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2018年12月26日 (水)

緑のクリスマス

 クリスマスが終わって、ひと息ついている家庭も多いと思う。私たち家族もその例に違わない。で、わが家ではどんなクリスマスをしたかを、少しお話ししよう。が、その前に、この「緑のクリスマス」について説明させてほしい。
 
「ホワイト・クリスマス」という言葉は昔からあるが、「グリーン・クリスマス」という言葉もあることを、私は今年初めて知った。それはイギリスの科学誌『New Scientist』の12月1日号を読んだからだ。以前、本欄か本欄の前身のブログで「緑の聖書」について紹介したことがあるが、この言葉はそれと同じ発想から生まれた。つまり、「環境を傷つけない」とか「温室効果ガスを極力出さない」という意味で「グリーン(緑)」という言葉を使った場合、クリスマスはどんな方法で祝うべきかを、同誌は特集していた。題して「金ピカ飾りから七面鳥まで--倫理的クリスマスへの科学的なご案内」(From tinsel to turkey: A scientific guide to an ethical Christmas)である。
 
 ご存じのように、クリスマスというお祭は、屋外の電飾や装飾に始まり、室内の派手な飾り、プレゼントや食料の買い出し、物品の輸送、過剰包装と廃棄物の山、大勢の人々の遠方への移動などがほとんど全世界で一斉に行われるから、それに伴う温室効果ガスの排出や環境破壊は目に余るものがある。ひと昔前は、それは言わば“当たり前”だったが、イギリスの科学誌がこんな記事を書くのだから、昨今は、「商業主義的お祭は環境に有害」という認識を多くの人々がもち始めたのだろう。私はそれをうれしく思う。 
 
 では、「私たちはクリスマスを祝うのをやめ、家族団欒の時をもつのもやめよう!」と言うべきなのか? 私はそうは言わないし、実際、わが家では一貫してクリスマスを家族で祝ってきた。その理由は、同じクリスマスでも、祝い方によって環境破壊を増す場合とそうでない場合があるからだ。 
 
 環境破壊と人類の幸福増進は「二者択一」の問題だと考えるのは“古い文明”のメンタリティーである。生長の家ではこの二者は両立すると考えたからこそ、東京・原宿から八ヶ岳南麓に本部機能を移転したことを、思い出してほしい。そして、その後に行われている“自然の恵みフェスタ”やPBS(プロジェクト型組織)の活動が、このことを証明しているはずなのである。クリスマスは一種の“フェスタ”だから、それと同じことが言えるのである。では、実際にどうすべきか? 
 
 前掲の記事はまず、クリスマス・ツリーについて考える。本物のモミノキとプラスチック製のモミノキでは、どちらが環境への被害が少ないだろう。この疑問については、実際に細かく研究した人がいて、その結果は、「本物を使う方がよりグリーンだ」という。なぜなら、プラスチック製の木は製造過程でCO2を出すだけでなく、輸送時にもそれを排出し、さらに廃棄時にも環境を汚染する。が、その一方、本物のモミノキのように1回きりの使用ではなく、何回も使えるから環境にいいようにも思える。この点については、同誌はカナダのコンサルティング会社の実地調査を引用して、自然破壊を本物のモミノキと同等のレベルに留めるためには、プラスチック製のモミノキは「20年間」使い続けねばならない、と結論する。で、そんな長期に使用し続けると、プラスチック製品は劣化して哀れな姿になるのがオチだという。 
 
 では、どんな場合でもプラスチック製品を使わず、本物にすればいいのかというと、そう単純でもない。海外や遠方から取り寄せるのではなく、できるだけ近くで栽培された木を使うか、もっと言えば、自分の敷地で育てたものをポットに入れて使うべきだという。翌年もそのまま使えるからだ。使い終わったモミノキは、庭に廃棄して腐らせるのではメタンを排出することになる。(日本では、そんな伝統はないが)イギリスでは多くの自治体が、使用後に回収して根覆いをしてくれるから、リサイクルされるという。 
 
Xmas2018_01


 わが家では今年、地元のホームセンターでポット入りのモミノキを買った。高さ180センチぐらいのもので、使用後は庭で育てるつもりだ。昨年はそれをせず、森から“代替品”を切り出した。つまり、私の所有する森の隅にイチイの若木が何本も生えていたので、その中の適当な形で適当な高さのものをノコギリで切って、室内に持ち込んだ。しかし、そうやってみると、いかにも「可哀そうだなぁ~」という気がしたので、今年は方法を変えたのだ。 

 
 同誌の記事は、ツリーの次には食事について語っている。照りで光ったパイ、肉汁豊かなハム、オーブンで丸焼きにされた七面鳥……などが槍玉に上がっていて、その種の豪華な食事の環境負荷は大きいが、それらを“主菜”にするのをやめ、完全になくさなくても“脇役”にして、その代りに根菜類や豆類を多く使うことを勧めている。それでも、「七面鳥のないクリスマスなど許せない」と思う人は、クリスマスにはそれを食べても、その代りに日常の食事からは肉類を減らす--例えば、クリスマス後の数ヵ月に、週に1日、ノーミートの日を設ける--のはどうかと提案している。 
 
Xmas2018_02


 わが家の場合、すでに大分前からノーミート食が日常になっているから、この問題はない。妻はこの分野でずいぶん工夫を重ね、美味しいノーミート食を開発してくれていて、本当にありがたい。今回のクリスマス・ディナーのメニューは、サケとタラとホウレンソウとホタテのテリーヌ、マグロ入りトマトソースのラザーニャ、ニンジンとクルミのサラダ、ゴボウの赤ワイン煮、レンコンのトマトソース煮、キノコのショウガ酢煮、野菜のポタージュ、などと相当の豪華版だった。 

 
 環境負荷の面でクリスマス・プレゼントがもつ問題の1つに、そのきらびやかな包装がある。同誌の記事では、2017年に行なわれた調査によると、イギリスでは毎年1億800万ロールの包装紙が廃棄されているという。これらの多くは、プラスチック処理や金属処理を施したもので、リサイクルが効かないという。クリスマスカードの多くも、その種の処理をした紙製品だ。 
 
 日本では最近、デパート各社が「簡易包装」の選択肢を用意してくれているのはありがたい。が、わが家でのプレゼントの多くは、簡易包装もせずに、ユーズド包装紙(一度使ったものを、できるだけ綺麗な状態で残しておく)を再利用して、豪華に見せる工夫をしている。また、プレゼントを飾るリボン各種も、使用ずみのものを何年も取っておいて、それらを再利用、再々利用する。紙箱も同様に、贈答品などで使われたものを取っておいて、プレゼント用に使う。このようにすれば、紙類の廃棄を極力抑えることができる。紙類の使用を減らすことは直接、森林伐採の削減につながることは言うまでもない。 
 
 そして最後は、プレゼントそのものの内容だ。これについては同誌の記事は何も書いていない。しかし、プラスチックを使った製品が溢れている現代文明(旧文明)では、これを使わないプレゼントを考えることは難しい。特に、小さい子ども用に企業が提供する玩具類は、プラスチックを含む石油製品を使ったものが主流であると言えるだろう。私には3人の子(男2、女1)と3人の孫(男2、女1)がいる。そこで今年は、妻と相談して、私が男用のプレゼントを、妻が嫁さんを含めた女用のプレゼントを考えることにした。私は今回、男共にはプラスチックを使わないプレゼントをあげようと決意した。そして、木工によるクラフトを製作することにした。「SNIクラフト倶楽部」所属しているのだから、当然と言えば当然だ。こうして、今年のクリスマス祭はかなり「緑色」になってきたと感じている。 
 
 私が木工で何を作ったかという話は、別の機会に譲る。 
 
 谷口 雅宣

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