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2021年1月 1日 (金)

幸福とは自然を愛すること 

 全世界の生長の家の信徒の皆さん、新年おめでとうございます。

  私たちは2021年、令和3年という新しい年を迎えました。新年を迎えて喜びの言葉を交わす習慣は、世界中で当たり前のように続いてきましたが、本年はその“当たり前”の新年を迎えることのできる人が、例年より少ないことを悲しく思います。しかし、それでも新年の到来は、私たちにとって希望と前進と活力を与えてくれます。日時計主義を生きる私たちにとっては、そのことはなおさらです。新型コロナウイルスによる感染症の蔓延の中でも、私たちはこの年を積極的に受け止め、希望を胸に抱いて前へ進む生き方を放棄することはありません。

 今から76年前、日本が第二次大戦で敗れ、国土が一面の焦土と化した時でさえ、私たちは過去に過ちがあればそれを正し、神の御心を体して明るく前進したことを忘れてはいけません。生長の家創始者・谷口雅春先生はこの時、私たちが敵を作って戦う生き方をやめ、人類全体を「神の子」として拝みながら、明るく生きる方法を伝えることに全力を尽くすべきだと説かれたのでした。

 昭和20年、194511月号の月刊誌のご文章から引用します――

   “今後の教化方針は「天地一切に和解」「従って天下無敵」(敵あって「勝つ」と云うのは本来の生長の家の教ではない、戦争無の哲学が生長の家の哲学である)を説き、今後の日本の運命も、苦難が来る荊棘(けいきょく)の道だなどと「言葉」で云っていると「言葉は種子」であり苦難が来るから、吾々は今後日本国民に明るく生きる方法を教えるのに全力を尽くさねばならぬのです。吾等は対立国家としての日本ビイキ的なことを説かず、世界人類は一様に「神の子」として説き、特に『人生は心で支配せよ』『新百事如意』を中心に説いて行けば好いのであります。”


 この引用の最後に出てきたのは、2冊の本の名前です。これらは、いずれもアメリカで生まれたニューソート系の光明思想家の著書に触発されて、大戦以前に、雅春先生が翻訳あるいはリライトされたものです。生長の家はこのように、すでに戦前から、グローバルな視点をもち、普遍的な価値を説く宗教運動でした。だから私たちは、現在もこの伝統を受け継ぎ、狭い国家主義、国益主義を超えて、人類最大の課題となっている自然破壊と地球温暖化の抑制に全力で取り組んでいるところです。

  今回の世界規模の感染症の拡大で、私たちは多くのことを学んでいます。その重要な1つは、「自然を侮るなかれ」ということです。目に見えない半生物のウイルスのおかげで、世界では1年もたたないうちに150万人を超える人々が死に至り、世界経済は劇的に縮小し、国際関係は不安定となり、そのおかげで職を失った人々が大量の流民となって地上をさまよっています。この感染症の原因は何でしたか?

 専門家の分析によれば、中国内陸部の野生動物取引市場で、人間と野生動物とが濃厚接触したことが、その原因です。コウモリの体内に潜むウイルスが、今回のパンデミックを引き起こしたウイルスと遺伝子型が酷似しているといいます。そのウイルスが、センザンコウなどの小動物が中間宿主となって、人間社会に取り込まれてしまったようです。またその後、デンマークでは、やはり同じ小動物のミンクから、人に感染したコロナウイルスの変異種が発見され、それが開発中のワクチンの効力を弱めるのではないかとして、大問題になりました。つまりウイルスは、変異しながら人間と他の動物の間を行き来しているのです。

  これらの事実は何を教えているのでしょう? それは、人間は自然界の一部だということです。哺乳動物としての人間は、他の哺乳動物とそれほど変わらないのです。また、自然界は人間のためだけにあるのではないということです。にもかかわらず、人間が自然界を破壊しながら本来、近づくべきでない領域にまで欲望の手を伸ばし、その一部を自己目的のためだけに改変したり、利用する行為を続けていれば、自然界のこれまでの秩序は崩れ、その秩序によって保障されていた私たち人類の生活も破壊されるのです。この因果関係は、現下喫緊の問題である地球温暖化と全く同じだと言わねばなりません。

  つまり、新型コロナウイルス感染症も地球温暖化も、天罰や神罰ではなく、私たち人類のこれまでの考えと行動によって引き起こされたものなのです。仏教では、こういうことを「自業自得」と表現します。

  この仏教用語は、近代以降の人類の足跡を痛烈に批判していますが、その反面、私たちに問題解決の道を示してくれています。なぜなら、「自業自得」とは、人間が起こした誤りは、人間によって正せるという意味だからです。私たちが自然界の過度の破壊をやめ、自然が本来の活力を取り戻すように私たちの生き方を変えれば、人類はこの自業自得から脱却できるでしょう。生長の家は今、そのような生き方を信仰の情熱をもって推し進めています。大都会・東京から標高1300mの八ヶ岳南麓に国際本部を移し、二酸化炭素を排出しない業務を実現し、自然破壊の大きな原因である肉食から遠ざかり、資源の無駄遣いをやめ、日用品を手づくりし、無農薬・無化学肥料栽培を実践し、自動車の利用よりも自転車の利用を行う中で、自分が自然の一部であることを実感し、その実感の中に人間の幸福があることを体験する――これを理論だけではなく、日常生活の中で、省力化に走るのではなく、私たちが自分の体を積極的に使いながら、自然との切実な一体感を得る生き方こそ、現代に必要な信仰生活だと私たちは考えています。

  もし私たちが創造者としての神を信ずるなら、これ以上、自然破壊を続けることはできません。なぜなら、神は人間を創造されただけでなく、自然界全体を創造されたのですから、私たちは神の創造を自己目的のために破壊することはできません。私たち人間は、他者の喜びを見て幸福を感じます。それと同じように、私たち人類は自然を愛する生き方の中に幸福を見出すのです。なぜなら、個人はバラバラで無関係な存在ではないように、人間は自然から分離することはできないからです。そして、それらすべては神の作品であり、神の一部であるからです。

 私たちはこれからも、「神・自然・人間は本来一体である」とのメッセージとそれに基づく生活法を、広く世界にひろめてまいりましょう。皆さま、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 谷口 雅宣

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