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2021年3月

2021年3月11日 (木)

人間中心主義から抜け出そう

 今日は午前10時から、山梨県北杜市の生長の家国際本部“森の中のオフィス”のイベントホールにおいて、「神・自然・人間の大調和祈念祭」が行われた。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、会場には人を集めず、御祭の様子はビデオカメラを通してネット配信され、多くの人々に伝えられた。私は御祭の最後に概略、以下のような言葉を述べた――

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 皆さん、本日は「神・自然・人間の大調和祈念祭」にお集まりくださり、誠にありがとうございます。昨年に引き続き今回も、皆さんとともに一堂に会することなく、インターネットを通じての参加となります。ありがとうございます。

  今年は2021年であり、日本では東日本大震災からちょうど10年がたつということで、また東京オリンピックの開催が間近だというので、「東北は復興した」とか「復興に至っていない」とか、経済やスポーツ、興行に焦点を合わせた報道や評論が行われています。また、昨年来の新型コロナウイルス感染症の問題も、主として経済活動再開との関係からしか論評されていません。これは日本の指導者や政治家、オピニオンリーダーの多くが、人類が今直面している問題の本質を理解していないことを示しているので、悲しい気持になるのであります。

  ここに、2つの大災害に関する統計的な数字を並べて考えてみましょう。まず、東日本大震災ですが、その犠牲者数はすでに各メディアに発表されているので、皆さんもご存じと思います。この犠牲者数の中には、地震と津波による直接的な死者に加え、行方不明者、そして震災関連死亡者も含まれていますが、すべてで「2万2198人」です。そして、新型コロナウイルス感染症による日本国内の死者数は、昨日の時点で「8,301人」です。大震災に比べて少ないようですが、この感染症はパンデミックですから、日本国内だけの数字を見ても、全貌はわかりません。そこで世界全体の昨日までの死亡者の総計を出します。それは「2607,852人」です。とんでもない数字です。201510月の国勢調査によると、大阪市の人口が「2,691,185人」であり、名古屋市は「2,295, 638人」ですから、この1年間で、大阪市または名古屋市から人がすべて消えたことに匹敵するほどの大災害なのです。そして、この数字は現在も毎日、増え続けていることは、皆さんもご存じの通りです。

  今私は、大震災とパンデミックの両方を呼ぶのに「大災害」という言葉を使いましたが、これは必ずしも正しい表現ではありませんね。ご存じのように、10年前の大震災と津波、原発事故については、「人災」の要素がかなり含まれていることが指摘されてきました。そして、今回の新型ウイルスによるパンデミックについても、人間の行動に起因する要素が数多く指摘されています。人間の行動が感染症を拡大させるので、それを防ぐために今、私たちは家に籠り、リモートで仕事をし、経済活動を縮小しているのです。

 では、人間の何がこのような大惨事を引き起こす要因になっているのでしょうか? それは、私たちの考え方、思考形式、思想などと呼ばれているものです。端的に言えば、それは「人間至上主義」です。

  私たち生長の家は、もう20年も前から、人類が現在抱える地球温暖化などの大問題の多くは、「人間至上主義」が原因だと指摘してきました。このものの考え方は、「人間中心主義」とも呼ばれます。今、画面に出ているのは、私が200210月に上梓させていただいた『今こそ自然から学ぼう』という本です。この本には「人間至上主義を超えて」という副題がついて、英訳として「beyond anthropocentrism」という語が添えられています。また、これより1年前に出た『神を演じる前に』(2001年1月)にも、「人間至上主義の矛盾」という見出しがついた文章が5ページにわたって書かれています。

  では、なぜ人間至上主義が間違っているかという理由については、『今こそ自然から学ぼう』の「はじめに」に引用されているエドワード・O・ウィルソン博士の言葉を紹介するのがいいと思います。なぜなら、彼は世界的に尊敬されている生物学の権威で、ピューリッツァー賞を2度もとっている人だからです。

 ウィルソン博士は、人類がこれまで他の生物からどれほど恩恵を受けて生きてきたかを忘れていると指摘し、それを「健忘症」と批判しているのだった。博士はこう続ける--

 こうした健忘症気味の空想の中では、生態系が人間に提供してきた恩恵(サービス)もえてして見逃されがちである。だが生態系は土地を肥やし、私たちがこうして今呼吸している大気をも作り出しているのだ。こうした恩恵なしには、これから先に残された人類の生活は、さぞかし短く険悪なものとなろう。そもそも生命を維持する基盤は緑色植物とともに、微生物や、ほとんどが小さな無名な生きもの、言い換えれば雑草や虫けらの大集団から成り立っているのだ。非常に多様であるため地表くまなく覆いつくし、分業して働くことができるこのような生きものたちは、世界を実に効率的に維持している。彼らは人類がかくあって欲しいと思うとおりのやり方で世界を管理しているが、それはなぜかというと、人類自体この生きた群集の中に混じって進化してきた動物であり、かつ人間の体の機能は人類以前にすでにできあがっていた特定の環境に合うよう、念入りに調整されているからである。(p. ii

  ここには、私たちが呼吸している空気が植物のおかげで成り立っていること、大地はその植物や、動植物を分解する菌類や、無数の昆虫類が作り上げていること、そういう多様な生物たちが地球の表面を覆いながら、お互いに深い関係をもって協力し合っていることが暗黙のうちに描かれています。そして、博士の表現を借りれば、これらの生きものが「世界を実に効率的に維持している」だけでなく、その維持の仕方は「人類がかくあって欲しいと思うとおり」であると書いてあります。このことを私たちは忘れているか、もしくは全く知らないのではないでしょうか?

  多くの都会人は、特に都会で生まれて育った人たちは、人間以外の自然界の生物は人間の生活の邪魔だと感じていないでしょうか? 彼らは「人類がかくあって欲しくない」存在だと感じている人が多い。だから、スーパーへ行けば殺虫剤とか殺鼠剤とか、ゴキブリホイホイとか農薬とか、消毒薬など沢山売られている。また、私たちは日常的に「雑草」とか「害虫」とか「害鳥」とか「害獣」などの言葉を使います。これは、自然界の生きものには「善」と「悪」があると考えている証拠ではないでしょうか。しかし、ウィルソン博士は、それら一見「悪い」と見られる生物もすべて含めて、「彼らは人類がかくあって欲しいと思うとおりのやり方で世界を管理している」と言っているのです。皆さんは、これに同意できますか?

  ウィルソン博士は次に、なぜそんなことが言えるのかという理由をきちんと書いています。この理由は、とても重要だと私は思います--

「それはなぜかというと、人類自体この生きた群集の中に混じって進化してきた動物であり、かつ人間の体の機能は人類以前にすでにできあがっていた特定の環境に合うよう、念入りに調整されているからである」

 この考え方は、博士の進化生物学者としての長年の研究と深い、優れた洞察から来るものです。白鳩会総裁の著書に46億年のいのち』という本があります。この題は、先ほど皆さんと一緒に読誦した『大自然讃歌』の中にある「地球誕生して46億年」という言葉から来ていますね。しかし、地球ができてすぐ生物が生まれたのではなく、生命の誕生はそれより10憶年ほど後です。すると、人間以外の生物は36億年もの進化を経験して今日に至っているのです。人類が誕生したのはわずか「20万年前」です。ということは、人類が地球で生活するようになった時には、すでに「359,980万年」もの時間をかけて、他の生物たちは進化を繰り返していたということです。このことが何を意味しているかを、ウィルソン博士はこう表現しているのです--「人類自体この生きた群集の中に混じって進化してきた動物であり、かつ人間の体の機能は人類以前にすでにできあがっていた特定の環境に合うよう、念入りに調整されているからである」

  

ここで少し、地球上の生物の歴史を概観しましょう。そうすることで、ウィルソン博士の言っていることがより深く、理解できると考えるからです。Lifehistory この図は、画面の左上から右下に向かって時間が流れていることを示しています。左上の端が今から36億年前の「生命誕生」の時で、1本の黄色い棒が横方向に10億年を表していると考えてください。画面の最下段にある棒は、他の棒より短くて、6億年を表しています。そうすると、画面には長い棒が3本と、短い棒が1本なので、全部で「36億年」を示しています。グラフの中にある数字は、100万年を単位とした数です。したがって左上端に「3600」とあるのは、「36億年前」という意味で、その下に「2600」「1600」「600」と続いているのは、それぞれ「26億年前」「16億年前」「6億年前」という意味です。

  この図をさっと眺めただけで分かるのは、一番下の棒だけが賑やかだということです。その棒の左端には水色で「カンブリア紀」と書いてあります。この水色の帯は、今から6億年から5億年にかけてで、この地質時代に膨大な数の生物種が一気に地上に現れたことで有名です。その現象を「カンブリア大爆発」と呼びます。そして、その一番下の棒の右端には赤い色がついていて、「人類誕生~現代」とあります。人類の誕生は今から20万年前と言われているので、この赤い線のところが、地球上に人類が存在している「20万年」を表しているのです。生物全体の進化の歴史と比べると、何と短い期間ではありませんか? しかし、私たち人類は、この進化の歴史の上に、それを前提として存在しているのです。それを、私たちは変えることなどできないのです。そのことをウィルソン博士は、こう言っているのです――「人類自体この生きた群集の中に混じって進化してきた動物であり、かつ人間の体の機能は人類以前にすでにできあがっていた特定の環境に合うよう、念入りに調整されている」。

  つまり、博士が言おうとしていることは、人類は他の生物と分離しては生きられず、また人間の肉体は、その基本的構造や機能は、すでに20万年前に決定されているということです。ところがご存じのように、私たち人間の中には、かなりの数の人たちが、この地球上の環境は、他の生物も含めて、人間の邪魔になることが多いから、それを人間の都合に合わせて改変することで、将来は天国のように生きやすい、便利な世界が実現するなどと考えているのです。私が「人間至上主義」と呼んでいるのはこの考え方のことです。「人間の幸福のためならば、自然界のあらゆるものは破壊したり、利用したり、改変したりできる」という思想です。これが間違いであることは、人類は長い時間をかけてゆっくり、ゆっくりと学びつつある――私はそう思いたい。日本の自民党政権が菅内閣になって初めて、突然のように「炭素排出を2050年までに実質ゼロにする」などと言い出しました。これは、先進国の中でもずいぶん遅れた取り組みです。が、まったく取り組まないよりはいいのですが、それでも私は、今の人類には30年もの時間の余裕はないと考えます。

  その証拠の1つが今、人類の目の前に突きつけられている新型コロナウイルスによるパンデミックです。これも地球温暖化も、人間至上主義がもたらしたものです。根っこは同じなのです。

  最近私は、オークヴィレッジ創設者の稲本正さんの『脳と森から学ぶ日本の未来』(WAVE出版、2020年)という本を読む機会があったのですが、稲本さんは「人間至上主義」という言葉は使っていませんが、それと同様の人間の身勝手な振る舞いが、この新型コロナの問題の背景にあるというお考えです。稲本さんは、この問題の原因は「人類側にある」とはっきり書いておられます。引用しましょう――

 新型コロナウイルス問題は人類が今まで歩んできて、大いに成功だと思い込んでいた近代文明の工業化により、自然を破壊し、巨大都市を造り、人間を都市に密集させつつ、長距離移動システムの確立と情報化へと移った一連の進歩を、根本から問い直すように促している。(pp. 46-47)

 

 人類が自分で生み出した問題を、解決に結びつかないように、自分自身で複雑にしている。原因は、経済や人種、国益などの理由を探して一致団結しようとしない人類の考え方にあるのだ。(p. 49)

  今、経済や国益を理由に、新型コロナウイルスのワクチンを独占しようとする動きがあります。また、ワクチンを自分たちの知的財産権の対象として考える傾向があります。しかし、そんな利己的な考えをしていると、グローバル化した世界経済と地球温暖化の中ではウイルスの脅威を抑え込むことなどできません。ウイルスは細菌よりもずっと小さいので、私たちは原始的で、単純な生物だと思いがちですが、決してあなどることはできません。ウイルス学の専門家の評価を紹介します――

  大方の推測では、ウイルスの総数は10の31乗と、地球上で最も多種多様な生命体である。ということは、進化上、最も成功をおさめた生命体である。ウイルスは、感染した細胞の代謝系を変換し、自分が増えやすい環境をつくるという事実から、宿主の細胞よりも複雑な生命の営みをする。だから、最も単純な生命体ではない。

  1リットルの海水があれば、その中にいるウイルスの数は地球上に住む人間の総計を、恐らく10倍ほど上回る。ウイルスの種類も、細胞をもつ生物全体の種類を上回り、推定で1兆種も存在する。 そして、人類のゲノムの8%はウイルス由来のものである。

  細胞レベルでは、私たち人間よりも複雑な動きをする生命体が、細胞をもつ生物全体の種類を上回るほど多種にわたって存在し、1リットルの海水に世界人口の10倍もの数で存在するのです。だから、今回のウイルスの脅威を取り除いたとしても、次が来ないなどとは決して言えません。その可能性を地球温暖化が増幅していることを、皆さんはご存じでしょうか?

  最近の急激な温暖化で、ロシアの北極圏にある永久凍土が溶け出しています。その結果、大変なことが起こると警告する科学者は少なくありません。次の写真を見てください。これはすでに起こってしまっていることです――

  今年の3月7日付のインターネットのNHKのニュースサイトにあった写真ですが、ロシアの北極圏にあるヤマル半島という所の永久凍土が溶け出していて、直径が数十メートルもある巨大な穴があいているというのです。それも1つだけでなく、十数個もです。こういう穴が開くと、中から何が出てくるかということも分かっています。

  次の写真を見てください。これは今年1月25日のNHK番組『クローズアップ現代 の内容を伝えるサイトです。ここに簡潔にまとめられていますが、永久凍土が溶け出すと、その下からは、二酸化炭素の25倍もの温室効果があるメタンガスが出てきた。それとともに、人類がこれまで知らなかった「モリウイルス」というウイルスも発見されたというのです。

  ですから、私たち人類が今のような人間中心主義の考え方を改めずに自然破壊を続け、経済発展ばかりを進める生き方をしていれば、私たちは自分たちの生活基盤をも破壊してしまう可能性さえあるのです。これは、遠い将来のことではなくて、現在それが起こりつつあるという認識をもたねばなりません。必要なことは、まず人類共通の「哲学・信仰」を確立することです。その基本は、生長の家が20年前から言っているとおり、「神・自然・人間は本来一体」ということです。もし「神」という言葉を使いたくなければ、先ほど引用したウィルソン博士や稲本さんのような言い方でもいい。とにかく、人間さえよければ自然界の他の生物や鉱物資源はどうでもいいという考え方から、早急に脱却しなければならないのです。

  そして、私たちの生活の仕方を改めていく。つまり、信念を行動で表現していくのです。そして、自分ひとりで納得するのではなく、多くの人々にその信念を伝え、それらの人々と共に日常生活の中にその考えをどんどん反映させていかねばなりません。そういう運動を、これからも皆さんと一緒に力強く進めてまいりたいと、今日のこの祈念祭に当たり強く思うものであります。

それではこれで、私の話を終わらせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣

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2021年3月 1日 (月)

困難の中で「内に宿る神」の声を聴く

   今日は午前10時から、山梨県北杜市にある生長の家国際本部ーー森の中のオフィスのイベントホールで、「立教92年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が開催された。昨年に引き続き、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、インターネットを通じたオンライン形式を採用しつつ、私は概略以下のような言葉を述べた。

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 本日は、立教92年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典にお集まりくださり、誠にありがとうございます。今回の記念式典は、ご存じのように、首都圏などでまだ緊急事態宣言が解除されていない状態なので、大人数が一堂に会してお祝いをすることができず、昨年に引き続きインターネットを使ってのオンライン形式で開催せざるをえないことが、誠に残念であります。しかしその反面、ここ1年ばかりのあいだに、私たちは様々な分野でネットを利用する生活に親しんできたし、これまでネットにまったく縁のなかった人たちの間にも、ネットを使う習慣がしだいに根付いてきたので、もしかしたら、本年は昨年よりも多くの人々が、この記念日にオンラインで参加してくださっているのではないか、と私は想像しているのであります。 

 諺に「窮すれば通ず」というのがあります。もともとは『易経』の言葉ですから、中国人の知恵が表れている言葉です。意味は、「人生では、どうにもならないほど行き詰まった状態になると、かえって解決の道が開かれ、何とかなる」ということです。このような諺は漢字文化圏だけでなく、英語にも似たようなものがいくつかあります。その1つは、「Necessity is a hard weapon.」です。邦訳すれば「必要は強力な武器である」とでもなるのでしょう。必要に迫られると、人間は底力を発揮するということです。 

 これに対し、生長の家では何というかご存じですか? それは、「八方塞がりでも、天井は開いている」という教えです。皆さんは、聞いたことがありますか? これは、第二代総裁の谷口清超先生が『人は天窓から入る』というご著書などで説かれたものです。この本は、昭和60(1985)年の出版で、表紙カバーにはヒゲの長いオジイサンの人形が写っています。この書の「はしがき」から引用します。清超先生は「人間は神の子である」という教えの喩えとして、人間が自動車を買い替える話を使われて、買い替える人が本当の人間であり、肉体は交換される自動車に当たると説かれています。また、人が住む家とその人との関係にも言及されて、こう書かれています-- 

 別の例でいうと肉体を「家」にたとえてもよい。その「家」に入りこんで、その家を使うところの主人公、それが真の人間である。どこから入りこむかというと、「天窓」から……というので、この本のような表題となった。

 さてここでは天というと、中国の古典でいう神のことである。実際吾々の家で天窓から入って来るのはまず泥棒さんぐらいのものだが、本当の天の窓だと、神の国の住人の入り口となり、神の子が光となって入ってくるわけだ。即ち人間を肉体であると考えるのではなく、永遠に死なない魂として考え、不滅の存在として考えるのである。すると人生の種々の難問が、実に面白いように氷解する。

  つまり、「八方塞がりでも、天井は開いている」という教えは、自分は肉体ではなく神の御心を体現した神の子である、という自覚から問題に取り組めば、解決の道は必ずあるという意味です。この教えと、それに沿った生き方が、生長の家の信仰の基本と言えるでしょう。92年前、この運動が開始されたときも、谷口雅春先生は「八方塞がりでも、天井は開いている」というこの精神と自覚にもとづいて『生長の家』誌を創刊されたのであります。

  私はこの立教記念日には、3月1日を発行日とした『生長の家』創刊号から引用して、生長の家の宗教運動の当初の精神から学ぶことを続けてきましたが、立教当時の日本の経済が「昭和恐慌」と呼ばれる厳しい状態であったことは、すでに何回かお話ししました。昭和恐慌とは、1929年の秋に、ニューヨーク・ウォール街の株価暴落に始まった世界恐慌が、日本に飛び火して、3031年にかけて日本経済が危機的に縮小したことを指します。『信仰による平和の道』には、それが次のように描かれています-- 

 当時は、日本の中心的な産業は生糸産業でしたが、その生糸の値段が1930年1月から31年にかけて55%下落した。半額以下になったわけです。これに連動して、綿糸などの値段も52%下がった。米の値段は50%下がって半額になった。すごいデフレが起こったわけです。そして、日本の貿易は1929年から31年までの2年間で、輸出が43.2%減った。半分ぐらいになったのです。輸入も40%減った。

 失業者は、1930年に237万人、31年は250万人、32年は242万人という状態で、大混乱です。GNPでみると、この3年間に27%減っている。つまり、日本の経済は3割ぐらい縮小してしまったのです。(p.293 

 
これに対して、次のグラフは、昨年から今年にかけての“コロナショック”による世界の経済縮小の度合いを表しています。これを見ると、黄色い折れ線が日本のGDPですから、最大で8.3%ぐらいの縮小率です。ということは、当時の方がよほど厳しい経済状態だったと言えます。こんな時期に、生長の家の運動は発進したのであります。そのことを念頭に『生長の家』誌Reahmanvscoronagdp2の創刊号を読んでいただくと、谷口雅春先生のお気持ちがより深く理解できると思います。 

 『生長の家』誌創刊号には、「内に宿り給う神」という文章があり、次のように書かれています(原文は旧漢字旧仮名遣い)--

  内に宿り給う神にたよる者は幸福である。彼は予め恐怖しない。彼は取越苦労をしない。
 彼は差し迫った時が来れば吾々のうちにどれ程の力がひそんでいるかと云うことを自覚している。世の中には子供を失っただけでさえ、とても彼女は生きられないと思われる程の繊弱(かよわ)い母親が、良人を墓穴へ見送り、大家族が一人残らず死んでしまっても自分だけは生きながらえていて、家も亡び、最後の一銭までもなくなったのに、尚それに耐えて依然として生活を続けて行っていると云うような実例がザラにある。必要にブツ突かれば、吾々のうちに奥深く隠れている力が呼び覚まされて起ち上る。此の力こそ吾等の衷(うち)に宿り給う神なのだ。(中略)(pp.31-32)

 内に宿り給う神にたよる者は幸福だ。
 何物かに値いする程の人間は彼自身のうちに、永遠の向上を目指して自己を駆り立てて止まない力を自己の内に感ずる。自己がそれを好むと好まないとに拘らず、内部の神が外の自己を押し進める。
 『生長の家』を書くように自分を押し進めて呉れる力も此の内部の神だ。内部の神がなければ自分の精力少く見える身体から普通人としての勤労生活の傍(かたわら)、この可成り多いページの雑誌(創刊号は総80)が自分ひとりの力でどうして書けようぞ。
 自分はこの内部の神に頼って此の事業を進めて行くものなのだ。(pp.33-34

 今回のコロナショックで、私たちの運動も大きな転換を迫られているのですが、私たちは「八方塞がりでも、天井は開いている」という教えと共に、厳しい状況の中でも「必要にブツ突かれば、吾々のうちに奥深く隠れている力が呼び覚まされて起ち上る」という雅春先生の「内に宿り給う神」の教えを実践する機会が目の前にあるということに気がつかねばならないのです。従来の方法や従来の方向に進めない場合は、新しい方法や新しい方向を開

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拓し、進んでいけばよいのであります。

 このことは、世界中の人々の間ですでに実践されています。私たちも、昨年から今年にかけて新しい試みに挑戦していることは、皆さんの多くはすでにご存じのことでしょう。

 生長の家講習会は開かれていませんが、それとは別のルートでみ教えを伝えようとする努力は続いています。その1つは「講話ビデオ」の作成です。昨年以来、私はすでに48本のビデオを製作し、発表いたしました。白鳩会総裁は20本を作られました。コロナ禍で“おうちご飯”や“おうち料理”を、人々が積極的にやり出した機会が生かされています。“森の中のオフィス”の本部講師、本部講師補の講話ビデオも、すでに12本が登録されています。そして、このような講話ビデオを鑑賞しながら、ネットを使って、年齢や男女の別なく、また信徒以外の人も含めて教義の研鑽ができる「生長の家ネットフォーラム」という仕組みもでき上がり、それを使って全国で多くの信徒の皆さんが運動を展開し始めています。

 また、コロナ禍では大勢の人が集まりにくいという点を克服するために、一人や少人数でできる新しい行事や行の開発も進んでいます。「七重塔に文字を重ねる」こと、「ペン写経」をすること、そして自転車を使ったリレーや、インタープリテーションの方法を取り入れた生長の家独自の環境教育の実施計画も進展しています。

 これらの新しい工夫や、運動方法や組織のあり方の再検討は、実は谷口雅春先生の『生長の家』誌創刊号の発刊の精神――即ち「必要にブツ突かれば、吾々のうちに奥深く隠れている力が呼び覚まされて起ち上る」――に学ぶものだと理解していただくと、私たちの内部から勇気と力が湧き出してくるのではないでしょうか

 どうか皆さん、コロナウイルスを“憎むべき敵”だなどと思わず、私たちの無限の可能性を引き出してくれる“鞭撻(べんたつ)者”だと考え、日時計主義を実践しつつ、明るく、しかし用心深く、神性開発と真理伝道の生活に邁進していきましょう。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 それではこれで、私の話を終わらせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣 拝

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