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2017年2月20日 (月)

“代替事実”はウソ?

「代替事実」という言葉が流行っているそうだ。といっても、日本のことではなく、主としてアメリカでである。だから、もっと正確に言えば、英語の「alternative facts」という言葉が流行っているのである。理由はたぶん、従来のアメリカ政治の常識を覆すトランプ新政権の性格を、よく表しているからだろう。 
 
 この言葉は、日本の解説者によっては「もう一つの事実」などと訳されている。こちらの方が日本語としては分かりやすい。しかし、私がこれを使わない理由は、「もう一つ」を認めると、「更にもう一つ」とか「三つ目の」という表現もあり得るようなニュアンスが生まれるからだ。「alternative」という英語には、そういう意味はない。語幹が共通する「alternate」という形容詞は、「交互の」とか「かわるがわるの」という意味だから、「選択肢が2つ」しかない中での「もう一方」なのである。例えば、「alternative medicine」という英語は、すでに「代替医療」とか「代替医学」などと訳されて広く使われているが、この場合も、「西洋医学」に対する「もう一方」の医学--漢方やアーユルヴェーダ、超越瞑想法など--を一団の「非西洋医学」として捉え、それ全体を指している。 
 
 こんな背景を頭に入れて考えてみると、「代替事実」という言葉の意味は、「事実以外にも、別の事実がある」というのだから、何か不思議で、探偵小説のようなミステリアスな香りがしてくる。が、アメリカのジャーナリストの間では、この言葉はきわめて評判が悪い。というのも、それがトランプ大統領の側近の口から出たためで、「事実を曲げる」目的に使われたと考えられるからだ。 
 
 問題の発端は、今年の1月21日のホワイトハウスでの記者会見だった。発足したてのトランプ政権の新報道官、シーン・スパイサー氏が、トランプ大統領の就任式について「史上最大規模の国民が参加した」と発言したことに、記者側から異議が出された。アメリカのメディアは、その時点ですでに「オバマ大統領の2期目の就任式(2013年)よりも少なかった」と報道していたからだ。 
 
 するとスパイサー報道官は、就任式当日の現場に通じる地下鉄の利用者数を引き合いに出し、それが「42万人」だったのに、オバマ氏の時は「31万7千人」だったと主張した。が、この数字の根拠は不明だった。実際の数字は、当日の午前零時から11時までの利用者数が、2017年が19万3千人、2013年は31万7千人、就任式当日24時間の利用者数は、2017年が570,557人、2013年は782,000人で、いずれもオバマ氏の就任式の方がトランプ氏を大きく上回っている。それどころか、2つの就任式の会場を当日、上空から撮影した映像を比べても、群衆の列の長さは、オバマ氏の時の方がトランプ氏の時よりも明らかに長いことが示された。 
 
 このことを指摘されると、スパイサー報道官は、今回の就任式では初めて、会場の地面を白いカバーで覆ったから、それが視覚的に群衆の列の長さを短く見せたのだ、と説明した。ところが事実はそうではなく、白い地面の覆いは、2013年のオバマ氏の就任式の際も敷かれていたという。 
 
 こんな見え透いたウソを大統領報道官がメディアに向かって堂々と発表するのでは、トランプ政権の発表には今後、誰もが疑いの目を向けることになる。そんな問題が論じられている同じ時期に、今度は大統領顧問のケリーアン・コンウェイ氏が、『ミート・ザ・プレス』というNBCのTV番組でインタビューに答え、この問題について「そんなに大袈裟に騒がなくていいでしょう。あながたはこれを間違いだと言うけれど、私たちの報道官、シーン・スパイサーは、それに対する代りの事実を述べただけよ」と言ったのだ。この「代りの事実」に相当するのが「alternative facts」である。インタビューアーは即座に、「代りの事実なんてのは事実でなく、間違いのことですよ」と反論したという。 
 
 こうして「代替事実(alternative facts)」という言葉は、アメリカのメディアやソーシャル・ネットワークで皮肉や嘲笑を交えて取り上げられることになった。これを「流行語」と表現するのが正しくないとすれば、新政権の危うさを示した「象徴語」と言えるだろう。
 ところで私は、ここに挙げられたような政治家とメディアとの関係では、アメリカのジャーナリズムの反応に全面的に賛成する。世界最強の国で最高権力を握るアメリカ大統領が、国民や世界に対して事実を告げずに、自分に都合のいい解釈や、事実を曲げた情報を“代替事実”として発表するようになれば、民主主義は崩壊する。また、世界には間違った判断が蔓延して、戦争や災害を含めた悲惨な事態に陥る可能性が大きい。かつてのイラク戦争が、当時のブッシュ大統領の事実誤認と判断の間違いによって起こったことは、読者の記憶にも新しいだろう。その結果、アフガニスタンとイラクは崩壊し、破壊と荒廃の中から立ち現れた「イスラーム国」なるテロ集団が今、世界を震撼させているのである。
 
  谷口 雅宣

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コメント

 ありがとうございます。
 政治家にしても報道関係者にしても企業人にしても、様々な目的で嘘をつくことが、恥ずかしいとか、結局良い結果を生まないだろうとか、あまりそういう風に思わないんだろうな、と、感じることがあります。
 嘘を言う理由はいろいろあるでしょうが、何らかのメリットがある(例えば、立場や体面を守るなど)と考えるからなのでしょう。
 もうひとつには、間違いを認める、ということが、なかなか難しい。退いたとみるや、一斉に追い討ちをかけられますから。
 そうして事実を曲げようとする人々を非難するのは簡単ですが、私は逆に、次のようにも思います。
 即ち、周囲(つまり私たち)が嘘に踊らされない(=彼らにメリットを与えない)努力も、大事だろうな、と。
 例えば、デタラメなでっち上げの記事を書いた週刊誌を買うと、その出版元は儲かるので、また嘘を書きますね。
 言い方を換えれば、正直者が馬鹿を見ないような世の中になるように、みんなが身近なところから気をつける。そうしたら、もしかすると最後には、偉い人もウソを言う理由が無くなるかも知れないなと(笑)。
 
 

投稿: 片山一洋 | 2017年2月21日 (火) 22時31分

先生の今回のブログを拝見し、これは日本のことなのでは?と即座に感じました。
先生はアメリカの政府とメディアの関係では、ジャーナリズムに賛成するとおっしゃっていましたが、日本でのジャーナリズムはどうであるのか、とても憂慮します。今までの安保法制、TPP、IR 法案などや現在議論中である天皇陛下の生前退位や共謀罪、森友学園のこと、全てに渡りジャーナリズムの姿勢が頼りなく思えます。また、国民の支持率が下がらないことも驚きです。

投稿: 川合 祐子 | 2017年2月26日 (日) 16時57分

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