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2018年7月

2018年7月 9日 (月)

「西日本豪雨」をどう考えるか?

 最初に、今回の「西日本豪雨」の被害に遭われた全国の大勢の人々に、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 
 
 この未曾有の豪雨の被害がしだいに明らかになってきた。7月8日の『朝日新聞』は、12府県で47人が死亡し、1人が重体。行方不明や連絡が取れない人は60人にのぼると伝えた。ただし、被害の詳細はまだ不明のため、今後この数字は増える可能性があるとした。 
 
 7月9日は全国の新聞の休刊日だったが、それでも私の住む地元紙『山梨日日新聞』は「特別紙面」を作って発行を続け、トップ記事で西日本豪雨の被害を伝えた。それによると、「死者は計82人に上」り、「安否不明者は50人以上」ということだった。両者を加えると「132人」を超える人が亡くなった可能性があり、総務省消防庁の統計では、8日午後現在、「20府県の避難所に計3万250人」が自宅を離れて避難していると報道した。そして、9日午後7時のNHKニュースでは、死者は114人、不明者は61人で、合計は175人に増えていた。 
 
Rainvictims  私は昨日、気象庁などがまとめた過去の大雨による被害の統計を調べてまとめてみた(右表参照)が、今回の豪雨の被害は、人命に関する限り過去25年間で“最悪”となりそうだ。前回の“最悪”は、死者と不明者が「123人」に上った2011年だが、この年の人的被害は、7月27日から同30日にかけての「平成23年7月新潟・福島豪雨」と、8月30日から9月5日にかけての台風12号による被害、そして9月15日から同22日にかけての台風15号による被害をすべて加えたものだ。しかし、今回は1回の豪雨でこれだけの被害となった。そして、台風シーズンはまだこれからなのだ。 
 
 気象庁は今回、数十年に一度の重大な災害が予想されるという意味の「大雨特別警報」を6日から7日にかけて9つの府県に出したことは、すでに読者もご存じだろう。この「特別警報」の制度は、2013年5月31日の改正気象業務法の公布後に始まり、同年8月30日から運用が開始された。「警報」の発表基準をはるかに超える規模で起きるような甚大な災害、被害が発生する恐れがあり「最大級の警戒」を要する場合に適用される。 
 
 気象庁のウェブサイトによると、大雨の特別警報の基準は、「台風や集中豪雨により数十年に一度の降雨量となる大雨が予想され、若しくは、数十年に一度の強度の台風や同程度の温帯低気圧により大雨になると予想される場合」だという。しかし、上記した人的被害の大きさを見ると、同規模の大雨がワンシーズンのうちに日本列島を襲ったのは「数十年前」ではなく、「7年前」なのである。 
 
 だから私は、この「数十年に一度」という表現は誤解を招くので変えた方がいいと感じる。この表現は、過去からの統計に基づく確率を述べているのだろうが、ある事象が起こる確率を過去のデータだけから予測するのは、今日の気象予報としては間違うリスクが大きい、と私は思う。現在、気象庁が具体的にどのようなデータを使って「数十年に一度」という確率を計算しているか、私は知らない。しかし、その発表を受け取る国民の一人としては、「数十年に一度」という言葉を聞くと、今回のような大雨を経験した場合、「あと数十年は、これほどの大雨は来ない」という考えを抱きやすい。そして、「今回決壊した堤防も、とりあえず元通りに修復しておけば、あと数十年は安全だ」との結論に達しかねない。 
 
 しかし、私が長年にわたり本欄などで繰り返して訴えているように、今日の“自然災害”の多くは、産業革命以来の人類のライフスタイルの変化が引き起こした地球温暖化と、それに伴う気候変動と密接に関係している。だからそれは、言葉の厳密な意味での“自然災害”ではなく、人間の活動による地球温暖化の影響を無視しては、正確な予測は不可能のもので、年々“人災”の要素が濃くなっている、と私は考える。そして、地球温暖化の主要な原因である「大気中の二酸化炭素の増加」は、一向に止まらないどころか、幾何級数的に増大しているというのが、世界中の気象学者が今、真剣に訴えている世界の現状なのである。ということは、今回のような大雨が地球上のどこかを襲う確率も、幾何級数的に増大する可能性があるのである。 
 
 先日、生長の家の国際本部である“森の中のオフィス”では、職員を集めて、アル・ゴア氏主演の『不都合の真実2』という映画を鑑賞した。前作から10年を経て公開された作品で、私にとって内容的には新しい情報はあまりなかったが、温暖化によって氷が急激に融解していく極地の実態を、リアリティをもって描いていた点が印象に残った。また、気候変動問題を解決するためのパリ協定が、決裂寸前で締結に漕ぎつけたことが理解でき、世界には心ある人々がまだ多くいると知って嬉しく感じたと同時に、この問題は各国の利害関係が錯綜して、相当解決が難しい問題だと感じた。そして、読者もご存じのように、温室効果ガスを世界で最も多く排出しているアメリカは、トランプ大統領になってパリ協定から離脱してしまった。また、現在の日本の安倍政権も、この問題の解決に熱心ではないのである。 
 
 だから、私は最近、こう考えるようになっている--この問題は、気候変動がさらに深刻化して、多くの国で犠牲者が大量に出る状況がさらに進行するまでは止まらない。そして、将来いつの時点かで、人類が化石燃料の利用をやめるか、それとも戦争をするかの選択を迫られるような劇的な形で、やっと前者を選んで解決の方向に向かうことになる、と。「日時計主義」を標榜している生長の家の代表者として、こんな悲観的な予測をするのは気が引けるのだが、人類が置かれている状況を冷静に見れば、楽観はかえって犠牲者を増やす結果になると思う。 
 
 だから私は、これからの都会生活には、気候変動とその影響を被るリスクが伴うということを、読者には訴えたい。これは田舎生活にはそれがないという意味ではない。しかし、日本の田舎生活では、比較的に広い土地が使えるから水や食糧の調達が都会より容易であり、住む場所の選択も都会よりしやすいから、氾濫しやすい河川の近くや、土砂崩れの危険がある土地を避ければ、都会よりは安全な生活が可能だと考えるのである。「しかし、仕事がない!」と読者は言うかもしれない。が、この現象は「都会型の生活が進歩である」という従来からの通念の産物だ、と私は思う。通念は、変えることができるのである。 
 
 この件については、現在の生長の家の運動とも大きく関係しているから、いつか稿を改めて書きたいと思っている。 
 
 谷口 雅宣

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2018年7月 7日 (土)

今こそ「対立から調和へ」の運動を

 皆さん、本日は「万教包容の御祭」に参加くださり、有難うございます。この御祭も今年で6回目を迎え、先ほど、このオフィスの敷地においては6基目となる七重塔が除幕されました。“森の中のオフィス”の落慶から丸5年になるということです。

 

 この七重塔が何を象徴するかは、毎年、この御祭で説明してきたので、今日はそれを詳しくは申しません。しかし、「万教帰一」の真理を表しているということだけは、何回でも強調しておかねばならないでしょう。というのは、今日の7月7日が「万教包容の神示」が下された日であるからだけでなく、「すべての良き宗教の神髄は共通している」というこの教えが、今日ほど重要になっている時はないからです。

 

 皆さんもご存じのように、現在の世界では、各国が自国の利益を最優先して外交を行う傾向が顕著に出てきています。昨年の今日も、私はトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」の政策を批判しましたが、その後、イギリスのEU離脱の動きだけでなく、中国にもフィリピンにも、ハンガリーやポーランドなどにも、よく似た動きが拡がっています。現在はそれが、米中間の“貿易戦争”にも発展してきています。地理的にアメリカと中国の間に位置する日本は、これによって最も大きな影響を被ることになるかもしれません。 

 

このような政治の動きには、実は気候変動や内戦の影響から大量の難民や移民が世界各国に流出していることが深く関係しているのです。日本は今、かつてない規模の短期間の降雨による洪水に見舞われている。一方、アメリカは東海岸にはハリケーンの襲来が、西海岸には異常乾燥と高温による山火事が拡がっています。日米などの先進国では、自然災害に遭った場合、避難することができますが、貧しい国々では、避難場所がないことも多く、そうすると難民となって外国へ逃げ出す以外の選択肢がなくなってしまいます。最近の報道によると、日本のすぐ近くに位置する韓国の済州(チェジュ)島にさえ、イエメンから500人以上の難民が押し寄せているそうです。こういう中では、どうしても“自国第一主義”や“自国民優先”の考えが国民から支持されるようになり、そこから国家間の争いが生じやすくなるのです。 

そんな時こそ、国や民族の違いを乗り越える価値が必要となります。そして、そこに宗教の使命があると言わねばなりません。私がこう申し上げるのは、「宗教は国や民族を超えた価値を示している」という前提があるからです。そうでない場合、宗教は国や民族の道具になって、大変残虐な、非人道的な行為に走ることがあることは、日本の現代史を含めた世界各地の紛争や戦争が示している通りです。 

私はこのことを念頭に置いて、『観世音菩薩讃歌』の中に次のように書きました-- 

 

「されば汝らよ、

 善を行わんと欲すれば、

 神の御心を知らざるべからず。

 自己の立場に固執し

 神を見失うことなかれ。

 自己の属する社会の利益、

 必ずしも善に非ず。

 他者の属する社会の利益、

 必ずしも善に非ず。」

 

 私たち信仰者は、「神の御心を第一にする」ということが最も大切です。その「神の御心」について私たちが知っているのは、「人間は皆、神の子であって尊い存在だ」ということです。また、神の御心は「他を排除しない」ということも明確です。なぜなら、「神は全ての総て」であり、神にとって「他のもの」は存在しないからです。このことを強調するために、私たちは現在、「ムスビ」の働きを推進する運動をしているところであります。それは「神・自然・人間は本来一体」という言葉の中にも表れています。 

 ご存じの通り、この7月は28日から29日にかけて、世界平和のための国際教修会がここ“森の中のオフィス”で開催されます。そこでの研修のテーマは「ムスビの働きの普遍性を学ぶ」というものです。このテーマを選んだ理由には、「ムスビ」という言葉が日本語なので、日本語を理解しない人にとっては何か難しい概念のように誤解されるかもしれず、その場合、私たちの運動は日本人向けの、日本人だけの運動であるかのような印象が生まれるのを防ぎたいという意図があります。 

 「ムスビ」の働きとは、もっとユニバーサルで、何も難しいことはなく、自然界に溢れているばかりでなく、人間の心の中でも普通に起こる出来事であり、さらにどの国の人々の食生活にも表現されていることを、私たちはそこで学ぶ予定です。この教修会には、誰でも出席できるわけではないので、今日は、教修会での研修の内容から1つだけ、分かりやすいものを紹介させていただきます。 

 それは、ムスビの働きを数字で表せば「3」になり、図形で表せば「三角形」になる、ということです。これだけでは、私が何を言っているのか分からないと思うので、さらに説明します。まず「結婚生活」を考えてみてください。これは普通、1組の男女が社会的に結ばれて、共同生活をすることを意味します。そうすると、1人と1人が寄り合って、それ以前にはなかった「結婚生活」という“新しい価値”が生まれることになります。その価値のことを「1」と勘定すれば、1組の男女は2つの価値をもちますから、全部で「3」の価値となる、と言えます。これがムスビの働きです。 

 同じような考え方を採用すれば、植物が昆虫によって受粉し、種や果実が生まれることも「3」と数えられます。また、白いご飯と梅干を結び合わせてお握りを作れば、そのお握りの価値も「3」と数えることができます。同様の考えを芸術や文化の領域に向けてみれば、さらに多くの「3」が見えてきます。「対話」や「対談」という文学の形式があります。2人の人間が話をすることで、それぞれ1人だけでは生まれなかった“新しい価値”がそこに生じる場合、それを「3」と数えることができます。哲学の分野では「弁証法」という考え方があるのを、思い出してください。また、合唱には「デュエット」という形式があります。私たちが惹きつけられるスポーツの試合や競技にも、同じように1人や1チームだけでは出すことのできない価値が、2人で競ったり、2チームで対戦することで生まれてきます。このように、「ムスビの働き」の例を挙げれば、いくらでも出てくるでしょう。 

 では、そのムスビの働きを図形で表す三角形になるとは、どういうことでしょうか? 皆さんは三角形を、特に二等辺三角形を思い浮かべてみてください。また、立体を思い浮かべるならば、円錐とか方錐(四角錐)を思い浮かべてください。どれも横からは三角形に見えます。 

 そういう意味では、「山」は基本的に三角形をしています。富士山の姿を思い出してください。もちろん八ヶ岳のように、山の上部が割れたように見える山もありますが、しかしそれは八つの頂をもった連山だということを、皆さんはご存じです。そういう山を見て、私たち人間は「崇高さ」を感じないでしょうか? その頂上へ登ることは、日常生活から離れて、一段と高い経験と境地へ、私たちを導いてくれると感じないでしょうか? 私はそれは、基本的で自然な人間の感情であると考えます。人間と自然とが互いに近づいていって、その結果、一段と高い境地に達するのは「ムスビ」の働きそのものです。 

 そして、このことは宗教ととても深い関係にあります。宗教施設は勿論都会にもありますが、わざわざ山の上に建設する習慣は、東洋にも西洋にもあります。ピラミッドは偉大な宗教施設ですが、これは四角錐(方錐形)の形です。同じ四角錐は、教会建築にも仏教建築にも、特に屋根の部分などに多用されています。それを見て、私たち人間は信仰心を深めるのです。だいたい皆さん、今、私たちの目の前にある七重塔には、7つの四角錐があるではありませんか? 屋根を見てください。七重塔のモデルとなった仏教建築の多宝塔の屋根も、基本的には四角錐であることを思い出してください。 

 このように考えていくと、私たち人類には基本的に共通したものの見方、感じ方があるという事実を認めざるを得ないのであります。そして、そのような共通した見方や感じ方を前提として、宗教や信仰が成り立っていることに気づきます。もちろん、違うところもありますが、それは基本が違うのではなく、同一の基本の中のバリエーションが違うだけなのであります。そのことは、中国の寺院と日本の寺院との屋根の傾きとか、反り方の具合が違うことに表れているように、文化や美意識の微妙な違いです。そのような“違い”の側に注目して、共通して流れる基本設計を無視することは、愚かだと言わねばなりません。しかし、現代は残念ながら、自と他とを峻別して、差別する動きが、世界各地で顕著に出てきているのです。これは対立や戦争の原因となるものです。 

 私たちは国際平和信仰運動を展開しているのですから、このような対立や差別の動きには断乎として反対し、人類共通の基本的な精神構造や感じ方を正しく、より多く知り、それを人々に伝えることによって、万教帰一、万教包容のこの教えをさらに多くの人々に伝えていき、「対立から調和へ」の動きを力強く推進していきたいと念願するしだいです。 

 それでは、これをもって本日の「万教包容の御祭」に際しての所感といたします。ご清聴、ありがとうございました。 

 谷口 雅宣


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