UFOはあるかもしれない
『朝日新聞』の2021年7月29日夕刊は、「UFO遭遇 もしかしたら」という見出しで、去る6月25日付で発表された米政府の“UFO報告書”の内容について報道した。この報告書は、国家情報長官室(Office of The Director of National Intelligence)がまとめた「未確認空中現象の初期評価」(Preliminary Assessment: unidentified aerial phenomena)という文書で、A4判用紙で9ページという短いものだ。この「未確認空中現象(UAP)」というのが、アメリカでの「UFO」の正式名称だ。報告書そのものは、ネットを使えば誰でも入手できるから、英語が読める人は確認してほしい。その内容は、『朝日』の記事が要領よくまとめている--
「2004~21年にかけて、米軍パイロットが目撃した情報や映像など144件を検証するものだ。調査したところ、1件は気球とされたが、残りは何かわからなかった」
それだけのことなので、「なーんだ、大したことないじゃないか」と思う人も少なくないだろう。が、私は少し違う感想をもった。まず、17年間で144件というその数、そして目撃者が米軍パイロットという2つの要素が注目される。日本ではごく稀に、“酒気帯びパイロット”が問題になるが、米軍ではまずそれはないと考えたい。通常より視力が優れたパイロットが年平均8.5件の目撃情報を、正式に軍に報告しているということだ。目で見ただけでなく、最新鋭の航空機に搭載した各種センサーでも感知している。録画したビデオもある。単独での目撃だけでなく、複数のパイロットによるものもある。加えて、科学技術の粋である軍用機を自在に操るパイロットが「UFOを見た」と報告することへの抵抗感も考慮に入れたい。つまり、同僚や上官から「お前、大丈夫か?」と、感覚異常や知的レベルを疑われるリスクを押して、彼らは報告しているのである。だから、報告されていないケースも相当数あると推測する。そして、米国の軍や情報機関がそれらのデータを検証した結果、「143件は何だか分からない」というのである。
この「何だから分からない」ということが、私は重要だと思う。「目の錯覚だ」とか「幻影を見た」というのではない。「何かがそこにあった」というのである。そして、その何かが現在の米国の科学技術のレベルから見て「説明できない」というのが、この初期評価の結論なのだ。だから、この報告書には、本件は「潜在的な国家安全保障の問題でもある」と書いてある。報告書にある、次の文章を読んでほしい--
「我々は現在、この現象の中の何かが外国の諜報活動の一部であるとか、潜在敵国による重要な技術革新を示すというデータを有していない。これらの現象が提起するであろう防諜上の問題を考えれば、我々はそれらの証拠を見出すべくさらに監視を続ける考えである」
報告書の具体的記述の一部を紹介すると--
・144件のうち80件は、複数のセンサーによって感知されている
・これらのほとんどは、軍の訓練やその他の活動を妨げるものとして報告されている
・11件の報告は、パイロットにより未確認現象とのニアミスとして記録されている
上記のような記述を見ると、この報告書を発行した国家情報長官室が神経質になっている理由が想像できるのである。
しかし、翻ってアメリカにおける“UFO問題”の歴史を振り返ると、今の時点で「潜在的に安全保障上の問題がある」といいながら、この程度の結論でお茶を濁していることに大きな疑問が残る。この報告書に「unclassified」というラベルを貼られていることが、その疑問を強くさせる。「unclassified」とは、報告書の内容が「機密ではない」という意味で、「機密扱い」の情報が他にあることを暗示している。つまり、「本件には国民に秘匿しておくべき情報が含まれているが、とりあえず無難な情報だけを発表しておこう」という意図があるとも解釈できるのである。
私が「今の時点で」という言葉を使ったのは、「昔から指摘されながら、今ごろ?」という意味合いである。恐らく多くの読者は、アメリカ映画のうち『E.T.』(1982年)、『ロズウェル』(1994年)、『インディペンデンス・デイ』(1996年)、『コンタクト』(1997年)のいずれかをご覧になっているだろう。これらは地球外高等生命の存在を扱った映画で、そのうち『ロズウェル』だけがテレビ映画で、これは1947年にニューメキシコ州のロズウェル市近郊で実際に起きた飛行物体の墜落事件を題材にしている。つまり、74年も前から、アメリカでは地球外高等生命の存在が指摘され、何本もの映画で扱われ、連邦政府もその研究に予算をつけてきた。その額は2,200万ドル(約22億円)という。
これはしかし、問題の本質から考えるとそれほどの額ではない。大型の無人攻撃機「プレデター」1機の値段は、2009年のデータで450万ドルだったから、5機も買えない。同じ年の国防予算では、最新鋭のステルス戦闘機F22は1機が3億5000万ドルもした。その16分の1しか予算を使わなくて、「国家安全保障の問題」だと考えるのはいかにも大げさだ。つまり、想像するところ、米国政府はこの問題について、長い間あまり熱心ではなかったのだろう。それが、近年になって急に真面目になったのか。
その辺の事情については、SFテレビドラマ『X-Files』の生みの親であるクリス・カーター氏が、今年6月25日の『ニューヨーク・タイムズ』紙に書いているエッセーが興味深い。その1つの理由は、国防総省がUFOの調査研究に毎年秘密裏に上述の予算をつけてきたことを、同紙が2017年にスッパ抜いたからだという。それに加え、米海軍が未確認空中現象を報告する制度を整えたことにも要因があるらしい。
このことは、今回の報告書の4ページ目にこう書かれている--
「データが限定的であることと一貫性のない報告の仕方が、未確認空中現象を評価する際の中心的な障害だった」
つまり、海軍が報告制度を標準化したのは、2019年の3月になってからで、その後、2020年11月になって空軍が同じ方法を採用したが、それまでの約70年間は、各報告はバラバラな書式や方法で行われていたというのだ。そして、今回の検証の対象となった2004年から本年までの144件の報告の過半数は、過去2年間に集中しているのだという。海軍と空軍が未確認空中現象の報告制度を整えたということは、両軍がUAPの存在を実質的に認知したことを意味するだろう。少なくとも、この現象の原因は、報告者が何か異常な心理状態にあった結果だとは考えていないのだ。そうなると、軍のパイロットの側もその現象を報告しやすくなり、報告数が増加するという結果になる。だから、144件の報告の過半数が最近2年間のものとなるのかもしれない。
では、私たちはUAPという現象をどう受け止めるべきだろうか。
UAPを、原語に忠実な「未確認空中現象」という意味で考えると、それを否定すべき理由はない。これは、極地に現れるオーロラという現象を否定する根拠がないのと同じことだ。もっと卑近な例を挙げれば、虹が見えているのに「そんなものは存在しない」と否定する人がいないのと同じだ。しかし、「虹が見えているのだから、見えている通りの大きな物体が空に掛かっているのだ」と言えば、その人の知性は疑われる。これと同じように、UAPが視認されたり、計測器で把握されたとしても、その姿やデータ自体がそのまま何かの実体を示していると考えるべきではないだろう。ややこしい言い方をしたが、要するにUAPは、地球外高等生命の乗り物だと結論するのは時期尚早だと私は思う。
それでは、地球以外に高等生命は存在しないのか? 私は、地球外高等生命が存在する可能性を否定しない。生長の家では、神のことを「大生命」とか「宇宙の大生命」と呼ぶことがあるから、それを信じる人は半ば地球外高等生命を信じていることになるだろう。この「半ば」の意味は、生長の家が奉じる神は必ずしも「地球外」ではないからだ。「自己に宿る神」と言ったり、「神・自然・人間は本来一体」と言う場合、神は空間的概念ではない。その意味では、地球外高等生命は神ではない。では、それは高級霊か? この問いへの答えも「ノー」だろう。なぜなら、霊や霊界も空間的概念ではないからだ。
しかし、素朴に考えても、これだけ広い宇宙の中の、そこに輝くおびただしい数の星や惑星の中で、この小さな地球にしか生命が棲まないということの方が、信じがたいことではないだろうか。
谷口 雅宣
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コメント
総裁先生のおっしゃるように、無限に広がる輝く宇宙に、他の生命体が存在しないと信じることのほうが不自然だと、私も思います。
投稿: 三澤 房美 | 2021年8月 4日 (水) 06時55分