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2019年4月 1日 (月)

新元号「令和」について思う

 来月1日から始まる新元号が「令和」と決まった。
 安倍首相は、『万葉集』からの引用だと説明するが、引用元を見ると「令月」と「和(やわら)ぐ」との間には、省略された文字が3つある。原文は万葉仮名だから文字数は異なるだろうが、政府が示した歌の書き下し文を使えば、「初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ……」から取ったという。

「令月」は普通は「二月」を意味するが、「令」の字に「二」の意味があるのではなく、季節の移ろいの中で「清らかで美しい」あるいは「縁起がよい」月だとの意味を込めて使われるという。これと同様の用法には、「令嬢」「令夫人」「令室」「令息」「令日」……などがある。『学研 漢和大字典』(藤堂明保編、1978年刊)では、この用法について「相手の人の妻・兄弟を尊んでいうことばとしても用いられる」と説明している。なぜ「令」が清らかで美しく、また縁起がよいとされ、さらには「尊敬」を表すかというと、その考え方の背後には、古代の宗教への見方が横たわっているようだ。

 日本の漢字の権威である白川静氏の『字統 普及版』(平凡社、初版1994年)によると、「令」の字は「礼冠を着けて、跪(ひざまず)いて神意を聞く神職のものの形」を表し、「古く令の意と、またその字形のままで命の字にも用いた」という。つまり昔、「令」は「命」と同じ意味で使われたらしい。したがって、「大令」「天令」「明令」「休令」「先王の令」「祖考の令」と書かれた場合、「大命」「天命」「明命」……という意味だったという。また、「鈴」の字の旁(つくり)が「令」であるのは、神道の儀式にあるように、鈴は「神を降し、神を送るときの楽器である」からだという。だから、「令」とは「神意に従う」ことなのだ。

 この古義を、私は素晴らしいと思う。生長の家は神意を最大に尊重するから、この古義を積極的に支持したい気持だ。しかし、それならば、安倍首相はなぜ、この「令」の古義について記者会見で何も語らなかったのだろう。元号は、少数の知識人を集めた“閉じられた空間”で決定されたから、その経緯の詳細はよく分からない。しかし、すでに発表された情報では、元号の候補としては本件を含めて6つの案が出され、それにいろいろな人からの意見が出て、その意見を参考にして安倍首相が選んだという。知識人が、字典の意味を知らないはずがない。だから、それへの言及があったに違いない。が、首相は、国民の前ではそれをあえて口にせず、『万葉集』の表現についてだけ語った。その理由を、私は知りたい。

「令」の古義について、私はまったく異議を唱えない。しかし、それを21世紀の現代で元号に採用するという点では、一抹の不安を覚える。なぜなら、人類は中世、近世、現代を通して、政治と宗教との結びつきが、世界中で大変な混乱と不幸をもたらしてきたことを経験しているからだ。古代において、政治はシャーマンや聖職者が担ってきた。日本も例外ではない。この“神権政治”によって善政が実現したことはもちろんあるが、そうでない場合の方が数が多かった。宗教弾圧や宗教戦争も頻繁にあり、その延長が一部、現代でもまだ続いている。為政者が拳を振り上げて「これが神の御心である!」などと叫び、国民を戦争に駆り立てた時代は、そんなに昔のことではない。「政教分離」「信教の自由」「立憲主義」という近代民主主義の政治原則は、そういう悲惨で苦しい体験から学んだ人類共通の知恵である。

 その知恵から学びつつ実際の政治を行なってきた人が、「新元号は“令和”とする」と決めたのであれば、私は不安を感じない。しかし、憲法違反の法案を何本も束にして強行に成立させ、「立憲主義は古い時代の考え」などと発言した権力者が、テレビカメラの前で「令和が自分の理想である」かのような説明をするのを見ると、私は「ダブル・ミーニング(double meaning、両義性)」という言葉を思い出すのである。1つの言葉に、表と裏との相反する意味を含ませる表現法である。

「令和」には、解釈によって別の意味が容易に付加できる。それは「令に和する時代」という意味である。この場合の「令」とは、政府の命令であり、政権の意思である。『万葉集』の昔には「令」は「清らかで美しい」と見なされたかもしれないが、時代がくだるにつれて、その意味は「律令」「勅令」「県令」「軍令」「指令」「司令」「法令」「政令」「省令」……などと使われるように、世俗の権威や権力が定める規則や命令の意味に変ってきている。そして、そういう世俗権力に国民が「和する」という時代を夢見ている人は、残念ながら現代の政治家にもいるのである。日本のことは言わなくても、アメリカのトランプ大統領やロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、フィリピンのドゥテルテ大統領は言うまでもなく、ハンガリーやトルコ、ブラジルなどの政治指導者にもその傾向は強く見られる。

 そういう時代に、あえて「令和」を新元号としたことに、私たちは注意を払わねばならないと思う。私は、安倍首相にそんな“下心”があると言っているのではない。安倍首相は、令和の時代にずっと首相であり続けるわけではない。次の首相、次の次の首相……と政治が遷移しても、「令和とは、権力者に和することだ」などと誰も考えないように、立憲主義の原則を護るとともに、宗教運動としては「“令”とは神意に従うこと」という古義を忘れずに、神の御心の表現に向かって力強く進んでいきたい。

 谷口 雅宣

 

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