« “愛のある秩序”の実現へ | トップページ

2017年6月17日 (土)

人類は経済発展では救われない

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山の谷口家奥津城において「谷口雅春大聖師三十二年祭」が執り行われた。奥津城前の広場には、秋田、岩手、宮城、茨城、千葉、東京、山梨、長野、広島、山口、徳島の各地から、団体参拝練成会に参加した幹部・信徒を初め、地元・長崎県の信徒らが合計で7百余名参集し、焼香や玉串拝礼で誠を捧げ、生前の谷口雅春先生の遺徳を偲び、人類光明化と国際平和進展を誓うと共に、“自然と共に伸びる”新しい文明構築の決意を新たにした。 
 
 私は同祭の最後に概略、以下のような挨拶をさせていただいた: 
---------------------------------------- 
 
 皆さん、本日は谷口雅春大聖師三十二年祭にお集まりくださり、誠にありがとうございます。 
 
 谷口雅春先生が御在世の頃、特に生長の家を輝子先生とともに創始されたころの日本は、また当時の日本を取り囲む世界はどんな状況であったかということは、もう歴史の一部となっているので、知らない人、知っていても忘れてしまった人など数多くあると思います。幸い、この生長の家総本山には、「温故資料館」というのがあって、生長の家の歴史について詳しく教えてくれる大切な資料が保管されているので、折々の展示によって、私たちは雅春先生と輝子先生のご功績とその時代の様相を確かめることができるのであります。 
 
 私たちは、歴史の中のそれぞれの事象--例えば、『生長の家』誌創刊号の発刊とか総本山の建立ーーなどから学ぶことは勿論大切ですが、さらに重要なのは、「世界の中の日本」という、より大きな歴史の流れの中で個々の事象を捉え、理解することです。また、最近では、「地球環境の中の人類」という視点も求められています。特に現代の歴史では、変化のスピードがとても速まり、「加速度的」といっていい変化が世界的に起こっているので、私たちは変化する日常生活に対応するのに忙しく、一時代前の世界や日本の実情を忘れてしまっていることが多いものです。そうすると、生長の家の教えや運動の中で、何が不変で重要なものなのか、また何が社会の変化に対応するための臨機の教えであり、変化していい、時代応現の運動方策であるかの区別ができなくなる恐れが生じます。私がよく使う言葉でいえば、何が教えの“中心部分”であって、何が“周縁部分”であるかの区別が難しくなる、ということです。 
 
 谷口雅春先生がご在世の期間でも、歴史の中では大きな変化が何度も起こりました。それはご存じのように、日本が近代化の過程で世界を敵に回して戦争をやり、それに敗れ、経済としては“どん底”の状態となり、やがて「貿易立国」を選んだことが奏功して、急速な経済発展を遂げ、今日に至っているということです。 
 
 この大きな変化の中でも、谷口雅春先生は一貫して「人間は神の子である」という真理を説かれました。それは、人間の本質は物質ではなく、肉体ではないということでした。先生は、人間は物質でも肉体でもないのだから、「物質的豊かさや肉体的快楽からは、人間の幸福は決して来たらない」と力説されてきたのです。そして、日本が経済発展を遂げて、アメリカに次いで世界第2位のGNPを生み出すようになっても、ご自身の生活は質素で慎ましやかでした。このことは今日、強調してもしすぎることがないほど大切なことだと私は考えます。物質的繁栄は宗教の目的ではないから、宗教家は収入が増えても贅沢な生活を拒む、ということです。このことは、雅春先生御夫妻だけでなく、二代目総裁を継いだ、谷口清超先生御夫妻についても言えることです。 
 
 生長の家には「栄える会」という組織があるので、まだ教えに触れてまもない初信の人の中には、入信の目的は経済的発展だと考えたり、 経済的豊かさの程度が信仰の深さを示す、などという間違った考えをもつ人がいます。しかし、経済的発展はあくまでも「現象」ですから、現象を追うための信仰は、いずれ必ず破綻します。生長の家は、神の御心を表す運動です。そのことを第一の目的にするのが、本当の信仰運動であり、その結果、運動している人が経済的に豊かになるかもしれないが、そうでない場合もある。「まず神の国と神の義とを求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし」とイエスが説かれた通りです。 
 
 ですから、「経済的発展のためには手段を選ばない」というのは、生長の家とは無縁の考え方です。それは唯物論です。だから、そういう政策を高く掲げる政治家を支援するのが、本来の生長の家の運動だと主張する人がいたとしたら、それはまったくの間違いです。ところが、その同じ政治家が「憲法改正」を提言すれば、「あぁ、これは谷口雅春先生と同じだ!」と考えて、その政治家を批判する今の生長の家の運動は間違っている、と考える人がいるようです。そういう人は唯物論に毒されてしまったか、あるいは生長の家の昔の運動の表面だけを見て、時代応現の宗教運動の重要性が分からない人です。 
 
 私たち生長の家は、昨年のちょうどこの時期に、現在の自民党政権とそれを支援する政治勢力を支持しないという方針を明確にしました。これによって、私たちの運動を唯物論と勘違いしたり、表面的にしか理解しない人々が動揺し、私たちの説得にもかかわらず去っていったことはとても残念なことです。しかし、あれから1年を経過してみて、今の自民党のやり方がとても危険であることが、多くの人には理解できてきたのではないでしょうか? 2日前に、戦前の治安維持法を思い出させる「共謀罪」の考え方を導入した法律が国会で成立しました。有無を言わせぬ多数決が行われたことは、報道が伝える通りです。それと並行して、権力者に近い人間ならば、行政は例外的に有利な処理をすべきだとの考えを、現政権のトップがもっていることを示す証拠が、次々に暴露されつつあります。これは英語で「ネポティズム(nepotism)」と呼ばれるもので、アフリカやラテン・アメリカ、東南アジアの一部の国々では行われていますが、民主政治が定着した先進諸国では忌み嫌われている、時代遅れの考え方です。不公正な政治であり、腐敗の温床になるものです。 
 
 私たちは今の政治の表面的なスローガンとか、カッコ良さにだまされてはいけません。その個人的な人気を利用して、自分の立場や仕事に有利に動こうとするのは間違いです。「まず神の国と神の義とを求める」という信仰運動の原点に立ち還らねばなりません。物質主義を謳歌しようとするのではなく、「人間・神の子」の自覚のもとに、人類とすべての生物を育んできたこの貴重な生命体としての地球を破壊から護るために、実生活に仏の四無量心を表していく生き方を力強く進めていかねばなりません。人間と地球生命の平和は、経済発展によって、人間だけの繁栄によってもたらされるものではありません。それは、私たち人類の「他を思いやる心」「自他一体の自覚」の実践によって初めて実現するのです。 
 
 そのことを谷口雅春先生は、今から50年前(昭和42年)に発行された『栄える生活365章』の「はしがき」で、はっきりと述べておられます。引用しましょう-- 
 
 「人間は幸福を求めて此処まで来た。そして物質的方面での幸福はある程度目的を達した。と同時に、これ以上物質的方面からのみ人間の幸福を追求していると、空気の汚染や河川の汚染や更に人間の心の汚染で、各方面から色々の公害を惹き起し、原子戦争の危機まで間近に迫って来つつあるのが現状である。物質文明の轍(わだち)の進むところ、重力で加速度が加わるように、その位の満足の程度で物質文明の発達を一応停止して、幸福に平和に今を安全に生活した方がよいではないかと提言したとて、互いに競争的に各方面に進歩しつつある物質文明が、今までの惰力で奈落の底へと向けて突進して行くのを停止せしめることはできそうにはないのである。 
  こうして人類絶滅の危機に向ってひた走っている人類の文明という高速車を停止せしめることができないとするならば、これを救う道は、その高速車を停止せしめるのではなく方向転換させるほかはないのである。」(pp.1-2) 
 
 これは昭和42年/1967年に書かれた先生の文章です。この1967年という年は、地球環境が人間の活動によって破壊されつつあることが、まだ明確には人類に意識されていなかった頃です。しかし、公害問題は深刻化していて、それを訴える『沈黙の春』という本をレイチェル・カーソンが出版して5年たっていました。「生態系」という言葉は、今では学校で当たり前に学びますが、その言葉が学問の分野初めて使われたのは1935年ですから、まだ三十数年しかたっておらず、生態学も日本ではあまり知られていませんでした。それでも谷口雅春先生は、これほどの危機感をもって唯物主義の拡大を憂えておられたということを知ってください。 
 
 現在の私たちは、この雅春先生の危機感を共有するばかりでなく、その危機を克服する信仰を譲り受け、さらに危機の到来を防ぐための技術をもち、その技術を実際に使うことができるという恵まれた立場にあるのです。この信仰運動の“本筋”を忘れてはいけません。人間は自己内在の仏性の自覚、「人間・神の子」の自覚によって救われるのであって、技術や経済的富の拡大によって救われるのではありません。 
 
 谷口雅春大聖師三十二年祭にあたって、皆さんと共に、「人間・神の子」の自覚をさらに深め、もっともっと多くの人々にそれをお伝えし、伝えるだけでなく、自らの仕事と生活の中で実践し、“自然と共に伸びる”新しい文明の基礎をつくるために邁進していく決意を新たにするものであります。これをもって谷口雅春大聖師三十二年祭の所感といたします。ご清聴、ありがとうございました。 
 
----------------------------- 
 谷口 雅宣

|

« “愛のある秩序”の実現へ | トップページ

国際関係・国際政治」カテゴリの記事

地球環境問題」カテゴリの記事

宗教・哲学」カテゴリの記事

自然と人間」カテゴリの記事

コメント

有難うございます。共謀罪が強行採決され、今日本では有識者の間で沈痛な空気が支配していると思います。テレビなどでも御用テレビは別として今朝のTBSなどでもこの問題の深刻さはきちんと語られているので一般の人たちにもある程度の認識の広がりはあると思います。
 そして加計学園、森友学園の問題はご指摘のように自分たちに近しいものへの便宜を政権がするという信じられない構造が明らかになっています。

 こうした非道で危険な政権が今、日本では国会でも多数を得ている状況でそれを許してしまったのが国民です。これは国民の自業自得とも言えますがそれを責めても何の解決にもなりません。

 先生のご指摘や生長の家の方針が正しかった事は明らかになりましたが今後、心ある生長の家の信徒は先生のご指導のように人間神の子の真理をより広め、かつ生長の家の信仰の目的がご指摘のように経済的発展ではなくて神の国を表しだす事であることを肝に銘じ、かつそうした信仰をより多くの人たちにあらゆる機会を通じて伝えていく事だと思います。もちろん、その生き方を信徒自ら身口意に実践しつつ。

 今の政権のような不完全なものは決して長続きしないですね。良くなる直前は一番悪くなるというように現在の共謀罪が可決されてしまった状況でも希望を失うことなく力強く進んで参りたいと思います。

投稿: 堀 浩二 | 2017年6月18日 (日) 14時15分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« “愛のある秩序”の実現へ | トップページ