実相の展開は多様性に向かう
今日は午前9時半から、山梨県北杜市にある生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールで「第66回 生長の家代表者会議」が行われ、来年度の教団の運動のポイントについて、全世界の生長の家の代表者が意見交換を通して理解を深めた。私は、午後の質疑応答と決意発表の時間の後、概略、以下のような言葉を述べた:
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皆さん、ありがとうございます。
今日は66回目の生長の家代表者会議ということで、遠くはブラジルやヨーロッパ、また近県を含む日本全国からも大勢の幹部が集まって下さったことを、心から感謝申し上げます。今日は、先日の拡大参議会で決定した来年度の運動のポイントを皆さんと共に勉強し、理解を深め、さらに積極的なフィードバックをいただいて、これからの運動を全世界で心を1つにして進めていくための会議でした。多くのご意見をいただいたことを、心から感謝申し上げます。
さて、私は先日、10月28日の谷口清超大聖師の九年祭で、清超先生が自由と多様性を重んじて生きて来られたことを「音楽」の例を挙げてお話ししました。そして、自由と多様性が大切な理由は、先生の思想とか趣味というような個人的な問題ではなくて、「生長の家」という言葉が大宇宙を表していて、すべての良きものが充満している実相大宇宙の全相を表現するのが、私たちの運動の究極的な目的であるからだと申し上げたのであります。
このことは、谷口雅春先生が昭和7年に受けられた「久遠天上理想国実現の神示」の中にハッキリ書いてあることなので、皆さんには思い出していただくため、この神示から少し引用いたします:
<『生長の家』の因縁を書き置く。『生長の家』とは人間が付けた名
ではない。神がつけさせたのである。『生長の家』とはタカアマハ
ラのことである。タテに無限に生(の)びることを『生』と言い、ヨ
コに無限に長(の)びることを『長』と言い、タテとヨコとが十字に
交叉した中心を息叉(イヘ、家)と言う、タテの生命とヨコの生命と
が交叉した中心が『家』である。イヘ(エ)のヘ(エ)は交叉の形を象
徴(かたど)ったものである。家のことを巣と言い、住むと言う。住
むと言うのは中心に集まることである。一切のものは中心に集り、
中心に統一せられることによって澄む即ち浄められるのである。>
ここには実相世界のイメージが象徴的な言語で表現されているのですが、これを間違って解釈すると、実相世界とは、すべてのものが「一色に」統一されているというような、個性のないノッペラボーの単純世界、あるいは全体主義の世界であるかのように感じられるかもしれません。英語に「モノリス」(monolith)という言葉があります。これは、建築や彫刻用の一枚岩(いわ)「のことを言います。まだ加工されていない、これから切断して柱にしたり、床板にしたりする、その前の状態の大きな岩です。この語は、アーサー・C・クラークとスタンレー・キューブリックによるSF映画『2001年 宇宙の旅』(1968年)に登場する映像によって、日本でも有名になりましたね。
しかし、生長の家の教えで明らかなように、実相世界はこんな単純一色のモノリスではなく、すべてのものが大調和して存在している完全世界であります。それは、聖経『甘露の法雨』に、次のように書いてある通りです:
神があらはるれば乃ち
善となり、
義となり、
慈悲となり、
調和おのづから備はり、
一切の生物処を得て争うものなく、
相食むものなく、
病むものなく、
苦しむものなく、
乏しきものなし。
この豊かで、多様なイメージが内在した完全世界が、時間と空間のスクリーンに徐々に映し出されつつあるのが、私たちが今経験している現象世界です。このことは、皆さんもよくご存じの通りです。


ところが、組織が分かれると、特徴ある運動が生まれたことは事実ですが、そして会員の数がぐんと伸びたことは確かですが、反面、組織と組織の間に見えない“壁”が生まれてきました。また、生長の家講習会を組織別に推進する態勢がキッチリ決まってしまうと、組織間の協力がやりにくくなる。1つの家庭内でも、夫と妻が受講券や受講者をめぐって「どちらの組織の成果にするか」で対立することも出てきた。三者協力よりも三者競争が出てくると、これは運動にマイナスの効果が生じかねない。


<このフェスタの前に行われた拡大最高首脳者会では、生長の家教規の改正が行われました。何が変わったかというと、これまで「最高首脳者会」と「拡大最高首脳者会」と呼ばれていた教団の重要会議の名称が変わったのであります。どう変わったかといえば、「最高首脳者会」は「参議会」に、「拡大最高首脳者会」は「拡大参議会」になりました。ずいぶん簡単な名前になったと思う方もいると思います。「最高」とか「首脳者」という言葉が消えて、「何か重たさがなくなった」と思う方、あるいは「ずいぶんビジネスライクになった」と感じる方もいるかもしれません。この名称変更の理由は、大きく分けて2つあります。
①会議の中での自由な意見交換を促進するため
②会議での決定事項が“絶対視”されて運動に教条主義が持ち込まれ
ないため、です
提案書から、提案理由を引用しましょう。
①の理由については、こうあります。
「名は体を表す」という言葉があるように、名前は、そのものや人の性質や実態を過不足なく表現すべきものです。構成員相互の自由闊達な意見交換が行われるためには、会議体の名称には任意性や自由性が表現されるべきであると考えます。現在の名称はその点、若干の問題があります。
②については、こう表現されています:

このような理由から、生長の家の最も重要な2つの意思決定機関の名称は変わりました。つまり、意思決定や運動の方法にもっと自由性をもたせ、一度決まったことでも、現状に合わないものは再検討し、廃止すべきものは廃止し、修正すべきものは修正し、逆にまた強調すべきことは強調して、時代応現の正しい運動を遂行していこう、ということです。なぜそうすべきかというと、先ほど清超先生のインタビューの中にもありましたが、最大の理由は、生長の家をこの地上に表すためには、自由の中に多様性が表現されていくべきだからであります。実相顕現のあり方は、そうでなければならないからです。>
さて、このイベントホールの入口の所にパソコンが何台も並んでいることに、皆さんは気づかれたと思います。このパソコン上で動いているのは「ムスビ・ワールド」というスロット・マシンに似たゲームです。このゲームは、10月に行われたこのオフィスでの「自然の恵みフェスタ」に初めて登場した生長の家のオリジナル・ゲームソフトです。製作したのは、オフィスに勤務する職員有志による「NeoBook研究会」というグループです。このゲームは一見、スロット・マシンのように見えますが、ゲームのルールはスロット・マシンとは全く逆になっていて、「同質のものを合わせる」のではなく、「異質のものを組み合わせる」ことで点数が増えていくという、世界に類を見ないゲームなのです。しかも、「神・自然・人間は本来一体」を表現していることを強調したい。詳しいことは、印刷物もあるし、ゲームをするパソコンの近くにいる担当者に聞いてください。ひと言で言えば、「ムスビの働き」をゲームで表現したものです。

PBSのメンバーが教区にいなかったり、まだ少ない場合、メンバーを増やしてください。若い人、発想が豊かな人、前例に囚われない人、そういう人々を積極的に運動の中に迎え入れていかない限り、私たちの運動は発展しないどころか、社会の高齢化の中でどんどん衰退していってしまうでしょう。
自由闊達な意見交換による多様性の実現。また、自由なアイディアの展開による、多様な運動の展開。前例に囚われず、教条主義に陥らない運動ーーこれが“新しい文明”の基礎をつくるためには、絶対不可欠であるということを、私は皆さんに申し上げたい。皆さんはぜひ、それぞれの場所、それぞれの役割の中で、そのような「自由なアイディアの展開による、多様な運動」を、楽しく、生き甲斐をもって展開していってください。壮年層の拡大、後継者の育成は、この自由の拡大と多様性の実現によらなければならない、と私は考えるのであります。
それでは皆さん、今年はあと1カ月になりましたが、この1カ月をフルに生かし、来年はさらに自由と多様性を表現しながら、ご一緒に人類光明化と国際平和の実現に向かって、喜びをもって進んでまいりましょう。よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。
谷口 雅宣
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