
 もちろん私は、この考え方に反対である。理由はすでに述べた。さらに付け加えて言わせてもらえば、人間は、企業の求める効率の道具ではないからだ。「自分は仕事のロボットである」と考えれば、エネルギーが不足してきたら、それを迅速、安価に、そしてフルに補給すればいいという結論が出るだけだ。 
 
Hobazushi_1  ところで最近、初めて「朴葉寿司」というのをいただいた。岐阜県の信徒の方が青々とした朴葉を恵送くださり、妻が料理本と首っぴきで作ってくれたものだ。写真をここに掲げるが、なんと存在感のある食事だろうと思う。しかも、自然界の恵みばかりで構成されていHobazushi_2 る。それを食べることで、様々な素材の味が個別に味わわれるだけでなく、その組み合わせの妙が体に染み入る。酢絞めの魚、シイタケ、フキ、カンピョウ、サヤエンドウ、錦糸卵などがよく酢飯と調和し、その上に生姜と山椒の香りが漂う……もし液状食の愛用者が近くにいたら、ぜひ味わってもらいたい、と思った。そして、「豊かさ」とは何かを改めて考えてほしい。 
 
 谷口 雅宣

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2014年10月28日 (火)

創造的人生を生きよう)

 秋晴れの今日は午前10時から、山梨県北杜市の生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールで、「谷口清超大聖師六年祭」が行われた。ちょうど同オフィスでは、全国の教区から教化部長などによる重要会議が行われると共に、今年初めての行事として「自然の恵みフェスタ 2014」という文化祭が進行中。青い空を背景に、八ヶ岳南麓の鮮やかな紅葉・黄葉が映える美しい日となった。同六年祭の最後に、私は概略、以下のような挨拶をした--
 
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 皆さん、本日は谷口清超大聖師六年祭にお集まりくださり、ありがとうございます。
 
 谷口清超先生はご生前、雅春大聖師に次いで多くの文章を書かれ、多くの著作を遺しておられますが、私たちの運動に大きく貢献されたことの一つに聖歌の作詞・作曲があるという話を、昨年の今日、皆さまにはお話ししたのであります。今日は、もう一つの芸術的な貢献である「写真」についてお話しいたします。ご存じのように、今年は、生長の家初めての試みとして「自然の恵みに感謝するフェスタ」という文化祭が開かれていますが、その一環として、先生が撮影された写真を展示する催しもあります。「旅のまにまに 谷口清超写真展」と銘打って、この年祭の終了後、ここイベントホールを第1会場として、さらにメディアセンターのアートスタジオを第2会場として開催されます。これは、谷口清超先生が講習会の旅先で撮影された全国各地の風景や、身近な花、自然の風景の写真展です。皆さまには是非、ご覧になっていただき、清超先生の自然を愛するお心をじっくりと味わってください。イベントホールでは24点、アートスタジオでは約30点の合計54点が鑑賞できます。
 
 展示作品のほとんどは、清超先生が生長の家講習会で各地へ行かれた際に撮影したもので、自然と人間の親しい関係を描いているものが多数あります。私も時々写真を撮りますが、先生ほど本格的ではありません。しかし、私の写真の趣味は、清超先生から譲り受けた部分も多くあると感じています。というのは、東京に住まわせていただいた頃--つまり、私がまだ成人する前、先生がご自分で製作された暗室を、私も使わせていただいていた時期があったからです。当時は、主としてモノクロ写真で、その現像と焼き付けの手ほどきも清超先生から教わりました。高校生の頃だったと思います。その後、大学に進むと、友人と一緒に車で撮影旅行に出かけたり、モデルを頼んでポートレートを撮ったりしました。新聞記者をやっていた時には、この時の経験がずいぶん役に立ちました。
 それでは、今回の展示作品のごく一部をご覧に入れながら、清超先生のお心に触れることにいたしましょう。
 
Shibazakura_s_2  この写真は、先生が講習会で北海道の北見へ行かれた際の作品で、1994(平成6)年に出版された『伸びゆく日々の言葉』という単行本の表紙カバーにも使われました。この写真を撮った時、先生は74歳くらいで、翌年から講習会の仕事をもう私に譲って、全国を回ることをやめようと決められていたようです。そのことがこの本の「はしがき」には、次のように書かれています--
 
「カヴァーの写真は、平成5年度の講習会に行ったとき、北見で撮ったものだ。今年の4月から私はもう講習会にも行かなくなるし、写真もこのところ撮らなくなっていたが、どういう訳かこの本のカヴァーに載ることになってから、またぼつぼつ撮り始めた。四の五判のカメラは売ってしまったから、せいぜい六四五判か35ミリ判であろう。今はもう74歳を半年すぎたから、重いものは持ち歩きにくいのだ。人は誰でもやがて年とって、この世を去るが、必ずまた何処かへ生まれてくる。その時にはきっと今の人生でやったことや、読んだことがとても役立つに違いない。善いことをしたら、善い報いがくるし、悪いことをすると悪果がおとずれるのである」。(平成6年3月1日)
Nendokokeshi_s  このように、先生は写真のことを書かれながら、教えを説かれています。先生は、「写真を撮る」という表現活動の中から、教えに関するメッセージも沢山得られてきたに違いなく、それを想像させるような文章も多く遺されています。次の写真は、『創造的人生のために』(平成9年刊)というご本の表紙カバーを飾ったものであります。そして、この本の表紙カバーの裏には、写真の説明が次のようにあります--
 
「カバー写真・著者撮影
 カバー写真の塑像・谷口雅宣氏の中学生時代の作品」
 
 この本が出版された平成9年は、西暦では1996年です。今から18年前ですから、私は40歳ぐらい。すでに中学を卒業してから28年ほどたっているわけです。この間、先生はご自宅にずっと私の昔の作品を保存しておいてくださった。私から見ればどうでもいいようなオソマツな作品ですが、そういう材料を使われていながら、実にほのぼのとした、まるで“親子関係”を彷彿させるような温かい雰囲気の写真に仕上げておられる。私はそう思うのです。いかがでしょうか。谷口清超先生は、このように「すでにあるもの」を大切にして、その中から新しい価値を、新しい美を創造されることに長けておられたと考えます。創造する--ものを作るということは、まったく新しいものを材料にして、従来とはまったく違うものを生み出すのではなく、古いものの中にもともとある良さを、新しい組み合わせによって引き出し、それを新しい美しさや価値にすることである--そんな哲学と生き方を私は、この写真から感じるのであります。
 
 そのことを示すように、この『創造的人生のために』の本の中には、次のような言葉が書かれています--
 
 
「即ち人間は、信ずるから救われるのではなく、もともと完全円満、不死不滅であるから、救われているのである。本来傷つかず、死せず、病まざる実在者、神性・仏性である。それがどの程度わかるかによって、この世やあの世に現われる“影”が変化する。それは丁度、写真をうまくとると美しい風景がうつるが、下手にとると美しくない写真がとれるようなものである。
 写真の上手下手に拘らず、実物の風景そのものは十分美しい。それと同じく、人間の実相は、すでに完全円満である。ただ美しい景色をみて、これを美しい写真に仕上げようと思うならば、上手に撮らなくてはならないように、この現実の人生を立派なものにしたければ、実相人間の完全円満をハッキリと認めることである。するとその姿が現実のこの世やあの世にあらわれてくる。
 しかし“認めた”といっても、すぐ完全には中々現れない。というのは、あなたの心の中に、まだ疑いや認識の甘さが残っているからである。“ためしにやってみよう”とか“まあ金のかかることではないから、認めようか”というような不明瞭さがあると、それだけのボケがあらわれ、現実世界も不透明になる。」(pp.65-66)
 
 ここには、深い真理が説かれていると思うのであります。
 それは、「実物の風景そのものは十分美しい」という言葉と、「実相人間の完全円満をハッキリ認める」というお言葉が併行して書かれている点です。私たち人間は、世界を見るのに、往々にして自分勝手な解釈を優先して、周囲の世界のそのものを見ることなく、自分の見たいもの、聞きたいこと、感じたいことだけを取り出して、心で世界を作り上げるということをします。清超先生はそのことを指して、「実相をハッキリ観よ」とおっしゃているのです。そして「実相を観る」ためには、写真のように「上手に撮らなくてはならない」と教えてくださっています。これは、どういう意味でしょうか?
 
 私たちは写真を撮るとき、目の前の世界のすべてを撮るわけにいきません。だから、カメラのファインダーの“四角い窓”の中に収まる大きさに世界の一部を切り取ることになります。その場合、四角い画面の中の構図をきちんと考えて、その構図に合致するように、必要なものを入れ、余分なものをできるだけ排除するという工夫が必要です。私は、そのことを先生は「上手に撮らなくてはならない」と言っているのだと思います。そうすることで、人間の目には、今迄そこにずーと存在していても見えなかったものが、より鮮明に見えるようになってくるのです。例えば、次の写真を見てください--
 
Treeshadow_s  これは、先生が愛知県に行かれた際のワンショットですが、画面の右上から左下方向に斜めに入ったビルの上端の線が鮮明です。これによって、写真の画面は左右に明確に分けられています。で、左側にはケヤキと思われる高い樹木の枝が写っていて、右側にはその“影”が写っている。樹木の実像とその影とが、画面の左右に明確に対比されている。皆さん、これをご覧になって何かピンときませんか? 実像と影です。そうです、生長の家の教えにある「実相」と「現象」の関係が思い出されます。私は、清超先生はこの写真でそのことを表現されたかったのだと思うのです。それを、写真の中から余計なものをできるだけ排除するという方法で、見事に実現されている。
 
 皆さん、光が当たる所には必ず影が差します。だから、私たちの周りの風景や環境の中に「実像と影」を探そうと思ったら、いたるところにそれはある。とすると、私たちは写真の構図など考えずに、めちゃくちゃに周囲を撮影しても、写真には「実像と影」は写ります。でも、そんなものを見ても、私たちは「美しい」と感じないし、何を撮ったか分からない写真になってしまう。四角い画面の中に、いろんなものが整理されずに雑然と写っている状態では、写真を構成するそれぞれの要素が皆、競い合って、ケンカしてしまう。しかし、この写真にあるように、余分な要素を極限まで削っていくと、実に力強い、明確なメッセージを伝える写真が完成し、それを私たちは「美しい」と感じるのです。これが、先生がおっしゃっている「上手に写真を撮る」ということだと思います。
 
 そして、この方法は人生を美しく生きることにもつながります。神の創造の実相が現れている所に注目し、余計な悪現象は心の中から排除して、世界を見直してみる。これは、日時計主義の生き方そのものです。そのことによって、私たちは美しい、善い人生を創造する。谷口清超先生は、そういう生き方をこの写真を通して、私たちに教えてくださっていると思います。
 
 それでは最後に、この本の「はしがき」から一部引用します。ここのご文章は、私たちが今、このオフィスで行っている「自然の恵みフェスタ」とも大いに関係していると思うからです--
 
「人は何かを作り出すことが好きだ。子供は泥をこねて、色んな動物をこしらえ、家や山を作って遊ぶ。大人になると本物の家を作り、橋を作り、車を作り、芝居や小説を作る人も出て来る。遂には人殺しの犯人をさがし出す名探偵ポワロが作られたりするのである。
 それを読んだり見たりするのは、自分が犯人になりたいからではなく、色々の筋書きを作ったり、想像したりして、楽しみたいからであろう。一般の人々は温かい家庭を作り、よい子供を育てたいと思う。これもまた人々の中に“創造する力”がみちあふれている証拠だ。その“力”を現わしたいと思うのである。そして現わし出す時、限りない喜びが湧き上がる。つまり、“創造的人生”を送ることによって、人々は大いに楽しむことが出来ると言えるであろう。」
 
 この「自然の恵みフェスタ」は、神の創造された自然界の恵みに感謝するのはもちろんですが、私たちの中にある神の創造のエネルギーをしっかりと認め、それを表現することも重要な目的です。昨日は、オフィスの食堂で、音楽祭が行われましたが、私たちが音楽を作り、それを演奏し、作り手も聞き手も楽しむことができるという事実も「自然の恵み」の一つです。また、今回、食品を含めたいろいろな「もの作り」の場も、作品を鑑賞する場も設けられています。フェスタに参加される際はぜひ、谷口清超先生が音楽や写真などの芸術表現を愛されたことを思い出し、正しく、美しい創造を行う喜びを味わい、その生き方を今後の人生に展開していってください。
 
 谷口清超大聖師の六年祭にあたり、所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣
 

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2014年5月19日 (月)

地域通貨「ニコ」について

 山梨県北杜市の生長の家の“森の中のオフィス”では、このほど「地域通貨」なるものをNicoes 導入することになった。これは地域的に限定して、普通のお金に換算しにくい価値を相互に交換する仕組みのことで、それらの価値をきちんと認めることにより、職員やその家族間の助け合いと交流とを強化し拡大していく目的もある。地域通貨の名称は「ニコ(Nico) 」といい、ニコニコ顔の太陽がデザインされた木製のコイン(=写真)を使う。
 
 私たちは人から親切をしてもらった時、うれしくなってニッコリ笑う。その笑顔を見て、親切した側も喜びを感じる。ここでは、「どうもありがとう」「どういたしまして」という双方の気持が「笑顔」を介して交流する。笑顔には、このように人と人を結ぶ働きがある。そんな笑顔の価値は、金銭には代えがたい。 この笑顔がもつ“ムスビ”の役割を心に留め、それを別の人にも伝えかつ実践し、さらに社会に拡大していくことは、日時計主義の実践でもある。そういう活動の一助として、まず“森の中のオフィス”の関係者の間でこの地域通貨を使おうということになった。
 
「通貨」というと何か固いイメージがあり、また、人の好意を金銭に換算するようなニュアンスが感じられるかもしれない。しかし、今回の「ニコ」の目的はそうではない。人の愛念や感謝などの無形の価値を、目に見える有形物(木製のコイン )に一時的に置き換え、それを別の人との交流の場でも使うことで、愛念や感謝を拡大していこうというのである。
 
 愛念や感謝は、もちろんそんな小道具を使わなくても広げることはできるかもしれない。だが、人間は無形のものを忘れやすい。人の名前でも、ソラで憶えるのは簡単でない。社会で名刺交換をしたり、年賀状をやりとりするのも、この人間の記憶力の悪さを補う意味もある。私たちは、名刺や年賀状が来た人の方を、そうでない人よりも記憶に留めるだろう。名刺や年賀状の場合、その人が自分とどういう関係だったかを思い出すのは、いわゆる「肩書き」を通してである。どこの会社の、どこの学校の、どこの団体の、どんな立場の人だったか……そういう肩書きは言わば“左脳的”な社会関係である。これに対して、その人との心情的--右脳的な--つながりについては、肩書きは必ずしも思い出させてくれない。
 
 そんなとき、自分のポケットや引出しにニコニコ顔の太陽を象ったコインが入っていたら、「あっ、そうだ」と思い出しやすくはないだろうか 。「あの時、あの人にあんなことをしてあげたら、あんなに喜んでもらい、お礼にもらったコインがこれだ」。そう思い出せば、人と人とのそんなムスビの時をまた持ちたいという願いが生まれるだろう。こうして愛念と感謝の輪が拡がっていけばいい--このような意図のもとに、今回の地域通貨「ニコ」が生まれた。私はそう理解している。
 
 では、この「ニコ」は、いったいどんな時に使われるのだろう?
 
 これは当面、職員やその家族間の「サービス」に対して使うことになっている。その理由の1つは、都会の生活に比べ、オフィスのある“森の中”の生活は、いろいろな意味で“不便”だからだ。私たちはもちろん、その“不便さ”を承知のうえで“森の中”へ来た。だが、不便さを解決するのに、都会とは別の方法をとりたいと思う。都会では、下水を掘り、電線を張り、アンテナを設置し、コンビニを建て、夜間営業をし、ATMを増やすことで、不便解消を図っている。が、このインフラの維持のためにエネルギーと資源を大量に使い、ムダを生み出している。また、これらのコスト回収のために、すべてのサービスを金銭に換算して、利用者から取る仕組みになっている。これにより、物事をするのに都会は確かに“便利”になった。が、その代償として、サービスにはすべて値段がつき、権利と義務の関係に変わってしまったから、サービスを受けても感謝がなく、金によって愛を要求する傾向も生まれている。そして、人間同士の愛念と感謝の交換の場は、著しく少なくなってしまった。私たちは、愛念と感謝を基本とした当たり前の人間交流の場を、この「ニコ」を通じて拡げていきたいと思う。
 
 というわけで、「ニコ」が使われるであろうサービスの例を、以下に挙げてみよう--
 
 車での送り迎え(幼稚園、学校、病院など)
 車のタイヤ・チェーンの着脱
 車のタイヤ交換
 自転車のパンク修理
 薪割り、薪運び
 留守中の鉢植えの水やり
 雪かき
 草取り
 野菜作り
 自転車や工具の貸し借り
 写真撮影の指導
 絵の描き方指導
 ドライフラワーの作り方
 外国語会話
 ソバ打ち指導
 魚のおろし方指導
 インターネットの使い方
 ………
 
 このほかにもいろいろなことが考えられるから、実際に何が起こるか楽しみである。
 
 地域通貨の利用は、様々な地域や団体ですでに行われている。が、生長の家の地域通貨には、経済的な目的だけでは不十分であり、やはり宗教や信仰的な要素が加味されていなければならない。このため、「ニコ」の施行に当たって、私たちは「ニコを奉納する」という考え方を採用した。ニコニコ顔のコインは、数多く愛のサービスを提供した人の手もとに多く集まってくる。だから、その人には、集まった「ニコ」を使って多くのサービスを受ける機会が生まれるはずだ。が、人間というものは、愛の行為に必ずしも対価を求めない。人に愛を与える行為そのものによって満足する場合も多いだろう。そんな人には、神前にニコを奉納するという選択肢があってもいいし、その方がむしろ生き甲斐を感じる人もいると思うのである。
 
「ニコ」はもちろん、どんどん使うことにも意味がある。それは、仏教で托鉢が重視されているのと同じ理由だ。人に対して慈悲の心を起こさせ、それを実践させることは、その人の仏性を開顕する一助となるからだ。このように考えれば、どこか冷たい響きを感じさせる「地域通貨」というものも、使い方によっては、暖かい愛情表現と神性開発の道具とすることは可能と思うのである。
 
 谷口 雅宣
 

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2013年11月17日 (日)

食事と祈り (2)

 前回、本テーマで書いたことは、「食べる」ということが古来、洋の東西を問わず、宗教と密接な関係にあったということだった。聖書の記述以外にも、このことを証明する興味ある事実をもう一つ掲げよう。それは、私たちが毎日使っている「漢字」が教える事実である。
 
 漢字は、よく知られているように、中国で生まれた象形文字である。象形文字の原形は絵文字で、ものの形をまねた記号を複数の人間が共有することで、相互の情報の記録と伝達を行ったのが始まりだ。人類が最初に文字を使ったとされているのは、紀元前6000~1000年にかけての古代メソポタミアだ。その南部地域に住んでいたシュメール人の粘土板である「ウルク書板」には、当地の神殿を中心とした宗教共同体には、パン屋が18人、ビール職人が31人、鍛冶屋1人、奴隷7人がいたことが、楔形文字(せっけいもじ)で書き込まれていた。楔形文字とは象形文字の一種で、葦の茎を三角や釘の形に切り落とし、その切り口を粘土板に押しつけて書いたものだ。初期の楔形文字は、物の形を単純化した絵文字に似たものだったが、やがて物の形に対応することをやめ、記号としての汎用性をもつことになり、概念や観念も表すようになった。
 
 漢字の起源はよく分かっていないが、紀元前1500年ぐらいの甲骨文字まで遡ることができる。これは亀甲や獣骨に刻まれた絵画的な文字だが、その形態は物の形そのものから離れてかなり慣習化された線条文字であることから、この時代よりかなり前から使われていたことが推定される。古代シュメールの楔形文字との関連を指摘する説もある。
 
Shimesuhens  というわけで、象形文字の歴史を概観したが、それを前提に私たちが今使っている漢字の中で、祭祀に関わるものを思い出してみると、食事との関係が明らかになる。もっと具体的に言えば、「示偏(しめすへん)」のついた漢字のことだ。「神」「祀」「祠」「祖」「社」に加えて、「示」を文字の下部に置いた「祭」などを考えてみると、いずれも宗教と関係していることが分かる。そもそも宗教の「宗」の中にも「示」の字が入っている。では、「示」の原意は何であったかを調べてみる。すると、「象形、神を祭る台の形。転じて、神の意。また、牲(いけにえ)を供えておくところから、しめすの意」(三省堂『新明解漢和辞典』第2版、1981年)とある。つまり、神に供物を献げる台の形から「示」が生まれ、さらにこの字の意味が転じて「神」を意味することになった、というのである。そして、「示」で表される台の上には食材が置かれ、宗教行事の後には人々がそれを食べた。だから、古代中国においては、食事は宗教の儀式と一体のものだったことが、漢字の成り立ちを見ればよく分かるのである。
 
 宗教の「宗」の字の原意については、私は2010年3月30日のブログ「小閑雑感」の中で白川静氏の『字統』による説明を紹介しているから、興味のある読者はそちらを参照してほしい。

 谷口 雅宣

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2013年10月28日 (月)

困難な環境は飛躍のチャンス

 今日は晴天下、午前10時半から、山梨県北杜市大泉町の生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールに於いて、谷口清超大聖師五年祭が行われた。私は御祭の最後に概略、以下のような挨拶を行った:
 
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 皆さん、本日は谷口清超大聖五年祭にお集まりくださいまして、ありがとうございます。

 清超先生がご昇天されてからすでに5年がたったのでありますが、それが私にはとても短く感じられるのです。この1年の間には本部の移転を初めとして、公私ともに大きな変化があったからだと思います。同様の立場にある皆さまも、きっと同じような感想をもたれているのではないでしょうか。
 
 1年前の四年祭のときに、私は清超先生の追悼グラフ『真・善・美を生きて』の中から、ご著書『限りなく美しい』の「はしがき」を引用し、「自然界は真・善・美を兼ね備えている」という先生のメッセージをお伝えしましたが、そのことは今、皆さんが東京・原宿からこの“森の中のオフィス”へ仕事場を移し、八ヶ岳の大自然に触れながら約1カ月たった今日、しみじみと感じていられることではないでしょうか。しかし今日は、その自然界のことではなく、人間のことについてお話ししたいと思うのです。
 
 先ほどは清超先生が作詞・作曲された『永遠に』という聖歌を私たちは歌いましたが、この聖歌は昭和59年、清超先生が65歳のときに作られた作品です。先ほどの追悼グラフに先生が作られた聖歌の一覧が表として載っていますが、それによりますと、先生が作曲を始められたのは昭和55年ごろ、61歳ごろといいます。これを見て、私は改めて先生の偉大さを感じているのであります。というのは、私が今、61歳だからです。私は音楽は嫌いではありませんが、これから楽器を練習して、作詞・作曲までしようというような“情熱”はない。まあ、人には得手不得手があって、万人が音楽を得意とするわけではありません。しかし、何事かを達成したいという情熱は、人によって強弱があり、清超先生はそういう意味では、とても強烈な意志と情熱をもって生きられた方だと感じるのです。しかし、その強い意志と情熱は敢えて表面には出さず、内に秘められていた。そのことは、追悼グラフの中で、先生に電子オルガンを教えておられた渋谷かおりさんの談話の中に、よく表れています--
 
「先生は60歳になってから音楽教室に通われ、電子オルガンを弾かれていたのですが、講師として私がお付き合いさせて頂いていた頃、オルガンのボタンを押すとき突き指をされたとかで指を痛められ、平成3年12月に、一度教室をやめられたんです。でも、1カ月ぐらいして、“やっぱり、レッスンに行かないととっても寂しい”と、戻って来て下さいました。そのときもう70歳を過ぎておられ、“オルガンは両手両足を使って大変”と言われ、ピアノに転向されました。そのとき購入されてずっと愛用された小型のグランドピアノで、その後の聖歌を作られたようです」。(p. 70)

 70歳をすぎれば人間は骨が弱くなり、突き指などをすれば、若い頃とは違う痛さや不都合さがあるに違いありません。が、それを克服された。また、老化が進めば、両手両脚を同時に使って音楽を演奏するのが困難になるのは当然ですが、それで音楽演奏を諦めてしまわずに、オルガンをピアノに乗り換えてでも、演奏を続け、さらに作曲も続けていく--そういう情熱には、ただただ感嘆するほかはない。因みに、先生がピアノを始められてから作られた歌は、「悦びの歌」「無限を讃える歌」「浄まりて」「日の輝くように」「あなたは何処に」「かみをたたえて」「人生の旅路」「水と森の歌」の8曲で、最後の歌の作詞・作曲は81歳のときでした。このような活動が、言わば“本業”である宗教家としての活動とは別にできるということは、先生が「神の子」としての深い自覚と信仰をもたれ、その本質を表現するのに喜びを感じていられた証拠である、と私は思うのであります。
 
 最後に、先生御自身が「表現すること」について言われている言葉を紹介しましょう。これも、同じ追悼グラフに掲載されているものです--
 
「人間と同じで、楽器にも寿命がありますが、よい材料で上手に作ってあると、とても長持ちします。それに使う人が大切に使い、よく弾き込むと、すばらしい音を出し、寿命も長持ちするといわれています。
 これは人でも物でも同じことですね。だからあなたも力一杯の力を出して生活しないとだめです。人間はもともと“神の子”ですから、その材料は間違いなくよいのです。ただあとは、よく弾き込むかどうか、つまりよく勉強したり、仕事をするかどうかです。ノホホンと懶けていたり、サボったりしていては絶対駄目だということです」。(p.64)

 私たちも、東京から北杜市へ引っ越して、新しい環境の中でまだ当惑している状態かもしれませんが、新しい環境からは必ず新しい創造が、新しい表現が生まれるものです。たといこれまで得意としていたものが利用できなくても、また困難な状況が現れても、新しい知識や技術を学び、マスターし、生活や運動に生かすことはできます。そういうチャンスが今、目の前にあるのですから、皆さまも清超先生の信仰と情熱を“鏡”としつつ、大いに学び、練習し、個人として一層伸びることはもちろん、その可能性を生かすことで光明化運動の新たな飛躍への原動力となっていただくことを念願いたします。
 
 それでは、これをもって清超大聖師五年祭の挨拶といたします。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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