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2020年8月 1日 (土)

石と信仰 (3)

 日本人は自然の営みの中に“八百万の神”を見出して、それらを信仰していたと指摘する人は数多くいるが、「日本人は岩石を信仰していた」と唱える人もいる。それは考古学者の吉川宗明氏で、その著書の中で次のように書いている--

「学校の歴史の授業でもほとんど習うことのない岩石信仰だが、日本列島に1千例以上ある信仰体系であることは揺るぎのない事実だ。その総数がどれほどの数に上るのか、全容については筆者自身もまったく把握できていない。
 ただ、一つはっきりしていることがある。それは、岩石はただ信仰されるだけにとどまらず、祭祀の道具や施設・装置にも使われており、信仰対象と同様に神聖な存在とみなされているということだ。信仰の目的や用途ごとに岩石の役割が使い分けられているため、その幅広さが岩石信仰を奥深く、かつ全貌をつかみにくくしているのである。
 また、岩石信仰は過去行われていただけの信仰ではない。現在も祭祀が続いている事例は多いばかりか、新しく信仰が生まれるケースも見受けられる。昨今盛んなパワースポットブームでも、岩石をパワースポットや癒しの対象とみなす新たな信仰が続々と生産中だ。岩石信仰は、昔も今も進行する人々がいる、現在進行形の生きた信仰ということにも注意したい」(『岩石を信仰していた日本人』、p. 12)

 「岩石を信仰する」という表現は、まるで岩石自体を神仏と見なして信仰するように聞こえるが、そうではなく、吉川氏によると、「岩石を使った祭祀行為全般をひっくるめた概念」のことを「岩石祭祀」と呼ぶ。そして、同氏は「その岩石が、人々によってどのような役割を与えられているか」という機能に注目して、次の5分類を提示している--

(1) 信仰対象 (280)
(2) 媒体 (934)
(3) 聖跡 (344)
(4) 痕跡 (8)
(5) 祭祀に至らなかったもの (362)

 同氏は、日本全国の2,187の事例に当たって分類した結果、上記リストの括弧内の数字を得たという。この分類は、神道考古学者の大場磐雄氏が1942年に提唱した「石神」「磐座(いわくら)」「磐境(いわさか)」の3分類を取り込みながら、神道の範囲を超えて普遍化したものとしている。

 上記の分類結果を見ると、日本で多く見られる岩石に関わる信仰形態は、岩石そのものを信仰するのではなく、それを信仰の「媒体」とするものだということが分かる。具体的には、岩石を神や仏が宿る施設と見なしたり、願いをかなえる道具として岩石を使ったり、岩石を神性な空間の領域を示す道具に使ったり、祭祀を遂行する道具としたりすることである。

 このような学問的なアプローチを採用すれば、生長の家が「石上げ」などの行事を通じて岩石を利用する場合、あるいは自然解説/文化遺産

解説の過程で岩石に言及する場合も、教義との矛盾を起こさずも行えるだろう。言うまでもなく、生長の家は唯一絶対神を信仰する宗教だから、上記の(1)の意味で岩石を使用することはあり得ない。しかし、(2)の観点から利用することに教義上の矛盾はないのである。だから、2011年3月の東日本大震災を契機として、その2年後に、京都府宇治市の生長の家宇治別格本山の敷地内には、「自然災害物故者慰霊塔」が建てられた。この慰霊塔には、兵庫県で産出される安山岩の一種「生野丹波石」という自然石が使われている。また、私が勤める“森の中のオフィス”の敷

地内には、そこを流れる沢に5つの橋がかかっているが、その傍らにはそれぞれの名前を記した石碑(=写真)が立っている。これらも「信仰の対象」ではなく、信仰の内容を言葉で表した「媒体」としての石の利用なのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○吉川宗明著『岩石を信仰していた日本人ーー石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究』(遊タイム出版、2011年刊)

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コメント

合掌、ありがとうございます。大変興味深く拝読致しました。私の在所に「滴水生誕の碑」の大きな石碑がありこの地が滴水禅師が4歳まで過ごした地であることに誇りを持っています。岩石に偉業をなした人物の名を刻むことで,石を媒介として後世に思いを繋ぐことも又、大切なことではないでしょうか?総裁先生、いつも素晴らしいお話しを感謝申し上げます。再拝

投稿: 大槻紀子 | 2020年8月 3日 (月) 12時05分

石と信仰(1)を読んで、私の住んでいる埼玉にも石の信仰物はないかと「石の信仰 埼玉」で検索しましたら、石(せき)神社という神社が見つかりました。祭神は高皇産霊神と神皇産霊神と分かり驚いて遠くないので車で行ってみました。ご神体は縄文時代と推定される石棒だそうです。神主さんも常駐していないようですが、昔は石神の日本総社であったと伝えられているとのことで丁寧に参拝してまいりました。昔の人は現象の短い寿命に対して永遠に壊れない石に神の命を見たのでしょうか。

投稿: 山田充宏 | 2020年8月 3日 (月) 14時40分

山田さん、
 「石神社」の情報、ありがとうございます。
 「石棒」や「石柱」は、縄文時代から祭祀の具として使われていて、私の住む山梨県や長野県では数多く発見されています。男根を象徴しているという説が有力で、子孫の繁栄や収穫の豊穣を祈るという意味があるようです。昔の人は実に大らかに性を扱っていたと思うし、合理的な考え方だと感じます。

投稿: 谷口雅宣 | 2020年8月 3日 (月) 23時42分

大槻さん、コメントありがとうございます。
 石や岩石は「永続性」を表すのですね。「石にかじりついても」という表現も、ここから来たのかもしれません。

投稿: 谷口 | 2020年8月 3日 (月) 23時44分

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