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2020年7月

2020年7月29日 (水)

石と信仰 (2)

 石上げの自然解説では、私は3つのポイントを話した--①石と人間の関係、②縄文時代の特殊性、③数の「3」と三角形だ。

 石と人間は、生活の手段や道具としてだけでなく、宗教や信仰とも深く関係している。世界の神話をひもとくと、石や岩は、人間の生活や行動の中で重要な位置を占めている。ギリシャ神話の「シーシュポスの岩」や日本神話の「天の岩戸」の話はすぐ思い出すが、そのほかにも数多くの事例がある。東京大学出版会が出した『宗教学辞典』の「石」の項には、次のようにある--

「古代人は、道具・器物として石を用いるかたわら、幸運や力の分与を期待して石を崇拝した。小石、大石、板石、石塊、窪みのある石、穴のあいた石、人獣の姿に似た形の自然石、立石、環状列石(メンヒル)、境界石、墓石(ドルメン)、隕石、フリント、砥石、石斧、水晶、各種宝石、人跡まれな場所で見いだされた石、特定の人間や出来事にかかわる石等々。このような石が、力・毅然・新鮮・豊饒・生命・堅忍・永続・幸運・信頼の象徴として、それぞれの時代や地域における社会や文化に規定された儀礼や伝説・物語の結晶核となった。」(p. 18)

 このような包括的なまとめの後に、同辞典は、石の宗教的機能として①呪術的な力、②神の座・神的表象、③原因譚的・神話的説明を人間に与えるとして、様々な時代、様々な文化圏で石が具体的にどう扱われてきたかを記述している。ここではそれらのごく一部を紹介しようーー

・インドには浄めのため、あるいは潔白の証明として、石の穴や下をくぐりぬける慣行がある。
・南インドのバラモンたちは、家庭での礼拝のために神性を表象する5つの石を使った。
・ギリシャでは、ヘラクレスやエロスなどの神々の名のついた自然石が戸外に置かれている。
・ユダヤでは、神との契約の証として石を立てた。(『ヨシュア記』第24章26ー28節)
・アラブのサヘル族は、自分たちはモアブの地の石から出生したと信じた。
・神のお告げを受けたヤコブは、自分が枕にしていた石を立てて「神の家」とした。(『創世記』第28章18-22節)

 これらに加え興味深いのは、人間が山から切り出した石と自然石に対する見方の違いである。中世のキリスト教芸術に詳しいミシェル・フイエ氏によると、石は神がそこにある(臨在する)しるしであり、したがって「祭壇を築くには、切り出した石を使うことは禁じられ、自然のままの石だけを使わねばならないとされた」という。その理由は、「自然石は天から落ちてきた聖なるものであるのに対して、切り出した石は、人間が作り出したものであるため、けがれていると考えられた」からだという。(『キリスト教シンボル事典』、p.19)

 このように、自然石には「神性が宿る」という考え方があるならば、それより大きい「岩」には、さらに偉大な力があるとの考えが生まれたとしても不思議ではない。同氏の「岩」の意味についての記述には、その通りのことが書いてある。

「①頑丈でびくともしない岩は、権力と永遠性のシンボルである。聖書の数多くの節で、ヤハウェは苦境に陥った人間がすがりつくべき岩にたとえられている。ヤハウェが岩であると言われるのは、彼が--モーセによれば--“正しくてまっすぐな方”だからだ。シナイの荒れ野で、モーセがホレブの岩を杖で叩くと、清水が湧き出した。
 ②この岩は、キリスト教の伝統では、キリストの予示とされる。キリストは霊の飲み物がほとばしり出る岩なのである。」(前掲書、pp. 24-25)

 岩や石が力と永遠性を象徴するという感性は、ユダヤ=キリスト教圏だけにあるのではない。日本神話には、ニニギノミコトが容姿端麗なコノハナノサクヤヒメに一目ぼれし、結婚相手として父神のオオヤマツミノミコトに所望した際のエピソードがあるが、そこには結婚生活は「美しい」とか「華やか」だけではいけないというメッせージが盛り込まれている。世界の神話に詳しい吉田敦彦氏の解説で紹介しよう--

「オオヤマツミは大喜びして、姉娘のイワナガヒメまで付け、たくさんの贈り物を持たせて、姉妹二人を妻に奉った。ところがホノニニギは、石のように醜い姉のほうを嫌って、手をつけずに送り返してしまって、妹のほうだけを妻にした。そうするとオオヤマツミは怒って、『古事記』によれば、“イワナガヒメを妻にされることで、あなたのお命が、石のようにいつまでも堅固であられるように、またコノハナノサクヤヒメを妻にされることで、花のように栄えられるようにと祈願して、二人を奉ったのに、イワナガヒメを返し、コノハナノサクヤヒメだけを妻にされたので、あなたの寿命は花のようにはかなくなるでしょう”と言って、ホノニニギと、その子孫の代々の天皇の命を短くしてしまったといわれている。」(『世界神話事典』、p.113)

 この箇所で私が重要だと思うのは、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの双方が揃うことの意味を、『古事記』(の作者)がどう訴えているかという点である。上記の解説では、美醜の違い、華やかな美と堅固さとの対照が示されているが、原文では、オオヤマツミは、自分の怒りの理由を次のように述べている--

「我が女(むすめ)二たり並べて立奉(たてまつ)りし由は、石長比売(いわながひめ)を使はさば、天つ神の御子の命は、雪零(ふ)り風吹くとも、恒(つね)に石(いわ)の如くに、常(とき)はに堅(かき)はに動かずまさむ。また木花の佐久夜毘売(さくやひめ)を使はさば、木の花の栄ゆるが如(ごと)栄えまさむと誓ひて貢進(たてまつ)りき。かくて石長比売を返さしめて、ひとり木花の佐久夜毘売を留めたまひき。故、天つ神の御子の御寿は、木の花のあまひのみまさむ。」といひき。

 当時の日本は一夫一婦制ではなかったから、二人の妻の一方を拒否する理由は現代人が考えるものとは一致しないだろう。これは個人の嗜好の問題としてではなく、人間が表面的な派手さや短期的な繁栄に目を奪われがちであることへの警告だ、と私は受け取る。また、上述した他の文化圏での「石」や「岩」のシンボリズムを考え合わせると、神や“神性”が表面的な美や短期的栄華の中にはないとする英知が暗示されていると解釈できる。

【参考文献】
○小口偉一/堀一郎監修『宗教学辞典』(東京大学出版会、1973年刊)
○ミシェル・フイエ著/武藤剛史訳『キリスト教シンボル事典』(白水社、2006年刊)
○大林太良、伊藤清司他編『世界神話事典』(角川書店、2005年刊)
○倉野憲司校注『古事記』(岩波書店刊、1963年)

 

 

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2020年7月26日 (日)

石と信仰 (1)

 去る7月24日、山梨県北杜市にある生長の家国際本部“森の中のオフィス”では、「天女山への石上げと自然解説」という行事が行われた。これは、標高1300mにあるオフィスから同1529mの天女山の頂上まで、参加者である職員有志が石を背負って自転車でIshiage20201 登るという行事である。(=写真)この日は新しく決まった「スポーツの日」だったから、それに因んでスポーツ行事を行ったわけではない。それどころか、この日は私たちにとっても祝日で、オフィスの職員には出勤する義務はなかったが、約30人が参加してくださったのは大変ありがたかった。

 この行事は私の発案で、それにSNI自転車部とSNIクラフト倶楽部の事務局が計画段階から実行まで協力してくれた。この場を借りて感謝申し上げます。

 「石を背負う」というと、何か苦役を強いるような印象があるかもしれないが、背負う石は片手で持てるほど小型のもので、それを各自が常日頃通勤で使う背負いカバンに入れて登るのである。私の場合、それでもノートパソコンや弁当を入れた普段のカバンよりは重かった。これらの石には、カバンに入れる前に各自がタガネで細工を施した。その内容については後述するが、この細工の前に、私が石についての“自然解説”を行なった。そして、天女山頂に全員が登ってから、石を所定場所に納める儀式を行なった。

 これだけの説明では、何か“奇異な儀式”だと思う読者もいるかもしれない。が、愛知県犬山市では現在も毎夏、これよりずっと大規模な石上げ祭が行われている。この祭では、山頂に上げる石はもっと大型で、それを神輿に括り付けて何人もの成人男性が担ぎ、子どもや女性はその前をロープで引いて上がるという。参加人数もずっと多く、神輿を運ぶ掛け声なども響いて、賑やかな祭である。この行事にはまた、個人が小型の石に願いごとを書いて山頂まで運ぶという選択肢もあるらしい。私たちの今回の行事はそれをマネたのではなく、この計画を聞いたオフィスの職員が、「そういう祭なら自分の故郷で昔からやっている」と、あとから教えてくれた。とにかく、「石を運ぶ」という行為は、宗教行事として昔から成立しているのである。



 それどころか古来、洋の東西を超えて、石は信仰の対象として、また信仰対象の象徴として、あるいは宗教儀式の重要な道具となってきた点は、強調しておきたい。私は、このことを当日、例を挙げて石上げ前の自然解説でも若干言及したが(=写真)、充分な説明にはならなかったので、この場を借りて詳しく説明することにした。また、読者には、これを「自然解説の方法を取り入れた生長の家独自の環境教育」(本年度運動方針前文)の一部として理解していただけるとありがたい。

 さて、「自然解説」については、すでに2018年に、私は生長の家総本山発行の『顕齋』誌上で何回かに分けて説明した。その時にも触れたが、アメリカで成立したこの営みは英語で「interpretation(インタープリテーション)」という。この語を「解説」と和訳したところから、誤解の余地が生まれていると私は思う。何となくスポーツ解説みたいだからだ。が、ここではそのことはさておき、アメリカではこの営みを「nature interpretation(自然解説)」「heritage interpretation(文化遺産解説)」の2つに大別しているようである。前者は、自然の営みと人間との関係に焦点を当てるのに対し、後者は、人間の営みである文化遺産の意味や重要性に焦点を当てる。

 しかし、生長の家では「神・自然・人間は本来一体」と考えるので、私は両者を峻別して考える必要はないと思う。また、アメリカで「文化遺産」と言った場合、ヨーロッパからの移民を基礎にしたものが多いため、歴史的には数百年前までしか対象にしない。これに対し日本では、歴史時代だけで約2000年、縄文時代までを含むと約1万2000年が文化遺産の対象となる。そのような古代や中世においては、自然と人間の関係は現代よりもはるかに密接だったから、人間の営みである文化を自然から分離して考えることはできないと思う。そんな理由で、生長の家が日本で行うインタープリテーションは、自然を対象にしても日本の文化を含み、文化遺産を対象にしても、その背後にある自然の営みを無視して行うことはできない。そこで今回の「天女山への石上げと自然解説」においては、両者を意識的に分けなかった。

 谷口 雅宣 

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