文化・芸術

2020年8月 7日 (金)

縄文時代は長かった

 7月27日の本欄では、生長の家の“森の中のオフィス”で先日行われた「石上げ」の行事の解説で、私は「石と人間の関係」の次に、「縄文時代の特殊性」について話した、と書いた。しかし、この話の全体の時間は30分ほどだったので、詳しい話はできず、ごくごく一般論を述べるに留まった。縄文時代の人々の生活の様子や信仰の中身、文化論のようなものを話したわけでは決してない。だいたい私は縄文文化の専門家ではなく、考古学マニアでもなく、ましてや考古学者ではないから、縄文時代の文化について自信をもって話せることはあまりない。が、たった1つ、これまで専門家や研究者のあいだで合意されている事実の中で、私が素人なりに「特筆すべきだ」と感じたことを述べたに過ぎなかった。それは、この時代の「長さ」だった。

 中学や高校の教科書にある縄文時代の記述を読んで、この時代の重要性をすぐに理解できる人は少ないだろう。少なくとも私自身は、高校生の時に、この時代が重要だとはまったく思わなかった。むしろ、「すごい昔だから、今の時代や生活とは関係が薄く、だから重要でない」と感じていた。時代の古さについては、平凡社の『世界大百科事典』の「縄文文化」の項には次のようにある--

「日本列島における旧石器時代文化に後続する狩猟漁労採集経済段階の文化。縄文土器編年に基づいて草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に区分される。その開始は、炭素14法の年代測定値や汎世界的な海水準変動の地質学的年代などから前1万年前後と推定する長編年説、相対年代法により約前2500年とする山内清男の短編年説があるが、実際は長編年説にやや近い年代と考えられる。」

 入り組んだ文章でわかりにくいが、これを簡単な日本語に“翻訳”すれば、縄文時代の始まりは「明確には分からないが紀元前1万年前後と推定される」ということだ。私が注目したのは、この時代の始まりと推定される「紀元前1万年」という古さではなく、この時代がいつまで続いたかという「長さ」だった。同じ事典には、炭素14法による測定をもとにして、縄文文化が終る年代を「前300」と書いてある。つまり、約1万年も続いた文化が日本にはあったのだ。

 このような理解は、しかし一時代前には存在しなかった。例えば、1972年に発行された高校用の教科書『新訂 日本史』には、「縄文文化は約1万年前から数千年にわたって、大陸から孤立した日本列島の各地に普及した」と書いてある。(p.11)この教科書が当時の文部省の検定を通ったのは1970年である。また、これより17年後に検定を通った『新詳説日本史』という教科書は、「弥生文化の成立」という項目を次のような書き出しで始めている--

「日本列島で数千年にわたって縄文文化がつづいている間、中国大陸では、紀元前5000~4000年ころ、黄河中流で畑作がおこり、長江(揚子江)下流域でも稲作がはじまり農耕社会が成立した。」(p.14)

 これらの教科書の「数千年」という表現が「約1万年」よりも短いということだけを、私は言っているのではない。縄文文化という言葉を聞いて、「中国大陸から孤立した」とか「農耕を知らない」などという語が頭に浮かんできたのは、昔の話で、1980年代後半からの発掘調査や研究によると、古い縄文時代観は書き換えられつつあるという。

 考古学者の岡村道雄氏によると、技術革新に加え、考古学と自然科学との連携が新しい発見を次々と生んでいるのだ--

「多くの現場を広く深く、しかも確かな発掘技術を持つプロが掘る。そして、現場から出土した遺物を科学の力も借りて微細なレべルまで分析する。その成果の積み重ねが縄文ブーム、縄文観の書き換え、ひいては考古学ブームの根底にあるのである。(…中略)…
 細々と獲物を捕り、貝を拾い、木の実を集めて、竪穴住居にひっそり暮らしてきた二十人から三十人の集団があったという縄文人のイメージは、この十年で完全に塗り替えられたのである」(『縄文の生活誌』、pp.87-88)

 さて、縄文時代への理解の変化についてはこのくらいにして、その文化が「1万年も続いた」という主題にもどろう。
 言うまでもないことだが、今年は西暦の2020年である。つまり、イエスが誕生したと推定される年から2020年たったということだが、このイエス誕生の頃に、日本では弥生時代が始まったとされている。約2000年前である。で、この弥生時代が現代まで続いていたら、どんなだろう? 私たちは、そんな世界を想像できるだろうか? 鉄道はなく、航空機もなく、ビルもなく、自動車もなく、もちろん電話やパソコンやスマホもないし、映画や遊園地、オリンピック、レストラン、金融機関、そして政府もない。これだけでも大変なことだが、1万年はその5倍の長さである。


 この時代の長さは、数字でデジタルに考えるよりも、視覚的にアナログ化することでより明確になる。先日行われた「石上げ」の行事の解説では、私は「縄文スティック」(=写真)と名づけた木の棒を参加者に配り、手に取ってもらった。そして、写真にあるように、赤い色が塗ってある側を左に向け、色の塗っていない部分を右に向けて眺めてみる。これを“時の流れ”として見るのである。もっと具体的には、7ミリの長さを「500年」の時間の経過とすると、赤い色の部分が1万年、青い部分が2000年になる。色のない部分は、これからの未来だ。こうすると縄文時代に比べ、古墳時代以降、現代に至るまでの時の流れがどんなに短いかが、視覚的によく分かるのである。こんな長期にわたって、さほど大きく変化しない生活を人々が延々と続けていたのが縄文時代なのである。

 現代人が考えると、こんなに変化がなくつまらない、退屈な時代はないと考えがちだが、同じことを別の角度から表現すれば、こう言えないだろうか?--「それほど長期にわたって、人々は生活パターンを大きく変えることなく平和に共存してきた」のである。あえて理想化の危険を冒して言えば、この時代には、多少の血が流れるような小競り合いはあったかもしれないが、何万人も、何十万人もの死者が出る戦争はなく、他国や他民族を襲って奴隷とすることもなく、されることもなく、血なまぐさい革命はなく、経済恐慌が起こって大量の失業者が出ることもない。恐らく、大量の死者が出る飢饉や感染症の蔓延もなかっただろう。

 そんな安定した文化が続いた後に、日本人は(そして人類全体も)、その5分の1という極めて短い時間の中で、生活様式を変え、技術を変え、武器を変え、社会制度を変え、ものの考え方を変え、自然を変え、原子爆弾を爆発させ、公害をまき散らし、農薬やプラスチックを全世界に拡大し、多くの生物種を絶滅させてしまった。「縄文人と現代人と、どちらが幸せなのだろう?」などという疑問が湧いてこないだろうか。この疑問は、しかし人類の歴史のマイナス面に注目したものだ。

 生長の家は日時計主義だから、プラス面にも注目すると、また別の設問が浮かび上がる。それは、「弥生時代から現代に至る時の流れの5倍もの長きにわたって続いた縄文文化は、現代人と全く無関係なのか?」ということだ。言い直すと、「縄文人の遺伝子の一部を現代人が共有している可能性はないか?」ということだ。現代の遺伝学の発見によると、ヒトとチンパンジーなどの類人猿との遺伝子は、95%以上が共通しているというのだから、私は、その可能性は十分あると考える。とすると、私たちは今、現代社会が生んだ深刻な問題に対処するに際し、縄文人の生き方から学ぶべきことは多くあるのではないだろうか。そんな問題意識が、今回の「石上げ」の発想と結びついているのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○風間康男他著『新訂 日本史』(東京書籍出版、1972年刊)
○井上光貞他著『新詳説日本史』(山川出版社、1987年刊)
○岡村道雄著『縄文の生活誌』(講談社、2008年刊)
○下中弘編集発行『世界大百科事典』(平凡社、1988年刊)

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2020年8月 3日 (月)

石と信仰 (4)

 ところで読者は、「石」という漢字の由来をご存じだろうか。
 私が昔から使っている机上版の『新明解 漢和辞典』を引くと、「字源」の項目にこうある--

 「象形、厂(がけ)の下に口(石)がころがってある形」

 これは「口」と「石」とを同一視した説明である。ところが、同じ辞典で「口」という漢字の字源を見てみると、

 「象形、口の形にかたどる」

 とあるだけで、「石」については何も触れていない。「石という漢字は石の形をまねた」と言っているから、その「石の形」はどんなかと聞くと「口の形」だというのである。人間の口と石と、形がどう似ているのだろう。何だか判然としない。そこで、白川静氏の『字統』を見ると、こうある--

 「石は厂(かん)と口とに従う。厂は崖岸の象。口は□(さい)、祝禱を収める器の形で、石塊の形ではない。」

 さらにこうある--

「九下に〝山石なり。厂の下に在り。口は象形なり〟とするが、口は卜文・金文において祈禱の器とする形にしたがうものが多く、宕(とう)の字形もなおその形である。宕は廟形に従い、■(せき)も祭卓に従うていて、明らかに神事的な儀礼を示す字であるから、石の従う口も、祈禱の儀礼に関する意味をもつものとしなければならない。」

 ここにある「九下」や「卜文・金文」は、漢字研究の古い
資料を指すが、詳しいことは省略する。また、引用文中に「□」と「■」という伏字で示した文字は、現代の漢字表には存在しない文字で、画像で再現したものをここに添付した。白川氏が述べているのは、ある資料には「石の字源は山の崖の下にある石だ」と書いてあるが、古代文字の資料を見ると、これは「小石ではなく祝詞を収める器」を象ったもので、古代においては、「石」は崖の一部を構成するような「大石」や「岩」を意味していたということだ。そういう岩の下で(つまり、岩に直面して)祈りを捧げていたのが古代人だということになる。こうなると、「石」はもともと宗教行事と不可分の扱いを受けていたことになり、「石と信仰」の間はピッタリとつながるのである。

 日本全国の由緒ある岩石をめぐっている磐座(いわくら)研究家、池田清隆氏も、著書『磐座百選』の中で白川氏のこの解釈を引用し、「石の語源が、“巌のもとで祭祀を行う意”であることを知り、もっとも古い祈りの形であったことを理解する」と賛同している。

 この「磐座」という言葉は、前回の本欄でも出てきて「何だろう」と思った読者もいるかもしれない。そこで、同時に出てきた「磐境(いわさか)」と共に、池田氏の定義を紹介しよう--

「ようするに、岩石信仰といえるものを広い意味で磐座と表現するが、そのなかで、石そのものを神として信仰するものを石神とし、石や岩に神が依りつくという信仰を磐座とし、石で区切られた“空間”に神が降臨するという信仰を磐境とするというものだ」。(前掲書、p.10)

 そして池田氏は、この本の中で石神、磐境も含めた広義での「磐座」を表現した神社を百社選んで、写真入りで紹介している。それを見ると、日本人はいかに“大きな石”を宗教心をもって扱ってきたかがよく分かるのである。大体、神社や仏閣の名称自体に「石」や「岩」が多く使われてきたのである。例を挙げれば、次のようになる(括弧内は所在地の県名)ーー

 岩木山・大石神社(青森)、三ツ石神社(岩手)、磐神社・女石神社(岩手)、釣石神社(宮城)、立石寺・元山寺(山形)、石楯尾神社(神奈川)、石山寺(滋賀)、磐船神社(大阪)、石像寺(兵庫)、飯石神社(島根)、天岩戸神社(宮崎)

 では、これらの事実は日本人特有の感性を表しているのかと問うと、そうは言えないのである。このことはすでに本シリーズの2回目で、聖書の石に関する記述などに触れたので、了解されている読者もいるかもしれない。また、先に挙げた白川氏の見解が、日本だけに及ぶのではなく、漢字文化の発祥の地、中国にも適用されることは言うまでもない。このように考えれば、石と信仰とのつながりは地球上の一部の文化圏に限定されずに、人類すべてに及ぶ可能性は否定できないのである。

 そのことを暗示するもう一つの例は、あの有名なイギリスのストーンヘンジである。これは、同国南部のウィルトシャーにある古代遺跡で、講談社の『大事典desk』は次のように説明している--

「中央に祭壇石、その周囲に4重の列石と3重の穴の列があり、さらにその外側に溝がめぐらされてある。環石は北東方向に開いていて、そこにヒールストーンという石柱がおいてある。これは太陽崇拝に関係あるものといわれ、中央の祭壇石とヒールストーンを結んだ線上に当時の夏至の太陽が昇ったと考えられている。」

 フランスのブルターニュ地方にも「カルナック立石群」と呼ばれる新石器時代の大規模な遺跡があり、そこにはメネック、ケルマリオ、ケルレスカンという3群に分かれた5千もの立石が並んでいる。ケルトのデザインなどを研究している美術史家のイアン・ツァイセック氏によると、この立石群の目的は不明であるが、「ケルマリオが“死者の館”を意味するところから、立石群が弔いの儀式に関係があると古来信じられてきたが、現代の考古学者はそれらが天文学上の目的と結びついていたのではないかという説に傾いている」という。(山本史郎・山本素子訳『図説 ケルト神話物語』、p.253)

 谷口 雅宣

【参考文献】
○長澤規矩也編『新明解 漢和辞典』第二版机上版(三省堂、1981年刊)
○白川静著『字統』(平凡社、1994年刊)
○池田清隆著『磐座百選--日本人の「岩石崇拝」再発見の旅』(出窓社、2018年刊)
○イアン・ツァイセック著/山本史郎・山本素子訳『図説 ケルト神話物語』(原書房、1998年刊)

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2020年8月 1日 (土)

石と信仰 (3)

 日本人は自然の営みの中に“八百万の神”を見出して、それらを信仰していたと指摘する人は数多くいるが、「日本人は岩石を信仰していた」と唱える人もいる。それは考古学者の吉川宗明氏で、その著書の中で次のように書いている--

「学校の歴史の授業でもほとんど習うことのない岩石信仰だが、日本列島に1千例以上ある信仰体系であることは揺るぎのない事実だ。その総数がどれほどの数に上るのか、全容については筆者自身もまったく把握できていない。
 ただ、一つはっきりしていることがある。それは、岩石はただ信仰されるだけにとどまらず、祭祀の道具や施設・装置にも使われており、信仰対象と同様に神聖な存在とみなされているということだ。信仰の目的や用途ごとに岩石の役割が使い分けられているため、その幅広さが岩石信仰を奥深く、かつ全貌をつかみにくくしているのである。
 また、岩石信仰は過去行われていただけの信仰ではない。現在も祭祀が続いている事例は多いばかりか、新しく信仰が生まれるケースも見受けられる。昨今盛んなパワースポットブームでも、岩石をパワースポットや癒しの対象とみなす新たな信仰が続々と生産中だ。岩石信仰は、昔も今も進行する人々がいる、現在進行形の生きた信仰ということにも注意したい」(『岩石を信仰していた日本人』、p. 12)

 「岩石を信仰する」という表現は、まるで岩石自体を神仏と見なして信仰するように聞こえるが、そうではなく、吉川氏によると、「岩石を使った祭祀行為全般をひっくるめた概念」のことを「岩石祭祀」と呼ぶ。そして、同氏は「その岩石が、人々によってどのような役割を与えられているか」という機能に注目して、次の5分類を提示している--

(1) 信仰対象 (280)
(2) 媒体 (934)
(3) 聖跡 (344)
(4) 痕跡 (8)
(5) 祭祀に至らなかったもの (362)

 同氏は、日本全国の2,187の事例に当たって分類した結果、上記リストの括弧内の数字を得たという。この分類は、神道考古学者の大場磐雄氏が1942年に提唱した「石神」「磐座(いわくら)」「磐境(いわさか)」の3分類を取り込みながら、神道の範囲を超えて普遍化したものとしている。

 上記の分類結果を見ると、日本で多く見られる岩石に関わる信仰形態は、岩石そのものを信仰するのではなく、それを信仰の「媒体」とするものだということが分かる。具体的には、岩石を神や仏が宿る施設と見なしたり、願いをかなえる道具として岩石を使ったり、岩石を神性な空間の領域を示す道具に使ったり、祭祀を遂行する道具としたりすることである。

 このような学問的なアプローチを採用すれば、生長の家が「石上げ」などの行事を通じて岩石を利用する場合、あるいは自然解説/文化遺産

解説の過程で岩石に言及する場合も、教義との矛盾を起こさずも行えるだろう。言うまでもなく、生長の家は唯一絶対神を信仰する宗教だから、上記の(1)の意味で岩石を使用することはあり得ない。しかし、(2)の観点から利用することに教義上の矛盾はないのである。だから、2011年3月の東日本大震災を契機として、その2年後に、京都府宇治市の生長の家宇治別格本山の敷地内には、「自然災害物故者慰霊塔」が建てられた。この慰霊塔には、兵庫県で産出される安山岩の一種「生野丹波石」という自然石が使われている。また、私が勤める“森の中のオフィス”の敷

地内には、そこを流れる沢に5つの橋がかかっているが、その傍らにはそれぞれの名前を記した石碑(=写真)が立っている。これらも「信仰の対象」ではなく、信仰の内容を言葉で表した「媒体」としての石の利用なのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○吉川宗明著『岩石を信仰していた日本人ーー石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究』(遊タイム出版、2011年刊)

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2020年7月29日 (水)

石と信仰 (2)

 石上げの自然解説では、私は3つのポイントを話した--①石と人間の関係、②縄文時代の特殊性、③数の「3」と三角形だ。

 石と人間は、生活の手段や道具としてだけでなく、宗教や信仰とも深く関係している。世界の神話をひもとくと、石や岩は、人間の生活や行動の中で重要な位置を占めている。ギリシャ神話の「シーシュポスの岩」や日本神話の「天の岩戸」の話はすぐ思い出すが、そのほかにも数多くの事例がある。東京大学出版会が出した『宗教学辞典』の「石」の項には、次のようにある--

「古代人は、道具・器物として石を用いるかたわら、幸運や力の分与を期待して石を崇拝した。小石、大石、板石、石塊、窪みのある石、穴のあいた石、人獣の姿に似た形の自然石、立石、環状列石(メンヒル)、境界石、墓石(ドルメン)、隕石、フリント、砥石、石斧、水晶、各種宝石、人跡まれな場所で見いだされた石、特定の人間や出来事にかかわる石等々。このような石が、力・毅然・新鮮・豊饒・生命・堅忍・永続・幸運・信頼の象徴として、それぞれの時代や地域における社会や文化に規定された儀礼や伝説・物語の結晶核となった。」(p. 18)

 このような包括的なまとめの後に、同辞典は、石の宗教的機能として①呪術的な力、②神の座・神的表象、③原因譚的・神話的説明を人間に与えるとして、様々な時代、様々な文化圏で石が具体的にどう扱われてきたかを記述している。ここではそれらのごく一部を紹介しようーー

・インドには浄めのため、あるいは潔白の証明として、石の穴や下をくぐりぬける慣行がある。
・南インドのバラモンたちは、家庭での礼拝のために神性を表象する5つの石を使った。
・ギリシャでは、ヘラクレスやエロスなどの神々の名のついた自然石が戸外に置かれている。
・ユダヤでは、神との契約の証として石を立てた。(『ヨシュア記』第24章26ー28節)
・アラブのサヘル族は、自分たちはモアブの地の石から出生したと信じた。
・神のお告げを受けたヤコブは、自分が枕にしていた石を立てて「神の家」とした。(『創世記』第28章18-22節)

 これらに加え興味深いのは、人間が山から切り出した石と自然石に対する見方の違いである。中世のキリスト教芸術に詳しいミシェル・フイエ氏によると、石は神がそこにある(臨在する)しるしであり、したがって「祭壇を築くには、切り出した石を使うことは禁じられ、自然のままの石だけを使わねばならないとされた」という。その理由は、「自然石は天から落ちてきた聖なるものであるのに対して、切り出した石は、人間が作り出したものであるため、けがれていると考えられた」からだという。(『キリスト教シンボル事典』、p.19)

 このように、自然石には「神性が宿る」という考え方があるならば、それより大きい「岩」には、さらに偉大な力があるとの考えが生まれたとしても不思議ではない。同氏の「岩」の意味についての記述には、その通りのことが書いてある。

「①頑丈でびくともしない岩は、権力と永遠性のシンボルである。聖書の数多くの節で、ヤハウェは苦境に陥った人間がすがりつくべき岩にたとえられている。ヤハウェが岩であると言われるのは、彼が--モーセによれば--“正しくてまっすぐな方”だからだ。シナイの荒れ野で、モーセがホレブの岩を杖で叩くと、清水が湧き出した。
 ②この岩は、キリスト教の伝統では、キリストの予示とされる。キリストは霊の飲み物がほとばしり出る岩なのである。」(前掲書、pp. 24-25)

 岩や石が力と永遠性を象徴するという感性は、ユダヤ=キリスト教圏だけにあるのではない。日本神話には、ニニギノミコトが容姿端麗なコノハナノサクヤヒメに一目ぼれし、結婚相手として父神のオオヤマツミノミコトに所望した際のエピソードがあるが、そこには結婚生活は「美しい」とか「華やか」だけではいけないというメッせージが盛り込まれている。世界の神話に詳しい吉田敦彦氏の解説で紹介しよう--

「オオヤマツミは大喜びして、姉娘のイワナガヒメまで付け、たくさんの贈り物を持たせて、姉妹二人を妻に奉った。ところがホノニニギは、石のように醜い姉のほうを嫌って、手をつけずに送り返してしまって、妹のほうだけを妻にした。そうするとオオヤマツミは怒って、『古事記』によれば、“イワナガヒメを妻にされることで、あなたのお命が、石のようにいつまでも堅固であられるように、またコノハナノサクヤヒメを妻にされることで、花のように栄えられるようにと祈願して、二人を奉ったのに、イワナガヒメを返し、コノハナノサクヤヒメだけを妻にされたので、あなたの寿命は花のようにはかなくなるでしょう”と言って、ホノニニギと、その子孫の代々の天皇の命を短くしてしまったといわれている。」(『世界神話事典』、p.113)

 この箇所で私が重要だと思うのは、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの双方が揃うことの意味を、『古事記』(の作者)がどう訴えているかという点である。上記の解説では、美醜の違い、華やかな美と堅固さとの対照が示されているが、原文では、オオヤマツミは、自分の怒りの理由を次のように述べている--

「我が女(むすめ)二たり並べて立奉(たてまつ)りし由は、石長比売(いわながひめ)を使はさば、天つ神の御子の命は、雪零(ふ)り風吹くとも、恒(つね)に石(いわ)の如くに、常(とき)はに堅(かき)はに動かずまさむ。また木花の佐久夜毘売(さくやひめ)を使はさば、木の花の栄ゆるが如(ごと)栄えまさむと誓ひて貢進(たてまつ)りき。かくて石長比売を返さしめて、ひとり木花の佐久夜毘売を留めたまひき。故、天つ神の御子の御寿は、木の花のあまひのみまさむ。」といひき。

 当時の日本は一夫一婦制ではなかったから、二人の妻の一方を拒否する理由は現代人が考えるものとは一致しないだろう。これは個人の嗜好の問題としてではなく、人間が表面的な派手さや短期的な繁栄に目を奪われがちであることへの警告だ、と私は受け取る。また、上述した他の文化圏での「石」や「岩」のシンボリズムを考え合わせると、神や“神性”が表面的な美や短期的栄華の中にはないとする英知が暗示されていると解釈できる。

【参考文献】
○小口偉一/堀一郎監修『宗教学辞典』(東京大学出版会、1973年刊)
○ミシェル・フイエ著/武藤剛史訳『キリスト教シンボル事典』(白水社、2006年刊)
○大林太良、伊藤清司他編『世界神話事典』(角川書店、2005年刊)
○倉野憲司校注『古事記』(岩波書店刊、1963年)

 

 

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2020年7月26日 (日)

石と信仰 (1)

 去る7月24日、山梨県北杜市にある生長の家国際本部“森の中のオフィス”では、「天女山への石上げと自然解説」という行事が行われた。これは、標高1300mにあるオフィスから同1529mの天女山の頂上まで、参加者である職員有志が石を背負って自転車でIshiage20201 登るという行事である。(=写真)この日は新しく決まった「スポーツの日」だったから、それに因んでスポーツ行事を行ったわけではない。それどころか、この日は私たちにとっても祝日で、オフィスの職員には出勤する義務はなかったが、約30人が参加してくださったのは大変ありがたかった。

 この行事は私の発案で、それにSNI自転車部とSNIクラフト倶楽部の事務局が計画段階から実行まで協力してくれた。この場を借りて感謝申し上げます。

 「石を背負う」というと、何か苦役を強いるような印象があるかもしれないが、背負う石は片手で持てるほど小型のもので、それを各自が常日頃通勤で使う背負いカバンに入れて登るのである。私の場合、それでもノートパソコンや弁当を入れた普段のカバンよりは重かった。これらの石には、カバンに入れる前に各自がタガネで細工を施した。その内容については後述するが、この細工の前に、私が石についての“自然解説”を行なった。そして、天女山頂に全員が登ってから、石を所定場所に納める儀式を行なった。

 これだけの説明では、何か“奇異な儀式”だと思う読者もいるかもしれない。が、愛知県犬山市では現在も毎夏、これよりずっと大規模な石上げ祭が行われている。この祭では、山頂に上げる石はもっと大型で、それを神輿に括り付けて何人もの成人男性が担ぎ、子どもや女性はその前をロープで引いて上がるという。参加人数もずっと多く、神輿を運ぶ掛け声なども響いて、賑やかな祭である。この行事にはまた、個人が小型の石に願いごとを書いて山頂まで運ぶという選択肢もあるらしい。私たちの今回の行事はそれをマネたのではなく、この計画を聞いたオフィスの職員が、「そういう祭なら自分の故郷で昔からやっている」と、あとから教えてくれた。とにかく、「石を運ぶ」という行為は、宗教行事として昔から成立しているのである。



 それどころか古来、洋の東西を超えて、石は信仰の対象として、また信仰対象の象徴として、あるいは宗教儀式の重要な道具となってきた点は、強調しておきたい。私は、このことを当日、例を挙げて石上げ前の自然解説でも若干言及したが(=写真)、充分な説明にはならなかったので、この場を借りて詳しく説明することにした。また、読者には、これを「自然解説の方法を取り入れた生長の家独自の環境教育」(本年度運動方針前文)の一部として理解していただけるとありがたい。

 さて、「自然解説」については、すでに2018年に、私は生長の家総本山発行の『顕齋』誌上で何回かに分けて説明した。その時にも触れたが、アメリカで成立したこの営みは英語で「interpretation(インタープリテーション)」という。この語を「解説」と和訳したところから、誤解の余地が生まれていると私は思う。何となくスポーツ解説みたいだからだ。が、ここではそのことはさておき、アメリカではこの営みを「nature interpretation(自然解説)」「heritage interpretation(文化遺産解説)」の2つに大別しているようである。前者は、自然の営みと人間との関係に焦点を当てるのに対し、後者は、人間の営みである文化遺産の意味や重要性に焦点を当てる。

 しかし、生長の家では「神・自然・人間は本来一体」と考えるので、私は両者を峻別して考える必要はないと思う。また、アメリカで「文化遺産」と言った場合、ヨーロッパからの移民を基礎にしたものが多いため、歴史的には数百年前までしか対象にしない。これに対し日本では、歴史時代だけで約2000年、縄文時代までを含むと約1万2000年が文化遺産の対象となる。そのような古代や中世においては、自然と人間の関係は現代よりもはるかに密接だったから、人間の営みである文化を自然から分離して考えることはできないと思う。そんな理由で、生長の家が日本で行うインタープリテーションは、自然を対象にしても日本の文化を含み、文化遺産を対象にしても、その背後にある自然の営みを無視して行うことできない。そこで今回の「天女山への石上げと自然解説」においては、両者を意識的に分けなかった。

 谷口 雅宣 

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2019年4月 1日 (月)

新元号「令和」について思う

 来月1日から始まる新元号が「令和」と決まった。
 安倍首相は、『万葉集』からの引用だと説明するが、引用元を見ると「令月」と「和(やわら)ぐ」との間には、省略された文字が3つある。原文は万葉仮名だから文字数は異なるだろうが、政府が示した歌の書き下し文を使えば、「初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ……」から取ったという。

「令月」は普通は「二月」を意味するが、「令」の字に「二」の意味があるのではなく、季節の移ろいの中で「清らかで美しい」あるいは「縁起がよい」月だとの意味を込めて使われるという。これと同様の用法には、「令嬢」「令夫人」「令室」「令息」「令日」……などがある。『学研 漢和大字典』(藤堂明保編、1978年刊)では、この用法について「相手の人の妻・兄弟を尊んでいうことばとしても用いられる」と説明している。なぜ「令」が清らかで美しく、また縁起がよいとされ、さらには「尊敬」を表すかというと、その考え方の背後には、古代の宗教への見方が横たわっているようだ。

 日本の漢字の権威である白川静氏の『字統 普及版』(平凡社、初版1994年)によると、「令」の字は「礼冠を着けて、跪(ひざまず)いて神意を聞く神職のものの形」を表し、「古く令の意と、またその字形のままで命の字にも用いた」という。つまり昔、「令」は「命」と同じ意味で使われたらしい。したがって、「大令」「天令」「明令」「休令」「先王の令」「祖考の令」と書かれた場合、「大命」「天命」「明命」……という意味だったという。また、「鈴」の字の旁(つくり)が「令」であるのは、神道の儀式にあるように、鈴は「神を降し、神を送るときの楽器である」からだという。だから、「令」とは「神意に従う」ことなのだ。

 この古義を、私は素晴らしいと思う。生長の家は神意を最大に尊重するから、この古義を積極的に支持したい気持だ。しかし、それならば、安倍首相はなぜ、この「令」の古義について記者会見で何も語らなかったのだろう。元号は、少数の知識人を集めた“閉じられた空間”で決定されたから、その経緯の詳細はよく分からない。しかし、すでに発表された情報では、元号の候補としては本件を含めて6つの案が出され、それにいろいろな人からの意見が出て、その意見を参考にして安倍首相が選んだという。知識人が、字典の意味を知らないはずがない。だから、それへの言及があったに違いない。が、首相は、国民の前ではそれをあえて口にせず、『万葉集』の表現についてだけ語った。その理由を、私は知りたい。

「令」の古義について、私はまったく異議を唱えない。しかし、それを21世紀の現代で元号に採用するという点では、一抹の不安を覚える。なぜなら、人類は中世、近世、現代を通して、政治と宗教との結びつきが、世界中で大変な混乱と不幸をもたらしてきたことを経験しているからだ。古代において、政治はシャーマンや聖職者が担ってきた。日本も例外ではない。この“神権政治”によって善政が実現したことはもちろんあるが、そうでない場合の方が数が多かった。宗教弾圧や宗教戦争も頻繁にあり、その延長が一部、現代でもまだ続いている。為政者が拳を振り上げて「これが神の御心である!」などと叫び、国民を戦争に駆り立てた時代は、そんなに昔のことではない。「政教分離」「信教の自由」「立憲主義」という近代民主主義の政治原則は、そういう悲惨で苦しい体験から学んだ人類共通の知恵である。

 その知恵から学びつつ実際の政治を行なってきた人が、「新元号は“令和”とする」と決めたのであれば、私は不安を感じない。しかし、憲法違反の法案を何本も束にして強行に成立させ、「立憲主義は古い時代の考え」などと発言した権力者が、テレビカメラの前で「令和が自分の理想である」かのような説明をするのを見ると、私は「ダブル・ミーニング(double meaning、両義性)」という言葉を思い出すのである。1つの言葉に、表と裏との相反する意味を含ませる表現法である。

「令和」には、解釈によって別の意味が容易に付加できる。それは「令に和する時代」という意味である。この場合の「令」とは、政府の命令であり、政権の意思である。『万葉集』の昔には「令」は「清らかで美しい」と見なされたかもしれないが、時代がくだるにつれて、その意味は「律令」「勅令」「県令」「軍令」「指令」「司令」「法令」「政令」「省令」……などと使われるように、世俗の権威や権力が定める規則や命令の意味に変ってきている。そして、そういう世俗権力に国民が「和する」という時代を夢見ている人は、残念ながら現代の政治家にもいるのである。日本のことは言わなくても、アメリカのトランプ大統領やロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、フィリピンのドゥテルテ大統領は言うまでもなく、ハンガリーやトルコ、ブラジルなどの政治指導者にもその傾向は強く見られる。

 そういう時代に、あえて「令和」を新元号としたことに、私たちは注意を払わねばならないと思う。私は、安倍首相にそんな“下心”があると言っているのではない。安倍首相は、令和の時代にずっと首相であり続けるわけではない。次の首相、次の次の首相……と政治が遷移しても、「令和とは、権力者に和することだ」などと誰も考えないように、立憲主義の原則を護るとともに、宗教運動としては「“令”とは神意に従うこと」という古義を忘れずに、神の御心の表現に向かって力強く進んでいきたい。

 谷口 雅宣

 

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2019年3月 1日 (金)

自然と共に栄えるライフスタイルへ

 今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山の出龍宮顕斎殿に約560人を集めて、立教90年を祝う生長の家春季記念式典が行われた。私は同式典にて概略、以下のような言葉を述べた――

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 皆さん、本日は立教90年のおめでたい記念日に大勢参加くださり、誠にありがとうございます。 

 

 私は昨年のこの立教記念日には、『生長の家』創刊号にある谷口雅春先生のご文章から「生命は働くことによって生長する」という教えを取り上げました。そして、その教えは今の時代では、「肉体と脳は使うことによって発達し、使うことによって幸福感が得られる」という形に翻訳されて、PBSの活動に反映されていることを強調したのであります。 

 

  今回は、この長崎県に越させていただく前に、鹿児島・宮崎両教区による生長の家講習会があったので、九州地方の人にはまたまたお会いすることができて光栄であります。この鹿児島市で行われた講習会の午後の講話では、私は受講者の質問に答えて「安全保障」の話をしたのであります。安全保障とか政治に関する質問が3通ぐらいありました。その中には、憲法改正の動きに対してどう考えるべきかという質問があったので、地球温暖化時代の国家の安全は、軍備によっては充分保障できないという話をしました。安倍首相は、憲法改正に固執しているようですが、現在の国際情勢はそんな個人の古い拘りを推し進めている余裕はないのです。生長の家の中にも、かつて政治運動を経験した年齢層の人の中には、この憲法問題が大変重要だと考えている人がまだいるようですが、地球世界は、ものすごく速いスピードで変化しているということを忘れてはいけません。 

 

Snihist  ここで少し歴史を振り返ってみましょう。生長の家が政治団体を結成して明治憲法復元運動をしたのは、1964年から1983年の間の約20年間です。今年は立教90年ですから、この90年の歴史の中では、20年というのは「四分の一」に満たない期間です。また、この時代の特殊性に気づかねばなりません。このような烈しい政治運動をしたのは、戦後の例外的時代だったのですね。このことはブックレット『戦後の運動の変化について』の中に詳しく書きましたが、それは現代史の中では「冷戦時代」と呼ばれています。この時代の特徴は、世界を“善”と“悪”の敵対する二大勢力に分割して、そのどちらかにつくことが求められただけでなく、反対陣営の勢力や人達と鋭く対立するという点でした。 

 

  生長の家は「対立の教え」ではなく「大調和の教え」ですから、このような善悪対立の世界を想定して、その一方につくような運動は、当時は政治的に必要に迫られていたことは事実ですが、本来は似つかわしくないのです。ですから、冷戦が終結して、ソ連が崩壊し、中国も資本主義を採用するなど、世界情勢が大きく変化した現在、35年以上前の課題が同じ重要性をもっているかというと、決してそうではないのであります。このことは、古くからの信徒の中にもきちんと理解しておられる人もいて、講習会ではこんな質問を投げかけて下さいました。日向市に住む72歳の女性の方です―― 

 「生長の家の御教えを知りましてから久しいのですが、近頃良く、この美しい地球を人類はキズ付けよごし、地球温暖化を止める事が出来ず、このままでは、愛する子や孫に負の遺産を残す事になりそうです。私共の祈りが足りないのか? この真理を知る人が少ないのか? もどかしい思いをいだいております。どうしましょうか?」 

 

Globenviron  この方の主要な関心事は、日本国内の“右”と“左”の対立ではなく、さらには国家と国家の対立でもなく、自然界と人類との不調和が続いて、私たちの子孫に良好な地球環境を残していけそうもないという問題です。これを一般的に「地球環境問題」と呼びますが、これは国内政治や国際政治とは関係のない別の問題だと思っている人もいますが、決してそうではありません。地球環境とは、私たちが棲んでいるこの地球全体のことです。その中に日本があり、その他各国があり、世界があるのです。だから、国内政治も国際政治も、農漁業も商工業もすべて、地球環境から大きな影響を受けることになります。 

 

Co2con_may2018_2  そして、多くの方はすでにご存じのように、この地球環境問題の根本的な原因も分かっている。それこそ、私たち人類の自然破壊と温室効果ガスの大気圏への過剰な排出です。それによって地球の表面の温度がどんどん上昇している。これにともない、北極や南極などの極地や高地の氷が大量に溶けだして海に流れ出ています。だから、海面が上昇し、人類が棲むことができる土地の面積がジワジワと狭くなっている。世界の人口は増えているのに、です。また、気候変動が起こって農産物、海産物が獲れなくなっている。貧しい国では、その影響を受けて政治が破綻し、大量の難民が、アフリカでも中南米でも、東南アジアでも、祖国を捨てて外国へ移動しています。気候の変化は、それほど巨大な影響を地球の自然界と人間界に及ぼしているのです。国家間の対立は、それと無縁ではありません。だから、一国が軍事力を増強してみても、これらの解決の役には立たないのです。それはかえって隣国を警戒させ、国際関係をさらに緊張させます。 

 

 

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 また、地球温暖化という現象は、長期的には人類と他の生物に大きな問題をもたらすのですが、短期的には、一部の地域や、一部の人々に“恩恵”をもたらすこともあることを、知っておいてください。例えば、先ほど北極海の氷が溶けている話をしましたが、これによってロシアなどの北極圏に領土をもつ国は、夏場に氷のない海を得ることになります。そうすると、そこで漁業をしたり、航路を開設したりできるので、経済的な恩恵が得られる。また、ニューヨークタイムズ紙の最近の記事によると、スイスはエネルギーの6割を水力発電に頼っているのですが、近年は山岳地帯に一年中あった氷河が融解しつつあるので、利用できる水の量がさらに増え、水力発電のブームになっているそうです。 

 

 しかし、いずれの場合も、これまで氷として地表付近で固まっていた水が溶け出すのですから「海面上昇 → 陸地の減少」が起こるだけでなく、地球表面を循環する水の量が増えることで、大雨や洪水が起きやすくなると考えねばなりません。いや実際、そういう現象が日本を含めて世界各地で起こっています。 

 

 このようにして、私たちは“荒れた地球”“住みにくい地球”を子供や孫たちに残していくことになりそうなのです。そんな事態はぜひ、避けねばなりません。 

 

  先ほど紹介した講習会での質問では、「祈りが足りないのか、真理を知らないのか、もどかしい。どうしましょう?」と言われましたが、私は、もうすでに生長の家はPBSの活動を通して、自分たちのライフスタイルを自然を傷つけないものに転換することで対応している、とお答えしたのです。PBSの活動のことは、私がすでに今年の新年の挨拶で申し上げました。この活動は、きわめて具体的な生活変革の運動で、しかも、やろうと思ったら誰でも実行できるものです。私たちは宗教運動をしているのですから、もちろん真理研鑽や伝道や祈りは必要です。しかし、それだけでは足りない。信仰や祈りは、具体的な生活変革が伴わなければ、今、人類が向かっている“誤った方向”への巨大な流れを是正する力にはならないのです。 

 

  PBSの活動についてもし問題があるとするならば、それは「インターネットを使う」という点でしょう。生長の家の中には、この新しい文化に親しんでいない人がまだ相当数いるでしょう。特に、古くから信仰している人の中には、スマホを使ったことがないし、今さらそんなメンドーな機械は使いたくない、という人もいるでしょう。しかし、そういう場合でも、生活変革は日常生活から可能です。そのヒントは毎月発行される機関誌や普及誌に書いてあるし、従来の組織運動の中でも、いわゆる“Bタイプの誌友会”というのはPBSと親和性が強いことは、すでにお分かりの人も多いでしょう。また、“自然の恵みフェスタ”は、スマホもパソコンももっていなくても参加できます。 

 

 このようなPBSの活動、あるいは生活変革の活動は、何も「目を三角にして」やる必要はないのです。つまり、歯を食いしばって無理をしたり、人と競争してやる必要はない。このことは、私が今年の「新年の挨拶」でも申し上げました。その時の言葉を思い出していただくために、次に引用しましょう-- 

 「そのような宗教本来の活動が、毎日の生活の仕方を変えることででき、しかも“苦行”によってではなく、自然の恩恵をいっぱいに感じる“楽行”によってできるならば、これほど嬉しいことはないと思います。」 

 このことは、昨年の立教記念日でも申し上げたことで、人間の肉体と脳は使うことによって発達し、使うことによって幸福感が得られることは、すでにPBSやBタイプの誌友会、自然の恵みフェスタなどを経験した人は皆、ご存じのことでしょう。 

 

 今年の冬、私が体験したことを話させてください。この間の鹿児島・宮崎両教区合同の講習会でも話したことです。それは、冬場の寒さを利用して、新しいクラフト作りに挑戦したことです。 

  (氷のリースの話をする)

  このように私たちは、効率とか省力とか、大規模化とか大量生産というような“古い文明”の基準に囚われなければ、新しい発想のもとにまだまだ幸福を拡大させることはできる、と私は考えます。如何でしょうか? 九州の人に「氷のリース」を作れとは言いませんが、南国では南国に相応しい自然があり、山地には山地でなければない自然があり、平野には平野独特の自然があります。それらを破壊せずに豊かさを保ち、人間も幸福に生きるライフスタイルをぜひ開発し、広めていってください。その基礎をつくるのが、本年2019年であり、それは立教90年の年であり、さらにこの年は、日本では新たな年号の出発となることは決して偶然ではありません。

 

  それでは、これをもちまして立教記念日の所感とさせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。

 

 谷口 雅宣

 

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2018年12月26日 (水)

緑のクリスマス

 クリスマスが終わって、ひと息ついている家庭も多いと思う。私たち家族もその例に違わない。で、わが家ではどんなクリスマスをしたかを、少しお話ししよう。が、その前に、この「緑のクリスマス」について説明させてほしい。
 
「ホワイト・クリスマス」という言葉は昔からあるが、「グリーン・クリスマス」という言葉もあることを、私は今年初めて知った。それはイギリスの科学誌『New Scientist』の12月1日号を読んだからだ。以前、本欄か本欄の前身のブログで「緑の聖書」について紹介したことがあるが、この言葉はそれと同じ発想から生まれた。つまり、「環境を傷つけない」とか「温室効果ガスを極力出さない」という意味で「グリーン(緑)」という言葉を使った場合、クリスマスはどんな方法で祝うべきかを、同誌は特集していた。題して「金ピカ飾りから七面鳥まで--倫理的クリスマスへの科学的なご案内」(From tinsel to turkey: A scientific guide to an ethical Christmas)である。
 
 ご存じのように、クリスマスというお祭は、屋外の電飾や装飾に始まり、室内の派手な飾り、プレゼントや食料の買い出し、物品の輸送、過剰包装と廃棄物の山、大勢の人々の遠方への移動などがほとんど全世界で一斉に行われるから、それに伴う温室効果ガスの排出や環境破壊は目に余るものがある。ひと昔前は、それは言わば“当たり前”だったが、イギリスの科学誌がこんな記事を書くのだから、昨今は、「商業主義的お祭は環境に有害」という認識を多くの人々がもち始めたのだろう。私はそれをうれしく思う。 
 
 では、「私たちはクリスマスを祝うのをやめ、家族団欒の時をもつのもやめよう!」と言うべきなのか? 私はそうは言わないし、実際、わが家では一貫してクリスマスを家族で祝ってきた。その理由は、同じクリスマスでも、祝い方によって環境破壊を増す場合とそうでない場合があるからだ。 
 
 環境破壊と人類の幸福増進は「二者択一」の問題だと考えるのは“古い文明”のメンタリティーである。生長の家ではこの二者は両立すると考えたからこそ、東京・原宿から八ヶ岳南麓に本部機能を移転したことを、思い出してほしい。そして、その後に行われている“自然の恵みフェスタ”やPBS(プロジェクト型組織)の活動が、このことを証明しているはずなのである。クリスマスは一種の“フェスタ”だから、それと同じことが言えるのである。では、実際にどうすべきか? 
 
 前掲の記事はまず、クリスマス・ツリーについて考える。本物のモミノキとプラスチック製のモミノキでは、どちらが環境への被害が少ないだろう。この疑問については、実際に細かく研究した人がいて、その結果は、「本物を使う方がよりグリーンだ」という。なぜなら、プラスチック製の木は製造過程でCO2を出すだけでなく、輸送時にもそれを排出し、さらに廃棄時にも環境を汚染する。が、その一方、本物のモミノキのように1回きりの使用ではなく、何回も使えるから環境にいいようにも思える。この点については、同誌はカナダのコンサルティング会社の実地調査を引用して、自然破壊を本物のモミノキと同等のレベルに留めるためには、プラスチック製のモミノキは「20年間」使い続けねばならない、と結論する。で、そんな長期に使用し続けると、プラスチック製品は劣化して哀れな姿になるのがオチだという。 
 
 では、どんな場合でもプラスチック製品を使わず、本物にすればいいのかというと、そう単純でもない。海外や遠方から取り寄せるのではなく、できるだけ近くで栽培された木を使うか、もっと言えば、自分の敷地で育てたものをポットに入れて使うべきだという。翌年もそのまま使えるからだ。使い終わったモミノキは、庭に廃棄して腐らせるのではメタンを排出することになる。(日本では、そんな伝統はないが)イギリスでは多くの自治体が、使用後に回収して根覆いをしてくれるから、リサイクルされるという。 
 
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 わが家では今年、地元のホームセンターでポット入りのモミノキを買った。高さ180センチぐらいのもので、使用後は庭で育てるつもりだ。昨年はそれをせず、森から“代替品”を切り出した。つまり、私の所有する森の隅にイチイの若木が何本も生えていたので、その中の適当な形で適当な高さのものをノコギリで切って、室内に持ち込んだ。しかし、そうやってみると、いかにも「可哀そうだなぁ~」という気がしたので、今年は方法を変えたのだ。 

 
 同誌の記事は、ツリーの次には食事について語っている。照りで光ったパイ、肉汁豊かなハム、オーブンで丸焼きにされた七面鳥……などが槍玉に上がっていて、その種の豪華な食事の環境負荷は大きいが、それらを“主菜”にするのをやめ、完全になくさなくても“脇役”にして、その代りに根菜類や豆類を多く使うことを勧めている。それでも、「七面鳥のないクリスマスなど許せない」と思う人は、クリスマスにはそれを食べても、その代りに日常の食事からは肉類を減らす--例えば、クリスマス後の数ヵ月に、週に1日、ノーミートの日を設ける--のはどうかと提案している。 
 
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 わが家の場合、すでに大分前からノーミート食が日常になっているから、この問題はない。妻はこの分野でずいぶん工夫を重ね、美味しいノーミート食を開発してくれていて、本当にありがたい。今回のクリスマス・ディナーのメニューは、サケとタラとホウレンソウとホタテのテリーヌ、マグロ入りトマトソースのラザーニャ、ニンジンとクルミのサラダ、ゴボウの赤ワイン煮、レンコンのトマトソース煮、キノコのショウガ酢煮、野菜のポタージュ、などと相当の豪華版だった。 

 
 環境負荷の面でクリスマス・プレゼントがもつ問題の1つに、そのきらびやかな包装がある。同誌の記事では、2017年に行なわれた調査によると、イギリスでは毎年1億800万ロールの包装紙が廃棄されているという。これらの多くは、プラスチック処理や金属処理を施したもので、リサイクルが効かないという。クリスマスカードの多くも、その種の処理をした紙製品だ。 
 
 日本では最近、デパート各社が「簡易包装」の選択肢を用意してくれているのはありがたい。が、わが家でのプレゼントの多くは、簡易包装もせずに、ユーズド包装紙(一度使ったものを、できるだけ綺麗な状態で残しておく)を再利用して、豪華に見せる工夫をしている。また、プレゼントを飾るリボン各種も、使用ずみのものを何年も取っておいて、それらを再利用、再々利用する。紙箱も同様に、贈答品などで使われたものを取っておいて、プレゼント用に使う。このようにすれば、紙類の廃棄を極力抑えることができる。紙類の使用を減らすことは直接、森林伐採の削減につながることは言うまでもない。 
 
 そして最後は、プレゼントそのものの内容だ。これについては同誌の記事は何も書いていない。しかし、プラスチックを使った製品が溢れている現代文明(旧文明)では、これを使わないプレゼントを考えることは難しい。特に、小さい子ども用に企業が提供する玩具類は、プラスチックを含む石油製品を使ったものが主流であると言えるだろう。私には3人の子(男2、女1)と3人の孫(男2、女1)がいる。そこで今年は、妻と相談して、私が男用のプレゼントを、妻が嫁さんを含めた女用のプレゼントを考えることにした。私は今回、男共にはプラスチックを使わないプレゼントをあげようと決意した。そして、木工によるクラフトを製作することにした。「SNIクラフト倶楽部」所属しているのだから、当然と言えば当然だ。こうして、今年のクリスマス祭はかなり「緑色」になってきたと感じている。 
 
 私が木工で何を作ったかという話は、別の機会に譲る。 
 
 谷口 雅宣

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2016年10月28日 (金)

“もの作り”で創造的人生を

 今日は午前10時から、山梨県北杜市大泉町の生長の家国際本部“森の中のオフィス”のイベントホールで「谷口清超大聖師八年祭」が執り行われた。私は祭壇に掲げられた谷口清超先生の遺影の前に玉串を奉げ、御祭の最後に概略、次のような挨拶を述べた--
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 皆さん、本日は谷口清超大聖師八年祭にご参列いただき、ありがとうございます。谷口清超先生は、ちょうど8年前のこの日に89歳で昇天されました。 
 
 私は昨年の清超先生の七年祭で、昭和50年5月号の『生長の家』誌から引用して、先生が「物を大切にせよ」と教えられたという話をしました。また先生は、そう教えられただけでなく、ご自身の実際生活の中でも、その通りに生きられました。その教えをわかりやすく説かれた言葉を昨年七年祭で紹介しましたが、今回も繰り返してお伝えしましょう--「物はどんな小さいものでも“神の愛”と“人の真心”のカタマリである」というのが、それです。 
 
 清超先生は、このお考えを写真の中にも表現されているのですが、そういう例を2~3点紹介しましょう: 
 
Yutakanajinsei_m  これは昭和61年(1986)に発行された『豊かな人生を作ろう』という御著書の表紙カバーです。廃車になった車が積み上げられている写真ですが、それを使って「豊かな人生を作ろう」と仰っているのですから、この写真の例は、何でも安易に廃棄してしまう今の社会は本当は「豊かではない」ということを、暗に指摘されているのです。「はしがき」には、こう書いておられます-- 
 
 「さてこの本のカバーの写真は、私が北海道へ行った時、朝港町で撮ったもので、直接豊かさをあらわしたものではなく、古びたポンコツ車の残骸である。いささかのアイロニーをもって、こんなものを使うことにした」 
 
 次の写真は、この御著書の前の年(1985年)に発行された『人は天窓から入る』という本の表紙カバーです。「はしがき」にあるその説明文を読みます-- 
 
Hitowatemmado_m_2 「カバー写真は私宅の2階で、息子の残して行った人形を床の上において写したものである。“天窓から入る”というイメージが出たかどうかは少々疑問だが……」 
 
 補足しますと、この「息子」というのは私のことで、この人形はお腹かどこかを押すと「ギャハハハハ……」と笑い声を出す仕掛けが組み込まれているジョーク・トーイです。先生がこれを撮影された当時は、私は結婚して、東京・世田谷区の駒沢大学の近くに住んでいたのです。不要となったので置いていったジョーク・トーイに目をつけられて、先生はそれを聖典の表紙写真として蘇らせてくださいました。この写真の構図は、ちょうど私たちが天井を見上げると、そこにある天窓からヒゲ面のオジサンが顔を突っ込んで、あいさつしている--そんな感じがします。これは「人間は物質や肉体ではなく、天から降ってきた神の子である」というメッセージをユーモアをもって伝えているのではないでしょうか? 
 
 次の写真は、どこかで一度紹介したことがあると思いますが、平成9年(1997)に発刊された『創造的人生のために』という御著書の表紙カバーです。この本のカバーの袖の裏にSouzoujinsei2 は、こんな短い説明があります-- 
 
 「カバー写真の塑像・谷口雅宣氏の中学生時代の作品」 
 
 向かって左側が私の“作品”で、粘土で作ったハニワの頭を焼いたものです。右側は、プロのこけし職人の作品で、ずっと新しいもので多分、25年くらい後の作品です。古いものと新しいもの、粘土の塑像と木製のこけし、また頭だけのものと全身を表現したものなど、一見異質のものですが、その2つを組み合わせて写真にすると、何とも言えない暖かい人間性と、相互の信頼感を表現するような作品になっています。清超先生が、これを「創造的人生のために」というタイトルの表現に使われているという点も、私たちは学ぶべきことだと思います。「創造とは、古いものを破壊したり、捨て去ることではない」。「新旧の組み合わせで新しい価値が生まれる」「相互のプラス面を引き出せ」……などです。私たちが今、強調している“ムスビの働き”の素晴らしい例が、この一枚の写真にあると考えます。 
 
 このようにして谷口清超先生は、物を単なる物質とは考えずに、「どんな小さいものでも“神の愛”と“人の真心”のカタマリである」と感じて大切に使い、古いものでも新しい環境に活かして使われた。その御心と教えを私たちは今日、運動の中で大いに実践しようとしているのであります。何のことだかお分かりですね? ついこの間、この“森の中のオフィス”では「自然の恵みフェスタ2016」という催しが行われました。その中では、手づくりの工芸品であるクラフトの展示販売が行われました。そこに出品されたクラフトの数は、昨年よりずいぶん増えました。また、出品してくださった人の数も増えています。さらには、「SNIクラフト倶楽部」という組織が全国的にも結成されつつあります。そして、そのような動きに参加される生長の家信徒の数も増え、それぞれの教区でクラフト製作が行われるようになってきました。 
 
 何でも新しいものを買って、それが古くなれば廃棄し、さらに新しいものを買う。また、自分の手足を使って物事をするよりも、お金を払って誰かに物事を効率的に処理してもらう--というライフスタイルが、地球温暖化や環境破壊の原因になっていることは、皆さんもすでにご存じです。ですから、私たちがプロジェクト型組織を作って推進しようとしている活動--自転車通勤、クラフト製作、食材のオーガニック栽培などは、時代の流れに反する非効率で、苦しい活動だと考える人がいるかもしれません。しかし、実際にPBSの活動をしている皆さんはお分かりと思いますが、これらの活動は、私たちが都会生活の中で忘れていた“自然との一体感”を回復し、私たち一人一人の創造性を高める活動なのであります。 
 
 最後に、谷口清超先生の『創造的人生のために』から、人間が本来もっている創造性を表現することが、私たちの喜びであることを説かれた箇所を朗読いたします-- 
 
「人は何かを作り出すことが好きだ。子供は泥をこねて、色んな動物をこしらえ、家や山を作って遊ぶ。大人になると本物の家を作り、橋を作り、車を作り、芝居や小説を作る人も出て来る。遂には人殺しの犯人をさがし出す名探偵ポワロが作られたりするのである。
 それを読んだり見たりするのは、自分が犯人になりたいからではなく、色々の筋書きを作ったり、想像したりして、楽しみたいからであろう。一般の人々は温かい家庭を作り、よい子供を育てたいと思う。これもまた人々の中に“創造する力”がみちあふれている証拠だ。その“力”を現わしたいと思うのである。そして現わし出す時、限りない喜びが湧き上がる。つまり、“創造的人生”を送ることによって、人々は大いに楽しむことが出来ると言えるであろう。」(同書、pp. 1-2) 
 
 それでは皆さん、谷口清超大聖師が説かれた「物を大切にする心」を深く理解し、その教えにもとづいて自ら手足を動かして実践することで、“創造的人生”をそれぞれの立場で生き、表現の喜びを味わいつつ、光明化運動を新しい段階に引き上げていこうではありませんか。清超先生の八年祭に当たり、所感を申し述べました。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣

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2016年9月22日 (木)

一生とは無限成長の一段階  

 今日は午前10時半から、山梨県北杜市にある生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールで、「生長の家布教功労物故者追悼慰霊祭」が執り行われた。あいにくの小雨模様で、気温も10月半ばぐらいの肌寒さだったが、布教功労者のご遺族を初め、本部職員を含めた参列者は、布教活動に捧げられた功労者の生前の遺徳を偲び、光明化運動のさらなる進展に決意を新たにした。 
 
 私は、奏上の詞を朗読したほか、御祭の最後に概略、以下のような挨拶を述べた-- 
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 皆さん、本日は生長の家の布教功労物故者追悼慰霊祭に大勢お集まりくださり、ありがとうございます。 
 
 この慰霊祭は、生長の家の運動に長年にわたって挺身・致心・献資の誠を捧げてくださった幹部・信徒のうち、ここ1年ほどの間に霊界に旅立っていかれた方々の御霊をお招きして、感謝の誠を捧げるという大切な行事であります。昨年は316柱の御霊様のお名前を呼び、供養させていただきましたが、今年は304柱でした。その中には、私が妻と共に生長の家講習会のために地方へ行ったときに親しく出迎えて下さり、また運動推進に尽力された方々の名前も多く見られ、当時の交流を懐かしく思い出すと共に、残念な想いを禁じ得ないのであります。 
 
 遺族代表として挨拶していただいたのは、元教化部長の有好正光(のぶみつ)さんの奥様でしたが、ご主人の有好さんは、私が生長の家本部に入った当初から、同じ部で数年間、一緒に仕事をさせていただいた方です。コンピューターの知識に詳しく、私にその分野のことをいろいろ教えてくださり、本部の事務合理化に貢献された後は、教化部長として東北地方などの教区の運動の先頭に立って活躍されました。 
 
 ブラジル伝道本部に勤めておられたカチア・メトラン・サイタさんは、伝道本部では数少ない英語を理解する講師で、生長の家の国際教修会など、英語からポルトガル語への通訳や翻訳を行う際には欠くべからざる存在でした。私のスピーチの通訳もして下さったことがあります。 
 
 このほかのすべての御霊さまも、それぞれの地域で、それぞれの個性と優れた能力を発揮されながら、光明化運動に大きく貢献された方々です。心から感謝申し上げるとともに、今後の私たちの運動を霊界から守護していただき、霊界での真理宣布に活躍されることをお願いするものであります。 
 
 私たちは、そこにあることが“当たり前”だと思っていた人・物・事がなくなると、それらの掛け替えのなさ、大切さを、「失う」ということで思い知ることがあります。肉親の死はもちろん、友人や運動の同志の死も、そういう機会の最たるものであります。「失われることによって知る、人の命の大切さ」と言われるものです。また、「死は教化(きょうげ)する」とも言われます。しかし、生長の家では、そういう人々の命は、死によって「失われる」とは考えないのであります。確かに肉体は失われますが、魂は永遠に生き続ける。それも、私たちとは縁も所縁(ゆかり)もない全く別の所へ行ってしまうのではなく、私たちの魂の“近く”で、守護霊として、また助言者として共にあると考えるのです。 
 
 それは鉄道に喩えると、山手線のような環状線と、東海道線や中央線のような一方向に延びる鉄道の違いにも似ています。環状線は、英語ではサイクリック(cyclic)とかサイクリカル(cyclical)と表現され、東海道線や中央線はリニア(linea)と言われますね。その違いは、リニアの鉄道では、人を一端新宿で送り出したら、もう追いかけて行ってもつかまえることができない。しかし、山手線のような環状線であれば、新宿で別れても、少し待っていれば、その電車は再び同じ駅に入ってくるから、また会うことができるかもしれない。そんな違いがあります。 
 
 それはちょうど、季節の変化にも似てますね。今日は秋分の日ですから、秋がやってきています。その前は夏でしたが、私たちは「夏が終る」とは言っても「夏を失う」とは言いません。冬になっても「秋を失った」などとは考えない。なぜなら、また来年、「同じ夏が来る」「同じ秋が来る」と考えるからです。しかしよく考えると、夏はめぐり、秋もめぐってきますが、「同じ夏」「同じ秋」というものは、決してめぐってきません。そのことを私は、東京にいる時は強く感じなかったのです。街に住んでいると、季節を感じるのは、自然との触れ合いからというよりは、人工的な手段によるからです。例えば、デパートや商店の飾り付け、ショウウインドーのマネキンの服装などで感じることが多いのです。街では、ファッションや食品などは“季節の先取り”をする。だから、自然界の変化に先駆けて、人工的な手段によって季節の変化を実際より早く知ることになる。それは学校のグラウンドをぐるぐる回るように、周囲の風景は変わりませんから、いつも同じ季節が来るという感覚になるのだと思われます。 
 
 しかし、森での生活は、自然そのものから感じる季節の変化です。それも、こちらは八ヶ岳の斜面にありますから、季節が南の低地から北の高地へと移動するのがよく分かるのです。また、自然界は常に変化していますから、去年どこにあったサクラの樹が、今年も同じ日に同じ状態で咲いたり、紅葉したりすることはない。微妙に変化しています。キノコにいたっては、去年はある場所でドッサリ獲れたとしても、今年は同じ時期、同じ場所でもまったく姿が見えないなどということは、ざらにあります。 
 
 しかし、全体としては、季節は確実にめぐって来ます。私が何を申し上げたいかというと、霊界にも“親和の法則”が働いていますから、私たちと魂のレベルや霊的な進化の程度の近い人たちは、霊界に移行しても私たちの近辺におられるかもしれない。しかし、顕幽両界は変化するし、私たち自身も霊的に進歩したり退歩したりします。霊界に移られた御霊様も、そこでの修行によってレベルの変化があるかもしれない。そういうようにして、私たちと御霊様との関係は、生前とまったく同じ状態が細部まで続くことはないが、季節がめぐって「ああ、秋が来た」と分かるように、「ああ、ここにあの人がいる」とか「ああ、あの人が教えてくれた」というレベルの経験をもつことはできる、ということです。 
 
 しかし、私たちは霊界に先に行かれた御霊様に感謝し、親愛の情を保つことは素晴らしいことで、ぜひ毎年続けていただきたいが、いつまでも自分の近くにつなぎ止めておこうと執着してはいけません。それは、霊界で飛躍すべき御霊様の魂の成長を邪魔することになるし、自分の魂の成長も止めてしまうかもしれないからです。この肉体をもった世界も、霊界も、魂の成長のため--言い換えれば、神の子の無限内容の表現のためにあるのですから、一箇所や一種類の環境に留まるのでは、その目的は達成しません。そのことを書いた「祈りの言葉」があるので、最後にそれを紹介しましょう。『日々の祈り』に収録された“「終り」は「始まり」であることを知る祈り”の一部を朗読いたします-- 
 
「私はいま神の御心を静かに観ずるに、この現象世界は無限表現の舞台であることを知る。物事は変化しながら繰り返され、繰り返されながら変化していくのである。諸行無常といえども、無常は無秩序ではなく、変化には一定のパターンがあり、そのパターンは繰り返されるのである。一日は、朝で始まり夜に終る。一年は、春夏秋冬を経て12カ月で終る。人間の肉体には誕生があり、成長があり、老衰があり、死がある。物事には始まりがあり、終りがあるといえども、終りはすなわち始まりである。夜のあとに朝があり、冬の後に春があり、死の後に生があり、その継続が繰り返される。この変化と繰り返しの過程で、無限の表現が行われるのである。時間と空間のひろがりの上に有限が展開することで、無限は表現されるのである。 
 
 私はだから、変化を恐れないのである。終りは始まりの揺り篭であり、始まりは一層高度な表現を約束する。失業は新方面への発展を切り拓き、転勤は自己拡大のチャンスである。一つの環境に留まっているのでは“神の子”の表現は出来ない。一つの能力に頼っていては“神の子”の力は発揮できない。一分野の知識だけでは“神の子”の知恵は開発されない。一つの仕事だけでは“神の子”の無限性は表現できない。一回の人生では“神の子”の全相が現れるものではない。しかし私は、“一つ”をおろそかにしないのである。“一つ”は“無限”への階段である。一段を踏み外すものは十段に達することができない。基礎をおろそかにして応用は不可能である。与えられた場で最善を尽くすことで、次なる飛躍が初めて可能となるのである。」(pp. 179-180) 
 
 人の一生は、さらなる飛躍と発展の一段階であるということです。今日、祭祀申上げた御霊様は今生においてベストを尽くし、次の生に旅立っていかれました。私たちも今生でさらに精進を重ね、真理を拡大し、御霊さまの魂の成長に遅れをとらないように、益々世界平和のため光明化運動に邁進したいと考えるものです。 
 
 本日はご参列、誠にありがとうございました。これをもって慰霊祭の挨拶といたします。 
 
 谷口 雅宣

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