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2016年11月

2016年11月22日 (火)

“背教者”はいない

 今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山出龍宮顕斎殿において「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」が行われた。前日には、午前中に「第36回龍宮住吉霊宮秋季大祭」、午後には「第39回龍宮住吉本宮秋季大祭」が執り行われたが、それに続くもので、近隣の教区から信徒・幹部約250人が参列した。私は祝詞を奏上したほか、式典の最後に概略以下のような挨拶を述べた: 
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 皆さん、本日は谷口雅春大聖師御生誕記念式典にお集まりくださり、誠にありがとうございます。ご参集いただいた方の中には、昨日からの龍宮住吉霊宮の大祭と本宮の大祭にもご参加くださった方も多いと思います。心から感謝申し上げます。ありがとうございます。 
 
 先ほど祝詞を奏上させていただきましたが、その中にもあったように、今日のこの日は、生長の家創始者、谷口雅春先生のお誕生日であるだけでなく、第二代総裁の谷口清超先生が生長の家総裁の法燈を継承された記念すべき日でもあり、二重の意味でおめでたい記念日です。皆さん、おめでとうございます。 
 
 今日はこのように、雅春先生と清超先生が「生長の家総裁」という共通項で“ムスビ合わされた”日でありますので、お二人が結ばれる契機となった出来事について、さらには、お二人が出会う“仲介役”となった人物の存在の意味について、改めて考えてみたいのであります。 
 
 生長の家創始者であり初代総裁の谷口雅春先生と、二代目の清超先生とを結びつけたものは、1冊の『生命の實相』という御本でした。これは有名な話なので、ここに集まられた多くの方はすでにご存じでしょう。ただ、今日の私の話は、インターネットを介して日本全国、いや世界にも放映されているので、まだ知らない人も聴いてくださっているでしょう。清超先生の御本から引用しつつ話すことにいたします。 
 
 谷口清超先生は、もともと荒地清超というお名前で、谷口家には婿養子として入籍されました。それは昭和21年(1946年)のことですが、それに先立って、まず清超先生が生長の家を初めて知られたのは、戦中の島根県浜田市の陸軍病院でした。先生はそこで結核を病んでおられたけれども、上官に当たる同室の上等兵が読んでいた『生命の實相』を興味半分で借りて読んだところ、その内容にぐんぐん惹かれて手放せなくなり、ついに健康を回復されたのでした。これによって生長の家を知った清超先生は、戦後になって、『生長の家』誌で募集していた翻訳係に応募し、採用されたので上京し、谷口恵美子先生にお会いすることになるのです。 
 
 ですから、『生命の實相』がお二人を結んだようでありますが、その『生命の實相』を上等兵が清超先生に貸すことがなかったならば、清超先生はその後も『生命の實相』を読まれなかったかもしれない。そうなると第二代の生長の家総裁は別の人になっていた可能性もあるのです。すると、私などは存在しないから、勿論この場所に立つこともないのであります。つまり、生長の家が今日存続していたかどうかは、この上等兵の判断一つにかかっていた--そう言えるような重要な“ムスビ”の役割を果たした人がいたのであります。 
 
 清超先生が書かれた『真実を求めて』というご本には、この不思議で、大変重要な縁をつくった上等兵の役割について深い真理が説かれているので、このご文章を引用しながら、説明させていただきたいのであります。43ページから始まる「方便説法」という章を読みます-- 
 
<思えば一冊の真理の書物が、どれだけ多くの人々を救ったか分からない。しかし、その書物を用意してくれた人々が、必ずどこかにいたのである。私自身、かつて陸軍病院に入院中、ベッドの上で一冊の『生命の實相』をとり出し、それによみふけっていた兵隊から、その本を借りてよみ出したことがきっかけで、生長の家にふれたのだ。
「ちょっとそれを貸して見せて下さい」
 という私の願望は、決して「真理を求める」といった大袈裟なものではなく、ちょっと小説でも借りて読んでいようかといった、軽い気持ちであった。ところが、その本をよんでみて、私はその時以来『生命の實相』のとりことなった。 
 私はこうして真理の大愛に捕捉されたのである。当時の私には決して求道し探求したいといった思いはなかった。又、その本をかしてくれた兵隊も、私を「救ってやる」などという気配は微塵も見せず、かえって私に貸すのがいかにもおしそうであった。 
 こうして、彼は後になって死に、私は助かったのである。彼は最後に背教者となっていた。がしかし私は、彼によって、彼を通して、この大法を得たのである。このことの意味を、私はいつも考え続けている。「背教者」の意味をである……ある人は、ベンチの上に捨てられていた一冊の信仰の誌をみつけ、それで救われていった。その時、ベンチに、誰かがそれを捨てたのだ。一体、本当に「捨てる」とか「背教する」ということがありうるのだろうか。そんなものはナイのである。 
 ナイけれども、あたかもあるように見える。そのような現象の奥にある神の大愛が、私達を救いとって放そうとしない。捨てる人は、たしかに「捨てる」という意識をもったのであろう。しかし、本当は「伝道した」ことになる。教えに背いた人も、本当は背いていないにちがいないので、ただ一時、そのように表現し、その表現が、自分自身を胡魔化(ごまか)してしまう。彼は、夢を見るのである。 
 このようにして、夢の中にいる人々に対して、その夢をやぶるために、様々な方便が使われる。それは必ずしも、真理の説法でなくてもよいし、バケツの水をブッかけるといった類いの行為でもよい。だが、その行為の奥には、明らかに大いなる「愛」が働きかけているのである。この愛こそが本物であり、それによって、人々は限りなく尊く美しく生長して行くのである。>(同書、pp.44-46) 
 
 この後、少しページを飛ばして、49ページから読みます-- 
 
<かつて私に『生命の實相』を貸してくれた兵隊も、一時的には健康を取りもどした。がしかし何らかの機会に、健康を第一として、その方便としてのみ本を見るようになったらしい彼は、 
「お前、まだ生長の家なんかやっているのか。俺は、このごろあの雑誌で尻をふいとるよ」
 というようにまでなってしまった。こうしてひどく痔を悪化させ、肺病も末期になって死んでしまったのである。私は彼の言葉を想い出すと、いつもこの背教的恩人が“皮肉な詩人”であったという気がして、悲しくなるのである。 
 当時の私は、まだ『生命の實相』を愛読中の一声聞(しょうもん)の徒にすぎなかったのだ。私は当時彼を救うなどという考えをいささかも起こしてはおらず、かえって先輩である彼のこの背教的行為で打ちのめされ、うろたえたものだ。しかしどうしても『生命の實相』を投げすてる気にはなれず、いつの間にか彼とは別の道を進んでしまったのである。>(同書、pp.49-50) 
 
 谷口清超先生に教えを伝えた上等兵は、伝えたあとは教えを棄ててしまい、生長の家の「雑誌を破って尻を拭く」などという背教的な行為をしていた挙句、肺病が悪化して死んでしまった。しかし、この背教的離反者がいなかったならば、清超先生は生長の家の第二代総裁にはならなかったかもしれない。このことを考えると、一見“悪”だと思われる行為であっても、あるいは、そういう“悪人”がいるように見えても、その背後には、より大きな善が現れる重要な契機が潜んでいたことが分かるのであります。そして、先生がおっしゃる通り、本当の意味での“背教者”など存在しないことが納得されるのです。これは釈尊に対する提婆達多や、イエスに対するイスカリオテのユダの関係にも言えることでしょう。 
 
 さて、これらはやや昔の話でありますが、私たちの運動の中で最近も同じような解釈が可能な出来事がありました。 
 
 昨日行なわれた2つの御祭では、私たちはそれぞれ『大自然讃歌』と『観世音菩薩讃歌』を読誦しました。これらの2つの讃歌は、今から5年ほど前に私が書かせていただいたものですが、当時は、生長の家の重要な経典である聖経『甘露の法雨』と『天使の言葉』が、版元の日本教文社から発行できなくなる恐れが生じていたのです。これは当時の社会事業団理事長が、出版差し止めをやろうとした。この人物は、もともとは生長の家の本部理事まで務めた人ですが、私たちの運動の方向に反対して、聖経の版権を別の出版社に譲ってしまった。私たちの立場から見れば、これは一種の“背教的行為”です。 
 
 私は、そのような彼の行為が事前に予測できたので、その頃、何とかしなければいけないと思い、2つの聖経から引用しつつ、2つの新しい自由詩をブログ上で発表したのでした。それらが約1年後に『大自然讃歌』と『観世音菩薩讃歌』の経本になりました。今では皆さんも、この2つの讃歌に親しんで下さっていると思いますが、その当時、社会事業団の訴訟がなければ、また、そういう一見“背教的”な人物がいなければ、私は経本を書こうなど夢想もしていませんでした。だから、この2つの讃歌は、この世に生まれることはなかったでしょう。が、この人物とその訴訟のおかげで、これら2つは世に出ることになったのであります。 
 
 これらの讃歌は、人間にとって自然界がどれだけ貴重で素晴らしい存在であるかを、御教えにもとづいて讃美し讃嘆する内容です。聖経『甘露の法雨』も『天使の言葉』も、そういう視点からは教えを説いていないので、地球温暖化と気候変動が起こっている現在、これらの讃歌の役割はますます重要になっています。そういう自由詩を私に書かせ、またその経本を生長の家に発行させる役割を果たしたのが、一見“背教的”な“敵対行為”を行った人物だったのです。 
 
 しかし、この行為が、御教えの多様な展開と今日的状況への対応を可能にしてくれたのです。それを思えば、私には今、それが--清超先生のお言葉を借りれば--「現象の奥にある神の大愛」のように感ぜられるのであります。これら両讃歌は、今では日本語のみならず、英語、ポルトガル語、中国語、韓国語、ドイツ語、スペイン語にも翻訳されて、世界中の生長の家信徒が読誦し、また信徒以外の人々にも伝わりつつあります。 
 
 このようにして、善一元の実相が現象界に現れる過程では、一見、“悪い”と思われる事象も出てくるけれども、その背後に真理を表現せずにはおかない“神の大愛”があることを観通すことが大切だと教えられます。皆さんもぜひ、現象の表面的な“悪”に心を千々に乱すことなく、神の世界の善一元を信じ、その表現に向かって明るく、力強く前進してください。生長の家が今日あるのも、現象悪によって動揺せず、教えを棄てることのなかった厚い信仰者たちがあったればこそなのです。 
 
 谷口雅春先生のお誕生日、また谷口清超先生の法燈継承記念日に当たって所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣

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