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2017年1月10日 (火)

凡庸の唄 (2)

 凡庸であることを
 「恥」と思ってはいけない。
 凡庸は人生の達人である。
 一芸に長ずることで失われる
 時間と
 視野の広さと
 細かい気配りを
 自分のものとすることができる。
 凡庸は時間を大切にする。
 何かをするための時間ではない。
 そこに在るがままの時を味わう。
 通勤途上に仕事などしない。
 Aの駅ではAを味わい、
 Bのバス停では
 広告のデザインを楽しみ、
 学び、
 Cの町角では
 路傍の花に留まる虫に語りかける。
 おい、
 そんな小さな花でも
 お前の好みの色香を放つのか?
 凡庸は、
 ミツバチの視覚を自分のものとし、
 モンシロチョウになって
 民家の屋根より
 ずっと、ずっと高くへ昇り、
 トンボの複眼をもつ自分を想像する。
 空に上れば
 視野は広がり、
 自分が世界の一部だと感じる。
 その世界とは、
 ニュース報道が教える
 暴力と混沌の世界ではない。
 生きものがつながり合った
 自由で軽ろやかな
 地球大の紐帯(むすびつき)の世界だ。
 それぞれが主人公でありながら、
 それぞれが他者を支えている。
                               谷口 雅宣

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コメント

生長の家総裁・谷口雅宣先生

合掌。
新年あけましておめでとうございます。
本年も、尊いご指導を頂けることに、心より感謝申し上げます。

「凡庸の唄(1)(2)」を拝読し、今此処を深く味わう生き方の大切さを改めて確認させて頂きました。また、当たり前の世界が、最も調和していること、最も有り難いことを再認識させて頂きました。ありがとうございます。

嬉しいご報告があり、メールさせていただきました。
私、昨年末にとある経緯で、ギターを購入することになりました。これも肉体を使った表現活動の一環だと思い、毎日一所懸命に取り組んでおります。

北見教化部で、新年祝賀式・祝賀会で練習途中ではありましたが、ギター演奏を披露させて頂きました。勿論、超スローペースの弾き語りです。既存の曲に北見教区を讃える歌詞を当てはめて、祝福讃嘆の内容です。運指はしどろもどろで、出来は散々でしたが、盛り上がりました。

その日に、思わぬ信徒誌友さんから、また、幹部からも、「過去に習っていた」「今、練習している」との反応がありました。普通は挨拶くらいしか表現されなかった方も、「今度、一緒に演りましょう!」と積極的に声をかけて来られ、こちらが驚きました。

自分的には、右脳の活性化にでもなれば良いとか、表現活動の一環とか、個人的な発想でしたが、何人かの方から「誌友会でも披露してください」「同好会を作りませんか?」などと提案もありました。70歳を越える方から、「教化部長がギター始めたのなら、自分も始めたい」との言葉もありました。

北見教区の表現活動の一環として、新しいページが開きそうです。

これを教勢発展に繋げて参ります。また、ご報告させてください。北見教区 後藤富善拝

投稿: 後藤富善 | 2017年1月10日 (火) 19時13分

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