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2020年3月22日 (日)

コロナウイルスは何を教える

 本年3月1日の生長の家春季記念日でも、それに続く3月11日の「神・自然・人間大調和祈念祭」でも述べたように、今回の新型コロナウイルスの地球規模の拡大が教えていることは、数多くある。そのうち、前記の2回の機会で強調したのは、「人間中心主義の弊害」ということだった。それを別の言葉で表現すれば、私たちは『生長の家』誌創刊号にあった「生長の家の宣言」の第1項が目指していた「生命を礼拝する」ことも「生命の法則に随順する」こともせずに、人間の物質的、肉体的欲望を満足させることを至上目的として、長期にわたって自然破壊を進めてきたという事実を指している。このことが、かえって人類社会の脆弱性(ぜいじゃくせい)を増幅しているのである。

 宇宙広しといえども、この「地球」という小惑星にしかない生命与え合いのシステムを、「人間だけがよければいい」という人類エゴが破壊している。私はすでに9年前に発表した「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の中で、このことを次のように述べている――

 「多くの生物を絶滅させ、自然の与え合い、支え合いの仕組みを破壊しておいて、人間だけが永遠に繁栄することはありえない。生物種は互いに助け合い、補い合い、与え合っていて初めて繁栄するのが、大調和の世界の構図である。それを認めず、他の生物種を“道具”と見、さらには“邪魔者”と見てきた人間が、本来安定的な世界を不安定に改変しているのである。その“失敗作品”から学ぶことが必要である。」

 今、肉眼には見えない極小の半生物・ウイルスのおかげで、世界中の株式が暴落し、交通機関は停止し、経済活動は極端に縮小し、多くの産業が経営危機や倒産のリスクに直面している。パリのルーブル博物館やニューヨークの公立図書館のような文化施設も次々と閉鎖され、大相撲春場所のような大規模スポーツイベントは軒並みに中止となるか、“観客ゼロ”という珍妙な方式で一見“通常どおり”を維持する努力を続けている。このあとに来るはずだった東京オリンピックが延期されるなどということは、今年初めには誰も予測しなかっただろう。

 このような人類社会の脆弱性は、いったいどこから来るのだろうか? それは、私が先の祈念祭でも紹介したイギリスの科学誌の記事に、分かりやすく説明されている――

「人間以外の動物に棲(す)むほとんどすべてのウイルスや細菌は、人間に全く無害である。しかし、そのうちのごく僅かな割合のものは、いわゆる“動物由来ウイルス病”を惹き起こす。そのような病気は、私たちにとって大問題だ。2012年の推計では、そういう病気は毎年25五億人の人を傷つけ、270万人を死に至らせている。動物由来ウイルス病のすべてが、人間に深刻な症状を起こさせるのではないが、例えば、エボラウイルスは、感染したほとんど全員を死に至らせる。

 このウイルス病の致死率がこれほど高い理由の1つは、そのウイルスに対する先天的な免疫を人間がもっていないからだ。もう1つの理由は、これらのウイルスが人間に適応していないからだ。人間同士の間で循環するウイルスは、時間が経つうちに人間に合わせて致死率を下げる。そうすれば、自分たちの勢力拡大がしやすいからだ。」

 

 ここにあるように、地球上の生物種と生物種の関係は、何億年、何十億年もの進化の過程で“天敵”と共存してきた。この“天敵”という用語は誤解を招きやすい。これは、「相手の絶滅を期して死闘する相手」ではない。前掲の文章にあるように、「時間が経つうちに相手に合わせて致死率を下げる」などして共存してきた捕食ないし寄生関係にある他の生物種のことだ。ところが人類だけが、多くの生物種を文字通り絶滅に追いやっている。そのことがかえって「自然の側から“敵”として扱われるような事態」(前掲の祈り)を現出しているのだ。

 もう一つ、今回の新型コロナウイルスの世界的伝播が教えているのは、過剰なスペシャリゼーション(専門化、特殊化)の弊害である。

 今の世界経済は、専門化による地球規模の分業が極端なレベルにまで進んでいる。ある製品を製造するためには、自前で部品を作るのではなく、外国の特定の会社からAという部品を、また別の国の特定の会社からBという部品を……というように、技術力と効率と価格の点で最も優れている会社に部品の供給を依存する傾向が強い。そうしなければ、他社との競争に勝てない場合が多いからだ。こういう相互依存関係が、網の目のように張り巡らされている。すると、災害などでこの網の目が突然切れると、製品全体の生産がストップしてしまうことになる。それが、今回のウイルス伝播でも起こっている。

 アメリカの外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』は本年3月16日の記事で、このことを「脆弱な効率性(fragile efficiency)」と呼び、実例を挙げて警告を発している。例えば、西ヨーロッパの自動車メーカーが生産する車の小型電子部品は、すべてを1社が担当しているので、その社のイタリアにある工場の1つが今回のウイルス感染で操業停止になると、西ヨーロッパで生産されるすべての自動車の生産がストップしたというのだ。また、ムダを省くために「できるだけ在庫を抱えない」という生産方式も、経済が順調であれば問題ないが、いったん災害や伝染病が発生すると、機能マヒに陥る可能性を生む。“ムダ”とされた製品在庫や部品在庫、生産能力の余剰が、非常時には一種の“安全装置”として働くのに、それが欠落しているからだ。

 このような効率優先、コスト優先の文明の弱点が今、明らかになっているのである。

谷口 雅宣 拝

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コメント

合掌 ありがとうございます。

先生のご文章を読みながら、『凡庸の唄』を思い出しました。
過度なすぺシャリゼーションが生み出した現代の生産網の問題。しかし、それが上手く回れば、それでいいかと言うと、その上に、過剰な生産があると思います。必要の無い製品を次々に市場に出すことで、多くの自然がムダに壊されていく状況もありますね。

以前、工場現場で数年働いた後、大学院でトヨタ生産方式を専門で学びました。品質と効率優先について多く学ぶことが出来ましたが、社会全体で考えると、本当にそれでいいのかとも疑問もありました。日本の企業が大量に男性職員やパートの女性を解雇して、東南アジアに籍を移していく中で、皆様の虚しさと衰退していく静岡県御殿場市の状況を目の当たりにしました。結局は、効率優先を追及すると、弱い者のほうにどんどんとしわ寄せがかかるのですね。

>このような効率優先、コスト優先の文明の弱点が今、明らかになっているのである。

しかし、"安全措置"をつければ、そのシステム全体を否定するロジックになってしまいますね。というと、先生がおっしゃっているのは、単なる直接的な安全措置ではなく、一品を大量に一国に任せる過剰なスペシャリゼーションのことで、産業の現場でも、一国内で一つの製品を作る能力が必要であるということ、つまり、クラフトの精神を取り戻す必要がるということをおっしゃっているのでしょうか。

ところで、
>2012年の推計では、そういう病気は毎年25(五・ミス?)億人の人を傷つけ、270万人を死に至らせている。

毎年二十五億人が感染病にかかる?人類の4分の1に相当する人数ですね。驚きです。これは風邪やインフルエンザ等、全ての感染病を含める数字でしょうか。

投稿: 平峰恵利花 | 2020年3月23日 (月) 15時47分

平峰さん、
 感想を聞かせてくださり、ありがとうございます。
 今の資本主義では、「企業の利益=株主の利益」に最大の価値をおいているため、イビツな社会を築き上げているのだと思います。『凡庸の唄』で批判しているスペシャリゼーションは、あなたが仰る通りです。それに加えて、何でもオートメーションにするという考え方も、社会をイビツなものにしています。
 それと、感染者数の25億人は、その通りの数字が当該科学誌に書かれています。インフルエンザ感染者の数やエイズウイルスその他のウイルス病に罹患者すべてを足すと、そのくらいの数になるのだと私は理解しています。

投稿: 谷口 | 2020年3月24日 (火) 20時08分

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