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2020年8月23日 (日)

縄文人と住居の火

  前回のブログの記述から2週間以上たってしまったが、縄文時代について少しだが勉強する機会があった。そこで何が言えるかと言うと、断定的なことはあまり言えないのである。つまり、考古学者による研究は進んでいるが、それらの研究から“定説”的なものが積み上がり、専門家の

間で一応合意された縄文時代の全体像が見えているのかというと、そうでもないのである。

 例えば、人類にとって大変重要な「火の使用」についてだが、前回引用した岡村道雄氏の『縄文の生活誌』には、縄文初期の人々の生活について、次のようにある--

「炉穴では肉や魚の燻製を作るだけでなく、土器を使っての煮炊きやドングリのアク抜きもした。炉穴は、縄文環境の成立と同時に南九州に普及したが、やがて縄文環境と定住が北上するとともに、早い時期から近畿・中部高地・関東地方まで広がっていった。ただし、竪穴住居内に炉が設(しつら)えられるようになると姿を消し、調理は屋内の炉、燻製は炉の上の火棚で行われるようになった」(p.71)

「縄文土器の基本は、食料を調理する煮炊き用の深鉢土器です。土器で煮炊きができるようになって、人びとはドングリやトチの実、ワラビ、ゼンマイなどの山の幸、貝類などの海の幸を新たに日常食のメニューに加えられただけでなく、さまざまな食材を組み合わせて、味覚や栄養のレパートリーを広げることができました。そして、何よりも衛生的でした。縄文時代は、土器のおかげで食生活を格段に豊かにすることができたのです。」(勅使河原彰著『縄文時代ガイドブック』、p.12)

「縄文時代の竪穴住居には、普通、床の中央か、やや奥寄りに炉が1つ切られている。この炉には、深鉢形の土器がおかれて、食料が煮炊きされるが、暖や明かりをとるなど、一家団欒の場となった。炉の近くの床には、水を入れた深鉢形の土器や加工した食料品を入れた浅鉢形の土器、木の実を入れたカゴ、あるいは木の実を製粉する石皿や磨石などが所狭しと置かれていた。」(前掲書、p.59)

 このような縄文土器の用途の記述を見ると、それが「食料の煮炊き用」であることに異存を唱える人はいないようである。が、この食を得るための調理を縄文人がどこで行っていたのかという話になると、少し様子が変わってくる。上に引用した文章の筆者は、二人とも「室内」での煮炊きを当然としているようだが、「屋外」だと主張する人もいるのである。この主張は、竪穴住居跡に残された炉の底が、多くの場合「加熱によって赤レンガのように固くなっている」ことに注目した小林達雄氏によるものだ。小林氏は、まず炉の「灯りとり用」の用途と「暖房目的だけ」の用途を、理由をつけて「考えにくい」と否定した後で、次のように述べている--

「しかも、誰しもがすぐに思いつき易い、煮炊き料理用であったかと言えば、その可能性も全くないに等しいのだ。このことは極めて重要な問題である。とにかく、いくら室内の炉で煮炊き料理をやっていた証拠を探し出そうにも、手掛りになるものは何一つ残されてはいない。不慮の火災で燃え落ちた、いわゆる焼失家屋に土器が残されていることはあっても、そこには煮炊きに無関係の、しかし呪術や儀礼にかかわるかのような特殊な形態の代物--釣手土器、異形台付土器、有孔鍔付土器--ばかりである。縄文人の食事の支度は、どうも通常、住居の外でなされていたものらしい。」

 小林氏は、現代においても寒冷地に住むイヌイットが、厳寒期や悪天候の時以外はなるべく戸外で食事をする傾向があることを指摘し、気候温和な縄文時代の人が戸外での食事を原則としても不思議でないと述べ、さらには縄文人が竪穴住居で大きく火を燃やすことの問題を、次のように述べている--

「炉で火を燃やせば燃やすほど、煙が立ちこめて、眼を開けていられないほど苦しく、咳が出たり、涙があふれたり、たまらない思いをすることがある。この現実を直視して初めて縄文人に接近し、血を通わすことができるのである。博物館に復元された住居の中で縄文家族がこざっぱりした顔つきで炉を囲んでいる姿は虚像なのだ。そこにはガスや電気の恩恵を身一杯受けた、遥かに縄文放れした現実がそのまま投影されている。」(p.97)

 では、縄文人が家の中にわざわざ炉を構え、そこで火を燃やし続けた目的は何か? 小林氏は、そこに宗教の芽生えを見るのである。



「つまり縄文住居の炉は、灯かりとりでも、暖房用でも、調理用でもなかったのだ。それでも、執拗に炉の火を消さずに守り続けたのは、そうした現実的日常的効果とは別の役割があったとみなくてはならない。火に物理的効果や利便性を期待したのではなく、実は火を焚くこと、火を燃やし続けること、火を消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったのではなかったか。その可能性を考えることは決して思考の飛躍でもない。むしろ、視点を変えて見れば、つねに火の現実的効果とは不即不離の関係にある、火に対する象徴的観念に思いが至るのである。火を生活に採り入れた時点から、火の実用的効果とは別に世界各地の集団は、火に対して特別な観念を重ねてきた。その事例は、いまさらながら枚挙にいとまがない。縄文人も例外ではなかった。」(p.94) 

 さて、私自身はどちらの説に賛同するかと問われると、どちらか一方を現時点で選択することを大いに躊躇する。理由は、まだ勉強不足だからだ。しかし、今回のように1万数千年も前の人々の生活を考えるに際して、私たち現代人が注意しなければならないことを学ぶ機会を得た気がする。それは、「現代人の頭だけで考えない」ということと、それでも「同じ人類の一員として考える」ということだ。この2つは一見、矛盾しているように聞こえるかもしれない。が、宗教をなりわいとしている人間にとっては、常に意識しておくべきことだと感じる。詳しい説明のためには、稿を改めたい。

 谷口 雅宣

【参考文献】
〇小林達雄著『縄文の思考』(筑摩書房、2008年)
〇岡村道雄著『縄文の生活誌』(講談社、2008年)
〇勅使河原彰著『ビジュアル版 縄文時代ガイドブック』(新泉社、2013年)

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