文化・芸術

2020年11月20日 (金)

居住地の自然と文化を顕彰する

 今日は午前10時から、山梨県北杜市にある生長の家国際本部“森の中のオフィス”を中心に、インターネットを介した行事「生長の家代表者ネットフォーラム2020」の同時交流会が開催された。この行事は、昨年までは「生長の家代表者会議」という名前で行われていたもの。ここでは、日本全国はもちろん、韓国や台湾、ブラジル、アメリカ、ヨーロッパなどで活躍している生長の家の信徒代表が一堂に集まり、来年度以降の私たちの宗教運動の基本を定めた運動方策(運動方針)について議論し、理解を深めるためのものだった。ところが、今年は新型コロナウイルスによる感染症の世界的蔓延で、人の移動や大勢の集会ができないために、インターネットを使って映像と音声を世界に配信する形式に変更したのだった。運動方策をめぐる議論や質疑応答は、この日までにネット上で行われてきた“逐次交流会”で大方がすんでいたから、今日は生長の家参議長によるまとめと挨拶、信徒代表による決意発表に続き、私のスピーチなどで会は終わった。

 私は概略、以下のような話をした--

 皆さま本日は、今回初めて行われる「生長の家代表者ネットフォーラム2020」の同時交流会にご参加くださり、ありがとうございます。

 すでにご案内しているように、またすでに多くの参加者の方が積極的な発言をしてくださっているように、今回の同時交流会は、これまでネット上で進められてきた“逐次交流会”を受けて行われています。この逐次交流会では、去る10月23日の「生長の家拡大参議会」で決定された来年度の運動方針の内容について、活発な質疑応答が行われてきました。

 私もその一部を拝見させていただきましたが、その中では、日本国内の教区レベルでの組織を変える“枠組み”というものが注目されていました。これは、白鳩会と相愛会の教区の副会長の一人を、「PBS担当」という新しい業務に専属させるという方策でした。この方策は、階層型の従来組織の重要な一員を、階層のないPBSに専属させるという画期的なものです。生長の家の運動の目的は変わらないので、この新しい「PBS担当」の副会長さんの目的も変わりません。しかし、そのやり方が根本的に変わってくるので、当初は混乱があるかもしれませんが、ぜひ成功させたいと考えています。

 このほか、新しい方策の中では「講師教育」との関連で「講話ビデオ」の製作に関する質問もありました。それは、ネットを介して講話を聴くのに、リアルタイムで講話を流す方式ではなく、録画したビデオを使う理由は何かという質問でした。これについては、だいたい3つの理由があります:

① 講話の質の向上、
② 講話の複数回の利用、
③ 講話の広範囲の利用、です。

 優れた講話は真理宣布の有効な手段ですから、それを多く生み出し、あらゆる機会に大勢の人に聞いてもらい、広く日本全国、さらには海外の人々にも利用してもらう――そういう構想に基づいているものです。
 
 しかし、今日はこの「講話ビデオ」のことではなく、自然遺産、文化遺産の顕彰について少しお話ししたいのであります。「顕彰」という意味は、「世間にあらわすこと。世間にあらわれること」です。運動方針書は、直接この「顕彰」という言葉を使っていませんが、同じ意味のことが表現されています。お持ちの方は、5ページの真ん中から下にかけて、<“新しい文明”構築のためのライフスタイルの拡大と地球社会への貢献>という項の「2021年度の新たな取り組み」の第4項目をご覧ください。(4)と書いてあるところを読みます--

「(4) 幹部・信徒は、居住する地域の自然や文化遺産の豊かさを改めて見直し、固有の自然の恵みと、その自然と調和した文化的伝統に感謝し、所属教区の教化部のサイト等に掲載し、自然と人間との深い関わりを提示する。」

 このように書いてあります。
 このことが、<“新しい文明”構築のためのライフスタイルの拡大と地球社会への貢献>の項に入っているということは、この「固有の自然の恵みと、その自然と調和した文化的伝統に感謝する」ことが、私たちの「自然と調和する」ライフスタイルの拡大と、地球社会への貢献になるという判断があるわけです。この意味をお分かりでしょうか? 居住する地域の自然と文化遺産を見直し、それらに感謝することは、それらを無視したり、破壊することではないですね。これは誰でも分かります。しかし、「見直したり感謝する」とは、具体的に何をすることなのでしょうか? 

 私は、この項目に関連して、11月12日にフェイスブックの「生長の家総裁」というページに、「柿と馬頭観音」という題の動画を登録しました。すでにご覧になった方は多いと思います。長さが12分弱の短い動画なので、多くのことは語れなかったのですが、昨今のグローバリゼーションの影で見えなくなりつつある2つのことを表現する試みでした。その第1は、「柿」という植物と、特にその果実が、私たち日本人にとって実利的にも感情的にも、多くの価値をもたらしてきたという事実です。そして2番目は、 「馬頭観音」という文化遺産が、宗教的な価値があるだけでなく、日本人の生活の中に占めてきた「馬」という動物の重要性を示していることを伝えたかったのです。

 柿は、食品としては、海外からくる砂糖や人口甘味料、バナナやパイナップル、マンゴーなどの輸入果物に押され、染料や塗料としては、石油製品に取って代わられつつあります。私たちは、刺激の強いもの、手軽で手っ取り早いもの、華やかなものに惹かれます。これを言い換えると、私たちは感覚的な「刺激の強さと効率性/即効性」に魅力を感じるのです。この2つを価値あるものとして追究することで、現代の物質文明が築き上げられてきたと言っても過言ではありません。ということは、この2つの側面で劣るものは、本当は価値があっても、現代人の目からは見逃されがちであり、しだいに忘れ去られることになります。そういう観点から「柿」を考えてみると、バナナやパイナップル、マンゴーなど南洋からの輸入果物は、柿に比べて香りや甘味が強く、成長が速く、今のグローバルな貿易環境においては、入手することも簡単です。バナナを置いていないコンビニはなくても、柿をコンビニで買うことは不可能でなくても、簡単ではありません。

 馬と自動車の比較についても、同様のことが言えるのではないでしょうか? つまり、この双方は交通手段、運搬手段として見た場合、自動車は馬より刺激が強く、手っ取り早く、華やかです。違いますか? その意味は、馬よりも自動車の方が人間の自由になるから、高速で、いろいろな所へ行けるだけでなく、荷物の積み下ろしも楽です。また、自動車の販売店は馬の販売所よりもはるかに数が多いし、カーステレオやDVDプレイヤー、コンピューターなどを積んでいるから刺激が多く、華やかです。また、「効率性/即効性」の観点から比べても、自動車の維持管理は、生き物である馬の世話に比べて簡単ではないでしょうか? 今では技術の発達により、スマホを使って家の中から自動車のエンジンをかけたり、ライトを点けたりできるようです。

 このように考えてくると、私たちが今の時代に直面している資源の枯渇、エネルギー問題、地球温暖化などの諸問題の多くは、私たちの“内部”にその原因があるということに気がつきます。その原因とは、「感覚的な刺激の強さと効率性/即効性に魅力を感じる」ということです。このことは、人間は罪が深いということでしょうか? あるいは、人間には基本的な欠陥があるということでしょうか? 私はそうは思いません。なぜなら、生長の家では「人間は神の子である」と説いているのですから……。では、どう考えたらいいのでしょうか? 私はこう考えます。ここには、人間の“迷い”があるからだと。

 『大自然讃歌』の一節を読みます。この一節は、私たち人間がもつ「個の意識」の意義について、天の使いが説いている箇所(p.35-)です--

 天の童子さらに反問すーー 
 「師よ、神の愛・仏の四無量心は
 個の意識と相容れぬに非ざるや」。
 天使説き給う--
 個の意識の目的は
 自らの意(こころ)をよく識(し)ることなり。
 自らの“神の子”たる本性に気づくことなり。
 多くの人々
 自ら本心を欺き、
 他者の告ぐるままに
 自ら欲し、
 自ら動き、
 自ら倦怠す。
 自らを正しく知らぬ者
 即ち「吾は肉体なり」と信ずる者は、
 肉体相互に分離して合一せざると想い、
 利害対立と孤立を恐れ、
 付和雷同して心定まらず、
 定まらぬ心を他者に映して
 自らの責任を回避せん。
 されど自らの意をよく識る者は、
 自己の内に神の声を聴き、
 神に於いて“他者”なきこと知るがゆえに、
 自己の如く他者も想わんと思いはかることを得。
 即ち彼は、
 神に於いて自と他との合一を意識せん。

 ここには、自分の本心を忘れているために、コマーシャリズムに振り回されて、本当は自分が欲していない商品や、欲していないサービスを追い求める現代人の姿が描かれています。このような私たちの行動は、“迷い”の結果なのです。その迷いの原因は何かといえば、ここではそれは「自らを正しく知らない」こと、「自分は肉体だ」と信じているからである、と説いています。私たちは、自分が一個の肉体であると信じると、この小さな肉塊のままでは根本的に何かが欠落していると感じます。すると、いろいろな物やサービスを外から付け加えることで、その心の欠乏感を取り去ろうとします。こういう心理状態にある人は、コマーシャリズムに踊らされやすい。自分の中にしっかりとした判断基準がないので、他人や企業の判断基準を無批判に受け入れ、コマーシャルが「これがいい」「これが流行だ」「これが進歩だ」と言うものを得ることが、人生の目的だという錯覚に陥るのです。別の言い方でこれを表現すると、「感覚的な刺激の強さと効率性/即効性に魅力を感じる」ということになります。

 私は最近、妻と一緒に『鬼滅の刃』(きめつのやいば)というアニメ作品を見る機会がありました。私は若いころは漫画が好きだったのですが、大人になってからはアニメと言えば宮崎駿(はやお)さんの作品以外はほとんど見ることがなかったです。しかし今回、この作品が日本で異常なブームになっていると聞いたので、一体どんなに素晴らしい作品かと思ってネット上で見たのであります。そのきっかけは、ニュース報道です。日本のある神社で頒布されているお守りが、ネット上ではそのお守りの頒布金の何倍もの値段で売られているというのです。生長の家総本山でもお守りは頒布されていますが、それがネットオークションで高値で売れるなどという話は聞いたことがないので、よほど素晴らしいお守りなのだろうと思いました。が、事実は、お守りは普通のものでした。普通でないのは、そのお守りや神社とは直接関係がない『鬼滅の刃』の人気なのです。

 このアニメの主人公は「竈門炭治郎」(かまどたんじろう)というのですが、その苗字の「竈門」という言葉が使われている神社が全国にいくつかあるのですが、そこをアニメファンが“聖地”として訪れるブームが起こっているのです。で、「竈門」がついたお守りを持っていると、このアニメの主人公のように、鬼を上回るようなパワーがもてるとか、そういうパワーに自分が守ってもらえるとか……そんな話が作られ、それを信じる人々がどんどん増えているようなのです。ウィキペディアの描写によると、このアニメは最初は漫画の単行本として16巻まで出版されましたが、2019年の春からテレビでアニメとして放送されたそうです。すると、「放送終了から約1か月後の10月23日時点で累計発行部数1600万部を突破、約1か月で累計発行部数を400万部増やし、さらに約1か月後の11月27日には累計発行部数2500万部、最新18巻は初版100万部を刷るなど、2000万部ほど部数を伸ばしている」といいます。そして、「シリーズ累計発行部数は単行本22巻の発売時点で1億部を突破する」そうです。

 こんな話を知ってみると、このアニメ作品がよほど素晴らしい内容だと考えない方がオカシイではないでしょうか? で、私と妻はある晩、ネット経由でこのアニメドラマの第1回と第2回を見ました。オニが人間にとりつくと人間がオニになり、人間を食べるという前提で、人間がオニと戦うというストーリーで、作品のほとんどの場面は、山の中でのオニと人間の派手で残酷な戦闘シーンなのです。ストーリーが荒唐無稽であるだけでなく、戦闘シーンで使われる武器や妖術なども全く現実離れしていて、私は見ていてウンザリしました。

 ウィキペディアの説明では、このアニメは「大正時代を舞台に描く和風剣戟奇譚。作風としては身体破壊や人喰いなどのハードな描写が多い」といいます。まさに、その通りだと感じました。

 私はここで、この漫画の作者や作品自体の批判をするつもりはありません。世の中には、いろいろな発想からいろいろな作品を生み出す人があっていいのです。多様性は大切です。ただ、その多様な表現の中の1つか2つに焦点を絞って、「これを選ばなければ世の中に遅れている」と跳びつく姿勢、あるいは跳びつかせる姿勢が問題だと思います。『大自然讃歌』にあるように、

 利害対立と孤立を恐れ、
 付和雷同して心定まらず、
 定まらぬ心を他者に映して
 自らの責任を回避せん。

 という態度が、問題なのです。

 ここで皆さんに気づいていただきたいのは、このブームの背景には、私が先ほど指摘したように、「感覚的な刺激の強さと効率性/即効性に魅力を感じる」という私たちの弱さ、あるいは“迷い”があることです。今のブームは、その弱さや迷いをうまく利用して作られているのでしょう。今回は、そのブームに宗教が利用されているという側面がある点が、とても残念です。
 さて、「刺激の強さを求める」という心境とは、アニメ作品の虜になることだけを指しているのではありません。その中には、「よく知っている近くのものより、遠くにある知らないものを求める」心が含まれます。また、「小さいものより大きいもの」「当たり前のものより、珍しく、異常なものを求める」心が含まれます。そういう欲求にこたえるためのサービスや商品が、今の世の中にはあふれています。私は何のことを言っているのでしょう? それは、輸入品や海外ブランドを求める心、海外旅行や危険な冒険を求める心、よく知っている田舎よりも変化の激しい都会の生活を求める心……などです。私は、そういう心をもってはいけないと言っているのではありません。先ほども言ったように、人間は「感覚的な刺激の強さと効率性/即効性に魅力を感じる」ようにできています。これは、「人間には欲望がある」と言っているのと、意味はほとんど変わりません。しかし、「人間は欲望である」とか「人間は欲望の塊である」という意味では決してありません。『大自然讃歌』では、人間の欲望は悪であるとは説かれていません。

 次の一節(p.42)を思い出してください--

 肉体は神性表現の道具に過ぎず、
 欲望もまた神性表現の目的にかなう限り、
 神の栄光支える“生命の炎”なり。
 ……(中略)……
 されば汝らよ、
 欲望の正しき制御を忘るべからず。
 欲望を
 神性表現の目的に従属させよ。
 欲望を自己の本心と錯覚すべからず。
 欲望燃え上がるは、
 自己に足らざるものありと想い、
 その欠乏感を埋めんとするが故なり。

 ここに書いてあることは、欲望と自分は同じではないから、その2つを切り離して、欲望を制御し、神性表現の目的に使おう、ということです。そのような生き方を私たちの居住地で実践するにはどうしたらいいでしょうか? その一つが今回、私が最初に引用した運動方針の方策になると考えます。その方策とは、私たちが自分の居住地の「固有の自然の恵みと、その自然と調和した文化的伝統に感謝する」ということです。感謝するためには、まずその対象をよく知らなくてはなりません。自分の居住地に固有の自然の営みとは何であるか? これは、一般的な「日本の自然」 の営みのことではありません。例えば私の場合、八ヶ岳南麓の大泉町に固有の自然とは何であるか、を知ることです。また、「その自然と調和した文化的伝統」を知らなくてはなりません。戦後日本の急速な経済成長にともなって、高速道路や新幹線が通り、飛行場ができて、日本の各地にあった「文化的伝統」の多くが失われたかもしれません。その場合は、何が失われたかを知る必要があります。失われたものの中で、「自然の営みと調和したもの」があったら、その伝統を顕彰し、場合によっては復活させるのも、「感謝」の思いの表現です。単に復活させるのではなく、現代人の視点から、新しい、ユニバーサルな要素を付け加えることも「感謝」の表現でありえます。そういう活動を、私たちはこれからやっていこうというのが、ここにある運動方策なのです。

 かつて私は、どこかの会合で皆さんに、自分の住んでいる県で定めた「県の花」「県の木」が何であるかをご存じですか、と尋ねたことがあります。これを案外知らない人が多かったですが、今回の新しい方策は、「県全体」のことと関係はしていますが、私たちそれぞれの居住地という、さらにローカルな自然について、またその土地の伝統的文化について知ろう、顕彰しようという活動です。これには「数」の目標はありませんが、内容が多岐にわたるため、従来型組織がバラバラに行うのではなく、PBSの活動やネットの活用を通して広い範囲の人々との協力で行うのが適切かもしれません。ぜひ、皆さま方のこれまでの経験や知識、地域の人々とのつながりを生かして、力強く展開していってください。

 それではこれで、私の本日の話を終わります。ご清聴、ありがとうございました。

谷口 雅宣

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2020年8月23日 (日)

縄文人と住居の火

  前回のブログの記述から2週間以上たってしまったが、縄文時代について少しだが勉強する機会があった。そこで何が言えるかと言うと、断定的なことはあまり言えないのである。つまり、考古学者による研究は進んでいるが、それらの研究から“定説”的なものが積み上がり、専門家の

間で一応合意された縄文時代の全体像が見えているのかというと、そうでもないのである。

 例えば、人類にとって大変重要な「火の使用」についてだが、前回引用した岡村道雄氏の『縄文の生活誌』には、縄文初期の人々の生活について、次のようにある--

「炉穴では肉や魚の燻製を作るだけでなく、土器を使っての煮炊きやドングリのアク抜きもした。炉穴は、縄文環境の成立と同時に南九州に普及したが、やがて縄文環境と定住が北上するとともに、早い時期から近畿・中部高地・関東地方まで広がっていった。ただし、竪穴住居内に炉が設(しつら)えられるようになると姿を消し、調理は屋内の炉、燻製は炉の上の火棚で行われるようになった」(p.71)

「縄文土器の基本は、食料を調理する煮炊き用の深鉢土器です。土器で煮炊きができるようになって、人びとはドングリやトチの実、ワラビ、ゼンマイなどの山の幸、貝類などの海の幸を新たに日常食のメニューに加えられただけでなく、さまざまな食材を組み合わせて、味覚や栄養のレパートリーを広げることができました。そして、何よりも衛生的でした。縄文時代は、土器のおかげで食生活を格段に豊かにすることができたのです。」(勅使河原彰著『縄文時代ガイドブック』、p.12)

「縄文時代の竪穴住居には、普通、床の中央か、やや奥寄りに炉が1つ切られている。この炉には、深鉢形の土器がおかれて、食料が煮炊きされるが、暖や明かりをとるなど、一家団欒の場となった。炉の近くの床には、水を入れた深鉢形の土器や加工した食料品を入れた浅鉢形の土器、木の実を入れたカゴ、あるいは木の実を製粉する石皿や磨石などが所狭しと置かれていた。」(前掲書、p.59)

 このような縄文土器の用途の記述を見ると、それが「食料の煮炊き用」であることに異存を唱える人はいないようである。が、この食を得るための調理を縄文人がどこで行っていたのかという話になると、少し様子が変わってくる。上に引用した文章の筆者は、二人とも「室内」での煮炊きを当然としているようだが、「屋外」だと主張する人もいるのである。この主張は、竪穴住居跡に残された炉の底が、多くの場合「加熱によって赤レンガのように固くなっている」ことに注目した小林達雄氏によるものだ。小林氏は、まず炉の「灯りとり用」の用途と「暖房目的だけ」の用途を、理由をつけて「考えにくい」と否定した後で、次のように述べている--

「しかも、誰しもがすぐに思いつき易い、煮炊き料理用であったかと言えば、その可能性も全くないに等しいのだ。このことは極めて重要な問題である。とにかく、いくら室内の炉で煮炊き料理をやっていた証拠を探し出そうにも、手掛りになるものは何一つ残されてはいない。不慮の火災で燃え落ちた、いわゆる焼失家屋に土器が残されていることはあっても、そこには煮炊きに無関係の、しかし呪術や儀礼にかかわるかのような特殊な形態の代物--釣手土器、異形台付土器、有孔鍔付土器--ばかりである。縄文人の食事の支度は、どうも通常、住居の外でなされていたものらしい。」

 小林氏は、現代においても寒冷地に住むイヌイットが、厳寒期や悪天候の時以外はなるべく戸外で食事をする傾向があることを指摘し、気候温和な縄文時代の人が戸外での食事を原則としても不思議でないと述べ、さらには縄文人が竪穴住居で大きく火を燃やすことの問題を、次のように述べている--

「炉で火を燃やせば燃やすほど、煙が立ちこめて、眼を開けていられないほど苦しく、咳が出たり、涙があふれたり、たまらない思いをすることがある。この現実を直視して初めて縄文人に接近し、血を通わすことができるのである。博物館に復元された住居の中で縄文家族がこざっぱりした顔つきで炉を囲んでいる姿は虚像なのだ。そこにはガスや電気の恩恵を身一杯受けた、遥かに縄文放れした現実がそのまま投影されている。」(p.97)

 では、縄文人が家の中にわざわざ炉を構え、そこで火を燃やし続けた目的は何か? 小林氏は、そこに宗教の芽生えを見るのである。



「つまり縄文住居の炉は、灯かりとりでも、暖房用でも、調理用でもなかったのだ。それでも、執拗に炉の火を消さずに守り続けたのは、そうした現実的日常的効果とは別の役割があったとみなくてはならない。火に物理的効果や利便性を期待したのではなく、実は火を焚くこと、火を燃やし続けること、火を消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったのではなかったか。その可能性を考えることは決して思考の飛躍でもない。むしろ、視点を変えて見れば、つねに火の現実的効果とは不即不離の関係にある、火に対する象徴的観念に思いが至るのである。火を生活に採り入れた時点から、火の実用的効果とは別に世界各地の集団は、火に対して特別な観念を重ねてきた。その事例は、いまさらながら枚挙にいとまがない。縄文人も例外ではなかった。」(p.94) 

 さて、私自身はどちらの説に賛同するかと問われると、どちらか一方を現時点で選択することを大いに躊躇する。理由は、まだ勉強不足だからだ。しかし、今回のように1万数千年も前の人々の生活を考えるに際して、私たち現代人が注意しなければならないことを学ぶ機会を得た気がする。それは、「現代人の頭だけで考えない」ということと、それでも「同じ人類の一員として考える」ということだ。この2つは一見、矛盾しているように聞こえるかもしれない。が、宗教をなりわいとしている人間にとっては、常に意識しておくべきことだと感じる。詳しい説明のためには、稿を改めたい。

 谷口 雅宣

【参考文献】
〇小林達雄著『縄文の思考』(筑摩書房、2008年)
〇岡村道雄著『縄文の生活誌』(講談社、2008年)
〇勅使河原彰著『ビジュアル版 縄文時代ガイドブック』(新泉社、2013年)

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2020年8月 7日 (金)

縄文時代は長かった

 7月27日の本欄では、生長の家の“森の中のオフィス”で先日行われた「石上げ」の行事の解説で、私は「石と人間の関係」の次に、「縄文時代の特殊性」について話した、と書いた。しかし、この話の全体の時間は30分ほどだったので、詳しい話はできず、ごくごく一般論を述べるに留まった。縄文時代の人々の生活の様子や信仰の中身、文化論のようなものを話したわけでは決してない。だいたい私は縄文文化の専門家ではなく、考古学マニアでもなく、ましてや考古学者ではないから、縄文時代の文化について自信をもって話せることはあまりない。が、たった1つ、これまで専門家や研究者のあいだで合意されている事実の中で、私が素人なりに「特筆すべきだ」と感じたことを述べたに過ぎなかった。それは、この時代の「長さ」だった。

 中学や高校の教科書にある縄文時代の記述を読んで、この時代の重要性をすぐに理解できる人は少ないだろう。少なくとも私自身は、高校生の時に、この時代が重要だとはまったく思わなかった。むしろ、「すごい昔だから、今の時代や生活とは関係が薄く、だから重要でない」と感じていた。時代の古さについては、平凡社の『世界大百科事典』の「縄文文化」の項には次のようにある--

「日本列島における旧石器時代文化に後続する狩猟漁労採集経済段階の文化。縄文土器編年に基づいて草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に区分される。その開始は、炭素14法の年代測定値や汎世界的な海水準変動の地質学的年代などから前1万年前後と推定する長編年説、相対年代法により約前2500年とする山内清男の短編年説があるが、実際は長編年説にやや近い年代と考えられる。」

 入り組んだ文章でわかりにくいが、これを簡単な日本語に“翻訳”すれば、縄文時代の始まりは「明確には分からないが紀元前1万年前後と推定される」ということだ。私が注目したのは、この時代の始まりと推定される「紀元前1万年」という古さではなく、この時代がいつまで続いたかという「長さ」だった。同じ事典には、炭素14法による測定をもとにして、縄文文化が終る年代を「前300」と書いてある。つまり、約1万年も続いた文化が日本にはあったのだ。

 このような理解は、しかし一時代前には存在しなかった。例えば、1972年に発行された高校用の教科書『新訂 日本史』には、「縄文文化は約1万年前から数千年にわたって、大陸から孤立した日本列島の各地に普及した」と書いてある。(p.11)この教科書が当時の文部省の検定を通ったのは1970年である。また、これより17年後に検定を通った『新詳説日本史』という教科書は、「弥生文化の成立」という項目を次のような書き出しで始めている--

「日本列島で数千年にわたって縄文文化がつづいている間、中国大陸では、紀元前5000~4000年ころ、黄河中流で畑作がおこり、長江(揚子江)下流域でも稲作がはじまり農耕社会が成立した。」(p.14)

 これらの教科書の「数千年」という表現が「約1万年」よりも短いということだけを、私は言っているのではない。縄文文化という言葉を聞いて、「中国大陸から孤立した」とか「農耕を知らない」などという語が頭に浮かんできたのは、昔の話で、1980年代後半からの発掘調査や研究によると、古い縄文時代観は書き換えられつつあるという。

 考古学者の岡村道雄氏によると、技術革新に加え、考古学と自然科学との連携が新しい発見を次々と生んでいるのだ--

「多くの現場を広く深く、しかも確かな発掘技術を持つプロが掘る。そして、現場から出土した遺物を科学の力も借りて微細なレべルまで分析する。その成果の積み重ねが縄文ブーム、縄文観の書き換え、ひいては考古学ブームの根底にあるのである。(…中略)…
 細々と獲物を捕り、貝を拾い、木の実を集めて、竪穴住居にひっそり暮らしてきた二十人から三十人の集団があったという縄文人のイメージは、この十年で完全に塗り替えられたのである」(『縄文の生活誌』、pp.87-88)

 さて、縄文時代への理解の変化についてはこのくらいにして、その文化が「1万年も続いた」という主題にもどろう。
 言うまでもないことだが、今年は西暦の2020年である。つまり、イエスが誕生したと推定される年から2020年たったということだが、このイエス誕生の頃に、日本では弥生時代が始まったとされている。約2000年前である。で、この弥生時代が現代まで続いていたら、どんなだろう? 私たちは、そんな世界を想像できるだろうか? 鉄道はなく、航空機もなく、ビルもなく、自動車もなく、もちろん電話やパソコンやスマホもないし、映画や遊園地、オリンピック、レストラン、金融機関、そして政府もない。これだけでも大変なことだが、1万年はその5倍の長さである。


 この時代の長さは、数字でデジタルに考えるよりも、視覚的にアナログ化することでより明確になる。先日行われた「石上げ」の行事の解説では、私は「縄文スティック」(=写真)と名づけた木の棒を参加者に配り、手に取ってもらった。そして、写真にあるように、赤い色が塗ってある側を左に向け、色の塗っていない部分を右に向けて眺めてみる。これを“時の流れ”として見るのである。もっと具体的には、7ミリの長さを「500年」の時間の経過とすると、赤い色の部分が1万年、青い部分が2000年になる。色のない部分は、これからの未来だ。こうすると縄文時代に比べ、古墳時代以降、現代に至るまでの時の流れがどんなに短いかが、視覚的によく分かるのである。こんな長期にわたって、さほど大きく変化しない生活を人々が延々と続けていたのが縄文時代なのである。

 現代人が考えると、こんなに変化がなくつまらない、退屈な時代はないと考えがちだが、同じことを別の角度から表現すれば、こう言えないだろうか?--「それほど長期にわたって、人々は生活パターンを大きく変えることなく平和に共存してきた」のである。あえて理想化の危険を冒して言えば、この時代には、多少の血が流れるような小競り合いはあったかもしれないが、何万人も、何十万人もの死者が出る戦争はなく、他国や他民族を襲って奴隷とすることもなく、されることもなく、血なまぐさい革命はなく、経済恐慌が起こって大量の失業者が出ることもない。恐らく、大量の死者が出る飢饉や感染症の蔓延もなかっただろう。

 そんな安定した文化が続いた後に、日本人は(そして人類全体も)、その5分の1という極めて短い時間の中で、生活様式を変え、技術を変え、武器を変え、社会制度を変え、ものの考え方を変え、自然を変え、原子爆弾を爆発させ、公害をまき散らし、農薬やプラスチックを全世界に拡大し、多くの生物種を絶滅させてしまった。「縄文人と現代人と、どちらが幸せなのだろう?」などという疑問が湧いてこないだろうか。この疑問は、しかし人類の歴史のマイナス面に注目したものだ。

 生長の家は日時計主義だから、プラス面にも注目すると、また別の設問が浮かび上がる。それは、「弥生時代から現代に至る時の流れの5倍もの長きにわたって続いた縄文文化は、現代人と全く無関係なのか?」ということだ。言い直すと、「縄文人の遺伝子の一部を現代人が共有している可能性はないか?」ということだ。現代の遺伝学の発見によると、ヒトとチンパンジーなどの類人猿との遺伝子は、95%以上が共通しているというのだから、私は、その可能性は十分あると考える。とすると、私たちは今、現代社会が生んだ深刻な問題に対処するに際し、縄文人の生き方から学ぶべきことは多くあるのではないだろうか。そんな問題意識が、今回の「石上げ」の発想と結びついているのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○風間康男他著『新訂 日本史』(東京書籍出版、1972年刊)
○井上光貞他著『新詳説日本史』(山川出版社、1987年刊)
○岡村道雄著『縄文の生活誌』(講談社、2008年刊)
○下中弘編集発行『世界大百科事典』(平凡社、1988年刊)

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2020年8月 3日 (月)

石と信仰 (4)

 ところで読者は、「石」という漢字の由来をご存じだろうか。
 私が昔から使っている机上版の『新明解 漢和辞典』を引くと、「字源」の項目にこうある--

 「象形、厂(がけ)の下に口(石)がころがってある形」

 これは「口」と「石」とを同一視した説明である。ところが、同じ辞典で「口」という漢字の字源を見てみると、

 「象形、口の形にかたどる」

 とあるだけで、「石」については何も触れていない。「石という漢字は石の形をまねた」と言っているから、その「石の形」はどんなかと聞くと「口の形」だというのである。人間の口と石と、形がどう似ているのだろう。何だか判然としない。そこで、白川静氏の『字統』を見ると、こうある--

 「石は厂(かん)と口とに従う。厂は崖岸の象。口は□(さい)、祝禱を収める器の形で、石塊の形ではない。」

 さらにこうある--

「九下に〝山石なり。厂の下に在り。口は象形なり〟とするが、口は卜文・金文において祝禱の器とする形にしたがうものが多く、宕(とう)の字形もなおその形である。宕は廟形に従い、■(せき)も祭卓に従うていて、明らかに神事的な儀礼を示す字であるから、石の従う口も、祝禱の儀礼に関する意味をもつものとしなければならない。」

 ここにある「九下」や「卜文・金文」は、漢字研究の古い
資料を指すが、詳しいことは省略する。また、引用文中に「□」と「■」という伏字で示した文字は、現代の漢字表には存在しない文字で、画像で再現したものをここに添付した。白川氏が述べているのは、ある資料には「石の字源は山の崖の下にある石だ」と書いてあるが、古代文字の資料を見ると、これは「小石ではなく祝詞を収める器」を象ったもので、古代においては、「石」は崖の一部を構成するような「大石」や「岩」を意味していたということだ。そういう岩の下で(つまり、岩に直面して)祈りを捧げていたのが古代人だということになる。こうなると、「石」はもともと宗教行事と不可分の扱いを受けていたことになり、「石と信仰」の間はピッタリとつながるのである。

 日本全国の由緒ある岩石をめぐっている磐座(いわくら)研究家、池田清隆氏も、著書『磐座百選』の中で白川氏のこの解釈を引用し、「石の語源が、“巌のもとで祭祀を行う意”であることを知り、もっとも古い祈りの形であったことを理解する」と賛同している。

 この「磐座」という言葉は、前回の本欄でも出てきて「何だろう」と思った読者もいるかもしれない。そこで、同時に出てきた「磐境(いわさか)」と共に、池田氏の定義を紹介しよう--

「ようするに、岩石信仰といえるものを広い意味で磐座と表現するが、そのなかで、石そのものを神として信仰するものを石神とし、石や岩に神が依りつくという信仰を磐座とし、石で区切られた“空間”に神が降臨するという信仰を磐境とするというものだ」。(前掲書、p.10)

 そして池田氏は、この本の中で石神、磐境も含めた広義での「磐座」を表現した神社を百社選んで、写真入りで紹介している。それを見ると、日本人はいかに“大きな石”を宗教心をもって扱ってきたかがよく分かるのである。大体、神社や仏閣の名称自体に「石」や「岩」が多く使われてきたのである。例を挙げれば、次のようになる(括弧内は所在地の県名)ーー

 岩木山・大石神社(青森)、三ツ石神社(岩手)、磐神社・女石神社(岩手)、釣石神社(宮城)、立石寺・元山寺(山形)、石楯尾神社(神奈川)、石山寺(滋賀)、磐船神社(大阪)、石像寺(兵庫)、飯石神社(島根)、天岩戸神社(宮崎)

 では、これらの事実は日本人特有の感性を表しているのかと問うと、そうは言えないのである。このことはすでに本シリーズの2回目で、聖書の石に関する記述などに触れたので、了解されている読者もいるかもしれない。また、先に挙げた白川氏の見解が、日本だけに及ぶのではなく、漢字文化の発祥の地、中国にも適用されることは言うまでもない。このように考えれば、石と信仰とのつながりは地球上の一部の文化圏に限定されずに、人類すべてに及ぶ可能性は否定できないのである。

 そのことを暗示するもう一つの例は、あの有名なイギリスのストーンヘンジである。これは、同国南部のウィルトシャーにある古代遺跡で、講談社の『大事典desk』は次のように説明している--

「中央に祭壇石、その周囲に4重の列石と3重の穴の列があり、さらにその外側に溝がめぐらされてある。環石は北東方向に開いていて、そこにヒールストーンという石柱がおいてある。これは太陽崇拝に関係あるものといわれ、中央の祭壇石とヒールストーンを結んだ線上に当時の夏至の太陽が昇ったと考えられている。」

 フランスのブルターニュ地方にも「カルナック立石群」と呼ばれる新石器時代の大規模な遺跡があり、そこにはメネック、ケルマリオ、ケルレスカンという3群に分かれた5千もの立石が並んでいる。ケルトのデザインなどを研究している美術史家のイアン・ツァイセック氏によると、この立石群の目的は不明であるが、「ケルマリオが“死者の館”を意味するところから、立石群が弔いの儀式に関係があると古来信じられてきたが、現代の考古学はそれらが天文学上の目的と結びついていたのではないかという説に傾いている」という。(山本史郎・山本泰子訳『図説 ケルト神話物語』、p.253)

 谷口 雅宣

【参考文献】
○長澤規矩也編『新明解 漢和辞典』第二版机上版(三省堂、1981年刊)
○白川静著『字統』(平凡社、1994年刊)
○池田清隆著『磐座百選--日本人の「岩石崇拝」再発見の旅』(出窓社、2018年刊)
○イアン・ツァイセック著/山本史郎・山本泰子訳『図説 ケルト神話物語』(原書房、1998年刊)

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2020年8月 1日 (土)

石と信仰 (3)

 日本人は自然の営みの中に“八百万の神”を見出して、それらを信仰していたと指摘する人は数多くいるが、「日本人は岩石を信仰していた」と唱える人もいる。それは考古学者の吉川宗明氏で、その著書の中で次のように書いている--

「学校の歴史の授業でもほとんど習うことのない岩石信仰だが、日本列島に1千例以上ある信仰体系であることは揺るぎのない事実だ。その総数がどれほどの数に上るのか、全容については筆者自身もまったく把握できていない。
 ただ、一つはっきりしていることがある。それは、岩石はただ信仰されるだけにとどまらず、祭祀の道具や施設・装置にも使われており、信仰対象と同様に神聖な存在とみなされているということだ。信仰の目的や用途ごとに岩石の役割が使い分けられているため、その幅広さが岩石信仰を奥深く、かつ全貌をつかみにくくしているのである。
 また、岩石信仰は過去行われていただけの信仰ではない。現在も祭祀が続いている事例は多いばかりか、新しく信仰が生まれるケースも見受けられる。昨今盛んなパワースポットブームでも、岩石をパワーストーンや癒しの対象とみなす新たな信仰が続々と生産中だ。岩石信仰は、昔も今も信仰する人々がいる、現在進行形の生きた信仰ということにも注意したい」(『岩石を信仰していた日本人』、p. 12)

 「岩石を信仰する」という表現は、まるで岩石自体を神仏と見なして信仰するように聞こえるが、そうではなく、吉川氏によると、「岩石を使った祭祀行為全般をひっくるめた概念」のことを「岩石祭祀」と呼ぶ。そして、同氏は「その岩石が、人々によってどのような役割を与えられているか」という機能に注目して、次の5分類を提示している--

(1) 信仰対象 (280)
(2) 媒体 (934)
(3) 聖跡 (344)
(4) 痕跡 (8)
(5) 祭祀に至らなかったもの (362)

 同氏は、日本全国の2,187の事例に当たって分類した結果、上記リストの括弧内の数字を得たという。この分類は、神道考古学者の大場磐雄氏が1942年に提唱した「石神」「磐座(いわくら)」「磐境(いわさか)」の3分類を取り込みながら、神道の範囲を超えて普遍化したものとしている。

 この分類結果を見ると、日本で多く見られる岩石に関わる信仰形態は、岩石そのものを信仰するのではなく、それを信仰の「媒体」とするものだということが分かる。具体的には、岩石を神や仏が宿る施設と見なしたり、願いをかなえる道具として岩石を使ったり、岩石を神性な空間の領域を示す道具に使ったり、祭祀を遂行する道具としたりすることである。

 このような学問的なアプローチを採用すれば、生長の家が「石上げ」などの行事を通じて岩石を利用する場合、また自然解説/文化遺産

解説の過程で岩石に言及する場合も、教義との矛盾を起こさずに行えるだろう。言うまでもなく、生長の家は唯一絶対神を信仰する宗教だから、上記の(1)の意味で岩石を使用することはあり得ない。しかし、(2)の観点から利用することに教義上の矛盾はないのである。だから、2011年3月の東日本大震災を契機として、その2年後に、京都府宇治市の生長の家宇治別格本山の敷地内には、「自然災害物故者慰霊塔」が建てられた。この慰霊塔には、兵庫県で産出される安山岩の一種「生野丹波石」という自然石が使われている。また、私が勤める“森の中のオフィス”の敷

地内には、そこを流れる沢に5つの橋がかかっているが、その傍らにはそれぞれの名前を記した石碑(=写真)が立っている。これらも「信仰の対象」ではなく、信仰の内容を言葉で表した「媒体」としての石の利用なのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○吉川宗明著『岩石を信仰していた日本人ーー石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究』(遊タイム出版、2011年刊)

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2020年7月29日 (水)

石と信仰 (2)

 石上げの自然解説では、私は3つのポイントを話した--①石と人間の関係、②縄文時代の特殊性、③数の「3」と三角形だ。

 石と人間は、生活の手段や道具としてだけでなく、宗教や信仰とも深く関係している。世界の神話をひもとくと、石や岩は、人間の生活や行動の中で重要な位置を占めている。ギリシャ神話の「シーシュポスの岩」や日本神話の「天の岩戸」の話はすぐ思い出すが、そのほかにも数多くの事例がある。東京大学出版会が出した『宗教学辞典』の「石」の項には、次のようにある--

「古代人は、道具・器物として石を用いるかたわら、幸運や力の分与を期待して石を崇拝した。小石、大石、板石、石塊、窪みのある石、穴のあいた石、人獣の姿に似た形の自然石、立石、環状列石(メンヒル)、境界石、墓石(ドルメン)、隕石、フリント、砥石、石斧、水晶、各種宝石、人跡まれな場所で見いだされた石、特定の人間や出来事にかかわる石等々。このような石が、力・毅然・新鮮・豊饒・生命・堅忍・永続・幸運・信頼の象徴として、それぞれの時代や地域における社会や文化に規定された儀礼や伝説・物語の結晶核となった。」(p. 18)

 このような包括的なまとめの後に、同辞典は、石の宗教的機能として①呪術的な力、②神の座・神的表象、③原因譚的・神話的説明を人間に与えるとして、様々な時代、様々な文化圏で石が具体的にどう扱われてきたかを記述している。ここではそれらのごく一部を紹介しようーー

・インドには浄めのため、あるいは潔白の証明として、石の穴や下をくぐりぬける慣行がある。
・南インドのバラモンたちは、家庭での礼拝のために神性を表象する5つの石を使った。
・ギリシャでは、ヘラクレスやエロスなどの神々の名のついた自然石が戸外に置かれている。
・ユダヤでは、神との契約の証として石を立てた。(『ヨシュア記』第24章26ー28節)
・アラブのサヘル族は、自分たちはモアブの地の石から出生したと信じた。
・神のお告げを受けたヤコブは、自分が枕にしていた石を立てて「神の家」とした。(『創世記』第28章18-22節)

 これらに加え興味深いのは、人間が山から切り出した石と自然石に対する見方の違いである。中世のキリスト教芸術に詳しいミシェル・フイエ氏によると、石は神がそこにある(臨在する)しるしであり、したがって「祭壇を築くには、切り出した石を使うことは禁じられ、自然のままの石だけを使わねばならないとされた」という。その理由は、「自然石は天から落ちてきた聖なるものであるのに対して、切り出した石は、人間が作り出したものであるため、けがれていると考えられた」からだという。(『キリスト教シンボル事典』、p.19)

 このように、自然石には「神性が宿る」という考え方があるならば、それより大きい「岩」には、さらに偉大な力があるとの考えが生まれたとしても不思議ではない。同氏の「岩」の意味についての記述には、その通りのことが書いてある。

「①頑丈でびくともしない岩は、権力と永遠性のシンボルである。聖書の数多くの節で、ヤハウェは苦境に陥った人間がすがりつくべき岩にたとえられている。ヤハウェが岩であると言われるのは、彼が--モーセによれば--“正しくてまっすぐな方”だからだ。シナイの荒れ野で、モーセがホレブの岩を杖で叩くと、清水が湧き出した。
 ②この岩は、キリスト教の伝統では、キリストの予示とされる。キリストは霊の飲み物がほとばしり出る岩なのである。」(前掲書、pp. 24-25)

 岩や石が力と永遠性を象徴するという感性は、ユダヤ=キリスト教圏だけにあるのではない。日本神話には、ニニギノミコトが容姿端麗なコノハナノサクヤヒメに一目ぼれし、結婚相手として父神のオオヤマツミノミコトに所望した際のエピソードがあるが、そこには結婚生活は「美しい」とか「華やか」だけではいけないというメッせージが盛り込まれている。世界の神話に詳しい吉田敦彦氏の解説で紹介しよう--

「オオヤマツミは大喜びして、姉娘のイワナガヒメまで付け、たくさんの贈り物を持たせて、姉妹二人を妻に奉った。ところがホノニニギは、石のように醜い姉のほうを嫌って、手をつけずに送り返してしまって、妹のほうだけを妻にした。そうするとオオヤマツミは怒って、『古事記』によれば、“イワナガヒメを妻にされることで、あなたのお命が、石のようにいつまでも堅固であられるように、またコノハナノサクヤヒメを妻にされることで、花のように栄えられるようにと祈願して、二人を奉ったのに、イワナガヒメを返し、コノハナノサクヤヒメだけを妻にされたので、あなたの寿命は花のようにはかなくなるでしょう”と言って、ホノニニギと、その子孫の代々の天皇の命を短くしてしまったといわれている。」(『世界神話事典』、p.113)

 この箇所で私が重要だと思うのは、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの双方が揃うことの意味を、『古事記』(の作者)がどう訴えているかという点である。上記の解説では、美醜の違い、華やかな美と堅固さとの対照が示されているが、原文では、オオヤマツミは、自分の怒りの理由を次のように述べている--

「我が女(むすめ)二たり並べて立奉(たてまつ)りし由は、石長比売(いわながひめ)を使はさば、天つ神の御子の命は、雪零(ふ)り風吹くとも、恒(つね)に石(いわ)の如くに、常(とき)はに堅(かき)はに動かずまさむ。また木花の佐久夜毘売(さくやひめ)を使はさば、木の花の栄ゆるが如(ごと)栄えまさむと誓ひて貢進(たてまつ)りき。かくて石長比売を返さしめて、ひとり木花の佐久夜毘売を留めたまひき。故、天つ神の御子の御寿は、木の花のあまひのみまさむ。」といひき。

 当時の日本は一夫一婦制ではなかったから、二人の妻の一方を拒否する理由は現代人が考えるものとは一致しないだろう。これは個人の嗜好の問題としてではなく、人間が表面的な派手さや短期的な繁栄に目を奪われがちであることへの警告だ、と私は受け取る。また、上述した他の文化圏での「石」や「岩」のシンボリズムを考え合わせると、神や“神性”が表面的な美や短期的栄華の中にはないとする英知が暗示されていると解釈できる。

【参考文献】
○小口偉一/堀一郎監修『宗教学辞典』(東京大学出版会、1973年刊)
○ミシェル・フイエ著/武藤剛史訳『キリスト教シンボル事典』(白水社、2006年刊)
○大林太良、伊藤清司他編『世界神話事典』(角川書店、2005年刊)
○倉野憲司校注『古事記』(岩波書店刊、1963年)

 

 

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2020年7月26日 (日)

石と信仰 (1)

 去る7月24日、山梨県北杜市にある生長の家国際本部“森の中のオフィス”では、「天女山への石上げと自然解説」という行事が行われた。これは、標高1300mにあるオフィスから同1529mの天女山の頂上まで、参加者である職員有志が石を背負って自転車でIshiage20201 登るという行事である。(=写真)この日は新しく決まった「スポーツの日」だったから、それに因んでスポーツ行事を行ったわけではない。それどころか、この日は私たちにとっても祝日で、オフィスの職員には出勤する義務はなかったが、約30人が参加してくださったのは大変ありがたかった。

 この行事は私の発案で、それにSNI自転車部とSNIクラフト倶楽部の事務局が計画段階から実行まで協力してくれた。この場を借りて感謝申し上げます。

 「石を背負う」というと、何か苦役を強いるような印象があるかもしれないが、背負う石は片手で持てるほど小型のもので、それを各自が常日頃通勤で使う背負いカバンに入れて登るのである。私の場合、それでもノートパソコンや弁当を入れた普段のカバンよりは重かった。これらの石には、カバンに入れる前に各自がタガネで細工を施した。その内容については後述するが、この細工の前に、私が石についての“自然解説”を行なった。そして、天女山頂に全員が登ってから、石を所定場所に納める儀式を行なった。

 これだけの説明では、何か“奇異な儀式”だと思う読者もいるかもしれない。が、愛知県犬山市では現在も毎夏、これよりずっと大規模な石上げ祭が行われている。この祭では、山頂に上げる石はもっと大型で、それを神輿に括り付けて何人もの成人男性が担ぎ、子どもや女性はその前をロープで引いて上がるという。参加人数もずっと多く、神輿を運ぶ掛け声なども響いて、賑やかな祭である。この行事にはまた、個人が小型の石に願いごとを書いて山頂まで運ぶという選択肢もあるらしい。私たちの今回の行事はそれをマネたのではなく、この計画を聞いたオフィスの職員が、「そういう祭なら自分の故郷で昔からやっている」と、あとから教えてくれた。とにかく、「石を運ぶ」という行為は、宗教行事として昔から成立しているのである。



 それどころか古来、洋の東西を超えて、石は信仰の対象として、また信仰対象の象徴として、あるいは宗教儀式の重要な道具となってきた点は、強調しておきたい。私は、このことを当日、例を挙げて石上げ前の自然解説でも若干言及したが(=写真)、充分な説明にはならなかったので、この場を借りて詳しく説明することにした。また、読者には、これを「自然解説の方法を取り入れた生長の家独自の環境教育」(本年度運動方針前文)の一部として理解していただけるとありがたい。

 さて、「自然解説」については、すでに2018年に、私は生長の家総本山発行の『顕齋』誌上で何回かに分けて説明した。その時にも触れたが、アメリカで成立したこの営みは英語で「interpretation(インタープリテーション)」という。この語を「解説」と和訳したところから、誤解の余地が生まれていると私は思う。何となくスポーツ解説みたいだからだ。が、ここではそのことはさておき、アメリカではこの営みを「nature interpretation(自然解説)」「heritage interpretation(文化遺産解説)」の2つに大別しているようである。前者は、自然の営みと人間との関係に焦点を当てるのに対し、後者は、人間の営みである文化遺産の意味や重要性に焦点を当てる。

 しかし、生長の家では「神・自然・人間は本来一体」と考えるので、私は両者を峻別して考える必要はないと思う。また、アメリカで「文化遺産」と言った場合、ヨーロッパからの移民を基礎にしたものが多いため、歴史的には数百年前までしか対象にしない。これに対し日本では、歴史時代だけで約2000年、縄文時代までを含むと約1万2000年が文化遺産の対象となる。そのような古代や中世においては、自然と人間の関係は現代よりもはるかに密接だったから、人間の営みである文化を自然から分離して考えることはできないと思う。そんな理由で、生長の家が日本で行うインタープリテーションは、自然を対象にしても日本の文化を含み、文化遺産を対象にしても、その背後にある自然の営みを無視して行うことはできない。そこで今回の「天女山への石上げと自然解説」においては、両者を意識的に分けなかった。

 谷口 雅宣 

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2019年4月 1日 (月)

新元号「令和」について思う

 来月1日から始まる新元号が「令和」と決まった。
 安倍首相は、『万葉集』からの引用だと説明するが、引用元を見ると「令月」と「和(やわら)ぐ」との間には、省略された文字が3つある。原文は万葉仮名だから文字数は異なるだろうが、政府が示した歌の書き下し文を使えば、「初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ……」から取ったという。

「令月」は普通は「二月」を意味するが、「令」の字に「二」の意味があるのではなく、季節の移ろいの中で「清らかで美しい」あるいは「縁起がよい」月だとの意味を込めて使われるという。これと同様の用法には、「令嬢」「令夫人」「令室」「令息」「令日」……などがある。『学研 漢和大字典』(藤堂明保編、1978年刊)では、この用法について「相手の人の妻・兄弟を尊んでいうことばとしても用いられる」と説明している。なぜ「令」が清らかで美しく、また縁起がよいとされ、さらには「尊敬」を表すかというと、その考え方の背後には、古代の宗教への見方が横たわっているようだ。

 日本の漢字の権威である白川静氏の『字統 普及版』(平凡社、初版1994年)によると、「令」の字は「礼冠を着けて、跪(ひざまず)いて神意を聞く神職のものの形」を表し、「古く令の意と、またその字形のままで命の字にも用いた」という。つまり昔、「令」は「命」と同じ意味で使われたらしい。したがって、「大令」「天令」「明令」「休令」「先王の令」「祖考の令」と書かれた場合、「大命」「天命」「明命」……という意味だったという。また、「鈴」の字の旁(つくり)が「令」であるのは、神道の儀式にあるように、鈴は「神を降し、神を送るときの楽器である」からだという。だから、「令」とは「神意に従う」ことなのだ。

 この古義を、私は素晴らしいと思う。生長の家は神意を最大に尊重するから、この古義を積極的に支持したい気持だ。しかし、それならば、安倍首相はなぜ、この「令」の古義について記者会見で何も語らなかったのだろう。元号は、少数の知識人を集めた“閉じられた空間”で決定されたから、その経緯の詳細はよく分からない。しかし、すでに発表された情報では、元号の候補としては本件を含めて6つの案が出され、それにいろいろな人からの意見が出て、その意見を参考にして安倍首相が選んだという。知識人が、字典の意味を知らないはずがない。だから、それへの言及があったに違いない。が、首相は、国民の前ではそれをあえて口にせず、『万葉集』の表現についてだけ語った。その理由を、私は知りたい。

「令」の古義について、私はまったく異議を唱えない。しかし、それを21世紀の現代で元号に採用するという点では、一抹の不安を覚える。なぜなら、人類は中世、近世、現代を通して、政治と宗教との結びつきが、世界中で大変な混乱と不幸をもたらしてきたことを経験しているからだ。古代において、政治はシャーマンや聖職者が担ってきた。日本も例外ではない。この“神権政治”によって善政が実現したことはもちろんあるが、そうでない場合の方が数が多かった。宗教弾圧や宗教戦争も頻繁にあり、その延長が一部、現代でもまだ続いている。為政者が拳を振り上げて「これが神の御心である!」などと叫び、国民を戦争に駆り立てた時代は、そんなに昔のことではない。「政教分離」「信教の自由」「立憲主義」という近代民主主義の政治原則は、そういう悲惨で苦しい体験から学んだ人類共通の知恵である。

 その知恵から学びつつ実際の政治を行なってきた人が、「新元号は“令和”とする」と決めたのであれば、私は不安を感じない。しかし、憲法違反の法案を何本も束にして強行に成立させ、「立憲主義は古い時代の考え」などと発言した権力者が、テレビカメラの前で「令和が自分の理想である」かのような説明をするのを見ると、私は「ダブル・ミーニング(double meaning、両義性)」という言葉を思い出すのである。1つの言葉に、表と裏との相反する意味を含ませる表現法である。

「令和」には、解釈によって別の意味が容易に付加できる。それは「令に和する時代」という意味である。この場合の「令」とは、政府の命令であり、政権の意思である。『万葉集』の昔には「令」は「清らかで美しい」と見なされたかもしれないが、時代がくだるにつれて、その意味は「律令」「勅令」「県令」「軍令」「指令」「司令」「法令」「政令」「省令」……などと使われるように、世俗の権威や権力が定める規則や命令の意味に変ってきている。そして、そういう世俗権力に国民が「和する」という時代を夢見ている人は、残念ながら現代の政治家にもいるのである。日本のことは言わなくても、アメリカのトランプ大統領やロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、フィリピンのドゥテルテ大統領は言うまでもなく、ハンガリーやトルコ、ブラジルなどの政治指導者にもその傾向は強く見られる。

 そういう時代に、あえて「令和」を新元号としたことに、私たちは注意を払わねばならないと思う。私は、安倍首相にそんな“下心”があると言っているのではない。安倍首相は、令和の時代にずっと首相であり続けるわけではない。次の首相、次の次の首相……と政治が遷移しても、「令和とは、権力者に和することだ」などと誰も考えないように、立憲主義の原則を護るとともに、宗教運動としては「“令”とは神意に従うこと」という古義を忘れずに、神の御心の表現に向かって力強く進んでいきたい。

 谷口 雅宣

 

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2019年3月 1日 (金)

自然と共に栄えるライフスタイルへ

 今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山の出龍宮顕斎殿に約560人を集めて、立教90年を祝う生長の家春季記念式典が行われた。私は同式典にて概略、以下のような言葉を述べた――

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 皆さん、本日は立教90年のおめでたい記念日に大勢参加くださり、誠にありがとうございます。 

 

 私は昨年のこの立教記念日には、『生長の家』創刊号にある谷口雅春先生のご文章から「生命は働くことによって生長する」という教えを取り上げました。そして、その教えは今の時代では、「肉体と脳は使うことによって発達し、使うことによって幸福感が得られる」という形に翻訳されて、PBSの活動に反映されていることを強調したのであります。 

 

  今回は、この長崎県に越させていただく前に、鹿児島・宮崎両教区による生長の家講習会があったので、九州地方の人にはまたまたお会いすることができて光栄であります。この鹿児島市で行われた講習会の午後の講話では、私は受講者の質問に答えて「安全保障」の話をしたのであります。安全保障とか政治に関する質問が3通ぐらいありました。その中には、憲法改正の動きに対してどう考えるべきかという質問があったので、地球温暖化時代の国家の安全は、軍備によっては充分保障できないという話をしました。安倍首相は、憲法改正に固執しているようですが、現在の国際情勢はそんな個人の古い拘りを推し進めている余裕はないのです。生長の家の中にも、かつて政治運動を経験した年齢層の人の中には、この憲法問題が大変重要だと考えている人がまだいるようですが、地球世界は、ものすごく速いスピードで変化しているということを忘れてはいけません。 

 

Snihist  ここで少し歴史を振り返ってみましょう。生長の家が政治団体を結成して明治憲法復元運動をしたのは、1964年から1983年の間の約20年間です。今年は立教90年ですから、この90年の歴史の中では、20年というのは「四分の一」に満たない期間です。また、この時代の特殊性に気づかねばなりません。このような烈しい政治運動をしたのは、戦後の例外的時代だったのですね。このことはブックレット『戦後の運動の変化について』の中に詳しく書きましたが、それは現代史の中では「冷戦時代」と呼ばれています。この時代の特徴は、世界を“善”と“悪”の敵対する二大勢力に分割して、そのどちらかにつくことが求められただけでなく、反対陣営の勢力や人達と鋭く対立するという点でした。 

 

  生長の家は「対立の教え」ではなく「大調和の教え」ですから、このような善悪対立の世界を想定して、その一方につくような運動は、当時は政治的に必要に迫られていたことは事実ですが、本来は似つかわしくないのです。ですから、冷戦が終結して、ソ連が崩壊し、中国も資本主義を採用するなど、世界情勢が大きく変化した現在、35年以上前の課題が同じ重要性をもっているかというと、決してそうではないのであります。このことは、古くからの信徒の中にもきちんと理解しておられる人もいて、講習会ではこんな質問を投げかけて下さいました。日向市に住む72歳の女性の方です―― 

 「生長の家の御教えを知りましてから久しいのですが、近頃良く、この美しい地球を人類はキズ付けよごし、地球温暖化を止める事が出来ず、このままでは、愛する子や孫に負の遺産を残す事になりそうです。私共の祈りが足りないのか? この真理を知る人が少ないのか? もどかしい思いをいだいております。どうしましょうか?」 

 

Globenviron  この方の主要な関心事は、日本国内の“右”と“左”の対立ではなく、さらには国家と国家の対立でもなく、自然界と人類との不調和が続いて、私たちの子孫に良好な地球環境を残していけそうもないという問題です。これを一般的に「地球環境問題」と呼びますが、これは国内政治や国際政治とは関係のない別の問題だと思っている人もいますが、決してそうではありません。地球環境とは、私たちが棲んでいるこの地球全体のことです。その中に日本があり、その他各国があり、世界があるのです。だから、国内政治も国際政治も、農漁業も商工業もすべて、地球環境から大きな影響を受けることになります。 

 

Co2con_may2018_2  そして、多くの方はすでにご存じのように、この地球環境問題の根本的な原因も分かっている。それこそ、私たち人類の自然破壊と温室効果ガスの大気圏への過剰な排出です。それによって地球の表面の温度がどんどん上昇している。これにともない、北極や南極などの極地や高地の氷が大量に溶けだして海に流れ出ています。だから、海面が上昇し、人類が棲むことができる土地の面積がジワジワと狭くなっている。世界の人口は増えているのに、です。また、気候変動が起こって農産物、海産物が獲れなくなっている。貧しい国では、その影響を受けて政治が破綻し、大量の難民が、アフリカでも中南米でも、東南アジアでも、祖国を捨てて外国へ移動しています。気候の変化は、それほど巨大な影響を地球の自然界と人間界に及ぼしているのです。国家間の対立は、それと無縁ではありません。だから、一国が軍事力を増強してみても、これらの解決の役には立たないのです。それはかえって隣国を警戒させ、国際関係をさらに緊張させます。 

 

 

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 また、地球温暖化という現象は、長期的には人類と他の生物に大きな問題をもたらすのですが、短期的には、一部の地域や、一部の人々に“恩恵”をもたらすこともあることを、知っておいてください。例えば、先ほど北極海の氷が溶けている話をしましたが、これによってロシアなどの北極圏に領土をもつ国は、夏場に氷のない海を得ることになります。そうすると、そこで漁業をしたり、航路を開設したりできるので、経済的な恩恵が得られる。また、ニューヨークタイムズ紙の最近の記事によると、スイスはエネルギーの6割を水力発電に頼っているのですが、近年は山岳地帯に一年中あった氷河が融解しつつあるので、利用できる水の量がさらに増え、水力発電のブームになっているそうです。 

 

 しかし、いずれの場合も、これまで氷として地表付近で固まっていた水が溶け出すのですから「海面上昇 → 陸地の減少」が起こるだけでなく、地球表面を循環する水の量が増えることで、大雨や洪水が起きやすくなると考えねばなりません。いや実際、そういう現象が日本を含めて世界各地で起こっています。 

 

 このようにして、私たちは“荒れた地球”“住みにくい地球”を子供や孫たちに残していくことになりそうなのです。そんな事態はぜひ、避けねばなりません。 

 

  先ほど紹介した講習会での質問では、「祈りが足りないのか、真理を知らないのか、もどかしい。どうしましょう?」と言われましたが、私は、もうすでに生長の家はPBSの活動を通して、自分たちのライフスタイルを自然を傷つけないものに転換することで対応している、とお答えしたのです。PBSの活動のことは、私がすでに今年の新年の挨拶で申し上げました。この活動は、きわめて具体的な生活変革の運動で、しかも、やろうと思ったら誰でも実行できるものです。私たちは宗教運動をしているのですから、もちろん真理研鑽や伝道や祈りは必要です。しかし、それだけでは足りない。信仰や祈りは、具体的な生活変革が伴わなければ、今、人類が向かっている“誤った方向”への巨大な流れを是正する力にはならないのです。 

 

  PBSの活動についてもし問題があるとするならば、それは「インターネットを使う」という点でしょう。生長の家の中には、この新しい文化に親しんでいない人がまだ相当数いるでしょう。特に、古くから信仰している人の中には、スマホを使ったことがないし、今さらそんなメンドーな機械は使いたくない、という人もいるでしょう。しかし、そういう場合でも、生活変革は日常生活から可能です。そのヒントは毎月発行される機関誌や普及誌に書いてあるし、従来の組織運動の中でも、いわゆる“Bタイプの誌友会”というのはPBSと親和性が強いことは、すでにお分かりの人も多いでしょう。また、“自然の恵みフェスタ”は、スマホもパソコンももっていなくても参加できます。 

 

 このようなPBSの活動、あるいは生活変革の活動は、何も「目を三角にして」やる必要はないのです。つまり、歯を食いしばって無理をしたり、人と競争してやる必要はない。このことは、私が今年の「新年の挨拶」でも申し上げました。その時の言葉を思い出していただくために、次に引用しましょう-- 

 「そのような宗教本来の活動が、毎日の生活の仕方を変えることででき、しかも“苦行”によってではなく、自然の恩恵をいっぱいに感じる“楽行”によってできるならば、これほど嬉しいことはないと思います。」 

 このことは、昨年の立教記念日でも申し上げたことで、人間の肉体と脳は使うことによって発達し、使うことによって幸福感が得られることは、すでにPBSやBタイプの誌友会、自然の恵みフェスタなどを経験した人は皆、ご存じのことでしょう。 

 

 今年の冬、私が体験したことを話させてください。この間の鹿児島・宮崎両教区合同の講習会でも話したことです。それは、冬場の寒さを利用して、新しいクラフト作りに挑戦したことです。 

  (氷のリースの話をする)

  このように私たちは、効率とか省力とか、大規模化とか大量生産というような“古い文明”の基準に囚われなければ、新しい発想のもとにまだまだ幸福を拡大させることはできる、と私は考えます。如何でしょうか? 九州の人に「氷のリース」を作れとは言いませんが、南国では南国に相応しい自然があり、山地には山地でなければない自然があり、平野には平野独特の自然があります。それらを破壊せずに豊かさを保ち、人間も幸福に生きるライフスタイルをぜひ開発し、広めていってください。その基礎をつくるのが、本年2019年であり、それは立教90年の年であり、さらにこの年は、日本では新たな年号の出発となることは決して偶然ではありません。

 

  それでは、これをもちまして立教記念日の所感とさせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。

 

 谷口 雅宣

 

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2018年12月26日 (水)

緑のクリスマス

 クリスマスが終わって、ひと息ついている家庭も多いと思う。私たち家族もその例に違わない。で、わが家ではどんなクリスマスをしたかを、少しお話ししよう。が、その前に、この「緑のクリスマス」について説明させてほしい。
 
「ホワイト・クリスマス」という言葉は昔からあるが、「グリーン・クリスマス」という言葉もあることを、私は今年初めて知った。それはイギリスの科学誌『New Scientist』の12月1日号を読んだからだ。以前、本欄か本欄の前身のブログで「緑の聖書」について紹介したことがあるが、この言葉はそれと同じ発想から生まれた。つまり、「環境を傷つけない」とか「温室効果ガスを極力出さない」という意味で「グリーン(緑)」という言葉を使った場合、クリスマスはどんな方法で祝うべきかを、同誌は特集していた。題して「金ピカ飾りから七面鳥まで--倫理的クリスマスへの科学的なご案内」(From tinsel to turkey: A scientific guide to an ethical Christmas)である。
 
 ご存じのように、クリスマスというお祭は、屋外の電飾や装飾に始まり、室内の派手な飾り、プレゼントや食料の買い出し、物品の輸送、過剰包装と廃棄物の山、大勢の人々の遠方への移動などがほとんど全世界で一斉に行われるから、それに伴う温室効果ガスの排出や環境破壊は目に余るものがある。ひと昔前は、それは言わば“当たり前”だったが、イギリスの科学誌がこんな記事を書くのだから、昨今は、「商業主義的お祭は環境に有害」という認識を多くの人々がもち始めたのだろう。私はそれをうれしく思う。 
 
 では、「私たちはクリスマスを祝うのをやめ、家族団欒の時をもつのもやめよう!」と言うべきなのか? 私はそうは言わないし、実際、わが家では一貫してクリスマスを家族で祝ってきた。その理由は、同じクリスマスでも、祝い方によって環境破壊を増す場合とそうでない場合があるからだ。 
 
 環境破壊と人類の幸福増進は「二者択一」の問題だと考えるのは“古い文明”のメンタリティーである。生長の家ではこの二者は両立すると考えたからこそ、東京・原宿から八ヶ岳南麓に本部機能を移転したことを、思い出してほしい。そして、その後に行われている“自然の恵みフェスタ”やPBS(プロジェクト型組織)の活動が、このことを証明しているはずなのである。クリスマスは一種の“フェスタ”だから、それと同じことが言えるのである。では、実際にどうすべきか? 
 
 前掲の記事はまず、クリスマス・ツリーについて考える。本物のモミノキとプラスチック製のモミノキでは、どちらが環境への被害が少ないだろう。この疑問については、実際に細かく研究した人がいて、その結果は、「本物を使う方がよりグリーンだ」という。なぜなら、プラスチック製の木は製造過程でCO2を出すだけでなく、輸送時にもそれを排出し、さらに廃棄時にも環境を汚染する。が、その一方、本物のモミノキのように1回きりの使用ではなく、何回も使えるから環境にいいようにも思える。この点については、同誌はカナダのコンサルティング会社の実地調査を引用して、自然破壊を本物のモミノキと同等のレベルに留めるためには、プラスチック製のモミノキは「20年間」使い続けねばならない、と結論する。で、そんな長期に使用し続けると、プラスチック製品は劣化して哀れな姿になるのがオチだという。 
 
 では、どんな場合でもプラスチック製品を使わず、本物にすればいいのかというと、そう単純でもない。海外や遠方から取り寄せるのではなく、できるだけ近くで栽培された木を使うか、もっと言えば、自分の敷地で育てたものをポットに入れて使うべきだという。翌年もそのまま使えるからだ。使い終わったモミノキは、庭に廃棄して腐らせるのではメタンを排出することになる。(日本では、そんな伝統はないが)イギリスでは多くの自治体が、使用後に回収して根覆いをしてくれるから、リサイクルされるという。 
 
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 わが家では今年、地元のホームセンターでポット入りのモミノキを買った。高さ180センチぐらいのもので、使用後は庭で育てるつもりだ。昨年はそれをせず、森から“代替品”を切り出した。つまり、私の所有する森の隅にイチイの若木が何本も生えていたので、その中の適当な形で適当な高さのものをノコギリで切って、室内に持ち込んだ。しかし、そうやってみると、いかにも「可哀そうだなぁ~」という気がしたので、今年は方法を変えたのだ。 

 
 同誌の記事は、ツリーの次には食事について語っている。照りで光ったパイ、肉汁豊かなハム、オーブンで丸焼きにされた七面鳥……などが槍玉に上がっていて、その種の豪華な食事の環境負荷は大きいが、それらを“主菜”にするのをやめ、完全になくさなくても“脇役”にして、その代りに根菜類や豆類を多く使うことを勧めている。それでも、「七面鳥のないクリスマスなど許せない」と思う人は、クリスマスにはそれを食べても、その代りに日常の食事からは肉類を減らす--例えば、クリスマス後の数ヵ月に、週に1日、ノーミートの日を設ける--のはどうかと提案している。 
 
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 わが家の場合、すでに大分前からノーミート食が日常になっているから、この問題はない。妻はこの分野でずいぶん工夫を重ね、美味しいノーミート食を開発してくれていて、本当にありがたい。今回のクリスマス・ディナーのメニューは、サケとタラとホウレンソウとホタテのテリーヌ、マグロ入りトマトソースのラザーニャ、ニンジンとクルミのサラダ、ゴボウの赤ワイン煮、レンコンのトマトソース煮、キノコのショウガ酢煮、野菜のポタージュ、などと相当の豪華版だった。 

 
 環境負荷の面でクリスマス・プレゼントがもつ問題の1つに、そのきらびやかな包装がある。同誌の記事では、2017年に行なわれた調査によると、イギリスでは毎年1億800万ロールの包装紙が廃棄されているという。これらの多くは、プラスチック処理や金属処理を施したもので、リサイクルが効かないという。クリスマスカードの多くも、その種の処理をした紙製品だ。 
 
 日本では最近、デパート各社が「簡易包装」の選択肢を用意してくれているのはありがたい。が、わが家でのプレゼントの多くは、簡易包装もせずに、ユーズド包装紙(一度使ったものを、できるだけ綺麗な状態で残しておく)を再利用して、豪華に見せる工夫をしている。また、プレゼントを飾るリボン各種も、使用ずみのものを何年も取っておいて、それらを再利用、再々利用する。紙箱も同様に、贈答品などで使われたものを取っておいて、プレゼント用に使う。このようにすれば、紙類の廃棄を極力抑えることができる。紙類の使用を減らすことは直接、森林伐採の削減につながることは言うまでもない。 
 
 そして最後は、プレゼントそのものの内容だ。これについては同誌の記事は何も書いていない。しかし、プラスチックを使った製品が溢れている現代文明(旧文明)では、これを使わないプレゼントを考えることは難しい。特に、小さい子ども用に企業が提供する玩具類は、プラスチックを含む石油製品を使ったものが主流であると言えるだろう。私には3人の子(男2、女1)と3人の孫(男2、女1)がいる。そこで今年は、妻と相談して、私が男用のプレゼントを、妻が嫁さんを含めた女用のプレゼントを考えることにした。私は今回、男共にはプラスチックを使わないプレゼントをあげようと決意した。そして、木工によるクラフトを製作することにした。「SNIクラフト倶楽部」所属しているのだから、当然と言えば当然だ。こうして、今年のクリスマス祭はかなり「緑色」になってきたと感じている。 
 
 私が木工で何を作ったかという話は、別の機会に譲る。 
 
 谷口 雅宣

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