心と体

2014年9月23日 (火)

肉体は神性表現の道具なり

 今日は午前10時半から、山梨県北杜市の生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールで「布教功労物故者追悼慰霊祭」が執り行われた。私は御祭で「奏上の詞」を読み、玉串拝礼を行ったほか、最後に概略以下のような挨拶の言葉を述べた:
 
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 皆さん、本日は生長の家の布教功労物故者慰霊祭に大勢お集まり頂きまして、ありがとうございます。
 
 この慰霊祭は、“森の中のオフィス”で行われるものとしては最初の慰霊祭です。生長の家が国際本部を東京・原宿に構えていた時は、布教功労物故者慰霊祭は毎年、春と秋の2回行われていましたが、ここ北杜市に移転してからは年1回、秋のこの日に行われることになりました。そうしますと、招霊申し上げる御霊の数が増えることになります。単純計算では2倍になります。が、実際には、昨年の秋の慰霊祭でお祀りした御霊は189柱だったのに対し、今回は358柱になりました。このため、招霊担当の祭員の数を増やすなど多少、お祭のやり方は変わっています。しかし、目的には何の変更もありません。それは即ち、生長の家の幹部として光明化運動に尽力された方々のうち、霊界に逝かれた方々をお招きして、感謝の誠を捧げるためであります。
「人間は神の子であり、肉体ではない」というのが、生長の家の教えの根本の1つであります。しかしこれは、肉体を粗末に扱っていいという教えではありません。私たち人間の肉体は、この現象世界で生き、神の子らしさを表現するために与えられた最も大切な“道具”であると考えますから、暴飲暴食はもちろん、不摂生な生活や、健康を度外視した無理な生活は避けねばなりません。「摂生する」ということは、昔は「養生する」とも言いました。
 
 江戸時代の儒学者、貝原益軒の著書に『養生訓』という有名な本があります。彼が83歳の時に、実体験にもとづいて書いたもので、長寿を全うするための肉体の養生だけでなく、心の持ち方も説いているところに特徴があり、現代の私たちにとっても、よい指針となります。
 養生の視点からの「三楽」として次のものが掲げられています--
 ①道を行い、善を積むことを楽しむ
 ②健康な生活を楽しむ
 ③長寿を楽しむ
 また、その長寿を全うするための条件として、自分の中の次の4つの欲望を抑えることを勧めています:
 ①あれこれ食べてみたいという食欲
 ②色欲
 ③むやみに眠りたがる欲
 ④徒らにしゃべりたがる欲
 さらに、季節ごとの気温や湿度などの変化に合わせた体調管理も勧めています。
 これをまとめて言えば、「善を積みながら欲望を制御して楽しく生きなさい」ということですから、私たち生長の家がお勧めしている生き方にとても近いことが分かります。私が書かせていただいた『大自然讃歌』には、こうあります--
 
 されば汝らよ、
 欲望の正しき制御を忘るべからず。
 欲望を
 神性表現の目的に従属させよ。
 (…中略…)
 “生命(いのち)の炎”自在に統御し、
 自己の内なる神の目的に活用せよ。
 しかして
 内部理想の実現に邁進せよ。
 
 私たちが東京からこちらへ移転してきてから、ちょうど1年がたとうとしています。昨年の秋の慰霊祭を済ませた午後に、私たちは引っ越しを始めたからです。この1年の間、私たちは大都会・東京の環境から離れて、自然豊かなこの土地で生活してみて、何を感じているでしょうか? 人によって差はあるかもしれませんが、私は、貝原益軒が勧めるような4つの欲望を抑える生き方ができて、それでいて大変幸せを感じるのであります。皆さん、如何でしょうか? “森の中”の生活は、決して楽ではありませんし、便利でもありません。でも、職員同士が助け合い、また近隣の人々と助け合い、与え合うことで、何でも金銭に換算されがちな都会ではめったにない、暖かい交流と喜びを味わうことができます。
 
 また私は、貝原益軒が書いてないこともやり始めました。「肉体は神性表現の道具である」という話をしましたが、道具はきちんと手入れし、整備しなければなりません。特に私たちの体は、ただ休ませているだけでは衰えてしまいます。多少負荷を与えて鍛えることで、肉体は機能を向上させてくれます。便利な都会生活では、よほど意志が強くなければ、体を鍛えることは難しいですが、こちらでは雪かきを初め、薪割りや、菜園作り、山菜採り、キノコ採りなど、体を鍛える機会はたくさんあります。ご存じのように、私はこれらに加えて自転車通勤を始めました。妻には当初、“年寄りの冷や水”だとからかわれましたが、最近では、彼女は「私も自転車を買おうかしら」などと言います。私は東京にいた頃も、週2回くらいの頻度でジョギングをしていましたが、こちらへ来て自転車に乗ろうと思ったきっかけの1つには、三浦雄一郎さんが80歳7カ月でエベレストに登頂したことがあります。2013年5月でした。こんな年齢になって、しかも心臓の手術をした後にも回復し、再び体を鍛えて難関に立ち向かい、成功する--その姿をテレビで見て、勇気をもらったのです。
 
 エベレストは8,848mですから、私が自転車で上る天女山(1,529m)とは、もちろん比較になりません。しかし、三浦さんのケースは、人間の肉体は年老いたとしても、鍛えればまだまだ強くなるということの有力な証明でした。私は、自分が「還暦を超えた」ことを言い分けにしてなまけることはできないと思いました。
 しかし、こうしてどんなに肉体を鍛えたとしても、やがて肉体は衰えていき、そして使えなくなる時期がやってきます。そんな時に、「自分は肉体である」と考えている人と、そうではなく「自分は肉体ではなく、神の子である」と考えている人との間には、大きな差が出てくると思います。自分が肉体だと考えている人にとっては、肉体をどんなに養生し、あるいは鍛えてみたとしても、それは無に帰してしまうのですから、人生全体を含めて何ごともムダだと感じられるでしょう。しかし、自分の肉体は神の子の本性を表現するための道具であると考えている人にとっては、よく使い込んだ古い自動車を手放す時のように、もちろん寂しさはありましょうが、感謝の気持でお別れを言うことができるだけでなく、この肉体を通して神性表現ができた現世のすべての人・事・物に「ありがとう」とお礼を言う気持になれると思います。
 今日、この慰霊祭で招霊させていただいた御霊さまは皆、「人間・神の子」の真理を信じ、それを多くの人々に伝える仕事に率先して邁進してくださった方々ですから、きっとそのような感謝と喜びをもって霊界へと移行されたに違いないのであります。最近では、肉体が老いることが悪いことであるかのように考える人が増えているようでして、「年をとらない」様々な工夫を「アンチエージング」と称して開発しています。これは、iPS細胞などの再生医療の研究とも関係していて、医療の分野でも脚光を浴びています。しかし、こういう動きの背後には、私はどうも「人間は肉体なり」という誤った考えがあるように思うのです。人間を肉体として捉えるならば、肉体の機能が最も充実しているのは若い時代ですから、そういう肉体をもった人間が優れており、理想的だということになる。そして、「老いる」ことは“悪現象”であり、不幸なこととして捉えられます。そこで、あらゆる手段を尽くして自分の肉体の若さを保つことが幸福である、というい考えに結びつきます。
 
 しかし、人間は肉体そのものではなく、それを道具として使う“生命”です。「魂」といってもいい。肉体が老いるということは、それを使う魂が、老いた肉体を上手に使う練習ができるということです。それは、若い頃には不可能な高級な技術であり、高等な神性表現法です。何でも自力で行うのではなく、人を説得し、理解させて、その人に代りにやってもらう。こうして、「次代の人間を育てる」という大切な教育の仕事が可能となるし、若い人たちに愛の実践をさせることができる。また、自ら体力が衰えることで、社会の弱い立場の人々--障害者や病人の気持が理解でき、そういう人々の立場に立って物事を進めることもできるようになります。もしアンチエージングの技術が発達し、人々が肉体的に老いなくなれば、こういう高度な社会関係が崩れ、若者の活躍の場が極端に縮小し、社会は停滞してしまうでしょう。
 イギリスの科学週刊誌『New Scientist』の8月23日号に「Fountain of Youth」という題の特集記事が載っていました。「Fountain of Youth」とは、「若さの泉」という意味です。この「泉」とは血液のことを指していて、この10月の初めには、アルツハイマー病の治療のための「輸血」が、スタンフォード大学の医学校で行われるというのです。アルツハイマー病は老人性の脳の病気ですが、これを発症した患者に対して、若者の血を注入することを考えているのです。というのは、マウスの実験によると、この方法で老いたマウスの認知能力が改善したり、臓器の機能が回復したり、外見が若返ったというような結果が得られているからです。この若返りの元と目されているのが「GDF11」という血液中の成分で、これはどんな人の血液の中にも含まれているのですが、加齢とともに数が減っていくことが分かっているそうです。
 
 皆さん、こういう治療法をどう思いますか? アルツハイマー病に悩む患者本人と家族のことだけを考えれば、もしかしたらこれは“福音”のように感じられるかもしれない。しかし、社会全体のことを考えた場合、若者から血を取って老人に輸血することで老人の寿命が延びるとしても、それは本当に“福音”でしょうか? この記事にも書いてありましたが、このような治療法は基本的に“吸血鬼”の伝説とどれほど違うのでしょう。歯でかみついて直接血液を飲むのと、機械とパイプを経由して血液を移すという方法の違いだけではないでしょうか? 「人間は肉体である」という考えにもとづくと、このようにして他人から奪ってでも自分の肉体を生かし続けたいという“執着”が生まれます。ですから、科学や技術が進歩し続ける現代にあっても、私たちは益々盛んに運動を拡げ、「人間は神の子であって、肉体ではない」という真理を伝えていかねばならない、と考える次第です。
 
 私たちは、肉体を神性表現の道具として大切に、また鍛えながら、十分に心を込めて使うと共に、その肉体から離れる時期が来たならば、お世話になった社会のことを考え、次世代の人々に配慮し、肉体への執着を捨てて次の生へと安らかに移行していかねばなりません。そういう生き方をされた多くの先輩たちのことを思い、心から感謝申し上げながら、今日の慰霊祭の言葉といたします。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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2014年6月 8日 (日)

自由と不自由 (4)

 私は本シリーズの第2回で、「主観的自由は、私たちの心しだいで感じることができるのだから、それを享受しながら、希望をもって積極的に人生を歩むことができる」と書いた。今回は、その方法について書こう。つまり、このような積極的な人生の歩み方は、どうすれば実現するかという問題である。そのためにまず確認したいことは、「不自由の中から自由が生まれる」ということである。この話は、本シリーズの1~2回ですでに述べた。復習すると、自由とは単なる可能性ではなく、実際に何かをする自由である。しかし、「○○をする自由」を実現するためには、「○○以外のこと」はできないという不自由を同時に認めなければならない。そして「○○」と「○○以外のこと」とでは、量的には後者の方が圧倒的に多い。つまり、「○○をする」自由は、それ以外の数多くのことができないという圧倒的な不自由と同時にある。だから私は、先に「不自由の中から自由が生まれる」と書いたのである。これを簡単に言えば、コーヒーを飲んでいるときは、トマトジュースも牛乳もビールもウイスキーも同時には飲めないということだ。
 
 さて、そういう前提のもとに、次の文章を読んでほしい--
 
「人の世に生きていくということは、苦しいことも、うれしいこともいろいろあるものだ。その苦しいことに耐えなければ、何ごとも成し遂げられない。」
 
 この一文は今日、長岡市で行われた生長の家講習会の帰途、同市内にある「河井継之助記念館」に立ち寄ったとき、受付でもらったパンフレットに印刷されていた言葉だ。これを河井継之助自身が言ったかどうかは、明らかでない。が、その内容は至極もっともだと思う。読者もきっと同感だろう。そこで質問したい--この文は人生の不自由さを描いているのか、それとも自由さを表現しているのだろうか? この答えはたぶん、文章のどこに注目するかで変わってくる。「苦しいことに耐える」という部分に注目する人は、「面倒くさいなぁ~」と感じて不自由さを述べていると解釈するだろう。しかし、「何ごとも成し遂げ」という部分に注目すれば、「努力さえすれば何ごとも成し遂げられる」というメッセージを読み取ることができるので、人生は自由だと感じるだろう。読者はいずれの解釈を選ぶだろうか?
 
 私としては、後者の解釈をお勧めする。それが、主観的自由を自ら創り出す積極的な生き方につながるからだ。このことをもっと具体的に、私の最近の体験からお話ししよう。
 
 今日の新潟越南教区での講習会後に行われた幹部懇談会で、白鳩会の副会長さんの一人が私の健康を心配してくださった。というのは、北杜市に移住して以降、私が通勤のためにマウンテンバイクに乗っているということを、本欄やフェイスブックを通して知ったからだ。それを読まれ、ご自分が自転車で通勤されている経験から、「マウンテンバイクは体を鍛えている人にはよくても、そうでない場合は、上半身にも負担がかかるので大変です」と親切に助言して下さった。そして、電動アシスト付の“ママチャリ”を推薦してくださった。私は彼女のご好意に心から感謝したあと、「ご心配なく」と付け足した。が、この助言を今日ではなく、北杜市に移住したばかりの昨年10月ごろに聞いていたならば、私の決意は揺らいだかもしれない。なぜなら、その頃は本当に自転車通勤は「大変だぁ」と感じていたからである。
 
 私の自宅から“森の中のオフィス”までは3キロ強ある。平地の舗装道路を自転車で3キロ走ることは何の問題もないどころか、快適であるに違いない。しかし、自宅とオフィスの標高差は100メートルほどあり、オフィスの方が標高が高い。加えて、自宅から数百メートルの道は舗装のないラフロードだから、一度坂を下りてから再び坂を上る。だから、オフィスにいたる最後の上り坂は、かなり厳しいのである。昨年秋の段階では、私は最後の上り坂を完走できず、自転車から降り、車体を押して歩いた。しかし、これにめげずに自転車通勤を続けていると、歩く距離はしだいに短くなり、やがてノンストップ通勤が実現した。この時の喜びは、筆舌に尽くしがたい。60歳を過ぎたら肉体の能力は衰えるばかりかと思っていたが、決してそうでないことを発見し、「自分は本当に無限力か!」と一瞬思ったほどだ。もちろん、この考え方は実相と現象を混同していて間違っている。が、実感としては両者を混同しそうなほど、感激したのである。
 
Makibapark_052414  オフィスへのノンストップ・ヒルクライムが実現した後は、さらにそれより高地にある県立「まきば公園」を目指すようになった。標高差はさらに100メートルほどあるが、これはさほどの苦労や苦痛をともなわずに実現した。坂の傾斜が、オフィス前の坂道より緩やかだからだ。「まきば公園」(=写真)はその名の通り牧場を擁していて、ウシやヒツジ、ウマなどが放牧された見晴らしのよい広大な土地である。晴れた日に、苦しみもがいたすえにそこへ到達した時の達成感と爽快感は、味わったものでなければ分からない。だから私は、河井継之助記念館のパンフレットにあった「苦しいことに耐えなければ、何ごとも成し遂げられない」という言葉を、「苦しいことに耐えれば、何ごとも成し遂げられる」と読み替えて、密かに喜んでいるのである。 
 で、このことと「自由」の問題はどう関係するのか、と考えてほしい。私がまきば公園で感じる達成感と爽快感は、努力のすえ獲得した自由の感覚だと思う。これまで不可能だったことが、可能になったのだ。しかし、そのためには、通勤に自動車を使わないことはもちろん、自転車でも中途降車をせず、歩かずに、ただひたすらにサドルの上で苦しみもがくという「不自由」きわまりない困難を通過しなければならなかった。このようにして、自由は不自由から生まれるのである。この考えが理解できれば、私たちはいつ、どんな時でも、“自由への道”を歩んでいると言えるのである。それがたとい、人から強制された不自由であっても、「強制された」という考え方を変えてしまえば、不自由はそのまま自由になる。
 
 このことを谷口雅春先生は、『新版 生活の智慧365章』の中で次のように説いておられる--
 
「人間の自由は、彼が環境や境遇の奴隷でなくなったときにのみ得られるのである。環境がどうだから出来ないとか、こんな境遇ではとても思うようにならないとかいうのでは、環境や境遇の奴隷であって、自由の主体である“神の子”の自覚を得たものということができないのである。もっと神想観して絶対者との一体感を深めなさい。すべての環境・境遇は、その人が或る能力を発現さすための運動用具のようなものである。木馬や鉄棒や平均台や吊環などはいずれも、運動の選手がそ能力を発現さすために是非なくてはならない環境又は境遇であるのである。運動の選手はみずからそのような環境・境遇の条件をもとめて、それを克服し、自由に肉体の運動美を発揮するための用具とするのである。このとき運動選手は主人公であり、自由の主体である」。(p. 119)
 
 実に味わい深いご文章ではないだろか。
 
 谷口 雅宣
 

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2013年10月12日 (土)

晴れた日の朝

  1012日、八ヶ岳南麓には朝から強風が吹いていた。

夜中、私が自宅の寝室で目を覚ました時にも、窓外のデッキで何かコトコト音がするのに気づき、「まさかシカではないか?」と一瞬疑った。しかし、シカの体重は人間を優に上回る。だから、彼らが本当に板張りのデッキを歩いたならば、その足音はコトコトではすまされないと考え、私は安心して再び眠りについたのだった。朝起きて、居間の大きなガラス窓にかかったカーテンを開け、その向こうに白々と明けつつある広い空を見たとき、夜中の音が風のせいであると私は了解した。


 
目の前の木々が揺れていた。ほとんどはまだ紅葉していないが、一部黄褐色に変わった木の葉が森の方向から風で飛ばされてきて、空を舞っていた。私が大窓以外の窓のカーテンを開けに家中を歩き、居間に戻ってきた時、妻がこう言った。

「植木鉢が風で倒れてるわ!」

  見ると、デッキの縁に並べられていた青い陶製の植木鉢のいくつかが倒れ、葉ぶりのいい観葉植物が横に転がっていた。勝手口から急いで出ていった妻が、それに近づくのが見える。これらの鉢は、東京では家の東南の2階のバルコニー置かれていた。そこはコンクリートの高い手摺りで覆われ、一部の鉢は金属製の輪の中に収まっていたから、鉢の中の植物が威勢良く伸びて座りが悪くなっていても、倒れる心配はほとんどなかった。しかし、大泉町に引っ越してまだ間もない今、仮に置かれたデッキの上では、南アルプスから吹き下ろす強風には耐えられない。

  風が強いということは、しかし悪いことではない。太陽が昇り、あたりの森が明瞭に姿を現す頃には、背景の空の色も青さを増してきた。風のおかげで、雲一つない快晴が与えられたのだ。

  これにくらべ前日は、朝から厚い雲が上空を去らない曇天だった。霧雨も交じっていたから、朝、仕事場へ行くのにどうするかを思案した。傘や雨靴のことではない。乗物をどうするかの問題である。 私は、東京から八ヶ岳南麓に越してきてから、自転車通勤を始めた。東京では徒歩の通勤だったが、こちらでも同じことができないわけではないが、時間がかかるのが問題だった。また、山あり谷ありの地形も障害に思えた。そこで、山道にも強いと言われるマウンテンバイクを買い、それに跨ってオフィスに通うことにしたのである。その通勤時間が2030分ほどだから、徒歩で同じ道を行けば倍は時間がかかるだろう。それをまだやったことがないので、雨の日にはやってみるのも悪くないと思ったのである。その場合、しかし着ていく服が違うので、早く決めて準備をしなければならなかった。交通情報ではなく、お天道様をしっかりと見て判断する--都会生活では長らく忘却していた自然観察が不可欠の毎日である。

Solarcharge_2    前日は結局、私はテレビの天気情報を信じて自転車通勤を選んだが、朝から晴天の今日は、乗物の選択以外にもすべきことがあった。車の充電である。“森へ行く”という今回の決定に合わせて、妻が「PHEV」という種類の車を買った。これは「plug-in highbrid electric vehicle」という英語の略で、家庭用電源から充電できるタイプの電気自動車に、補助用のガソリンエンジンを搭載した車だ。大泉町に建てた私たちの新居には太陽光発電パネルを設置したから、晴れた日の日中に充電すれば、自動車は“炭素ゼロ”で動かせるのである。同じことは自動車以外のものにも言える。だから、わが家では、晴れた日の朝には、妻の車だけでなく、パソコンやスマートフォン、電気掃除機など、日常的に使われる充電式の電気製品は一斉にコンセントにつながれることになる。生長の家の国際本部である“森の中のオフィス”が二酸化炭素を排出せずに業務を遂行しようと様々な工夫をしているのだから、そこで働く我々も、個人生活においても同様の努力をすることは当然だと思うのだ。私が自転車通勤を始めたのも、もちろん健康管理の意味もあるが、同じ目的である。

谷口 雅宣

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