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2021年3月 1日 (月)

困難の中で「内に宿る神」の声を聴く

   今日は午前10時から、山梨県北杜市にある生長の家国際本部ーー森の中のオフィスのイベントホールで、「立教92年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が開催された。昨年に引き続き、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、インターネットを通じたオンライン形式を採用しつつ、私は概略以下のような言葉を述べた。

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 本日は、立教92年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典にお集まりくださり、誠にありがとうございます。今回の記念式典は、ご存じのように、首都圏などでまだ緊急事態宣言が解除されていない状態なので、大人数が一堂に会してお祝いをすることができず、昨年に引き続きインターネットを使ってのオンライン形式で開催せざるをえないことが、誠に残念であります。しかしその反面、ここ1年ばかりのあいだに、私たちは様々な分野でネットを利用する生活に親しんできたし、これまでネットにまったく縁のなかった人たちの間にも、ネットを使う習慣がしだいに根付いてきたので、もしかしたら、本年は昨年よりも多くの人々が、この記念日にオンラインで参加してくださっているのではないか、と私は想像しているのであります。 

 諺に「窮すれば通ず」というのがあります。もともとは『易経』の言葉ですから、中国人の知恵が表れている言葉です。意味は、「人生では、どうにもならないほど行き詰まった状態になると、かえって解決の道が開かれ、何とかなる」ということです。このような諺は漢字文化圏だけでなく、英語にも似たようなものがいくつかあります。その1つは、「Necessity is a hard weapon.」です。邦訳すれば「必要は強力な武器である」とでもなるのでしょう。必要に迫られると、人間は底力を発揮するということです。 

 これに対し、生長の家では何というかご存じですか? それは、「八方塞がりでも、天井は開いている」という教えです。皆さんは、聞いたことがありますか? これは、第二代総裁の谷口清超先生が『人は天窓から入る』というご著書などで説かれたものです。この本は、昭和60(1985)年の出版で、表紙カバーにはヒゲの長いオジイサンの人形が写っています。この書の「はしがき」から引用します。清超先生は「人間は神の子である」という教えの喩えとして、人間が自動車を買い替える話を使われて、買い替える人が本当の人間であり、肉体は交換される自動車に当たると説かれています。また、人が住む家とその人との関係にも言及されて、こう書かれています-- 

 別の例でいうと肉体を「家」にたとえてもよい。その「家」に入りこんで、その家を使うところの主人公、それが真の人間である。どこから入りこむかというと、「天窓」から……というので、この本のような表題となった。

 さてここでは天というと、中国の古典でいう神のことである。実際吾々の家で天窓から入って来るのはまず泥棒さんぐらいのものだが、本当の天の窓だと、神の国の住人の入り口となり、神の子が光となって入ってくるわけだ。即ち人間を肉体であると考えるのではなく、永遠に死なない魂として考え、不滅の存在として考えるのである。すると人生の種々の難問が、実に面白いように氷解する。

  つまり、「八方塞がりでも、天井は開いている」という教えは、自分は肉体ではなく神の御心を体現した神の子である、という自覚から問題に取り組めば、解決の道は必ずあるという意味です。この教えと、それに沿った生き方が、生長の家の信仰の基本と言えるでしょう。92年前、この運動が開始されたときも、谷口雅春先生は「八方塞がりでも、天井は開いている」というこの精神と自覚にもとづいて『生長の家』誌を創刊されたのであります。

  私はこの立教記念日には、3月1日を発行日とした『生長の家』創刊号から引用して、生長の家の宗教運動の当初の精神から学ぶことを続けてきましたが、立教当時の日本の経済が「昭和恐慌」と呼ばれる厳しい状態であったことは、すでに何回かお話ししました。昭和恐慌とは、1929年の秋に、ニューヨーク・ウォール街の株価暴落に始まった世界恐慌が、日本に飛び火して、3031年にかけて日本経済が危機的に縮小したことを指します。『信仰による平和の道』には、それが次のように描かれています-- 

 当時は、日本の中心的な産業は生糸産業でしたが、その生糸の値段が1930年1月から31年にかけて55%下落した。半額以下になったわけです。これに連動して、綿糸などの値段も52%下がった。米の値段は50%下がって半額になった。すごいデフレが起こったわけです。そして、日本の貿易は1929年から31年までの2年間で、輸出が43.2%減った。半分ぐらいになったのです。輸入も40%減った。

 失業者は、1930年に237万人、31年は250万人、32年は242万人という状態で、大混乱です。GNPでみると、この3年間に27%減っている。つまり、日本の経済は3割ぐらい縮小してしまったのです。(p.293 

 
これに対して、次のグラフは、昨年から今年にかけての“コロナショック”による世界の経済縮小の度合いを表しています。これを見ると、黄色い折れ線が日本のGDPですから、最大で8.3%ぐらいの縮小率です。ということは、当時の方がよほど厳しい経済状態だったと言えます。こんな時期に、生長の家の運動は発進したのであります。そのことを念頭に『生長の家』誌Reahmanvscoronagdp2の創刊号を読んでいただくと、谷口雅春先生のお気持ちがより深く理解できると思います。 

 『生長の家』誌創刊号には、「内に宿り給う神」という文章があり、次のように書かれています(原文は旧漢字旧仮名遣い)--

  内に宿り給う神にたよる者は幸福である。彼は予め恐怖しない。彼は取越苦労をしない。
 彼は差し迫った時が来れば吾々のうちにどれ程の力がひそんでいるかと云うことを自覚している。世の中には子供を失っただけでさえ、とても彼女は生きられないと思われる程の繊弱(かよわ)い母親が、良人を墓穴へ見送り、大家族が一人残らず死んでしまっても自分だけは生きながらえていて、家も亡び、最後の一銭までもなくなったのに、尚それに耐えて依然として生活を続けて行っていると云うような実例がザラにある。必要にブツ突かれば、吾々のうちに奥深く隠れている力が呼び覚まされて起ち上る。此の力こそ吾等の衷(うち)に宿り給う神なのだ。(中略)(pp.31-32)

 内に宿り給う神にたよる者は幸福だ。
 何物かに値いする程の人間は彼自身のうちに、永遠の向上を目指して自己を駆り立てて止まない力を自己の内に感ずる。自己がそれを好むと好まないとに拘らず、内部の神が外の自己を押し進める。
 『生長の家』を書くように自分を押し進めて呉れる力も此の内部の神だ。内部の神がなければ自分の精力少く見える身体から普通人としての勤労生活の傍(かたわら)、この可成り多いページの雑誌(創刊号は総80)が自分ひとりの力でどうして書けようぞ。
 自分はこの内部の神に頼って此の事業を進めて行くものなのだ。(pp.33-34

 今回のコロナショックで、私たちの運動も大きな転換を迫られているのですが、私たちは「八方塞がりでも、天井は開いている」という教えと共に、厳しい状況の中でも「必要にブツ突かれば、吾々のうちに奥深く隠れている力が呼び覚まされて起ち上る」という雅春先生の「内に宿り給う神」の教えを実践する機会が目の前にあるということに気がつかねばならないのです。従来の方法や従来の方向に進めない場合は、新しい方法や新しい方向を開

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拓し、進んでいけばよいのであります。

 このことは、世界中の人々の間ですでに実践されています。私たちも、昨年から今年にかけて新しい試みに挑戦していることは、皆さんの多くはすでにご存じのことでしょう。

 生長の家講習会は開かれていませんが、それとは別のルートでみ教えを伝えようとする努力は続いています。その1つは「講話ビデオ」の作成です。昨年以来、私はすでに48本のビデオを製作し、発表いたしました。白鳩会総裁は20本を作られました。コロナ禍で“おうちご飯”や“おうち料理”を、人々が積極的にやり出した機会が生かされています。“森の中のオフィス”の本部講師、本部講師補の講話ビデオも、すでに12本が登録されています。そして、このような講話ビデオを鑑賞しながら、ネットを使って、年齢や男女の別なく、また信徒以外の人も含めて教義の研鑽ができる「生長の家ネットフォーラム」という仕組みもでき上がり、それを使って全国で多くの信徒の皆さんが運動を展開し始めています。

 また、コロナ禍では大勢の人が集まりにくいという点を克服するために、一人や少人数でできる新しい行事や行の開発も進んでいます。「七重塔に文字を重ねる」こと、「ペン写経」をすること、そして自転車を使ったリレーや、インタープリテーションの方法を取り入れた生長の家独自の環境教育の実施計画も進展しています。

 これらの新しい工夫や、運動方法や組織のあり方の再検討は、実は谷口雅春先生の『生長の家』誌創刊号の発刊の精神――即ち「必要にブツ突かれば、吾々のうちに奥深く隠れている力が呼び覚まされて起ち上る」――に学ぶものだと理解していただくと、私たちの内部から勇気と力が湧き出してくるのではないでしょうか

 どうか皆さん、コロナウイルスを“憎むべき敵”だなどと思わず、私たちの無限の可能性を引き出してくれる“鞭撻(べんたつ)者”だと考え、日時計主義を実践しつつ、明るく、しかし用心深く、神性開発と真理伝道の生活に邁進していきましょう。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 それではこれで、私の話を終わらせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣 拝

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コメント

合掌、総裁先生の素晴らしいご挨拶を拝聴し、今こそ「生長の家」の真理を多くの人に弘めて行かねば.…と思いました。自己の信仰を深めながら“真理の素晴らしさ”を伝えて参ります。再拝

投稿: 大槻紀子 | 2021年3月 2日 (火) 10時40分

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