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2016年10月28日 (金)

“もの作り”で創造的人生を

 今日は午前10時から、山梨県北杜市大泉町の生長の家国際本部“森の中のオフィス”のイベントホールで「谷口清超大聖師八年祭」が執り行われた。私は祭壇に掲げられた谷口清超先生の遺影の前に玉串を奉げ、御祭の最後に概略、次のような挨拶を述べた--
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 皆さん、本日は谷口清超大聖師八年祭にご参列いただき、ありがとうございます。谷口清超先生は、ちょうど8年前のこの日に89歳で昇天されました。 
 
 私は昨年の清超先生の七年祭で、昭和50年5月号の『生長の家』誌から引用して、先生が「物を大切にせよ」と教えられたという話をしました。また先生は、そう教えられただけでなく、ご自身の実際生活の中でも、その通りに生きられました。その教えをわかりやすく説かれた言葉を昨年七年祭で紹介しましたが、今回も繰り返してお伝えしましょう--「物はどんな小さいものでも“神の愛”と“人の真心”のカタマリである」というのが、それです。 
 
 清超先生は、このお考えを写真の中にも表現されているのですが、そういう例を2~3点紹介しましょう: 
 
Yutakanajinsei_m  これは昭和61年(1986)に発行された『豊かな人生を作ろう』という御著書の表紙カバーです。廃車になった車が積み上げられている写真ですが、それを使って「豊かな人生を作ろう」と仰っているのですから、この写真の例は、何でも安易に廃棄してしまう今の社会は本当は「豊かではない」ということを、暗に指摘されているのです。「はしがき」には、こう書いておられます-- 
 
 「さてこの本のカバーの写真は、私が北海道へ行った時、朝港町で撮ったもので、直接豊かさをあらわしたものではなく、古びたポンコツ車の残骸である。いささかのアイロニーをもって、こんなものを使うことにした」 
 
 次の写真は、この御著書の前の年(1985年)に発行された『人は天窓から入る』という本の表紙カバーです。「はしがき」にあるその説明文を読みます-- 
 
Hitowatemmado_m_2 「カバー写真は私宅の2階で、息子の残して行った人形を床の上において写したものである。“天窓から入る”というイメージが出たかどうかは少々疑問だが……」 
 
 補足しますと、この「息子」というのは私のことで、この人形はお腹かどこかを押すと「ギャハハハハ……」と笑い声を出す仕掛けが組み込まれているジョーク・トーイです。先生がこれを撮影された当時は、私は結婚して、東京・世田谷区の駒沢大学の近くに住んでいたのです。不要となったので置いていったジョーク・トーイに目をつけられて、先生はそれを聖典の表紙写真として蘇らせてくださいました。この写真の構図は、ちょうど私たちが天井を見上げると、そこにある天窓からヒゲ面のオジサンが顔を突っ込んで、あいさつしている--そんな感じがします。これは「人間は物質や肉体ではなく、天から降ってきた神の子である」というメッセージをユーモアをもって伝えているのではないでしょうか? 
 
 次の写真は、どこかで一度紹介したことがあると思いますが、平成9年(1997)に発刊された『創造的人生のために』という御著書の表紙カバーです。この本のカバーの袖の裏にSouzoujinsei2 は、こんな短い説明があります-- 
 
 「カバー写真の塑像・谷口雅宣氏の中学生時代の作品」 
 
 向かって左側が私の“作品”で、粘土で作ったハニワの頭を焼いたものです。右側は、プロのこけし職人の作品で、ずっと新しいもので多分、25年くらい後の作品です。古いものと新しいもの、粘土の塑像と木製のこけし、また頭だけのものと全身を表現したものなど、一見異質のものですが、その2つを組み合わせて写真にすると、何とも言えない暖かい人間性と、相互の信頼感を表現するような作品になっています。清超先生が、これを「創造的人生のために」というタイトルの表現に使われているという点も、私たちは学ぶべきことだと思います。「創造とは、古いものを破壊したり、捨て去ることではない」。「新旧の組み合わせで新しい価値が生まれる」「相互のプラス面を引き出せ」……などです。私たちが今、強調している“ムスビの働き”の素晴らしい例が、この一枚の写真にあると考えます。 
 
 このようにして谷口清超先生は、物を単なる物質とは考えずに、「どんな小さいものでも“神の愛”と“人の真心”のカタマリである」と感じて大切に使い、古いものでも新しい環境に活かして使われた。その御心と教えを私たちは今日、運動の中で大いに実践しようとしているのであります。何のことだかお分かりですね? ついこの間、この“森の中のオフィス”では「自然の恵みフェスタ2016」という催しが行われました。その中では、手づくりの工芸品であるクラフトの展示販売が行われました。そこに出品されたクラフトの数は、昨年よりずいぶん増えました。また、出品してくださった人の数も増えています。さらには、「SNIクラフト倶楽部」という組織が全国的にも結成されつつあります。そして、そのような動きに参加される生長の家信徒の数も増え、それぞれの教区でクラフト製作が行われるようになってきました。 
 
 何でも新しいものを買って、それが古くなれば廃棄し、さらに新しいものを買う。また、自分の手足を使って物事をするよりも、お金を払って誰かに物事を効率的に処理してもらう--というライフスタイルが、地球温暖化や環境破壊の原因になっていることは、皆さんもすでにご存じです。ですから、私たちがプロジェクト型組織を作って推進しようとしている活動--自転車通勤、クラフト製作、食材のオーガニック栽培などは、時代の流れに反する非効率で、苦しい活動だと考える人がいるかもしれません。しかし、実際にPBSの活動をしている皆さんはお分かりと思いますが、これらの活動は、私たちが都会生活の中で忘れていた“自然との一体感”を回復し、私たち一人一人の創造性を高める活動なのであります。 
 
 最後に、谷口清超先生の『創造的人生のために』から、人間が本来もっている創造性を表現することが、私たちの喜びであることを説かれた箇所を朗読いたします-- 
 
「人は何かを作り出すことが好きだ。子供は泥をこねて、色んな動物をこしらえ、家や山を作って遊ぶ。大人になると本物の家を作り、橋を作り、車を作り、芝居や小説を作る人も出て来る。遂には人殺しの犯人をさがし出す名探偵ポワロが作られたりするのである。
 それを読んだり見たりするのは、自分が犯人になりたいからではなく、色々の筋書きを作ったり、想像したりして、楽しみたいからであろう。一般の人々は温かい家庭を作り、よい子供を育てたいと思う。これもまた人々の中に“創造する力”がみちあふれている証拠だ。その“力”を現わしたいと思うのである。そして現わし出す時、限りない喜びが湧き上がる。つまり、“創造的人生”を送ることによって、人々は大いに楽しむことが出来ると言えるであろう。」(同書、pp. 1-2) 
 
 それでは皆さん、谷口清超大聖師が説かれた「物を大切にする心」を深く理解し、その教えにもとづいて自ら手足を動かして実践することで、“創造的人生”をそれぞれの立場で生き、表現の喜びを味わいつつ、光明化運動を新しい段階に引き上げていこうではありませんか。清超先生の八年祭に当たり、所感を申し述べました。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣

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コメント

 合掌有り難うございます。今現在、自動化ことに車の自動化がもてはやされている事で生長の家が唱えている本来の手足を動かして内在の無限力を伸ばすと共に環境保全につながる運動と逆の動きがある事が残念です。
 最近の高齢者による事故はオートマ車のアクセルとブレーキの踏み間違いが原因になっている事からも自動化の弊害がこうした所にも出ていると思います。

 私は仕事は経理ですがなるべく手計算をして検算で電卓を使っています。また社内の掲示文書は筆ペンで手書きにしており、字の練習、脳の訓練を出来るだけ日常の中でする様に心掛けております。また趣味は塑像作りとテニスでこれも大いに手足を使っております。自己の能力が反復練習により伸びて行くのは悦びですし、この生き方が地球環境にも良い影響を与えているとなれば二重の悦びです。 

投稿: 堀 浩二 | 2016年11月29日 (火) 16時41分

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