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2017年11月19日 (日)

実相の展開は多様性に向かう

 今日は午前9時半から、山梨県北杜市にある生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールで「第66回 生長の家代表者会議」が行われ、来年度の教団の運動のポイントについて、全世界の生長の家の代表者が意見交換を通して理解を深めた。私は、午後の質疑応答と決意発表の時間の後、概略、以下のような言葉を述べた: 
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
 皆さん、ありがとうございます。 
 
 今日は66回目の生長の家代表者会議ということで、遠くはブラジルやヨーロッパ、また近県を含む日本全国からも大勢の幹部が集まって下さったことを、心から感謝申し上げます。今日は、先日の拡大参議会で決定した来年度の運動のポイントを皆さんと共に勉強し、理解を深め、さらに積極的なフィードバックをいただいて、これからの運動を全世界で心を1つにして進めていくための会議でした。多くのご意見をいただいたことを、心から感謝申し上げます。 
 
 さて、私は先日、10月28日の谷口清超大聖師の九年祭で、清超先生が自由と多様性を重んじて生きて来られたことを「音楽」の例を挙げてお話ししました。そして、自由と多様性が大切な理由は、先生の思想とか趣味というような個人的な問題ではなくて、「生長の家」という言葉が大宇宙を表していて、すべての良きものが充満している実相大宇宙の全相を表現するのが、私たちの運動の究極的な目的であるからだと申し上げたのであります。 
 
 このことは、谷口雅春先生が昭和7年に受けられた「久遠天上理想国実現の神示」の中にハッキリ書いてあることなので、皆さんには思い出していただくため、この神示から少し引用いたします: 
 
<『生長の家』の因縁を書き置く。『生長の家』とは人間が付けた名
 ではない。神がつけさせたのである。『生長の家』とはタカアマハ
 ラのことである。タテに無限に生(の)びることを『生』と言い、ヨ
 コに無限に長(の)びることを『長』と言い、タテとヨコとが十字に
 交叉した中心を息叉(イヘ、家)と言う、タテの生命とヨコの生命と
 が交叉した中心が『家』である。イヘ(エ)のヘ(エ)は交叉の形を象
 徴(かたど)ったものである。家のことを巣と言い、住むと言う。住
 むと言うのは中心に集まることである。一切のものは中心に集り、
 中心に統一せられることによって澄む即ち浄められるのである。> 
 
 ここには実相世界のイメージが象徴的な言語で表現されているのですが、これを間違って解釈すると、実相世界とは、すべてのものが「一色に」統一されているというような、個性のないノッペラボーの単純世界、あるいは全体主義の世界であるかのように感じられるかもしれません。英語に「モノリス」(monolith)という言葉があります。これは、建築や彫刻用の一枚岩(いわ)「のことを言います。まだ加工されていない、これから切断して柱にしたり、床板にしたりする、その前の状態の大きな岩です。この語は、アーサー・C・クラークとスタンレー・キューブリックによるSF映画『2001年 宇宙の旅』(1968年)に登場する映像によって、日本でも有名になりましたね。 
 
 しかし、生長の家の教えで明らかなように、実相世界はこんな単純一色のモノリスではなく、すべてのものが大調和して存在している完全世界であります。それは、聖経『甘露の法雨』に、次のように書いてある通りです: 
 
 神があらはるれば乃ち
 善となり、
 義となり、
 慈悲となり、
 調和おのづから備はり、
 一切の生物処を得て争うものなく、
 相食むものなく、
 病むものなく、
 苦しむものなく、
 乏しきものなし。
 
 この豊かで、多様なイメージが内在した完全世界が、時間と空間のスクリーンに徐々に映し出されつつあるのが、私たちが今経験している現象世界です。このことは、皆さんもよくご存じの通りです。 
 
Development  実際、科学の研究によっても、現象世界は、あらゆる側面において「単純から複雑へ」という複雑化の方向に展開しつつあるということが、分かってきています。宇宙の成立と膨張、生命の誕生と多様化、そして人類の誕生と地球全面への伸展と、これに伴う民族と文化の多様化……これらすべての現象世界の展開は、実相のイメージが徐々に現れつつある姿である、というのが生長の家の理解であり、世界観です。 
 
Development2  私たちの運動も、この原則に従って展開しているところであります。谷口雅春先生の時代には、生長の家の地方組織は「誌友相愛会」という、主として男性が牛耳る会を中心にして、その下に青年会も白鳩会もーー老若男女が一緒に含まれて運動していた。それを、谷口清超先生は、男性が女性を支配するのでは、女性独自の長所を生かした運動の妨げになる。それはひいては運動の進展を阻害するということで、白鳩会と相愛会を切り離し、青年会も独自の総裁を置いて、若者の特長を生かした運動を希求された。これが現在の白・相・青の組織運動が発足した理由でした。 
 
 ところが、組織が分かれると、特徴ある運動が生まれたことは事実ですが、そして会員の数がぐんと伸びたことは確かですが、反面、組織と組織の間に見えない“壁”が生まれてきました。また、生長の家講習会を組織別に推進する態勢がキッチリ決まってしまうと、組織間の協力がやりにくくなる。1つの家庭内でも、夫と妻が受講券や受講者をめぐって「どちらの組織の成果にするか」で対立することも出てきた。三者協力よりも三者競争が出てくると、これは運動にマイナスの効果が生じかねない。 
 
Development3  そんな理由もあって、現在は、白・相・青の組織を横断的に支える「地方講師会」の役割が重視され、あるいは白・相・青の組織に縛られない運動が求められてきているわけです。今日の運動方針のディスカッションの中でも出てきましたが、プロジェクト型組織(PBS)という考え方、運動の仕方が、そのような必要に呼応するものです。組織運動の固定化、硬直化、マンネリ化を打破するために、清超先生の御心である「自由と多様性」を強調した運動形態が新しく生まれてきているのであります。 
 
Namechanges  このような私たちの運動の“大きな流れ”を理解していただきますと、今回、生長の家の運動の中での最も重要な会議の名称が変わった理由も、了解してもらえると思うのであります。「最高首脳者会」が「参議会」になり、「拡大最高首脳者会」が「拡大参議会」になったことです。このことは、10月28日の清超先生の9年祭のときに、私は詳しく申し上げましたが、その話はインターネット経由で流れただけで、私のブログには書きましたが、まだ活字になっていないので、今日、改めて紹介いたします。ブログの文章を読みます: 
 
<このフェスタの前に行われた拡大最高首脳者会では、生長の家教規の改正が行われました。何が変わったかというと、これまで「最高首脳者会」と「拡大最高首脳者会」と呼ばれていた教団の重要会議の名称が変わったのであります。どう変わったかといえば、「最高首脳者会」は「参議会」に、「拡大最高首脳者会」は「拡大参議会」になりました。ずいぶん簡単な名前になったと思う方もいると思います。「最高」とか「首脳者」という言葉が消えて、「何か重たさがなくなった」と思う方、あるいは「ずいぶんビジネスライクになった」と感じる方もいるかもしれません。この名称変更の理由は、大きく分けて2つあります。 
 
 ①会議の中での自由な意見交換を促進するため
 ②会議での決定事項が“絶対視”されて運動に教条主義が持ち込まれ
  ないため、です 
 
 提案書から、提案理由を引用しましょう。 
 ①の理由については、こうあります。 
 
 「名は体を表す」という言葉があるように、名前は、そのものや人の性質や実態を過不足なく表現すべきものです。構成員相互の自由闊達な意見交換が行われるためには、会議体の名称には任意性や自由性が表現されるべきであると考えます。現在の名称はその点、若干の問題があります。 
 
 ②については、こう表現されています: 
 
Saikomubyu  「最高首脳者会」という名称は、(…中略…)同会議で意思決定が行われた後にも、その決定を実施する本部職員や教区レベルの幹部・信徒の受け取り方にも、間違った印象を与えるリスクを内包しています。そのリスクとは、「最高首脳者会での決定は無謬である」と考えるリスクです。これは、「最高」という日本語が、生長の家の教義と組み合わさって「実相」と混同される場合に起こると思われます。このリスクが現実化すると、最高首脳者会で決められたことは“神のご意思”であるかのように、絶対服従が要求されるだけでなく、「事情や時代の変化があっても未来永劫に変えてはいけない」と考える硬直した“教条主義”や、慣習に縛られた“前例主義”を運動の中に持ち込むことになります。 
 
 このような理由から、生長の家の最も重要な2つの意思決定機関の名称は変わりました。つまり、意思決定や運動の方法にもっと自由性をもたせ、一度決まったことでも、現状に合わないものは再検討し、廃止すべきものは廃止し、修正すべきものは修正し、逆にまた強調すべきことは強調して、時代応現の正しい運動を遂行していこう、ということです。なぜそうすべきかというと、先ほど清超先生のインタビューの中にもありましたが、最大の理由は、生長の家をこの地上に表すためには、自由の中に多様性が表現されていくべきだからであります。実相顕現のあり方は、そうでなければならないからです。> 
 
 さて、このイベントホールの入口の所にパソコンが何台も並んでいることに、皆さんは気づかれたと思います。このパソコン上で動いているのは「ムスビ・ワールド」というスロット・マシンに似たゲームです。このゲームは、10月に行われたこのオフィスでの「自然の恵みフェスタ」に初めて登場した生長の家のオリジナル・ゲームソフトです。製作したのは、オフィスに勤務する職員有志による「NeoBook研究会」というグループです。このゲームは一見、スロット・マシンのように見えますが、ゲームのルールはスロット・マシンとは全く逆になっていて、「同質のものを合わせる」のではなく、「異質のものを組み合わせる」ことで点数が増えていくという、世界に類を見ないゲームなのです。しかも、「神・自然・人間は本来一体」を表現していることを強調したい。詳しいことは、印刷物もあるし、ゲームをするパソコンの近くにいる担当者に聞いてください。ひと言で言えば、「ムスビの働き」をゲームで表現したものです。 
 
S_dsc_5008  また、SNI自転車部の事務局はこのオフィスにありますが、ここで最近、購入した自転車はとてもユニークです。それは、自転車のフレーム(骨組み)が植物の竹でできているのです。自転車は、このフレームにどんな金属を使うのか、あるいは炭素繊維を使うのか等々で、値段が大きく違ってきます。ところが、稀少金属やカーボンを使うと、自然破壊やCO2の排出の問題が出てきます。しかし、地球上のいたる所に自然に生えている「竹」を使えば、自然破壊やCO2の排出の問題をかなり緩和できます。日本の山々が孟宗竹林の浸食で荒れている問題の緩和にも貢献できるかもしれません。そんな一石二鳥、一石三鳥のアイディアが生まれてきたのも、このPBSの活動からです。 
 
 PBSのメンバーが教区にいなかったり、まだ少ない場合、メンバーを増やしてください。若い人、発想が豊かな人、前例に囚われない人、そういう人々を積極的に運動の中に迎え入れていかない限り、私たちの運動は発展しないどころか、社会の高齢化の中でどんどん衰退していってしまうでしょう。 
 
 自由闊達な意見交換による多様性の実現。また、自由なアイディアの展開による、多様な運動の展開。前例に囚われず、教条主義に陥らない運動ーーこれが“新しい文明”の基礎をつくるためには、絶対不可欠であるということを、私は皆さんに申し上げたい。皆さんはぜひ、それぞれの場所、それぞれの役割の中で、そのような「自由なアイディアの展開による、多様な運動」を、楽しく、生き甲斐をもって展開していってください。壮年層の拡大、後継者の育成は、この自由の拡大と多様性の実現によらなければならない、と私は考えるのであります。 
 
 それでは皆さん、今年はあと1カ月になりましたが、この1カ月をフルに生かし、来年はさらに自由と多様性を表現しながら、ご一緒に人類光明化と国際平和の実現に向かって、喜びをもって進んでまいりましょう。よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣

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